2007年11月29日
タイムマツーン
今年は4回も公演を打った劇団「It’s Secret」・・・その4回目の公演「タイムマツーン」(作:高橋大樹、演出:片岡友美子)を、彼らの小屋である「Atelier Jam」で観る。
「タイムマシーン」の「シ」が「ツ」になっているのは、いかにも若いあんちゃんが書いた安っぽい芝居という感じがするが、このチープ感を洒落れ(たとえばビートたけしの見え透いたギャグのような)として受容できる人は必ずしも多くはないだろう。
笑いをとろうとする芝居、とくに個々の役者に熱心なファンがいるわけではない観客から笑いをとろうとする芝居は難しい。それがわかっていての挑戦ということなのだが・・・。
じぶんは極めて個人的な理由によって、この芝居を(たぶん)客観的に観ることができなかった。
そこに存在したある特定の役者の身体性に、もっぱら関心が向かってしまったからだ。
それでもあえてこの舞台について言えば、全体としてはそれほど面白いものではなかったと言わなければならない。
もっとも、たんに笑いを取ろうとするなら、テレビや映画に出てくるコンテンポラリーな存在、つまり観客がよく知っているところの人物や話題を取り上げて、これらを真似たり茶化したりするギャグを散りばめればいいのだが、その安易な方途を(さほど)この作品はとらなかった。
この芝居が取り上げた場面(タイムトラベルで行く先)は、小次郎と武蔵の巌流島の決闘だったり、モーツァルトに弟子入りしようとする少年ベートーベンであったり、主人公の大学教授の娘の結婚式だったりして、ようするにある意味古典的であり、その意味では安易な受け狙いに流れることがなかったとは言える。
だが、やはりストーリーは面白いとはいえない。
タイムマシーンものの妙味は、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」や「ターミネーター」が表現しつくしてしまっているように、過去を変えると現在や未来が変わるという前提の上にたった情況へのアンガージュマンと、現在の(タイムトラベル中の)自分と過去や未来の自分が出会わない(出会ってはいけない)という前提にたったドタバタにある。
「タイムマツーン」はこのふたつの大前提を活用していない。これでは面白いものになるはずがない。
(ただひとつ、芝居の最後の結婚式の話で、つまり花嫁が挨拶で父親が亡くなったと話すシーンをその父親であるタイムトラベル中の主人公が見て俺は死んだのかと思うが、しかしそれは娘が父親を結婚式に呼びたくないがゆえの嘘だったという設定は少し可能性を垣間見せたが。)
さて、では、なにが問われてしまったのか。
つまり、ストーリーが大して盛り上がらず、ギャグや題材のもつ笑いのイメージに頼ることもできない分、役者の演戯力こそがあからさまに問われてしまったのである。