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Posted by んだ!ブログ運営事務局 at

2012年11月21日

やまがた現代詩フェスタ 2012

 





 2012年11月17日(土)、山形市民会館小ホールにおいて、「やまがた文学祭-やまがた現代詩フェスタ2012」が開催された。
 山形市の文化行政が助成し、山形市芸術文化協会が開催する「やまがた文学祭」は、文学を6つのジャンルに分け、毎年そのひとつのジャンルについてイベント等を実施するもの。「現代詩」分野は、過去に2000年、2006年と2回にわたりこの「やまがた文学祭」としての企画を実施してきており、今回は3回目となった。
 企画はふたつ。ひとつは上記の「やまがた現代詩フェスタ2012」と題したイベントであり、もうひとつは冊子「やまがた現代詩の流れ~<詩的山形>への招待~」の編集・発行である。(冊子はイベント参加者へ無償配布。)
 主管は、山形市芸術文化協会の現代詩部門の理事や同協会の会員となっている山形市在住の詩人たちとこれに協力した山形県詩人会の役員でつくる実行委員会である。
 高啓は実行委員会から指名され、上記冊子の編集を担当した。ただし、イベントの企画内容については関知していない。
 
 「やまがた現代詩フェスタ2012」は、第一部:講演(詩人・中村不二夫氏「東京からみた山形の詩人たち」)、第二部:山形市内の3つの高校の放送部員たちによる現代詩の朗読の二部構成。
 第二部の出演は、県立山形北高等学校放送部、県立山形東高等学校放送委員会、私立山形学院高等学校放送部。朗読されたのは実行委員会の担当者・いとう柚子が選定したもので、前半部は高校の教科書に収録されている国内の有名詩人の作品、後半部は山形県の詩人の作品であった。








 さて、冊子「やまがた現代詩の流れ~<詩的山形>への招待~」については、その編集後記から引用することで、内容を紹介しておきたい。

【ここから「編集後記」の引用】
 今回の編集にあたってはこれまでの方針を尊重し、山形における現代詩の史料となるよう記録性を重視することとして、県内詩界の動き、年表、物故者の回顧、それに同人誌の現況報告などを記載した。なお、県内詩界への目配りや年表の作成については、従前から高橋英司に負うところが大きい。
 また、これに加えて、一般読者に県内詩人への関心をもっていただきたいと考え、前回と同様に県内詩人を論じた評論を掲載した。前回は平塚志信が論者となり、万理小路譲、伊藤啓子、近江正人を取り上げたところであるが、今回は高啓が「〈詩的山形〉への招待」と題して、加藤千晴、アカツカトヨコ、永山一郎、木村迪夫、菊地隆三、松田達男、いとう柚子、高橋英司を取り上げた。各詩人の代表的作品を引用掲載しているので、優れた県内詩人の作品に触れるという意味でもぜひご一読いただきたい。
 さて、ここからは我田引水になってしまうが、今回掲載した「〈詩的山形〉への招待」について若干の言及をお許しいただきたい。
 この起稿のために、あらためて県内詩人たちの作品に眼を通したのだが、思いがけなくも、それらを一定のビスタから論じる結果となった。この編集任務を引受けなければこんな論考をすることもなかったという意味で、これは筆者にしてみれば予想外の収穫だった。
 というのも、この稿は、2010年に「山形新聞」紙上で交わされた「郷土の名詩」を巡る論争(むしろ騒動と言うべきか)を受けての、筆者なりのひとつの姿勢の表示となったからである。
 あの論争は、「郷土の名詩」と言うときの「郷土」とはなにかが論じられないまま立ち消えになったのだったが、ここで筆者は「郷土」とは蔵王連峰やら最上川やらとは関わりなく、この山形に生きる詩人が内部に抱えた〝風土〟あるいは〝境遇〟であると看做し、「名詩」とは自意識がそれら内部の風土や境遇とふかく切り結ぶ詩的達成のことだという視角を提示している。
【ここまで「編集後記」の引用】

 筆者は、この論考のなかで、「自意識がそれら内部の風土や境遇とふかく切り結ぶ」様相を明らかにするため、現役の詩人についても、各詩人の個人的事情に憶断の誹りを恐れずに言及した。
 なお、参考まで〝「山形新聞」紙上で交わされた「郷土の名詩」を巡る論争〟については、この冊子に掲載されている過去6年間の県内詩壇の状況を記述した高橋英司の文章「変貌する山形の詩」がその概要を述べている。

 冊子は、県内の主な図書館に寄贈される予定。また、イベントに参加しなかった県詩人会会員にも配布される予定。これら以外でご希望の方は、高啓までメール(本ブログの「オーナーへメッセージ」から)にて問合せを。

                                 


  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 00:00Comments(0)活動・足跡

2012年11月13日

耐えつつ、楽しみつつ、2012年モンテの総評





 今季のJ2リーグ戦が終わった。そこで、モンテについて久しぶりに言及したい。

 2012年10月21日のホームゲームで北九州に勝利して昇格争いに踏みとどまったかに見えたモンテは、10月28日のホームゲームで千葉に敗北し、自力での昇格争いプレーオフ出場が不可能になる。この時点で、残りはアウェーでの大分戦、最終節・ホームでの岡山戦とわずか2ゲームとなり、6位の千葉との勝ち点差は5点、7位の東京ヴェルディとは2点差。
 モンテが残り2ゲームとも勝利し、「千葉2敗」かつ「ヴェルディが2敗または2分けまたは1勝1敗」となればプレーオフ進出となる微かな望みをもって臨んだ11月4日の大分戦だったが、モンテはここでも完敗して昇格争いから完全に脱落。・・・さらには最終戦のホームにおける岡山戦でも、宮坂のイエローカード2枚による退場というアクシデント(2枚目は明らかに審判のミスジャッジ)を乗り越えられず、0:2で敗れた。
 じぶんは、大分戦のパブリックビューイングの会場となった霞城セントラルのアトリウムに出かけたものの、そのときはまだ0:0だったにもかかわらず完敗するだろうという予感があって、その場から早々に立ち去ったのだった。また、最終戦もNHKの同時中継で視たが、ハーフタイムにリードされた状態でインタビューを受けた奥野監督の目がきょろきょろして視線が定まらないのをみて、チーム状態の深刻さを改めて感じた。

 そういえば、このブログの前回の書き込みは、J2リーグ戦でモンテが首位に立った第13節だった。それからずいぶんと間が空いてしまったが、リーグ戦を首位で折り返したモンテは、その後、「泥沼」(山形新聞)にはまったかのように低迷し、第31節で町田に勝利して以降、第39節で北九州に勝つまで8試合勝ちなしなど不振が続き、最終的には上記のとおり、10位まで下落して2012年シーズンを終えた。
 さて、だが、モンテについて長らく沈黙していたからと言って、観戦をサボっていたわけではない。
 第14節以降で自分がこれまでスタジアムに足を運んだのは、以下のとおり。
 なお、千葉での開幕戦(アウェー)に駆けつけた後、第13節までで6回ホーム・スタジアムに足を運んでいるから、年間にすると全部で17ゲームを生で観戦したことになる。

 第15節 vs岐阜        (2:1で勝ち)
 第17節 vs鳥取        (5:1で勝ち)
 第19節 vs湘南        (1:2で負け)
 第21節 vs徳島        (1:0で勝ち)
 第24節 vs福岡        (3:1で勝ち)
 第28節 vs横浜FC      (0:1で負け)
 第34節 vs京都        (1:2で負け)
 第36節 vs東京ヴェルディ  (1:1引分け)
 第39節 vs北九州       (1:0で勝ち)
 第39節 vs千葉        (0:2で負け)

 後半戦を振り返ると、この部分だけだと「5勝4敗1分け」でそれほどでもないが、この間のアウェーの成績が悪かった。とくに鳥取、草津、熊本などの下位チームから破れたのが痛かった。
 また、39節で千葉に敗れて昇格争いから実質的に脱落したあとの3ゲームは悲惨な結果だった。
 モンテのサポーターやファンは、誰しも「シーズン前半のあの勢いはどこに行ったのか」と落胆していたことだろう。
 じぶんも第36節の東京ヴェルディ戦の引き分けには呆然とした。・・・後半ロスタイムの、間違いなくこれが最後のプレーだという時間帯に、GK清水が真正面へのシュートをキャッチしようとして前に零したところを相手に蹴り込まれ、モンテは喉から手が出るほど欲しかった勝利を逃した。あの呆然としたスタジアムの空気は、モンテに関することのなかで今年最も印象に残ったことだった。

 「泥沼」に嵌ったきっかけは、山崎の故障による離脱だったかもしれない。しかし、今季から加入したFWの萬代が期待ほど活躍できず他のFWも当てにならなかったから、山崎と中島にかかる負担は大きく、このままでは前半のようなトップクラスをキープできるとはとても思えなかった。
 そこでモンテは、MFのブランキーニョ、FWの林、そしてDFの岡根を補強した。ブランキーニョの加入は、J1昇格と1年目のJ1残留に貢献したDFレオナルド以来の、久しぶりの頼りになる外国人選手に思われたから、その期待も大きなものだった。また、長身の林と岡根にも期待が持たれた。
 しかし、ブランキーニョの補強はプラスに働いたのだろうか・・・。かれが加入した直後は得点を重ねるなど活躍したが、その効果はやがてよく判らなくなった。相手ディフェンスにマークされ、2人がかりでこられるとボールを取られることもしばしばだった。要するに、それほどの実力ある助っ人ではなかったわけなのだが、モンテにおけるデビュー当初の活躍が目立ったために、周りに馴染まないまま使い続けられたという感じがする。そして、ブランキーニョ中心の組立てがうまく結果を出せないことによって、他の選手たちに乱れが生じたのではないか。その乱れとは、モンテにおける“中心選手の不在”がいい意味で果たしてきた効果の消失であっただろう。相手からみれば、モンテの攻撃を止めるポイントがわかりやすくなったのだ。

 いったんつまずくと、シーズン前半の成功体験が足かせとなった。
 FWの決定力不足のなかで、前半の入りをアグレッシブに行ってそこで先取点を奪うという積極的な戦略で結果を出せなかったとき、その後にくる弛緩の時間帯に相手の得点を許すことが多かった。攻めなければという衝迫のなかで、攻めあぐねてボールを出す先を見つけるのに時間がかかると、そこにすぐプレッシャーをかけられ、パスミスで相手の速攻を許していた。
 メインスタンドから観戦していると、モンテの選手たちが弛緩してゴールを奪われそうな時間帯がはっきりと見えたし、実際、失点の場面はまるでデジャヴのようだった。
 また、相変わらずマイボールのスローインを相手に奪われることが多かった。これはモンテの悪い癖で、昨年J1では散々な状態だったが、今季の前半では前年の状態が嘘のようにうまくマイボールに出来ていた。それが今シーズン後半では、再び相手に奪われる機会が多くなった。・・・このマイボールのスローインをマイボールのままパスでつなげる確率が、どうもチーム全体の調子を反映しているようだ。
 スローインの際に受け手が相手のマークを外せるかどうか、第三者がうまくスペースに出てこれるか、そして他人任せにせず各自が常にその意識を高くもっているか、スローイン時の状況がゲームの動きを象徴しているということだろう。シーズン後半のモンテは、この動きをサボり、マイボールを相手に取られてしまうことで、奪い返すのに何倍もの時間と体力を消費していた。

 監督の責任はもちろん重い。奥野監督は、鹿島のコーチからモンテの監督に就任し、Jリーグの監督初体験だったからと大目にみたくもなるが、シーズン後半の「泥沼」の責任は大いに監督にあるといわざるを得ない。
 まず、ピッチサイドにおいて監督の存在感が希薄である。これは我々の記憶に、前監督の小林氏の存在感が印象深く残っているからかもしれないが、それにしても奥野監督の存在は軽く思われた。これは勝ち進んでいる前半からそうだった。
 また、印象的だったのは、ゲーム後半で選手交代をしてから失点するケースが多かった。采配の問題なのか、連携不全の問題なのか、その両方なのか。
 さらには、全体的な印象として、昨年まで監督がコーチをしていた鹿島とは格段に選手層の薄いモンテで、選手を育てるということに対する取組み方を大きく変える必要があったのではないか・・・などと考えてしまう。
 結果として今季のモンテを6位以内にできなかったことを責める気はないが、後半の“完全失速”の責任は大いに監督にあるだろう。モンテのような実力のないチームが勝ち点を重ねていくためには、疲労の出てくる夏以降、勝ち点3を狙うゲームとそうでないゲームの戦い方をはっきりと区別し、柔軟かつ狡猾に対応することも必要になってくる。
 奥野監督留任が決まっているとの報道だが、来季にむけてどのような戦略と戦術をとるのか、中井川GMともどもしっかりした総括のうえで方針を詰めて欲しい。

 さて、フロントの問題はどうだったろうか。クラブの理事長となった高橋副知事は多忙な中を何度かスタジアムに足を運んでいてそれなりに真剣に運営にあたっている様子だったが、やはり「副知事」という立場ではクラブのリーダーというより所詮“管理者”という枠から抜け出しえない。だから、「専務理事」が実質的なリーダーたるべきなのだが、その専務理事は県の部長職OBの天下りで、「副知事」に仕えていたころと同じ姿勢でしかないようにみえる。・・・というか、はっきり言うとその存在はまったく見えなかった。
 昨年まで過去2年間のトップは県の次長職OBの天下りだったが、彼は以前から個人的な経緯で県サッカー協会の役員を務めていたし、なによりもクラブの「理事長」だったのであり、その立場からしてJ2降格をもって引責辞任したわけである。今の「専務理事」はリーダーでもなく、責任を取らされる立場でもない。ようするに今のフロントには、責任を取らされるべき人間、身分をかけて闘わざるをえない人間が、中井川GM以外にいないのだ。
 というのも、いまのモンテは実質的にGMの担当業務が多すぎるようにみえる。モンテには、経営戦略を建て、責任をもって経営面を牽引する専任者が必要である。
 じぶんは、モンテの専務理事を“一般公募”すべきだと思う。それが無理なら、県職員からの庁内公募でもやむをえないが、年金受給までの繋ぎとしてではなく、少なくとも公募に応えた人間が、それなりの権限を与えられ、職を賭してリーダーを務めるべきなのである。

 最後に、スタジアムにおける観客の印象について述べておきたい。
 今季のモンテが、1試合平均6,500人という動員目標に対して7,000人以上の観客を集め、黒字に転換する見込みであることは喜ばしいが、もちろん、これはリーグ戦の前半でトップを走ったおかげである。
 もっとも、J2に降格して相手チームのサポーターが激減した今季、観客数を伸ばしたことは率直に評価すべきことだと思う。たしか、甲府が初めてJ1からJ2に降格した時、降格して迎えたシーズンに観客動員数を伸ばしたと聞き、甲府の状況をうらやましく思った記憶がある。これがモンテのようなプロビンチアが目指すべき、“エレベーター・クラブ”の姿である。
 さらに、まずはじぶんの感覚を思い起こすと、今季は初めてじぶんが“素直にモンテのファンになった”という感じがした。昨年までのことを振り返ると、J1に昇格するまでは、モンテのファンというよりもこの山形という地域の人々がプロのサッカーチームをどのように育てていけるかにもっぱら関心があったし、J1に昇格してからもプロビンチアとしてのモンテがどんな戦略をもって残留にチャレンジしていくかが関心の中心だったから、スタジアムの雰囲気を楽しむという感覚は比較的希薄だったような気がする。
 しかし、今季は今まで以上にスタジアムの雰囲気が好きになった。
 モンテの観客は、年齢層が幅広い。とくに中高年の男女が多く、「泥沼」に嵌ったシーズン後半でも、黙々と、というか、淡々と、というか、そんなふうにスタジアムに足を運んでいるという感じの人々が目についた。これまで、“熱くなりにくく冷めやすい”のが山形県人だと言われてきたが、ちょっとだけ印象が変わりつつある。熱くはなりにくいが、冷めてもそれほど冷え切らない、という感じか・・・。
 じぶんも定年の日が遠いわけではないのだが、精神的にも時間的にも余裕ができたら、子どもや孫の世代のファンやサポーターに混じって、もっと豊かな気持ちで観客席に座って観戦できるかもしれない・・・などと、周りの60代・70代の観客を見ていて思う。これは幸福なことだろう。
 その一方、独りで観戦にきて、ずいぶんと思いつめた感じでゲームに入れ込んでいる若い人も目に付く。負けるとイラついて感情を表に出す人が若干増えたようでもある。これはやや気がかりな点。

 じぶんは長らく、プロ・サッカーは選手や監督の入れ替わりが激しく、チームのアイデンティティが希薄であるのに、サポーターがそれを自分たちのチームだと看做して熱烈に支援したり、さらには自己同一化したりするという構図に、なにか嘘臭さを感じて馴染めずにいた。“われらのクラブ”という幻想に浸れなかったのである。
 この感覚がなくなることはなく、したがってじぶんは「NSBF」を標榜し続けているわけであるが、あの寡黙な中高年諸君が淡々と観戦する“地元クラブという枠組み”の存在に、どこかで親しみと幸いを感じるようにもなっている。これは人間がまるくなったということか、歳をとって気が弱くなったということか・・・(苦笑)

 さて、こうしてわれわれはこの長い冬に耐える。
 新潟とか大宮とかアウェーに行き易いチームが降格してきてくれるといいなぁ、降格が決まった札幌とのアウェー戦は季節のいい時期だといいなぁ、などと考えながら、いまから来年3月の開幕が待ち遠しいのである。
                                                                                    




  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 00:01Comments(0)サッカー&モンテディオ山形