2015年11月26日

「木村迪夫の詩を語るつどい」報告




 山形県詩人会は、山形県立図書館との共催で、2015年10月11日、山形市緑町の遊学館・第一研修室において『木村迪夫の詩を語るつどい』を開催した。
 これは、「山形国際ドキュメンタリー映画祭2015」において原村政樹監督の長編ドキュメンタリー映画「無音の叫び声~農民詩人・木村迪夫の牧野村物語~」が上映されるのに連動して企画されたもの。(参加者は40名余りだった。)
 
 はじめに木村迪夫が自作詩「村への道」と「まぎの村へ帰ろう」を朗読し、これに続いて議論に入った。(以下、敬称略。)
 議論の呼び水となるよう、「話題提供」として、まずは詩人・近江正人から「木村迪夫の詩の魅力について」と題した20分程度の報告、続いて詩人・高橋英司から「現代詩史における木村迪夫の位相について」と題した25分程度の報告を受けた。
 近江は、木村の作品世界の特徴を〝身体性を持つ具体的な詩表現〟とし、方言の会話体の直接使用、農の実経験を通過した重くリアルな身体性の言語と生活描写、七五調の独特のリズム、ドキュメンタリー性などに注目する。
 そして、その魅力と可能性を「詩による視覚的・演劇的(映画的)な空間の創生」と「はにかみと農的・生命的なエロスからの希望の再生」に見るとした。
 一方、高橋は、詩人・木村迪夫が「農民詩人」という冠付きで語られることについて、蔑みやその逆の「特権的なラベル」付けがなされていると異議を申し立てつつ、その思想性を生活現実に即した「身体性」、すなわちリアルな言葉・具体的なイメージという観点から語った。
 また、吉野弘の詩「夕焼け」を引き合いに出しながら、吉野の詩には嘘や倫理的に疑問を感じる部分があるが、木村の詩には「嘘がない、飾りがない、率直だ」、「生活信条や箴言、人生訓めいた言葉もない」と述べ、その詩業は現代詩史に脈々と流れる「地下水」のようであると述べた。

 引き続いて、高啓が進行役となって、木村、近江、高橋によるパネルディスカッションが行われた。
 初めに、高が「『農民詩人』と呼ばれることをどう思うか?」と木村に質問。
 木村は、「『農民詩人』と呼ばれるのはいやだ。」と、きっぱり言い切った。

 近江が、木村詩の演劇性・映画性を重視して詩集『いろはにほへとちりぬるを』(2002年・67歳で上梓、現代詩人賞受賞)をその到達点としたのに対して、高橋はリアリズムを評価する観点から詩集『まぎれ野の』(1990年・55歳で上梓。晩翠賞、野の文化賞受賞)を最も評価するとした。
 高はこれを引き取って、『まぎれ野の』には、木村の詩の殆どの要素(リアリズム、身体性、農とムラへのこだわり、反戦意識、演劇性・映画性など)が揃い、しかもそれらが一定水準の表現で各作品に定着されている。そういう意味ではこれが達成点であり、そのなかの演劇性・映画性をとことん突き詰めたという意味では『いろはにほへとちりぬるを』が到達点になるだろう、などとまとめた。
 木村は、「真壁仁を第二の父、黒田喜夫を兄と呼んでいるが、どんな影響を受けたか?」との質問に「励ましを受けた」とだけ答え、詩法への影響については語らなかった。
 高は、真壁仁の処女詩集「街の百姓」を取り上げ、これが一見百姓を描いているようでいて、実は西洋かぶれのモダニズム作品で構成されていることを紹介し、真壁は「農民詩人」と呼ばれるような存在ではないこと、そして木村は詩法上は真壁の影響を受けていないと思われることを暗示した。

 また、木村は、戦争体験についての質問に、「戦争で父や叔父を失った体験は自分の血肉となっている。反戦は自分の根本にあるものだ」と応えた。
 高は、それがなぜ「自分の根本にあるもの」なのか、高自身の見方を木村に提示して問いかけたかったのだが、時間が限られているなかで議論が拡散するのを危惧して諦めた。
 そして、最後に「TPP合意によって、ますます農村は疲弊していくだろう。木村さんはこれからどうしていくのか?」と問うた。
 これに対して木村は、「ムラは滅んでいくだろう。自分はその滅びの過程を生きながら、死ぬまで〝滅びの美学〟を詩に綴っていきたい。」と語った。

 その後、会場から詩人会会員の阿蘇豊の質問と原村監督の発言があり、あっという間に濃密な時間が過ぎた。
 なお、原村監督の著作『無音の叫び声~農民詩人・木村迪夫は語る』(農文協)には、彼の木村迪夫の詩の世界に対する視点や評価が詳しく記されている。これは、映画の本ではなく、原村政樹の「詩人・木村迪夫論」というべき内容である。(了)                                                                                                                               
  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 01:00Comments(0)山形県詩人会関係

2015年09月11日

木村迪夫の詩を語るつどい





山形県詩人会からの告知です。

山形県詩人会は、山形県立図書館と共催で「木村迪夫の詩を語るつどい」を開催します。

「山形国際ドキュメンタリー映画祭2015」(10月8日~15日・山形市)において、原村政樹監督のドキュメンタリー映画「無音の叫び声~農民詩人 木村迪夫の牧野村物語」が上映されます。(10月12日10:00~ 山形市民会館)
 これと連動して、山形県立図書館では「詩人・木村迪夫著作展」(10月17日まで)を開催しています。
山形県詩人会は、これらに連動して、映画とは異なった視点から木村氏の詩の世界について論じ合うつどいを開催(図書館と共催)します。多くの皆さまのご来場をお待ち申し上げます。

【内 容】
(1) 木村迪夫氏による自作詩朗読
(2)話題提起
  ①「木村迪夫の詩の魅力について」詩人・近江正人氏
  ②「現代詩史における木村迪夫の位相について」詩人・高橋英司氏
(3)木村迪夫・近江正人・高橋英司の3氏によるパネルディスカッション
 (司会:高啓)

日 時 :平成27年10月11日(日)13時30分~15時30分
会 場 :山形市緑町「遊学館」3階 第1研修室
参加費 :無料
主 催 :山形県立図書館  共催:山形県詩人会

申込み :山形県立図書館  企画課(高橋・阿部)
電話023-631-2523 Fax 023-625-6520

※ この催しに参加する方が文翔館東側の県営立体駐車場をご利用の場合は、2時間まで無料になります。遊学館入口の受付で駐車券にチェックを受けてください。なお、当日は遊学館2階ホールで台湾のドキュメンタリー映画の上映と講演等が行われますので、駐車場の空きが少なくなることも予想されます。ご注意ください。
※ 当日の参加も可能ですが、資料等準備の関係上なるべく前日まで申し込みをお願いします。
  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 00:39Comments(0)山形県詩人会関係

2015年06月22日

山形の詩 朗読の夕べ





 山形県立図書館(山形市緑町「遊学館」内)で「山形の詩 朗読の夕べ」が開催された。(2015年6月14日)
 このイベントは、同図書館が開催した蔵書の企画展示「吉野弘と山形の詩人たち」(5月19日~6月20日)の一環として開催されたもの。
 日曜日の夜、閉館後の図書館の閲覧室内で行われるイベントはこの県立図書館ができてからおそらく初めてのことだろうという話だった。

 朗読の夕べには山形県詩人会が協力。7人の詩人が出演した。(写真はMCを務めた近江正人氏)
 プログラムは、下記のように三部構成。
 出演者(朗読者)は、自分が取り上げた詩人や作品について簡単な紹介や当該詩人に関する想い出などを語った。なお、今回取り上げられた詩人は、すべて物故者だった。
 ちなみに、この図書館にはイベントを実施する予算がまったくないため、出演者は交通費も自己負担で駆け付けた。

 ※イベントの模様(画像)は山形県立図書館のFacebookに掲載されている。


 【「山形の詩 朗読の夕べ」プログラム】

 【第一部】  吉野弘の詩を味わう
  「生命は」(朗読者)近江正人
  「奈々子に」「創世記」(朗読者) 松田達男
  「虹の足」「樹」 (朗読者)いとう 柚子

 【第二部】  井上ひさしの言の葉 ~劇中詩より~
  「ひょっこりひょうたん島」テーマソング(朗読者)井上達也
  「水の手紙」から(朗読者)遠藤敦子&井上達也
  「きらめく星座」から(朗読者)遠藤敦子

 【第三部】  多彩な山形の詩人たち
  土谷 麓「一升買い」(朗読者)久野雅幸
  加藤千晴「大木」(朗読者)いとう柚子 
  日塔貞子「私の墓は」(朗読者)いとう柚子
  日塔 聰「ソネット一」「哀歌二」(朗読者) 松田達男  
  長岡三夫「田舎の親父東京へ来るな」(朗読者)高橋英司
  大滝安吉「博物館にて」(朗読者)近江正人                  







 企画展示「吉野弘と山形の詩人たち」については、以下のとおり趣意書の文言を引用しておく。

【 名詩「I was born」や「生命は」等の作品が愛読され続けている吉野弘をはじめとして、戦後詩史に類例のない足跡を残した黒田喜夫、阿部岩夫ら、そして農民詩人として全国的に注目された真壁仁、木村迪夫など、山形県は優れた現代詩人たちを輩出しています。現在、「山形新聞」に、本県出身の物故詩人を取り上げた「やまがた名詩散歩」が連載されていますが(平成26年4月から隔週連載中)、山形県立図書館では、この連載記事と連関するかたちで、蔵書のなかから連載記事で紹介された物故詩人たちの詩集を展示するとともに、これに加えて「山形県詩人会賞」を受賞した詩集など、現在活躍中の県内詩人たちの詩書を展示します。物故詩人では、吉野弘、新藤マサ子、星川清躬、赤塚豊子、真壁仁、芳賀秀次郎、佐藤登起夫、神保光太郎、駒込毅、日塔貞子、日塔聰、森英介、永山一郎、土屋麓、阿部岩夫、加藤千晴、黒田喜夫、結城よしを、大滝安吉、佐藤總右、細野長年、竹村俊郎、蒲生直英、高橋兼吉、駒谷茂勝、佐藤十弥、長岡三夫らの貴重な詩書(「禁帯出」を含む)をご覧いただけます。また、現在も活躍中の詩人では、「現代詩人賞」受賞の木村迪夫、「H氏賞」受賞の佐々木安美、「丸山薫賞」受賞の菊地隆三ほか、注目される県内詩人たちの詩集を展示しています。どうぞ、多様で豊饒な山形県詩人たちの世界に触れてみてください。なお、展示中の蔵書は、一部の「禁帯出」本を除き、展示終了後、6月23日(火)より貸出します。】

























  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 08:31Comments(0)山形県詩人会関係

2015年04月25日

第14回山形県詩人会賞&秋亜綺羅氏の講演・朗読









 去る2015年4月18日(土)、山形市の山形グランドホテルで「平成27年度山形県詩人会総会」が開催された。また、総会後、「第14回山形県詩人会賞」の表彰式が行われ、さらに仙台市在住の詩人・秋亜綺羅氏の講演・朗読会、そして祝賀と懇親の会が開催された。

 まず、総会の報告から。

 山形県詩人会は、今年度2名の新入会員を迎え、58名となった。
 高橋英司氏(河北町在住)を会長、万里小路譲氏(鶴岡市在住)を副会長、松田達男氏(山形市在住)を事務局長とする体制は前年度と変更ないが、各理事の役割分担を明確にして活動の活性化を図ることにした。
 理事のひとりである高啓は、近江正人氏(新庄市在住)とともにイベント企画・実施の担当となった。
 そこで、高啓は総会に「山形県詩人の作品朗読会」の開催(6月中開催を想定)を提案し、承認された。これは、山形新聞に連載中の「やまがた名詩散歩」(執筆者の殆どが詩人会会員)と呼応する企画。


 次に、「第14回山形県詩人会賞」の表彰式について。

 今回の詩人会賞は、平成26年1月から12月までに発行された詩書(詩集や詩論集など)10作品を対象に、県詩人会会員の投票を参考として、理事会(対象詩集の作者を除く)で選考した。
 議論の結果、遠藤敦子「禳禱(いのり)」(土曜美術社出版販売)と久野雅幸「帽子の時間」(空とぶキリン社)のダブル受賞となった。
万里小路審査委員長のコメントから引用する。






 「遠藤敦子詩集『禳禱』は、三十年を超える詩作の総決算の書であると同時に、自らの半生と世の事象を祈りを込めて振り返った詩集。「禳」は神を祭り災いを除く意、「禱」は幸福を求めて祈る意。詩集のタイトルに暗示されているように、災いを祓う禳災と祈り願う祈祷に熱く、言葉を綴る営みの切実さがひしひしと伝わってくる詩集である。理不尽なことに対する怒りや弱者への憐れみもまた織りこまれ、他者へ向ける温かい眼差しと自己をみつめる視線は厳しく強靭である。」







 「久野雅幸詩集『帽子の時間』は、遠藤敦子詩集『禳禱』の切実で重い思念の世界とは対照的に、斬新で意表を突く発想が豊かな世界を切り拓く詩集。日頃、人間に使用される帽子という存在にスポットライトをあて、思いも寄らぬ内省の世界が涌き出る意外性とその愉楽は、しかし生きていることの孤独と悲しみに裏付けられている。また、ウイットとユーモアもまた軽やかなフットワークで醸成され、発見される時間のありようを追い求め紡いでゆくその表現力は卓越している。詩作における新たなアプローチをこの詩集に見て取ることができる。」

 「最後の絞り込みによって遠藤敦子詩集『禳禱』と久野雅幸詩集『帽子の時間』が残ったが、両者に優劣をつけがたく、この二作を本年度の山形県詩人会賞に決定した。」


 その後、秋亜綺羅氏による『ことばが先か、詩が先か』と題した講演と自作詩の朗読が行われた。

 秋亜綺羅氏は、宮城県の高校の演劇部員の合宿の講師を務めており、30人くらいの生徒と2日間一緒に過ごすとのこと。そのなかで交流する演劇部員たちのことばや行動・演戯を紹介しながら、次のようなことを述べた。
 「生まれたばかりの子とその子を抱く母の間にことばはないが、詩はあるのではないか・・・。
 夕焼けと自分との間に詩が生まれる。でも、それをことばにしようとしたときには詩が終わっている。詩を作りたいという想い、それはもうひとつの夕焼けを創ろうとして詩を書いている想いである。・・・自分なりの夕焼けを創ろうとして、詩人たちは詩を発表するのだと思う。
 ことばは道具に過ぎない。しかし、その道具は頭に入り込み、頭にとどまる。そこから、ことばは暴力にもなる危険なものだということがわかってくる。『ことばは事件そのもの』(寺山修司)ということがわかってくる。」
 「『どうすれば詩がうまくなる?』と訊かれたら、「詩はヘタでなくちゃ」と答える。私の朗読は叫ぶことが多い。それは、隣にいる女性を好きだと思っても私のことばが届かないから。ふたりの間には<現在>という巨大な壁がある。近くのひとにことばを伝えることができない。その巨大な壁をくぐり抜けるために現代詩は生まれた。だから私は叫ぶ・・・」
 講演に引き続き、秋亜綺羅氏は5編の作品が収録された小詩集「フランクフルト幻視」(この日のために印刷して参加者に配布してくれた)という詩集を、ロックやポップスの音楽にあわせて朗読した。
 普段は舞踏とのコラボレーションで朗読しているとのことである。


 祝賀と懇親の会では、受賞者のあいさつに続いて、遠藤敦子詩集については理事の井上達也氏(南陽市在住)が、久野雅幸詩集については近江正人氏が評価を述べた。
 みんなに少しアルコールが入ってくると、高橋英司氏がコメント者に自席から不規則発言で質問を浴びせたり、受賞者が講演者の講演内容の一部に異論を唱えたり、その異論に司会の高啓が異論を述べたりして、いつもの(「山形詩人ミーティング」のような)ざっくばらんな(酔っ払いの?)議論の会の雰囲気になっていった。
 秋亜綺羅氏は、異論に応えつつ、「宮城県詩人会では(祝賀会が)こんな議論の場になることはない(笑)」と感想を述べていた。
                                                                                                                                                                                                                                                                                 
 


  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 19:16Comments(0)山形県詩人会関係

2014年05月03日

山形詩人ミーティング2014 in 新庄

 去る2014年3月28日(金)、新庄市内の「ニューグランドホテル新庄」において、「山形詩人ミーティング 2014 in 新庄」が開催された。
 これは、『山形詩人』発行者の高橋英司と同誌同人の高啓が仕掛け人となって、県内詩人の近刊詩集及び評論集、つまり、新・日本現代詩文庫『近江正人詩集』(土曜日美術社出版販売)と万里小路譲『詩というテキストⅡ』(書肆犀)の2作品について、忌憚ない批評を交わす場として企画されたもの。各詩人が所属する同人誌の枠を超えた合同合評会である。(ちなみに、「山形詩人ミーティング」というのは山形における詩人のミーティングという意味であり、同人誌『山形詩人』と直接の関係はない。)
 高橋英司と高啓の仕掛けでこのような合同合評会を開催するのは、2012年に続き3回目となる。今回は、山形市を離れて県北の新庄市で開催した。これは同市が近江正人の地元であるため。(なお、万里小路譲は鶴岡市在住)
参会者は全部で15人。うち近江を含めて5人は地元最上地域の在住者だった。主な詩人は、相蘇清太郎、いとう柚子、井上達也、岩井哲、木村迪夫、佐野カオリ、高瀬靖など。
 なお、近江によれば、新庄市でこのような詩人の集まりが持たれるのは「史上初めて」ではないかとのことだった。







 ミーティングは飲食をしながら、自由に発言してもらう形で進行した。まず、高啓が進行役で『近江正人詩集』について、本人から話を聞いた。高啓のメモによれば、近江は次のようなことを述べた。
 近江の詩は、花や動物など生物に取材した作品が多く<命>から説きはじめている。その理由について近江は「若い頃から道元に魅力を感じていた。<道>が与えた影響を考えてきた。高校時代に植物を観てコメントを書き付けるなどということをしていた記憶がある。家庭の状況から抜け出して、外に世界を作ろうとした。孤独な少年時代だった。一人で山に登り、高山植物をじっと眺めながら、それらが咲いている意味を考えてきた。小学生のときから高校生まで、ずっと自分が存在している意味を考えてきた。」
 近江詩集には鉄道員の父親が酔って暴力を振るう場面が描かれた作品もある・・・
「幼いころの想いが突然出てくるのか、形而上的な作品を書きたいという衝動がある。しかし、風土に反逆したら生きていけない。反逆できない。その想いが反転して、風土に反逆する者に反対する気持ちになっていた。しかし、じつは自分は『新庄まつり』を観たことがない。祭りの時はいつも山に登っていた。これではない別の生き方があるはずだと・・・。」
 余計なお世話だが、ここで少し高啓の解説を入れると、・・・新庄は戸沢藩の城下町として栄えてきた最上地域の中心都市。「日本でいちばん天気の良い日が少なく」(近江)雪深い自然環境と保守的で停滞的な社会関係の下にある。一方、「新庄まつり」は約260年の伝統をもつ「山車(やたい)」と囃子の夏祭り。新庄の住民にとっては興奮と熱気に包まれる特別な時空であり、その囃子の音色は人々の心に深く刻み込まれている。地元の人間なら心が沸き立つ新庄まつりを避けて続けていたということで、その孤独の深さが察せられる。
 向日的で命の素晴らしさや最上の風土への想いを詠うような傾向の詩が多い近江作品に、こんな陰の部分があったことを知れたのは有意義だった。

 参加者からの発言は以下のようなものだった。
 「近江詩は日常の感覚に立脚しているが、詩に入っていくときはもっと別の存在にならなければならないのではないか。」(通俗的すぎるという趣旨か)
 「40年以上『ぼく』を使い続けていることに驚く。これから、いつ、どんな形で“老い”を書いていくのか楽しみだ。詩人はこの世界の地質学者のように時間の層を表現していくもの。」
 「近江詩は面白いというわけではない。しかし、節度を曲げないできた。どの作品も美しく、その点では稀有の存在。真壁仁や星寛治らの系譜に繋がる。」
 「“解らなさ”から撤退してしまえば、ポエジーから遠ざかってしまう。初期の『井戸』という詩のなかの“い/ま/わ/の/き/わ”という表現に大きなポエジーの力を感じた。」
 「律儀だなぁという感想。ひとつの事象と対峙したとき心の中にポエジーが生まれるが、それを素直に表現するかどうかということは別の問題だ。もっと多様な在りようがありうるのではないか。」 
 
 最後に、近江詩について高啓が話したのはこんなことだった。
 じぶんも最上に通うようになって、近江詩に頻繁に現れる“命の尊さや自然の息吹”を詠いたくなる気持ちが改めてわかったように思う。最上のひとびとの春の待ち遠しさ、そして春がやってきたときの歓びは名状しがたい。しかし、その反面、比喩表現や事象描写が次々に繰り出されていくため、読んでいて“やかましい”という印象になる。各作品の最終連などに、詩的な比喩がそれ自体で自足してしまう“ポエジーの落とし穴”がある作品が目に付きもする。








 次に万里小路譲『詩というテキストⅡ』について。ここから、進行を高橋英司に交代。
 この評論集は、『詩というテキスト』の続編。万里小路は、「山形詩人」や自らが主宰する一枚誌「表象」(およびその前身の「てん」)において、山形県内など地方の、一般には無名の詩人の作品を取り上げ、継続的に批評を書いてきている。県内詩人たちでは、近江正人、久野雅幸、いとう柚子、芝春也、高橋英司、佐々木悠二、高瀬靖、菊地隆三、本郷和江、高沢マキ。ほかに、新潟県の庭野富吉、滋賀県の北原千代、群馬県の房内はるみ、など。
 ここで万里小路が取り上げて論じている作品は、当該詩人の作品のなかでも光っている作品で、対象の選択それ自体から論者の慧眼が窺える。

 万里小路本人が語ったことは次のようなことだった。
 「無名の詩人たちの作品を論じているのは、“書き手はいても読み手はいない”と言われる現代詩の世界に対して反応したものである。
評論を書くにあたって参照するのは作品だけであり、その他に関係資料等を求めることはしない。私は詩人を論じているのではない。詩集を読み込んで、そこに書き込みをするというようなこともない。
 厳密に言うと、何を書いたのか自分でもわからない。読みとは一時的なもの(一回的なもの)であり、時間が経てば異なったものになる。私はいつも詩の本質を考えている。私にとって読むという行為は能動的な営為であるから。」

 万里小路の評論に対する参加者の発言は、次のようなものだった。
 まず、万里小路によって自分の作品が論じられている詩人の発言。
 「詩集のカバーに対する論評もあり、まさに“Cover to Cover”の批評となっている。個という存在の瞬間の在りようを掬い取っていて、取り上げられた詩人としてはありがたい読みである。」
 「現代文明に対する厳しい目の裏側に、自分でも気づかないところに気づかせてくれる温かさがある。」
 「取り上げる詩人に対して、その詩人に言及した原稿の校正を求めてくる。4回も求められた。私は『あなたが書いているのだからそれでいい』と言うが、それを許さない。だから万里小路の書いたものは、私とともに語っているものだということになる。詩を書く人間と評価する人間との共同作業という感じがする。その批評は詩の発生源に迫ってくる。」
 
 次に少し批評的な観点からの発言。
 「しばしばベルグソンとかハイデガーとかから説き起こしているが、生活のなかからの、素な、日常語に近い位相で表現できたらいいのになぁと思う。印象としては、それぞれ論じられている詩人が際立ってくると言うよりも、論者本人の世界が立ち上がってくる。」

 そして、高啓は次のようなことを言った。
 「文体は、比喩的に言うと、装飾品がいっぱい付けられている建築物という印象。歌舞伎みたいに大見得を切るような表現もある。
 全体が『□□は■■である』という、定義集というか、箴言集というか、そんな感じのものになっている。つまり、どんな詩人の作品を取り上げても、常に自分の定義集を展開できてしまう。これにはプラスの面(つねに本質に切り込める)とマイナスの面(何を取り上げても同じことになる)がある。」

 さて、このように書くと真面目くさって議論したように思われるかもしれないが、場の雰囲気は和やかで、ここには紹介していないが、近江詩集についても万里小路評論集についても参加者は積極的に発言し、しかも高く評価する発言が多かった。進行の高啓が「この会は出版祝賀会ではないので、作者をヨイショするような発言は慎むようにと言っているのに、まだそんなことを言う・・・」と嘆いてみせて、笑いをとる場面もあった。(了)

                                                                                                       







 
  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 17:14Comments(0)山形県詩人会関係

2013年05月07日

第12回山形県詩人会賞 『未来進行形進化』

 


 第12回山形県詩人会賞決定


 2013年3月23日、理事による選考委員会が開催され、今年の山形県詩人会賞は、榊一威(さかきかずい)詩集『未来進行形進化』(2012年6月9日、郁朋社刊)に決定された。
 表彰は、4月13日午後、山形グランドホテルにおける山形県詩人会総会において行われた。


 選考委員長の高橋英司による「授賞理由」を転記すると、

 「『未来進行形進化』は、青年期の心象を、切れ目なく言葉を発することで突き詰め、自己の原型とは何かを追求し、再生しようとする試みである。その試みは詩的表現として未完成ではあるが、水準の高いものであると認め、受賞作に決定した。」

 じぶん(高啓)は、理事として第1回の選考委員会には出席したが、この詩集を検討した第2回(最終)の選考委員会は都合により欠席してしまったため、選考にあたってどのような議論が交わされたか詳らかにしない。しかもこの詩集を読んだのは授賞後だったが、一読してこれは授賞に値すると思った。「選考経過」で述べられたように、未熟だが「言語表出の力量」を感じさせる作品が並んでいる。
 

 さて、榊一威は、彼女自身のブログのプロフィールで、自身が10数年来の統合失調症持ちだと述べているが、たしかにその病との闘いがいくつかの詩作品に見て取れる。
 そのような部分を以下に引用してみる。


 観念だけが躰を占拠し、拘束している、わたしの中の今わたしだったものは、過去に置き去りにされ、今わたしになるものが単位もつかない程の速さで移り変わってゆくのを観測しながらも、それは、今を掻き分けてくるものであることを、不思議がらないのはおかしいね、そして、死に向かっていくのだ、「私は死ぬ為に生まれてきた、」何度このフレーズを口にしたことだろう、そうやって自分を納得させないと、怖くて仕方がない、この世界やわたしがなくなることを想像すると。わたしの残骸が途のようにおちている、それを軌跡、と云えるだろうか、わたしとは他人の産物であるのに。
                                  (「記憶=記録=存在」より部分)


 わたしは、沈黙していた、世界が変容するのを眺めながら、わたしが壊れていく音を聞いていた、わたしは自らのカタチをとどめていなかった、ただダイレクトに入ってくる現実界の所有物質を、かなりのスピードで送り込んだ、云わば、世界はわたしで、わたしは世界だった、わたしは無限に広がり、カタチを失くしたのだ、考えるのは世界であり、他人であり、わたしで、境界線が飽和して、透明になっていき、そして、沈黙――わたしは、コトバを失い、志向を失い、感情を失った、わたしは、世界に自らを、あけわたした、のだ、
                                 (「そして、ふるえる、」より部分)


 <わたし>と<世界>と<他人>との境界が消え、コトバと志向と感情を失った希薄で透明な世界が広がる・・・まさにこれが病的なものの現象形態だ。
 自己幻想の崩壊に直面しながら、榊一威はあえて、無機的な物質の変化の様とその加速度を繰り返し繰り返し詩的言語に変換し、あるいは観念をめぐる諸相を電脳的な用語に置き換えることで、自己の<表出>を持続していく。
 この言語表出の持続力が、文字通りこの詩人の生命線、つまりそこから後退したら死に転がり込むしかないような必死の抵抗戦線を形成している。
 この力によって、この詩集に収められた作品は、そこに影を落とす病との苦闘の内容とは別個に、きわめて“統合された”作品として自立している。 


 機械的自我から逸脱するとき、殻を破るような、そういうのを、悟りって、云うんですか、
 
 論理的感覚で云えば、覚醒、した感じ、で、
 開眼とも云える行為を、何故か、コトバの中に、みつけました、これで、落ちなくてもすむ、

 手のひらを、ちゃんと、開けるようになれば、
 これって、キセキって、云うんですか、

                                  (「キセキ」最終部分)


 「山形県詩人会賞」はきわめてささやかな賞だが、この賞を受賞したことを契機に、この詩人が自己幻想の力づくによる統合から、コトバの中に「開眼」や「覚醒」をみつけ、「手のひらを、ちゃんと、開く」ところ、つまり、表現において他者の世界と交渉する領野に踏み出していくことを希う。(了)

  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 14:27Comments(0)山形県詩人会関係

2012年05月03日

山形詩人ミーティング2012

山形詩人ミーティング2012



 2012年4月7日(土)、山形市内のカフェ「蔵オビハチ」を会場に、「山形詩人ミーティング」が開催された。
 これは、『山形詩人』発行者の高橋英司と同誌同人の高啓が呼びかけ人となって、県内詩人の近刊詩集、つまり、いとう柚子『月のじかん』(書肆犀)、高橋英司『マネキン女とネクタイ男』(ミッドナイトプレス)、高啓『女のいない七月』(書肆山田)の3作品について忌憚ない批評を交わす場として企画されたもの。各詩人が所属する同人誌の枠を超えた合同合評会である。(ちなみに、「山形詩人ミーティング」というのは仮の名で、同人誌『山形詩人』と直接の関係はない。)
 このような合同合評会は、他の県内詩人の詩集が発行された際に、高橋英司と高啓の仕掛けで数年前にも開催されたことがある。今回は、高橋も高も呼びかけ人でありながら俎上に乗せられるという立場だったが、マンネリ化しがちな同人同士の合評会の枠を越えた意見交換にしたいものだと、このような“自作自演”を敢えて企画した訳である。もっとも、当日の運営は新庄市在住の詩人・近江正人氏にお願いした。
 参加者は、上記詩集の作者3名と近江氏のほか、相蘇清太郎、平塚志信、関充利、島村圭一、松田達男、菊地隆三、比暮寥、阿部栄子、佐野かおり、の各氏(計13名)。このうち、関氏は元山形新聞の文化欄担当者。他は県内の詩人たちである。
 
 さて、会は、まず作者が自分の詩集の中から詩を一編朗読し、次に各参加者がその詩集に対して感想や批評を述べるという形式で行われた。
 以下、この場で話された内容を振り返ってみるが、録音もメモもないうえ、高啓はビールと日本酒で酔いが回って記憶が定かでない。そもそも人の話を聞いていなかった部分もあるので、かなり部分的かつ偏った話になる。さらには、高啓が後日想起したことと当日の意見交換の内容が混同されてしまっている点もあるだろうから、そこをご海容のうえお読みいただきたい。

 いとう柚子『月のじかん』は、作品の完成度が評価され、2012年度の「山形県詩人会賞」と「山形市芸術文化協会賞」を受賞した詩集であるが、その内容については、これまでの詩集にくらべてやや不満だとする声が上がった。近江正人氏は、これまでの詩集『まよなかの笛』(1987年)や『樹の声』(2000年)にあった“裂け目”が消え、つるりとした陶器のような印象になったと述べた。これを高啓流に言い換えれば、自己世界に開いていた危険な裂け目を塞いで、精神の安定化を図ったように見えるのでもある。
 タイトルポエムである作品「月のじかん」に「ルナティック」という言葉が出てくるが、これが話題になった。
 この用語を使うというのは、参加者が指摘したようにいかにも高校の英語教師だったこの詩人らしいところだが、美しくも狂おしいイメージを想起させるこの形容詞をここでこのように使うことは、作品から受ける印象とは相反して、かならずしもクールなことだとは言えない。
 じぶんなりに言えば、作者は“月の光のなかの光景”を叙情的に描くことであの恐ろしい裂け目に土を入れてその存在を隠蔽しつつ、その土盛りの上に舶来製の記念碑を立てるかのようにこのけばけばしい外国語を使っている。つまり、自ら<真夜中の声>を隠蔽したのに、この言葉によってその隠蔽行為を露出してしまっているのだと思われた。

 高橋英司『マネキン女とネクタイ男』については、多彩な手法で効果を上げているが、詩集の題名や装丁をここまでポップにする必要があったのかという声が上がった。
 高橋氏自身によると、編集者からも題名をもっと無難なものにした方がいいと勧められたそうであるが、本人は断固自分の意見を通したとのことであった。
 高橋英司氏は、「全国から多くの詩集が送られてくる。自分はそのほとんどに目を通すが、マメに目を通すのは容易でないから、贈呈を受けてもろくに目を通さない有名詩人たちも多いことであろう。だから、とにかく手にとって中身を読んでもらうことが重要だという認識をもっており、そういう観点から詩集作りをした」という趣旨のことを言っていた。
 高啓は、この詩集のタイトルや装丁はとてもいい。出版社の選択も含め、狙いにぴったりだったと思うと述べた。
 高橋作品の虚構性にも話題が及んだ。この詩集の作品は虚構によるものが多いが、定年前に役所勤めを辞めて突然詩作を始めた父を描いた「父」という作品については、詩人本人の記憶を語るように書かれており、他の虚構の作品よりも好感がもてるという感想に対して、高橋氏自身は「これも虚構。これは父の話ではなく、自分を<父>という存在に仮託したものである。」と述べた。
 高啓は、山形新聞の文化欄「味読・郷土の本」という書評コーナーに寄稿したこの詩集への書評(2012年4月25日号掲載)に言及しつつ、「何が虚構で、何が虚構でないか。また、虚実ない混ぜた作品をライトバース調に書くことで、ほんとうは読者にどのような作者についてのイメージを持たせたいのか。それがわかる人にわかってもらえればいいという姿勢で作品を作ることはやめたほうがいい。個人的には『出発』のような叙情詩に戻って欲しいと思っている」というようなことを述べた。(『出発』は高橋英司の処女詩集。H氏賞候補になった。土曜美術社出版販売刊『新・日本現代詩文庫 高橋英司詩集』に収録されている。)

 さて、最後にじぶんの詩集『女のいない七月』について。
 高橋英司氏からは、「全国からたくさんの詩集が送れられてきて、自分はそのほとんどに目を通すが、これはこの1年で読んだもののうちで5本の指に入る」と評価していただいた。
 菊地隆三氏からもタイトルポエムの「女のいない七月」などに評価の声をいただいたが、その後、この詩集についての議論は、高啓の作品について論評されるときはいつも大方この話になってしまうのだが、“作品中に書かれたことはどこまで事実なのか?”ということに収斂した。
 じぶんは、意に反していつも結局この話になってしまうので、この場では「ご想像にお任せします」と答えるつもりでいたのだったが、今回はちょっとだけ事情が違った。
 それは、平塚志信氏が「この詩集を読んで『智恵子抄』を連想した。たとえば、宮澤賢治の『永訣の朝』の評価を考えるとき、あれがぜんぶ虚構だと分かったとしたら評価はどうなるだろうか。たぶん、いまのようには評価されていないだろう。だから、この詩集の評価について論じる場合、描かれたことが事実かどうかの話は避けて通れない」というような趣旨の発言をしたからである。
 これに対して、じぶんは、「『冬の構造』は事実に基づいている」と答えた。
 その後、近江正人氏が、「高啓のこれまでの詩集は、全身から血が噴出しているようで、読んでいくのが辛かったが、この詩集は比較的落ち着いた表現で、読ませるものになっている」というような趣旨のことを述べた。・・・で、それ以降は、『女のいない七月』について誰からどんな論評がなされたのか記憶が定かでない。
 ただ、この詩集の最後に収録されている「仙台行、2011年3月の。」の評価がきっかけになって、震災を扱った作品に関して、若干の議論が交わされたことは少し憶えている。
 高橋英司氏は、世間にあふれている震災を扱った詩作品について、ほとんど評価できるものがないという趣旨のことを述べ、それらに比べると高啓のこの作品は評価できるとしたが、比暮寥氏からは、高啓も含め、世の詩人たちはもっと震災の悲劇に直接的で真摯に向き合って詩を書くべきだという意見が述べられた。これに対して、高橋英司氏は「自分は震災の詩は一切書くつもりはない」と言明した。
 高啓は、「仙台行、2011年3月の。」は震災後の情景を描いているが、震災の詩を書いたつもりはない。もしこれが評価されるのなら、それはこの作品が震災後の情景を描いているようでいて、震災以外のものを描こうとしているからだと思う・・・というような趣旨のことを述べた。

 会場の「蔵オビハチ」は、区画整理事業によって新たに切られた道路に露出することになった古い土蔵を、カフェとしてリフォームした建物。ジャズなどのミニライブにも使用されるスペースである。雰囲気がよく、しかも備え付けのピンマイクが使えて重宝した。
 今回はクローズドで催したが、客が入るかどうかは別として、いつかこのような詩のイベントを一般開放で開催してみたい。
                                                                                             



  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 18:52Comments(0)山形県詩人会関係

2010年05月03日

山形県詩人会情報(2010年春)

1 山形県詩人会2010年度総会

 総会は4月24日に山形グランドホテルで開かれ、役員の新体制が決まった。

 会  長:  高瀬靖(酒田市)
 副会長:  芝春也(山形市)
 事務局長: 松田達男(山形市)
 理 事:   いとう柚子(山形市)、井上達也(山形市)、遠藤敦子(南陽市)、近江正人(新庄市)、高 啓(山形市)、
        佐藤傳(寒河江市)、高橋英司(河北町)
 監 事:   佐藤亜美(山形市)、上野政蔵(東根市)

 これまで会長を務めていた木村迪夫氏(上山市)が体調不良を理由に、またこれまで事務局長を務めていた芝氏が町内会長就任による多忙を理由に、降任を申し出たので、理事会において、会長に前副会長の高瀬氏、事務局長に松田氏、副会長に芝氏を選出したものである。
 新役員(理事等)は総会で選出し、会長ほかの三役は理事会で決めると規約にあるが、今回は、総会前の理事会で三役ほかの役員を決め、葉書で会員に承認を得るという手法をとった。このように、山形県詩人会は、良くも悪しくもアバウトな体質の組織である。



 なお、木村前会長は、体調不良と言っても、重病というわけではなく、日常生活に支障があるような状態ではない。総会及びその後の懇親会にも出席された。また、最近、『山形の村に赤い鳥が飛んできた―小川紳介プロダクションとの25年』(七つ森書店)という著書を上梓し、4月17日には山形市内で佐高信氏の講演会で同氏と対談している。


















2 第9回山形県詩人会賞


 3月31日、理事による選考委員会が開催され、今年の山形県詩人会賞は、松田達男詩集『Home―私の好きな家―』(一粒社)に決定された。
 選考委員長の高橋英司による「授賞理由」を転記すると、

 「建築物と文芸のコラボレーションであるが、写真によりかからず、言語表現として自立しており、また、作者の建築物に対する思いと心象がスパークし、職業的視点が詩的達成を遂げたものである。本県の詩史上においても稀有な詩集であることを認め、受賞作品に決定した。」
 

 この詩集は、山形市内の建築物を題材に、「ひとりの建築士として、内部の間取りをあれこれ想像しながら、実在とは関係なく、外観から伝わるイメージを自分なりに言葉にして創り上げた」(著者あとがきより)作品群からなっている。
 ここでは、歴史的な建造物である「文翔館」、「山形市郷土館(旧済生館本館)」はもとより、市中の洋風建築である「市島銃砲火薬店」、「山形七日町二郵便局」、「山形県環境衛生会館(旧駆梅館」、「西村写真館」などが取り上げられているほか、一般人なら何気なく見過ごすであろうところの、代わり映えのしない民家や商店・旅館なども題材にされている。
 作者は、建築士ならではの観点からその内部構造を想い描き、そしてそのなかで繰り広げられているであろう人間関係のドラマを想像して、詩作品を成立させている。
 その詩行は、表現が必ずしもこなれていないため、やや硬く、説明的でありすぎたり、弁士調に流れていたりするという側面をもってはいるが、“外観から内部を想像する”というこの詩人固有の姿勢は、とくに人の住む建物(=Home)を扱った作品において、建物内部に息づく、陰影を伴った人々のイメージの生成に成功しているようにみえる。

 

3 万里小路 譲氏の講演

 総会後、会員で鶴岡市在住の万里小路 譲氏に記念講演をお願いした。
 万里小路氏は、「郷土の名詩という幻想―郷土の郷土性という創世―」と題して、タイムリーかつ本質的な問題提起を行った。
 「郷土の名詩」というテーマがタイムリーだと言うのは、ちょうど山形県芸術文化会議が、「郷土の名詩」を集成したアンソロジーを編纂しようとして、県内詩人たちに、収録作品の推薦を依頼してきていたからである。
 この企画の面白いところは、選出対象作品が、現在活躍中の詩人の作品であることを原則とするという点である。
 万里小路氏は、“生成されるものとしての郷土”という観点から、「認識としての郷土」という考え方を提起。「共同体内部で自足していく閉鎖性から脱却し、絶えず新たな世界性を見出していく志向性」であり、「流動し、絶えず変化する価値を有している文化性」であり、「新たな世界をつくるような共同性」であるような<郷土という幻想>を創成していくべきであると述べた。
 また、この郷土において、「詩作品に対して批評・評論がない」現状を変えていくことが必要であり、そのために自分は山形県内詩人の作品を対象とした評論を継続していると述べた。

 なお、ここからは万里小路氏の講演とは別の話だが、総会参加者の情報交換のなかでは、この山形県芸術文化会議の企画は、同会議の役員である県詩人会のメンバーも知らないうちに進められているという話だった。
 県芸術文化会議という半ば公共的な意味をもつ団体の企画であるにも関わらず、誰がどんな方法で採否を決めるのか役員にも不明とは、まぁ、ものごとの進め方としては未熟である。ようするに、これがわが山形の<閉鎖的な郷土性>の一端ということであろう。
                                                                                                                                                                



  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 22:48Comments(5)山形県詩人会関係

2008年07月18日

日本現代詩人会 東日本ゼミナール

 日本現代詩人会が毎年開催している「現代詩 東日本ゼミナール」。
 今年は、山形が依頼を受けていたが、去る7月12日、山形県詩人会の理事会で、両者の共催という形で、以下のように開催されることがきまった。

 【 現代詩ゼミナール <東日本> in 山形 】

  ● 日時:2008年10月18日(土)14:00から
  ● 会場:山形グランドホテル3F 白鳥の間 (山形市本町1-7-42 電話023-641-2611)

 <第1部> 現代詩ゼミナール  14:00  (参加無料)

  ●講演 岡 井 隆 (歌人・詩人) 「現代詩入門・詩歌の意味と韻律について」(仮題)

  ●アトラクション 現代舞踏 森 繁 哉   15:30

  ●自作詩朗読
     小山内弘海(青森)、東野正(岩手)、福司満(秋田)、原田勇男(宮城)、
     太田隆夫(福島)、佐野カオリ・遠藤敦子ほか(山形)

  ●アトラクション チェロ合奏 オ・セロ

 <第2部> 懇親パーティー  18:00 (会費5,000円)

   申し込み:山形県詩人会事務局長 芝 春也 まで
   ※高啓にメールをいただければ、事務局の連絡先をお教えします。




  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 00:24Comments(0)山形県詩人会関係

2008年04月27日

山形県詩人会のバカ



 4月26日、山形グランドホテルで開催された平成20年度の山形県詩人会総会へ出席する。
 じぶんは県詩人会の理事になっており、当日は総会の司会が役目だった。

 総会では役員の改選が行われ、会員が少ない置賜地域から新たな理事を1名加えて、他はこれまでの役員体制を継承することになった。
 会長は上山の木村迪夫、副会長は酒田の高瀬靖、事務局長は山形の芝春也の各氏。

 また、総会では20年度の開催事業として、日本現代詩人会から要請されていた「東日本現代詩ゼミナール」の開催を引き受け、県詩人会からも事業費を支出して共催で実施することが決まった。
 同ゼミナールは、10月18日(土)14:00から、山形グランドホテル3階「白鳥の間」で開催の予定。
 講師は、歌人で現代詩に関する著作ももつ岡井隆氏。
 恒例の会員による自作詩朗読には、山形以外の東北5県から各1名、地元山形から数名の朗読者を立てることとした。





 総会に引き続いて、県詩人会の最大のイベントである「山形県詩人会賞」(第7回)の表彰が行われた。
 受賞作は、島村圭一詩集『ぞさえまま』(書肆犀)。
 本年度の会員投票による推薦詩集は、受賞作と高啓詩集『ザック・デ・ラ・ロッチャは何処へいった?』の二冊のみであった。  高啓は詩集『母のない子は日に一度死ぬ』で第1回山形県詩人会賞を受賞しているので、候補から除外し、島村圭一詩集『ぞさえまま』が授賞に値するかどうかが検討された。
 その結果、同詩集の方言を使用した試みが評価され、受賞作とされた。

 写真は、1枚目があいさつする木村会長。2枚目が、上記の選考経過を報告する高橋英司選考委員長。


 さて、総会と表彰式の終了後、恒例の祝賀会・懇親会が開催されたが、その席上で、高啓が、酔った大場義宏氏から絡まれ、そのしつこさにやむなく反撃するというお騒がせの一幕があった。

 大場氏は、高啓の論文「ぼくらにとって<真壁仁>はどういう問題か」(東北芸術工科大学東北文化研究センター発行『真壁仁研究』第7号所収)を批判する文章を『山形詩人』第57号に発表して以来、『山形詩人』連載の文章や他の雑誌へ寄稿した文章で執拗に高啓を攻撃し続けているが、これに対し、高啓は夙に『山形詩人』第58号で反批判(「他者非難によるデッサン法の不毛について」)を行い、その最後で「それから逃げて、またせっせと周囲の×印付けに紙数を割くようなら、ぼくらはもう大場さんの議論に付き合う気はないことを闡明しておきたい」と明確に態度を表明しておいた。
 予想通り、『山形詩人』第59号以降の大場氏は、自分から仕掛けた議論であるにもかかわらず、高啓による反批判において指摘された誤読や歪曲の指摘にまったく回答せず、ただずるずると論点をずらしながら高啓批判を垂れ流し続けているので、高啓はこれらに付き合うことを一切拒否していた。

 大場氏は、しかし高啓に相手をしてほしかったようである。
 この祝賀会での席上、高橋英司氏らと談笑していた私・高啓の席にやってきて、またぞろ一方的な思いをのべたらに陳述し、『山形詩人』第58号以降で自分が展開している文書を受けてなにか反応を書けと言ってきた。
 私は、大場氏に、「私はあなたの批判を受けて対応した。だが、あなたは私の反批判にまったく答えていない。論争したいなら、まずあなたが『山形詩人』第58号の高啓論文「他者非難によるデッサン法の不毛について」にまともに応えるのが先だろう」と返した。
 すると大場氏は、『山形詩人』第57号以降連載をつづけ、そこで今度は高啓の詩作品まで批判しようとしている「詩人としての真壁仁論デッサンの試み」について、「これは連載6〜7回分をすでに書いてある文章なので、これを連載しきるのが先だ」という趣旨のことを言ってきた。
 私は、「その連載はどうぞずるずる勝手にやりなさい。だが、あなたが仕掛けた論争なのだから、私の反批判に答えるのが物書きとして最低限守るべきことだろう」と言った。
 これに対して大場氏は「“物書き”という言い方に吉本隆明的なものを感じる」として、「自分の真壁仁論は、ほんとうは黒田喜夫論であり、吉本的なものへの批判が根本的なモチーフだ」というような趣旨のことを話した。

 私は、そういうあなたに付き合う気はない、と言ったが、彼はしつこく自分の考えを一方的に述べ続け、さらに高啓の詩作品を貶めるような発言をした。
 そこで高啓は、ナプキンを円卓に投げ捨て、立ち上がってこう大見得を切った。

   「おれのそばにくるな!」
   「本来なら、あんたを絶対許さない。徹底的にやってやる。それをしないのは、
    あんたの胸にペースメーカーが入っているからだ。」
   「おれに近寄るな!」

 すでに前出の論文で指摘しているが、高啓からみると、大場氏は「吉本隆明・黒田喜夫論争」を頭に描き、そのイメージで、自分を黒田に、高啓を吉本に擬え、あるいは錯合しているように見えていた。
 私はかつて、詩と評論『異貌』(第5号、1984年8月)に掲載した「黒田喜夫の死」という追悼の意をこめた文で吉本・黒田論争に触れ、この論争について「『政治と文学』という文脈からみれば、吉本隆明の言葉に付け加えるべきなにものも持たない」と述べたことがあった。
 『異貌』には、吉本に大きな影響を受けていた岩井哲氏(書肆犀)もいて、後に加入してきた大場氏も参加した合評会などで、よく吉本の話をしていたものである。それで大場氏は、高啓も吉本主義者だと思い込んでいるのかもしれない。

 しかし、私はそもそも吉本主義者ではないし、吉本・黒田論争における吉本の徹底した黒田攻撃については、理屈は正当であってもその激しさや酷薄さは常軌を逸したものであり、そこには吉本隆明が(おそらくは中野重治らとの論争の過程で)論敵からうつされた政治闘争のおぞましい宿痾が顔を覗かせていると思っていた。
 だから、私は、大場氏が高啓を“小吉本”のように看做すことに付き合って、かつて吉本が、病弱でしかもほんとうは社会的影響力など既に失っていた黒田に止めを刺し生身の命まで縮めるような激しい批判を浴びせたように、大場氏に批判を浴びせるようなことはすまいと思っていたのだった。

 ところが、大場氏は、いわば文学的ストーカーの如くに、高啓にどうしても相手をしてもらいたいと絡んでくるふうなのだった。
 それで、高啓は“大きな声で”、そして“はっきりと”、これを拒絶した。
 ストーカーに対しては毅然とした態度をとれ・・・と、いつかどこかで読んだような気がしたものだから。

 高啓が大声をたてたため、懇親会の衆目(といっても20人足らずだが)が高啓に集まった。
 大場氏は「すみませんでした」と言って、自分の席に戻った。
 高啓は、場を乱し、それゆえ司会から注意をうけた責任をとって、その場から立ち去った。


 山形県詩人会には、いまだにこんな莫迦もいる。
 東日本現代詩ゼミナールでお会いしましょう。(苦笑)
                                                                                                                                                                                                                                                         



            
  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 18:06Comments(0)山形県詩人会関係