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Posted by んだ!ブログ運営事務局 at

2022年04月05日

現代詩講演会(阿部宏慈氏)





 本記事最初の掲載時のチラシにあった連絡先電話番号に誤りがありました。
 訂正したものを上記に掲載しています。


 山形県詩人会は2022年度総会の開催に併せて、以下の通り現代詩講演会を開催します。
 この講演会は一般に公開します。

 山形県詩人会 現代詩講演会 
 「今、詩的なるもののありかをめぐって
      ―擬似現実の支配する時代に詩は可能か―」


  講師:阿部宏慈氏(山形県立米沢栄養大学・山形県立米沢女子短期大学学長、フランス文学・表象文化論)

 「いま、詩は、どこにあるのか。デジタルという名の不連続と仮想性に覆われた、匂いも手触りも希薄な擬似現実の支配する時代に、それでもなお生身の身体を抱えた私たちは、詩をどこに見つけ出すことができるのか。」

 フランス文学者であり、ドキュメンタリー映画を含む映像表現について思索を続ける研究者でもある阿部宏慈氏は、詩集『柄沼、その他の詩』で第20回山形県詩人会賞を受賞した詩人でもあります。
 “今、この時代に、私たちはどこに詩を見つけだすことができるのか”という根源的な課題についてお話しいただき、ともに考えてみたいと思います。一般の方もふるってご参加ください。

  日 時 :2022年4月24日(日)15:00~16:00 (開場14:50)
  会 場 :山形市 遊学館 3階「第三研修室」  参加費:無料  
  主 催 :山形県詩人会   
  申込み:山形県詩人会事務局(高啓(こうひらく)方)
 

参加希望者は電子メールで4月21日まで右記に申し込みください。 yamagata_poesyあっとまーくyahoo.co.jp

  【お願い】 当日、同会場で14時から山形県詩人会総会を開催します。
        一般参加者は14時50分まで入場できませんので、3階ロビーでお待ちく
        ださい。

        県立図書館駐車場(遊学館西側隣接平面及び文翔館東側隣接立体)を
        ご利用の場合は、入館時と退館時に入口で駐車券を提出して電磁的処理
        を受けると2時間まで無料となります。


  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 10:27Comments(0)山形県詩人会関係

2022年02月12日

やまがた現代詩ミニミーティング開催





 山形県詩人会は、2022年1月22日(土)の午後、山形市の遊学館において「やまがた現代詩ミニミーティング」を開催しました。

 このイベントは、参加者各自が最近各詩誌に発表した作品や直近発行の詩集を対象として提出し、相互批評を行うものです。
 いわば県レベルの作品合評会という感じ。褒め合いにならないよう忌憚ない意見を交わすことを心掛けています。
 
 この日に批評の対象とされたのは以下の通り。
 1 高橋英司「別人」(「新山形詩人」10号掲載)
 2 近江正人山新「ふるさとを詠う」掲載の「立ち止まる芭蕉」、「冬来たりなば」及び「明日への便箋」(「新山形詩人」10号掲載)
 3 相蘇清太郎 「窓のなかの風景」(「シテ」26号掲載) 
 4 松木裕人「庭に陽の差す縁側で」(「新山形詩人」10号掲載) 
 5 大森杉子「机の上」(「シテ」29号掲載)
 6 高橋英司詩集 『野道にて』
 7 高啓詩集 『二十歳できみと出会ったら』

 新型コロナウイルス感染拡大の影響もあり当日は10名の参加でしたが、酒田市から3名のほか、長井市、新庄市など遠方からの参加者もあり、2時間30分があっという間に感じられる充実した相互批評の時間を持つことができました。

 余談ですが、当初は懇親会を予定しいたのですが、コロナ禍のため中止。でも、参加者中3名が当日山形市に宿泊することになっていたので、筆者と4名で近くの居酒屋においてささやかな懇親会を開催しました。
 顔を合わせ直接議論を交わすことの大切さを改めて実感しました。









  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 10:49Comments(0)山形県詩人会関係

2021年09月13日

講座「佐々木安美の世界」



 

 山形県詩人会が後援するイベントの紹介です。

 大石田町民大学「地域学講座」 佐々木安美の世界


 講師 詩人 佐々木 安美 氏 
 
 【講師プロフィール】
  1952年大石田町鷹巣生まれ。 高校入学の際に上京。東京都在住。
  1987年、詩集『さるやんまだ』第37回H氏賞を受賞した。1990年に第4作目の詩集となる『心のタカヒク』を発表。
  2011年、詩集『新しい浮子 古   い浮子』で第20回丸山豊記念現代詩賞を受賞した。
  2021年6月新詩集『息』出版。


 日時  令和3年10月16日(土) 午後2時~4時 

 会場  大石田町町民交流センター「虹のプラザ」  多目的ホール


 ☆対談 松下 育男 氏(神奈川県在住)
   1950年福岡県生まれ。1979年、詩集『肴』でH氏賞受賞。
   2005年、佐々木安美と同人誌『生き事』を創刊する。
   著書『松下育男詩集』 (思潮社)2019年、
      『コーヒーに砂糖は入れない』(思潮社)2021年 他多数。

 ☆協力 酒田詩の朗読会
   朗読:阿蘇 孝子 氏・本間 美智 氏、ギター演奏:佐々木 正 氏
   酒田市出身の吉野弘が亡くなる2014年から、彼の詩を読む「宝の日」を毎年
   開催、「奈々子に」で知られる娘さんも招いて朗読会を行っている朗読グループ。

 ☆協力 大石田町地域おこし協力隊・ダンサー 大橋 武司 氏
   独自の観点からダンスを切り開く若きクリエーター・コンテンポラリーダンサー。
   愛知県出身

 受講申込
   大石田町町民交流センター「虹のプラザ」事務室
   TEL:0237-35-2094 FAX:0237-35-3811

  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 14:23Comments(0)山形県詩人会関係

2021年05月06日

第20回山形県詩人会賞授賞式




 2021年4月24日(土)15時から、山形市の遊学館3階第二研修室において、「第20回山形県詩人会賞」授賞式を行いました。
 例年、この時期に山形県詩人会の総会を開催し、その中で授賞式を行い、受賞者にスピーチをしてもらうことにしていますが、コロナ禍により、昨年度に引き続き総会を中止し、理事を中心に少人数で授賞式のみ行うこととしたものです。

 授賞式では、相蘇清太郎理事から選考経過及び受賞詩集の選考理由の報告を行い、高橋英司会長から賞状と副賞(5万円)を、柏倉千加志理事から花束を贈呈しました。
これを受け、受賞した詩集『柄沼、その他の詩』の著者・阿部宏慈氏は次のようにお話されました。

 「この詩集は私の30年来の詩作の総まとめです。<柄沼>は実際にはどこにもない沼ですが、その一方で、私が山形に来て自然に触れ、鳥たちに触れることによって現れた沼だとも言えます。この詩集に東日本大震災について書かれた作品たち(「Lamentoのための素描」)を含めるかどうか悩みましたが、全体として一つにしないと自分としては納まりがつかなかったのです。自分が山形にいるなかで、自分が育ってきた世界(宮城県沿岸部)が変わっていくことを考えたとき、これもひとつの箱の中に入れたいと思ったのです。それを山形の皆さんに読んでいただけたことは嬉しく思います。
 書肆山田の鈴木一民氏にお会した際、書きためていた作品を詩集にまとめることを勧められ、この詩集を刊行しました。詩人会の皆さんの作品も読んでいましたし、詩人会の存在も知っていましたが、人見知りできました。この詩集を発表したことで、こうして山形の詩人の仲間に入れてもらえたことを嬉しく思います。
 <柄沼>はまだまだ書き切れていません。この先を考えています。せっかくなので山形の詩の世界にもかかわっていけたらと思っています。」(文責・高 啓)

 なお、この授賞式は翌日の山形新聞で報道されました。





 授賞式出席者:向かって左から、柏倉千加志理事、伊藤啓子会員、近江正人理事、高橋英司会長、受賞者・阿部宏慈氏、相蘇清太郎理事、高 啓。

 
  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 12:34Comments(0)山形県詩人会関係

2021年04月06日

第20回山形県詩人会賞

【山形県詩人会情報】






 2021年度・第20回山形県詩人会賞は
 阿部宏慈詩集『柄沼、その他の詩』(2020年3月5日刊/書肆山田)
 に決定しました。

 授賞式は例年山形県詩人会の総会に合わせて実施してきましたが、コロナウイルス感染状況に鑑み、昨年度に引き続き今年度も総会は中止とし、少人数での授賞式のみ、4月24日(土)15時から、山形市の「遊学館」3階第二研修室で執り行う予定です。


【選考経過】
 2020年1月から12月まで事務局によって確認された県内在住者による詩集等は、刊行順に、阿部宏慈詩集『柄沼、その他の詩』、万里小路譲評論『哀歓茫々の詩人・菊地隆三への旅』、鈴木康之遺稿詩集『越冬』、万里小路譲詩論集『詩というテキストⅢ 言の葉の彼方へ』、小林功詩集『月山の風』、高啓詩集『二十歳できみと出会ったら』、高橋英司詩集『野道にて』の7作品。これらをもとに、3月27日、第20回山形県詩人会賞(山形県詩人会主催・会長高橋英司)の選考会が開かれた。
 万里小路譲評論及び詩論集、高啓詩集は、著者が本賞の過去の受賞者であること、また鈴木康之遺稿詩集は作者が物故者であることから、従来の申し合わせにより、選考対象外とした。また、高橋英司詩集については著者から選考からの辞退の申し出があり、選考対象外とした。いずれも、それぞれ独自の方法・スタイルで詩世界を切り拓き、深く詩的真実を追究した成果であり、詩という芸術の分野で、本県における文学的達成の豊穣さを示した充実の年となった。
 候補作として検討した2作品のうち、小林功詩集『月山の風』(コールサック社)は、月山を仰ぎ鳥海山を眺望する風景の中を歩き、自然と交感しつつ、心象風景をくっきりと切り取り、簡明な言葉で詩作品に鮮やかに仕立てたものである。画家でもある著者にとっては、詩も絵画もひとつの大きなアートであり、作者の全人格を傾けた達成として人々に喜びを与える詩集であると評価された。
 一方、阿部宏慈詩集『柄沼、その他の詩』は、「柄沼」「夢の設営」「鳥の歌/記憶の歌から」「Lamentoのための素描」の4パートからなり、それぞれが一冊の詩集ともいえる重厚な詩集である。柄沼(つかぬま)という沼地へ渡り入り、その実在と架空の境界の記憶と意識をたどり、著者の幼年からの時間、とりわけ青年期の彷徨を現在のものとして反復する。その「時間・記憶・意識」の卓越した記述。夢の中でしか見出せない時間の表現。鳥の名の頻出する風景の詳細な展開。東日本大震災被災地の、著者に親しい地名の一つひとつを一行書きにした連打と連呼。劇中劇として能を演ずる語り。それらの優れた特色によりこの詩集は、東日本大震災前―震災後の記憶の変容をも表出する新たな達成の詩集であることから、阿部宏慈詩集『柄沼、その他の詩』を本年度の山形県詩人会賞に決定した。 (文責 担当理事 相蘇清太郎)

【受賞者略歴】
 阿部宏慈(あべ・こうじ):1955年仙台市生まれ、山形市在住。東北大学文学部卒業。フランス政府給費留学生としてパリ第3大学留学。山形大学でフランス文学・思想、映像学などを講じた。山形大学副学長を退任後、現在、山形県立米沢栄養大学学長・同米沢女子短期大学学長。故・渋沢孝輔主宰の詩とエッセイの同人誌『Thyrse』(ティルス)に発表した作品が、受賞詩集の作品の基となっているとのこと。著書:『プルースト 距離の詩学』(平凡社)、訳書:ミシェル・セール『カルパッチョ 美学的考察』(法政大学出版局)、ジャック・デリダ『絵画における真理』(共訳、法政大学出版局)など。
  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 18:38Comments(0)山形県詩人会関係

2021年02月18日

東北芸術工科大学 卒業制作展2021 その3

 ここからは彫刻と工芸の作品。








 清水洸希「THE PUNKS」「imitation―偽装―」
一枚目の立像は鉄でパンプスを形成したもの。パンプスとはパンクロックを好み、社会に不満を持ちそれを発信する人々を指すという。作者は、自らの弱さから、肉体も精神も強い者に憧れている。「私自身も堂々と自分の意見を言えるように、誰かを守れる人になれるように。」
 一方、二枚目の胸像は、これも鉄製に見えるが、半紙に塗料を塗ったものである。「鋼鉄のような強さのない薄い紙と、格好ばかりつけているが中身はみすぼらしく脆い自分自身を重ね、表現した。」という。
 強いと作者が考えるものを強い素材で作り、弱いと作者が考えるものを弱い素材で造った。それが観る側からはむしろ同質的に見えてしまうのはどうしたことか。作品が作者の意図とは別に、二つの作品がその相互性において自己批評性を表白しているようにも見える。






 和栗 瞳「my dear」
 「『自分と他者との境界が曖昧になる感覚の表現』の発展形」の作品。「自分と他者との境界として『皮膚』に注目し、質感の近いシリコーン樹脂を素材として用いた。また、獣の皮を被ることで仮装し、神や化け物になりきる儀式的なイメージや、『皮膚』だけが要素として抽出され、作品が吊られた際の芯を持たない形態の面白さを掛け合わせた。」という。
 じぶんの受けた印象は、現実に檻にロープで吊るされ見せしめにされている存在の暗喩みたいだというものだ。「芯」がないかのように仮装されることによって、その存在は「曖昧」どころかむしろ肉感的に迫ってくる。それは決して面白いものではなく、ざわざわと不安なものだ。






 古川奈々世「2020」
  「柔軟な心を持ち、どんな時でも明るく生きていけると想い込んでいた私にとって2020年は今までにない困難が押し寄せました。ベッドの上でうずくまり、生まれて初めて死ぬことを考えていました。」この作品は「私が石になって一度死んだ姿」であり、「墓標として2020年に置いていくものです。」という。
 困難に襲われても、作者は自分の墓標を力技で御影石に自ら彫刻し、それを過去に置いて再び前に進むことができる。それはある意味では特権的なことだ。その創造力という特権を手放すことはない。









 高橋飛名「再会」
 これは陶器。作者の愛犬の遺骨入れだという。亡くなった愛犬に「間接的にさわったり撫でたりすることができるものを」という趣旨でこの作品を作ったという。
 この作品は陶器の造形として高度な技術だと評価されている。愛犬家は欲しがるかもしれない。
 じぶんは愛犬家ではないが、犬を飼ったことはある。注射も不妊手術も嫌だし、なにより死なれるのが辛くて久しく飼う気にならないのだが、こういう骨壺があったらじぶんも作者のように愛犬の遺骨を入れて思い出に浸るかもしれない。
 ここからはこの作品と関わりのないことだが、これが人間だとしたらどうだろう。家族(たとえば亡くした子ども)の姿をした遺骨入れにその遺骨を入れ、それを日々撫でている光景を想像してみる。愛犬と家族は違う。だが愛犬は家族だという人もいる。こう考えてみると、亡くなった存在を徐々に遠いものとしていくことも弔いの大切な意味であるだろう。






 坂井喜恵「石棒」
 陶板土、カラー粘土、顔料による作品。
 「男根を表す石棒に、縄文文様の女性性を融合させる事により、『性差』のない状態をシンボル化しました。(中略)性別二分化した考え方を見直す必要があると考えています。そのための制作としてQクィア/クエスチョニングに焦点をあて、性を意図的に特定しない・できない存在を表現しています。」とある。
 「LGBTQIA」のQという趣旨だが、むしろI(インターセックス)の表現になっているという感じがする。IもQのうちだと看做すことも可能だが。
 こういう社会的課題に正面からチャレンジする作品はこの大学の卒展では新鮮だ。作者による今後の発展形に期待したい。




  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 18:25Comments(0)美術展

2021年02月17日

東北芸術工科大学 卒業制作展2021 その2


前回の続き








 遠藤真帆「I AM HERE」
 「生きていて辛いと思うことは、嬉しいことと同様に山のようにある。社会に属しながらも、受け入れられずに、ここで生きて存在している私たちの事を卒業制作という特別な区切りを使って、ここに残そう。」とある。
画像の一枚目は布の表面でH4,000×W2,000mm、二枚目は裏面でH3,000×W2,000ある。
 表面の中央に描かれた白い服をまとった女性(?)の手足が二組描かれているところが存在の不安定さを感じさせるが、この人物像は世界の生贄のようでありながら、聖なる巫覡のようにもみえる。裏面の絵は、表面の白い人物とは逆に、清濁を併せもちつつまさに“存在する”何ものかを表現しているかのようだ。






 關 越河「抱擁」
 「7年、この土地で暮らしながら常に自然や他者との向き合い方を考えさせられた。(中略)相反する気持ちが内側でぶつかり合い、葛藤が生まれる。しかし私にとっても絶対的な『意味』とは思い悩むことでしか存在し得ないのだ。この環境が支えてくれるから私は抗い続けることができる。そのことをしっかりと胸に刻んでいきたい。」という。
 作者は日本画コースに学んだようだが、その卒業制作が杉板の箱と布団によるオブジェ(それもどちらかというとシンプルな作品)になるところに引っ掛けられた。
 作者は東京の出身で、この山形で学部生を7年もしてきた。「この環境が支えてくれるから」抗うことができるものとは何なのだろうか。
文面からは「この土地」で考えた「自然や他者との向き合い方」が作者を支えているかのようにも解釈できるが、“我悩む、ゆえに我あり”は、45年もこの土地で暮らし他者との向き合い方に日々苦悶しているじぶんにも当て嵌まる。








 谷村 メイチンロマーナ「エキゾチックファイアードラゴン『マスダ三兄弟』」「マジカルユニコーン『ハイエル姉妹』」
 「大人になって中野ブロードウェイで見たソフビのフィギュアがかっこ良かった。」という経験に触発された作品だという。発砲ウレタンにエアブラシでアクリル絵の具が塗られ、麻紐が刺繍のように埋められている。「三兄弟」「姉妹」というところに引っ掛けられる。昔、お祭りに出た見世物小屋で、双頭の羊や牛の剥製(?)をおどろおどろしく差し出されて見た記憶が蘇える。
 ソフビの質感とアメリカ・アニメ的(?)な図柄というポップな表象を用いながら、その毒々しさやソフビとは真逆の、いい意味での粗雑さが攻撃的で、観る側の心をどこかささくれ立たせる。





 石川美紀「set me free」
 「コロナ禍において一人で過ごす時間が多くなった一方、SNS上で私たちは一人でいる時も誰かと繋がっていて、それが時に私たちを苦しめることがあります。自分以外が輝いて見え、自分が何者なのか考えることに疲れ、先が見えない不安で眠れない夜を思い制作しました。」とある。
 乱れた髪と傷だらけにも見える身体。床に風呂がる白い布は浴衣だろうか、ワンピースだろうか・・・、若い女性の不安がリアルに迫ってきて、少しの間息を飲んだ。





 伊藤寛晃「Disappearing」
 「生活している中で自分が台湾との混血だということや、巨大な権力や体制について考えることが増えた。日本での観光地的な印象とは違う、現在まで続く様々な権力に支配され続けている台湾を、この作品を通じて様々な人に知ってもらうきっかけにしたい。」とある。
 中国と米国に挟撃されているのが作者の抱く台湾のイメージなのだろうか。習近平と毛沢東、ドナルド・トランプをカリカチュアした中・米の両側の絵にくらべて、中央の台湾と思われる絵は存在感が薄くしかもひどく統合を欠いている。これは作者が抱く台湾のイメージなのか、それとも「混血」たる作者自身のイメージなのか、その両方なのか・・・。観るものに思考を迫る作品だ。
 このように直截的に政治や情況を扱った作品は、この大学の卒展では珍しい。とても新鮮だった。



 (続く)

  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 13:54Comments(0)美術展