2025年02月01日
映画「どうすればよかったか?」感想+α

フォーラム山形で映画「どうすればよかったか?」(藤野知明監督)を観た。
その感想を書きたい。いわゆるネタバレを含むのでご注意を。
まず、映画の紹介文をこの映画の公式HP (https://dosureba.com/)から引用する。
「家族という他者との20年にわたる対話の記録」
面倒見がよく、絵がうまくて優秀な8歳ちがいの姉。両親の影響から医師を志し、医学部に進学した彼女がある日突然、事実とは思えないことを叫び出した。統合失調症が疑われたが、医師で研究者でもある父と母はそれを認めず、精神科の受診から姉を遠ざけた。その判断に疑問を感じた弟の藤野知明(監督)は、両親に説得を試みるも解決には至らず、わだかまりを抱えながら実家を離れた。
このままでは何も残らない——姉が発症したと思われる日から18年後、映像制作を学んだ藤野は帰省ごとに家族の姿を記録しはじめる。一家そろっての外出や食卓の風景にカメラを向けながら両親の話に耳を傾け、姉に声をかけつづけるが、状況はますます悪化。両親は玄関に鎖と南京錠をかけて姉を閉じ込めるようになり……。
20年にわたってカメラを通して家族との対話を重ね、社会から隔たれた家の中と姉の姿を記録した本作。“どうすればよかったか?” 正解のない問いはスクリーンを越え、私たちの奥底に容赦なく響きつづける。(引用終わり)
次にこの作品の配給会社「東風」のポッドキャストの藤野監督と浅野由美子プロデューサーへのインタビューから聞き取った内容を含めて時系列を記しておく。
1966年 藤野知明監督、札幌で出生。
1983年 監督が高校2年生のとき、8歳年上の姉が統合失調症の顕著な陽性症状(夜、自室で突然叫び始める)を発症。姉は、医師免許を持ち医学関係の研究職だった両親の影響で医学部を目指し、4浪後に医学部に入学。陽性症状の発現は、教養部を終えて専門課程に進み、ちょうど解剖実習が始まったころだった。この時、父は出張で留守だった。発作が激しかったため、救急車を呼んだ。母と監督が相談し、精神科病院に搬送してもらった。しかし、出張から急遽戻り、病院に駆け付けた父がすぐ姉を連れて帰宅。父は、医師は「まったく異常はないと言った」といい、以後、両親は精神科を受診させないまま自宅監護を25年間続けた。(とういうことは、姉は25歳前後で発作を起こし、50歳までまったく治療を受けなかったということになる。)
監督自身は、北海道大学農学部に7年在籍し、卒業後、関東の企業に就職。姉への対応をめぐって両親と対立し、いたたまれなくなって実家を出たという。なお、監督自身も北大在学中にメンタルの不調に見舞われ、大学の保健センターのカウンセラーと面談した。その際、姉について話すと、当該カウンセラーが姉の面談もしようと言ってくれ、監督は姉を面談に連れていくよう父に働きかけたが、父はそのカウンセラーの論文を読んで納得できる出来ではなかったという理由で面談を拒んだ。
姉の記録を始めたのは1992年。ウォークマンで姉の妄想・幻覚による発語(叫び声)を録音した。最初は精神科医に姉の症状を説明するためだった。
その後、日本映画学校で学び、2001年から帰省のたびに姉と家族の暮らしを記録。2012年、家族介護のために札幌に帰郷。2020年以降(映画で表示された具体的な年を失念)まで、つまり姉が癌で亡くなるまで映像記録を続けた。
両親は、医療機関を受診すると興奮したり妄想・独語がでたりすることを恐れてか、精神科以外の診療科についてもあまり受診させなかったため、身体の不調(内臓疾患等)が見過ごされたようである。また、姉が外出しないように玄関のドアの内側にも施錠していた。ついでに記すと、姉が半年以上も家から出ていないという会話のシーンもみられる。両親は姉が外出して警察に保護されることを忌み嫌っていた。姉は自分の保険を解約してその金でニューヨークに行き、そこで保護されたこともあった。
ところが、この後、劇的な展開がやってくる。
2000年代後半になると80歳を超えた母が認知症の症状を示し始める。母は2階の窓から何者かが侵入し、自分の大切なものを盗むと言い張り、毎晩深夜に侵入するその現場を押さえようと身構えるようになり、またその言動で姉を刺激する。姉が興奮したときは砂糖水を飲ませると落ち着くなどと言って、深夜に姉の部屋に入り、さらに姉を興奮させる。(これらはアルツハイマー型認知症の症状のようにみえる。)
たまらず母を受診させた父は、医師から姉を入院させて父が母の介護をしてはどうかと提案され、それに従うことになる。
姉は精神科病院に入院し、そこで向精神薬が奏効して1か月ほどでみるみる状態が改善する。3か月の入院生活を終えて自宅に帰った姉は、見違えるほど正気を取り戻し、外出して楽しい時間を過ごせるまでに回復する。だがそのとき、母は亡くなり、姉の体は進行癌に侵されていた・・・。
さて、ここからはこの映画の作品名である「どうすればよかったか?」に関して少し考えてみたい。
上記のインタビューで「どうして監督が無理にでも姉を病院に連れていくことができなかったのか?」という質問に、藤野監督は次のように答えている。
① もし自分が入院させても父母がすぐに退院させることが目に見えていた。
② 両親を監禁罪とか保護責任者遺棄罪などで告発してでも入院させるという方法もあったかもしれないが、それをやると家族関係が壊れる。姉が退院した際に家族がバラバラでは受け入れられないと思った。
③ 自分が一人で姉を連れていくには、車を運転している間に逃げ出さないように姉を拘束しなければならない。拘束することに抵抗があった。
④ 保険証を父母が管理している。
⑤ ソーシャルワーカーに相談したが、「両親を説得して」と言われた(だけだった)。
このことを考える場合、現在とやや事情が異なる点に留意する必要がある。
まず、姉を医療機関につなぐことに頑強に反対したのが医師免許をもった父であった点である。しかもこの父は大正生まれだったと思う。(父は大正生まれで母は昭和初期の生まれと、映画のナレーションにあったような気がする。)
このことと関連して、姉が陽性症状を発症した時期(1980年代前半)の精神疾患をめぐる社会的事情を踏まえる必要がある。このころは統合失調症を「精神分裂病」と呼び、現行の精神障害者保健福祉法の前身である「精神衛生法」が施行されていた。1980年「大和川病院事件」、1984年「宇都宮病院事件」など重大事件が次々と露見し、日本の精神医療の遅れや暗黒面が大きく報道されていた。「精神病院」の実態を知る者ほど、入院させたくないという気持ちをもったであろうことはよく理解できる。
しかも、精神衛生法の施行時は、まだまだ精神分裂病=入院という短絡的な考え方が支配的だった。つまり、精神病者を社会的に隔離するという思想が払拭されていなかった。医療機関を受診することで娘がひどい環境の「精神病院」に入れられるのではないかという危惧があったことも想像に難くない。加えて、当時はまだ向精神病薬の「第一世代」の時代であり、一般には服薬の効果への信頼性も低かった。
また、両親の世代とその職業や社会的地位も影響したと思われる。両親は、精神障がい者や知的障がい者が家族にいることを否定的に考え、対外的に隠そう(社会からの隔離)とする意識が残っている世代に属している。これに両親とも医学研究者(父は戦後まもなくドイツの大学に派遣された経歴をもつ)という社会的地位(を保ちたいという意識及び無意識)が災いしたことも窺われる。(この辺りは吉行淳之介の小説「暗室」1969年が参考になると思う。)
映画のなかに、(母による話だったと思うが)姉の発病後も数年間、父が姉に医師の国家試験問題集か何かを買ってきて、受験指導しようとしていたというふうなことが語られるシーンが出てくる。父は、姉の統合失調症発症を認めないだけでなく、自宅における対応や指導で姉を大学に復帰させること、そして国家試験を受けさせることに固執していたようにもみえる。
さらに私見を述べると、この家族の在り方も(家族の在り方こそが)大きな影響を与えているように思われる。乱暴な言い方になるが、この家族には家父長的家族の名残りを感じる。監督が母に姉を受診させるよう説得する場面で、母は「だってお父さんが(精神科の医師から)異常ないって聞いてきたんだよ」ということを盾に受診を拒否する。この母は自らも医学者でありながら、自分自身で娘の病状について医師に相談しようとは思わない。むしろそれを避けている。ここに悪しき「夫唱婦随」を視ないわけにはいかない。
映画の終わり近くでは、監督が車いす姿の老父にこれまで撮影してきたフィルムを第三者向けに公表してもいいかと了承を求めるシーンがある。ここで父は、これまで受診させてこなかった理由を訊く監督に「お母さんが望まなかったからだ」という趣旨の話をする。これを形式的にみれば、父と母は受診させなかったのは相手で、自分はそれを尊重したのだと言っていることになる。
しばしば意思疎通が困難になったり錯乱したりする娘を、外部の支援を全く受けずに25年も監護し続けた夫婦。その困難を想像すると気が遠くなる。それを継続できたのは夫婦の結びつきの強さ故でもあるが、これを逆にみれば固着した家族システムに蟄居していたのだということもできる。
自分が監督=弟の身ならどうするだろうか、と考えてみる。
当然、両親(とくに父)を説得するだろう。何度話しても埒が明かない状況に嫌気がさして、自分だって家を出るどうし、縁を切るかもしれない。しかし、今の自分なら次のような試みをするような気がする。
まず、相談支援の窓口を能う限り当たり尽くす。上記の⑤を見ると、監督は相談支援窓口を訪ねたようだ。そこで相手をしたソーシャルワーカーはろくなもんじゃない。まず徹底的に両親を説得しろと助言するのは常套手段だが、それが無理だとわかったら次の手を打たなければならないはずだ。大体の相談支援機関で窓口になるのはこの程度のワーカーだが、中には稀にそうではないワーカーもいるはずだ。弾は数多く撃たなければ当たらない。何度も撃ってみる価値はある。(もし筆者が保健所や福祉事務所等のSWだとしたら、まず現場に行き、父母及び姉と面談しようとすると思う。そしておそらくは受診を勧めるだろう。受診=入院ではないということも説明しようとするだろう。厚顔無恥なので、相手が医師だろうが抗精神病薬の機序やエビデンス等についても語りそうな気がする。少なくても両親の負担を軽減するために福祉サービスの利用は進めるだろう。両親が動かされない場合は、今なら障がい者虐待防止法に抵触すると遠回しに脅すかもしれないし、同法成立以前なら監督のアイデアに沿って保護責任者遺棄罪に当たると迫るかもしれない。さらにはこんな提案さえするかもしれない。姉を外へ放ち、トラブルを起こさせて警察に何度でも保護させてみたら?と。警察は対応に困って、保健所や福祉事務所等に身柄を引き受けさせるでしょう。状況によっては、行政が受診させるかもしれないよ、と。)
次に監督自身がカウンセリングにつながっていることが大切だ。たとえばブリーフセラピー(BT)等では、このような場合の姉(問題を抱えている主体だと考えられている者)をIP(Identified Patient)という。精神疾患を抱えた姉が〝問題〟であり、この姉自身に働きかけて問題を解決しようとするというよりも、姉をめぐる関係性やシステムに働きかけて問題を解決(または改変)しようとするアプローチもある。(この場合は家族療法としてのBTなど。) もっとも、1980年代の札幌にBTは存在しないに等しかったかもしれないが。
因みに、BTの手法の一つとしてMRIアプローチがある。これは、「家族構成員間の交流における相互のコミュニケーションのシステム的な機能(悪循環)に焦点を当てる」、「家族構成員間の交流に対しパラドックス(逆説)的に介入する」、「問題を維持している行動や解決努力の仕方を変化させる」などの関わりを行うことである。
このケースの場合、まさに前記のような家族システムの悪循環があったと考えられる。この悪循環は意図せず「母が認知症になる」ことによって断たれる。それまでひたすら娘を庇護してきた母が、認知症となり精神の常軌を逸して統合失調症の娘に刺激を与えるようになったことで、「パラドクス的介入」のような効果が生じた。父と母が二人で姉を自宅で監護していくという家族システムが変更を余儀なくされたのである。
最後に、蛇足かもしれないが、きょうだいに重い障がい者がいる場合について一言。
この映画の家族のような場合、弟は両親に対して次のように迫っていいと思う。つまり「父さんと母さんはお姉ちゃんより早く死ぬだろう。残されたお姉ちゃんの面倒は結局ぼくに負わされることになる。そのとき、ぼくの負担が少しでも軽くなるように、あるいはぼくが納得できるようにぼくの言うことに従ってほしい」と。
藤野監督が25年間どのように両親に話しかけてきたか、映画ではそのほんの一部しか窺えない。そんな話はもちろんしたよ、と言われるかもしれない。しかし、筆者なら両親のまえでケツを巻くってどこまでも迫るだろう。自分の要求が受け入れられるまで、両親の前で錯乱した際の姉以上に暴れるかもしれない。息子と親の力関係は遠からず必ず逆転する。
「どうすればよかったか?」という問いに対する、これが筆者の、身も蓋もない答えである。(了)
2025年01月19日
2025年の活動について~自費出版引き受けます!

2025年になって、はや3週めが過ぎようとしています。
ちょっと気を許しているとあっという間に時間が経過してしまうので、今年の活動について少しだけ記しておきたいと思います。。
〝ひとり出版社〟として運営している高安書房から、最近、佐藤傳詩集『日々のなかの旅』と近江正人詩集『真夜中のスイマー』を刊行し、これを八文字屋書店各店に配本させていだたいています。
また、年明けに高 啓著『非出世系県庁マンのブルース』と『切実なる批評―ポスト団塊/敗退期の精神ー』を八文字屋書店に清算していただいたところ、『非出世系県庁マンのブルース』が継続して売れているのに加え、『切実なる批評』が12冊も(!)売れていました。七面倒くさい内容の『切実なる批評』を購入してくれた方が12人もおられるとは・・・・。
両作品とも再度八文字屋書店各店に配本をお願いしましたので、ぜひ店頭で手に取って御覧ください。なお、ネット書店や最寄りの書店でも購入できます。最寄り書店には「地方・小出版流通センター扱いで」と告げていただくと取り寄せてくれると思います。もちろん、高安書房に直接注文していただければなお幸いです。
ところで。今年は自費出版の引き受けも進めていければと考えています。関心のある方は高安書房のブログをご覧ください。
さて、現代詩関係の活動としては、2025年11月8日(土)に、「やまがた文学祭2025」というイベントを企画しています。「やまがた文学祭」は山形市民会館と山形市芸術文化協会(文学部門)のイベントで、毎年市民会館小ホールを会場に開催されています。市の芸文恊に参加する文学関係の6つの部門が、それぞれ6年に1度当該分野のイベント等を実施しているもので、2025年は「現代詩」部門のイベントを実施する予定です。
なお、この文学祭イベントにおいて、「やまがた文学祭・現代詩賞」という詩の公募を行う予定。募集対象は、山形県内に在住・在勤・在学の方による、未発表の日本語の詩です。「小中学生」「高校生・大学生・専門学校生等」「一般」と3部門で選考し、優秀作品を表彰します。詳しくは山形市報4月15日号に掲載する予定。後日このブログでもお知らせします。
11月8日のイベントでは、本県出身の2大詩人、黒田喜夫と吉野弘を取り上げた企画(講演、対談、合唱など)を実施する予定です。
また、11月7日~8日に山形市民会館展示ホールにおいて、県内の詩書等の展示も行う予定です。こちらについても、このブログでお知らせします。チェックをよろしくお願いいたします。
さて、高 啓は、昨年やっと山形県詩人会事務局を降りることができましたが、今年はこの企画に時間を使うことになりそう・・・・。
自身の詩作のほうは・・・どうなることやら・・・・。
でも、ブログにはもっと文章を上げていきたいと思います。
今年もどうぞよろしく。
(注)写真は2024年11月に訪れた新宿の老舗ジャズ喫茶「DUG」の入り口の階段。
2025年01月11日
近江正人詩集『真夜中のスイマー』(高安書房刊)

高安書房から近江正人詩集『真夜中のスイマー』(A5版・並製172頁・税込み2,200円)が刊行されました。
著者は1951年生まれ。これまで書肆犀(山形県上山市)や土曜美術社出版販売その他の出版社から、11冊の詩集を上梓してきたベテラン詩人です。今回初めて高安書房からの発行になりました。
この詩集は、著者のこれまでの詩集とはちょっと印象が異なり、作者の生きてきた軌跡(家族との葛藤や少年期から青年期の苦悩など)が色濃く反映された作品が収録されています。この詩人が、どのような地点からどのようなあり様を展望しているかについても読み取りやすくなっていると思います。
書名の「真夜中のスイマー」は本詩集の2番目に収録された作品の名で、これは作者の睡眠時無呼吸症候群を意味しています。
※ 本詩集は山形県内の八文字屋書店各店でお求めいただけます。
県外等の方は、高安書房に直接お申し込みください。
送料(スマートレター)は高安書房負担。代金の振替・振込費用はご負担ください。
発注方法はこちら
2025年01月08日
佐藤傳詩集『日々のなかの旅』(高安書房刊)

高安書房から佐藤傳詩集『日々のなかの旅』(A5版・並製174頁・税込み2,200円)が刊行されました。
著者の佐藤傳は、1955年生まれ。寒河江市在住。
山形県内の同人誌に長い間作品を発表してきましたが、これが第一詩集となりました。
地元の寒河江市や河北町などの風物を描きながら、そこで日々を生きる無骨な男の生活と心象が綴られています。
この詩集を読むと、日常を淡々と生きることがそのまま〝旅〟であるという視点が生まれてくるような気がします。
ぜひご一読ください。
【帯より】
男は歩いている
懐かしきものにまどろみながら
いいえ、それでもゆっくりと足元を確かめながら
この町で日々を生きることがそのまま旅であるかのように
鮮やかな少年の夢を小脇に抱えて
その男は歩いている
ー読む進みほどに引き込まれていく、第一詩集
※ 本詩集は山形県内の八文字屋書店各店及び松田書店(寒河江市)でお求めいただけます。山形県外等の方は、高安書房に直接お申し込みください。
送料(スマートレター)は高安書房負担。代金の振替・振込費用はご負担ください。
ご注文はこちら
2024年07月16日
山形県詩人会関係その他の近況

仕事と趣味の野菜づくりで忙しく、いつもながら更新が遅くなってしましましたが、山形県詩人会その他の近況を記載します。
山形県詩人会は2024年4月20日に総会を開催し、会長ほか理事会の三役を改選しました。
これまで会長だった高橋英司氏が会長在職10年を機に辞職の意思表示をし、これを機に事務局長の高啓も降板を申し出たことから、次の通り新たな三役を選任したものです。
会長:万里小路譲(鶴岡)、副会長:近江正人(新庄)、事務局長:久野雅幸(天童)
なお、理事及び会計監査については2年間の任期の途中であることから改選しておりません。ということで、高啓は事務局長は降板しましたが理事は継続しています。
山形県芸術文化協会の常任理事として、「県芸文」に山形県関係(県外者含む)の詩の情報(出版、イベント、受賞その他)を記録する任にもあたっています。情報がありましたら、ご提供ください。(右下の「オーナーへメッセージ」から)
今後、山形県詩人会関係の情報は、会長の万里小路譲氏や事務局長の久野雅幸氏から発信されることになると思います。
山形県詩人会は9月14日(土)鶴岡市第四学区コミュニティセンターにて「やまがた現代詩ミーティング2024―三行詩・四行詩を愉しむ―」を開催することを決定しました。
先日、趣味?のカフェ巡りで長井市の「セカイスケッチコーヒー」を訪ねました。
自家焙煎のなかなか美味しいコーヒーでした。
大きな窓から庭の松の木が見えるのが印象的でした。
2024年04月17日
詩集の感想 立花咲也『光秀の桔梗』

立花咲也詩集『光秀の桔梗』(2024年3月31日、詩遊社)を読んだ。
新しいドレッシングの瓶を
朝の食卓に出すとそれを見た夫は
―わしはな
値段をつけたまま
食卓に調味料を出すような
無神経な人間が一番きらいや
言うとすっきりする性格の夫は
―銀行寄ってから昼頃会社つくわ
手を挙げて部屋を出ていく
からだの形のまま
床に脱ぎ捨てられた夫の寝間着を畳み
食べ散らかした食器を片付け
278円の値札のついた瓶を見て考える
剥がすかな
このままにしておこうかな
それとも
流しに叩きつけて割ってしまって
なかったことにしようかな
瓶が汗をかいている
ま、とりあえず会社に行こう (「無神経」全部)
女子大の文学部を卒業後、「観念した」見合結婚で「悩む間もなく家業に追われ労働」してきた作者は61歳の女性。詩集名の『光秀の桔梗』は、信長に学ぶ経営書の類を何冊も読んでいる夫に対して、その身勝手さに耐えて家庭生活を送り、仕事では苦しいリストラもして経営危機を乗り越えてきた作者が、〝光秀〟のように「なんなら私もパンと弾けて/全部吐出したっても/ええねんぞ」と内語し、その想いを懐に抱いて生きるさまからきている。
いい気なものの(今風に言えば「昭和な」)夫(69歳)への複雑な想いと、自分の人生をこれでよかったのかと悩む作者の心情が、大阪人らしいボケとツッコミの会話を挟んだ詩行に織り込まれ、そこに64歳のプータロー的な兄、90歳のボケかけた母、洒落じゃなくてボケてしまった93歳の姑、そして父に似て自己チューな息子と唯一作者の味方をしそうな娘が絡んで、独特の妙味を醸し出している。東北人のじぶんにはこんな夫婦漫才風な〝やりすごし方〟は近しいものではないが、それでも作者の身体の稜線みたいなものが見えてくる。それはピンと張っていて、しかも柔軟に緩まりもする。
この印象をもうすこし抽象度を上げて言うと、詩行のなかで自意識がなんだかブンブンと音を立てて高速回転しているように感じられる。つまり自らが選びとってしまった生活、その内部で自意識がジャイロスコープみたいに回転することで現在のそれを必死に維持させているような印象を受けるのである。
日常、来し方・・・そこに平衡を生み、そのことでそれらと自らのアイデンティティを維持し続けようとする安定化装置。それがこの詩人にとっての詩なのかもしれない。
くたばれ私に巣くう臆病
負けるな私の笑いたおす心意気
まだ
まだまだまだ
置かれたここで
根付いて咲いて枯れるまで
で
いつ咲くねん
とお約束の自分にツッコミ (「お約束」全部)
いつ咲くねん? 今でしょう!
はやくセカンドパートナー(これはマッチングアプリ用語)でもつくらっしゃい。(了)
2024年04月04日
現代詩講演会「わがエチカ、わがポエジー」

山形県詩人会は、2024年4月20日(土)に山形市の遊学館において、今年度の定例総会を開催します。
それに引き続き、記念講演として上記の現代詩講演会を開催します。この講演会は会員以外の一般の方にも公開しますので、どうぞご参加ください。
演題 「わがエチカ、わがポエジー
―三十数年ぶりに詩集を上梓したココロを尋ねて―」
お 話 : 岩 井 哲 氏(上山市立図書館館長、書肆犀主宰)
文芸批評やエッセイ、そして幕末期の歴史研究など多くの著作をもち、また「書肆犀」として多くの出版物を世に送り出してきた岩井哲氏が、三十数年ぶりの詩集『わがエチカ むっ!』を刊行されました。
岩井氏にとって詩とはどういう存在なのか・・・そして氏のいう詩における「エチカ」とは・・・
「表現された作品は、その意味と価値を常にそのまま受容されたいと恋焦がれている」と語る岩井氏に、自らの詩と詩にまつわるこれまでの来し方についてお話いただきます。(聞き手:高 啓)
本講演会は一般に公開します。会員外の方もふるってご参加ください。
日 時 :2024年4月20日(土)15:00~15:40 (開場14:50)
会 場 :山形市 遊学館 3階「第二研修室」 参加費:無料
主 催 :山形県詩人会
申込み:山形県詩人会事務局(高啓(こうひらく)方)
電子メールで右記に申し込みください。 yamagata_poesyあっとまーくyahoo.co.jp
【お願い】 当日、同会場で14時から山形県詩人会総会を開催します。一般参加者は14時50分まで入場できませんので、3階ロビーでお待ちください。県立図書館駐車場(遊学館西側隣接平面及び文翔館東側隣接立体)をご利用の場合は、入館時と退館時に入口で駐車券を提出して電磁的処理を受けると2時間まで無料となります。