2017年08月29日

現代詩人会東日本ゼミナール

 山形県詩人会の告知です。

 日本現代詩人会では、毎年、東日本と西日本でそれぞれ1回ずつ「現代詩ゼミナール」を開催していますが、今年の東日本のゼミナールについて、下記の通り山形県(酒田市)での開催を引き受けることになりました。
 なお、同ゼミナールは、会員のみならず、一般の方にも参加いただいています。






 酒田開催の経緯は以下の通りです。
 日本現代詩人会から山形県開催の打診を受け、山形県詩人会の理事会で開催地を検討したところ、高橋英司会長ほかの提案により酒田市で開催することとなりました。
 内陸の県都・山形市から遠く離れ、しかも山形市に比べて各地からのアクセスが不便な日本海岸の酒田市では参加者集めがたいへんなのではないかと危惧する者(たとえば高啓)もいましたが、①前回(2008年)は山形市で開催し成功裡に終わったが、山形市だけが「山形」ではない。今回は県都以外で開催したい。②山形県内ではいま酒田市の詩人たちがいちばん活発に活動している。③テーマとして取り上げる吉野弘の出身地である。(同じくテーマとして取り上げる黒田喜夫所縁の寒河江市での開催も検討。)④江戸時代に北前船で栄えた酒田は文化的な蓄積や観光資源が豊かなので、県外からの参加者も呼べるはず。・・・などの理由で、酒田開催を決めたものです。
 また、前回は集客の意図も込めて岡井隆氏に講演を依頼したのですが、今回は有名人は招聘せず、自前(山形県内の詩人たちによる講演)で開催することにしました。
 ということもあり、テーマの方は有名な詩人たち、つまり戦後詩史に大きな足跡を残したふたりの山形県出身詩人「吉野弘」と「黒田喜夫」を取り上げました。

 吉野弘について講演する万里小路譲氏は、酒田市と隣の鶴岡市在住。『吉野弘 その展開視座の詩学』という著書があります。
 黒田喜夫について講演する木村迪夫氏は、黒田喜夫を「兄」と慕い、親交をもっていました。詩人としても現代詩人賞など数々の賞を受けられ、その生きざまは『無音の叫び声~農民詩人・木村迪夫の牧野村物語~』(原村政樹監督)という映画にもなっています。
 なお、高啓は黒田喜夫の詩「毒虫飼育」を取り上げ、従来の黒田詩をめぐる議論とは異なった観点から、この作品がもつ画期的な意義について考えを述べる予定です。

 ご参加をお待ちしております。



現代詩ゼミ ナール <東日本> in 酒田

「吉野弘と黒田喜夫の山形」

   主催 日本現代詩人会・山形県詩人会
  後援 山形新聞・山形放送 山形県芸術文化協会
  日時 20I7年Ⅰ0円2Ⅰ日(土)午後Ⅰ時30分~ (受付1時~)
会場 ホテルイン酒田駅前内 (4F ル・ポットフ一)
(酒田市幸町1-10-20 電話 0234‐26‐2218)
参加費 日本現代詩人会会員・山形県詩人会会員は無料 一般参加者:資料代 500円

  プログラム
■講演 「吉野弘について」・・・・万里小路譲
     「黒田喜夫について」・・・木村 迪夫

■吉野弘を読む
      近江正人 いとう柚子 朗読: 阿蘇孝子

■黒田喜夫を読む
       高 啓   朗読:阿蘇孝子

■自作詩朗読
       成田豊人 (秋田) 清岳こう(宮城) 鈴木良一 (新潟)
       戊丸ぜの (山形)   金井ハル (山形) 阿蘇豊 (山形)

■交流・懇親会 (同ホテル内5F スワンルーム) 午後5時30分~7時30分
       アトラクション 筝曲演奏 (高瀬雅楽秋)  会費5,000円

■研修ツアー (希望者中込) 10月22日(日)午前9時~
ホテル~本間美術館~日和山公園~山居倉庫~土門拳記念写真美術館~酒田駅 (午後3時解散予定) 参加費4,000円程度

【お問い合わせ先】
山形県詩人会 ゼミナール事務局
〒999-3503 山形県西村山郡河北町岩木259 (高橋英司方)
※ 電話番号・メルアド等はこのブログから高啓に問い合わせてください。
【宿泊】
ホテルを各自でご予約ください。
ホテルイン酒田駅前(当会場) …0234-26-8800
ホテルイン酒田…0234-22-5000 (ゼミナール参加者のバス送迎があります)

  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 16:55Comments(0)活動・足跡

2017年03月19日

東北芸術工科大学卒業・修了制作展2017 感想その2

2017年2月12日、東北芸術工科大学卒業・修了展(2月7日~12日)の感想その2は、まず、日本画コースの学部卒業生作品について。




鈴木 祥代「ほのあかり」(2260×1800 和紙・岩絵具・水干)
 少年と少年の背後霊のように黒いウサギのようなものが描かれている。
 ほのあかりに浮かび上がった像の背後に濃密な物語性が感受される。解離的幻想を生きる少年にウサギの人格が現れ、冷酷な視線を向けることでその視線の先にあるものに堪えている・・・といったような。





高橋 哲平「ゆるがるれ」(3035×1880×1853 和紙・岩絵具・墨・胡粉)
 観客は暗幕に包まれた空間に懐中電灯を持って入り込み、壁の四方に描かれたものの姿を照らし出す。
 作者はこの大学に入学して以来、ずっと龍を描いてきたという。
 暗闇の中、懐中電灯の照明範囲に浮かび上がった像が龍なのかどうかは不分明であり、不分明であることこそが龍というもの存在を感じさせる。そういうふうに仕組まれている。





前田明日美「mama adieus」1820×3000 (木材・アクリル絵具・布・段ボール・針金ほか)
 ここに掲げた画像では絵画のように見えるが、実際は絵が描かれた屏風状のコンパネのような板に、首飾りのような装飾物が掛けられたミクストメディアの作品である。床に積まれた綿の中には、ベールに包まれたマネキンの頭部みたいなものも埋もれている。
 ママ、さようなら。そして、“さらば人類!”と口にしてエスケープした先の世界は、未開拓のロマンチック・ジャングルだというのだ。ある種のデストピアが描かれているのか、軽薄過ぎない軽薄さの嫌味みたいなものが伝わってくる。そのいやらしさがこの作品の魅力である。





及川千代美「春を送る庭」 (1818×2273 和紙・水干・箔・墨・胡粉)
 ちらりと目に入れるだけで通り過ぎてしまいそうな、他の作品と比べて引っこみ思案のような画風だが、良く見ると作品の印象がそこに描かれた黒い四つ足の動物の印象に重なっていることにはっとする。
 これは黒いキツネなのか、イヌなのか。何れにしても、白い木立のむこうから背中を丸め上目づかいでこちらを覗っている気弱そうな風情が絶妙に描かれている。しかも、良く見ると、この黒い動物は絵の中に描かれた暖簾のようなものに描かれている。先ほど木立だと思ったのは少しめくれた暖簾の隙間であって、その暖簾が微妙に傾いでいることがわかると、いわば二重にも三重にも不安そうな、気弱そうな、あるいは卑屈にさえ思われそうな存在が身近なものになってくる。そういう仕掛けになっている。
 また、この作品の題名にも唸らされる。・・・そう、春はいつだって怖いものである。


 つぎに、洋画コースの学部卒業生作品について。





國府田姫菜「光へ」 (1820×3640 パネル・白亜地・油彩)
 この卒業・修了作品展には、当該作品の作者にこの世界がどのように感受されているかを鑑賞者に否応なく突きつけてくる作品が少なくない。
 先の「mama adieus」は“ロマンチック・ジャングル”への脱出を志向していたが、この「光へ」はまさに光の世界への脱出を志向している。ただしこの場合の脱出とは、自分と自然とが一体化した全体性の獲得であり、その全体性が拡張していく実感の追求である。全体性拡張の志向とは“全能感”に近づこうとする志向でもあるだろう。
 蔵王の噴火口である「お釜」、山寺立石寺とその周辺、芸工大キャンパスなどの風景が統合的に配置された世界のなかに、巫女のような女の背後から、ウマ・シカ・サル・イルカ・ウミガメ・錦鯉・鯛・イヌ・ハトなどの生物たちが、生命エネルギーの奔流のように発出されている。
筆者はこの如何にも「高校美術部!」という画風とこのスピリチャルな構図に食傷してしまうが、しかし同時に、この作品のレベルまでその画風を貫かれるともはや脱帽するほかないのでもある。





鎌田 恵理「パターンQ」1620×1300 (キャンパス・アクリル・水性ペンキ)
 ここに掲げた画像は三枚一組のうちの一枚。本人のコメントに、「『あの人でなくてよかった』と思ったり、『もし自分があの人だったらどうしよう』と思ってゾッとしてしまうことなど、そういった人との冷めきった距離を傍観するように描きました。」とある。
 「『あの人でなくてよかった』と思ったり、『もし自分があの人だったらどうしよう』と思ってゾッとしてしまう」のは、「そういった人との冷めきった距離」にあるからというより、それを自分に降りかかるかもしれない事態だと想像するからで、つまりは「そういった人」と自分との分別や距離がうまく構成できないからでもあるだろう。
 人物たちに遠近法が採用されていないことが象徴的である。また、「ポム」という病院内喫茶室の看板がとても効果的に“日常的な不安”を伝えてくる。
 







田邊 小織「奥地」 (2273×1818)「泉の底でみる夢」(1818×2273)何れもキャンパス・油彩・メディウム
 田邊の作品の色使いと筆使いは、この作者が自然をどのように受け止めようとしているかをビビッドに伝えてくる。このひとにとって自然とは、“じぶんと共有された自然”を指し、したがって“じぶんによって描かれうる自然”を指す。それは「神々」しく、彼女の心臓に直接的に訴えかけてくる命の力みたいなものとして感受されている。





信坂 彩「結婚」 (各1620×1300 キャンパス 油彩)
 結婚衣装をまとった新郎と新婦が、無数の枝や腕の構造物として描かれている。
 新婦のイメージは象徴的なのに、新郎のイメージは崩壊している。女が無数の手を伸ばして男とつながろうとしているのに、男の方は顔も頭部もなくて、腕は大きくて女を捉えそうだが、男自身はとらえどころのない白化したサンゴのような放射状のものに感じられている。
 他者の結婚をカリカチュアしたつもりならそれでもいいが、じぶんの行く末を絶望的に見ているのだとしたら、それはまだ早い。・・・などというのはジジィのお節介か。

 
  続いて、彫刻コースの卒業生の作品。





吉田愛美「better half」
 作者によって「こんなにも愛しく思うのは、あなたと私はもともと一つだったからに違いない。」というキャプションが付けられている。
 この一体の木彫像は、男女が寄り添った姿に見えるから、上記のキャプションは男女の性愛のことだと看做す。すると、じぶんもかつて女とそんなふうに一つになった気がしたときがあったような気分になってくる。
 しかし、作品を良く見ると、木像のふたりは必ずしも満ち足りた表情をしているのではない。たとえば、亭主関白な夫とその夫に諦めの境地になるか、不承不承寄り添っている妻のような表情にも見える。
 このような形態の木像をみると、どうしても舟越桂の作品を想い起こしてしまう。こうした他者の先入観からどのようにして自分の作品を救い上げるかは、たぶん作家にとって重要な課題だろう。
 この作者は像たちの表情でそれを試みている。この像たちの表情は、誤解を恐れずに言えば舟越作品よりはるかに俗物的である。その俗物性が、いわば作者自身のキャプションを裏切っているところが面白い。





 阿部任「Breath of Souls」
 「廃材たちが生命感をみなぎらせて躍動するイメージ」を求めて、「鉄屑の中から羽化した蝶」を制作したと作者はいう。
 穴の空いた繭と羽化したばかりで縮れたままの羽の造形(とその玉虫色)が、この作品の魅力になっている。
 廃材を掻き集めてきて造形物を創り上げるのは、ブロックの部品を組み上げて作品を創るのや、石ころのような切片を組み上げて作品を創るのと、どこがどう違うのだろう。前者の方が、そこになにかが宿るかのような幻想(「機械の中の幽霊」にでも似た)を持てる気がするが、すると当該作品に宿る“精神”は、ではこの廃材たちが宿してしまう「幽霊」なのか、それとも作者が特権的に与えた固有のイメージなのか判別しにくくなるような気もする。たぶん、両者の混融物として作品が成り立っているのだろうが、その混融のどこをどのように作者が差配しているのか、言い換えれば、作者は廃材たちの霊にどれだけ依存しているのかという問題が現れる。
 もちろん、この「問題」を問題だなどと考えずに、表現したいように表現すればいいのだ。


最後に、テキスタイルコースの卒業生の作品をひとつ紹介したい。









小林瑞穂「ディア シスター」
 (木材・水性塗料・楽譜)
 見た目は背中合わせに合体したふたつのアップライト・ピアノである。
 しかし、ただのピアノに見える側と反対の側に回ると、鍵盤に当たる部分の蓋が凹んでいて、そこに楽譜とフルートが置いてある。これがどんなことを表現した作品なのか、これだけではほとんど理解も想像もすることができない。
 そこで作者のキャプションを読む。するとこんなことが書かれている。
 この作品はある友人に向けて作った。その友人は自分(作者)にとってどんな存在か言い表すのは難しいような存在だ。かつて二人はともにプロのフルート奏者を夢見ていた。「そして、学校の階段から転げ落ちた事から始まった彼女の自滅と私の終わり。彼女と出会ってから毎日整理し続けた『今まで』を全て詰めて彼女に捨てさせる作品です。」
 この作品はテキスタイル専攻学生のなかで「優秀賞」を取っていて、担当教員がその授賞コメントを記しているが、そこには、テキスタイルコースの卒業制作なのになぜピアノのオブジェなのかということで衝突したこと、ピアノ2台を購入する費用がないので作者自身がこのオブジェを手造りで、しかも「不思議な圧倒的に近寄りがたい空気感」のなかで組み立てたことなどが記述されている。
 ひとつのオブジェを創るという卒業制作が、これまでの作者の生きざまの総括になっている。この過程自体が激しく“ゲイジツ的”ではないか。


 卒業生・修了生のみなさんの健勝を祈って擱筆する。またどこかで作品に出合う機会を楽しみにしつつ。(了)                                                                                                                                                                                







  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 11:35Comments(0)美術展

2017年03月06日

東北芸術工科大学卒業・修了制作展2017 感想

 2017年2月12日、東北芸術工科大学卒業・修了展(2月7日~12日)の最終日にやっと観に行くことができた。その感想を2年ぶりに記したい。

 じつは昨年もこの卒展を観には行ったのだが、感想を書くタイミングを逃してしまった。時間が経過してしまうと作品の印象が不確かになるばかりか、現場で撮影した写真と出展作品リスト及び自分のメモの突合が大変になって、作品・作者名・感想の内容の3つが整合できなくなってしまうものが生じるので、書くのを諦めたのだった。
 そもそも、この2年ほどこのブログへの記事アップは滞ってきた。それにはふたつほど事情があって、そのうちのひとつが、まずは当面なくなった。そこでふたたびこうして記事を書くことに向かい始めたのだが、もうひとつの事情は変わっておらず、執筆意欲は未だ以前のレベルまで回復していない。ぼちぼちリハビリを開始するか、というところである。

 おっと、言い訳が長くなってしまった。さっそく本題に入ろう。
 この大学の卒業・修了展は、全体としてはかなり見応えがある。できれば見物に3日間はかけたいところである。しかしそれほど時間が取れないので、いつも「日本画」→「洋画」→「版画」→「彫刻・工芸・テキスタイル・総合芸術」→「プロダクトデザイン」→「グラフィックデザイン」→「映像」→「建築・環境」→「企画構想」→「地域デザイン」→「美術史・文化財保存修復」→「文芸」というような(それほど厳密でもないが)優先順位をつけて回っている。
 今年は「日本画」から「彫刻・工芸・テキスタイル・総合芸術」までしか観ることができなかった。


 ということで、早速、日本画コース・大学院修士課程修了生の作品から。





石原葉「無効信号」

 作者は作品展示にあたって次のようなコメントを提示している。
 「アメリカの政治哲学者ジョン・ロールズが提唱した無知のベールという思考実験において、正義の原則とは、各人が一般的状況について知っているが、自身の環境や社会的地位を知らない時に達成されるという。しかし、グローバル化や価値観の多様化が進む中、人々が想像する弱者の姿は果たして同じ姿をしているだろうか。私たちに必要なのは無知のベールではなく、想像と対話なのではないだろうか。」
 そして、作品「無効信号」には以下のコメントが付されている。
 「無効信号とは目の前のことを模倣しようとするミラーニューロンからの刺激を無効化する信号のことを指します。例えば、目の前にいる人が怪我をしているとしましょう。私たちのミラーニューロンは、その痛みをまるで自分が怪我したかのように受け取り、脳へと刺激を与え、錯覚させますが、一方で、私たちの体は、それを自分が受け取るべき刺激ではないと無効信号を発します。そうやって痛みは一時的な錯覚だけで止まり、私たちは周囲からの過激な刺激から身を守ることが出来るのです。
 それでは、この無効信号とミラーニューロンの関係を普段の生活に当てはめたらどうでしょう。私たちは必ずしも困っている人に手を差し伸べたり、共に喜びを分かち合ったりすることができるわけではありません。現前の人やものごとを、自分とは全く関係ないことだと切り離し、忘れてしまうことは多々あります。(中略)わたしとあなた、われわれとかれらを隔てる無効信号は一体何なのでしょうか。
知らないうちに私たちの行動や発言を左右する何かに目を向けることで、今まで見てきた世界とは違う世界をみることができるかもしれません。一人一人が違う世界を見ていること、それを踏まえて対話していくことが、価値観の多様化が加速する現代において重要視されてくるのではないか、そう考えています。」

 ロールズの「無知のベール」という言葉に引き付けられた。
 「正義」とは、ここではひとまず“分配の正当性”ということとして考えられる。
対話すべき他者、つまり分配を受ける他者について情報をもつと、そこに有象無象のバイアスが生じるため、分配の正当性を確保することが困難になる。
 たとえば、ホールケーキを切り分けて何人かに配分するとする。そのとき、各切片(それはみんな均等とは限らない)の配分を受けるのはどういう人なのか、どの切片をだれが受け取るのかを知ると、そこに正当性の揺らぎが生じる。置かれた状況や必要性の程度が様々であるところの、配分を受ける者の側から異議が生じるばかりではなく、それと相即的に、配分する者の内部からも疑問が生じる。どう切り分けても、どう配分しても、そこには「それは正当ではない=正義ではない」という声が上がりそうに思われる。この点だけを見る限り(というのも、ロールズはこのほかに有名な「格差原理」を提唱しており、こちらの方が重要)、言ってみれば、どういう人たちがどういう順番でケーキの切片を受取るかを知らない状態(「無知のベール」に包まれた状態)で、それをできるかぎり均等に切り分けることが正義だと言っているようなものだと考えられる。もっと言い切ってしまえば、これは一種の、思考の中途停止である。石原はそこに向き合うことこそが必要だと考え、「想像と対話」を掲げる。つまり、私たちひとりひとりが、有象無象の困難を引き受けることを求める。
 だが、しかし、その「想像と対話」に向かおうとする意識に、情報の感受の段階で「無効信号」がベールを被せてくる。
石原の作品は、一旦描写されたひとびとの顏が、白く塗りこめられたり削り取られたりしたようなパネル風の絵の集合体として形成されている。この白いベールに無効信号の存在が表象されているとみることはできる。だが、その一方で、石原が言うように「知らないうちに私たちの行動や発言を左右する何かに目を向けること」までが表現されていると見ることはできない。
 ・・・じぶんならどう描くだろうと考える。たぶん、白塗りの絵とともに、白塗りされていない(つまりさまざまな人間の顔が描かれた)同様の体裁の絵をこれと一緒に提示するだろう。その白塗りされていない絵は一種類ではなく、同じ人間が醜悪な顔をしたものとそのいくつかの変奏であるようなものになる気がする。・・・なんとなれば、「想像と対話」はほんとうに難しい。他者を見つめることは難行苦行なのだ。





 萩原和奈可「HEROES」

  こに掲載した画像では描かれた内容が分かりにくいが、中央にあるのは小鳥の死骸であり、それを無数のウジ虫のようなものが食べているような構図である。掲載した作品のほかに、何者かに食いちぎられたような甲虫の死骸の絵も展示されている。
 作者は「どんな虫にも存在に理由があり、決して無駄な命はありません。」と述べ、「一人の人間の世界を覗く、という感覚で鑑賞して頂きたい」ので、展示室を暗くしたとコメントしている。
 この「一人の人間の世界」とは、作者の世界ということか、それとも鑑賞者自身あるいは一般的な存在としての人間ということか、それが不明だ。しかし、この展示環境のなかでこの作品を見つめていると、たしかに“何かを覗いている”という感覚にはなる。
 ただし、私は、たとえばカラスや昆虫たちを、生き物の死骸を片付けてくれる有り難い存在だと思ったり、それでもたくさん居すぎると邪魔もしくは脅威だと思ったりしたことはあるけれども、その存在が無駄なものだと思ったことはない。あんたは虫たちの存在が無駄なものだと思っている人間の存在を、自分の表現の前提にしているのか!? と、突っ込みを入れたくなるところだが、作品の雰囲気から作者が言っていることに説得されてしまう。つまり、部屋を暗くして死骸に灯りを当てた展示方法は成功している。




久松知子「芸術家の研究所」(2016年 H203×W266cm)
 久松によれば、この作品は「岡本太郎との対決」を意識したものだという。久松は、メディアに登場した晩年の岡本と、民族学者であり前衛のリーダーとして活躍していた岡本の顔は別人のようだったとも述べている。
 久松の作品は、「日本画家のアトリエ」(2015)、「日本の美術を埋葬する」(2014)、「日本祭壇画 神の子羊」(2013)と注目してきた。一見おっとりしていてそれでも律儀に思える素人風のタッチで描かれた人物たち(それはみな有名人だ)の群像とその立ち位置の構成が、それ自体で奇妙な批評性をもっている。
 その批評性は、しかし、作者が言うように対象として描かれている実在の人物と「対決」するように表現されているのではない。むしろ独特の間合い感をもって描くことで、対象を戯画のようにみせる「批評」なのである。久松の絵には、どこかで既視感を感じる。それは、ある種の親密感であり、同時に鬱陶しさでもある。この一見親密そうな顔をしてそれゆえ鬱陶しく絡みついてくるものが、久松作品の「批評」性であるように思われる。
 さて、ところで、筆者が久松を評価しつつも若干の疑問を感じざるをえないのは、「みちのおくの芸術祭/山形ビエンナーレ2016」において、その会場のひとつとなった山形市の文翔館(旧県庁舎)の一室に展示した「三島通庸と語る」という作品について、である。




 この作品は、明治初頭の山形に藩閥政府による初代山形県令として赴任した三島が、当時の県庁の県令室(知事室)で執務机の席に座っている姿を描いたものである。作者は、三島の姿を描いた絵を当の旧県庁舎(三島時代の県庁舎は明治末に焼失。現在の建物は大正期に再建された建物を昭和~平成期に大規模修復し「文翔館」と新たに命名したもの)に掲示することが、ある種の批評的行為(もしくは批評的表現)になるのだと考えているフシがある。しかし、この程度の仕業で「批評」が成立すると考えているのなら、それは作者固有の希望的観測に過ぎない。
 この作品においても「批評」を表現するつもりなら、せめて作品「岡本太郎と誕生日会」(2015)で「岡本太郎」と同席させたように、三島の前にもジャージ姿の久松(の分身)を登場させてほしかった。
 久松は、これからも、その独特で奇妙な「批評」の可能性を開拓していくことだろう。その作品に注目していきたい。

 なお、上記の久松の展示について、東北芸術工科大学大学院後期博士課程の院生である田中望が「小論『地域アートは場所を批判しうるか?』」という文章(筆者は田中の作品の展示室に置かれていた論文のコピーでそれを読んだ)で、「文翔館(旧県庁舎)」という「場所」を「イデオロギーの表象」及び「県庁という山形の近代史の象徴」と捉え、そこに久松の「三島通庸と語る」を展示するという行為を「批判的芸術として注目すべき作品」だったと評価している。
 展示された作品の前に久松という作者が常駐して、「これは三島による山形近代化への批判の作品です」と訪れる観客に言い続けるパフォーマンス付きならそうとも言えるかもしれないが、たんなる作品の展示だけでは批判にはならない。田中や久松は、文翔館でもっとも豪華な「正庁」と呼ばれる部屋に、高橋由一の作になる三島時代の県庁舎と周囲の建物を描いた絵画が掛けられているのを知っているはずだ。この部屋を訪れた人はだれ一人、その絵を「批判的芸術作品」とは看做さないだろう。久松による三島の肖像画も、ただ展示されただけなら観客にとってはこれと大して違いがない。作者の想いや表現意識が観客に伝わるのは、言葉による意味づけがあってのことである。言葉による意味づけや解説がなくても「批判」たりうるためには、作品自体にもうひとつ策略がなければならないのである。


 では、次に、洋画コース・大学院修士課程修了生の作品で印象に残ったものについて。





 鉾建真貴子「漂う物語」

 作者のコメントから。
 「異質な変化を反映して『何者か』が蠢いている。原発事故後の事象を纏いながら組合わさり、異形なモノとなって絵の中で災害の記録を伝承する。そこに佇む様々な登場人物を孕んで物語は蓄積し、更新されていく。/私達はフクシマ、という言葉がグローバルな土台に引き挙げられた時から見えないものとも対峙しなくてはならなくなった。メディアによって変質する福島像に出会う時、自分の言葉で語れるようになりたい。」
 劇画的な人物(女子高生)と劇画的な風景の断片とエヴァ的な文節のコラージュとが、絶妙に構成されている。
 女子高生が仰向けに横たわっている姿が、ある意味では“ゆるい”感じを醸し出していて、この蓄積された「物語」が<日常>として身近にあることを表象し、同時に女子高生の身体がその「何者か」に浸食されるイメージが、つまり女子高生がその「何者か」=「物語」に身体を開いてしまうかのようなイメージが表象されている。幽かに春を売らされるかのように見えて危うい、この居心地の悪さが描けるのは、作者が「フクシマ」の出身者だからだろう。
 たぶん、ここで劇画的な、つまり借り物的な画風が採用されているのは、「フクシマ、という言葉がグローバルな土台に引き挙げられた」事情を反映している。この劇画調こそが「グローバル」なものだからだ。
 ところで、余談だが、東京電力が「福島原発」を「福島」原発と名付けていることに、東北の人間はもっと怒って良い。同じ東京電力は、新潟県にある自社の原発を何と呼んでいるか。「新潟原発」ではなく「柏崎原発」である。「福島」だけが“十把一絡げ”なのだ。ここには「江戸=東京」からみた“白河以北一山百文”と同根の視線がある。東北電力は宮城県にある自社の原発を「宮城原発」とは決して名付けないだろう。
 だから、「フクシマ」は、その呼称を口にした瞬間、つねに/すでに「メディアによって変質する福島像」であることを宿命づけられていた。その状況のなかで「自分の言葉で語る」ことは容易ではないだろう。ただ、作者には、<作品>という、言葉ではない「言葉」がある。その「言葉」に耳を傾けたい。




 
 高野加菜「NETDEADSUNRISE」

 ここでも、南相馬市の出身の作者のコメントに耳を傾けよう。
 「震災によって噴出した放射能と過剰な善意/悪意によって、日本中の現実/仮想空間全てが塗り変わり、私の身の回りの物事も一変してしまった。全てを再構築していく為に、人間の抑圧された様々な感情を受け止め、鮮烈に、眩く改変され続けるキャラクターたちを用いて、私は絵を描いている。」
 前述の鉾建真貴子「漂う物語」が劇画調なのに対して、高野加菜のこの作品はマンガチックである。高野もまた、それが「グローバル」なものであるがゆえに、「改変され続けるキャラクターたち」をマンガ的な“壊れ”として描くことを選び取ったのかもしれない。
 鉾建真貴子のコメントが記載されたパネルにはただ「福島出身」としか表記されていなかったから、鉾建の出身が「福島」のどこかは不明だ。しかし、高野加菜は福島第一原発に近い「南相馬市」である。たぶん、高野のこの作品は、鉾建の作品よりも福島原発に近い距離で描かれている。
 つまり、「噴出した放射能と過剰な善意/悪意によって、日本中の現実/仮想空間全てが塗り変わ」ったという体験は、高野加菜の方がより強烈で直接的だったのではないかと思われる。
 鉾建は「自分の言葉」を探しているが、高野は「絵を描いている」としか言えない。高野の作品には“言葉探し”とは少し次元の異なる切羽詰まったもの、その激しい渦巻きを感じる。
 これも余談になるが、今年の修士課程修了生たちは留年していなければ2011年の春にこの大学に入学した者たちである。 「3.11」から間もない混乱期にこの大学で歩みを始め、この山形で暮らしを始めた。その道のりが平たんなものでも晴れやかなものでもなかったことは、よく伝わってくる。
 きっと“山形”は彼女たちを包む土地であり、しかしながら同時に、癒すことをしない土地だったのだ。壊れもせず、癒されもしていないところに、これらの作品が屹立している。








柏倉風馬「棒になった人々」「眼球」

 「棒になった人々」(1,300×4,800㎜)は、足の骨のような、あるいは包装紙を捩じって形作った人形のようなものが描かれている。これが人体の比喩であることは容易に想像がつく。問題は、もう少しだけ抽象度が高い、大きな岩石か、あるいは女の股間のようなものにみえる「眼球」(410×242㎜)という作品の方だ。
 筆者は「眼球」のような抽象画に魅かれるところがあって、この作者のこの種の作品(抽象度がこの程度のもの)をもっと見たいと思った。一観客の勝手な口ぶりだが、「棒になった人々」では抽象度が中途半端である。「眼球」は、だが眼球には見えず、それでいて人体のとても静謐でかつは一筋縄ではいかない存在感を伝えてくる。








町田太一「いい暮らし」(ミクストメディア)

 展示室の中に蒲団が干されていて、そこには子どもが描いたような、男性器がフューチャーされた人物の絵が描かれている。父親と息子らしき人物は逆さになって放尿しており、黄色い尿のようなものが頭から下に垂れている。夜尿症で濡らした布団のシミが、当の夜尿症の放出シーンになっている。“自己言及的な夜尿症”とでも言うべきものか。
 一方、展示室の床には、工作用の蝋で作られた人体のような形の池(?)のオブジェが置かれている。池の縁に腰掛けている青い帽子をかぶった釣り人らしき人形がつまみあげられ、また、こちらでも男性器が強調されている。
 作者は「暮らしの中で感じる触覚的な違和感」を表現しているという。
 フロイトの小児性欲の発達段階では、男性器に拘るのは「男根期(エディプス期)」ということになるのだろうが、この作品の作風は、男根期もしくはもっと以前の段階の生温かい濡れの「触覚」を感じさせ、床の中で尿を漏らしてしまったときの感触、そのどこか“親和的な異和”とでも呼ぶべきものを連れてくる。 (続く)                                                                                                                                                                                                         















  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 09:26Comments(0)美術展

2016年04月11日

高啓詩集についての論評


 お待たせしました。だいぶ間が空いてしまいましたが、更新します。

 新詩集『午後の航行、その後の。』(書肆山田2015年12月)について、論評をいただきました。

 瀬崎祐さんが、ブログ「瀬崎祐の本棚」で以下のようにコメントしています。

 作品「それからの夜」について、
 <話者にはそれこそ夜の暗さ、寒さを必死に耐えているような切実さがあるのだが、それをこれだけの強い作品として差し出してくるところに感嘆する。>
 
 作品「雪坂下の女」について。
 <この作品を読んでいて、ふっとつげ義春の漫画を思い浮かべた。そこにあるのは無頼のような男像なのだが、内実は非常に繊細で傷つきやすい。男としての拠り所、妄執、諦観、強さ、そんなものがない交ぜになって読む者に迫ってくる。>

 瀬崎さんには、前の詩集『女のいない七月』についても、つよく評価するコメントをいただきました。いかにも言語感覚を研ぎ澄ましたかのように振る舞う隠喩による作品が価値あるものとみなされがちな詩壇において、高啓の作品などを評価してくれる詩人は少ないので有難く思っています。(たとえば、「季刊・詩的現代」16号の詩集・詩書時評の石川敬大さんには酷評されています。)
 “つげ義春の漫画を思い浮かべた”というところに、はっとさせられました。
 じぶんとしては意識していませんでしたが、「春宵論」と合わせて<雪坂下の女>の出てくる世界のイメージは、たしかにつげ義春的なものに近いところがあります。
 ところで、じぶんはつげ義春の熱心な読み手ではありませんでしたが、たしかかれの漫画には、野卑でえげつないほどの性欲を率直に描いた話が少なくなかったように記憶しています。いつかあんな詩を書けたらいいなとも思いました。




対論Ⅱ





 詩誌「びーぐる」に連載されている細見和之さんと山田兼士さんの対論による詩集評「この詩集を読め」が『対論Ⅱ この詩集を読め2012~2015』(澪標 2016年2月)という単行本にまとめられ刊行されました。
 「びーぐる」で取り上げられた時系列で掲載されているので、高啓詩集『女のいない七月』を扱った回(対論の第15回)が、たまたまですがこの単行本の冒頭に掲載されています。
 「びーぐる」に掲載されたときにも述べましたが、高啓の詩集を、直接この回の対論の対象とする第4詩集『女のいない七月』のみならず、第2詩集『母を消す日』、第3詩集『ザック・デ・ラ・ロッチャは何処へいった?』をも含めて、ほんとうに丁寧に読み込んでいただいています。
 このブログの読者にはぜひ手に取ってご覧いただきたいと思います。



 高啓詩集『午後の航行、その後の。』(書肆山田)は、山形県内では八文字屋書店に置いていただいています。仙台では駅前の「アエル」内の丸善にありました。
 なお、山形市の戸田書店さんには、第2詩集『母を消す日』、第3詩集『ザック・デ・ラ・ロッチャは何処へいった?』、第4詩集『女のいない七月』、第5詩集『午後の航行、その後の。』をすべて置いていただいております。(深謝)
 また、山形県立図書館にも所蔵されています。県立図書館の蔵書は、県内の各市町村図書館を通じて取り寄せること(「相互貸借」と言います)ができますので、ご利用ください。

 2016年4月16日(土)、山形市の山形グランドホテルにおいて山形県詩人会の年次総会が開催されます。この席で表彰される山形県詩人会賞には、伊藤志郎氏(酒田市)の詩集『あなたに』(メディア・パブリッシング刊)が選ばれました。                                                                                                                                                                                                          



  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 11:24Comments(0)作品情報

2015年12月27日

高啓詩集『午後の航行、その後の。』





 2015年12月25日付で、新詩集を上梓しました。

 高啓詩集『午後の航行、その後の。』

 発行・書肆山田  装画・宮﨑恵子
 装幀・亞令  A5変80ページ 
 定価2592円(税込)
 ISBN978-4-87995-931-7 Cl092


帯のコピーは以下のとおり


 「 流れにつかり、小舟を推す。
   片腕に
   悪い心を詰め込んだ袋をぶら下げ
   むずかる幼い者を抱きながら。
   ──きみは生きたいように生きることができるか。
 」


  【目次】
       午後の航行
       初孫論
       アトムの子
       駈込み諦め
       パックスタンドの憂鬱
       それからの夜
       再生論
       雪坂下の女
       来るべきものの影とその看過について
       春宵論
       次孫論
       午後の航行、その後の。
       葬送論
       抱擁論



  【著者による近刊予告文】
  「おれ」は左遷され、二男に子ができる。それを知るとメトロポリスの女は去っていき、末期がんの蒔絵師は死ぬ。雪坂下の女に通いつつも、故郷の女に手を出して拒絶され、それを口実に「おれ」は 今度こそ故郷を捨てる・・・。



 12月26日現在、山形県内では八文字屋書店で購入できます。
 まもなく全国の有名書店、ネットショップで購入できるようになると思います。
 著者から直接お求めいただける方は、本ブログの右側にある「オーナーへのメッセージ」から注文してください。(送料無料でお送りします。)

                                                                                                               



  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 11:15Comments(0)作品情報

2015年11月28日

モンテディオ山形2015年シーズンを振り返って





 「詩と批評」で毎年恒例(?)となったモンテの今シーズン総括を掲載しておく。

 2015年は、個人的な都合で観戦の回数が減ってしまったが、それでも味の素スタジアムのアウェイ戦に出かけたし、ホーム・ゲームにも何回か足を運んだ。
 とは言うものの、モンテについて、今シーズンはここまで、このブログのみならず他の場所でもまったく言及してこなかった。なかなか書く気にならなかった理由はあとで述べることとして、まずは最近の動きから見ていく。


 2015年11月27日付「山形新聞」は、26日に開催された株式会社モンテディオ山形の株主総会で、社長の高橋節氏(65歳)の辞任勧告決議が議決され、同氏が辞任したことを伝えている。それによると、株式の49%を保有する山形県スポーツ振興21世紀財団の細谷知行理事長(山形県副知事)は、総会後の記者会見で、解任理由として「J2降格の責任」を上げたとされる。
 同紙のほか、同日付の朝日新聞山形面と読売新聞山形面の記事の内容を併せて整理すると、次のようなことが見て取れる。
 なお、各紙とも、辞任勧告を決議した株主に、同財団のほか、山形県(2%保有)と株式会社アビームコンサルティング(49%保有)も含まれるのかどうかは伝えていない。おそらく全株主が賛同したと思われるが、マスコミはアビーム社の関係者にしつこく迫り、もっと突っ込んだ取材をすべきである。

 ① 株主側が挙げた解任の理由は、J2降格の結果責任のほか、「黒字なのに有効な補強をしなかったこと」や「観客動員数が低迷したこと」とされていること。
 ② 11月上旬に、細谷氏が高橋氏に辞任の打診をしていたこと。これに対して高橋氏は、「降格は決まったが、サポーターとチームが一体になり、“来季こそは”と考えていた時期での話。“え、なんで?”というのが率直な気持ち」だったこと。(つまり、辞任の打診にそれを了承する旨の回答をしなかったこと。)
 ③ 後任には今年3月まで県の部長を務め、4月から山形県産業技術振興機構専務理事を務めている森谷俊雄氏(61歳)が就任する予定であること。(つまり県幹部経験者の天下りとすること。)
 ④ 記者の「政治介入ではないか」という質問に、高橋氏が「難しい」と言葉を濁したこと。(つまり、それを半ば肯定したこと。)

 また、山新と読売が掲載したサポーターらのコメントの内容を整理すると、以下のようなものになる。ここに、この問題の大体の論点が出されていると見ることができる。

 ⑤ 県がモンテの社長職を県幹部の「天下りポスト」と考えているなら、プロとして強くなることはできない。
 ⑥ これまでクラブ経営の経験を積んできた人物を下し、県OBを新社長にするなら、蓄積したものをゼロにするだけ。社長を換えるなら、クラブ経営や会社経営に携わってきた人物を当てるべき。
 ⑦ 高橋氏は株式会社化や黒字化に手腕を発揮したと思うので、退任には驚いている。
 ⑧ 高橋氏は新スタジアム構想を考えていた。これから新スタジアム構想はどうなるか不安だ。
 ⑨ J1から降格すると社長を退任させられるということになれば、社長はそもそもJ1に昇格しようと思わなくなるだろう。


 さて、ここからは独断と偏見による私の見方を述べる。

 まず、社長職が県幹部経験者の定年退職後の天下りポストである点について。

 最初に銘記しておくべきことは、このクラブのトップは、一時期(鹿島アントラーズから海保宣生氏を財団理事長に迎えた2006年3月~2010年5月)を除いて、長らく県職員または県職員OBだったということである。  
 今回解任された高橋節氏は副知事OBで2009年2月に現知事・吉村美恵子氏の一期目の副知事に抜擢されたが、その前は県の部長級経験者として県関係機関に天下っていた人物である。ド素人知事を支えた手腕は内外で評価されたが、二期目となった2013年に副知事を解任される。(正確には再任されなかったと言うべきだが、任期の後半は知事に報告しないまま物事への対応を決めて部下に指示するなど、力を発揮しすぎて知事に敬遠された感がある。なお、このときの解任も周囲からは驚きをもって受け止められた。)
 したがって、今回の解任劇の大枠は、身も蓋もない言い方で言えば、「県職員OBが、県職員OBであることによって就任できたポストに、県トップの意向に逆らって執着し、それによって県トップ(及び後輩たち)の怒りを買って引きずり下ろされた」ということである。
 言いかえれば、降格の責任を取らせたというのは口実であって、そろそろやめてくれと県トップが考えたのと今回の降格時期が合致しただけだと考えた方がいい。今季J1残留が成っていたとしても、「株式会社の基盤は築かれた。さあ、次世代にバトンを。」というような理屈で辞任を求められたかもしれない。

 もちろん、今回の件にはこの大枠からはみ出している部分もある。
 モンテの株式会社化は、高橋節副知事(副知事退任後は高橋節財団理事長)の手で進められたこと、そしてその社長に自らが財団理事長から横滑りしたことである。
 2011年、前理事長の川越進氏(この人も県職員OB)が成績低迷の批判を受けて任期途中で辞任に追い込まれた際、副知事だった高橋氏は空席となった理事長職を代行したのだが、副知事退任後もそのまま続け、株式会社化後は自ら社長に就任した。
 これは悪く言えば「お手盛り人事」ということになるが、それゆえに高橋氏には通常の県幹部OBの“人事異動”によって、自分が苦労して作り上げた会社のトップのポストが、簡単に後輩に取って代わられることが受け入れ難かったのだろう。
 株式会社になったのだから、あるいは社長というプレジデント(!)のポストなのだから、従来の“県OBの人事異動”の対象には含まれないと考えていたのかもしれないし、副知事だった自分のポストが、副知事経験者ならともかく部長級止まりの後輩(かつての部下)に引き継がれるものになることを想定していなかったのかもしれない。
 また、株式会社モンテディオ山形を県総合運動公園及び西蔵王・弓張平等の都市公園の指定管理者にして(従前の指定管理者から仕事を取り上げて)、その管理受託で経営基盤を安定化させるという戦略も、おそらく高橋氏の行政手腕によって実現したことだろう。県職員時代からの「堅実」な運営手法によって、クラブを黒字化した業績は評価されなければならない、評価されるはずだ…と考えてもいただろう。
 以上のことは、上記の「サポーターの声」とされる⑤から⑦までの内容に対応している。
 これらの論点について私見を述べると、まず、⑤のモンテのトップが「県職員OBの天下り」であることは、サポーターや県民の心情としては反感を抱くところだろうが、県が主体的に創ったクラブとして発足し、かつは県や市町村の財政的支援がなければ運営できないクラブであるモンテの現状を鑑みると、マイナス面だけとはいえない。
 かつてこのブログに記したことがあるが、県財政当局には常にこの種の支援費を削減しようとする力学が働いている。そんななかで県の幹部職員OBをトップに据えるということは、そのポストがまさに県の「人事異動」の範疇にあることを意味し、つまりは県知事がクラブへの財政支援から手を引かないという約束手形を切ったというような意味をもっている。この場合、「政治介入」は「政治責任」と裏腹である。
 モンテの支持者たちは、「政治介入したのだからモンテの経営充実に責任をとれ!」と知事や副知事に迫れることになったのだと考えればいい。

 さて、だが、もちろん、⑤や⑥のコメントのとおり、この「人事異動」の繰り返しではプロのチームとして強くなれないという指摘はそのとおりである。
 では、どうしたらいいのか。
 答えは単純である。社長以外に経営手腕をもったスタッフを揃え、経験を積ませて育成することである。サポーターら支持者たる県民はそれらのスタッフを支援し、彼らがアグレッシヴに活動できるように経営陣を監視するのである。
 他のJ1クラブ(つまり民間企業のクラブ)でも、クラブ経営と縁遠い親会社の職場からスタッフが派遣されている。たとえば、NTTの地方支店(山形支店だったかな?)にいた職員が大宮アルディージャの役職に「人事異動」したと聞いたことがある。こういう人物が大宮の今季J2優勝=J1復帰にどれだけ貢献しているのかわからないが、意欲と能力のある人間にそれなりに経験を積ませることで「県OBの人事異動」で任命される社長に足りないものの穴埋めは可能だと思う。モンテには中井川専務のような人物もいるのだから。(中井川氏はNEC山形というメーカーの総務課職員だった人である。)

 次に高橋氏の手がけた「株式会社化」「黒字化」「新スタジアム構想」について。

 「株式会社化」については、私としてはこれまでも賛成できない旨を述べてきたが、すでに反対しても遅いので、株式会社を前提として考える。
 株式会社アビームコンサルティングのHPを見ると、同社は、モンテディオ山形のJ1残留には少なくても20億円の経営規模が必要と見込み、そのため県都市公園の指定管理者となって経営基盤を確立することを提案したとある。また、モンテの株主となり、経営のコンサルティングをすることで、この実績をPRしつつ、同社の公共部門受注の拡大につなげたい意向が垣間見える。(民間企業としては当然だが。)
 指定管理者を受注することは一見いいアイデアに見える。しかし、申し訳ないがこんなことなら私でも思いつく。しかも、もし今後、指定管理者の選定が公正に行われるなら、必ずしも株式会社モンテディオ山形が将来にわたって指定をゲットできるという保証はない。ここが指定管理者制度の危うい点だ。「指定管理者」たることを「基盤」にしてしまえば、それを失った時、クラブ経営は「基盤」から崩れ落ちることになる。
 また、同HPでは「管理会計が軌道に乗ったことで、ほぼリアルタイムで経営状況を数値化でき、経営陣が状況を把握できるようになりました。これにより、社長からフロントのみならずチームも含め全社的に経営状況のメッセージを発信できるようになり、組織全体で経営への意識が高まって、集客が落ち込んでいるときには、監督、選手、フロントの社員一人ひとりが一体となって集客改善に向けた取組みを実施できました。」との記載がある。しかし、申し訳ないが(つまり私が知らないだけなのかもしれないが)、「集客改善に向けた取組み」というこの肝心の部分こそが見えなかった。
 ア社には、49%の株式を所有してほかに何をしたのかと問いたい。レプリカユニフォーム用の三桁の背番号を売りつけることのほかに、どんな有効な企画(つまりコンサルタント会社でなければ想いもよらない企画)を実施したのか、私は寡聞にして知らない。私などが同社にもっとも期待することは、スポンサーの数を増やす取組である。
 ついでに、指定管理者としての公園の管理について疑問を呈しておく。総合運動公園のスタジアム周辺の舗装(タイルなど)には破損個所が目立ち、危険でもある。同公園内のアスレチック遊具も、理由や期間が不明(記載なし)のままロープを掛けられて使用禁止になっている。こういう地道な部分にちゃんと注意を払ってきたのか、と。

 「黒字化」については、観客動員数・入場料収入、スポンサーや広告収入の状況、支出状況などを見ないとなんとも言えないが、「収入を超えた支出をしなかった」という点では、県職員OBたる高橋節氏の手腕が効いていると思う。
 「黒字なのに有効な選手補強をしなかった」というのは、モンテの現状(とりわけ2016年以降の見込み)を考えれば無責任な批判である。
 ただし、モンテの会計から指定管理者としての業務に係る収入と支出を除いた場合、すなわち純粋にプロサッカークラブとしての経営に係る部分だけを見た場合にどうなのか、それはしっかり検証しなければならない。この検証ができる人間(社外取締役でもマスコミの記者でもスポーツライターでもサポーターでもいい)がいないのが、山形の不幸である。
 高橋氏自身もなにかのインタビューで、黒字化は指定管理受託のおかげだというような趣旨のことを語っていたと思う。指定管理で経営基盤を創り、本業では「さぁ、これからだ」と思っていたときに辞めろと言われて、はいそうですかとはならなかった気持ちもわかるような気はする。
とはいうものの、あの奇跡的なプレイオフ勝ち抜けと天皇杯準優勝という最高に盛り上がった時期から再びJ1に昇格して有名チームをホームに迎えた時期を過ぎ越して、収入を上げ経営基盤を固めるのは「これからだ」というのは奇異な響きを持って伝わってくる。感覚がずれているのだ。
 たとえば9月26日(土)の仙台戦の入り具合には愕然とした。地上波テレビの生中継があったとはいえ、ダービーであんなに空席があるのはどうしたことか。サポーターも営業サイドも猛省すべきであろう。(かく言う私もテレビ観戦だったのだが・・・(-_-;) )

 最後に「新スタジアム構想」について。
 これについては、このブログで先にも懸念を述べておいた。つまり、高橋社長が新スタジアムの建設に前向きな発言をすると県幹部との溝が深まる可能性があるという趣旨のことである。今回の解任劇にはこのことがある程度影響したのではないかと思われる。
 サポーターや地域(とくに山形市中心街など)からの突き上げ並びにJリーグの条件(一定割合の客席に屋根をかける必要があること)に迫られ、前向きに考えていくようなことを言わざるを得なかったという事情はあるだろう。しかし、知事や副知事にしてみれば、その物言いは、県に創ってもらう立場の人間のそれではなく、まるで自身が県幹部であるかのような口ぶりに見えたのではないだろうか。賢明で老獪な高橋氏も、権力側の立場から「下野」した自分を受け入れ、完全にはアタマを切り替えることができなかったと見える。
 いま、山形県は、山形駅西口の文化施設(新県民会館)の建設で手いっぱいで、当面、他の箱モノを建設する余裕などないはずである。
 山形市長選で、新スタジアム建設に慎重な候補が当選したという事情もあり、今回のことで新スタジアム建設は停滞すると考えなければならない。

 長くなってしまったので、2015シーズンの観戦記については稿を改める。
                                                                                                                                                      


  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 18:23Comments(5)サッカー&モンテディオ山形

2015年11月26日

「木村迪夫の詩を語るつどい」報告




 山形県詩人会は、山形県立図書館との共催で、2015年10月11日、山形市緑町の遊学館・第一研修室において『木村迪夫の詩を語るつどい』を開催した。
 これは、「山形国際ドキュメンタリー映画祭2015」において原村政樹監督の長編ドキュメンタリー映画「無音の叫び声~農民詩人・木村迪夫の牧野村物語~」が上映されるのに連動して企画されたもの。(参加者は40名余りだった。)
 
 はじめに木村迪夫が自作詩「村への道」と「まぎの村へ帰ろう」を朗読し、これに続いて議論に入った。(以下、敬称略。)
 議論の呼び水となるよう、「話題提供」として、まずは詩人・近江正人から「木村迪夫の詩の魅力について」と題した20分程度の報告、続いて詩人・高橋英司から「現代詩史における木村迪夫の位相について」と題した25分程度の報告を受けた。
 近江は、木村の作品世界の特徴を〝身体性を持つ具体的な詩表現〟とし、方言の会話体の直接使用、農の実経験を通過した重くリアルな身体性の言語と生活描写、七五調の独特のリズム、ドキュメンタリー性などに注目する。
 そして、その魅力と可能性を「詩による視覚的・演劇的(映画的)な空間の創生」と「はにかみと農的・生命的なエロスからの希望の再生」に見るとした。
 一方、高橋は、詩人・木村迪夫が「農民詩人」という冠付きで語られることについて、蔑みやその逆の「特権的なラベル」付けがなされていると異議を申し立てつつ、その思想性を生活現実に即した「身体性」、すなわちリアルな言葉・具体的なイメージという観点から語った。
 また、吉野弘の詩「夕焼け」を引き合いに出しながら、吉野の詩には嘘や倫理的に疑問を感じる部分があるが、木村の詩には「嘘がない、飾りがない、率直だ」、「生活信条や箴言、人生訓めいた言葉もない」と述べ、その詩業は現代詩史に脈々と流れる「地下水」のようであると述べた。

 引き続いて、高啓が進行役となって、木村、近江、高橋によるパネルディスカッションが行われた。
 初めに、高が「『農民詩人』と呼ばれることをどう思うか?」と木村に質問。
 木村は、「『農民詩人』と呼ばれるのはいやだ。」と、きっぱり言い切った。

 近江が、木村詩の演劇性・映画性を重視して詩集『いろはにほへとちりぬるを』(2002年・67歳で上梓、現代詩人賞受賞)をその到達点としたのに対して、高橋はリアリズムを評価する観点から詩集『まぎれ野の』(1990年・55歳で上梓。晩翠賞、野の文化賞受賞)を最も評価するとした。
 高はこれを引き取って、『まぎれ野の』には、木村の詩の殆どの要素(リアリズム、身体性、農とムラへのこだわり、反戦意識、演劇性・映画性など)が揃い、しかもそれらが一定水準の表現で各作品に定着されている。そういう意味ではこれが達成点であり、そのなかの演劇性・映画性をとことん突き詰めたという意味では『いろはにほへとちりぬるを』が到達点になるだろう、などとまとめた。
 木村は、「真壁仁を第二の父、黒田喜夫を兄と呼んでいるが、どんな影響を受けたか?」との質問に「励ましを受けた」とだけ答え、詩法への影響については語らなかった。
 高は、真壁仁の処女詩集「街の百姓」を取り上げ、これが一見百姓を描いているようでいて、実は西洋かぶれのモダニズム作品で構成されていることを紹介し、真壁は「農民詩人」と呼ばれるような存在ではないこと、そして木村は詩法上は真壁の影響を受けていないと思われることを暗示した。

 また、木村は、戦争体験についての質問に、「戦争で父や叔父を失った体験は自分の血肉となっている。反戦は自分の根本にあるものだ」と応えた。
 高は、それがなぜ「自分の根本にあるもの」なのか、高自身の見方を木村に提示して問いかけたかったのだが、時間が限られているなかで議論が拡散するのを危惧して諦めた。
 そして、最後に「TPP合意によって、ますます農村は疲弊していくだろう。木村さんはこれからどうしていくのか?」と問うた。
 これに対して木村は、「ムラは滅んでいくだろう。自分はその滅びの過程を生きながら、死ぬまで〝滅びの美学〟を詩に綴っていきたい。」と語った。

 その後、会場から詩人会会員の阿蘇豊の質問と原村監督の発言があり、あっという間に濃密な時間が過ぎた。
 なお、原村監督の著作『無音の叫び声~農民詩人・木村迪夫は語る』(農文協)には、彼の木村迪夫の詩の世界に対する視点や評価が詳しく記されている。これは、映画の本ではなく、原村政樹の「詩人・木村迪夫論」というべき内容である。(了)                                                                                                                               
  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 01:00Comments(0)山形県詩人会関係