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2015年11月28日

モンテディオ山形2015年シーズンを振り返って





 「詩と批評」で毎年恒例(?)となったモンテの今シーズン総括を掲載しておく。

 2015年は、個人的な都合で観戦の回数が減ってしまったが、それでも味の素スタジアムのアウェイ戦に出かけたし、ホーム・ゲームにも何回か足を運んだ。
 とは言うものの、モンテについて、今シーズンはここまで、このブログのみならず他の場所でもまったく言及してこなかった。なかなか書く気にならなかった理由はあとで述べることとして、まずは最近の動きから見ていく。


 2015年11月27日付「山形新聞」は、26日に開催された株式会社モンテディオ山形の株主総会で、社長の高橋節氏(65歳)の辞任勧告決議が議決され、同氏が辞任したことを伝えている。それによると、株式の49%を保有する山形県スポーツ振興21世紀財団の細谷知行理事長(山形県副知事)は、総会後の記者会見で、解任理由として「J2降格の責任」を上げたとされる。
 同紙のほか、同日付の朝日新聞山形面と読売新聞山形面の記事の内容を併せて整理すると、次のようなことが見て取れる。
 なお、各紙とも、辞任勧告を決議した株主に、同財団のほか、山形県(2%保有)と株式会社アビームコンサルティング(49%保有)も含まれるのかどうかは伝えていない。おそらく全株主が賛同したと思われるが、マスコミはアビーム社の関係者にしつこく迫り、もっと突っ込んだ取材をすべきである。

 ① 株主側が挙げた解任の理由は、J2降格の結果責任のほか、「黒字なのに有効な補強をしなかったこと」や「観客動員数が低迷したこと」とされていること。
 ② 11月上旬に、細谷氏が高橋氏に辞任の打診をしていたこと。これに対して高橋氏は、「降格は決まったが、サポーターとチームが一体になり、“来季こそは”と考えていた時期での話。“え、なんで?”というのが率直な気持ち」だったこと。(つまり、辞任の打診にそれを了承する旨の回答をしなかったこと。)
 ③ 後任には今年3月まで県の部長を務め、4月から山形県産業技術振興機構専務理事を務めている森谷俊雄氏(61歳)が就任する予定であること。(つまり県幹部経験者の天下りとすること。)
 ④ 記者の「政治介入ではないか」という質問に、高橋氏が「難しい」と言葉を濁したこと。(つまり、それを半ば肯定したこと。)

 また、山新と読売が掲載したサポーターらのコメントの内容を整理すると、以下のようなものになる。ここに、この問題の大体の論点が出されていると見ることができる。

 ⑤ 県がモンテの社長職を県幹部の「天下りポスト」と考えているなら、プロとして強くなることはできない。
 ⑥ これまでクラブ経営の経験を積んできた人物を下し、県OBを新社長にするなら、蓄積したものをゼロにするだけ。社長を換えるなら、クラブ経営や会社経営に携わってきた人物を当てるべき。
 ⑦ 高橋氏は株式会社化や黒字化に手腕を発揮したと思うので、退任には驚いている。
 ⑧ 高橋氏は新スタジアム構想を考えていた。これから新スタジアム構想はどうなるか不安だ。
 ⑨ J1から降格すると社長を退任させられるということになれば、社長はそもそもJ1に昇格しようと思わなくなるだろう。


 さて、ここからは独断と偏見による私の見方を述べる。

 まず、社長職が県幹部経験者の定年退職後の天下りポストである点について。

 最初に銘記しておくべきことは、このクラブのトップは、一時期(鹿島アントラーズから海保宣生氏を財団理事長に迎えた2006年3月~2010年5月)を除いて、長らく県職員または県職員OBだったということである。  
 今回解任された高橋節氏は副知事OBで2009年2月に現知事・吉村美恵子氏の一期目の副知事に抜擢されたが、その前は県の部長級経験者として県関係機関に天下っていた人物である。ド素人知事を支えた手腕は内外で評価されたが、二期目となった2013年に副知事を解任される。(正確には再任されなかったと言うべきだが、任期の後半は知事に報告しないまま物事への対応を決めて部下に指示するなど、力を発揮しすぎて知事に敬遠された感がある。なお、このときの解任も周囲からは驚きをもって受け止められた。)
 したがって、今回の解任劇の大枠は、身も蓋もない言い方で言えば、「県職員OBが、県職員OBであることによって就任できたポストに、県トップの意向に逆らって執着し、それによって県トップ(及び後輩たち)の怒りを買って引きずり下ろされた」ということである。
 言いかえれば、降格の責任を取らせたというのは口実であって、そろそろやめてくれと県トップが考えたのと今回の降格時期が合致しただけだと考えた方がいい。今季J1残留が成っていたとしても、「株式会社の基盤は築かれた。さあ、次世代にバトンを。」というような理屈で辞任を求められたかもしれない。

 もちろん、今回の件にはこの大枠からはみ出している部分もある。
 モンテの株式会社化は、高橋節副知事(副知事退任後は高橋節財団理事長)の手で進められたこと、そしてその社長に自らが財団理事長から横滑りしたことである。
 2011年、前理事長の川越進氏(この人も県職員OB)が成績低迷の批判を受けて任期途中で辞任に追い込まれた際、副知事だった高橋氏は空席となった理事長職を代行したのだが、副知事退任後もそのまま続け、株式会社化後は自ら社長に就任した。
 これは悪く言えば「お手盛り人事」ということになるが、それゆえに高橋氏には通常の県幹部OBの“人事異動”によって、自分が苦労して作り上げた会社のトップのポストが、簡単に後輩に取って代わられることが受け入れ難かったのだろう。
 株式会社になったのだから、あるいは社長というプレジデント(!)のポストなのだから、従来の“県OBの人事異動”の対象には含まれないと考えていたのかもしれないし、副知事だった自分のポストが、副知事経験者ならともかく部長級止まりの後輩(かつての部下)に引き継がれるものになることを想定していなかったのかもしれない。
 また、株式会社モンテディオ山形を県総合運動公園及び西蔵王・弓張平等の都市公園の指定管理者にして(従前の指定管理者から仕事を取り上げて)、その管理受託で経営基盤を安定化させるという戦略も、おそらく高橋氏の行政手腕によって実現したことだろう。県職員時代からの「堅実」な運営手法によって、クラブを黒字化した業績は評価されなければならない、評価されるはずだ…と考えてもいただろう。
 以上のことは、上記の「サポーターの声」とされる⑤から⑦までの内容に対応している。
 これらの論点について私見を述べると、まず、⑤のモンテのトップが「県職員OBの天下り」であることは、サポーターや県民の心情としては反感を抱くところだろうが、県が主体的に創ったクラブとして発足し、かつは県や市町村の財政的支援がなければ運営できないクラブであるモンテの現状を鑑みると、マイナス面だけとはいえない。
 かつてこのブログに記したことがあるが、県財政当局には常にこの種の支援費を削減しようとする力学が働いている。そんななかで県の幹部職員OBをトップに据えるということは、そのポストがまさに県の「人事異動」の範疇にあることを意味し、つまりは県知事がクラブへの財政支援から手を引かないという約束手形を切ったというような意味をもっている。この場合、「政治介入」は「政治責任」と裏腹である。
 モンテの支持者たちは、「政治介入したのだからモンテの経営充実に責任をとれ!」と知事や副知事に迫れることになったのだと考えればいい。

 さて、だが、もちろん、⑤や⑥のコメントのとおり、この「人事異動」の繰り返しではプロのチームとして強くなれないという指摘はそのとおりである。
 では、どうしたらいいのか。
 答えは単純である。社長以外に経営手腕をもったスタッフを揃え、経験を積ませて育成することである。サポーターら支持者たる県民はそれらのスタッフを支援し、彼らがアグレッシヴに活動できるように経営陣を監視するのである。
 他のJ1クラブ(つまり民間企業のクラブ)でも、クラブ経営と縁遠い親会社の職場からスタッフが派遣されている。たとえば、NTTの地方支店(山形支店だったかな?)にいた職員が大宮アルディージャの役職に「人事異動」したと聞いたことがある。こういう人物が大宮の今季J2優勝=J1復帰にどれだけ貢献しているのかわからないが、意欲と能力のある人間にそれなりに経験を積ませることで「県OBの人事異動」で任命される社長に足りないものの穴埋めは可能だと思う。モンテには中井川専務のような人物もいるのだから。(中井川氏はNEC山形というメーカーの総務課職員だった人である。)

 次に高橋氏の手がけた「株式会社化」「黒字化」「新スタジアム構想」について。

 「株式会社化」については、私としてはこれまでも賛成できない旨を述べてきたが、すでに反対しても遅いので、株式会社を前提として考える。
 株式会社アビームコンサルティングのHPを見ると、同社は、モンテディオ山形のJ1残留には少なくても20億円の経営規模が必要と見込み、そのため県都市公園の指定管理者となって経営基盤を確立することを提案したとある。また、モンテの株主となり、経営のコンサルティングをすることで、この実績をPRしつつ、同社の公共部門受注の拡大につなげたい意向が垣間見える。(民間企業としては当然だが。)
 指定管理者を受注することは一見いいアイデアに見える。しかし、申し訳ないがこんなことなら私でも思いつく。しかも、もし今後、指定管理者の選定が公正に行われるなら、必ずしも株式会社モンテディオ山形が将来にわたって指定をゲットできるという保証はない。ここが指定管理者制度の危うい点だ。「指定管理者」たることを「基盤」にしてしまえば、それを失った時、クラブ経営は「基盤」から崩れ落ちることになる。
 また、同HPでは「管理会計が軌道に乗ったことで、ほぼリアルタイムで経営状況を数値化でき、経営陣が状況を把握できるようになりました。これにより、社長からフロントのみならずチームも含め全社的に経営状況のメッセージを発信できるようになり、組織全体で経営への意識が高まって、集客が落ち込んでいるときには、監督、選手、フロントの社員一人ひとりが一体となって集客改善に向けた取組みを実施できました。」との記載がある。しかし、申し訳ないが(つまり私が知らないだけなのかもしれないが)、「集客改善に向けた取組み」というこの肝心の部分こそが見えなかった。
 ア社には、49%の株式を所有してほかに何をしたのかと問いたい。レプリカユニフォーム用の三桁の背番号を売りつけることのほかに、どんな有効な企画(つまりコンサルタント会社でなければ想いもよらない企画)を実施したのか、私は寡聞にして知らない。私などが同社にもっとも期待することは、スポンサーの数を増やす取組である。
 ついでに、指定管理者としての公園の管理について疑問を呈しておく。総合運動公園のスタジアム周辺の舗装(タイルなど)には破損個所が目立ち、危険でもある。同公園内のアスレチック遊具も、理由や期間が不明(記載なし)のままロープを掛けられて使用禁止になっている。こういう地道な部分にちゃんと注意を払ってきたのか、と。

 「黒字化」については、観客動員数・入場料収入、スポンサーや広告収入の状況、支出状況などを見ないとなんとも言えないが、「収入を超えた支出をしなかった」という点では、県職員OBたる高橋節氏の手腕が効いていると思う。
 「黒字なのに有効な選手補強をしなかった」というのは、モンテの現状(とりわけ2016年以降の見込み)を考えれば無責任な批判である。
 ただし、モンテの会計から指定管理者としての業務に係る収入と支出を除いた場合、すなわち純粋にプロサッカークラブとしての経営に係る部分だけを見た場合にどうなのか、それはしっかり検証しなければならない。この検証ができる人間(社外取締役でもマスコミの記者でもスポーツライターでもサポーターでもいい)がいないのが、山形の不幸である。
 高橋氏自身もなにかのインタビューで、黒字化は指定管理受託のおかげだというような趣旨のことを語っていたと思う。指定管理で経営基盤を創り、本業では「さぁ、これからだ」と思っていたときに辞めろと言われて、はいそうですかとはならなかった気持ちもわかるような気はする。
とはいうものの、あの奇跡的なプレイオフ勝ち抜けと天皇杯準優勝という最高に盛り上がった時期から再びJ1に昇格して有名チームをホームに迎えた時期を過ぎ越して、収入を上げ経営基盤を固めるのは「これからだ」というのは奇異な響きを持って伝わってくる。感覚がずれているのだ。
 たとえば9月26日(土)の仙台戦の入り具合には愕然とした。地上波テレビの生中継があったとはいえ、ダービーであんなに空席があるのはどうしたことか。サポーターも営業サイドも猛省すべきであろう。(かく言う私もテレビ観戦だったのだが・・・(-_-;) )

 最後に「新スタジアム構想」について。
 これについては、このブログで先にも懸念を述べておいた。つまり、高橋社長が新スタジアムの建設に前向きな発言をすると県幹部との溝が深まる可能性があるという趣旨のことである。今回の解任劇にはこのことがある程度影響したのではないかと思われる。
 サポーターや地域(とくに山形市中心街など)からの突き上げ並びにJリーグの条件(一定割合の客席に屋根をかける必要があること)に迫られ、前向きに考えていくようなことを言わざるを得なかったという事情はあるだろう。しかし、知事や副知事にしてみれば、その物言いは、県に創ってもらう立場の人間のそれではなく、まるで自身が県幹部であるかのような口ぶりに見えたのではないだろうか。賢明で老獪な高橋氏も、権力側の立場から「下野」した自分を受け入れ、完全にはアタマを切り替えることができなかったと見える。
 いま、山形県は、山形駅西口の文化施設(新県民会館)の建設で手いっぱいで、当面、他の箱モノを建設する余裕などないはずである。
 山形市長選で、新スタジアム建設に慎重な候補が当選したという事情もあり、今回のことで新スタジアム建設は停滞すると考えなければならない。

 長くなってしまったので、2015シーズンの観戦記については稿を改める。
                                                                                                                                                      


  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 18:23Comments(5)サッカー&モンテディオ山形

2015年01月05日

2014年のモンテディオ山形を振り返る




 2014年のモンテディオ山形を振り返っておきたい。

 2014年シーズン、個人的ないくつかの事情で、前シーズンに比べてスタジアムで観戦する機会は減ったが、それでもホームゲームは6回ほど観戦した。
 とくに、7月の第22節・第23節のホーム2連敗(+第24節のアウェイ1敗)、10月26日の第節の横浜FC戦(2-4で負け)、そして11月23日の最終節の東京V戦(1-2で負け)の印象が強い。
 だから、じぶんにとって、モンテディオ山形2014年シーズンの結果は、「思いがけないJ1昇格」そして「思いがけない天皇杯準優勝」ということになった。・・・すべてはこの“思いがけない”の一言に尽きる。

 もちろん、マスメディアや巷間で語られるように、終盤戦で発揮された粘り強さは石崎信弘監督の指導が徐々に効果を現してきた結果だとみることができるし、後半戦から採用した3バック(すなわち5バック)のシステムとメンバー出し入れの采配が奏功したことは確からしく思われる。
浦和から獲得したGK山岸やガンバから獲得した川西らの働き、ディエゴや松岡の存在感、3バックシステムのキモとなる両SBの山田とキムの進歩などに、補強と指導・采配の成果を見てとることができたし、石川、石井、山崎、宮坂、伊東らの踏ん張りも印象に残った。
 しかし、依然として “点を取られそうな時間帯だな・・・”というときに、しっかり点を取られてしまう守備の乱れやイージーミスが発生するという事態が目立った。
 プレーオフと天皇杯準決勝はさすがに別だったが、リーグ戦ではしばしば、私のような素人の目にもはっきりと分かる程、緊張感が途切れる時間が見られたのである。(もっともこの緊張感が途切れる時間の長さと回数は、昨シーズンまでより減少しているようには思われた。)
 また、ゴール前に攻め込んでシュートまでいくのに、それが得点につながらない。いわゆる“決定力不足”も目立っていた。
 いい流れがきて波状攻撃ができている時間帯に得点(または追加得点)しきれないことで、その後に逆襲されて失点する・・・じぶんが観戦に行ったゲームは、ほとんどがそんな印象だったのである。
 だから、リーグ戦終了時の「J2の6位」というのは実力に見合った位置であるように思われた。
 
 では、なぜ「プレーオフ優勝=J1昇格」と「天皇杯準優勝」が可能になったのか。
 ここをちゃんと押さえておかないと、2015年シーズンに対するヴィスタが開けない。
 11月26日の天皇杯準決勝の千葉戦、11月30日のプレーオフ準決勝の磐田戦、12月7日のプレーオフ決勝の千葉戦、12月13日の天皇杯決勝のG大阪戦と、この4連戦の経緯には、いくつかの幸運が与していた。
 まず、天皇杯準決勝の千葉戦を想い出してみる。
 モンテは「ヤンマースタジアム長居」のゲームで千葉に3-2と、しぶとく勝利した。このゲームが、実はJ1昇格をめぐる天王山だったのである。
 モンテはこの3日前に、「J2の6位」というギリギリの位置でリーグ戦最終節の東京V戦に臨んでいたのだったが、「勝てば自力でプレーオフ出場決定、負ければ他チームの結果次第」という肝心のゲームで敗北を喫する。ところがプレーオフ進出を狙う7位以下のチームも敗れたため、“幸運”にも6位でリーグ戦を終えることができたのだった。
 リーグ戦最終節終了後(シーズン終了後)のセレモニーは、敗戦でのプレーオフ出場決定という事実の前に、スタジアム全体がいまひとつ盛り上がりを欠いていた。
 しかし、今にして思うと、この最終節(第42節)の東京V戦の敗北こそが、モンテに“切り替え”の機会を与え、新規巻き直しを可能にさせたように思われる。
 ここまでモンテはプレーオフ出場権をめぐるリーグ戦終盤の迫り合いで第39節から3連勝していた。プレーオフに優勝して昇格を決め、しかも天皇杯決勝に進出するためには、第39節から数えて、なんと7連勝もしなければならなかったのである。
 申し訳ないが、今シーズンのモンテに、このようなきわどい状況下で7連勝もする実力があるとは考えられなかった。ようするに第42節の東京V戦は、「勝たなければいけない試合」でありながら、同時に「できるならここら辺りで一度減速しておきたい試合」でもあった。
 ここでモンテが<幸運>だったというのは、第一に、最終節で敗れたにも拘わらず他チームの敗戦によってプレーオフ出場権を得たということ、そして第二に、その先に進むにあたっていいタイミングで敗戦し、仕切り直しの機会を得られたという意味である。

 さて、11月26日(水曜日)の天皇杯準決勝は、モンテと千葉と、どちらが勝ってもおかしくないゲームのはずだった。(平日なのでじぶんは仕事中。テレビ観戦さえできなかった。)
 モンテのHPのゲーム解説や山形新聞の記事によれば、勝因として、同点に追い付かれた石崎監督がシャドーの山崎をMFのロメロ・フランクに換え、トリプル・ボランチ気味に守備を固めさせたことが、3点目に繋がったと評価されている。
 リーグ戦3位の千葉は、プレーオフ決勝で磐田と対戦することを想定し、今季リーグ戦で千葉が1勝1分で勝ち越している山形を少し舐めてかかり、当面の全精力をぶつける相手とは看做していなかったのではないか。これと反対に、山形は天皇杯準決勝をプレーオフ決勝戦の前哨戦(あるいは同決勝戦の一部)として位置付け、必勝を期していたはずである。
 ここで、プレーオフ決勝で“必ず千葉と当たる”と考えて天皇杯準決勝に臨んだモンテと、プレーオフ決勝で“どちらかと言えば磐田と当たるだろう”と考えて天皇杯準決勝に臨んだ千葉の差が出た。この差は、モンテと千葉が置かれた状況の違いからきている。
 天皇杯準決勝だけを見れば、ここでモンテが勝てたのはここで言う<幸運>ではないが、この結果はプレーオフ決勝戦における次の<幸運>の伏線となっていく。この勝利が次の勝利の伏線となっていく状況に置かれていたこと、そのことが第三の<幸運>である。

 モンテは大阪で行われたこの天皇杯準決勝の僅か4日後に、今度は磐田のホームでプレーオフの準決勝を戦う。
 磐田には、リーグ戦最終節から1週間の余裕があり、しかもホーム。さらには同点でも決勝に進めるという三重のアドバンテージがあった。
 しかし、その磐田はモンテとは対照的に、リーグ戦終盤で勝ちきれないという状態の継続に悩まされていた。上昇機運のモンテと、1年でのJ1復帰が当然のように期待されていながら終盤戦の停滞でいやな雰囲気が漂う磐田の対戦・・・タレントの差はあっても、ここは面白い戦いができそうだと思われた。
 というのも、2009年に小林伸二監督率いるモンテがリーグ開幕戦で磐田に大勝して鮮烈なJ1デビューを飾って以来、モンテにとって磐田は相性の悪い相手ではなかったからである。
 そして、ゲームでは、まず勢いに乗るモンテが先制する。この先制点が大きかった。磐田のアドバンテージがこの1点で消えた。
 しかしこれで磐田のスイッチが入り、モンテは同点に追い付かれる。同点に追い付かれたということは、プレーオフのルールでは磐田にリードを許したということに他ならないが、もしモンテが先に追加の1点を取れば、今度は立場が再度逆転する。ここにプレーオフの醍醐味があるのだが、この同点という状況下では、当該時点でのチーム力に大きな開きがない限り、ゲームの終盤ではほぼ下位チームに押せ押せの流れが来る。
 そして、後半アディショナル・タイム・・・コーナーキックからあのGK山岸の劇的な(もっといえば奇跡的な)ヘディングのゴールが生まれる。“サッカーの神様”がモンテに味方した・・・これが言うまでもなく第四の<幸運>である。

 さて、問題のプレーオフ決勝戦(12月7日・味の素スタジアム)である。
 千葉は11月26日の天皇杯準決勝での敗北を踏まえて、モンテ攻略法を徹底して準備してきたはずである。モンテはプレーオフ準決勝のゲームで主軸のディエゴが負傷し、このゲームではベンチスタートになるという不運に見舞われていたが、代わりに出場したFW林が健闘する。
 前半、モンテが宮阪のコーナーキックに山崎がヘッドで合わせて先制点を取る。いつも精力的に動き回る山崎らしい位置取りだったが、これも背後斜め方向に流すヘディング・シュートで、飛んだコースが絶妙だった。この先制ゴールもまたラッキー(第五の<幸運>)だったと言わなければならない。
 後半の半ばから、モンテの選手たちは勝利を意識して硬くなったように見えた。(石崎監督は、後のインタビューで自身も選手たちも冷静だったと語っているが、選手たちは硬くなっているようだった。)
 というのも、攻め込んでくる千葉からボールを奪っても味方にパスを通すことができず、遠くへ蹴るだけ。そしてセカンドボールを殆ど千葉に奪われていた。コーナーでボールのキープを始めた時間帯も早すぎるように思われた。
 しかし、このように泥臭く闘うことがモンテらしいゲームだった。追加点を取って相手に止めを刺すという選択肢を捨てて、1点を守り切ることに集中する戦いができたことが勝利を呼び込んだということだろう。


 こうして、一般に言われる「プレーオフでは下剋上が起きやすい」という枠組み・ルール上の傾向と、モンテをめぐる天皇杯とプレーオフの対戦組合せとが絶妙に絡み合い、いくつもの<幸運>が重なった結果が、「J2で6位」の実力だったモンテをJ1に昇格させたのだという事情が見えてくる。
 一方で、リーグ戦までのモンテの動員力はどうだったのか。
 J2降格後の一年目、奥野僚右監督の指揮の下で2012年のリーグ戦の前半を首位で折り返したときまではよかったものの、それ以後、ホームの観客動員数は低迷してきていた。
 これは2014年シーズンから「株式会社化」されたにも拘わらず改善されずにきた。
 ホーム・スタジアムの客層を観察していると、たしかに5,000人ほどはコアなサポーター層がいて、この部分は定着しているように思われる。 しかし、プレーオフ出場がかかったリーグ戦終盤でのホーム観客数は、思うほど伸びなかった。リーグ戦最終節の東京V戦こそ13,344人が詰めかけたが、10月26日の横浜FC戦は天候に恵まれたにも拘わらず7,414人、11月9日の福岡戦は5,897人に止まっていたのである。

 個人的な印象としては、コアなサポーター層が一定程度定着した一方で、モンテに興味を示さない県民もまた“定着”しているように思われる。劇的な勝利を重ねて“思いがけないJ1昇格”を果たした割には、県民全体の盛り上がりに関する印象は、前回2008年のみならず、2001年(J2第3位)、2004年(同第4位)のときほどにも感じられなかった。
 2009年にJ1に昇格した際には、J1効果があって観客数が伸びた。今回も、J2時代より伸びはすることだろう。・・・しかし、シーズンを通じてモンテに関心を寄せ、スタジアムに足を運ぶ県民をどのようにして増やしていくのか、その中・長期的な戦略は見えないままである。

 以前、モンテディオ山形が目指すべきは、プロビンチア(地方の経営規模の小さなクラブ)として、“エレベーター・クラブ”を目指すことだと書いた。エレベーターとは、J1とJ2を行ったり来たりするということである。
 モンテの経営規模では、いくら頑張ってもJ1の平均の半分も選手の人件費を確保できない。ようするに、<幸運>の重なりがなければJ1残留もできないし、J1昇格もできない。今回も残留はなかなかに厳しいだろう。
 だから、“人事を尽くして、天命ならぬ<幸運>が重なるのを待つ”というスタンスが、クラブにもチームにもサポーターにも必要である。
 この場合の“尽くすべき人事”とは何か。
 これまでのところ、それは、ひとつには監督に経験豊かで渋い人材(小林伸二氏、石崎信弘氏など)を迎えてきたところに現れている。この点に関しては、GM(現在は常務取締役)の中井川茂敏氏の果たした役割が大きいだろう。(小林氏については、九州の人で東北・山形の“水に合った”という感があり、石崎氏については、同氏の監督スタートがモンテの前身のNEC山形だったという経歴によってフィットしている部分があるように思われる。)
 ただし、これは「戦術」ではあるかもしれないが、「戦略」ということにはならない。

 そして、重要なことは、J1にいる時期はもちろんのこと、J2にいる間の、この“待つ”という時期を、クラブにとてもサポーターにとっても、そして県民全体にとっても、如何に意味深いものにできるか、という視点を繰り込むことが大切に思われる。
 以下のことが「戦略」と呼ぶに値するかどうか自信はないが、この点に関して戦略的な発言や提案をしている関係者やモンテ・サポをじぶんは見たことがないので、あえて記述してみる。

 第一は、これは以前にも書いたことだが、意識的に「地元」出身の選手を入れる、または補強するということである。この場合、「地元」は山形県内であれば好ましいが、県内出身者がいなければ隣県でもいいし、東北各県でもいい。そしてその選手を意識的に“スター”に育てていく。
 たとえば、鹿島アントラーズの土居聖真(山形県出身)みたいな選手が少しでも出場機会に恵まれないようなことがあったら、熱心にオファーする。もちろん、もっとも基本的なスタンスとして、地元出身の若手を根気強く育成していくことは言うまでもない。
 これはモンテのサポーターを「サッカーファン」から「山形ファン」に広げるための戦略である。

 第二の戦略は、県民以外の(つまり「地元」に関わりのなかった)モンテ・サポを獲得することだ。
 たとえば今回のプレーオフ決勝戦では、味の素スタジアムの観客約35,000人のうち10,000人程度がモンテ側だったと、現場に駆け付けたサポーターから聞いた。
 また、その1週間後に日産スタジアムで行われた天皇杯決勝戦(対ガンバ大阪)では約47,000人のうち15,000人程度はモンテ側だったのではないかと、これも現場に駆け付けたサポーターから聞いた。
 これらのゲームに山形から多くのサポが駆け付けたことに間違いはないが、地元でも精々13,000人のサポのうち、当日東京や横浜に行くことができたサポは、この日スタジアムにいたモンテ側観客の何割だろうか。・・・こう考えると、モンテを応援する観客の中に山形県民以外の人間がかなりいたはずなのである。
 その観客の中には、当然、山形県出身の東京在住者や関東各県在住者がいたであろうし、それらに同行した者(家族、恋人、友人など)がいたであろう。
 なかには、山形に関わりがなかったが、モンテディオ山形というチームやプロビンチアとしてのクラブのあり方に興味や共感をもってスタジアムに足を運んでみた観客もいたかもしれない。
 天童市のホーム・スタジアムの駐車場でも、東北各県のナンバーを見かける。その多くは山形県に所縁のある人ではあるのだろうが、そうでないモンテ・サポもいるはずである。
 こういう人々に魅力あるチームを作ることが第二の戦略である。
 これはプロビンチアとしての物語化やイメージ化の戦略ということになる。たとえば松本山雅などは、物語性やイメージをうまく形成しているように見える。


 最後に、「株式会社化」されたクラブについて蛇足を述べておく。
 巷間言われるように、「株式会社化」された効果は見えていない。
 2007年シーズン後に「フル・モデルチェンジ」が論議されたが、議論の結論も議論自体の効果も見えないうちに2008年シーズンでモンテはJ1昇格を決め、この問題提起自体が翳んでしまった。
 「株式会社化」は「フル・モデルチェンジ」より遥かに大きな変化なのだが、県民やサポーターの議論はまったくないまま実施され、しかも今回のJ1昇格で当面はその検証さえなされないことになりそうな雲行きである。
 2015年1月5日付け山形新聞によれば、高橋節社長は、経営規模拡大に向けて収益事業を積極的に展開するかのような発言をしているが、例のレプリカ・ユニフォームの3ケタ背番号販売などのエグいグッズを次々に投入したり、スタジアムに来た観客から小銭を巻き上げるようなセコい商売をしすぎると、県内各地の募金活動(山形県民は株式会社にせっせと寄付する奇特な県民である!)の担い手たちが白けてしまうだろう。収益事業の拡大はそれほど簡単なものではない。
 高橋社長は、県副知事時代、部下たちにPDCAサイクルの実践を命じてきたのだから、きっとモンテの社長としての己にもこれを課していくことだろうが、モンテの「株式会社化」は知事にクビにされた元副知事に「社長」という実権とそれなりの収入を手にできる地位を与えることが主目的だったのでは?・・・などという巷の疑念を払拭するため、できるだけオープンな経営をしてほしいものである。
(なお、先に述べた第二の戦略にとって、「株式会社化」はマイナスの効果を持つと考えるから、じぶんはこれに反対である。・・・と言ってももう遅い訳だが・・・。)


 長く書き過ぎたので、この辺で閉じる。
 「このままでは2014シーズンの徳島ヴォルテスの二の舞いになるのではないか・・・」という心配の方が大きいが、かく言うじぶんもJ1モンテの2015シーズンを心待ちにしている。
 今年はなんとか時間を作って、アウェイ・ゲームにも駆け付けたいと思う。  (了)                                                                                                                                                   



  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 23:36Comments(0)サッカー&モンテディオ山形

2013年12月26日

シンポ「新生“モンテディオ山形”と地域づくり」に触れつつ




 2013年12月21日、山形市の山形国際ホテルで開催された「大学コンソーシアムやまがた」主催(山形県と公益財団法人山形県スポーツ振興21世紀財団が共催)のシンポジウム「新生“モンテディオ山形”と地域づくり」に出かけた。その感想を記す。

 まず、全体が分かるように次第から。
 
 主催者挨拶:大学コンソーシアムやまがた会長・山形大学学長・結城章氏。
 来賓挨拶:山形県企画振興部長・廣瀬渉氏。
  (ここに山大チアダンスサークルの演技が挟まれて、)
 基調講演1:「新生“モンテディオ山形”を地域活性化の起爆剤に」株式会社モンテディオ山形社長・高橋節氏。
 基調講演2:「新生“モンテディオ山形”が地域にもたらす効果」山形大学人文学部教授・下平裕之氏。

 その後、「モンテディオ山形を軸とした地域づくり」というテーマでパネルディスカッションが行われ、山形大学人文学部・立松潔氏を司会として、東北文教大学短期大学部准教授・土居洋平氏、株式会社フィディア総合研究所主事研究員齋藤信也氏、山形県サッカー協会常務理事/Jリーグ・マッチコミッショナー・桂木聖彦氏、株式会社リクルートライフスタイル・じゃらんリサーチセンター研究員・青木理恵氏、東北文教大学短期大学部総合文化学部2年・武田安加氏がパネラーとして発言した。
 13:30から16:25まで、実質約150分という時間にこれだけを詰め込んで・・・と、予め想像がついたが、やはり話の内容は上っ面で、しかも新鮮味のないものであった。

 とはいいつつも、一応内容に触れていく。
 高橋モンテ社社長の講演は、まず山形県の人口の減少(平成32年度には県人口が105万人を切り、65歳以上が3分の1を超える予測)について触れ、モンテの年度別運営規模(収益)の推移グラフと2012年のJ2各クラブの営業費用の比較グラフを示して、モンテの財政規模の小ささを説明し、財政力をつけてJ1に昇格するため「株式会社化」を図ったとする内容だった。
しかし、これらの資料を用いた経営基盤強化の必要性の話は、いままでモンテの中井川GMらが機会あるたびに県内各地で縷々講演してきたもので、新鮮味に欠けるうえ、肝心の「株式会社化」によってどのように収益を上げ、どのようにしてチームを強化してJ1に昇格するかというフロントとしての戦略・戦術については語られることがなかった。
 過日、モンテディオ株式会社が県総合運動公園の指定管理者に選定され、これで会社の最低限の経営基盤はできたということだろうが、その先の一手が見えていない。つまり、“何をするための株式会社化なのか”は依然として示されていない。

 山形大学の下平教授の講演は、モンテによる経済波及効果について株式会社フィディア総合研究所の試算を紹介するとともに、Jリーグのクラブが「ソーシャル・キャピタル」(SC)の形成に貢献するという研究成果(ヴァンフォーレ甲府やジェフユナイテッド市原・千葉についての先行研究)を紹介したものだった。
 モンテの経済波及効果については、「モンテに関するさまざまな消費額」=最終需要は17億2,900万円と算定され、「これらの消費が県内経済に生み出す生産・支出額」=経済波及効果は19億4,700万円となり、186人の雇用を生み、税収を3,700万円増加させているという話だった。
 シンポの最後に行われた参加者との質疑応答で、下平教授が引用した経済波及効果に「ダブり計算があるのではないか」と質問され、フィディア総合研究所の齋藤氏が「経済波及効果の計算はそういうものだと思ってください」と答えたが、じぶんはこのやり取りに思わず噴き出しそうになってしまった。
 たしかに「経済波及効果」の算定などというものはその程度のものだろう。それは、もっぱら主催者側が自分の実施したイベントや事業を如何にも有益だったのだと主張するための言挙げであり、そもそも客観的に考察すべき立場の者が検証なしに取り上げるべき筋合いのものではない。
 しかし、もしじぶんなりに敢えて「総合波及効果36億7,600万円」という算定にケチをつけるとすれば、この種のイベントの経済効果に関する試算は押しなべてそうなのだが、いわば“代替性”を無視していることが根本的な問題ではあるだろう。
 つまり、「モンテのゲームがなければ観戦者は他に何も金を使わないのか?」ということである。日曜日に家族でモンテのゲームを観戦して消費支出する人間は、モンテのゲームがなければ海水浴に行くかもしれないし、街で外食するかもしれないし、子どもを連れてリナワールドに遊びに行くかもしれないし、はたまた芋煮会をして酒を飲み代行車まで利用するかもしれない。つまり、モンテのゲームに行くことによって支出する金銭と同じかそれ以上の支出を別のレジャー等に対して行うだろうという想像がつく。
 一方、SCの議論については、ある意味でまともに考える価値があると思う。甲府や市原・千葉の事例を持ち出すまでもなく、モンテは“Jリーグで唯一の財団法人”として、とりわけ県や市町村や町内会等が深く関わる組織として、Jリーグのなかでも最もSC的価値の創出を果たしてきたクラブのひとつだと思える。この文脈からモンテを直接対象として論じることこそが求められているのだ。
 なお、下平教授は最後の部分で、モンテのゲームの観戦者がスタジアムと自宅の「直行直帰」になっている割合が高い(2013シーズンの最終節・東京V戦観戦者アンケートによる)ので、地域と連携して途中で食事や買い物に立ち寄らせる取組みが必要であると指摘していた。経済効果という視点からみればこのことは重要だが、今はともすれば「新スタジアム問題」というナーバスなところを刺激してしまう論点だった。

 パネルディスカッションにおける発言で印象に残ったものを振り替えてみると・・・
 じゃらんリサーチセンターの青木氏はじつは雑誌「じゃらん」の編集者だということだったが、データに基づいて、①国内宿泊旅行者をみると年々若年層が減少、②若年層の人口減少をかなり上回って旅行実施者が減少、③Jリーグ観戦者においても40代以上が年々増加し、その平均は39歳。モンテ観戦者の平均年齢は2009年の34.7歳から2012年は41.3歳に。④観戦者の約37%がアウェイ観戦に行っている。・・・などの状況を報告し、20歳をJリーグに無料招待する企画などを実施して誘客に結び付けていると語った。
 また、フィディア総合研究所の齋藤氏は、シンクタンクの研究員として分析するにとどまらず、自ら活性化のコーディネーターとして具体的に活動している様子を語った。
 山形県サッカー協会常務理事の桂木氏の発言で印象に残ったのは、株式会社化で収益増を図り、その金でチームを強化してJ1昇格を目指すと言っているが、収益増には今までも取り組んできたわけであり、飛躍的な結果が出せるのか疑問に思っていると語った点。この点はじぶんも同感である。ただし、大株主となった「アビームコンサルティング株式会社」からの役員らが、大口スポンサーの獲得に成功した場合は別である。
 シンポジウムは、各パネラーが個別の報告を行った後、「新スタジアム問題」については触れないよう配慮しつつ、「若者や学生をホーム・ゲームに動員するにはどうしたらいいか」という点について各自が一言ずつ発言したところで残り時間が10分くらいになり、そこでやっと会場の参加者に発言が許された。
 前述の経済波及効果に関する質問者に次いで、天童市の「50年間サッカーを観戦してきた」というモンテ・サポーターが発言し、モンテ創設以来15年間、地元地区で地区民に呼びかけて観客を動員してきたことを受け止めて欲しいと、言外に「新スタジアム問題」への意見を匂わせた話をしたところ、続いて山形市の「北部サポーターズ・クラブ」を立ち上げたという参加者が、「サポーター同士で話すのは“モンテが勝った日はどうする?”ということ。勝っても祝杯を上げる場所がないので、熱が覚めて帰路に着くだけ。山形駅近くなどにスタジアムがあれば経済効果は大きい。」と発言して、やはり・・・という様相になりかけた。
 時間切れで論議はそれだけで打ち切りになったが、どうしてもサポーターらの関心の中心は「新スタジアム問題」に向いてしまうようだった。
 
 さて、ここで「モンテと地域づくり」というテーマに関連させて大雑把にじぶんの考えを述べれば、
 ① 県内からの集客による経済効果(の純増)はあまり期待できない。
 ② 経済効果が期待できるのは県外からのアウェイ・サポーターだが、これもJ1に昇格しないとそれほど期待できない。つまり、仙台・新潟というダービーマッチの相手やかつての浦和のように関東のビッグ・クラブがJ2に落ちて来ない限り、アウェイ・サポの数は知れている。
 ③ したがって、モンテの存在意義は経済効果以外の面で考えられるべきである。
 ④ つまり、それは山形県民や山形県に所縁のある者にとっての精神的・心理的な価値の面で考えられるべきである。
 ⑤ モンテの価値は、山形県民を心理的に統合し“われわれの地域・山形県”という共通意識を醸成する象徴的機能にある。(県内4つの地域ブロックの意識が強いため、山形県民には“われわれの地域・山形県”という意識が薄いことは以前にこのブログで述べた。)
 ⑥ 心理的統合の象徴たるべきモンテが、「新スタジアム問題」で地域間の相克を生み出す要因になるのは本末転倒である。ゆえに、Jリーグの要件として「屋根つきスタジアム」の建設が不可避となった場合は、現スタジアムの改修または総合運動公園内への新設で対応すべきである。
  ・・・というのが、現時点のじぶんの考え方ということになる。

 ついでに、今後のモンテの進むべき方向についても述べておきたい。

(1)J1昇格を目指すことは当然だが、よほど気風のいい大スポンサーが現れないかぎりクラブの経営規模を、たとえば現在の2倍以上(仙台並み)にして、J1に長く留まれるようなクラブにすることはかなり難しいだろう。少子高齢化・過疎化の進行によって、山形県の経済規模が縮小していくことも想定しなければならない。新たなスポンサーを必死に開拓したとしても、J2ではこれまでのスポンサーによる支援規模を維持することは次第に難しくなっていくと見ておく必要もある。
 したがって、選手らが積極的に地域活動に関わることで「J2モンテ」のサポーターとファンと支持者を増やし、また各人の支持・支援の度合いをランクアップしてもらえるよう、地道な取組みを重ねていくことが何より重要である。
(2)Jリーグは、選手や指導陣の移籍が激しく、クラブの財政力が戦力を決める割合がとても大きい。
財政力でかなわないなら、別の要素で人材を獲得して戦力アップを図ることに力を注ぐべきだ。それはジュニアからユースにおける選手の育成であり、そのための指導者への投資であるだろう。
 もちろん、ユースの育成については他のクラブでも力を入れている。しかし、出来上がった選手を「補強」するのにくらべて、この部分になら山形にも競争力が潜在しているはずである。
 とくに、地元出身の選手をトップチームに採用し、未熟でも公式戦でプレーさせて中期的に育てていくことが重要である。トップチームの4割くらいを“地元枠”にするくらいの決断をしてもいいと思う。
(3)上記(2)の明確な方針化こそが、(1)の地道な取組みを支える根拠となる。つまり、モンテディオ山形というクラブを「サポーター」や「サッカー・ファン」のものからより広い層のもの、つまり“県民のもの”として根付かせる戦略を講じていくことが重要だ。この意識が広がっていくとき、今も存在している「スタジアムにはなかなか行けないが、ゴール裏のシーズン・シート(25,000円)くらいは購入するよ」という層が増えていくはずである。なお、株式会社化で2015シーズンからチケットを値上げするやの報道があるが、これをやると逆方向にいってしまう可能性もある。
(4)もっとも重要な観点は、「つねにJ1を目指すが、必ずしもJ1に拘らない」という姿勢だと思う。
財政力の弱いプロビンチアであることをしっかりと認識し、しかしそれでも地道な努力をしていれば、小林伸二監督の下でJ1昇格を決めた2008年シーズンのように運が巡ってきて、“はまった指導者”と“はまった選手”が揃う。いわば、「地道な努力が幸運と巡り合ったときJ1に昇格するのだ」くらいに気長に構え、そしてJ1とJ2を行き来する「エレベータ」クラブでいいのだと覚悟を決めること。いや、“エレベータ・クラブだからこそ、われわれのクラブとして支援する意味がある”ことに気づくこと。これがモンテ及びそのサポーターやファンの生きる道だという気がする。


 さて話は変わるが、モンテには来年から新たなライバルが出現するかもしれない。
 2014年から「ナショナル・バスケットボール・デベロップメント・リーグ」(NBDL)に参入する「パスラボ山形ワイヴァンズ」の存在である。このクラブがどんな姿になるか分からないし、スタートしても軌道に乗れるかどうか不分明でもあるが、もし運営が軌道に乗りトップリーグであるNBLに手が届くところにいけば、小学生、高校生、大学生、社会人などの各層で比較的バスケットボールのレベルが高く、いわばバスケットボール選手供給の素地がある山形県内で注目を集め、とくに村山地域では地元選手が活躍すればプロスポーツとしてモンテに匹敵する人気を得る可能性がある。
 NBLには、外人選手枠(2名まで)帰化選手枠(1名まで)の規制があるほか、「サラリーキャップ制」があり、所属選手15名の年俸総額が1億5千万円までと決められているとのことである。パスラボ山形がどれだけ運営費を確保できるか不明だが、「サラリーキャップ制」は山形に大きな可能性を感じさせるルールではあるだろう。(了)
                                                                                                                               


  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 02:02Comments(0)サッカー&モンテディオ山形

2013年12月10日

モンテディオ山形観照記 2013







 モンテは2013年のJ2リーグ戦を10位で終えた。
 今シーズンを振り返りつつ、久しぶりにモンテについて述べてみたい。

 さて、今シーズンはここまでモンテについて言及してこなかったが、観戦をサボっていたわけではない。
 ホームゲームでは、3月17日の第3節・ホーム開幕戦(長崎戦2-0で勝ち)、4月14日のG大阪戦(0-1で負け)、5月3日の富山戦(3-1で勝ち)、6月8日の徳島戦(2-2)、同22日の松本戦(4-1で勝ち)、7月3日の鳥取戦(2-3で負け)、同14日の千葉戦(0-3で負け)、同20日の岡山戦(1-2で負け)、8月11日の草津戦(1-1)、同18日の神戸戦(3-2で勝ち)、9月29日の北九州戦(0-1で負け)、10月27日の愛媛戦(3-0で勝ち)、11月3日の岐阜戦(2-2)、同24日最終節の東京V戦(0-0)、そしてアウェーでは10月6日の横浜FC戦(1-1)と、15ゲームを観戦している。

 今シーズンのモンテの戦績は、16勝15敗11分で、勝ち点は59、得点74、失点61。得点はリーグで3番目に多いが、失点も4番目に多い。
 じぶんが観戦したゲームの戦績は、5勝5敗5分。うちホームゲームが14試合なのだから、ホームでいまひとつ勝てなかったということである。

 観戦していて感じたことを並べてみる。
 第一に、奥野監督が目指した攻撃的なチーム作りがある程度奏功して、観ていて面白いチームになった。攻撃陣の中島、山崎、伊東、林らの積極的な動きが魅力だった。とくに中島と山崎の献身的な動きとその運動量には感心した。
 しかし、積極的にミドルシュートを放つMFのロメロ・フランクを含め、攻撃陣のシュートの正確さが不足していた。積極的な仕掛けの上に加わるべき個人技に、いまひとつ、いやいまふたつほどの感があった。
 また、MFにゲームを組み立てる中心的な存在がいないこと(これはモンテの伝統的な弱みである)が依然として大きな課題である。じぶんのような素人目にはロメロ・フランクの組み立ては雑に見えるし、宮阪にも秋葉にも、その視野の範囲や積極性に不満がある。
 そしてDF陣であるが、隙を衝かれたうえに、相手のFWに走り負けるシーンが多かった。
 チームが攻撃的になれば、たしかに守備に穴が生まれる。だから失点する。それはある程度受け入れられる。今季のモンテは「守備が問題だった」とか「守備が崩壊した」とか言われるが、じぶんはそれはちょっと違うと思う。もともと相手チームより個人的能力が上の選手を揃えられているわけではないのだから、攻撃的になればその分だけ守備に弱点が生じるのは避けられない。問題は、守備体制が崩れたり相手に弱点を突かれたりしたとき、それを修正する能力である。去年、今年と、これが奥野モンテに欠けていた決定的な要素のように見えた。不利な状況を変える力というか、要素というか、そういうものが足りない。立て直すという“がんばり”が利かない。そのための引き出しがない。
 精神主義的に見えるのでこんなことはあまり言いたくないのだが、じぶんには、監督にチームの苦しい状況を立て直しさせる選手たちへの精神的な影響力がないからではないか、と思えた。だから、リードされている状況で選手を交代させても、ほとんどの場合、状況を打開するどころか前より悪くなっているようだった。これは先発した選手と交代出場した選手の能力に格差があるから、ということではないと思われた。
 奥野氏は、モンテで初めて監督を務めたという。監督となって初めて迎えた2012年シーズンの前半のモンテの快進撃(シーズン折り返しの夏まで首位をキープ)は強く印象に残っている。夏以降の失速もさらに印象的だったが、コーチを務めた鹿島のようなビッグクラブとは異なる台所の苦しい“プロビンチア”での経験から学ぶことができれば、今後も指導者や指揮官としてステップアップしていくことができると思う。健闘を祈りたい。


 さて、2013年はモンテにとって大きな節目の年になるのかもしれない。
 というのも、「Jリーグで唯一の財団法人」(公益社団法人・山形県スポーツ振興21世紀協会。略称「スポーツ山形21」)だったクラブの運営主体が、2014年から「株式会社モンテディオ山形」に移行することになったからである。
 この運営形態の移行については、サポーターらから「フルモデルチェンジ構想」のときのように活発な賛否の意見や質疑が出されておらず、マスコミ等の報道も表面的な情報伝達で終わっているように見受けられる。だが、もう少し考えてみた方がいいかもしれない。

 「スポーツ山形21」は、山形県が前面に出て立ち上げた組織であり、現在の高橋節理事長(前山形県副知事)が就任するまでは、複数あった副理事長ポストのひとつに現役の県副知事が就けられていた。
 また、2006年から2011年まで鹿島アントラーズ元専務の海保宣生氏が理事長として招聘されたことを別とすれば、理事長や専務理事などには県幹部退職者の天下り者が多く当てられてきた。このことがクラブの発展にとってどうだったかはしっかり総括されなければならないだろうが、このような人事の体制が“プロ・サッカークラブに県が積極的に関与する”という、いわば約束手形の表現形態だったことを見逃してはならない。すなわち、県などの自治体の財政当局には、常にこの種の団体に対する財政的支援を削減しようとする傾向があるのであり、財団事務局及び県以外の財団役員(県内企業経営者や自治体等)にとっては、クラブの財政面に対して県の積極的関与(=責任)を担保する意味で、このような人事が必要だったと思われる。(もっと極端に言えば、県が逃げるのを防ぐために人事を人質にしていた、とさえ言える。)
 理事長が現役の副知事・金森義弘氏だった2004年か05年(厳密な時期は失念)、モンテはシーズン最終盤までJ1昇格を争ったことがあったが、そのとき、金森理事長すなわち金森副知事はJ1におけるクラブ運営の必要額を知り愕然としたと言っていた。私財を供することも含めて、当然ながら捻出方法を真剣に検討していた様子で、J1昇格がならず、正直言ってほっとした、と漏らしていた。

 さて、2013年の話である。2期目となった山形県知事・吉村美栄子氏は、突然、副知事の高橋節氏を再任しない(実質的に解雇する)という決断を下して周囲をおどろかせた。高橋氏に天下り先として用意されたのは、スポーツ山形21の理事長職(の継続)だったというわけである。
 ところで、2013年のスポーツ山形21の役員名簿を見ると、理事長・高橋節氏、常務理事・中井川茂敏氏(同氏はモンテディオ山形のGM)のほかは皆ヒラの理事で、副理事長はいない。ヒラの理事は13名で、そこに山形市の副市長と県の企画振興部長(県のプロスポーツ振興担当責任者)が入ってはいるが、これで県の人事的な関与は大きく後退した、というふうに見えてしまう。
 そして、高橋氏が社長となった「株式会社化」である。資本金は1,000万円で、出資比率はスポーツ山形21が490万円、出資者募集に応じた「アビームコンサルティング株式会社」が490万円、そして山形県は20万円である。この会社の役員には県関係者は皆無であり、そもそもア社以外4人の取締役のすべてが社外取締役である。モンテの運営は、いつの間にか、ほとんど高橋社長個人とアビームコンサルティングから送り込まれる担当役員の意志で決定されていくことになってしまったと考えたほうがいいだろう。
 これで確かに「機動的」な組織運営が可能になるだろう。そして、コンサルティング会社のノウハウが経営に活かされる(かもしれない)環境にもなるだろう。だが、これはどこかのクラブの話ではない。“われわれのモンテ”はこれでいいのだろうか。つまり、そこここのクラブと同じでいいのだろうか。

 ちょっと目先を変えてみる。
 じぶんはこの種の問題に詳しくないからか、まず単純な疑問が湧く。つまり、これまでモンテに対しては県内各地の地域住民や団体、企業、グループ、個人などの<県民>から少なからず「寄付金」(スポーツ山形21への寄付)が寄せられていたわけであるが、今後はモンテへの寄付は「株式会社への寄付」という形になるのだろうか。それともスポーツ山形21への寄付となり、スポーツ山形21から何らかの形でモンテに流されるということになるのだろうか。何れにしても「株式会社への寄付」つまり営利企業への寄付というのは、寄付を呼びかけたり寄付したりする側の意識としてはどうもすっきりしない。
 この“すっきりしない”という感じは、<県民>にとっての“われわれのモンテ”が、ひとつ壁を隔てた存在になってしまったということから来るような気がする。
 話が飛躍してしまうが、敢えて言うと、この問題はある意味であの「東北芸術工科大学合併問題」と同じ要素を含んでいる。地域住民が、入場料とグッズ代のほかに税金と寄付とで支えてきた“山形県のクラブチーム”が、確かに合法的にではあるけれども、地域住民の知らないところで、いつの間にか“誰かさんのもの”になっていくような気配がある。
 この流れに賛成か反対かは別として、また事情を理解していたか理解していなかったかは別として、サポーターや関係者諸氏が2008年の「フルモデルチェンジ構想」のときのように活発に発言しなかったのはなぜだろうか。そのことが気になるといえば気になる。(了)


PS.
 一部のサポーターや山形市及び同市商業関係者らのなかで「新スタジアム建設問題」が論じられているが、これに対して高橋社長は近々クラブとしての考え方を示すと言っている。この結果が、たとえば「新スタジアム建設」という方針で、それに応分の県負担を求めるということになったとき、県(つまり吉村知事)とクラブ運営会社(つまり高橋社長)の関係に、さらに距離が生じてしまうような気がする。これが杞憂であることを願いつつ擱筆する。
                                                                                                  
                                                                                      

  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 00:50Comments(0)サッカー&モンテディオ山形

2012年11月13日

耐えつつ、楽しみつつ、2012年モンテの総評





 今季のJ2リーグ戦が終わった。そこで、モンテについて久しぶりに言及したい。

 2012年10月21日のホームゲームで北九州に勝利して昇格争いに踏みとどまったかに見えたモンテは、10月28日のホームゲームで千葉に敗北し、自力での昇格争いプレーオフ出場が不可能になる。この時点で、残りはアウェーでの大分戦、最終節・ホームでの岡山戦とわずか2ゲームとなり、6位の千葉との勝ち点差は5点、7位の東京ヴェルディとは2点差。
 モンテが残り2ゲームとも勝利し、「千葉2敗」かつ「ヴェルディが2敗または2分けまたは1勝1敗」となればプレーオフ進出となる微かな望みをもって臨んだ11月4日の大分戦だったが、モンテはここでも完敗して昇格争いから完全に脱落。・・・さらには最終戦のホームにおける岡山戦でも、宮坂のイエローカード2枚による退場というアクシデント(2枚目は明らかに審判のミスジャッジ)を乗り越えられず、0:2で敗れた。
 じぶんは、大分戦のパブリックビューイングの会場となった霞城セントラルのアトリウムに出かけたものの、そのときはまだ0:0だったにもかかわらず完敗するだろうという予感があって、その場から早々に立ち去ったのだった。また、最終戦もNHKの同時中継で視たが、ハーフタイムにリードされた状態でインタビューを受けた奥野監督の目がきょろきょろして視線が定まらないのをみて、チーム状態の深刻さを改めて感じた。

 そういえば、このブログの前回の書き込みは、J2リーグ戦でモンテが首位に立った第13節だった。それからずいぶんと間が空いてしまったが、リーグ戦を首位で折り返したモンテは、その後、「泥沼」(山形新聞)にはまったかのように低迷し、第31節で町田に勝利して以降、第39節で北九州に勝つまで8試合勝ちなしなど不振が続き、最終的には上記のとおり、10位まで下落して2012年シーズンを終えた。
 さて、だが、モンテについて長らく沈黙していたからと言って、観戦をサボっていたわけではない。
 第14節以降で自分がこれまでスタジアムに足を運んだのは、以下のとおり。
 なお、千葉での開幕戦(アウェー)に駆けつけた後、第13節までで6回ホーム・スタジアムに足を運んでいるから、年間にすると全部で17ゲームを生で観戦したことになる。

 第15節 vs岐阜        (2:1で勝ち)
 第17節 vs鳥取        (5:1で勝ち)
 第19節 vs湘南        (1:2で負け)
 第21節 vs徳島        (1:0で勝ち)
 第24節 vs福岡        (3:1で勝ち)
 第28節 vs横浜FC      (0:1で負け)
 第34節 vs京都        (1:2で負け)
 第36節 vs東京ヴェルディ  (1:1引分け)
 第39節 vs北九州       (1:0で勝ち)
 第39節 vs千葉        (0:2で負け)

 後半戦を振り返ると、この部分だけだと「5勝4敗1分け」でそれほどでもないが、この間のアウェーの成績が悪かった。とくに鳥取、草津、熊本などの下位チームから破れたのが痛かった。
 また、39節で千葉に敗れて昇格争いから実質的に脱落したあとの3ゲームは悲惨な結果だった。
 モンテのサポーターやファンは、誰しも「シーズン前半のあの勢いはどこに行ったのか」と落胆していたことだろう。
 じぶんも第36節の東京ヴェルディ戦の引き分けには呆然とした。・・・後半ロスタイムの、間違いなくこれが最後のプレーだという時間帯に、GK清水が真正面へのシュートをキャッチしようとして前に零したところを相手に蹴り込まれ、モンテは喉から手が出るほど欲しかった勝利を逃した。あの呆然としたスタジアムの空気は、モンテに関することのなかで今年最も印象に残ったことだった。

 「泥沼」に嵌ったきっかけは、山崎の故障による離脱だったかもしれない。しかし、今季から加入したFWの萬代が期待ほど活躍できず他のFWも当てにならなかったから、山崎と中島にかかる負担は大きく、このままでは前半のようなトップクラスをキープできるとはとても思えなかった。
 そこでモンテは、MFのブランキーニョ、FWの林、そしてDFの岡根を補強した。ブランキーニョの加入は、J1昇格と1年目のJ1残留に貢献したDFレオナルド以来の、久しぶりの頼りになる外国人選手に思われたから、その期待も大きなものだった。また、長身の林と岡根にも期待が持たれた。
 しかし、ブランキーニョの補強はプラスに働いたのだろうか・・・。かれが加入した直後は得点を重ねるなど活躍したが、その効果はやがてよく判らなくなった。相手ディフェンスにマークされ、2人がかりでこられるとボールを取られることもしばしばだった。要するに、それほどの実力ある助っ人ではなかったわけなのだが、モンテにおけるデビュー当初の活躍が目立ったために、周りに馴染まないまま使い続けられたという感じがする。そして、ブランキーニョ中心の組立てがうまく結果を出せないことによって、他の選手たちに乱れが生じたのではないか。その乱れとは、モンテにおける“中心選手の不在”がいい意味で果たしてきた効果の消失であっただろう。相手からみれば、モンテの攻撃を止めるポイントがわかりやすくなったのだ。

 いったんつまずくと、シーズン前半の成功体験が足かせとなった。
 FWの決定力不足のなかで、前半の入りをアグレッシブに行ってそこで先取点を奪うという積極的な戦略で結果を出せなかったとき、その後にくる弛緩の時間帯に相手の得点を許すことが多かった。攻めなければという衝迫のなかで、攻めあぐねてボールを出す先を見つけるのに時間がかかると、そこにすぐプレッシャーをかけられ、パスミスで相手の速攻を許していた。
 メインスタンドから観戦していると、モンテの選手たちが弛緩してゴールを奪われそうな時間帯がはっきりと見えたし、実際、失点の場面はまるでデジャヴのようだった。
 また、相変わらずマイボールのスローインを相手に奪われることが多かった。これはモンテの悪い癖で、昨年J1では散々な状態だったが、今季の前半では前年の状態が嘘のようにうまくマイボールに出来ていた。それが今シーズン後半では、再び相手に奪われる機会が多くなった。・・・このマイボールのスローインをマイボールのままパスでつなげる確率が、どうもチーム全体の調子を反映しているようだ。
 スローインの際に受け手が相手のマークを外せるかどうか、第三者がうまくスペースに出てこれるか、そして他人任せにせず各自が常にその意識を高くもっているか、スローイン時の状況がゲームの動きを象徴しているということだろう。シーズン後半のモンテは、この動きをサボり、マイボールを相手に取られてしまうことで、奪い返すのに何倍もの時間と体力を消費していた。

 監督の責任はもちろん重い。奥野監督は、鹿島のコーチからモンテの監督に就任し、Jリーグの監督初体験だったからと大目にみたくもなるが、シーズン後半の「泥沼」の責任は大いに監督にあるといわざるを得ない。
 まず、ピッチサイドにおいて監督の存在感が希薄である。これは我々の記憶に、前監督の小林氏の存在感が印象深く残っているからかもしれないが、それにしても奥野監督の存在は軽く思われた。これは勝ち進んでいる前半からそうだった。
 また、印象的だったのは、ゲーム後半で選手交代をしてから失点するケースが多かった。采配の問題なのか、連携不全の問題なのか、その両方なのか。
 さらには、全体的な印象として、昨年まで監督がコーチをしていた鹿島とは格段に選手層の薄いモンテで、選手を育てるということに対する取組み方を大きく変える必要があったのではないか・・・などと考えてしまう。
 結果として今季のモンテを6位以内にできなかったことを責める気はないが、後半の“完全失速”の責任は大いに監督にあるだろう。モンテのような実力のないチームが勝ち点を重ねていくためには、疲労の出てくる夏以降、勝ち点3を狙うゲームとそうでないゲームの戦い方をはっきりと区別し、柔軟かつ狡猾に対応することも必要になってくる。
 奥野監督留任が決まっているとの報道だが、来季にむけてどのような戦略と戦術をとるのか、中井川GMともどもしっかりした総括のうえで方針を詰めて欲しい。

 さて、フロントの問題はどうだったろうか。クラブの理事長となった高橋副知事は多忙な中を何度かスタジアムに足を運んでいてそれなりに真剣に運営にあたっている様子だったが、やはり「副知事」という立場ではクラブのリーダーというより所詮“管理者”という枠から抜け出しえない。だから、「専務理事」が実質的なリーダーたるべきなのだが、その専務理事は県の部長職OBの天下りで、「副知事」に仕えていたころと同じ姿勢でしかないようにみえる。・・・というか、はっきり言うとその存在はまったく見えなかった。
 昨年まで過去2年間のトップは県の次長職OBの天下りだったが、彼は以前から個人的な経緯で県サッカー協会の役員を務めていたし、なによりもクラブの「理事長」だったのであり、その立場からしてJ2降格をもって引責辞任したわけである。今の「専務理事」はリーダーでもなく、責任を取らされる立場でもない。ようするに今のフロントには、責任を取らされるべき人間、身分をかけて闘わざるをえない人間が、中井川GM以外にいないのだ。
 というのも、いまのモンテは実質的にGMの担当業務が多すぎるようにみえる。モンテには、経営戦略を建て、責任をもって経営面を牽引する専任者が必要である。
 じぶんは、モンテの専務理事を“一般公募”すべきだと思う。それが無理なら、県職員からの庁内公募でもやむをえないが、年金受給までの繋ぎとしてではなく、少なくとも公募に応えた人間が、それなりの権限を与えられ、職を賭してリーダーを務めるべきなのである。

 最後に、スタジアムにおける観客の印象について述べておきたい。
 今季のモンテが、1試合平均6,500人という動員目標に対して7,000人以上の観客を集め、黒字に転換する見込みであることは喜ばしいが、もちろん、これはリーグ戦の前半でトップを走ったおかげである。
 もっとも、J2に降格して相手チームのサポーターが激減した今季、観客数を伸ばしたことは率直に評価すべきことだと思う。たしか、甲府が初めてJ1からJ2に降格した時、降格して迎えたシーズンに観客動員数を伸ばしたと聞き、甲府の状況をうらやましく思った記憶がある。これがモンテのようなプロビンチアが目指すべき、“エレベーター・クラブ”の姿である。
 さらに、まずはじぶんの感覚を思い起こすと、今季は初めてじぶんが“素直にモンテのファンになった”という感じがした。昨年までのことを振り返ると、J1に昇格するまでは、モンテのファンというよりもこの山形という地域の人々がプロのサッカーチームをどのように育てていけるかにもっぱら関心があったし、J1に昇格してからもプロビンチアとしてのモンテがどんな戦略をもって残留にチャレンジしていくかが関心の中心だったから、スタジアムの雰囲気を楽しむという感覚は比較的希薄だったような気がする。
 しかし、今季は今まで以上にスタジアムの雰囲気が好きになった。
 モンテの観客は、年齢層が幅広い。とくに中高年の男女が多く、「泥沼」に嵌ったシーズン後半でも、黙々と、というか、淡々と、というか、そんなふうにスタジアムに足を運んでいるという感じの人々が目についた。これまで、“熱くなりにくく冷めやすい”のが山形県人だと言われてきたが、ちょっとだけ印象が変わりつつある。熱くはなりにくいが、冷めてもそれほど冷え切らない、という感じか・・・。
 じぶんも定年の日が遠いわけではないのだが、精神的にも時間的にも余裕ができたら、子どもや孫の世代のファンやサポーターに混じって、もっと豊かな気持ちで観客席に座って観戦できるかもしれない・・・などと、周りの60代・70代の観客を見ていて思う。これは幸福なことだろう。
 その一方、独りで観戦にきて、ずいぶんと思いつめた感じでゲームに入れ込んでいる若い人も目に付く。負けるとイラついて感情を表に出す人が若干増えたようでもある。これはやや気がかりな点。

 じぶんは長らく、プロ・サッカーは選手や監督の入れ替わりが激しく、チームのアイデンティティが希薄であるのに、サポーターがそれを自分たちのチームだと看做して熱烈に支援したり、さらには自己同一化したりするという構図に、なにか嘘臭さを感じて馴染めずにいた。“われらのクラブ”という幻想に浸れなかったのである。
 この感覚がなくなることはなく、したがってじぶんは「NSBF」を標榜し続けているわけであるが、あの寡黙な中高年諸君が淡々と観戦する“地元クラブという枠組み”の存在に、どこかで親しみと幸いを感じるようにもなっている。これは人間がまるくなったということか、歳をとって気が弱くなったということか・・・(苦笑)

 さて、こうしてわれわれはこの長い冬に耐える。
 新潟とか大宮とかアウェーに行き易いチームが降格してきてくれるといいなぁ、降格が決まった札幌とのアウェー戦は季節のいい時期だといいなぁ、などと考えながら、いまから来年3月の開幕が待ち遠しいのである。
                                                                                    




  

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2012年05月09日

第13節、モンテ首位に立つ



 【第13節ザスパ草津戦】

 J2の第13節は、ゴールデンウィークの最終日、5月6日(日)18:30からのナイトゲーム。ザスパ草津をホームで迎え撃った。
 この日は午後から激しい雷になり、天候は最悪だった。これで観戦を諦めたファンも少なくないだろう。夕方には雨が上がり、雲の切れ間が覗くほどに天候が快復したとはいえ、気温は13度ほどで、ずいぶん寒いナイトゲームとなった。
 もっとも、これまでの記憶から言えば、ホームで荒れた天候のとき(とくに寒いとき)は比較的モンテの成績が良いようである。

 直前まで天候が悪かったことや、日曜日のナイトゲームということで、県内各地から子ども連れで観戦するにはちょっと憚られる条件だったが、観客は7,100人を超え、今季最多となった。
 今季の観客について感じることは、バックスタンドの入りが多くなったこと。バックスタンドの客の“ファン度”(モンテへの期待度、応援への熱意など)が、メインスタンド北席の客(サポーター席に次いで熱意をもった客層)のそれに近づいてきているなぁと感じる。・・・やはり、チームが勝ち進んでいることが大きい。

 この日は、中2日しかないゴールデンウィークの4連戦の最終日。モンテのスターティング・メンバーはほぼ固定されていたので、疲労の蓄積はかなりあったように見受けられた。
 ゲームは1対0でモンテが勝利。モンテはこのゴールデンウィークのハードな4連戦を3勝1分で乗り切り、第13節が終わったところで首位に立った。
 前半は草津が積極的にプレッシャーをかけ、モンテは今ひとつ調子を出せないまま終わる。後半は、開始早々に船山のラッキーなゴールで1点(昨年鹿島から移籍した船山のモンテでの初ゴール。)を得て、その後もサイド攻撃などで幾度かチャンスをつくったが、疲労がかなり蓄積している様子で選手たちの動きにキレがなく、追加点は得られなかった。しかし、こんな試合をしっかり勝ち点3で終えるということが大事。まずますの結果だったといえよう。
 湿度が高くて寒いのに頻繁に水を補給する選手が目立ったことと、タイムアウトのホイッスルで両チームの幾人かがピッチに倒れ込んだのが印象的だった。
 また、終了直後には、ザスパのGKがピッチに膝を衝いて地面を叩いた姿が目を引いた。よほど悔しかったのだろう。




 【 ここまでを振り返って 】

 このブログのモンテ関連記事は、シーズン開幕戦(アウェー)のジェフユナイテッド千葉戦について記載してからずっと途絶えていたが、じぶんは、第3節・3月17日のホーム開幕:大分トリニータ戦、第4節・3月20日のホーム:ヴァンフォーレ甲府戦、第6節・4月1日のホーム:水戸ホーリーホック戦、第8節・4月15日のホーム:カターレ富山戦、第12節・5月3日のホーム:愛媛FC戦、そして前述のザスパ草津戦と、開幕から7試合をスタジアムで観戦し、4月30日のアウェー・東京ヴェルディ戦と4月22日のアウェー・ギラヴァンツ北九州戦をテレビ観戦した。
 このように13ゲーム中9ゲームを観た勘定になるが、その中で負けた試合はアウェーの千葉戦のみ。とくに、上位に浮上した理由としては、GW4連戦を3勝1分で乗り切ったことが大きい。

 第13節時点の成績を見ると、1位山形(29点)、2位湘南(27点)、3位東京ヴ(25点)、4位京都(25点)、5位大分(24点)、6位千葉(24点)、7位水戸(24点)、8位甲府(22点)、9位岡山(22点)となっている。
 開幕前の「サッカーダイジェスト」誌の順位予想では「1位京都、2位甲府、3位千葉、4位東京ヴ、5位徳島、6位山形」と予想されていたが、この時点で、湘南(2位)、大分(5位)、水戸(7位)、岡山(9位)が健闘していることと、徳島(17位)が予想より出遅れていることを除けば、予想は一定程度当たっている状況にある。

 これまで実際に観戦してきたゲームで印象的だったのは、まず水戸である。これまで水戸はクラブの予算規模が小さく、しかも地元の自治体の支援をほとんど受けられなかったようであるが、市長の交代によって行政との関係が好転したこともあり、ムードは上げ潮であると伝えられていた。
 モンテのホームでも水戸は迫力あるゲームを展開し0対0で引き分けたのだったが、印象的だったのは、試合終了後にチームが挨拶に来た際の水戸サポーターの反応だった。それがどんな言葉だったか聞き取れなかったが、かなり激しい口調で言葉を浴びせていた。多分、「今日は勝てる試合だっただろう! こういう試合で勝たなくていつ勝つんだ!」というような内容だったのではないかと思う。
 これがモンテ・サポだったら、アウェーで引き分けた自チームにこんなふうに怒鳴ったりはしないだろう。当時、水戸は勝ち点で1位か2位だったと思うが、そのこともあって今年の水戸は本気モードだなという印象を受けた。
 それもそのはず、今季からは6位までに位置していれば昇格のチャンスがある訳である。このルール変更は昇格争いを間違いなくハードなものにし、したがってJ2リーグ戦を間違いなく面白いものにしている。
 6位まで昇格のチャンスがあるということは・・・つまり、昇格を狙うチームは、10位から12位くらいにいるチームと対戦する場合も、その相手チームと直接“昇格争い”をしていると思わなくてはならないということだ。言い換えれば、リーグ所属チームのうち半数近いチームが、リーグ戦の終盤まで昇格争いをすることになる

 こうした“各試合が昇格争いの直接対決”というシビアな意識を持つ必要がありながら、リードしたことで気を緩めてしまったのがホームの愛媛戦だったように思う。このゲームでは前半にモンテがペースを握り、とてもいい形で2点を先取。このまま後半も攻め込めるかと思いきや、愛媛の激しいプレッシャーで2点を返され、モンテはタジタジとなり、やっとの想いで引き分けに持ち込んだという試合だった。
 スタンドから観戦していると、後半ではモンテの前衛と中盤の選手の動きが極端に悪くなったのがはっきり見て取れた。小さなスペースで、練習のつもり?と思われるような弛緩したパス回しをして、相手とじゃれ合うようなボールの奪い合いをしていた。これは時間稼ぎのつもりか、まだ後半が始まったばかりなのだが・・・と思っているうち、見る間に2ゴールを奪われたのである。
 そんなモンテに対して、上位浮上を窺う愛媛は、前半とはまったく違ったチームになったかのように積極的に仕掛けてきた。1点を返されると、モンテは慌ててもう十分な対応ができなくなっていた。適地での愛媛戦では、今回の反省を踏まえてしっかりリベンジしてもらいたいものである。
 なお、これは、愛媛戦のほか、ホームの富山戦やザスパ草津戦、アウェーの北九州戦を観て感じたことだが、今季のモンテは、格下のチームと対戦したときも悪い意味で“相手のレベルに合わせて”しまうような気がする。変に相手に引っ張られず、やるべきことをしっかりやりきるという考えを徹底させてほしい。

 さて、ここまでモンテが対戦した相手のうち、有力チームは、千葉(A)、大分(H)、甲府(H)、栃木(H)、東京ヴ(A)で、対戦成績は4勝1敗。東京ヴ戦(A)の勝利(2対0)が大きかった。
 ここまで未対戦の強敵は京都と湘南である。これらのチームとどれだけ良いコンディションで対戦できるか、そして中位から下位のチームとの対戦で、いかに効率的に勝つか・・・これが問題である。
金のないモンテ。現在のスタメン以外の選手については、極めて層が薄く、先行きの不安は大きい。下位との戦いで控えの選手をうまく使ってスタメンを休ませつつ、若手の成長を促すことが極めて重要であり、ここはひとえに監督の手腕に係っている。
 当面は、スタメンのコンディションの維持と怪我の防止が、モンテのJ1復帰に係る最大の課題と言えそうである。

                                                                                                                         

  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 00:38Comments(0)サッカー&モンテディオ山形

2012年03月11日

2012年J2開幕戦(VS千葉)



 3月4日(日)、待望のJ2開幕戦(VSジェフユナイテッド千葉・市原)に駆けつけた。

 会場となるフクダ電子アリーナの最寄駅はJR京葉線の蘇我駅だったが、時間があったので千葉駅で降りて昼飯を食べることにした。
 さて、初めてJR千葉駅で降りてみると、駅前にモノレールの駅が隣接していることも影響しているが、その雰囲気が暗く、どうも殺伐としている。都市の顔となる駅前を、なんでこんな設計にしているのか、よその街ではあるがなぜか腹が立ってくる。
 もちろん、乗降客や通行人は多い。デパートのそごうが隣接しているし、駅前の大通りには都市銀行の支店ビルがいくつもそそり立っている。・・・そもそも千葉はそれなりの都会であるはずなのだ。こんなはずはない・・・賑やかな通りを探して歩き始めるのだが、どうしようもなく閑散とした街、“ビルの林立する田舎”という印象なのである。
 ろくな飲食店がないので、昼から営業している居酒屋でまぐろ丼を食ったが、やはりまずいものだった。

 もうひとつ印象的だったのは、千葉駅や駅前には、J2開幕を告げるポスターもジェフ千葉の旗も、スタジアムへの案内表示も、つまりこの街がホームチームもっていることをうかがわせるものは一切見当たらない。これにはやや驚いた。
 蘇我駅については、最寄駅だからそれなりに“ジェフ千葉のホーム”という演出が凝らしてあるのだが、千葉駅には本当に何もない。ということは、わが山形にしたら、天童駅には歓迎の装飾やスタジアムへのサインが表示されているが、山形駅にはモンテのモの字もないようなものである。

 だが、やはりサッカー専用スタジアムというのはいいものである。
 フクダ電子アリーナは、これまたどこか田舎くさいのだが、観客席の大半に屋根がかかっている。これはとても有難い。
 チケットについては、サポーター席で終始立ちあがって声援を送るのはどうも性に合わないし、東京在住の息子と会話しながら観戦しようとして「アウェイ自由席」を購入していた。(昨年、J1で柏戦に行ったとき、SS席に行く途中、モンテのタオルマフラーをしていたら、柏サポの若い兄ちゃんに絡まれたのでアウェイ席にしていたのである。)
 定められたゲートから入り、それらしき区画に入ろうとしたら警備員にそこは指定席だと指摘され、あっちだと指示された区画に移るのだが、それがよくわからず結局はサポーター席に座ってしまう。
 ということで、ゲーム中はほとんど立ったまま観戦。息子ともどもチャントに参加する羽目になる。




 山形サポは予想通り多数乗り込んでおり(報道によれば2,000人)、開会前にはスタジアムのコンコースでチャントの練習を兼ねた総決起集会みたいなものをやって、ずいぶんと気勢が上がっていた。
 “奥野やまがた”となり、選手もだいぶ入れ替わって、モンテの応援チャントもいくつか新しく考案されていた。
 だが、新しいチャントはイマイチ。なにを言っているか聞き取れないし、メロディもチャントとしては複雑でわかりにくいから、どうしてもノリが悪い。この点はサポーター諸君に再考を求めたい。
 面白いとおもったのは、このスタジアムには、客席を回ってビールを売ってまわる若い女性の売り子がいることだった。プロ野球の球場ではよく見る光景だが、サッカースタジアムでは初めて見た。寒いのに短パン姿である。
 20代前半と思われる売り子の女性が、ビールを買った山形サポと話しているのが聴こえてきた。

 「みなさんは山形出身の方?」
 「おれはこっちに就職したんだけど、こいつらは山形から応援に来たんだよ。」
 「大多数が山形から応援に来ているんだよ。」
 「へぇ〜。遠いのに、たくさん来ているんですね。」・・・とこんな感じだった。
 

 さて、しかし、ゲームの方は、0対2で敗北。
 前半は互角という印象だったが、後半にカウンターからサイドを抜かれ、中央に上げた低いセンタリングをジェフのFW藤田にうまく合わせられ、この同じパターンで2失点。
 4−3−3で臨んだモンテは、思ったより軽快に動き、中盤からプレッシャーをかけているようには見えた。千葉も同じような攻め方だったが、千葉の方が技術も体力も上回っていたという感じだった。
 中盤のボールの奪い合いで、キープ力の差がでた。モンテは、例によって相手のプレッシャーで苦し紛れにロングボールを蹴るというシーンがあり、また昨年からの課題だった前がかりになったときのディフェンスの穴、これが目立った。
 そして、やはりFWのここ一番での決定力。この差である。
 ジェフはいい動きだった。高い位置で防御ラインを構成していたが、とくに後半はこのラインのバランスがよく、厚い壁が瞬時に築かれ、モンテはその壁の裏側にボールを出すことができなかった。
 もっとも、中島、萬代、宮阪など、新加入の選手たちがそれなりにいい動きをしていたという印象はある。ディフェンスを再構築し、ホーム開幕戦に臨んでもらいたい。

 東京駅の駅前で一杯やって最終の新幹線で帰ってきたのだったが、モンテの選手たちと同じ車両になった。
 乗客が選手に歓声を上げ、握手を求めていた。そういえば、スタジアムでも、負け試合にもかかわらずサポーターたちは、あいさつにきた選手たちに惜しみない拍手を送っていた。
 山形駅の改札口を出たあたりで、奥野監督らしい姿を見かけた。その印象は、お兄ちゃんという感じで、“若いなぁ”というものだった。そりゃあ、小林前監督に比べたら若いに違いない。その成長を見るのが楽しみである。

 ところで、3月11日(日)の松本山雅戦は、はえぬきの秋葉の2ゴールで2対1で勝利してくれた。
 来週のホーム開幕戦(VS大分)が待ち遠しい。



追伸:
 2004年からこれまで、このブログがお世話になってきた「北国チャンネル」がリニューアルされ、「詩と批評(HIRAKUのチャンネル)」も引っ越ししなければならなくなった。しかし、どこに引っ越すか、まだ迷っている。
 3月中に引っ越ししなければならないが、引っ越し先が検索にかかりにくい場合も想定しなければならない。
 メールをいただければ、愛読者(というような方がいれば、の話だが、)には、引っ越し先を連絡させていただく。


  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 23:46Comments(0)サッカー&モンテディオ山形

2011年12月01日

モンテ降格決定、そして・・・。



 11月3日(木・祝)の第31節、アウェーの神戸戦に0―2で敗北し、ついにモンテの降格が決定した。

 モンテについては、前回の書き込みからずいぶん時間が経過してしまったが、この間、観戦を怠っていたわけではない。
 第26節・9月17日(日)、東日本大震災前のアウェー開幕戦で破れた雪辱を期すべく臨んだホームの川崎戦(0−1で敗北)。 第28節・10月1日(土)、2009年のJ1デビュー戦で快勝して以来、比較的相性のいい相手だったのにホームで1−1の引き分けに終わった磐田戦。 第29節・10月16日(日)、ジャッジ・ミスの疑念が濃厚なPKで0‐1となり、悔しい敗北を喫したアウェーの柏戦。 そして第30節・10月22日(土)、0−5で大敗したホームのガンバ大阪戦。
 この4試合を、半分は祈るような気持ちで、もう半分は妙に覚醒しつつ、じっと観戦してきたのである。

 ついでに言うと、柏のホームでは、SS席だったのでモンテのタオルマフラーを首にかけて入場し、ゲートを入ってすぐの売店に並んでいたら、「おい、おっさん。空気読めよ!」と若い兄ちゃんに因縁をつけられ、タオルマフラーを取らされる(ただし席ではただ一人ずっと着用したが)というオマケまであった。
 ついでに柏市の感想を述べると、柏駅に降り立ってもスタジアムへの経路についてはなんの案内表示もなく、しかも日曜日は駅前が歩行者天国になっていて、駅前のバス乗り場にバスが来ないのだが、その場合の乗り場の案内さえない。案内所がないどころか、改札にさえ駅員は一人も居らず、キオスクのおねえさんも「あたしこの辺の人じゃないから」とつれない。賑やかな駅前ではあるが、柏はとんでもないド田舎である・・・と、印象が悪かったので酷評しておく。(笑)




 ・・・とここまで書いたところで、11月19日(日)の第32節のホームでの福岡戦を観戦。
 このゲームで、モンテは最下位の福岡に0−5で完敗し、ついに最下位に転落。・・・というより、どん底に落ち込んだと言うべきだろう。
 この前段で、11月16日(水)にはやはりホームで天皇杯3回戦をJ2の京都と戦い、2−3で逆転負けを喫していた。
 この寒い季節に、しかも冷たい雨の中のナイトゲームが続き、中2日のモンテ選手たちのコンディションはよくなかったかもしれない。また、このゲームに先立って、クラブから来季は小林監督との契約をしないとの発表が行われていたから、意気が上がらなかったのではあるだろう。
 しかし、やはりこのゲームの内容は、今季のモンテを象徴するゲームだったと言わなければならない。
 要するに、“先取点を取られたら取り返すことができない”ということに尽きる。せめて1点をと焦って前がかりになり、全体のバランスが崩れる。瞬発力でも持久力でも相手より劣っているのに、焦ってバタバタと攻撃にエネルギーを使うから、すぐにバテて大量失点という結果になるのである。

 福岡戦の終了後、じぶんはすぐ帰途についたのでその後にスタジアム周辺でなにがあったかは知らない。ただ、後日、NHK山形の報道番組で、ゲーム終了後にサポーターらがフロントに抗議し、運営主体である「社団法人山形県スポーツ振興21世紀協会」(略称・「スポーツ山形21」)の川越理事長の辞任を求めたことを知った。
 じぶんはひとりのNSBFに過ぎず、事情通ではないが、以下にこの一連の状況に対する若干の感想を述べておきたいと思う。

 まず、サポーターらが川越理事長の辞任を求めた点について。
 報道によれば、サポーターらは、県職員OBである川越氏では、赤字を抱えてJ2に降格し、今後ますます経営手腕が問われるフロントの業務を担うことができないので、民間企業の経験がある人物を理事長にするよう求めたということであった。
 川越氏は、県の土木の技術職として勤務する傍ら、県サッカー協会の役員を務めてきた方であり、いわゆる「県からの天下り」と見るか、それとも順当な人事と見るかは人によって分かれるところだが、たしかに「経営手腕」という点では多分に疑問符がつくというのが一般的な見方であろう。
 じぶんは、たまたま40歳前後の川越氏を見知っていたが、そのころの印象からすると、彼が経営の厳しい、したがって営業活動に心血を注がなければならないプロビンチアの経営陣のトップである理事長に任命されたとき、少しく驚いたものだった。しかし、もちろん人は時間の経過ともに変化するから、昔の印象だけで彼がクラブのトップになる資格がないと決め付けるつもりはなかった。なるべく先入観を持たないようにして、予想が裏切られることを期待しつつ、モンテの一ファンとしてこの1年を観察してきた。
 しかし、それにしても、川越氏がクラブの経営強化に貢献してきたとは思えない。サポーターを増やすため、県民にモンテの支持を広げることに心血を注いできたというようにも見えない。
 夏までの間に観客動員数の減少に対して危機感を持ち、動員力の強化とスポンサーの確保にもっと早く、もっと必死で取組むべきだった。少なくても、必死で取組んでいるという姿を県民に見せるべきだった。
 じぶんは、難しい経営を強いられる弱小クラブのトップという重責に答えられなかったからといって、とくに川越氏個人を責めるつもりはないが、クラブの最高責任者としてはやはり結果に責任をとるべきだと思う。また、彼を理事長に任命した理事会、とりわけ理事会で相対的にもっとも実権をもっているはずの山形県、すなわち副理事長の高橋副知事にも川越氏任命の結果責任を感じてもらいたいところである。
 今季開幕前、モンテのGM(=スポーツ山形21の専務理事)の中井川氏と少しだけ話す機会があった。これはあくまでじぶんの印象であって彼が口にしたことではないが、中井川氏は、チーム運営のほか、戦力強化とサポーター拡大と営業活動とに、つまりは経営の全般に一人先頭に立って取組まざるを得ない様子で、非常に大変そうだった。じぶんは、これではチームの戦力がどうのこうのという前にフロントの事情で「J1モンテ」の限界がくると感じた。
 今季の状況は、案の定・・・という感じである。

 (・・・とここまで書いたところで、11月30日(水)、山形新聞が、川越理事長が辞任する意向であると報じた。)

 次に、サポーターについて。
 サポーターたちが、スポーツ山形21の理事長の辞任を求める署名活動を行い、その署名簿を本人に手渡した様子をNHKの報道で観て、あらためてモンテが“県民のクラブ”になりつつあると感じた。
 サポーターたちは、モンテをじぶんたちのクラブだと考えているのだ。
 もっとも、Jリーグではその全てのチームにおいて、サポーターたちは自分たちがサポートするチームを“自分たちのチーム”だと考えていることだろう。そういう意味では、どこも同じかもしれない。
 だが、モンテディオ山形に関して言えば、その意味は一段と深いものになる。なぜなら、このクラブはJリーグで唯一の「社団法人」だからだ。モンテは「NEC山形」のサッカー部としてスタートしたが、J2に加盟するにあたって「社団法人」という形態にメタモルフォーゼを遂げた。
 それは経営基盤が弱いために株式会社として成立しえなかったからではあるが、同時に、県内の民間企業に県と市長会・町村長会が参加し、民間企業と自治体が全体で支えるという体制を選択したからでもある。だから、県民にとってもモンテはじぶんたちのクラブなのである。
 サポーターたちは、まず自分の意志によってモンテを支えているが、と同時に、この山形県というコミュニティの一員としても、“すでに/つねに”モンテを支えている。そのことの表出の一形態が今回の辞任要求だと看做しておきたい。

 しかし、同時にここにまた難題が存在するのでもある。
 このブログでこれまでも言及してきたが、プロビンチアを支えるということは、主観的な想いや単眼的な行動ではうまくできない。つまり、「おれたちはモンテが好きだから、モンテを支える」「おれたちはサッカーが好きだから、モンテを担う」だけでは済まない。理事長退任を求め、「民間企業の経験のある経営責任者を」と要求するだけでは済まない。言い換えれば、“批判型”や“要求型”の取組みでは済まないのである。
 2008年の「フルモデルチェンジ構想」に触れた際にも述べたが、サポーターやファン(=県民)には“批評的”な分析と“提案型”の対応を追求していくことが求められる。言い換えれば、じぶんがフロントに入ったらどう動くか、なにができるか、という発想が必要なのだ。モンテサポのブログをいくつかフォローしているが、こういう視点で書かれているものはほとんど見かけない。
J1復帰を目指すなら、そこにはつねに、モンテにもサッカーにも大して関心のない県民をどのように惹きつけるかという視線が据えられていなければならない。そしてそのためには、その展望を拓く能力を持った内外の人材(たぶん今はまだモンテにもJリーグにもそれほど関心を持ってはいない人間)を巻き込むことが不可欠である。



 さて、モンテの降格が現実味を帯びてきたのは、7月2日のアウェー新潟戦での敗戦からであるが、その後のホーム観客席の様子を窺っていると、観客は、モンテのふがいなさに愛想を尽かしたり自虐的に卑下したりする者と、モンテが負け続けても観客席でモンテを応援していることがごくごく自然のことだというように飄々と存在する者とに分離していき、節が進むにしたがって、前者が減り、相対的に後者の割合が高まっていくように思われた。
 11月19日の福岡戦では、観客はついに5,000人台まで落ちた。
 降格が決まり、チームはさらに負け続けていた。小林監督の契約更新をしないこと、来季は予算が大幅に縮小することが報じられ、冬の早い山形のこの季節にも関わらず、ゲームは雨の夜に行われた。しかも、相手は当時最下位の福岡だった。その分を勘案してこの数字をどう捉えるか。
 J1昇格以来昨年度まで、たしか、じぶんはコアな観客を8,000人程度とみていた。しかし、それは現時点で5,000人に修正しなければならない。だが、来季、この5,000人という観客規模を最低ラインとして維持できるなら、モンテは以前のJ2しか知らない時代と明らかに異なるモンテになっているだろう。いや、この3年間の「J1モンテ」以上のクラブになれるかもしれないと思う。
 

 12月3日の最終節はホームで、これまでとことん相性の悪い広島を迎える。
 モンテがどんな戦いをしても、モンテはわれわれのチームである。(了)





追伸(近況報告)
 9月に書き込みして以来、70日も書き込みしていなかったので、体調を崩しているのではないかと心配してくれた方もいたが、じぶんは無事である。
 じつは、北海道旅行の後、思いがけなくも帯状疱疹になり、その治療経過が紆余曲折を辿ったのでやや辛かったことはあるが、仕事を休むこともなく、というか仕事のほうはかなり忙しく、こうしてパソコンに向かう時間がなかったのである。
 なお、10月8日に青森市で開催された日本現代詩人会の東日本ゼミナールに山形県の詩人として招かれ、自作詩を朗読してきた。時間があればこのときのことをここに記しておきたいと思っている。
 また、現在、4冊目となる詩集を書肆山田から出版する準備をしており、二校が終わったところである。
                                                                                                                                                                                                                                


  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 01:28Comments(0)サッカー&モンテディオ山形

2011年08月28日

モンテ観照記 2011  「われわれは堪える」



 残り試合数が刻々と減少していくなか、モンテディオ山形はなかなか上昇機運に乗り切れない。第23節の清水戦を終えたところで、勝ち点16で降格圏の17位。すぐ上の順位のチームとの得点差を縮めることができないでいる。
 
 第21節から第23節までの試合に触れておきたい。
 まず、第21節の8月13日(土)、甲府を迎えたホームゲームで、モンテは久しぶりの勝利を収めた。
 この試合の前半、甲府は、ハーフナーマイクやダヴィらのFWやMFがモンテの守備ラインから一斉にディフェンスの裏へタイミングの絶妙な飛び出しを見せ、たびたびモンテのゴールを脅かした。
 モンテ守備陣は最初のうちはよく対応していたが、メインスタンドから見ていると、甲府攻撃陣の飛び出しの鮮やかさに「あ〜、これでは点を奪われるのも時間の問題だ・・・」と思わされた。
 前半はなんとか無失点で折り返したものの、後半はゴール前での対応力が低下。心配していたことが現実になった。
 しかし、1点を先取されたモンテは、今までとは違っていた。これまでは先制されると巻き返す力が出なかったが、この試合ではすぐに追いつき、さらには今季広島から中途移籍(レンタル)したFW山崎がついに覚醒(!)して2得点をあげ、3対1でホームでの久々の勝利をあげた。
 先制されても諦めない粘り強さと山崎の活躍が、希望の灯りを点したのだった。

 希望を抱きながら乗り込んだ第22節、アウェイの大宮戦。(8月20日)
 昨年もそうだったが、降格圏のボーダーラインにいる大宮との対戦は、今季も残留を左右するかなり重要な一戦のはずだった。
 ビジター自由席から眺め降ろすサッカー専用のNACK5スタジアム大宮のピッチは、美しい薄緑色に浮き上がっていた。
 生憎の雨と今季の低迷からか、モンテのサポーターは昨年より少なかったが、山形に駆けつける大宮サポの数を遥かに上回る山形サポが、今年も大宮に駆けつけた。山形サポの数は1,500〜2,000人くらいかと思われる。
 NSBFを標榜するじぶんは、アウェイゲームを観戦するとき、サポーターと少し距離を置くためにビジター自由席の端に座る。このときも最上段の一角に陣取って、まさに“高見の見物”を決め込もうとした。
 ゲームの方は、モンテのパッとした展開がないまま、押し込まれながらも前半を無失点で終え、「これがモンテのペースだ」と期待して後半を迎えたのだったが、大宮のFW石原が交代出場すると、その石原にあっという間にゴールを奪われてしまう。
 じつは、去年もこうだった。石川のFKでやっと追いついたと思ったら、途中出場したばかりの石原に勝ち越しのゴールを決められて1対2で敗北したのだったから、またあのパターンで負けるのか…とイヤ〜な感じがした。去年の大宮は、リードした途端に 全員の動きが活発になり、モンテは反撃らしい反撃をさせてもらえないまま終わったのだった。
 しかし、今年はその再現だけは避けられた。モンテは、太田がゴール前のこぼれ球に反応してすぐに点を取り返した。
 この辺りからわれわれ“高見の見物派”も黙って見てはいられなくなり、雨具姿で立ち上って、いつのまにかサポーターとともにチャントを口にしていた。
 ここで勝ちきるかどうかが、残留をめぐる大きな分かれ道になる極めて重要なゲームだったのである。
 結果は1対1の引き分け。“先制されても諦めないモンテ”の姿勢は根付いてきた。しかし、残留に向けた勝ち点積み上げのうえでは、この局面における引き分けは負けに等しい。残された今季のゲーム数の少なさが重くのしかかってくる。大宮サポに囲まれながら氷川神社参道を歩く駅までの真っ暗な帰路は、来た時よりも遥かに長く感じられたのだった。


 
 ということで、“後が無くなった”モンテは、8月24日(水)の第23節をホームで迎える。相手は、今季アウェイで完敗を喫している清水。
 この日、じぶんは「市民応援デー」(山形市ほか対象)による割引チケットで、北バックスタンドに座った。
 平日の夜であることと天候が不安定だったことからか、観客の入りは良くない。この日は、ついに7,000人を切ってしまった。・・・ということはどういうことかと言えば、いつもと比べて子どもと子育て世代、それに若者が相対的に少なく、おっさん、おばさんが相対的に多いということである。
 こういうときに、北バックの“北バックらしさ”が現れる。たまには、こういう環境での観戦もよし、である。(^^;

 ゲームはといえば、前半はモンテが次々にミスをして、はらはらさせられる展開。
 モンテがひどい分、小野をはじめとした清水イレヴンのパス回しはなんと美しく、そのボールコントロールのテクニックはなんと高度に見えたことか・・・。
 北バックのおっさんたちからは、「モンテ、集中しろよ!」と檄が飛びはじめる。モンテのふがいなさに、その檄は「しっかりやれ!」と、イライラの野次に変わりはじめ、ひどいパスミスに、おばさんたちから自嘲気味の失笑も入る有様である。
 この前半は、よく無失点で乗り切れたものだと思わせられるほど、モンテの動きはまったくもってチグハグなものだった。
 
 しかし、後半は事情が変わる。
 後半早々、いつものように相手にCKから鮮やかなヘディングシュートを決められたところまでは、まさにいつものような負けパターンだったが、そこから今までにない状況が生まれた。
 1点先取した清水は、後衛でボールを回し始め、プレーが途切れると再開に時間かせぎのようなスローモーな動きをする。そこにモンテのサポから抗議の声が上がる。
 だが、傍目から見ていると、前半のモンテの攻撃の組み立てがひどいものだから、清水にはこのまま護りきるのかそれとも追加点を取りにいくのか、迷いが生じたように見えた。
 それに対して、モンテはボールを奪うと何度も何度も前線にボールを上げ、DFを追い抜いてGKの前に走りこもうと試みる。
そしてついにこの攻撃が成功する瞬間がやってくる。太田が走りながらのヘディングでミドルシュート!・・・それがゴールマウスに飛び込む。
 その後は、見違えるようにモンテの動きがよくなり、再三清水ゴールを脅かす。ゴール前でドリブルでGKをかわし、フリーになって決定的なチャンスにシュート!・・・ああ、だが清水のディフェンスがゴール前に走りこんで足でクリア・・・(--;
 そして終盤には、モンテのドリブル突進でファウルを誘発し、PK!・・・このとき、われわれは“残留”への希望の灯火が勢いを増して輝かんとしているのを視た・・・はずだったのだが、川島のPKは清水のGKに止められる・・・あぁ(--;、あぁ(--;、
 その後もモンテは攻め立てるが、やはりあの“決定力不足”は深刻なのだった。・・・こうして、またも引き分け。
これが残留圏にいるときのゲームなら、われわれは「今日のモンテはよくやった。おしかったなぁ・・・」と帰路に着くのだが、この状況下ではちがう。・・・あの希望の灯火の炎は、さらに弱弱しいものになっているのだった。

 しかし、しかし、われわれはまだ堪える。
 モンテはいいゲームをするようになった。
パスミスやトラップミスが多く、相手にプレッシャーをかけられると、すぐに通る当てのないロングボールを蹴るという中学生のようなプレースタイルだが、なんだか“これがモンテだ!”という悟り(?)さえもが開けてきた。
 この局面における長谷川悠の肉離れによる一次離脱が残念だが、・・・われわれはまだ“奇跡”を信じて堪えるのである。

 ・・・と、ここまで書いて、NHK-BS「Jリーグタイム」で、27日の第24節、仙台との“みちのくダービー”(ユアテックスタジアム仙台)の結果を知った。
 結果は1対2で前回対決に続いて敗北・・・。
 仙台の1点目。モンテDFのミスも絡んでいるが、仙台のFW赤嶺のトラップからシュートへの動きが素晴らしかった。
 引き続きすぐに仙台にPKを与え、2点目を決められてしまったのが悔やまれる。
 
 ・・・と、この結果を知りつつもなお、われわれはまだ“奇跡の奇跡”を信じて堪えるのである。あっは。                                                                                                                                                                               



  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 18:45Comments(0)サッカー&モンテディオ山形

2011年08月09日

2011 モンテ観照記「モンテますます危うし」



 モンテディオ山形が勝ち点を伸ばせないで苦しんでいる。
 第20節の鹿島戦に敗れたところで、勝ち点12で降格圏の17位。 
 このブログはモンテの話題からちょっと離れていたが、ゲームの観戦をサボっていたわけではない。
 7月2日(土)に新潟市のビッグスワン・スタジアムで開催された第2節の新潟戦まで遡って、モンテについて述べておきたい。

 この日の対戦は「裏天王山」と言われていた。モンテがJ1残留を決めるためには、16位にいる甲府に追いついただけではだめで、その上にいるもう1チームを引きずり降ろさなければならない。降格圏のすぐ上にいるチームで手が届くかもしれないチームはアルビレックス新潟くらいのものだった。他は、鹿島や浦和やセレッソ大阪で、これらのチームはそのうち上にいくと考えなければならない。だから、ここで新潟を引き付けておくことが残留には極めて重要なのだった。
 写真は、ゲーム開始前、スタジアムのコンコースに集合して決起集会を開催しているモンテのサポーターたちである。真剣な想いがひしひしと伝わってきた。
 じぶんは、ここで何度も自己規定しているように“NSBF”という立場を貫こうと思っているので、この集団には加わらない。客席も、限られたビジター自由席ではあるが、なるべくサポーターの中心部から離れた場所に座り、声援と野次を飛ばしながら観戦した。
 ゲーム内容はといえば、モンテはさっぱりいいところがなく0対2でホームの新潟に完敗という状態だった。

 アウェーに追っかけてきて敗けたとき(これまでFC東京・大宮・川崎・新潟とアウェーに付き合っているが、一度も勝ちにめぐり合ったためしがない)は、帰りの気分が一段と重い。そのせいで悪態をつくのだと看做して欲しいが、初めて訪れたビッグスワン・スタジアムは大きくて立派といえば立派だが、その施設の印象はいいものではなかった。野球のスタジアムが隣接し、運河が引かれていて、広大な運動公園という体裁なのだが、緑が少ないせいか、それとも施設配置や空間デザインが大雑把なせいか、どうも全体としてガランとしていてホスピタリティに欠ける。運河の水が汚いのも気になる。
 一度スタジアムに入場したらもう場外に出られないという運営も良くない。場外の出店で飲み食いしたほうが良いのか、場内の店の方が充実しているのか、その判断ができない。
 ちなみに、場外には山形で馴染みの店舗も出店していたので、じぶんは場外に置かれた椅子とテーブルでビールを引っ掛けてから入場した。しかし、考えてみれば新潟にきたのだから、新潟のソウル・フードを喰いたいものだ。
 近くのテーブルが空いたので腰掛けようとしたら、新潟のユニフォームのレプリカを着た60代の夫婦とかち合い、「呉越同舟」することになった。(じぶんがモンテのタオルマフラーを首にかけていたので、そのオヤジが「お、呉越同舟だな」と言いながら腰かけたのである。)
 この髭オヤジにちょっと話かけた。以前にモンテの監督も努めた新潟の前監督・鈴木淳(現・大宮アルディージャ監督)はなんでクビにされたんだと聞いたら、「新潟は金がないから逃げられたんだよ」と言い、「鈴木は優秀な監督だったが、その前の監督に比べて愛想が悪くて人気がなかった」と言ったので、「新潟が“金がない”なんて言ったら、モンテはどうなるんだよ。うちは金欠で外人の助っ人がまったくいない。」みたいな話を返した。
 以前モンテに在籍していたころJ2の得点王になった大島について元気でいるかと訊いたら、「大島は足が遅くてだめだ。ゴール前でノロノロしている。」と言うので、「じゃあモンテに返してくれ」と言ったら、「ダメダメ」とケチりやがった。(笑)
 ・・・とここまで書いて思い出した。新潟名物(?)のB級グルメを食べたのだった。外見はスパゲティみたいだが、よく見ると麺の色は蕎麦みたいで、食べてみるとだらんとした饂飩みたいな「イタリアン」という奇妙な麺だ。例のオヤジは「新潟で“イタリアン”と言えばこれだよ。子どものころよく食べた。」と言った。この不味い麺で育った新潟の人間にはタジタジとなってしまう。
 


 さて、この日の「裏天王山」で敗北したリベンジを遂げるべく「裏天王山の再戦」となった7月30日のホームでの新潟戦も観戦した。
 ここまで、モンテは7月6日にホームで浦和と0対0で引き分け、その後、マリノスと名古屋に0対2で敗れるも、7月24日の福岡にアウェーで2対0と快勝。長谷川悠のダイビングヘッドも出て、やや調子を取り戻しつつあった。
 この日のゲーム内容は、モンテの動きは前回の新潟戦よりは格段に良かったが、右サイドを深く抉られたたった一度の機会に上手く押し込まれて点を献上した後、攻め上がるもののいつもの決定力不足でついに得点できず、0対1でまたもや敗北。この敗北は、残留の可否という点ではかなり重い結果になり、ゲーム終了後には、サポーターからついにブーイングが沸き起こった。(モンテサポは余程のことがない限りブーイングしないのだが。)
 夏休みに入った土曜日で、やや天候に不安はあったが対戦相手が「天地人ダービー」相手の新潟であることから、昨年までなら1万3千〜5千人くらいは観客があってもいいゲームだった。だが、入場者数は1万ちょっと。新潟サポが3千人くらいはいたように見えるから、モンテ側の観客は「ダービー」でも7千人程度という規模に減少していたと見なければならない。今季からホームのサポーター自由席が拡張されたことを踏まえても、大事な試合でサポーター自由席の向かって左側に空席が生じていたことが気になった。クラブ(スポーツ山形21)の更なる危機意識を喚起しておきたい。

 さて、ここで“NSBF”という立場から、モンテ及びJ1各チームのサポーターを見てきたことの感想を言えば、モンテの応援はなかなかいい。ひょっとしたら、今のJ1では、もっとも優れた応援かもしれない。
 第一に、真面目で自棄(ヤケ)にならない。第二に、J1でもっとも一生懸命チャントを繰り出している。第三に、自チームの選手を批判しない。(ちなみにじぶんはNSBFなので、モンテの選手への罵倒も繰り出しつつ観戦している。)
 とくに、ゲームの開始以前から終了後まで、ゲーム中はほとんど声が途切れることがない点、それとチャントのバリエーションが豊富な点は、他チームと格段に異なる。
 以前、たとえば仙台のサポと比べてモンテのサポの声援にはパンチ力がないというようなことをここで述べたような気がするが、J1のゲームを見続けてきて、この言い草に修正ないしは補足を加えなければならないと思うようになった。
 モンテ・サポのチャントに比較的パンチ力がないように思われるのは、モンテ・サポの声援がゲーム中ほとんど途切れることなく続けられていることと、そのチャントが“歌唱”になっていることの裏返しなのである。

 ところで、最後に、やはり残留への道が極めて険しいことについて再度述べておかなければならない。
 今季のモンテの不振は、まず、補強で田代や増田の穴を埋めることができなかった点に発しているが、とすれば今は、J1昇格1年目(このときも田代や増田が居なかった)に15位でかろうじて残留を勝ち取ったときとの違いは何なのかをもう一度振り返る必要があるだろうと思う。
 まず、小林監督の戦術の変化がある。
 2009年にはとにかく護りに重点を置いていたが、2010年は中盤から積極的に相手にプレスをかけ、攻撃の積極性を重視するようになった。
 さて、2009年には、クラブにも、それを支える地域にも「J1のモンテ」という輝かしい(というか信じられない至福の)状況をなんとか維持しようという熱気(というよりも必死さ)があった。これが“奇跡のJ1残留”を達成させたのであるが、この“初昇格効果”が2年目にも通用するわけではないことは、クラブ関係者にも、われわれファンにも見えていた。だから、2年目は1年目と同じ戦い方では勝ち抜けないという認識のもとで、小林監督は田代や増田の起用を梃子として“攻撃的なモンテ”を目指した。これは正解だった。
 だが今季、田代や増田に鹿島に帰られ、外人で唯一使い物になりそうだったウーゴは大震災の影響か一度も出場しないまま消え去った。シリーズのスタート時点において、これに代わるべき長谷川・大久保などの活躍がえられず、しかものびしろを期待した若手が上滑りするままに、ずるずるとゲームが消化されていった。勝ち点を重ねることができていないため、気づいたときはすでに“攻撃的なモンテ”から“護りのモンテ”に転換する機会を失っていた。ようするに、得点力欠乏症が明らかになった時点で、護りに徹する勝ち点の余裕がなくなっていたのである。ここに、対戦相手がモンテを舐めてくれていたために、スタート時点で勝ち点を重ねられた2009年との大きな違いがある。
 
 しかし、このことをもって小林監督の戦術・戦略が失敗したのだと指摘するつもりはない。
 負けが続く今季のゲームだが、だらしない負け方の試合はそんなに多くない。モンテの皆はよくやっている。ただ、技術力で(そしてたぶん持久力でも)、個人対個人では明らかに相手との格差があるのである。問題は、その技術的(さらには体力的)な劣勢を、モンテの選手たちがイマイチ認識していないように思われることだ。相手と同じパスでは、味方には通らない、相手より早く動かないとマイボールを保持できない・・・。
 そして、あとは抜け目なく少ないチャンスを得点に結びつけるタレントがいない“だけ”なのである。
 だから、今季のモンテは、まずはこれまでの戦い方を突き詰めていくほかない。大久保はゴールを決められなくていいからポスト・プレーに徹し、秋葉はミドルシュートを枠内に確実に打ち、石川はフリーキックをコーナーに集めること。サイドのMFらは中途半端に自分で切り込まず、サイドを抉ってできる限りマイナスのボールをFWに上げること。長谷川はそれをダイビングヘッドで枠内に打ち込むこと。そして、太田や川島や伊藤や古橋や宮崎や佐藤健や船山は、いつでもこぼれ玉を狙っていることだ。
 もちろん、それ以前に、マイボールのスローインを相手に奪われないように複数のプレーヤーが自らボールをもらいに行くこと、ロングボールについてはトラップ・ミスしないこと・・・この基礎をまずは徹底してほしいのだが。

 さらには、上記と同時にクラブとしては次の課題に対応することが必要だ。
 それは、今季でJ2に降格した場合どうやって次のJ1復帰を成し遂げるか戦略を構築し、いまからそのための布石を打つことである。それはとりもなおさず、J2に降格した際に、地域住民のクラブへの支持を如何にして維持・拡大するか、その方策を示すことに他ならない。
 じぶんとしては、8月と9月のゲームで降格圏を脱出できなかった場合、10月以降のゲームで大胆に地域住民を動員する手立てを講じることを提案したい。たとえば、入場料をすべて1人1,000円にする。あるいは、11月19日の福岡戦については、バックスタンドとホーム側サポーター自由席を全て無料にするなどである。これまでスタジアムに足を運んでいない住民、たまには観戦するがサポーターやファンとまではなっていない層の住民、そして中学生や高校生。そういう観客をまずは動員し、かれらにあの会場で「月山の雪〜」の合唱を聴かせ、あわよくば歌わせることが“J1復帰”への階梯となるだろう。

 さて、8月13日、次節は甲府をホームで迎え撃つ。
 勝っても勝てなくても、われわれは“モンテという快楽”とともにある。その快楽を味わいに、天童のスタジアムに繰り出そうではないか。                                                                                                       


  

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2011年06月16日

2011 モンテ観照記 「モンテ危うし」



 東日本大震災で中断する前3月の開幕戦・対川崎のゲームについて記述して以来、このブログでモンテの話はご無沙汰だったが、ここまでホーム開幕戦(第7節)の対セレッソ大阪戦(4月24日)、第9節の対柏戦(5月3日)、第14節の対鹿島戦(6月11日)と、ホームで3試合を観戦し、いろいろと思うところはあった。

 このちゃちでたまにしか更新されないブログを、それでも毎度チェックしてくれている読者が幾人かいるようだが、どうもそういう諸君はモンテの話に興味がないようである。(「近頃はサッカーの話ばかり書いているねぇ・・」などとつまらなそうに言われたこともある。)
 たしかに、山形に縁のある人間か余程目配りしているサッカーファンでない限り、この地味で弱体なプロビンチアに関心を持たないだろうとは思う。
 だが、モンテを観照する意味と面白さは、たしかにある。無駄な話にも耳を傾けてやろうかと、すこし余裕をもってこの系統の文章につきあっていただければ幸いである。

 ここまでJ1公式リーグ戦10試合を終え、モンテは1勝7敗2分で18位。すでに降格の危機が迫っていると言わなければならない。なぜなら、ここまでの戦いを見ていて、“勝てる相手”が想像できないからだ。
 第7節(実質第2節)のセレッソ大阪戦で引き分け、第8節のガンバ大阪戦には破れたものの、第9節の柏戦に勝利したところ(1勝2敗1分)までは、むしろまずまずの出来だった。
 その次に当たる磐田はなぜかモンテと相性がよく、大宮もホームなら勝つ可能性がある相手。その次の仙台とは燃え上がる“みちのくダービー”で、昨年はホームでは快勝していた。そして、次の甲府は、これは“勝てるはず”の相手、“勝たなければいけない”相手だったからである。
 しかし、小林監督が“勝ち越したい”と望んだこの「中位クラス」の4チームとの対戦成績は3敗1分に終わり、次の第14節のホーム・鹿島戦は、やはり相手の上手さにしてやられて完敗。第15節のアウェイ・清水戦は、例の問題レフリーに裁かれる試合で、ゴールしたPKのやり直し判定やロスタイムの如何わしいファウル認定などもあって惜敗したが、これでは、“いったいどこになら勝てるんだ!?” “ライバルはベガルタでもアルビレックスでもなく、ブラウビッツ秋田(JFL)かぁ!?・・”などと思わずにはいられない。

 ホームゲームで直近の鹿島戦を振り返りながら、勝てない原因とその対策を考えてみたい。
 このゲームでは、前半の前半分くらいまでは、中盤で攻めあういい展開だった。モンテが攻勢をかける場面も幾度かあった。
 しかし、いつもながらのことではあるが、やはりこのゲームでも、この“攻め込む時間帯”に得点ができなかった。
 モンテは、いつもだいたい前半の20分近くまでは攻め込むのだが、ここで得点ができないと20分台から30分台に相手に攻勢を許すのがパターンになっている。最近はこの時間帯の失点が目立つ。小林監督が大事だと言う“試合の入り”を上手く乗り超えても、じつはこの時間帯の方がモンテにとって“魔の時間帯”なのである。

 とくに能力の高い選手がいないモンテは、全員が緊密に連携して戦うことでしか活路を開けない。そしてそれを実践してはいるのだが、この緊張感が不意に途切れ、連携が急に乱れることがある。
 具体的に述べると、味方選手が倒れているのに相手が試合を止めないことにイラついたり、審判の不当なジャッジに抗議したり、相手が反則を犯したからホイッスルが鳴るだろうと看做したりして、ボールや相手プレイヤーの動きから集中が外れた瞬間につけ込まれている。この僅かな時間にかなりの確率で失点している。
 この種の失点が多いため、“やられた”という事実、つまり自分たちの失敗をしっかり自覚することができない。事実の帰結に納得して気持ちを切り替えるということができないから、憤懣を抱いたまま次のプレーに移り、反撃の攻勢も雑なものになってしまう。
 こういうときには、大きな声を張り上げてチームメートを“切換え”の方向に引っ張るムードメイカーが必要である。

 このことを逆から視ると、モンテの得点力の回復はここにかかっているように思える。どんな相手でも連携が乱れたり、集中力が低下したりする時間帯がある。ここを突けると、相手の乱れを増幅させることができる。
 自分たちが技術でも持久力でも相手より劣っているという自覚をもっとはっきりもって、この“潮目”を見定めることが重要である。
 2009年を勝ち抜くことができたのは、まず徹底して護り、我慢強くチャンスを待つという姿勢があったからである。小林監督は、2010年からモンテをより攻撃的にしようと努めているようだが、モンテイレブンは常にパワーとスピードを発揮できるほどの能力をもっているわけではない。アグレッシブな姿勢は評価するが、もう少し“潮目”を視て、ここだという時に攻勢に移るということ、つまりいわゆるギアチェンジの重視を徹底すべきだろう。

 中盤での展開にも感じることがある。モンテのボールコントロールの下手さである。
 テクニックとスピードが相手より明白に劣っているのにその自覚が十分でないから、相手が近くにいるのに味方のパスが通ると思っている。パスは通ったとしても、ボールのコントロール力で劣っているから、近くに相手がいるとすぐさまコンタクトを受けて次に無理なパスを出させられる。
 “自分たちは相手よりヘタだ”という自覚が足りないことを、味方のスローインを相手に奪われる確率と味方のロングパスを相手に奪われる確率の高さが物語っているはずである。
 ようするに、相手がするのと同じようにパスが通る、相手と同じようにボールの保持ができる、と、こう考えてはいけないのである。パスを通すためには、相手がするよりもっと広い隙間を作らなければならない。相手同士なら通るパスでも、味方同士のパスなら、受ける方がもっとスペースに抜け出して広いパスコースを開かなければならない。つまり、相手より激しく動かなければならない。にもかかわらず、相手よりスタミナが劣っている・・・ならば、やはり力を効率よく使うために“潮目”を読む眼が肝要ということになる。

 攻撃面について目立つのは、サイドの切り込みの甘さである。鹿島戦では、ほとんどサイド深くに侵入させてもらえなかったという印象だった。
 田代というFWタレントのいた2010年のみならず、長谷川が活躍して初残留を勝ち取った2009年においても、サイド攻撃が武器だった。サイド攻撃を繰り返すうちにコーナーキックを得て、“得点の匂い”というものがしてくるのだった。2011年は今のところ、このサイドの切り込みができていない。したがって、試合の流れのなかで“得点の匂い”がする時間帯がさっぱり無いのである。
 サイドをもっと深く切り込むことと合わせて、中央攻撃ではMFが自分のレンジに入ったらもっと積極的にミドルシュートを放つべきである。もちろん、最低でも枠内に入るシュートを放たなければならないが、そのシュート1本で決める必要は無い。ヘタなチームはこぼれ玉に押し寄せるという初歩的な戦術を忌避してはならない。
 また、これは今年のモンテでも何回か見られたが、長谷川やジャンボ大久保をバスケットボールのポストプレーヤーのように使ってセンタリングのボールを落とさせ、それに2列目がポイントガードのように走り込んでシュートという攻撃をもっと洗練させ多用してもらいたい。
 また、中盤から前方を走るFWにアシストのパスを出すときは、FWの前方にパスが転がるようにしなくてはいけない。長谷川や大久保のテクニックでは、後ろから鋭角的にきたパスを効果的なシュートにすることは容易ではない。彼らには、その前方にいわゆるマイナスのボールを出してやらなければいけない。いずれにしても、味方の誰かが中盤でボールを持ったら、前線に走りこむMFやDFの数を増やす必要がある。


 さて、いまのところ、言いたいことはこんなところだ。
 一言で言えば、ここまで落ちたら“強くなること”や“上手くなること”をとりあえず諦めて、“勝つこと”を目指してほしい。勝つために強くならなければならないというのは、ちょっと違う。強くなるというのは、いままでできなかったことをできるようになるということだが、この段階ではもうそれはひとまず諦めて、“できることをやる”という方向に切り替える必要がある。
 そのためには、自分たちが“相手に比べて能力の低いチームだ”ということを徹底して自覚することが第一である。

 能力の低いチームが勝つ・・・われわれはその面白さに魅かれて毎度スタジアムに足を運ぶ。なぜなら、どんなに斯界の評価が低くても、勝ったチームが能力のあるチームなのだからである。             (了)






  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 22:36Comments(0)サッカー&モンテディオ山形

2011年03月08日

2011年 モンテディオ山形 アウェー開幕戦

 
 2011年のJリーグが開幕した。
 モンテの開幕戦は、3月5日(土)川崎フロンターレとの対戦。
 じぶんはホーム開幕戦(3月19日、対浦和)を待ちきれずに、川崎市の等々力陸上競技場に出かけたが、結果はなんと0対2で敗北・・・。

 前半の立ち上がり、モンテは相手陣営に攻め込むが、なかなかシュートまで持ち込めない。
 いつも17分過ぎくらいから相手に押し込まれるのだが、この度も同じ展開で、30分台にディフェンスの隙を突かれ、左サイドを速攻気味に破られて2点を奪われた。
 速いギアチェンジに着いていけないのはモンテ・ディフェンスの弱点だが、このゲームでもそれが出た。
 この試合のキーパーは、これまでのモンテの守護神・清水ではなく、植草だった。フロンターレの放ったシュートは2本ともいいシュートだったが、清水だったら止められたのではないかと思ってしまった。
 小林監督はなぜ開幕戦に植草を使ったのか。植草が川崎フロンターレから移籍した選手だから川崎戦に起用したのか・・・などとも思ってしまった。(選手紹介の際、川崎サポから植草に拍手が送られていたことも、これあり・・・。)







 後半はモンテの動きも前半より良くなり、中盤ではフロンターレと互角に近い動きをしていたのではないかと思う。もし前半を失点なしに終えられていれば、フロンターレにも隙ができたのでは・・・と悔やまれる。
 この試合全体を振り返ってみると、やはりモンテの攻撃力不足の感が強い。相手を崩しきることができず、決定的なシュートチャンスを得ることができなかった。
 長谷川にボールを出そうとしても、しっかりマークされている。長谷川が自分でシュートまでいけないとき、長谷川がアシストする2列目の飛び込みがほしい。あるいは、2列目以降がミドルシュートを放ち、そこに雪崩れ込んでキーパーのこぼしたボールを押し込むなどの試みが必要だろう。
 田代と増田が鹿島に帰り、いまのところ今季の補強メンバーが活躍できていない。現時点では、モンテの攻撃力はかろうじて残留を果たした2009年のレベルに戻ってしまった。いや、長谷川がしっかりマークされるようになった分だけ2009年よりも弱体化していると看做さざるを得ない。

 さて、試合結果は今後の厳しさを予感させるものだったが、等々力の雰囲気はまずまずだった。
 コンビニの端末でメインスタンド席を購入したのだったが、それはなんとホーム側の指定席だった。
 川崎のファンたちに囲まれつつ、ひとりモンテのタオルマフラーをして声を殺してモンテを応援していたという次第だが、周りの川崎ファンはよく言えば良質、悪くいえばイマイチ熱が無いという感じがした。
 サポーター席でコールに合わせて応援している人々の数を見ると、それはモンテのホームの半分くらいかと思われた。
 写真のようにモンテのサポも大勢詰めかけ、いつものように間断なく応援していた。

 風は冷たかったが、天気のいい、観戦日和ではあった。
                    

 ところで、翌6日の日曜日には、新宿の「テアトル新宿」で、園子温監督作品の『冷たい熱帯魚』を観た。
 その感想は次回。




                                                                                                                                                                     



  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 01:03Comments(0)サッカー&モンテディオ山形

2010年12月11日

モンテぶらから観照記 その7 最終節 鹿島戦





 今季最終節の12月4日(土)、今季の見納めに、対鹿島戦を観戦にNDスタを訪れた。
 この時期までに、例年なら一度は市街地にも積もるほどの雪が降っているところだが、今年は夏からの暑さが未だに影響しているのか、霙らしきものが一度降っただけである。
 とはいえ、この季節は寒い。防寒のため、合計5枚も着込んでの観戦となった。



 メインスタンド観客席に入ると、ビジター自由席の向こうに、初冬の弱々しい陽射しに照らされた冠雪の山々が姿を現していた。
 このメインスタンドから眺める東側の山々は、四季折々に異なった表情を見せて、飽きることがない。
 たぶん、このNDスタは、日本のサッカースタジアムの中でもっとも美しい風景を見ることができるスタジアムの一つだろう。


 ゲームの方は、鹿島ゴール前でDF西川翔吾がMF秋葉勝のシュートによく反応して、そのコースを変化させる技ありゴールを決めて先制したものの、その後、MF下村東美が相手のセットプレーに対する守備の際に、自陣のペナルティエリア内で相手選手を抱え込んだとしてファウルを取られ、小笠原にペナルティキックを決められて・・・1対1でドロー。






 写真はこのファウルのシーンではないが、たしかにモンテのDFが鹿島の選手に抱きついているように見える。・・・もっとも、こんなシーンはどんなチームの試合でもしょっちゅう目にする・・・・審判が厳し過ぎたのではないか。

 この試合の印象は、鹿島の強さ、そしてこれまで鹿島がもっていた心理的な圧迫感というものが感じられなかったことに尽きる。(マルキーニョスも出場していたのだが。)
 モンテの成長が現れた結果であることは間違いないが、モンテも相変わらずたくさんのミスをして簡単にボールを奪われていたのだから、やはり昨年のチャンピオンである鹿島の“金属疲労”といった感じが否めなかった。
 ペナルティキックを決められた清水が奮起して、鹿島の決定的なシュートを止めた。
 試合終了間際に、サイド攻撃から田代が高い位置でタイミングよくヘディングシュートを放ったが、これが僅かにバーを越えてしまったのが悔やまれる。モンテは、セレッソ戦に続いて勝てる試合をドローにしてしまった。




 

 今季の結果は13位。昨季からまた1歩前進できた。
 しかし、やはりスタジアムで感じていたとおり、観客動員数は昨年を下回っていた。
 J1初昇格で、地元客についてもビジターについてもご祝儀相場だった昨年に比べ、誘客の戦略はどうだったのか、クラブ(財団)は真剣に分析し、自らの活動を総括する必要がある。
 このブログで先にも言及してたが、ホームゲームのスケジュールのあり方について検証し、J1の対戦スケジュールの設定について、プロビンチアを支援するような内容になるようJリーグ事務局に申し入れをすべきである。

 さて、今季降格の3つめのチームはFC東京となった。分が悪かった神戸の、奇跡の残留劇が注目されるが、東京の降格については、第33節後半、モンテが田代のヘディングでドローに持ち込んだ結果が大きく響いている。
 昨年、味の素スタジアムにFC東京対モンテの観戦に出かけたことを思い出す。モンテ・サポの着ているユニフォームのレプリカを見て、東京の若いカップルのサポーターが、「“はえぬき”って、お米の名前なんだってね〜」「ローカル色が出ていていいね〜」なんて、余裕満々で話していたのを思い出す。・・・今年は仕事の都合で行けなかったので、来季はぜひまた行きたいと思っていたところだった。

 そういえば今節の鹿島戦でも、ドローで鹿島のACL出場権確定を阻んだ。
 J1において、モンテが存在感を示しつつあるということだろう。
 その分、相手が向かってくる姿勢もさらに厳しくなるだろう。
 モンテのようなプロビンチアのファンは、つねに降格の恐怖に怯えながら観戦しなければならないという宿命を背負っているが、また来季もその宿命に堪えようではないか。(苦笑)


 蛇足だが、隣のベガルタ仙台では、手倉森監督の解任騒動に揺れているようだ。
 仙台のフロントは、なぜ監督に、短期的かつ高望みの成果を求めるのか・・・
 まぁ、良くも悪しくもモンテと対照的なクラブなのだろうが、こういう揉め方はサポーターやファンがうんざりするだろう。モンテの好敵手である仙台には、イメージも “いいチーム” であってほしい。
 そして、他人のふりみて我がふり直せ・・・モンテはこうならないように願いたいものだ。

 さて、ストーブリーグを観戦しつつ、来季の“小林山形”に想いを馳せるとするか・・・・



 あ、今年は、まだ天皇杯があった!・・・・・






   最後の写真は、試合終了後のセレモニーで挨拶する小林監督。
   去年は、海保理事長(当時)の「ざまぁみろってんだ!」の発言に沸いたが、今年は和やかだった。
   鹿島アントラーズのサポーター諸君、寒いところをお疲れさま。・・・来年もまたご来形あれ。


  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 17:24Comments(0)サッカー&モンテディオ山形

2010年11月28日

モンテぶらから観照記 その6 残留決定




 結局、今年もモンテは残留争いに巻き込まれた。
 第31節、アウェイで相性のいいジュビロ磐田と対戦するも0対0で引き分け。ここで大宮に追い越されてモンテは14位となった。残りのゲームは、32節がホームで京都と、33節がアウェイで東京と、そして34節の最終戦がホームで鹿島との対戦となっていた。32節で京都に敗れると自力での残留決定はなくなり、33節では残留をかけて東京と闘うことになってしまう。しかも、最終節は強敵の鹿島であることから、32節の京都戦で勝ち点3を取ることがモンテにとっての至上命題だった。
 ここまでのモンテには、11月14日にホームで第30節セレッソ大阪戦、17日にアウェイで天皇杯4回戦の川崎フロンターレ戦、20日に31節のジュビロ磐田戦、そして23日の京都戦と、中二日のきびしい日程が続いていた。

 ところで、11月23日(勤労感謝の日)の京都戦は、寒さが身にしみる季節でありながら、試合開始がなんと19:30。
 次の日が平日であることから、試合終了後の帰宅時間を考えると、子ども連れでの観戦は無理。大人だけでも遠方からの観戦には二の足を踏む。今節は、なぜモンテの試合だけがこんな遅い開始時刻なのか・・・スカパーなどのテレビ中継の都合か?・・と、恨み節も出るが、しかし、この重大なゲームを見過ごすことはできない。“いざ天童!”という気持ちで出かけた。(笑)
 クラブ側もこの節が重要であることを意識し、観客動員の仕掛けをしてはいた。「県民応援デー」として、ビジター席を除き、メインスタンド自由席を含む自由席を前売り1,500円均一で県民に提供したのである。(動員については、後で触れる。)
 一方、サポーター有志は、一部のスポンサーに掛け合い、観客向けにビニールのビブスを配布。レプリカのユニホームやモンテのチームカラーのシャツなどを着ていない観客も含め、観客席をモンテブルーに染めようと取り組んだ。

 ゲームの入り方としては、モンテの選手たちは、疲れの蓄積(?)と、残留を決める上でのこのゲームがきわめて重要であることによる緊張からか、どこか動きが硬いような印象だった。
 京都とモンテが相互に攻め合うが、ボールコントロールなどの個人的技術は、京都の方が勝っているように見える。しかし、京都はボールを奪ったあとの攻め上がりがどうもちぐはぐしていて、モンテがボールを奪い返すシーンが何度もあった。
 前半を0−0で終了。後半6分過ぎ、石川のサイドからのクロスに田代がヘディングを合わせて1点を先取し、モンテはその1点を守って逃げ切った。モンテ・イレブンからは、セレッソ大阪戦の反省を踏まえ、しっかりと守りきる・・・という意識が伝わってきた。
 試合終了と同時に、サポーター席と観客席は残留決定の歓喜に沸いた。
 ・・・ああ、これで来年もJ1のモンテを観ることができる・・・感慨もひとしおである・・・と、単純に喜びたいところなのであるが・・・

 さて、だがしかし、この日の観客動員数は8,582人。これだけの天王山で、1万人を下回っているのは、いかに季節と試合時刻がネックになっているとしても、真剣に考えなければならない課題だろう。
 客席を見回すと、確かにモンテの試合をしっかり観戦している客が増えたように思える。
 じぶんはメインスタンド南の自由席(地元ファンはメインスタンド北から席を取るので、ビジター席に近い南席の観客は、北席に比べるとコアなファンではないような印象)にいる場合が多いが、そこで聞こえてくる会話にそれとなく耳を傾けていると、残留争いでチームがどんな状況に置かれているか、他のチームの今節の勝敗はどうか、今日のスターティング・メンバーはどうか、それは各メンバーのどんな状況を反映したものか・・・などなど、それなりにチェックして観戦している人が増えた感じがする。
 そういう意味では、観客総体として、ゲームを観る目が肥えてきている。しかし、その一方で、昨季と比べて、モンテのファンとそうでない観客の間に、見えない区分線が引かれてきているという漠然とした印象も受けている。
 つまり、相手チームが人気のあるチームなのか(というよりも相手チームにナショナルチームで活躍するスター選手がいるかどうか)や天候がいいかどうかに左右される“薄い”ファンの層との間が乖離してきているという感じである。
 クラブにとって好ましいのは、コアなサポーター層があり、コアな観客(じぶんのようなNSBFなど)がいて、そこから薄い観客までの間がグラデーション状に連続しているという状態ではないか。
 すると、セレッソ戦の7,712人を比較的コアなサポ及びファンと仮定し、“ここが残留できるかどうかの天王山です。ぜひスタジアムで声援を!”と呼びかけて集まったのが、8,525人−7,712人=813人だと考えたとき、このグラデーションの帯域は、かなりやせ細っているということになる。

 今回、京都戦がどんなに重要なゲームであるかについて、クラブが必死になって宣伝したという感じではなかった。昨年、J1に昇格したばかりのモンテのファンたちが、浦和や鹿島とのホームゲームで、相手サポがどれだけ多数押しかけるのか知らないため相手サポにチケットを買い占められそうになったとき、クラブが大慌てで呼びかけて地元観客を動員したことがあったが、そんな場合と、今回のように残留がかかった必死のゲームに地元ファンを動員するのとでは訳が違う。
 残留か、さもなくば降格か、天と地ほどの差がある道行きが決まるギリギリの場面で、そのゲームに立ち会う地元ファンをどれだけ得られるか、クラブ(社団法人)の命運はそこにかかっているのだ。前理事長の海保氏なら、こういうところが広報の全力を傾けるべき勘所だと、チケット料金値引き以外にも動員方策を打ったような気がする。クラブのフロントは、今季の観客動員について謙虚に総括を行い、J1に定着するために何をしなければならないか、あらためて戦略を構築する必要があるだろう。


 さて、33節のFC東京戦は、「ナナ・ビーンズ」(山形市七日町にある元「丸久松坂屋デパート」の建物を転用した複合施設)の8階にある「スポーツプラザ21」に出かけて、じぶんとしては初めて「パブリック・ビューイング」というにやつに参加した。
 この会場は、アルコールを含めて飲食自由なところがとてもいい。マナーを守り、この自由さが失われないように心がけたいものだ。

 ゲームの方はといえば、残留確保に向けて必死に攻めてくる東京に対し、モンテが対等に渡り合ういい試合だった。スカパーTBSチャンネルでの放映だったが、東京サポの大声援に混じって、山形サポのコールもしっかり聴こえていた。
 後半29分過ぎ、東京の平山の振り向きざまのシュートに、モンテのDF西河が反応して足を出したが、これがボールのコースを変化させたため、さすがの清水も防御できずにゴールを許す。これまでのモンテなら、この時間帯に先攻されると追いつけないままズルズルと行くケースが多かったが、得点力不足を乗り越え、最近のセレッソ戦や川崎戦で3点を奪ってきた経験がプラスになって、めげずに速攻を仕掛ける。そして40分過ぎ、宮沢からのクロスに田代が高い位置でヘディングを決め、同点とする。
 モンテは最後まで攻める気力を失わず、試合はこのまま終了してドロー。今季不調とはいえ、タレントのそろった東京から、しかもアウェイでの勝ち点1は小さくない。
 これで残留争いはほぼ東京と神戸に絞られた。最終節で、たとえ仙台が負け、16位の神戸が勝ち点3をあげたとしても、大量得点をしないかぎり得失点差で仙台には及ばない。仙台の残留も決定といっていいだろう。

 次節、すなわち今季最終戦は、12月4日(土)にホームで鹿島を迎え撃つことになる。
 昨年まで3連覇のチャンピオンだった鹿島は、現在3位。自力でACL出場権を獲得するためにはモンテに勝つことが不可欠であるから、本気で襲いかかってくるだろう。
 “小林やまがた”がこれにどう対応するのか、とても楽しみである。



 最後に、京都のサポーター諸君、遠いところお疲れさまでした。
 試合後に挨拶に行った選手たちにどんな言葉をかけていたのか・・・。いつかモンテにもこんな日がやってくるだろう。そんな気持ちでこの写真の風景を眺めていた・・・じつは、昨年もそんな気持ちで、NDスタに駆けつけた大分のサポたちを見ていたのだった。(当時も大分の降格は決定的だった。)
 こんなとき、どんな言葉をかけられるかによってサポの真価が決まる。モンテ・サポも、そしてわれわれNSBFも、つねにそのことを意識しておくべきだろう。

 来年もまたJ1の東北ダービーが観られる。これは幸せなことである。・・・あっは。




  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 22:09Comments(0)サッカー&モンテディオ山形

2010年11月21日

モンテぶらから観照記 その5 大宮行



 前回、第28節の浦和レッズ戦まで言及した。今回は、第29節の大宮アルディージャ戦と第30節のセレッソ大阪戦について記す。

 モンテは、第28節のアウェイで、台風の風雨のなかの激戦で浦和に勝利したのに引き続き、11月6日に第29節の大宮戦をこれまたアウェイで迎えた。
 山形から駆けつけやすい大宮ということで、東京への小旅行がてら「NACK5スタジアム大宮」に観戦に出かけた。
 
 大宮駅に降りたつのは初めてだった。
 大宮という土地がどんなところなのか、ほとんど事前に調べないで訪れたのだったが、その街の印象は、事前に思っていたのとは少し違った。
 駅の東口を背にして立つと、左手に小さな店舗がならぶアーケードの小路があって、右手には歓楽街がある。この小路の店々には大宮アルディージャのフラッグが掲げられていた。
 駅前の大通りを少し歩くと右手に高島屋デパート。そして旧市役所(現さいたま市大宮区役所)・・・このあたりで、大宮区役所と反対側、つまり北へ向かって大門町商店街の路地に入る。この路地を進んでいくと間もなく「オレンジロード(一の宮通り)」と名づけられた通りとの交差点に差し掛かる。オレンジロードでは、街灯やプランターが大宮アルディージャのチームカラーであるオレンジ色に塗られている。この通りを歩いていくと、やがて氷川神社の鳥居のある交差点に至るが、その角に大宮アルディージャのオフィシャルショップ「オレンジスクエア」がある。
 大門町商店街からオレンジスクエアまでの区間は、小さな飲食店や商店が立ち並ぶ庶民的な路地で、なかなか風情がある。時間があればもっとゆっくり雰囲気を味わって歩きたいと思った。
 また、駅の右手に入ると、すぐに歓楽街があり、たくさんの飲食店が軒を並べている。もっとも、この歓楽街のメインの通りに面した店はほとんどがチェーン店の居酒屋で、なかなか入りたいと思うような店が見つからない。それで、少し東に向かう路地に入り、区役所の方向に歩くと、地元のローカルな店が並んでいた。

 さて、最初の写真は、氷川神社の参道の鳥居から撮影したもの。この参道の雰囲気はなかなかいい。
 神社、すなわちNACK5スタジアムの方向に歩いていくと、途中に区立図書館があったので、ちょっと入ってみる。古い建物で、閲覧室は狭く、一般貸し出し用の開架図書室には、わずかに椅子があるばかりで机がない。二階には調べ物用の椅子と机のある部屋があるが、蔵書の印象も含めて、旧大宮市の人口規模の割には、やや貧相な図書館だという印象を受けた。
駅の東側を少し歩いただけで言うとすれば、大宮という街は、氷川神社の門前町として栄えた旧い街という印象である。




 「NACK5スタジアム大宮」は、大宮公園の一画に建設されたサッカー専用スタジアムである。野球場にぴったりと隣接しており、かなり狭い土地に無理して建設したという感じで、ちょっと狭苦しい。サッカー専用スタジアムなので、ピッチとの距離が近く、ゲームの迫力が伝わってくる点は魅力だが、なにしろメインスタンドとバックスタンドに奥行きが無く、その分の座席数も少ないためか、メインスタンドとバックスタンドは、前売りでも5,000円と入場料が高い。また、その両サイドの席も3,500円ほどするのだが、座席がピッチに近い分、このサイド席からの視野の角度がきつくなり、隣に客が座っていればピッチ全体はちょっと視にくくなりそうである。
 こんな状況なので、じぶんは、2,000円のビジター席の最上段、大型電光掲示板の近くに席を取った。ビジター席は、ピッチに面した部分は立ち席になっていて、ゴールに手が届きそうな距離。2階以上は個別のシート席だが、このビジター向けの区画は、下から上までモンテのサポでほとんど埋まった。対面するホーム自由席に陣取る大宮サポの数にひけをとらないほどのモンテ・サポやモンテ・ファンが駆けつけていたのである。

 試合開始前には、大宮アルディージャの新社長がピッチに出て、例の入場者数水増しのお詫びの挨拶を行い、その後、四方の観客席の前を頭を下げて回った。人のいいモンテ・サポは、これに拍手で応えていた。
 この日の入場者数は8,457人。この時点では、大宮はモンテより下位で降格争いに巻き込まれていたので、残留争いを脱出するためには同じく下位のモンテに是が非でも勝利したかったはずである。そういう大切な試合なのに、モンテ・サポが2,000人以上押しかけたことを考えれば、地元ファンの入り具合はとうてい褒められたものではない。そういえば、山形に遠征してくる大宮サポはとても少ない。監督を鈴木淳(J2時代の元モンテ監督)に替え、FWにラファエルを起用して波に乗ってきた大宮とはいえ、もう少し地元のサポート体制を強化する必要があるだろう。

 試合のほうは、前半はモンテが押し気味に試合を進めていたのに、前半終了間際に一瞬の隙を突かれ、ラファエルにゴールを決められた。少ないチャンスをしっかり決めるラファエルの動きには感心してしまった。(苦笑)
 後半は、モンテの石川達也がフリーキックを直接ゴールに蹴り込んだ。これはモンテのビジター席に向かってくる目の覚めるようなシュートで、決まった瞬間、ビジター席はたいへんな興奮に包まれた。これがあるからモンテの観戦はやめられない・・・。
しかし、同点にして、これからという時、モンテに守備の乱れが生じ、またも少ない機会を捉えられて、交代で出場したばかりの石原に得点を奪われる。大宮の選手は、1点リードすると見違えるように動きが活発になった。モンテは、再びリードを許してからは最後までペースをつかめず、そのまま1−2で敗北。大勢詰め掛けたモンテのサポたちは、ゲームの終了後、いつものように選手たちに温かいエールを送りつつも、皆どっと疲れが出たとでもいうように肩を落としてスタジアムを後にしていた。
 ・・・鈴木淳は、やはり、恐るべし、である。




 さて、こんな悔しい負け試合のあとの第30節のホームゲームは、今季J1復帰で上位に駆け上がっているセレッソ大阪戦であった。このゲームもまた、とても悔しい結果に終わった。
 前半、滑り出しの良かったモンテが、北村の速攻で1点先取したものの、セレッソのコーナーキックからヘディングで同点を献上し、そのまま後半へ。
 後半では、信じられないことに、これまた速攻で長谷川悠の技ありゴールが決まる。長谷川はこれがリーグ戦での今季初ゴール。スタンドは大いに沸くが、セレッソはこの長谷川のプレーがハンドの反則であると抗議して、ゲームが中断する一幕もあった。
 この後、モンテはさらに田代のゴールで、なんと3-1と、強豪のセレッソ相手に、勝利の期待を濃厚に抱かせる“意外な”展開になり、スタンドは興奮に包まれた。
 しかし、長谷川を下げてキム・ビョンスクを出したあたりからセレッソに波状攻撃を許し、90分とロスタイムの3分に得点を奪われ、まさかの引き分けに持ち込まれてしまった。
 モンテが守備の意識で一枚岩になりきれていなかったことと、本気になったセレッソの激しいプレッシャーに、時間稼ぎのボール回しが上手くできず、相手陣地に向けてロングボールを蹴るだけの単調な守備に陥ってしまったことが悔やまれる。
 まぁ、3点を取ってリードしたと言っても、この試合では、前半からロングボールを出しての速攻というワンパターンの攻撃しかさせてもらえなかった。この相手に引き分けたということは、むしろ評価すべきことなのかもしれない・・・長谷川も得点できたことだし・・・ああ、だがため息が漏れる・・・どこまでファンをハラハラさせるチームなんだ・・・あっは。




 モンテは、この後、11月17日の天皇杯4回戦で、リーグ戦では今季1分け1敗の川崎とアウェイで対戦。延長戦の末、PK合戦を制して、なんとなんと川崎に初勝利をあげた。
 そして昨日の第31節では、アウェイでジュビロ磐田と対戦。モンテにとって磐田は相性のいい相手なのだが、磐田はナビスコカップの優勝など、このところ調子を上げてきていたのでどうなるか心配していたが、やはり0−0で引き分け。大宮が勝利したことで、モンテは順位を14位に落とした。(勝ち点37で大宮、仙台、山形が同点だが、山形が得失点差で14位。)
 残りはあと3試合。23日のホームでの京都戦。27日のアウェイでの東京戦。そして最終戦はホームで鹿島を迎え撃つことになる。
 最終局面で残留争いに巻き込まれたモンテ。次節の京都戦にはなんとしても勝利しなければならないところに追い込まれている。

 ところで、セレッソ戦は日曜日の夕方からだったことや、セレッソが山形では人気のないチームだったこと、セレッソにいわゆるスター選手がいないこと、そのうえ寒さも手伝って観客動員は7,712人に留まった。J1で2年目の今季、コアな観客は8,000人程度だと読んでいたじぶんの予想が、意に反してほぼ当たる格好になってしまった。・・・モンテの年間観客動員数は、J1に昇格した感動があった昨季より落ちているのではないか・・・。
 モンテの残留を願う県民がどれだけいるのか、寒さの増す11月の末、それも19時30分キックオフという環境で、そのことが試されることになるだろう。「県民応援デー」として前売りを1,500円にしたのは当然の選択だった。ここがモンテ残留の天王山であり、残留を願う県民の真価が試される時でもあるだろう。


※ 写真の3枚目は、セレッソ戦開始前のNDソフトスタジアム。稲藁を焼いたような煙と臭いがスタジアムを包んでいる。・・・これが山形らしさ?
  4枚目はセレッソのサポーター席。遠いところご苦労さまでした。
                                                                                                                                                                                                      

  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 22:57Comments(0)サッカー&モンテディオ山形

2010年11月03日

モンテディオ山形 ぶらから観照記 その4



 さて、10月16日の第26節の川崎フロンターレとのアウェイ・ゲームに0−2で敗北した次のゲームは、10月23日の第27節、これまた勝利したことのない相手、というか、過去3戦3敗の相手、清水エスパルスとのホームゲームだった。

 1枚目の写真は、試合開始前のサポーター席。後景の山にそろりそろりと紅葉がやってきている。それを弱々しい秋の夕日が照らしている。こんな環境でJ1のホームゲームを観戦できる幸いを噛みしめてしまう・・・。

 この試合、モンテは、田代と長谷川の2トップに、下村と増田をダブルボランチとして臨む。
 前半の20分ほどは優勢に試合を進め、清水ゴールを脅かした。この間、清水の動きはまだ緩慢で、まるで“寝ている”かのようだった。しかし、モンテは、この攻撃の波にのった時間帯に得点できなかったため、例によって、前半の25分過ぎから相手に押し込まれる危ない時間帯に入る。
 如何にも点を取られそうな感じがしてきた31分過ぎ、案の定、息切れしたディフェンスの乱れを衝かれて1点を献上・・・。そのまま前半を終了した。負け試合では、毎度この時間帯で点を奪われている。なんだか、ほんとに点を奪われるのが読めるようになってきてしまった・・・一方、得点時については、昨季までは嵩にかかって攻め立て上がっているときはなんとなく得点できる匂いがしてきて、まさにそこで実際に得点が入っていたのに、今季はまったくその“匂い”のする時間がないような気がする。ようするに、流れに乗った形で得点することができていないのだ。




 得点力の脆弱なモンテは、格上の相手から先取点を奪われるとそのままズルズルいく試合が多いが、それでもサポやファンは、先日のガンバ大阪に逆転勝ちした試合を思い出して、期待しつつ後半を迎える。
 しかし、1点先取して余裕の出た清水に対し、後半のモンテにはさっぱりいいところがなく、相手をフリーにして15分に2点目を献上・・・その後、相手に反則退場者が出て数的優位に立ったが、北村と下村を下げ、ハン・ドンウォンと宮本を一緒に投入して前がかりになったところに相手のカウンター攻撃を食って、結果は、0−3で完敗。
 まあ、ヨンセンにいい仕事をさせなかった点だけは評価できるが、やはり、攻撃と守備の両方で、清水との集中力の差が出たといわざるを得ない。(外国人選手が活躍していないモンテ側からみれば、清水のヨンセンや名古屋のケネディなどの大型選手は、出場しているだけで“反則!”みたいなものであるからして。)





 このゲームの入場者は12,543人。清水からも少なからずサポが駆けつけた。
 清水の応援は、さすがにこなれている。全体がラテン調のリズムで、声を集中して出せるように、ことば数が少なくコールにメリハリがあり、少ない人間でもパンチ力のある応援ができる。モンテの応援は“念仏系”なので、「念仏」対「サンバ」という感じだった。


  清水戦は、湘南相手には効果的だった田代と長谷川の2トップが、強豪相手には効果的ではないということを再確認したような試合だった。
  あまりに見事な負けっぷりで、川崎戦に続いて2連敗は痛いが、まぁこんなもんだろうと、サポもファンも悟りを開いているような感じ・・・(苦笑)
  この日の負け、つまり対清水の負けは織り込み済み・・・。でも、じゃあ、残り試合にいつ勝つんだ?・・・ええと〜、アウェーでの大宮とホームでの京都に勝って、あと勝ち点6を積んでなんとか残留する・・・これがみんなの(?)描いているシナリオだ。なにしろこのほかに残りのホームゲームはセレッソ大阪と鹿島アントラーズが相手なんだから・・・あっは。
  いや〜、やっぱりこういう負け試合が多いから、ガンバ大阪に逆転点勝ちしたときのように、たまに格上を破ったときの感動がひとしおなんだわ・・・そんなことを自分に言い聞かせてスタジアムを後にした。

 ところがどっこい、次の27節10月30日のアウェイの浦和レッズ戦では、台風による風雨の中、モンテは浦和に1−0で勝利してくれた。
 この日、じぶんとしては今季初めてのアウェイ観戦に乗り込もうと考えていたのだが、生憎仕事の用が入ってしまい、やむなくNHK・BSでテレビ観戦することに。
  この試合は、ガンバ大阪戦に続いて小林監督の采配が当たった試合だった。
  前半開始から20分が浦和の得点が多い時間帯だということを考慮し、長谷川1トップに佐藤健太郎をアンカーとして、4−3−3の守備的な体制でゲームに入る。
  前半の前の半分は観ることができなかったが、後の半分を見たところでは、FWの長谷川からなかなかいい守備が出来ているようだった。攻めてくる相手を抑え、前半を失点なく乗り越えればモンテにもチャンスが来る。まさに読みどおりだった。
  浦和は、その個人技の高さに加え、モンテの中盤のミスもあって、終始優勢に試合を進める。しかし、モンテ守備陣の最終ラインの集中力やGK清水の好セーブによって、チャンスを活かすことができない。浦和の攻めは、組織的な崩しを波状的に仕掛けてくるというのではなく、エジミウソンらの個人技に頼ったものだったという印象がある。
  
  モンテは、後半36分、石井のフリーキックに長谷川と交代した田代がヘッドを合わせて、数少ないチャンスをものにし、それをいつもながらの守備で守りきった。テレビ画面で見る限り、田代のヘッドがボールに触れているのかどうか怪しく思えたが、それでもあそこにああいうふうに田代が突っ込まないと生まれなかったゴールだろう。
  長谷川に、出場時間を限ることで前線からの守備と攻撃の両方をがんばらせて、失点を防ぎつつそこそこ攻撃も組み立て、長谷川が疲れた後半の中ごろに田代を出して攻撃的に臨むという小林監督の作戦が当たった瞬間だった。

  長谷川の1トップでも田代の1トップでも、モンテの流れからの攻めは比較的単調で、相手に読まれている。こぼれ球を狙う2列目の駆け上がりや、中央への早い縦パスをシュートにつなげる連携(モンテの選手の技量では、じぶんで縦パスをもらってそのままシュートを決めるのはなかなか難しいので、縦パスを受けた者が、ゴールに向かっている別の者にワンタッチでパスすることが必要)が大切なように思える。

  しかし、自力で残留を掴み取るために、とにかくこのアウェイでの勝利は大きかった。
  台風の中を浦和に駆けつけたモンテ・サポの熱意にも拍手。テレビでは、モンテ・サポの応援の声もちゃんと拾われていた。来季、また大勢の浦和サポを天童に迎えることができそうなのは大きな喜びである。

  次節は、引き続きアウェイで大宮アルディージャ戦。これにはじぶんも参上つかまつる。
  昨年と同様に残留争いに巻き込まれている大宮の残り試合の対戦相手を見ると、ホームで勝てそうな相手は、モンテと神戸くらいだと思える。そういう意味では、大宮は対モンテ戦に残留をかけて全力で立ち向かってくることだろう。小林監督がこれにどう臨むのか、楽しみである。

                                                                                                                                                              

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2010年10月19日

モンテディオ山形 ぶらから観照記 その3



 さて、前回の記事で今回に繰越ししていた10月2日(土)第25節のガンバ大阪戦(ホーム)の感想と、10月9日(土)の天皇杯3回戦の湘南戦の感想を記しておく。

 ガンバ戦の入場者は12,018人。この入場者数については前回も触れたが、昨年より4,000人ほど少ない。その一因としては、やはり、この試合の前までのモンテの戦績の低迷が、“強豪ガンバに負かされるモンテはみたくない”という観客心理があったのではないかと思われる。しかし、ここで、モンテは今まで勝利したことのなかったガンバに2−1と、鮮やかな逆転勝ちを収めた。
 このゲームは、久々に“観に来てよかった!”と思える内容だった。
 まず前半は、試合開始直後から、ボール・コントロールでモンテはガンバに負けていなかった。
 中盤でも積極的にプレッシャーをかけ、互角以上にボールの奪い合いを演じた。去年の、ミス続発で、ロングボールや味方のスローインをまったく支配できない姿が信じられないほど進歩した姿を見せてくれた。
 FWの田代を温存して長谷川を入れ、積極的かつ正直(!?)に攻撃しながら守備を固める布陣は当たった。前半を0−0で折り返すのはモンテのペースである。
 後半、モンテはゴール前のミスからガンバにボールを奪われる。遠藤からため息のでるような鮮やかなパスが通り、あっという間に平井に押し込まれて先制点を献上してしまう。
 しかし、モンテは、ここからが今までと違っていた。気持ちが揺るがず、締まった攻撃を展開する。失点から数分で、数をかけて相手のゴールに迫り、左サイドからのボールにいちばん右にいたMF下村東美が上手く合わせて同点。失点してから間もなく同点に追いついたことが大きかった。
 試合が進むにつれて、じりじりと地力に優るガンバが優勢になる。やはり体力的にはガンバに分があるように見える。
 だが、ここから、途中で宮崎光平を投入した小林采配がぴたりと当たる。長谷川をトップにおいてサイドからボールを集めるという、ある意味不器用で馬鹿正直な攻撃法の、ほんとうの効果が現れたということもできる。
 小柄で走り回る宮崎の投入で、モンテのギアがチェンジする。宮崎の素早い反応による速攻と、その頭脳的なループシュートが決まり、モンテが1点リード。後半の最後3分の1くらいはガンバの猛攻を只管しのぎ、ついに歓喜の対ガンバ大阪“初勝利”を遂げた。(ロスタイムの3分が、なんと長かったことか・・・)




 さて、感激のガンバ戦勝利から1週間後の10月9日(土)は、天皇杯3回戦。2週間前にリーグ戦で引き分けていた湘南が相手だった。
 天皇杯2回戦では、モンテはJFLの秋田ブラウブリッツとホームで対戦。点差こそ3−0で勝利したものの、試合内容は散々で、やっとのことで勝ったと言われていた。なにしろ、昨年の天皇杯では、J1で初めて大学チーム(明治大学)に敗北し、歴史に名を残して(!)いたほどである。ハーフタイム中に電光掲示板で上映された天皇杯の歴史を描いたショートフィルムにも、デカデカと取り上げられていた。(なにもこれを山形のホームで上映しなくてもいいじゃねぇか!と思ったが。)
 こうした過去があるし、つい先日のJリーグ第24節の湘南戦も、やっとのことで引き分けという結果だったものだから、“天皇杯はどうもなぁ・・・”という想いはあったが、リーグ戦と異なり、天皇杯はなんとなくリラックスして観戦できるような気がして、雨がぽつりぽつりと落ちるなかを、“ひょいっ”と出かけてしまった。まぁ、特別席を除き、入場料が当日でも2,000円だったのが入りやすい理由でもあったが。

 この日の入場者は3,249人。湘南のサポは40〜50人くらいか。モンテのサポもずいぶん少なく、ゴール裏の席の4割も埋まっていないような感じ。
 気づくと、この3,249人という数字は、J2で、J1昇格争いに絡めないでいたころの観客動員数にちかい。
メイン南に陣取り、まわりを見回すと、一人できている地元のファンが多い。年齢層はバラバラで、中高年の“お一人さま”も目に付く。むしろ20代前半といった若者の客が相対的に少ない。そのためか、試合開始前のスタンドの雰囲気はどことなくまったりしている。ヤジでも飛ばしながら高校野球を観戦するような気分である。
 この雰囲気、つまり“J1昇格争いをしていない時期のJ2モンテ”の雰囲気が、懐かしいと思うことがある。J1に昇格してからは、なにしろ降格しないことを祈りながら観戦することが多く、どきどきハラハラするばかりだが、昔はこうしてリラックスしながら楽しんだものだ。とはいえ、もちろんあの頃には決して戻りたくないが・・・。




 ところが、モンテのゲーム内容の方は、先日のガンバ戦勝利の勢いを維持した、なかなか緊張感のあるものだった。
 この日はスタートから、田代と長谷川のツートップ。小林監督は、攻撃力の再構築に向けてこの二人を中心とした連携プレーをじっくり練習してきたようだったが、その成果が早くも現れた。
 前半はモンテが積極的なプレスで湘南を圧倒。そしてサイドから長谷川が持ち込んで先制ゴール。待ちに待った長谷川悠の今季初ゴールを目にして、スタンドは歓喜爆発!・・・じぶんも感激しつつ、ほっとした気分になった。
 昨年のシーズンが終わりに近づいた頃、モンテのJ1昇格と(サッカー関係者のほとんどが最下位で降格するとみなしていた)モンテの1年目の残留に多大の貢献をしていた長谷川は怪我で戦線離脱したのだったが、その時期じぶんは、試合直後にスタジアムからびっこを引きながら出て行く私服姿の悲痛な長谷川の姿を眼にしていたので、この復活ゴールは格別なものだった。
 そしてその2分後、モンテは相手ゴールに圧力をかけ、浮かせたボールを田代が鮮やかにオーバーヘッドのシュートで2点目を奪取する。

 後半は、速攻でMF増田誓志からMF宮崎光平にパスがつながり、モンテが3点目を奪取。その後、それまでアグレッシブな動きを見せてきたモンテが息切れした時間帯に、湘南の波状攻撃で一瞬守備ラインが混乱して、そこをきれいに衝かれて失点してしまう。残念な失点だったが、この後は2点差を守ってモンテが逃げ切った。
 この日は、また小林采配が当たった。小林監督の流石なところは、同じ相手に同じ失敗を繰りかえさないように、しっかり修正してくるところだと言われる。まさに、その結果が現れたこの2試合だった。
 今季モンテは、ナビスコカップを含めると湘南と4度対戦し、2勝2分。
 湘南のサポーターは少数だったが、その気持ちが入った応援は印象的だった。
 昔の平塚がどんなクラブだったか知らないが、今の湘南は、そのクラブ運営の面で地方のプロビンチアが学ぶべきものをもつクラブだと言われる。東日本勢たる湘南にも残留してほしいが、モンテの残留が切実で、さらには仙台にも残留してほしいじぶんとしては、偽善的に他のクラブを応援するような言を垂れることはしない。
 湘南といえば「海」、海といえば「森田健作」(!?)、森田健作といえば「さらば涙と言おう」・・・ということで、「さらば、湘南!」・・・・(苦笑)


 ところで、Jリーグ第24節の湘南戦は、入場者が7,782人と少なかった。
 残り試合の対戦相手から考えると、ここで勝たないとモンテのJ1残留に黄色信号が点る大事な試合だった。幸いにも第25節のガンバ戦で殊勲を挙げたからよかったものの、サポもファンも、ここのところが頑張りどころだったのである。
 クラブもこの試合の大切さをもっとPRすべきだったろう。これは、地元のサポやファンたちの“守備の乱れ”であったということもできるし、モンテのコアな観客は、未だに、せいぜい8,000人弱というレベルだということを示しているとも言えるだろう。

 ・・・と、ここまで書き、暢気に途中で筆を休めていたら、10月16日の第26節・等々力陸上競技場での川崎フロンターレとのアウェイ・ゲームでは、ヴィトール・ジュニオールと中村憲剛の二人に鮮やかなミドルシュートを決められ、0−2で敗北してしまった。やはり上位の相手には得点力が及ばない。次節の清水エスパルスとのホームゲームでは、この部分を修正して望んでほしいものだ。
 また、11月17日には、やはり等々力で、川崎と天皇杯4回戦を戦うことになった。同じ相手に同じ失敗を二度しないという小林監督の采配を期待したい。                                                                          

                                                                        


 おまけ。
 NDスタの電光掲示板・・・・なんか顔のように見える・・・(^^)







  

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2010年10月14日

モンテディオ山形 ぶらから観照記 その2



 モンテディオ山形は、8月の末から9月にかけて苦しい時期を迎えることになった。
 10月12日現在、モンテはその時期を乗り越えそうな気配を見せているが、例によって、この間じぶんがホームで観戦した際に感じたことなどを記しておきたい。



 まず、8月以降のモンテの戦績を振り返っておこう。
 8月7日・第17節の磐田戦(ホーム)、13日・第18節の新潟戦(ホーム)、17日・第19節の横浜戦(アウェイ)と3連勝して、モンテは上昇気流に乗るかと思われた。しかし、22日・第20節の神戸戦をホームで引き分けて以降、苦しい時期がはじまる。
 28日・第21節の広島戦(アウェイ)を落とすと、9月12日・第22節の名古屋戦(ホーム)も0−1と敗北。19日・第23節の仙台戦=東北ダービーでは、前回(第13節)の勝利の勢いで5,000名とも言われるサポーターが敵地・宮城スタジアムに乗り込んだものの、仙台の返り討ちに合い、0−2と完敗する。
 さらに25日・第24節では、上位との対戦が多い残りのカードを見ると、ここで勝っておかなければならない最下位の湘南に1−1で引き分けてしまう。
 この5試合の流れをみていると、秋葉や古橋の怪我による離脱や不調による戦力の低下はあったものの、モンテは全体としては必ずしも悪い状態にあるという感じはしなかった。もっぱら得点力の貧弱さゆえに勝てないという印象が強かった。
 そんな感じで迎えた10月2日(土)第25節のガンバ大阪戦(ホーム)。ここで、モンテは今まで勝利したことのなかったガンバに2−1と逆転勝ち。・・・その勢いで、10月9日(土)の天皇杯3回戦では、2週間前に引き分けていた湘南に3−1と快勝した。

 この期間にじぶんがホームで観戦したのは、第18節の新潟戦、第24節の湘南戦、第25節のガンバ大阪戦、天皇杯3回戦の湘南戦。(第23節の仙台戦はテレビでの観戦だった。)
 まず第18節の新潟戦だが、試合の印象は薄れてしまったが、憶えているのは、マルシオ・リシャルデスの動きが素早くて脅威だったことと、その動きとそこからのパスコースを、モンテの守備陣がうまく抑えられたことである。
 この試合は8月13日(金)だった。NDスタの入場者は14,118人。昨年の「天地人ダービー」にはかなりの新潟サポーターがつめかけてくれたが、今年は日程の関係もあって昨年より少なめだった。昨年、新潟サポで埋まったバックスタンド南は今年もアウェイ側にとってあったが、この日は空きが目立った。
 13日はお盆の墓参りの日ということで、山形の熱心なサポーターでも「家族で墓参りをするから、新潟戦は行けない・・・」という人もいた。
 そんな日に出かけるおまえはいい気なものだと言われそうだが、職場の同僚にお盆休みを譲ってじぶんは出勤。そして仕事上がりに19時からのゲームに駆けつけたのだった。
 クラブにとって新潟とのホームゲームは、仙台戦、浦和戦、鹿島戦に次ぐドル箱のはず。山形に押しかけてくれる新潟サポが地域に落とすお金も大事である。新潟戦が夏休み中に設定されたことは有利に働いただろうが、8月13日(金)はどうにもまずかった。つまりお盆休みをとっている人については13日というのがまずいし、お盆休みを取れない人については金曜日という曜日がまずい。
 このような状況での14,118人という動員実績が、今のモンテにとってどういう意味を持つか一概には言えない。だたし、新潟戦では16,000人以上を目指すべきではないかという感じがする。仙台とのダービーに際してホームゲーム開催地で両チームが共同記者会見を催すように、新潟戦についても、これが「ダービーマッチ」であることをもっとPRすることが大切に想える。
 開催時期のことを言えば、これと同じことは、10月2日(土)の第25節ガンバ大阪戦についても言えた。この時期は、芋煮会や地区の運動会の最盛期である。
 今年のガンバとのホームゲームは入場者12,018人。昨年はもっと多かったよう(15,000人以上?)に思う。昨年は、少なくてもメインスタンド自由席とバックスタンドのチケットは売り切れだった。ガンバ戦や横浜Fマリノス戦も新潟戦の次くらいに重要だと思える。これらでは15,000人以上の入場者を目指したいところだ。
 ガンバのサポには遠いところをよく駆けつけてくれたと感謝したいが、それはそれとして、彼らがゴール裏のビジター席を埋めるほど来形してくれるのを期待することはできない。ガンバの人気、あるいは遠藤保仁の知性的なパスの魅力を借りて、地元の観客を動員しなければならないのである。ガンバのように魅力のあるチームとのゲームを中心に据えて、モンテのホームゲームに隣県(宮城、秋田、福島など)からの誘客を狙ってPRすることも必要だろう。
 もっとも、昨年の状況との違いはある。・・・昨年は、モンテが初めてJ1に昇格して、鹿島やガンバなどの強豪チームや日本代表選手らを山形で観ることができるという新鮮な期待と感動があったし、浦和や鹿島を嚆矢とする強力サポを迎え撃たねばならないという意気込みもあった。
 一方で、今年については、このガンバ戦の前に連敗していたモンテ側の問題もある。あまり熱心でないファンには、強豪のガンバに今の状態のモンテはとても勝てそうにない、モンテがやられるところを観たくない・・・という心理も働いたことだろう。

 ・・・とこう書いてきて、はて?Jリーグの対戦日程は、現在どのように決められているのだろうか・・・と、ネットを検索してみた。
すると、どうもこういうことらしい。
 フランスのILOG(アイログ)という企業が、Jリーグと「制約プログラミング」と呼ばれる最適化ソフトウェア、すなわち「Jリーグ・マッチスケジューラー」という対戦スケジュール作成ソフトを開発し、これで策定しているというのである。
 この情報による限りでは、ようするに当該日にホームチームのスタジアムの使用が可能かという要件と、同じ地域(同じ県)にJ1とJ2で2つ以上のクラブが存在するところの入場者を確保するために、これらのホームゲームが重ならないように配慮するというような要件を勘案して、日程と組合せをはじき出すということだ。
 結果には、一部、各クラブの事情も反映されているのようだが、しかし、地方とくに山形のような四季がはっきりしている地域について、その自然条件や四季に応じた習慣・習俗に関連した観客動員の事情、そして田舎の貧乏クラブゆえに殊更切実な「ダービー」をめぐる事情などが考慮されているとは思えない。
 とにかく“プロビンチア”たるモンテディオ山形の運営母体(社団法人山形県スポーツ振興21世紀協会)は、プロビンチアたることを理由として、もっともっと観客動員と来形者の確保のために、Jリーグの試合日程設定に対して自己主張すべきであるし、Jリーグ当局も、プロビンチアの入場料収入やプロビンチアを支える地域の利益を考えて、これに一定程度の優先的な扱いをすべきである。



 こんなことの実現は不可能かもしれないが、思いつくままに日程設定上の留意点(というか願望)を述べておく。
 モンテディオ山形の運営母体は、各チームとの試合日程の設定にあたり、たとえば次のような要素を考慮し、Jリーグ当局に対して都合のよい日程を主張し、これを勝ち取る努力をすべきである。


? 理科年表で例年の気象を詳細に検討したうえで、ドル箱試合を天候のいい時期に組む。
 たとえば、今年、最大のドル箱の仙台戦は7月17日で、これはまだ梅雨の時期。晴れる可能性が高いのは、山形で梅雨が明ける7月20日過ぎから8月の七夕前(花笠まつりの前)までだが、今年、ここに設定されたホームゲームは7月28日(水曜日!)の川崎戦のみ。7月24日(土)と8月1日(日)はアウェイ。とりわけ7月最後の1週間に準ドル箱戦を設定すべきである。
 なお、「ドル箱戦」というときの“ドル箱度合い”からみた順位は、私見では以下のとおり。

  【ランク1】仙台・浦和・鹿島
  【ランク2】新潟
  【ランク3】G大阪・横浜Fマリノス・名古屋
  【ランク4】川崎・清水・東京
  【ランク5】大宮・湘南・神戸・磐田・C大阪・京都・広島
  
  ※ 余談だが、大宮と湘南は、距離が近いのに山形に来るサポが少ない。これでは降格するぞ〜〜。

? 学校が夏休みの時期に関東のチームとの試合を組む。
 今年の場合は、夏休み中のホームゲームは前記7月28日(水)の川崎戦と8月13日(金)の新潟戦のみ。先に述べたように、川崎戦は平日、新潟戦は墓参りで平日と、どちらも失敗であった。
 夏休み中に設定したい相手は、川崎、東京など。今後、柏や千葉がJ1に昇格したら、これらのチームもここに設定する。
 この時期は、関東から家族連れでの来形を促進し、山形の自然や農村体験などのPRと組み合わせて、観光との相互波及効果を狙うこともできるだろう。
 なお、注目したいのはFC東京のサポ。かれらは山形市内の蕎麦屋めぐりをするなど、事前の情報を収集して来形している。しかも、あまり集団では行動しない、なかなか“通”なところがある。

? 仙台や新潟は、山形の観光シーズンを除き、もっとも天候のいい時期に組む。
  
? G大阪、横浜Fマリノス、名古屋、川崎、清水、東京などは、山形の観光シーズン(桜、さくらんぼ、紅花、夏祭り、紅葉などの時期)に組む。

? 浦和、鹿島の設定は十分注意して、休日の前夜(可能な限り土曜日の夜)に組む。
   今年はホーム開幕戦が3月21日(日)の浦和、ホーム最終戦(=最終節)が12月4日(土)の鹿島である。天候の悪い時期に浦和と鹿島というのは、ある意味では都合がいいのだが、「ホーム開幕戦」という相手がどこであろうともある程度盛り上がる節に、ドル箱中のドル箱である浦和というのはもったいなかったような気がする。なお、鹿島の絡む優勝争いが最終節までもつれ、ビジターが増えることを期待したいものである。

 ・・・おっと、入場者数確保や地元への経済的効果などクラブと地域の銭勘定のことばかり考えていたら、話がずれて長くなってしまった。しかし、これもみんなモンテをどうやって盛り立てていくかという心配から出ているのだよ・・・あっは。
 さて、この間、いちばん印象的だった第25節のガンバ大阪戦と、その後の天皇杯3回戦の湘南戦については、次回あらためて記載したい。                                                                                                                                                             



            
  

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2010年08月05日

モンテディオ山形 ぶらから観照記 その1









 W杯による中断からJリーグが再開されて以降の、モンテの試合を観戦しながら、感じたことを記す。



 1 ベガルタ仙台戦 〜初めての「J1東北ダービー」〜

 まず、再開後の第1戦は第13節、ホームのNDスタにおける7月17日(土)のベガルタ仙台戦。
 これには、じぶんがチケットを用意して、仙台の友人夫妻を誘った。座席は、メインスタンド南側の、アウェー席に近いホーム席というややビミョーな位置・・・
 電話で友人を観戦に誘ったとき、彼に「やっぱりベガルタのファンなのかな?」と尋ねたら、「べつにそうでもないよ。おまえのところに行くんだから、山形を応援してもいいよ。」と言っていた。 
 友人夫妻は、仙台のクリネックス・スタジアムでの試合はときどき観戦するようで、楽天ファンだということは判っていたが、まぁ、初の「J1東北ダービー」をお互いにしみじみと噛み締めながら観戦して、それから我が家でゆっくり酒でも、と、こうお気楽に考えていたのだった・・・。

 この日は、夕方から雨になる予報だったので、事前に合羽を持参するように念を押していたのだが、案の定、友人夫婦は合羽の用意を忘れたまま山形行きのバスに乗ってしまい、まぁ、コンビニで購入すればいいさくらいに考えていたのだった。・・・コンビニのふにゃふにゃビニール合羽では、3時間近くの本降りに耐えられない。
 どうもそういうことになりそうな気がして、じぶんは、自分の登山用の雨具1式と長男が高校生のときに購入して、結局ほとんど使用しなかった学校指定の合羽1式を準備していたので、それを夫妻に貸し、じぶんはたまたま車に積んでいたウインドブレーカーを着て、下はビニール袋を膝にあてて雨をしのぐことにした。幸い、雨は試合開始直前にあがってくれたが、あのままだと下半身はびしょ濡れになってしまったことだろう・・・

 試合開始前には、両チームのサポーターによる応援合戦が注目を引いた。
 山形対仙台のダービーマッチは、これまでのサポーター同士の因縁もあるらしく、両者がずいぶんと熱を帯びる。
 過去のJ2でのダービーでは、チームカラーである黄色のシャツを着た仙台のサポーターやファンが大挙して来襲し、客席の半分を埋めていたので、仙台サポは、NDスタを「準ホーム」と言っていたそうである。
 この理由としては、仙台〜天童の距離が短いことと、NDスタには広大な無料駐車場が整備されているので、仙台サポにとっては宮城スタジアムよりは格段にアクセスが便利だということもある。
 しかし、この事態の主な理由は、J2時代には、山形と仙台の集客力にそれだけの差があったということだ。なにしろ、山形側には天気予報を見てから観戦を決めるという不熱心な(!?)ファンが相対的に多くいて、観戦を決めたときには、チケットはすでに仙台サポやファンの手にあるということでもあった。
 しかし、このJ1でのダービーは様子が違った。
 1年先にJ1に昇格して、つまりJ1を1シーズン経験して、仙台が上がって来るのを心待ちにしていた山形の人々の観戦意識は、間違いなくレベルアップしていた。
 アウェーの仙台サポは、ゴール裏とメインスタンド南席の南端の一部に限られ、スタジアムの青色(モンテ)と黄色(ベガルタ)との配色は、当然のことながら、青色の優勢となった。
 チケットは販売当日に完売。ほとんど、発売直後に売り切れる「浦和戦状態」だったようだ。じぶんはファンクラブの先行販売の抽選に当選して3枚ゲットしていた。

 試合中の応援合戦も含め、双方のコールを聞いた印象は、「インパクトの仙台」に対して「変化に富み、間断のない山形」という感じ。
 応援コールの一人一人の声の強さ、そして声の集結によるパンチ力は、仙台の方がずっと上である。
 しかし、応援を聴いていて、味があるのは山形である。それに、山形の応援コールは、試合中ほとんど途切れることなく続く。短調を基本とした歌やスキャット(「やまがた念仏」と言われているらしい)、それに選手各人の名前を呼ぶ短い応援コールのバリエーションも豊富。とくにストライカー田代への応援歌のフレーズは耳に残る。
 全般にコールや歌にマイナーなものが多いので、発声するうえで声量を出しにくいのかもしれないが、そのぶん、聴いている方は飽きがこない。

 さて、試合だが、開始間も無く、モンテは秋葉のミドルシュートであっという間に先制してしまった。じぶんも友人夫妻もあっけにとられた。
 しかし、ベガルタはフリーキックですぐに同点に持ち込み、前半はベガルタ優勢で終了。
 友人夫妻の様子といえば、遠慮しがちにではあるが、確実にベガルタに肩入れしているのが伝わってくる。この座席はホームチーム側の観客のエリアだが、レプリカを来たモンテのファンたちに紛れて、じっと声援を我慢している様子の、ベガルタのファンらしき人々もちらほら覗える。
 後半は、モンテが2点奪って、3対1で快勝。
 とくに2点めのゴールは、これがサイド攻撃だという教科書のようなゴールで、モンテのサポやファンにとっては興奮ものだった。もっと飛び上がって大声を発したかったところだが、友人夫妻に配慮して、控えめな態度で喜んだ。こういう場面で喜びを抑えること、しかも友人夫妻とお互いに気を使いながら贔屓のチームに応援しているということが、けっこうストレスになるものだと思い知った次第。(苦笑)
 お互いに贔屓の引き倒しをしながら、丁々発止でやりあって観戦すればよかったのだが、友人夫妻は、そこまではベガルタに詳しくなかった。

 しかし、山形対仙台の「J1東北ダービー」は特別なものである。会場の張り詰めた空気も新鮮だった。今回から「蔵王決戦」と命名されたこの「J1東北ダービー」が、長く続くことを願ってやまない。
 さて、8月13日(金)は、アルビレックス新潟とのダービー(昨年は、これを上杉家にちなんで「天地人ダービー」と呼んでいた)である。左右両方の隣県と「J1ダービー」ができる山形の幸せを味わいたい。













 2 川崎フロンターレ戦

 モンテは、7月24日(土)の第14節、アウェーでセレッソ大阪と対戦し、0対3で完敗。
 第15節は、7月28日(水)ホームのNDスタで、川崎フロンターレを迎撃した。
 対川崎は、昨年度2戦2敗。今年はなんとか勝ち点を取りたいところだった。

 試合は、平日の夜7時開始予定だったが、夕方の雷雨のため、天童市の一部が停電し、じぶんがスタジアムに到着した6時過ぎには、まだ電力供給が止まったままの状態。
 スタジアムを取り囲んで入場を待つ観客の長い列ができていたが、その列に向かって「間もなく入場を開始しますが、停電が復旧する見込みがたっていません。最悪の場合、試合中止もありえることをご理解ください。」と、愕然とするようなアナウンスが・・・。
 このゲームは、NHKのBS1で生中継される予定でもあった。
 東北電力さん、というか工事担当の関連事業者さん、なんとか試合に間に合うよう電力の復旧を〜と願いつつ入場する。すると、願いが通じたか、試合は少しの遅れで開始された。

 このゲームの入場者数は12,000人あまり。
 川崎のサポは200くらいかと思われたので、ほとんどは地元ファン。平日でこの入りはなかなかの成果だ。
 「市町村民デー」(順番に県内市町村を指定し、その住民のバックスタンドへの入場料を半額で販売)の対象を、この日は山形市や天童市に当てて、近隣から仕事帰りの観客を呼び込む方策が奏功したことや、夏休みに入った子どもたちを無料にしてその保護者を誘引したことなどが奏功したものと思われた。じぶんは山形市民なので、この恩恵を受けてバックスタンドを当日料金の半額(1,500円)でゲットした。この動員対策もあって、バックスタンドはほとんど満席。一方、メインスタンドは半分くらい空いていた。

 この日、スタジアムでは、ちょっとだけいつもと違った光景を目にした。
 雷雨と停電の関係で開場が遅れ、雨があがったスタジアム周辺には、各ゲートの開場を待つ地元サポやファンたちの長蛇の列ができていた。このスタジアムで、こんなに長い列を見たことがなかった。
バックスタンドのゲート前の列は、公園の通路の奥まで続いていて、その最後尾に辿り着くまで、列にならんだ人々の表情を観察しながら歩いていった。
 その雰囲気が、いかにも“サッカーの観客”という感じになってきていた。
というのも、昨年までは、どことなく物見遊山という顔つきの地元の観客がいたものであるが、近頃は、なんとなくではあるが、  そういう顔は影を潜め、ちゃんと「モンテの試合を応援にきた」という顔つきの観客が増えているような気がする。
それに、一昨年あたり(J1昇格を争っているあたり)から、ユニフォームのレプリカを着て一人で観戦しているファンが増えてきたように思える。
 その年齢や性別などの属性は多様で、この日は、列で隣に並んでいたレプリカ姿の20代の女性は電話で韓国語を話していたし、客席で隣になったレプリカ姿の男性は、60代後半の白髭だった。
 この“おひとりさま”の観客たちを、それとなく観察していると、彼ら彼女らが、ゴール裏のサポーターのようにはっきりと応援コールをするのではなく、いわば心に秘めながら、その分なにかを思い詰めたようにモンテに視線を送っているのがわかる。



 モンテのサポやファンたちは、ホームで勝利したとき、選手たちがスタジアムを去るまでコールを続け、選手たちがみんな引き上げたところで、「スポーツ県民歌」を合唱する。
 スポーツ県民歌は、「月山の雪、紅染めて、朗らに明けゆく新生日本・・・」と始まる。戦後、まだこの国が若々しさを湛えていたころの歌詞が、古風であるがゆえに、いま、とても新鮮に感じられる。
 (この歌の中に出てくる“スポーツ山形”という部分を“モンテディオ山形”と言い換えて歌う。)
“おひとりさま”には、スポーツ県民歌を歌う者も歌わない者もいるが、彼ら彼女らがこのスタジアムに求めてくるものに、ぼんやりと想いを馳せる。

 ちなみに、じぶんは山形県出身ではないため、みんなが学校で覚える「スポーツ県民歌」を歌えなかったが、連合いに口伝えで教えてもらい、いまは、一番だけは歌える。(苦笑)


 さて、川崎戦の結果は、0対0で引き分け。
 後半はとくに川崎の猛攻を受けるが、モンテの守備の集中力は途切れず、相手に決定的なチャンスを与えなかった。昨年2敗した強豪の相手から、勝ち点1を得たのは進歩である。
 なお、第16節、8月1日(日)に金沢市で行われたガンバ大阪のホームゲームは、1対0で惜敗。川崎戦と同じく、エースの田代を欠いた状態で健闘したが、今期、怪我で出遅れたFW長谷川悠の得点がまだなのが残念だ。
 長谷川は、一昨年のJ1昇格と昨年のJ1残留に大きく貢献した。川崎戦での動きを見ると、試合勘は戻りつつあるようだった。後半戦の活躍、そして点取り屋としての復活を期待したい。

                                                                                                                                                                   

  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 01:08Comments(2)サッカー&モンテディオ山形