2014年07月02日

「東電テレビ会議・49時間の記録」を観て

 なかなかブログを更新できないでいるので、別のところに寄稿した文章をここに再掲して、とりあえずお茶を濁しておく。
 以下の文章は、山形県職員連合労働組合発行の『山形県職員新聞』2014年4月25日号に掲載されたもの。紙面ではこの記事のタイトルに「特別投稿」と差し込みがあるが、編集部からの依頼に応えて寄稿したものである。
 「東電テレビ会議・49時間の記録」は、同年4月12・13日に「フォーラム山形」で上映された。

 






 東京電力は、2011年3月11日午後6時27分から継続して、本店(本社)、福島オフサイトセンター(関係機関による緊急対策の拠点)、福島第一原発(その指揮所である免震重要棟)、福島第二原発、柏崎刈羽原発の5箇所を繋いだテレビ会議を録画していた。事故原因の調査や対策の検証に当たってこのビデオの公開は必要不可欠なものとされたが、当初、東電はこれを職員のプライバシーを理由に拒否していた。これに対して朝日新聞などのマスコミがキャンペーンを張り、東電株主代表訴訟原告団が東京地裁に保全申請するなどして公開させた映像が、東電本社のHPにアップされている。この映画は、3月12日から15日までの49時間のうち、一般公開されている約10時間を、前・後編合わせて3時間26分に編集し、映像の余白に時刻や用語の解説などを挿入したものである。

 映画は、一号機が水素爆発し、避難指示が20キロ圏内に拡大された12日の夜、官邸から帰ってきた東電の武黒フェロー(副社長待遇)が政権幹部を批判するシーンから始まる。彼は、「民主党政権幹部は若くて溜めがない。6,7回もどやしつけられた。」とひどくプライドを傷つけられたような口調で愚痴る。三号機の燃料棒露出が判明する以前の13日までは、彼のみならず職員たちが交わす会話は如何にも東大や東工大卒の技術エリートのそれで、未曾有の大事故に立ち向かっているという切迫感が伝わってこない。それがとても印象的であり、そして象徴的である。

 映像から(というより固定カメラで人の動きはよく見えないから、音声から、だが)抱かされるのは、第一に、大量の放射能漏れ・水素爆発・メルトダウンなどは、ほんとうに津波による「全電源喪失」が原因なのか(地震による損傷や構造的欠陥もあったのではないか)という疑念である。というのも、非常電源が確保されても、計器や安全装置が(電源が不要な冷却装置でさえもが)想定どおり動かないからだ。そして、次にやってくるのは、現場の東電職員が過酷事故を想定した装置や機器の取扱いに習熟していなかったのではないかという疑念である。

 さて、だが本紙読者すなわち県職員がもっとも注目しなければならないのは、福島県庁の原発所管部長と知事の態度について東電社員が発言している内容だ。三号機の爆発が迫ってきた時点で、福島県が東電に対し、マスコミを入れた県の部長会議で現状を詳細に報告し事態悪化の可能性を説明するよう求めたのに対して、東電は“官邸が記者会見しないのだから県も事態を公表するな”という趣旨の説得にまわり、渉外者が会議で「担当部長と知事からしぶしぶですが納得いただきました」と報告しているのである。もし県当局が三号機爆発の急迫を理解した(想像できた)うえでその情報を県民から隠したのだとしたら、これは犯罪的な行為であるのだから、ことの真偽はしっかり突き詰められるべきであろう。また、この映像は第一次資料として極めて重要だが、そこにあるのはあくまで「東電職員の発言」であることを幾度も肝に銘じながら観る必要がある。

 14日の夜には免震重要棟でも職員の被ばく線量が基準値を超え、原子炉建屋内外での作業は決死の状況となる。そして、「もうここにいても何もできない」と東電は職員の撤退に傾く。 
 映画の最後に防災服姿で東電本社に乗り込み、激しく手を振りながら演説する菅首相の後姿が映し出される(音声はないとされている)が、ひょっとしたら菅直人の“イラ菅”ぶりこそが東電に撤退を思い止まらせ、結果的に日本を救ったのかもしれない。(ただし、この場合の<日本>とは殆ど<東京>と同義なのだが。)
                                                                                         
                                                                                                                 





  

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2013年11月26日

映像制作者と被写体の関係における倫理について(その3)




3 「リアリティTV」の憂鬱

 今回は、特集企画「6つの眼差しと<倫理マシーン>」から、アリエル・シュルマン、ヘンリー・ジュースト監督作品『キャット・フィッシュ』(アメリカ・2010)についてその感想を記す。

 これは、アメリカで大人気になっているというテレビ番組のジャンル、「リアリティTV」風の作品である。
 概要を述べると、20代の映像作家である主人公ネブが、ネットを通じて交流を始めた見知らぬ女性の正体を確かめるために、仲間とはるばる会いに行くというお話である。
 ある日、映像作家であるネブの作品(男性のダンサーが女性のダンサーを抱え上げている写真)が新聞に掲載される。すると、それを観てあなたのファンになったという8歳の少女アビィから、ファンレターとともにその写真を絵画に描いた作品が送られてくる。ネブがアビィと電子メールでやり取りをはじめると、彼女は何度も様々な対象を描いた作品を送ってくる。彼女の作品は高い評価を受け、地元のギャラリーに展示されていると言う。(このあたりから、ネブとともに映像製作の事務所を運営しているネブの兄・レイがネブの様子をビデオに記録し始めた、ということになっている。)
 そうこうしているうち、ネブはfacebookでアビィの異父姉だというメーガンと知り合い、美人でセクシーな彼女の写真をみて興味を積のらせていく。(このころから、レイとその友人が、鼻の下を伸ばしてメーガンとやり取りするネブの様子を映像作品にしようと意識して撮影し始めた、とされている。)
 しかし、メーガンとやり取りしているうちに、ひょんなことから彼女が嘘をついていたことを知り、ネブはメーガンという女性の存在そのものに疑念を抱くようになる。そして、ネブの兄と仲間の3人はメーガンの正体を確かめようと車に乗り込み、泊りがけの旅をしてアビィの住む町へ訪ねていく。
 すると、・・・アビィという少女は実在していた。だが、絵を描き、ネブとメールの交換をしていたのはアビィになりすました彼女の母親で、ナイスバディで美人のメーガンはこの太った母親が他人の画像を剽窃してネット上に作り上げた架空の存在だったことが判明する。

 さて、この作品のキモはここから先の部分にある。
 このアビィの母親である女性(名前は失念した)は、ある子持ちの男性と結婚し彼らと同居していたのだが、その前妻が残していった二十歳ほどの双子の男の子は、二人とも重度の知的障がい者なのだった。彼女は自分の夢を捨てて家庭に入り、専業主婦としてこの子どもたちの世話をする日々を過ごしていたのだ。
 この作品のクライマクスは、ネブとこの女性とが向かい合って椅子に腰掛け、対話するシーンである。
 女性は夢を諦めて家庭に入り、こうした毎日を過ごしていることを語りながら、涙を流す。それに対して、ネブは彼女を非難することも受け止めることもできないまま、ただ表面的な応対で軽薄さを曝け出すばかりなのだ。
 作品の最後に近いあたりに、この女性の夫にインタビューするシーンが挿入されている。そこで夫は、このような嘘をついて若い男性とメール交際していた妻について、「Catfish」(ナマズ)の喩えを持ち出してかばう。彼は鮮魚を輸送する仕事に関わっているのだが、タラを生きたまま輸送するために、タラの水槽にナマズを一匹入れる。するとタラはキビキビとして、生きがいい状態で輸送される。・・・妻にとって、ネットで架空の女性に成りすまして男性と交際することは、彼女の(あるいはこの家族の)日常にとってCatfishのようなものなのだと思う、と。


 上映後のディスカッションでは、まず、コーディネーターの米ミシガン大学教授の阿部マーク・ノーネス氏が、「リアリティTV」について簡単に解説した。
 「この作品はアメリカで大変な人気を呼んだ。全米の映画館で公開され、その人気ゆえにテレビでシリーズ化もされた。私の大学で映像作家を目指している学生の就職口として、『リアリティTV』製作は大きな受け皿となっている。『リアリティTV』の製作で生活費を稼ぎながらドキュメンタリー映画作家を目指す、というのが卒業後の道になっている。
『リアリティTV』は、<ダイレクト・シネマ>の流れから出てきた手法だが、撮影する者とされる者の環境を整え、そこに予想できない刺激を投げ込んで何が起こるかを観察する手法がメインになっている。出演者に対する演出はないが、撮影対象が置かれる環境については徹底した管理がなされている。」

 このディスカッションのモデレーターはブライアン・ウィンストン氏、登壇者は映画監督の関口祐加氏と映画監督でプロデューサーでもあるゴードン・クイン氏(アメリカ)。
 なお、関口監督は、自分の母親を被写体にした映画『毎日がアルツハイマー』の作者。「映画で飯が食えないので、オーストラリアの映画学校で教えている」と話していた。
 ウィンストン氏は、この作品を取り上げた視点として、ひとまずは「映画の製作や発表にあたって、被写体の同意を必ず得るべき」という倫理を挙げた。また、クイン氏について「クイン監督の『フープドリームス』は障がい者を被写体にした作品だが、クイン監督は撮影後も被写体となった障がい者に長年に亘って金銭的支援を行っている」と紹介し、製作者と被写体の関係のあり方として「被写体=出演者に金を払うべきかどうか」という提題も行った。
 ところで、「キャット・フィッシュ」には、ネブたちが、アビィ宅の訪問を決意する前、ネット検索などでメーガンが架空の人物だと見抜いた時点で、この事実にショックを受けたネブが、レイに、これ以上撮影するのを止めてくれ、と言って塞ぎ込むシーンが挿入されている。ここでは、ネブは製作者であるとともに被写体でもある。
 とはいえ、もちろんここでの倫理的課題は、嘘が暴かれるあの母親の同意を得たかどうか、そして大ヒットしたことによって得た利益から彼女に幾許かの支払いを行ったかどうか、という疑問として、ひとまずは提起された。

 支払いの問題については、ゴードン氏は「たまたま利益が出たから出演者にも還元しているということだ」とさらりと流したが、この問題は現実としてなかなか難しい要素を含んでいるように思える。
 被写体=出演者の同意を得ることについては、さらに難しい問題があるだろう。しかし、ウィンストン氏は、同意を得ない公開はドキュメンタリー作品への信頼を失わせるとして、必ず同意、それも事前同意をとる必要があると語った。

 誰からだったかは記憶していないのだが、この作品に関しては、重い障害のある夫の連れ子を二人も世話する女性に対して、その嘘を見破り正体を暴こうとして訪問した撮影者たちの方が、如何にも軽薄で愚かしく見える。架空の人物を創りだしてネット上で男を騙しつづける女の“存在の耐えられない重さ”(これは高啓の表現)に対して、映画作家の側がまったく対峙できていない、という批判が出された。
 これに対して関口監督が、「撮る方の愚かさや未熟さが出ているからこそ、このフィルムは作品として成立しているのだ」という趣旨の返しをしていたのが印象的だった。

 関口監督が言ったように、この作品に魅力があるとすれば、それは重い現実を抱えて生活しているひとりの女性のまえで、最初はスケベ心で、そして嘘を見抜いてからは正体を突き止めてやろうとする(あるいは嘘をついた人間の実態を暴いてやろうとする)、好奇心とも悪意ともいえる映像作家根性でやってきた若造が、成すすべなくうろたえる姿を定着しているからだと思える。
 だが、この映画の作風は如何にもポップなノリで、物語の進行は手際よくリズミカルに編集されている。どしっと重く、尾をひきそうな“リアリティ”が、いわば日常生活意識に対する適度な刺激として機能するCatfishの如くにアレンジされ、一方でそのリアリティに触れた主人公の作家たちは、自分たちの不細工な姿をビター・チョコレートみたいに旨く加工して観客に提供する。
 このパッケージ化された関係性の上げ底感は並みのそれではない。こんなもののために精力と時間を費やす映像作家がたくさんいるとしたら、それこそが映像の<非倫理マシーン>として唾棄さるべき存在であるだろう・・そう思ってしまう。(この項、了)



                                                                               

  

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2013年11月21日

映画製作者と被写体の関係における倫理について(その2)






2 プロフェッショナリズムの醜悪さ

 次は、特集企画「6つの眼差しと<倫理マシーン>」から、ジョン・レノン、オノ・ヨーコ監督『レイプ』(Rape)(1969)についてその感想を記す。
 上映後のトーク:ゲストは『蜘蛛の地』監督のキム・ドンリョン、パク・ギョンテ氏、聞き手は斉藤綾子氏。
 斉藤氏が解説者的な役回りをし、これに客席にいた阿部マーク・ノーネス氏が被写体に関する情報を提供した。また、同じく客席からイギリスの映画・メディア研究者のブライアン・ウィンストン氏が発言した。

 この映画は、ある若い女性をビル街の路上でカメラ(16ミリ撮影機)が追跡するところから始まる。女性は白人で長髪、しかもどちらかといえば美人である。高級という感じではないが安っぽいという感じでもなさそうなコートを着て、スカートを穿いている。特徴的なのは彼女の目の周りのメイクである。上の睫毛は付け睫毛らしいが、下の睫毛は目の下の皮膚に放射状に描かれている。60年代の終わりには一般人にもこんなメイクが流行ったんだっけ?・・・などと思いながら映像に付き合うことになる。
 彼女は自分が追跡のターゲットになっていることに気づいて、カメラマンに抗議したり、商店らしき店舗に入ったり、タクシーを拾って追跡を振り切ろうとするのだが、それでもカメラマンから逃げ切れず、ついに雑草の茂った墓地で逃走を諦め、強引な撮影に結果的に応じたようなかっこうになる。つまり、狼狽したり腹をたてたりした挙句、諦めのように、あるいは恐怖に震え、または救いを求めて媚を売るかのような表情を浮かべて、撮影に身体を開くような目線やしぐさを垣間見せるようになるのだ。

 フィルムの後半は、彼女のアパートにカメラが押し入り、表情をアップして追い回す場面で構成されている。カメラマンは鍵でアパートのドアを開けて押し入る。彼女は叫び声を上げて追い出そうとするが、ドアには鍵がかかり、内側から開けることはできない。彼女は誰かに電話で助けを求めている。密室でパニックに陥っている女の懐に、視線を忍ばせていくカメラのアングルがエグい。作品を見ている限りにおいては、すべての撮影過程を通してカメラマンは一切の声を発しない。そういう意味でかなりのテクニックをもったカメラマンだということがわかる。

 解説の斉藤綾子氏は、この作品を「6つの眼差しと<倫理マシーン>」のプログラムのひとつとして取り上げた理由を、「カメラが被写体に及ぼす暴力性。何を意図して製作されたかとは別に、カメラの視線が持つ暴力性が直截的に感じ取れる作品」であり、しかも「この作品はオノ・ヨーコが1964年にコンセプチャル・アート作品集『グレープ・フルーツ』に書いた一行のアイデアに発して1969年に撮られたもので、<実験的作品>と位置づけられているが、男性カメラマンがひとりの女性を撮影しており、撮られている方と撮っている方のパワー関係が歴然としているという意味でも問題を提起している」からであると述べ、また、「ほんとうにカメラの暴力性を暴こうとして製作したのか疑問。実験的アートのひとつのアイデアの実践という意味合いで製作したところ、しかし、彼らが意図していなかった暴力性が表れてしまったのではないか」とも語った。

 さて、映像を観はじめてすぐに異和を感じるのは、街の様子がイギリスらしいのに、突然まとわりついてきたカメラマンに対して発する彼女の苦情や抗議らしき言葉のほとんどが何語で発せられているのか、少なくともじぶんには判別できないことだ。英語で聞き取れたのは初めの方の「Sorry, I can´t speak English. 」の一言のみ。あとは上述の電話のシーンで、ドイツ語らしい部分(警察に連絡して!、みたいな内容)が一箇所判別できただけである。

 阿部マーク・ノーネス氏の解説を聞いたら、この女性はハンガリー生まれで、「ハンガリー動乱」(1956年)を機に、親とともにウィーンに逃れ、このときはロンドンでモデルをしていたということだった。(というと、あれはハンガリー語だったのか。)
 ついでに同氏が話したことをじぶんのメモから記しておくと、
 「6、7年前になるが、ウィーンの映画祭でオノ・ヨーコの作品特集が企画されたとき、ヨーコ本人がこの作品の上映後のQ&Aに出てきた。すると客席で私の隣に座っていた女性が質問をした。その質問内容は忘れてしまったが、忘れたのは彼女が“この被写体は私です”と言ったから(驚いて)である。この女性はこのあと建築家と結婚し、骨董屋になった。90年代にハンガリーに戻って、動物のシェルターのようなものを創った。しかし、この女性は今年の5月、自分の雇用していた従業員に殴られ火をつけられて殺されたと報道された。」
 「このカメラマンは彼女を撮るまえに別の人物を2、3人追いかけて撮影したようだが、途中でうまくいかなくなって止めたとのことである。そこで、知り合いだった彼女の姉と話をつけて、アパートの鍵を借りた。彼女が日常的にあの墓地を通ることも聞いていたという。」
 「撮影後、カメラマンは何も言わずに消え、翌日アパートのドアを開けたらジョンとヨーコが立っていて、映画化を承諾してくれたら25,000ポンド支払うという契約を持ちかけてきたそうだ。」
 
 この作品は、いくつかの点でたしかに「暴力的」であるだろう。
 まず、カメラが被写体に対して本質的に暴力的であるということ。これについては、パク監督が韓国におけるこの種のテレビ番組などについて「韓国ではモザイクが入れられているにしても、被写体はカメラにすべてを晒さなければならないという圧力が働いている」と述べていた。
 じぶんなどは、カメラのもつ本質的な暴力性と言われると、すぐにオウム真理教事件を思い出す。つまり、オウムの施設や信者を狙うカメラ(マン)に対してかれらが常にビデオカメラを回していたことを、である。カメラを向けられた信者たちは、つねに肩のところにカメラを構えて取材者に対抗していた。その姿は、見る者にとってこちら側のカメラの暴力性を映す鏡のようでもあった。

 次に暴力的な点は、すぐに看て取れるように男性が女性を追い詰めているということである。
 この作品のカメラマンと編集者はじつに巧妙で、映画の中で一度だけチラッとカメラマンの顔が映し出されるシーンを挿入し、カメラマンが男性だと知らしめている。部屋の中に侵入したカメラマンはほとんど暴漢だが、これがもし屈強ならざるカメラウーマンなら被写体の女性に撃退されたかもしれない。

 さらに暴力的な点は、じぶんが最初に抱いた異和に発するが、被写体の女性が英語のできない東欧人だということである。英語ができないうえにまだロンドンに馴染みがないとすれば、路上で誰かに助けを求めるということを躊躇する可能性が高い。しかも東欧からの亡命者である。これは政治的、民族的な差別を背景に成り立つ撮影でもあるだろう。

 もうひとつの暴力性は、これはパク監督も指摘していたことだが、有名人(権力者)が無名人(権力を持たない者)を撮るということの暴力性である。人権侵害があっても「実験映画」だとして糊塗できる。金の力で被写体を黙らせることもできる。じぶんはこれを観て俗悪なAV作品を連想した。あの、ほとんど実際のレイプ行為を撮影して、あとで金と脅しで「女優」を黙らせたような作品を、である。

 そして、最後の点だが、この作品を観てもっとも印象に残ったのは「プロフェッショナルの暴力」とでもいうべき代物だった。
 この作品は、形式が<実験映画>であるようでいて、内実が伝えてくるものは「実験」とは大きく異なる。それは、一にかかって、カメラによる追跡と被写体に近接してのカメラワークが“プロの仕事”を思わせるほど手際よく展開され、被写体の抗議を圧殺する鉄面皮さとなって現象しているからである。
 この作品の編集者は、これを撮影したカメラマンがいかにプロフェッショナルであるか、それを観客に看取させようと図るかのようにして、16ミリ撮影機のフィルムを交換した後のカチンコ(それはカメラマンの肩掛けバッグに固定されている)をカメラマン自身がカチンとやる場面を何度か盛り込んでいる。というか、一般には編集でカットして作品に残さない部分を、あえて観客に見せつけている。
 この作品が孕むいくつかの醜悪さのなかで、ここが一番のキモとなり、ひいてはもっともキモちの悪さを感じさせる部分である。

 客席にいたイギリスの映画研究者ブライアン・ウィンストン氏は、この映画のタイトルバックに記されたカメラマンたちの名前(うち一人は「ニック・ノーランド」と言った。もう一人の名前を高啓は聞き取れなかった。)を見て、次のようなことを語った。
 「これらの人物は、イギリスではプロフェッショナルとして名の通ったドキュメンタリー映画のカメラマンたちだ。イギリスでは<実験映画>と<ドキュメンタリー映画>ははっきりと区別されており、<ドキュメンタリー映画>の地位は高いが、<実験映画>の地位はそうではない。この作品をプロフェッショナルの仕事としてみた場合どうなのかを考えたい。」

 これにじぶんが応えるとすれば、じつにザッハリッヒな話になる。
 ようするに、これらの一流カメラマンは、ジョンとヨーコという有名で金持ちで道楽者の製作者から“プロ”として依頼された仕事をこなした。ただそれだけなのだ。しかし、それだけであるからこそ、かれらがそこで表現してしまうのは、まさに「プロフェッショナルな眼差し」という、鉄面皮で圧制的で野郎自大なゲバルトに他ならない。
 映画『レイプ』では、カメラマンの「プロフェッショナルな眼差し」の前で、被写体の女が身体を開いて「プロフェッショナルな被写体」に変容していく過程が見て取れる。そしてこの過程のすぐ向こうには、札束を抱えて佇む、クソのように幼稚でアマちゃんで醜悪このうえないジョンとヨーコの姿がたち現れてくるのだ。(この項、了)

                                                                                      

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2013年11月01日

映画製作者と被写体の関係における倫理について(その1)






1 対自的倫理と対他的(あるいは対多的)倫理

 まずは、上記7の「映画監督と倫理」と題された『ゆきゆきて、神軍』の原一男監督と『殺人という行為』のジョシュア・オッペンハイマー監督の対談から。

 なお、この対談は、「6つの眼差しと<倫理マシーン>」という企画のなかのひとつ。
 映像製作者と被写体の関係における<倫理>の問題を考える企画として、山形国際ドキュメンタリー映画祭(YIDFF)東京事務局ディレクター藤岡朝子氏と米ミシガン大学教授の阿部マーク・ノーネス氏らがコーディネイトしたものである。(このほか、イギリスの映画・メディア研究者のブライアン・ウィンストン氏も企画に関わっていたようである。)
 「6つの眼差しと<倫理マシーン>」では、山形美術館の展示室を会場として、上記6~10のほか、全部で10の上映+トークやディスカッションの企画が組まれていた。すべて参加したかったが、勤め人には無理な日程だった。(ちなみに、ほとんどの時間をパイプ椅子上で過ごすことになったため、お尻にも無理のかかる日程だった。)
 なお、「6つの眼差し」とは、「危険にさらされた眼差し」「介入する眼差し」「人道的な眼差し」「偶発的な眼差し」「プロフェッショナルな眼差し」「無力な眼差し」とされる。ただし、この区分自体は、「プロフェッショナルな眼差し」を除いて、議論のうえであまり意味のあるものではないから、ここでは無視する。


 映画「殺人という行為」は、インドネシアにおいて、スカルノ政権が倒れスハルト政権に移行する1965年から66年にかけて大量の「共産主義者」(共産党員・支持者・その家族、その他彼らにとって邪魔だった民主勢力の市民、差別や妬みの対象だった中国系住民などを含む)を拉致・拷問し、その多くを殺害したプレマン(ヤクザ、ゴロツキの意)たちに取材した作品である。

 オッペンハイマー監督が語るところによれば・・・まず被害者の遺族の協力を得て取材を始めたが、軍部が遺族から話を聞くことを許さないと言ってきたため、逆に殺害した側の人間から話を聞くことにして、全部で41人の殺害者にインタビューした。すると、インタビューを受けた殺害者たちはほとんどが殺害の話を自慢げに語り、どのような方法で殺したかデモンストレーションしてみせる者も少なくなかった。その41人目が、この作品で主役となったアンワールという老人のギャングである。彼らが殺人を行ったことをなぜ自慢しているのか、どんな人間として世界に見てほしいと思っているのかに興味を引かれ、5年かけてこの作品を撮影した・・・。(※)

 ちなみに、これらのギャングはインドネシアで「プレマン」と言われる者たちで、日本で言えば「ヤクザ者」とか「ゴロツキ」とかいうことになるようだ。
 映画は、アンワールと彼に弟分のように付き添う太ったプレマン、そしてスハルト体制を支えてきたプレマン団体「バンチャシラ青年団」の組織にいる人相の悪いプレマン、そしてアンワールの昔のプレマン仲間の4人が(アンワールとその弟分らしき太った男が中心となって)、監督の勧めに応じて自分たちが出演する映画を撮影する過程を中心として構成されている。この部分は“劇中劇”的な“映画内映画”だと思ってもらえればいい。
 このプレマンたちが製作する映画には、かれらが「共産主義者」たちの村を襲い、村人を虐殺して家に火を放ったことを再現するシーンが含まれている。襲われる側の女や子どもを含む村人役はプレマンたちの身内や町で映画出演を説明してにわか役者としてスカウトしてきた人々だが、襲撃場面のアクションによって、その後本当に放心状態となっている者やパニックに陥って泣き叫んでいる者も映像に収まっている。
 印象的なのは、密室(じつは地元新聞社の社屋の一室)で「共産主義者」を拷問・殺害したところを、アンワール自身が殺される側の役となって再現するシーンである。ここで、アンワールは首を針金で絞められ、死の恐怖を味わう。
 しかし、この作品をもっとも印象付けるのは、こうして撮影された映像のラッシュ画面を自宅で観ているアンワールとその弟分の表情を、正面から、つまり映像画面の側からアップでとらえた場面が何度も出てくるところである。アンワールは、各シーンについて、この場面はうまくいったとか、ちょっと不満だとかいいながら、最終的にはいい映画になったと満足する。
アンワールは、もとはハリウッド映画を上映する映画館の前でダフ屋をやっていたチンピラだったが、1965年にプレマンとして「共産主義者」狩りに深く関わるようになる。
 映画のはじめの方には、彼が監督の求めに応じて「あまり血がでず、楽に殺せる」として採用したという針金で絞殺する方法を説明し、拷問と殺しを行ったあとはこんなふうにクラブで踊ったとステップを披露してもみせるシーンが置かれていて、まずはこの人物に対する嫌悪感を催させる。だが、やがてこの映画の撮影とこの映画のなかで撮影される再現映画の製作の両方が進むに従って、オッペンハイマー監督のカメラはアンワールの私生活の一部(とくに寝室)に入り込み、やがて彼が夜毎に魘されている姿をとらえ、絞殺される役を演じた際に涙を流す姿をも織り込んでいる。
 映画『殺人という行為』は、こうして主人公アンワールの人間性を追いかけていく流れと、アンワールたちが映画を撮っていくところを記録する流れをメインとし、そこに背景として、現在も同じプレマン団体が地域で暴力的な支配を続け、政党・地方の首長・国軍・警察・マスコミ・経済界などと密接に結びついて堂々と活動している場面をうまく差し込んでいる。たとえば、バンチャシラ青年団のプレマンがマーケットを流して次々と中国系商人をカツアゲしていく姿と、このバンチャシラ青年団の集会で副大統領が同団体を持ち上げる演説をしている映像の組合せには、ASEANの大国インドネシアがいまだにこんな国情だったのかと唖然とさせられる。
 監督が「殺された者の遺族の復讐が恐くないのか?」と問うシーンでは、プレマンは「俺たちに手出ししたら、(一族)皆殺しだ。それがわかっているからやつらは手出しできない。」と平然と言ってのけるのでもある。
 (なお、インドネシアにおける「プレマン政治」について、以下の論文を参照されたい。立命館大学教授・本名純氏の論文「ポスト・スハルト時代におけるジャワ3州の地方政治」(アジア政経学会『アジア研究』第51巻の2)


 さて、映画の説明はこのくらいにして、対談である。
 走り書きのメモから対談の概略を起こしてみる。

 原監督:胸糞が悪くなるこのアイディアをどこから思いついたのか。
 オッペンハイマー監督:(上記の※の部分のようなことを述べた。)
 原:撮影していくなかでアンワールが変化していくのを予想していたか。
 オ:アンワールが自分を許すというようなエンディングにはしたくなかった。私はインドネシアの政権の全体を暴露したかった。撮影していくなかで、アンワールは自分の心の傷に瘡蓋を作ろうとしているように思われた。
 原:アンワールが被害者の役になったのは、監督の発想だったのか。
 オ:アンワール自身の発想だった。彼は、自分が殺した人間がどのように死んでいったか見せてやると言って演じた。彼は毎晩のように被害者になった夢をみている。殺人を自慢しているということと後悔しているということはコインの裏表のように思えた。
 原:ドキュメンタリーの面白いところ、醍醐味は、人の価値観が大きく変わっていくところを描けるところだ。この作品のなかで、アンワールの姿が救いを見せてくれる。この変わるということを描きたいというモチーフがあなたの中にあったか、それをもう一度問いたい。
 オ:私の描きたかったのは両方のことだ。映画の製作過程でアンワールは変化してきている。しかし、この映画はインドネシア社会の全体像の鏡になっている。彼が変わったのは、もっと大きなことによるのではないか。映画そのものが大きなものに介入している。
 原:先進国でこうした映画(注:自分が犯した殺人を自分で映画にすること)が受け入れられるだろうか。そのことを彼らに伝えたのか。
 オ:彼らは世界が自分たちをサポートしていると思っている。実際、アメリカはこのインドネシアの政権に多くの支援を行っている。
 原:しかし、あなたはこの映画が公開されれば世界が彼らを批判すると思っているだろう。そういうことについて、彼らと意見交換したのか。
 オ:私はインドネシアの政権がこのようにして成り立っていることを明らかにしたかった。アメリカの現在の関与についても問いたかった。それが私の倫理。これは殺された人の遺族や被害者たちとの話し合いのなかで感じたものだ。
   ( 中 略 )
 原:私は、被写体との関係においてどのような規範を持てば良いか、それを探りながら映画を撮っている。
 オ:私は今でもアンワールとたまに連絡を取りながら8年間付き合っているが、アンワールは素晴らしい映画になったと言っている。


 この対談で印象的だったのは、まず、映画製作者として被写体との関係性を重視し、被写体と真摯に向き合おうとする原監督の姿勢だった。原監督の言葉には、被写体に対する自己の姿勢として、いわば“対自的倫理”とでもいうべきものの存在を感じる。
 たとえば、それは、来談者に対するカウンセラーの姿勢としてカール・ロジャースが掲げた「自己一致」というようなものに近いのかもしれない。(ロジャースの言う「自己一致」はちょっと難しい概念で、高啓はこれに対する自分の考えをいまここでうまくまとめることができない。そこで“対自的倫理”という抽象的な言い方でお茶を濁しておく。)

 原監督は、オッペンハイマー監督に、アンワールらに対してたとえば“殺人が支持されると考えているあなたたちは勘違いしている。殺人をこんな風に平気で再現したり、あるいはこの映画内映画みたいにキッチュで面白おかしい場面に構成したりしたら、世界から非難と軽蔑を受けるだろう。それを敢えてやってもいいんだね?”(ここは高啓の意訳)と確認したのかと問いかけた。ここまでは、いわば普通の倫理的態度をめぐる疑問である。
 しかし、ほんとうに重要なのは、原監督がその問いに続けてすぐに、たしかこんなふうに付け加えたことだ。つまり、「いや、ちゃんと話していなくてもいいんだ。あなたがそれを自覚してやっているのなら。」と。
 ここで原監督は、十分な意見交換をして被写体を納得させた上で作品を公開すべきだと言おうとしているのではない。もし、この映画の監督が馬鹿真面目な態度で世界(とくに先進国の市民)からどう思われるかを被写体に語れば、被写体はいくつかの重要な場面を公開することに同意しないかもしれない。そうなれば、外面的には民主制が機能しているように見えても実際は暴力が支配し続けてきたこの国の体制に対する作品の批判力は大きく殺がれるだろう。だから、この監督は被写体が勘違いしていること、敢えて言えば彼らが愚かなことを好いことに、このような客観的認識を伝える努力を真面目にはしなかったかのようだ。もしそうなら、この監督はオブラートに包まれた“悪意ある狡知”を持っているということになる。
 さて、このあざといサボタージュによって監督は倫理的にネガティブな評価をなされるべきか・・・まさにその点が、このコンペティション出品作品が「6つの眼差しと<倫理マシーン>」の題材として選ばれた理由であるだろう。
 この映画の監督は、いわば「正義と公正」への自己倫理にしたがって「インドネシアの現政権や体制がどのようにして成り立っているか」を、このずいぶんと特殊な手法で暴こうとした。YIDFFなどのコンクールで賞をもらうことよりも、あるいは素晴らしい作品を撮る監督だと賞賛されるようになることよりも、この監督を強く突き動かす倫理があるのだ。(それがよくわかるような気がする。それは暗い想念なのだが。)
 原監督は、オッペンハイマー監督に対して、映画製作者の倫理とは、その作品と被写体の全体に対して“責任を負う”ということなのだと言いたげである。被写体に対して“責任を負う”ということは、“誠意をもって対応する”ということとイコールではない。製作者が被写体に対して、確信犯的に「意図や意味を語らない」という姿勢をとることもありうる。そして、だからこそ製作者の倫理はその先で、つまり作品行為の全体性として問われるべきなのでもある。
 だから、原監督の問いはこのように受け止められるべきであろう。“あなたは狡猾や愚劣のそしりを引き受ける覚悟の上で、この胸糞の悪くなる作品を発表したのか”と。
 観客から評価されるべきなのは、その覚悟の質及び根拠が倫理的瑕疵を凌駕しているか否かということだ。社会性を帯びたドキュメンタリー作品においては、少なくともこの問題は避けてとおることができないように思われる。(この項、了)                                                                                       

  

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2013年10月31日

山形国際ドキュメンタリー映画際2013






 山形国際ドキュメンタリー映画際2013(2013年10月10日~17日)について記す。

 今年の映画祭で自分が出かけたのは4日間。そこで観た映画及び出かけたセッションは次のとおり。

1 クリス・マルケル特集「未来の記憶のために-クリス・マルケルの旅と闘い-」から『ベトナムから遠く離れて』(1967年)

2 同『美しき五月』(1962年)

2 インターナショナル・コンペティション出品作品から、ジョシュア・オッペンハイマー監督『殺人という行為』(The Act of Killing)(2012年)

3 同、キム・ドンリョン、パク・ギョンテ監督『蜘蛛の地』(Tour of Duty)(2013年)

4 特集「それぞれの『アラブの春』」から、ショーン・マカリスター監督『気乗りのしない革命家』(The Reluctant Revolutionary)(2012年)

5 山形大学主催「東欧ドキュメンタリー映画の現在―冷戦終了後の世界―」から、ドキュメンタリー映画『シベリアのレッスン』(1998年・ヴォイチェフ・スタロン監督)上映後の東京大学・小椋彩氏のレクチャー「冷戦終了後の世界と『小さな物語』―ポーランド・ドキュメンタリー映画―」(コーディネーターは山形大学・中村唯史氏)

6 企画「6つの眼差しと<倫理マシーン>」から、ジョン・レノン、オノ・ヨーコ監督『レイプ』(Rape)及び上映後のトーク:ゲストは『蜘蛛の地』監督のキム・ドンリョン、パク・ギョンテ氏、聞き手は斉藤綾子氏

7 同企画から、『ゆきゆきて、神軍』の原一男監督と『殺人という行為』のジョシュア・オッペンハイマー監督の対談:聞き手は阿部マーク・ノーネス氏

  
8 同企画から、アリエル・シュルマン、ヘンリー・ジュースト監督『キャットフィッシュ』(Catfish)上映及び上映後のトーク:ゲストは映画監督の関口祐加氏、聞き手はブライアン・ウィンストン氏

9 同企画から、チャオ・リャン監督『北京陳情村の人々(ディレクターズ・カット)』(Petition)の「第一部・衆生」(104分)のみ。(このディレクターズ・カット版は第三部まであり、全上映時間は315分)

10 同企画から、ディスカッション「6つの眼差しと倫理」:登壇者は、阿部マーク・ノーネス氏、ブライアン・ウィンストン氏、斉藤綾子氏

11 企画「ともにある」から、豊田直巳、野田雅也監督『遺言―原発さえなければ―』(2013年)


 次回の書き込みから、これらのいくつかについて印象や感想を述べていこうと思う。                                                                                                                                  


  

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2013年09月23日

映画「ペーパーボーイ」感想






 2013年9月、山形フォーラムで、リー・ダニエルズ監督の「ペーパーボーイ―真夏の引力―」(The Paperboy)を観た。その感想を記す。いわゆる「ネタバレ」の部分を含むので、以下を読む場合は了承のうえで。

 映画「ペーパーボーイ」は、1969年、人種差別が根強く残るアメリカ南部・フロリダ州の田舎町と海辺の沼地を舞台に、人間の暗部を汗と泥と血のなかに浮かび上がらせようとしたドラマである。
 物語は、屈折した白人の若者のジャック(ザック・エフロン)が体験した出来事を、その面倒を看てきた黒人メイドのアニタ(メイシー・グレイ)が語るという形式をとって進んでいく。
 ある日、ジャックの兄で、大手新聞社で記者をしているウォード(マシュー・マコノヒー)が、黒人記者ヤードリー(デヴィッド・オイェロウォ)を伴ってこの町にやってくる。彼らは、この土地で起きたある殺人事件(人々から憎まれていた白人警官が刺殺された事件)の犯人として死刑囚になっている貧乏な白人男性ヒラリー(ジョン・キューザック)が冤罪を着せられたのではないかと睨み、調査を始める。
 一方、この町にはケバい格好をした美人でグラマラスな白人女シャーロット(ニコール・キッドマン)が住んでいて、彼女は何故かせっせと多くの囚人たち(それも死刑囚や終身刑の囚人たち)と文通してパートナーを探している。
 ある日、死刑囚ヒラリーを“この人だ!”と思ったシャーロットが、冤罪を晴らしてほしいとウォードらを訪ねて来る。そこでシャーロットを見たジャックは、彼女に一目惚れして、兄の取材の手伝いをすることになる。
 やがて、黒人記者ヤードリーが自分の取材を元にウォードの承認をえないまま冤罪の疑いが濃いとの記事を書き、その影響で死刑囚ヒラリーは簡単に仮釈放されてしまう。自由になったヒラリーはすぐさまシャーロットの家に向かい、そこで野獣のようにシャーロットの身体を貪り、さらにはそのまま強引に彼女を沼地の自宅に連れ込む。
 ヤードリーが取材で得た証言が嘘だったことを突き止め、やはりヒラリーが犯人だった可能性があると睨んだウォードとジャックは、シャーロットを救出すべく、ボートでアリゲーターの住む沼地を渉り、ヒラリーの家を訪ねる。だが、そのときすでにシャーロットはヒラリーに殺されていた。そして、その場でウォードもヒラリーに鉈で喉を掻き切られて死ぬ。
 ジャックは大きな鉈をもって追いかけてくるヒラリーから必死で逃げる。乗ってきたボートは係留場所から失われているが、大学で水泳選手だったジャックは沼地の水中を自在に潜って逃げ遂せる。ラストシーンは、遁れたジャックの通報でヒラリーが逮捕されたと告げるアニタのナレーションの中を、ジャックが操る船外機付きのボート(そこにはウォードとシャーロットの遺体が乗せられている)が沼地から海へ向かって出ていく姿を鳥瞰するショットで締めくくられる。

 この作品を観てすぐにやってくるのは、あの時代の状況設定やカメラワークや登場人物の存在感がそれなりに効果をあげているのに、ストーリーの展開が安易すぎるため、すべてが中途半端に提出されてしまっているという印象である。
 観客は60年代南部の真夏の息苦しさに抱かれ、映画館の椅子に深く腰を下ろしてこのオドロオドロしい湿地の世界に浸っていこうとするのだが、不気味なはずの沼は意外に浅くてすぐに足が底に着いてしまうのである。

 不満な点をいくつか列挙してみる。
 第一に、シャーロットの人物像が明確でない。つまり、彼女はなぜ囚人たちと文通して彼らのなかにパートナーを求めているのかが伝わってこない。何故ヒラリーを選んだのかも不分明である。この不分明さは人物設定の説明不足によるものであると同時に、むしろニコール・キッドマンの存在感から来ているのかもしれない。彼女はシャーロットの下品な色気を出すためにそこそこの演技をしてはいるが、どうしても知的な面が覗いてしまうので、こんなふうに男に不自由しない女が貧乏で陰湿な囚人と進んで関係を持とうとする理由に納得がいかないのである。つまり、ニコール・キッドマンのシャーロットには、お目出度さや無垢さがない。
 第二に、白人記者ウォードと黒人記者ヤードリーが同性愛の関係だという設定や、ウォードが黒人男性からいたぶられることを望むマゾヒストだという設定にも無理を感じる。これもマシュー・マコノヒーの存在感がそういう登場人物のイメージと乖離しているからだと思える。
 第三に、沼地に立つヒラリーの自宅に連れ込まれたシャーロットの描写があまりにあっさりとしているために、この沼地世界のオドロオドロしさが今一つ描ききれていない。これはドラマの前半で同じく沼地の家に住むヒラリーの仲間の男の家の様子(男が女を何人か同居させハーレムのような生活をしている)がうまく描かれていただけに、ちょっともったいない感じがした。ヒラリー役のジョン・キューザックがまさに“はまり役”といった感じを出しているので、なおさらそう思える。
 第四に、上記のように沼地の世界とそこに嵌まり込んだシャーロットの存在感がさらりと流されているために、その地獄のような世界から命からがら逃げかえるジャックの心理も、十分な切迫性をもって伝わってこない。アリゲーターが獲物を狙っている水中を潜って逃げているのに、プールを泳いでいるシーンが挿入される訳もよく伝わってこない。(その意図がわかるような気はするが。)

 この作品は、1960年代の南部の田舎町の保守性や湿地や沼地に生きる下層の人間たちの欲望を、汗と泥と血の匂いとで比較的うまく仮構している。それだけに、もっと無名でそれゆえに演出の指示どおりにきわどい演技をさせられる役者たちを使って、精力的かつ繊細に描いてもらいたい気がした。
 同じ日活の配給だから園子温の作品のようなエグさを期待してしまうということかもしれないが、折角の設定が、脚本・演出の中途半端さによってアメリカン・コーヒーのように薄められているという感を免れないのである。(了)                                                                                                                   

 

  

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2013年09月04日

映画「スター・トレック-イントゥ・ダークネス-」感想



 


 2013年9月、山形フォーラムで、J.J.エイブラムス監督の「スター・トレック-イントゥ・ダークネス-」を観た。その感想を記す。いわゆる「ネタバレ」の部分を含むので、以下を読む場合は了承のうえで。

 「スター・トレック」といえば、じぶんの場合は小学生時代に観たテレビ・シリーズの印象が強い。いわゆる「SFもの」「宇宙もの」のなかで、このテレビ・シリーズは極めて異色の存在だった。
 簡単に言ってしまうと、娯楽作品ではない。小学生にとっては、面白い番組というよりどちらかというと退屈してしまうドラマだったような気がする。
 アクション・シーンが少ない会話中心の展開で、宇宙船の攻防などSFものに欠かせないシーンも印象に残らない程度。むしろ心理劇とか人間ドラマとか言った方がいいような内容だったような記憶である。
 たとえば、フロイトの言う<イド>が眼に視えない怪物(凶暴な物理的力)になって暴れまわるなんて話もあったと思うが、これは小学生のじぶんにはなかなか腑に落ちず、あれこれ考え込んでしまった。もっとも、<イド>ということばをここで憶えたりして、子どもから視ると“大人のドラマ”という感じがしていたものである。

 映画版「スター・トレック」については、過去の作品を劇場で2、3作品観た記憶はあるのだが、ストーリーをあまり覚えていない。宇宙活劇としても大人の心理ドラマとしても中途半端だったのかもしれない。(ただし、本作品よりは幾分か“スター・トレックらしい”作品だった。興行的に予想ほどうまく行かなかったのだろうか。)
 それでもあのエンタープライズ号の容姿とその背景のテーマ音楽に憧れて劇場に足を運んでしまうのは、子どものころに受けた刷り込みの影響だというのは間違いない。要するに、「惑星ソラリス」よりは薄いが、他の宇宙ものより知的で、なんとなく大人のドラマというイメージがあり、ついついあの特異な世界の再現を期待してしまうのである。

 さて、本作品は、以上のようなじぶんの期待をまったく裏切ってくれるものだった。
 簡単に言ってしまうと、心理劇をかなぐり捨てて、“スパイダーマン”や“バッドマン”に出てくるような超人が冒険活劇を展開する「ハリウッド映画」の典型的な作品になってしまっている。
 冒頭の未開人に追跡されるシーンは、活劇の導入部としては秀逸だが、よく言って「スター・ウォーズ」、悪く言うと「インディ・ジョーンズ」を連想させる。
 また、こういう映画の見方はしたくないのだが、指摘せずにいられないので言っておくと、クライマックスのシーンで、主人公のカーク船長は「USSエンタープライズ号」とそのクルーを救うために、同号の「コア」と呼ばれる動力装置の修理に向かって命を落とすのだが、その後、敵役で超人として描かれている「カーン」の血液を輸血されて蘇えるという筋書きには、その無神経ぶりに唖然としてしまった。
 「コア」はまるで原子炉の炉心のように描かれており、カークはそこで高線量の放射線を浴び、急性放射線障害で死んでしまうのだが、それが輸血一本で簡単に生き返り正常にもどってしまう。
 おっと、地球の連合艦隊に復讐を誓う元艦船司令官のジョン・ハリソン(=カーン)は、かつて遺伝子操作で不滅の人間兵器として生み出されたという設定だし、導入部では病気で瀕死の子どもをその血液の輸血によって回復させるシーンが挿入されているから、「死んだ人間を超人からの輸血で読みがえらせることができる」という設定自体については何も言わない。
問題は、高線量の被爆によってその場で致死した人間が輸血で蘇えるという筋書きだ。「フクシマ」以降も、ハリウッドでは、こんな能天気で無神経な設定が企画会議を通るのか・・・と、頭を抱えてしまった。

 もっとも、この作品をSF活劇だと看做せば、そこそこいい出来だと言うこともできる。
 何分かに一度アクション・シーンを挿入するというお約束も守られていて退屈しない。また、音楽が最初から最後までストーリー展開に対応してしっかり構成されていて、この音楽の完成度が作品の質をずいぶん救っている。 
 だがやはり、刷り込みを受けた人間としては、「スター・トレック」らしい“解らなさ”、つまりインテリジェンスの匂いが感じられなくなったのは、少し寂しいといわなければならない。(了)


                        

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2013年01月26日

映画「LOOPER」 感想


                                                                                                                              





 山形市の映画館「ソラリス」で、ライアン・ジョンソン監督作品『LOOPER』を観た。
 その感想を記す。いわゆる〝ネタバレ〟となるので、以下を読む場合はその点を踏まえていただきたい。

 これはいわゆる〝タイムマシンもの〟の作品である。
 <未来>で暗躍している犯罪組織が、抹殺したい人間をタイムマシンで<現在>に送ってくる。それが転送されてきた瞬間にショットガンで撃ち殺すのが主人公ジョセフ・シモンズ(ジョセフ・ゴードン=レヴット)の仕事である。しかし、ある日、30年後の彼自身(ブルース・ウイルス)が送られてくる。そして、30年後の自分は主人公の一瞬の逡巡に乗じて逃亡し、<現在>の主人公の追跡が始まる・・・・と、ここまでが予告編の内容である。

 記憶に頼って筋だけ簡単に述べてしまうと、・・・

 さあ、ここからがネタバレで、このあとを読むと映画がつまらなくなってしまう。まだ観ていない人は読まないように。

 ・・・主人公は30年後の自分を殺害しようとして追う。彼を殺害しなければ、<現在>においてタイムマシンで送られてくる人間を殺すのを請け負っている組織から自分が殺されてしまうからだ。
 30年後の彼は、<未来>で彼が愛した女が組織に殺されてしまったため、最愛のその女の命を救おうとして、殺されるべく送られた過去すなわち<現在>において生き延び、将来その犯罪組織のボスになるところの、今は子どもである人間を探し出して殺そうとする。(同じ誕生日の男児が3人いて、ブルース・ウイルスは一人ずつ命を狙っていく。)
 ところで、このボスは、いくつもの犯罪組織を短期間に統合支配するようになったとされており、並外れた能力の持ち主であるらしいことが登場人物たちの会話によって事前に示されている。
 主人公は、その子どもと想われるある男児とその母親が暮らす家を見つけ、そこに30年後の自分が現れるのを待つ。しかし、主人公はその母子の生活を見張るうち当該男児がどこか異常なことに気づきはじめる。
 ここにも伏線があって、この<現在>では、一部の人間に突然変異でサイコキネシス(念力)の能力が備わっているという設定があり、しかもこの母親と主人公が一夜をともにした後、この女がベッドでタバコのライターを手のひらの上で浮かせているシーンが挿入される。さらには、この家の中で、母親の指示に男児が逆らい、ヒステリックな叫び声を上げるシーンが挿入されているのだが、ここで母親たる女は、男児が叫び始めると青ざめて鋼鉄製の金庫のなかに逃げ込むのである。この叫びの異常さから、つまりは母子関係の異常さから、観客はこの男児がまさに将来の犯罪組織のボスであるとの心証を得るのだが、クライマックスに向かって物語が急転するのはそこからである。

 主人公と30年後の彼を捜して、組織から別の男がこの家にやってくる。この男は男児の怒りの叫びに触れ、恐らくは八つ裂きに(その様相は画面には現れないが)される。ここで観客は、その現場を目撃した主人公とともに、くだんの犯罪組織のボスというのが強力なサイコキネシスの持ち主であることを知らされる。
 30年後の自分がこの男児の命を狙っていたことの重みに気づいて、主人公の脳裏にはこの場でこの子を殺害すべきではないかという想いが去来するが、母親が〝私がしっかり育てるから殺さないで!〟と哀願するのにほだされる。
 そこに銃を持った30年後の主人公が現れ、とうきび畑に逃げ込もうとする男児を追う。すると男児は、竜巻のような風を起こすサイコキネシスの能力を使い、30年後の主人公と母親を中空に吊り上げて今にも八つ裂きにしようとする。だが、男児は、必死に宥め賺す母親のことばに呼応して、あと少しのところでその力を収める。・・・(ここに主人公の想像のシーンが挿入される。それは30年後の自分の襲撃から逃げ延びた男児が、大人たちへの憎悪をたぎらせ、復習を誓うような顔つきで貨物列車に揺られて現場から遠ざかる様子である。)
 男児に銃の照準を合わせる30年後の自分を、その後方から見ていた主人公は、〝未来を変えるために〟自らの腹に向けてショットガンをぶっ放す。・・・すると30年後の主人公であるブルース・ウイルスが突如として消失し、母子が抱き合って無事をかみ締めるところで物語は終わる。

 さて、この物語ですぐに連想するのは〝タイムマシンもの〟映画作品の嚆矢とも言うべき「ターミネーター」である。
 この作品も、<未来>で大きな役割を果たす人物の存在を<過去>において消去することで歴史を書き換えるため、子ども時代の当人(「ターミネーター2」)や、やがてその人物の母親となる女(「ターミネーター」)の命を狙って殺し屋がやってくる話である。
 これに加えて、<未来>の悲劇を知ったキーパーソンが、最後に自己を抹殺すること(つまりは自己犠牲)によって自己に関わる因果を断ち切り、それによって<未来>を変えよう試みるという設定でも、「ルーパー」は「ターミネーター2」を踏襲している。
 だが、両作品には決定的な相違点がある。
 「ターミネーター」や「ターミネーター2」においては、あくまでも<過去>に存在する原因者の抹殺が至上命題であり、その原因者の〝改心〟は想定されていなかった。つまり因果が決定論的だったのに対して、「ルーパー」では、人間の愛ある養育による変化、つまりは善に向かう経験主義的・環境主義的な可変性が信じられている(正確には〝信じられている〟とまでは言えないが少なくとも否定されてはいない)という点である。
 ストーリー展開のなかで、この男児の母親は田舎暮らしに堪えられず男児を実家の姉に押し付けて家出したこと。そして、その姉が亡くなったために実家に戻って、息子とやり直そうとしていること。さらには、姉はどうもこの男児の怒りのサイコキネシスによって命を奪われたらしいということなどが語られている。
 子どもの養育を放棄した結果、あるいは子どもと命がけで向き合うことから逃げた結果、その生育環境が子どもの心を蝕み、冷酷な犯罪者を生み出し、社会の荒廃を深刻なものにしていく。だが、それを食い止めることが可能なはずだ。・・・貧困と荒廃のループは善意と信頼によって断ち切れるはずだ。・・・そんな思想がこの作品のなかに流れている。まさに〝We Can Change〟というオバマ政権の時代に制作された作品だからこそ、と視ることもできるだろう。
 おっと、こういう言い方は安直か。・・・もう少し正確に言えば、そのような思想が〝信じられている〟のではなく、〝そのような可能性に賭けるほかない〟という冷たい痛みのような認知、あるいは希望のようなニヒリズムが流れていると言うべきかもしれない。

 全体としては、設定の凝らしすぎ、あるいは伏線の張りすぎで、がちゃがちゃした印象の作品だが、主演のジョセフ・ゴードン=レヴットとエミリー・ブラントの存在感がそれを帳消しにしており、まずまず鑑賞に堪える作品だと思う。
 蛇足だが、30年後の主人公にブルース・ウイルスを起用したのはミスキャスト。彼は灰汁が強すぎて、物語の雰囲気をスポイルしている。マシンガンをぶっ放して犯罪組織を殲滅するシーンがあるが、そんなものは「ダイハード」だけでたくさんだ。(了)


  

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2012年12月29日

映画「演劇1」「演劇2」感想







 2012年12月、山形フォーラムで、想田和弘監督のドキュメンタリー映画作品「演劇1」及び「演劇2」を観た。その感想を記す。
 山形フォーラムでの上映期間は6日間だが、昼12時から1回だけの上映なので、「演劇1」と「演劇2」の両作品を観るために、二日にわたって足を運ぶことになった。1作品が2時間50分ほどの作品なので2作品を続けて観るのはしんどいが、かといって2日通わなければならないのも遠方からの観客にとっては面倒になりそうなところ。だが、この作品には、それを苦に思わせない魅力があった
 魅力のひとつは、言うまでもなく、想田監督による「観察」の対象となった〝平田オリザ〟という客体の面白さであった。そしてもうひとつは、このドキュメンタリー作品自体の魅力、つまりその客体の捉え方や編集の仕方に表れた相田監督の創作姿勢である。
 
 さて、感想について語るために、「演劇1」と「演劇2」の内容について簡単に述べておく。
 「演劇1」は、この映画作品宣伝のホームページでは〝平田オリザの世界〟を描き、「演劇2」は〝平田オリザと世界〟を描いている、とされている。
 「演劇1」は、平田オリザの主宰する劇団「青年団」の稽古の場面を中心に描き、その演出の方法論を記録している。
 一方、「演劇2」では、この国において極めて低い演劇の地位を向上させようと講演やワークショップを精力的にこなし、また自治体首長や国会議員らとの応対にも愛想良く振舞う〝工作者〟としての姿や、自分の劇団の役者からギャラをいつもらえるのかと問われて歯切れの悪い回答をしたり、劇団存続のために文化庁の助成金を得ようと腐心する〝経営者〟としての姿が描かれている。

 はじめに、「演劇1」に描かれた〝平田オリザの世界〟について。
 平田オリザの芝居では、日常の会話風景を現出せしめるかのように、ひとつの場面に複数の人間が登場して、かれらがしばしば得手勝手に台詞をしゃべる。A、B、C、Dと4人が舞台にいれば、AとBの間のやり取りとCとDの間のやり取りが同時に行われる場合がある。これがこの作家独特の集団劇の雰囲気をかもし出す。
 また、役者の台詞は一見自然体でアドリブのようにも思われる場合があるが、すべて詳細な演出家・平田オリザの指示に基づいて構成されており、稽古のなかで台詞と台詞の間合いや話し言葉の抑揚が何度も微調整されている。
 平田は、少なくてもこの映画の中では、役者に対して「登場人物の気持ちを考えろ」とか、「登場人物だったら、そこでどうすると思うか」などと言うような、役者の気持ちを問うたり引き出したりする演出をまったく行っていない。一見して、この演出家にとっての役者は自由に動かせる〝人形〟であるかのようにも見える。(そういえば、「演劇2」では大阪大学の工学部と一緒に、ロボットをロボット役の役者として登場させる芝居を製作する様子さえ長枠で描かれている。)
 稽古の休憩中、役者たちに想田監督が質問するシーンがある。(ただし、監督自身はカメラを回しているので画面には登場しない)。そこで監督は、平田演出で詳細に指示される間合い(台詞と台詞の間の時間や場面に登場するタイミングなど)について、役者がどうやって間合いを図っているのかと問う。役者たちは、それぞれ「秒数を数えている」とか「感覚で間合いを取る」とか答えるが、たとえばこの休憩中の会話を劇中の舞台の一シーンだと看做しても別に違和感がないほど、平田演出は生真面目かつ作為的に「自然体」を構築しようとするのである。
 「青年団」が拠点とする「アゴラ劇場」内の狭い稽古場、狭い事務所、布団が積み上げられた泊り込み用の部屋が内部の目線で映され、その部屋における劇団員たちの打ち上げの宴のシーンが何度か挿入される。そして狭い空間での稽古を長回しで撮影したシーンが延々と続く。そうこうしているうちに、この映画の観客はまさに平田オリザの演出の現場、その製作の時空に引き込まれそうになる。
 だが、この生真面目さと緊密な関係性のもたらす内向性は、外部の人間にとって(あるいは内部にいる一部の人間にとっても)必ずしも魅力的なものではない。(つまりそのことを忘れるべきではない。)
 映画に登場する役者たちやスタッフたちは総じて淡々と旅公演をこなし、いわば〝こなれた明るさ〟を持っている。それどころか、「演劇1」の最後は、劇団員らが申し合わせて年長の劇団員・志賀廣太郎の60歳の誕生日を祝うサプライズ・パーティの微笑ましいシーンで幕引きとなる・・・にも関わらず、である。
 恒常的な劇団というものが不可避的にもってしまう濃密性とそれゆえの閉鎖性。その被規定性や不自由さの中でしか産出されない舞台芸術。そして、そこに提出された舞台が孕んでしまう、観客に向けられたものでありながら観客を寄せ付けない暗い核心部分の厳然たる存在。・・・穏やかそうに微笑む平田オリザの世界は、息苦しいほど緊密な映像記録のなかで初めてその存在を浮かび上がらせてくるのだ。

 つぎに、「演劇2」に描かれた〝平田オリザと世界〟について。
 この作品で「観察」されているのは、次のような場面である。
① 平田オリザが全国から招聘され、学校での演劇ワークショップを行ったり、公演をおこなったりする姿。・・・平田の活動する姿は、ほんとうに頭が下がるほどほどマメであり、丁寧である。
現代演劇を研究している大学院生かメディアの駆け出しの取材者のように見える若い女性のくだらないインタビューに答えるシーンでは、平田自身の口から、演劇の社会的有用性を説きその実践をしてみせるしかこの国において演劇の社会的地位を上げる方法はないという自覚が語られ、別の場面では、劇団経営の赤字を平田個人のこうした活動による収入で補填しなければならないという実態も映し出されている。
 これらのシーンで印象的なのは、非常に丁寧かつマメに周りに応対している平田の姿の中に、ときおり複雑な表情が浮かぶことである。疲労感や徒労感から投げやりな表情がさっと射し込んだと思いきや、すぐに気を取り直して誠実に応対する様子が克明に定着されているのだ。たぶん、ここがこの「観察」映画作品のキモにあたる部分であり、平田オリザのしたたかな思想性を画面に定着させている部分だと思える。
② 鳥取市の廃校を会場に開催された「鳥の演劇祭」というイベントに「青年団」が招聘され、平田がウエルカム・パーティなどで鳥取市長や鳥取県知事と会話を交わすシーンは、涙なくしては観ていられないものだった。(おっと、これは誇張表現なので、真に受けないように!)
  このイベントを地元自治体からの補助を得て実施するために、地元で努力してきた演劇の活動家を立てつつ、自治体の地域おこしにとって演劇祭がいかに効果を上げられるかをさかんに説く平田の姿が、そこにはある。行政のご都合主義や首長の付け焼刃的な芸術振興論の不毛を十二分に知り尽くしているであろうに、この健気さは・・・と涙がでそうになるのである。
③ もうひとつ印象的だったのは、平田オリザが招かれて前原誠司・玄場光一郎・細野豪志ら民主党の議員やスタッフらと酒席で懇談するシーンである。ここに集まっている民主党の議員たちは「映画について自由に意見を言う会」の集まりだという。この集まりで、映画についてだけではなく演劇についても取り上げようということになり、全員が「青年団」の舞台を観劇したうえで、ここに集まっていると言うのである。全員が平田の芝居を観て、この場に臨んでいるということにはちょっと驚いた。
 ここで交わされた会話の内容は映画ではよくわからないが、この場面は民主党が政権を獲得した2009年の第45回衆議院選挙の以前であるように思われる。というのも、登場する民主党議員たちは、まだそれほどに重いものを背負っているようには見えないからである。
 このあと、政権につき、やがて強い批判を受け、今度の選挙で大敗北を喫した民主党の議員たちは、これからも自由に映画や演劇について意見を交わす会を開けるだろうか。こうした困難な時期にそうした会を持てたとしたら、それはとても大きな意味を持つだろう。
 この後、平田は鳩山政権で内閣官房参与となり、鳩山首相の国会演説に関わることになる。じぶんはこのことを批判も評価もしないが、工作者としての平田の努力には一目も二目も置かざるを得ない。

 最後に、想田監督の手法について。
 ナレーションもテロップも一切ない画像で、これだけのことを伝える撮影・収録・編集の技術には感心する。だが、場面や登場人物によっては、それがどういう人であるか簡単な肩書き(たとえば「平田オリザの妹」程度)や氏名などを挿入してもらった方が、観客としては事情の理解のうえで助かる。すくなくても編集によって各シーンを継ぎ接ぎしているなら、それらがいつ、どこで撮影されたかものをテロップで明らかにすることは、観客に対する倫理であるような気がする。

 さてここからはひねくれ批評。
 能力ある演出家や戯曲作家が率いていて、その舞台がそれなりの評価を得ている劇団を取材対象とすれば、それ相応のレベルのドキュメンタリーは出来上がってしまう。
 演劇は〝関係性の芸術〟だから、舞台ないしは劇団内部(この場合、これには作家・主宰者・演出家である平田オリザも含まれるが)にフォーカスを合わせて「観察」すれば、ある程度撮影テクニックをもった映像作家なら、その関係の質や緊密さの度合いを作品に反映させることができるだろう。だからこの種のいわば〝情熱大陸型〟のドキュメンタリー作品の評価は、その対象自体がもつ魅力を、映像作品の魅力からどのように割り引くかということにかかってくる。もう少し踏み込んで考えると、その映像作品に描かれた登場人物の魅力は、〝その作品にそのように描かれたから魅力的にみえる〟のか〝自分のような撮影技術を持たない人間が撮影しても(あるいは自分がディレクターになり、ある程度撮影経験のあるカメラマンを使用して撮影しても)魅力的にみえる〟のか、その見え方の差は如何ほどか、という思考実験を行うことが必要になる。
 このような思考実験では、他の映像で観る当該対象者の印象や自分が実際にその「観察」対象者に会った際の印象などと比較することが参考となる。「演劇1」「演劇2」で視る平田オリザの姿は、他のテレビ映像の印象や自分が平田に会ったときの印象とある一点で異なっていた。それは先にこの作品の〝キモ〟だと述べたところの、平田が誰かに対面しているときの表情の変化が克明に定着されているという点である。従って、この一点をもってじぶんはこの映像作品に一定の成果を認める。

 しかし、その一方で、この作品は難題も抱えているように想う。
 取材対象人物の魅力あるいはその集団内部の関係性の魅力に「観察」の触手を張り巡らせれば張り巡らせるほどに、その内部世界を相対化する視線や、その対象が価値あるものとしている内実に対する異和の感覚を不可能にしたり曇らせたりしてしまうことだ。じぶんが観るかぎり、「演劇1」「演劇2」の映像には、相対化や異和の視線を見つけることはできなかった。
 たとえば、「演劇1」と「演劇2」のどちらか記憶が不分明になってしまったが、ある青年の役者が平田に叱責されるシーンが出てくる。その役者は、劇団の先輩がテレビドラマなどの良い役に付けた際、青年団の芝居の稽古の休みをもらったところを見知っていて、大切な仕事が入ったときは2日くらいは稽古の休みをもらえると見込み、九州(?)での仕事をブッキングしたようだった。いい仕事が入ったので休みをくださいと言うその劇団員に、平田は稽古を休むことは許されないとして「役者として絶対にやっちゃいけないことをやったんだよ!」と、この映画のなかでは殆ど唯一の厳しい口調で叱責を浴びせる。
 ところで、このシーンの前の打上げの宴会シーンで劇団員から「ギャラはいつもらえるのでしょうか?」という質問に主宰者・平田はたどたどしい答えしかできず、要するに劇団のギャラで役者が生活していくことが到底無理なことはすでに明かされている。また「先輩が休みをもらっているので、1~2日ならもらえるとおもっていました。」という役者の弁明に対する平田の言葉が「大河ドラマとか本人の将来のためになる役だから特別に認めているんだ!」と言いつつも、どうも落ち着きが悪いのである。
 観客としては、〝外部の視線〟としてこの部分をもっと追究してほしかった。たとえば、この役者はその後どうしたのか、この役者の生活はどのように成り立っているのか、あるいはどのように成り立っていないのか、平田が「大河ドラマ」は良くて、この俳優自身が取ってきた仕事はだめだと言う理由は何か・・・などなど、そのような<外部>への視線、あるいは<外部>からの追究、もっと言えば〝突っ込み〟である。
 じぶんの見方を正直に言うと、平田が、劇団員に、文化庁の拠点文化施設補助(6,000万円から8,000万円になるという)の更新が認められなければ倒産だとか、借金返済のためにアゴラ劇場の敷地を売却して借地料を払い続けるようにすることも考えなくてはと語るシーンに、根本的な疑問を抱いた。
 国家や自治体からの助成金に頼ってはいけないなどと言うのではない。しかし、自分たちの表現基盤に関する生殺与奪の鍵をそれらに委ねているということになれば、それはちょっと軌道を外れているということにならないか。この視点には二つの意味がある。ひとつは経営者としてだめな演出家・作家は劇団や劇場の経営から手を引くべきだという意味。もうひとつは、そこまで経費の無理をして、人を雇い、金のかかる舞台を制作しなければならないというのは、本末顛倒ではないかという意味である。
 もっとも、劇団や劇場は〝関係性の芸術〟たる演劇の根拠として極めて重要な要素だという認識はじぶんにもある。やり始めた以上、とことん追究する平田の演劇人としての意気にも感じるところがある。じぶんだって、もしそこそこの才能がありこんな環境にあったとしたら、同じように突っ走るしかないだろうなとも想う。
 ・・・だが、である。たぶん、じぶんは、このような劇団の内部性や被規定性に、こうも長い期間、全的に身を任せることはないだろうと想う。さきに記載したインタビューに応えるシーンで、平田が「国家や自治体などから金をもらわないで自立して自分の表現を貫くなんていうことができるのは詩人くらいだろう」というようなことを言っていたのを思い出す。
 ・・・そういえば、じぶんは、一応、詩人だった。 ・・・と、これがじつにつまらないこの文章のオチだったという訳である。(苦笑)     
(了)
                                                                               

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2011年06月12日

映画『マイ・バック・ページ』感想



 「フォーラム山形」で、山下敦弘監督作品『マイ・バック・ページ』を観た。その感想を述べる。いわゆる「ネタバレ」の内容を含むので、以下を読む場合はそれを承知のうえで。

 これは、川本三郎による事実に基づく同名の著作を原作とし、脚本家・向井康介がフィクションとして再構成した作品。
 東都新聞社が発行する「週刊東都」編集部記者の主人公・沢田(妻夫木聡)が、「赤邦軍」を名乗る新左翼の活動家・梅山(松山ケンイチ)と接触し、自衛隊駐屯地から武器を奪取するという目的の犯罪に関わって検挙され、新聞社を退社するまでを描いている。
 沢田(川本三郎)は東大卒だが、いわゆる全共闘世代よりは僅かに年長で、東大安田講堂攻防戦を外から眺めていたことに後ろめたさをもっている。
 当時(1971年)は、全共闘運動が排除され、新左翼運動も急速に退潮し、それゆえ一部が先鋭化していく時代。梅山は、このような運動の退潮期に大学生となり、大衆運動ではなく過激な武力闘争を掲げて突っ走る人物として描かれている。
 梅山は、「赤邦軍」の売名(というより、むしろ自身の売名)のため、沢田を利用してマスコミに自分たちの記事を書かせようと接触してくる。
 沢田は、「革命のため武器をもって蜂起する」という沢田の計画に、なにか自分の内部の空虚を埋めるものがあるような気がして、先輩記者・中平(古舘寛治)の「あいつはニセモノだから近づくな」という忠告にも関わらず、その取材を進め、関与を深めていく。

 ここで「東都新聞社」と言われているのは朝日新聞社。「週刊東都」は週刊朝日、「東都ジャーナル」は朝日ジャーナルである。「赤邦軍」は「赤衛軍」、梅山は日大生だった菊井某という実在の人物がモデルである。映画の中に描かれる自衛隊駐屯地での事件は、1971年8月、実施に埼玉県の朝霞駐屯地で起こった「朝霞自衛官殺害事件」である。
 また、劇中ではその理由が明らかにされてはいないが、「朝日ジャーナル」の回収事件とその後の編集部の大規模な入れ替えも実際に起こった出来事だという。(じぶんが「朝日ジャーナル」を読み始めたのは1975年以降なので、この出来事は知らなかった。)


 じぶんは、川本の原作を読んでいないから、原作とこの映画作品の出来栄えを比較して述べることはできないが、この映画作品は、ある程度“あの時代”の雰囲気を再現することに成功している(それは後述するように、あくまで“ある程度”ではあるが)とは言えるような気がする。
 まず、最初のシーンがいい。
 週刊東都の記者である沢田が、潜入取材で、フーテン学生のふりをしてテキヤの子分になって露店でウサギを売っているシーンだ。潜入取材だということは、観客にはまだ明かされないので、映画の概要を頭に入れて観に来た観客をちょっと惑わせる。この冒頭のシーンがとても重要で、これがラストシーンに繋がってくる。この構成、とくに沢田をかばったテキヤの兄ちゃんがヤクザからヤキを入れられるシーンを挿入したのは秀逸である。

 また、甘っちょろいヒューマニストの沢田に妻夫木、虚言癖のある革命家気取りの若者・梅山に松山を配したのは、興行的には正解だったろう。妻夫木も松山も、それなりにいい味を出している。
 しかし欲を言えば、松山には、危険を冒してもう少し不気味さと如何わしさを表現してほしかった。小カリスマとしての梅山は、その愚劣さと如何わしさゆえに同志を巻き込む暗い魅力をもっていたはずだが、松山の演技は抑制されすぎてしまっている。トラン・アン・ユン監督作品『ノルウェイの森』では醒めた雰囲気が奏効していたが、『マイ・バック・ページ』の梅山は、『ノルウェイの森』の主人公・ワタナベの脇を通り過ぎていったあの熱いものたちの中にいる存在なのだ。
 この存在の愚かしさと底無しの暗さと、にも拘らずそれに魅入られてしまう人間の業のようなものが伝わらなければ、なぜこれが青春の慙愧と狂おしい悔悟の物語なのか、その重みが伝わってこないだろう。
 このへんは、やはり脚本の向井と監督の山下がともに、“あの時代”の雰囲気を知らない世代だからということもあるだろう。しかし、彼らが取材を徹底していなかったからだとか、彼らの想像力が通俗の域を出なかったからだといえば、たしかにそうも言えるのである。

 その一方で、京大全共闘議長・前園役の山内圭哉、週刊東都の先輩記者役の古舘寛治、東都ジャーナルデスク役のあがた森魚などが、いかにも昭和らしいいい味を出している。
 また、東都新聞社の編集局のシーンにおける社員たちの会議や会話も、全共闘運動や新左翼運動が決定的な退潮期にあった“あの時代”の退廃的な雰囲気を醸し出していて、なかなかいい感じだった。
 とくに滝田修がモデルの前園役の山内の関西弁による如何わしい思弁と、先輩記者役の古舘の硬派と軟派が同居した佇まいは、“ああ、いかにもこういう奴らがいたなぁ”と思わせるに十分である。


 最後に、愚劣で醜悪な小カリスマとしての梅山たちについて一言。
 いつの時代にも、このような夜郎自大で無責任な勘違い人間は生み出されているだろう。今なら、一種の人格障害とでも診断される存在である。
 だが、“あの時代”には、このような人間を生み出す社会的土壌が存在した。ひとびとは個人として時代に抗いうる<自己権力>を欲したのである。沢田のような人間が惹かれたもの、それはこの<自己権力>が生滅する時空なのだと思える。
 さて、この<自己権力>という観念に、自己中心性と党派的な妄想が入り込み、倫理性の欠如を招いたとき、いつでも梅山のような愚かしい人間が現象する。これは、かつての新左翼にのみ特有な現象ではない。
 ラストシーンの涙が語りかけるのは、ひとり川本三郎の青春後悔物語で終わるような性質の話ではないのである。

 もうひとつ、蛇足。
 沢田と梅山が意気投合する重要なシーンで、梅山が沢田の好きだというC.C.Rの「Have you ever seen the rain ?」を弾き語りする。
 この曲はじぶんも中学生時代に夢中になった想い入れのある曲で、詩集『母を消す日』(2004年、書肆山田)に収めた「晴れた日に降る雨を」という作品で取り上げている。
 “あなたが晴れた日に降る雨を見たことがあるか?・・・そんなこと、ぼくは知りたくない”という歌詞で、その“晴れた日に降る雨”というのは、ベトナム戦争で多用されたナパーム弾のことだと言われている。この映画の中でも、それを指摘する台詞が出てくる。
 高啓の詩「晴れた日に降る雨を」では、「Have you ever seen the rain ?」という曲名からベトナム戦争におけるナパーム弾が連想され、そこからさらに、現に進行しているアフガン戦争で使用された“デイジーカッター”(雛菊刈取り機)という名の超強力爆弾が連想されている。

 楽曲の話をしたついでに、さらに蛇足を加えると、「My Back Page」と聞いたら、じぶんなどは、ボブ・ディランよりキース・ジャレットの演奏を思い浮かべてしまう。そういう、ある意味、ビミょーな世代である。

                                                                                                                                                                 


  

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2011年03月26日

映画『冷たい熱帯魚』感想



 3月の初めに上京した折、新宿の「テアトル新宿」という映画館で、園子温監督の『冷たい熱帯魚』を観た。その感想を記す。筋書きに関する記述を含むので、いわゆる「ネタバレ」となることに留意のうえ、以下の文を読むかどうかを決めていただきたい。

 映画が始まってすぐ抱いた感想は、「あ、これ1970年代の終わりから80年代前半くらいまでの『日活ロマンポルノ』の雰囲気だなぁ」というものだった。それもそのはず、製作会社は日活なのだった。
 「ポルノ映画」や「ピンク映画」はもう20年以上も観ていないから、今はどんな作品が作られているのか全く知らない。そして園子温監督の作品もこれが初めて観る作品だった。それでもなんとなく、園監督はあの時代の質感とあの時代のパワーみたいなものを継承しているようであり、さらには世代的なこだわりがあるような印象も受けた。

 話は実話に基づいているというが、こういう事件(1995年に発覚した埼玉愛犬家連続殺人事件)は自分の記憶にはなかった。ただし、1984年頃の大阪愛犬家連続殺人事件なら記憶にある。埼玉の事件の方は、阪神淡路大震災やオウム真理教事件の陰に隠れて報道の扱いが小さかったらしい。なお、大阪の事件と埼玉の事件はまったく無関係とのこと。)

 大きな熱帯魚ショップを経営している村田(でんでん)は、口の上手さとドス効いた迫力で投資を持ちかけ、何人もの人間から金を騙し取り、犯罪が発覚しないよう妻・愛子(黒沢あすか)と共謀して、それらの人間を「透明にしてしまう」極アク人である。
 主人公・社本(吹越満)は、村田に目を着けられ犯罪に引き摺り込まれる気の弱い同業のしがない個人商店主である。
 このふたりに絡む女優陣がまた“ロマンポルノチック”な雰囲気を醸し出している。
 ワルで精力に満ちた村田の妻役に相応しい黒沢のエろくて狂気じみた演技、そして主人公・社本の妻・妙子役の神楽坂恵、娘役の梶原ひかり、村田の熱帯魚ショップのレズビアンの店員役の女優などのいかにも“B級!”という感じの演技っぷりが、絶妙な味を生んでいる。
 
 物語のクライマックスは次のようなものである。
 村田と愛子は、騙した相手を殺し、その証拠を抹消するために、山の中の家で死体を解体し、肉と骨に分ける。肉は細切れにして山中の川に捨て、骨はドラム缶で灰になるまで焼いてこれも山中に捨てる。
 社本は無理やりこの手伝いをさせられるのだが、やがて村田にその弱腰を激しくなじられ、殴られ、お前もこうやって精力的に金を稼ぎ、女房を満足させてみろと挑発される。
 そして、愛子を犯せと命じられ、無理やり行為をさせられるのだが、その最中に人が変わったように攻撃的になり、村田をボールペンでメッタ刺しにして瀕死の状態にする。
 社本は村田を倒したことで村田の地位を奪ったかのように居丈高になり、愛子に命令して村田の息の根を止めさせ、その死体を解体させる。そして自宅に帰り、反抗的になっている娘を殴り倒して、その横で妻を無理やり犯す。ここで社本は支配者に変身を遂げたかのように見える。しかし、すぐに自分がそのような存在になりきれないことを悟り、警察に通報する。
 最後の場面、社本は、山中のアジトに戻り、そこで村田の死体を解体していた愛子を包丁で刺し、さらには警察と一緒に駆けつけた自分の妻を刺す。そして娘に歩み寄って彼女を軽く刺し、人生は痛いものだと説教を垂れてから、今度は自分の頚動脈を斬って娘の目の前で自害する。娘は、だがその父の死体を蹴っ飛ばして哄笑する・・・


 さて、この映画の終幕の展開は、何を伝えてくるだろうか。
 主人公・社本は、一人目の妻と死に別れ若い後妻を迎えているが、これが年頃の娘の反感を買っている。後妻もうだつの上がらない夫との暮らしに疲れ、自分の境遇に苛ついている。そこに現れたマッチョで快活で極アクな村田の存在感に、社本は有無を言わせず手下のような境遇に引き込まれていく。そしてある時点で、支配者=教育者のように振舞う村田から、いわば“教育的侮蔑”を受け、それにキレて下克上を遂げたかのように見える。
 しかし、社本は、すぐにそれが虚しいことに気づく。いや、作中では、そもそも彼は心底ではそういうものを欲していなかったという印象を与える風にさえ描かれている。
 じぶんのイメージの中にある1970年代の終わりから80年代前半くらいの日活ロマンポルノやピンク映画作品では、この下克上が遂げられたところで物語が終わるか、あるいはこの作品で社本が最後に自害するように、その下克上の結果を自己否定して主人公が破滅し、“観客に衝撃を与え”物語が大団円を迎えるというふうに構成されていたような気がする。もっとも、これはあの時代ならそんな筋書きになるだろうなとじぶんが想うだけのことであり、証拠を挙げられるほどの裏づけはない。

 しかし、この作品にはもう一捻りがある。それは、社本の娘が、“教育的自害”とでも言うかのように頚動脈をかき切って死んだ父親の骸を足蹴にして、哄笑するラストシーンである。
 ここにはカタストロフィもなければ、じつは衝撃性さえもがない。
 この娘の前では、父親は、死のうが失踪しようがただいなくなってくれればいい存在でしかない。捨て身のメッセージ、もしくは自虐の逆説に賭けた自己投企は、なんの意味もないものとして宙吊りにされる。
 作者が、意識的あるいは無意識的に表象してしまっていることは、このディスコミュニケーションの風景、そしてその絶望性である。
 
 このひねくれ批評の蛇足として、もうひとつの感想を付け加えれば、園監督は、いわば“あの時代”を作品に体現させつつ、この暴力とセッ○スとスプ○ッタに塗れた作品をもって、ラストシーンで哄笑する娘の世代に報復を図ろうとしているように見える。
 もちろん、この作品のラストシーンがそうであるように、それは娘たちの世代には通用しない。この作品は、彼らから「問題作」とみなされ、観客の一部に嫌悪感を与えるものの、同時に映画通の一部からヘラヘラとそれなりの評価を得て流通するだろう。
 いや、それこそが園監督の“報復”が目指すところであるかもしれないのではあるが・・・。

 おっと、最後にやはりこれは付言しておかなければならない。
 村田役のでんでんの怪演である。これまでの、下町の八百屋のオヤジみたいな庶民的役柄から脱し、マシンガントークで精力絶倫の極アク人を演じている。これが成功しているのは、彼の活舌がちょうどいい具合にまずいからである。
 台詞に演技的な抑揚を込めきれないイマイチの活舌で繰り出すマシンガントークが、ワルなのにケロリとした快活な役柄に嵌り、逆に“ああ、こういうイカガワしい奴っているなぁ”というリアルさをもたらしている。
 なお、最近のテレビドラマ「冬のサクラ」では、山形のガラス工芸工房のオヤジ役をやっていたが、ここでは良い意味でまったく存在感が薄かった。この薄さを醸しだす持ち味も合わせてこの人を評価すべきだろう。
 

 この作品は近日中に、山形ほか「ファーラム」各館で上映される予定。

  

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2009年11月26日

「ギー・ドゥボール特集」感想(続き)






 前回の続きである。
 もう一度断っておかなければならないが、上映環境が劣悪だったこともあり、眼の悪いじぶんは、ナレーションにつれてどんどん切り替わる小さな字幕の内容を、うまく読み取っていくことができなかった。その分、映像の視認もおろそかになっていたと思う。
 また、すでに記憶もかなり曖昧になっている。木下誠氏の解説についても、じぶんのメモに拠っているので、正確さに欠けると思う。そのへんを割り引いて読んでいただきたい。











●『映画「スペクタクルの社会」に関してこれまでになされた毀誉褒貶相半ばする全評価に対する反駁』
 
 「スペクタクルの社会」は1974年5月に公開され、映画界や新聞・雑誌などで激しい反響を巻き起こした。題名どおり、それらの批評に反駁するため、75年に製作・上映された22分の作品。
 ただし、じぶんの記憶では、この作品の印象は薄い。作風がこれまでの方法を踏襲していたからだと思う。
 また、音声で、ドゥボールが論理的にどういう反論をしていたかについても記憶がない。
 「OUTSIDE IN TOKKYO」(http://www.outsideintokyo.jp/j/news/guy_debord.html)には、この作品について、
 「映画の専門家たちはそこには悪しき革命政治があると言い、人を欺くあらゆる左翼の政治家たちはこれを悪しき映画だと言った。しかし、革命的であると同時に映画作家であるとき、人は次のことを容易く証明することができる。彼らすべての辛辣さは、問題とする映画が彼らには打倒できない社会の正確な批判であり、彼らには作ることのできない最初の映画であるという明白な事実に由来しているのである」というドゥボールのコメントが掲載されているが、こんなことを言っても強がりにしか聞こえず、何も言ったことにならない。作品のなかでも、こんな程度のことしか言っていなかったような気がする。というか、覚えていない・・・記憶に残らない程度の「反駁」だったということか。

 しかし、木下氏からは、こんな話があった。
 この作品は、1974年にメディアに現れた批評への反論である。
 ドゥボールは、自分の映画について、紙上やテレビなどのメディアで語ることがなかった。彼は、自分が批判しているスペクタクルの中に登場することを拒否していた。
 1968年の「五月革命」と異議申立て運動の敗北後、メディアには沢山の知識人が登場し、運動についてはもちろん、ドゥボールの映画についてもあれこれコメントした。
 また、“ヌーボー・フィロゾフ”と言われる、メディアで活躍する哲学者らが脚光を浴びるようになる。政府は、大学改革として新たな大学を設立し、デリダやドゥルーズなどもそこで教鞭をとった。
 知識人の質が変化していった。68年を担った世代が、大学を出てメディア社会や公告産業などに入っていく過程は、異議申し立て運動が様々な既存社会の分野に回収されていく過程でもあった。このことにドゥボールは危機感を抱いた。
 1974年には、ポルトガルで革命が起こった。イタリアでは、アウトノミア運動(労働者自治運動)やフェミニズムのほか、地域運動などが様々な形で拡がりつつあった。しかし、その一方で、イタリア共産党とキリスト教民主党が「歴史的妥協」を行い、これらの運動を押えつけようとする動きが出てきた。
 この作品では、消費社会が様々な無意味なものを生み出していると述べている。


●『われわれは夜に彷徨い歩こう、そしてすべてが火で焼き尽くされんことを』(1978年、上映時間105分)

 1977年に撮影され、78年に完成したドゥボールの最後の作品。初上映は、81年5月。
 タイトルからして、ずいぶんと抒情的で、ニヒリズムの匂いがする。そのうえ、ラテン語のタイトル“In girum imus nocte et consuminur igni”は、回文になっている。(回文とは“たけやぶやけた”のように、前から読んでも後ろから読んでも同じになる文のこと。)

 またまた「OUTSIDE IN TOKKYO」から引用すると・・・・
 「既存映画の転用において使用された作品:『赤い砂漠』(ミケランジェロ・アントニオーニ)、『悪魔が夜来る』(マルセル・カルネ)、『天井桟敷の人々』(マルセル・カルネ)、『オルフェ』(ジャン・コクトー)、『進め竜騎兵』(マイケル・カーティス)、『第三の男』(キャロル・リード)、『壮烈第七騎兵隊』(ラオール・ウォルシュ)ほか。
『ギー・ドゥボールのすべての映画作品の中で、この作品が間違いなく、もっとも美しく、もっとも完成された作品であるといえるだろう。様々なフィクション映画の抜粋やニュースの断片、あらゆるところから集められたえ映像資料がぎっしりと織り成されている網目を通して、本作は、芸術性と政治性が分かちがたく結び付いているドゥボールにおいて、まさに遺言と言える作品であるだろう』(ティエリー・ジュス)」

 さらに、特集のパンフレットから引用すると、
 「1972年から77年まで滞在したイタリアを政治活動のために国外追放されたドゥボールが、50年代以降の自らの活動とその姿勢を省察する『自伝的』な作品。(中略)個人の生を忘却の闇へ消し去ろうとする制度的な歴史に対して抵抗する、ドゥボールの声と直接に生きられた青春。これまでの作品と同様に多くの転用を用いているが、ヴェネツィアの運河をとらえたパン・ショットやセーヌ川の航空写真、李白、ヘラクレイトス、オマル・ハイヤームのテクストに顕著なように、『水』、『流れ』、『循環』といった主題が軸となり、映画として抒情的な側面を生み出している。」
 

 たしかに「ギー・ドゥボールのすべての映画作品の中で、この作品が間違いなく、もっとも美しく、もっとも完成された作品である」と思わせる。詩的なことばが流れ、まさに「抒情的」な印象を与える。
 これは“完成された作品”なのかもしれない。・・・しかし、この場合、“完成された作品”とは、「スペクタクル」に変成された作品という意味でもあるだろう。そもそも公表される「自伝」とは、幾許かは自己のスペクタクル化でもあるのではないか。(ドゥボールは、他者による自身のスペクタクル化については、これを生涯拒否し続けたのではあるが。)
この作品は、ちょっと間違えれば、映像詩人の来歴とその思想を描いた凡庸な「映像詩」ないしは「構成詩」ということになりかねない。
 ドゥボールは、自分の批判が自己に向かうという視線を持ち得ていたのだろうか、という疑問。あるいは、反美学・反芸術主義を貫いたドゥボールも、やはりこういうところに来てしまうのか・・・という想いを抱かせられる。

 いや、むしろドゥボールはこのことに自覚的であったかもしれない。
 相変わらず「転用」される映像は、有名な劇映画のそれであり、ニュース映像(デモやストライキなど)であり、プロパガンダ映像(赤の広場でパレードを観閲するソ連の指導者たちなど)であり、さらには商品化されたエロスのイメージとしてそこそこに氾濫するCM写真(水着姿のカヴァー・ガールなど)である。
 言っていれば、このようなあからさまな「スペクタクル」と自分が撮影した風景の映像をつなぎ合わせて、それに詩的なことばを重ね、自らの軌跡を語るという手法は、作者が内包するジレンマをそのまま表出したものであると看做すこともできる。


 上映会場における木下氏の解説から・・・
 78年に完成したこの作品が81年まで上映されなかったのは、推測するに、ドゥボールがパリを離れ、スペインで亡命生活のような生活を送っていたからではないか。
 この時期、イタリアの歴史的妥協に反対する「赤い旅団」が、キリスト教民主党のモロ首相を暗殺(78年)。西ドイツでも赤軍のリーダーが獄中で殺されるなど、不気味な動きが続いていた。
 ドゥボールは「五月革命」に影響を与えた人物だったため、こうした過激派の黒幕ではないかと看做されたことなどから、スペインで、友人の間を渡り歩く生活をしていた。(彼は、イタリアでキリスト教民主党とイタリア共産党が結託のもと、資本・国家・警察が一体となって新左翼運動を壊滅させるために行っていた「国家テロリズム」を暴露する活動を行い、イタリアから国外追放処分を受けていた。)
 この自伝的な作品で、ドゥボールは51年の『サドのための絶叫』製作以降の活動を、すべて一人称で語っている。『スペクタクルの社会』は転用で構成されているのに対し、この作品は自ら撮影したものが多く、またナレーションには他者のテクストからの引用が多く用いられている。
 4半世紀にわたる自分を振り返り、自らを「スペクタクルの社会」との戦争を生き抜いてきた戦略家として語っている。(ここまでが、木下氏の解説のメモから)


 さて、この特集の最後に講演した、マルセイユドキュメンタリー映画祭ディレクターのジャン=ピエール・レム氏の話のなかに、次のような一節があったように思う。
 「ドゥボールの作品では、フランス語が重要な役割を果たしている。<ことば>は、単純に美学的なものでも、詩的なものでもない。ドゥボールは、自殺(1994年11月30日)のまえに、イタリアの哲学者が語った『言語は、すべてが破壊されたあとに残された手段である』という言葉を記銘していた。」

 ドゥボールは、このように、ことばを最終的な根拠として、「スペクタクルの社会」に立ち向かった。彼の映画作品には、“ことば”への依拠、そして“詩的なるもの”への思想的立脚さえもが看て取れる。
 それは、時代に追い詰められていくシチュアニストの不可避的な成り行きかもしれない。
 「分離」を否定するドゥボールのように、ラジカルな革命思想を持ち続けることは、大きく言って、ふたつの意味で困難さに見舞われる。
 ひとつは、“時間は経過する”ということである。真にラジカルな革命思想を、ひとは持ち続けることはできない。ひとが、関係において「革命的」な思想を持ち続けているとすれば、それは思考が硬直し、「革命的」行為乃至表現が自己目的化した代物であるか、または、幾許か現実に妥協した、つまりは、ひとが日常の関係というものを継続して生き続けるその時間性に妥協した(必ずしも“根源的批判”ではなくなった)思想であるか、そのどちらかである。
 ふたつには、ラジカルな革命思想は、―この場合、それは“ラジカルな批判思想”と言い換えられるが―は、本性的に、激しく<自己言及的>だからである。それは、一途な人間に対して、自家中毒症を発症させる。
 “ことば”は、そして“詩的なるもの”は、この革命思想の生真面目さやその陥穽から、良くも悪しくも、ひとを救う。ギー・ドゥボールのことばがそういうものだったかどうか、彼の著作を読んでいないじぶんは知らないのだが。



<山形国際ドキュメンタリー映画祭における「ギー・ドゥボール」特集の意味について>

 だいぶ長くなったので、この辺で、この映画祭においてこの特集が企画されたことの意義について、じぶんの感じたことを記す。

 じぶんが、映画や映像に対して、基本的に疑い深い視線をもっていることは先に述べた。
 2009年で10回を数えたこの「ドキュメンタリー映画祭」に対する視線も同質のものである。
 じぶんは、この映画祭からいくつかのものを学び、その意義を小さくないものとして認めている。
 だが、端的に言ってしまえば、この映画祭には“批評”が存在しない。映画祭の運営サイド(ボランティアも含む)や様々な形で関わるその筋の専門家(ディレクターや評論家や映画作家及びその卵たち)や愛好者たちを含めて、関係者から、まともな作品批評(批評というのは、もちろんまともな批判ということであるが)を見聞きした例(ためし)がない。
 乱暴な言い方でその理由を指摘してみれば、ここに集う人々はみな、どこかで映画の力を信じていたり、あるいは映像作品をそれ自体として価値あるものとみなしていたり、手放しに愛して(!)いたりするからである。
 決して豊かではない山形市民の税金で運営されているのに、映画作家を愛し、保護し、育成すべきだなどという度し難い想い込みや尊大さの裏返しにも見える擬似非的尊敬心から、どうしようもない作品の作家たちを甘やかしている輩さえ散見される。
 もちろん、このような傾向は、この映画祭に特有なものとはいえないだろう。

 ギー・ドゥボール特集は、この映画祭のディレクターの言葉によれば「8年越しで実現した」ということだったが、特集「映画に(反)対して」が、この映画祭に突きつけているのは、皮肉にも(というか、正当にも)映画祭自体に対する根源的な部分での否定であるだろう。
 映画祭の一部としての一企画が、映画を価値あるものとして顕彰する“映画祭”という擬制を鋭く告発する。そのスリリングな試みにひとまずは拍手を送ろう。企画者たちの側にそういう意図があったかどうかは別にして。
 しかし、である。そのことは、とりもなおさず、“映画・映像への根源的な批判”が、映画祭というファッション・ショップの商品棚にきれいに陳列され鑑賞されるという逆説的な悲喜劇をも帰結している。

 あの世のギー・ドゥボールは、それを「スペクタクルの社会」の一現象と看做し、自嘲気味に非難を浴びせることだろう。(了)
                                                                                                                                                                                                                                       
 




                  
  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 19:09Comments(0)映画について

2009年11月21日

山形国際ドキュメンタリー映画祭「ギー・ドゥボール特集」





 このブログ、ほんとうに更新頻度が低いわけだが、それでも検索エンジンや他のブログでの紹介を通じて、毎日20〜30のアクセスがある。なかには、そろそろ更新されたかな・・・と、ときどき覗きに来てくれる方もいるようである。
 じぶんに時間の余裕がなく、そうそう読んでいただくに足るものが書けないので、“読みに来てもらう”というより、むしろ“検索したらヒットした”というブログを目指した方がいいかなとも思うので、とうぶんこんな調子でいくことになると思う。
 もっとも、読むに値する内容とまでは言えないが、記録として留めておきたい出来事や想いもある。


 今回は、去る10月8日から15日まで山形市で開催された「山形国際ドキュメンタリー映画祭2009」における「ギー・ドゥボール特集」について、忘却の中から記憶を掘り出し、あるいは創作して(?)備忘録的に記しておきたい。
材料は、同映画祭の上映パンフレット、上映会場で購入したこの特集のパンフレット(写真)、そして、じぶんがとったメモである。
 このメモから記憶を呼び起こしつつ記すが、時間が経過したので内容はかなり怪しいかもしれない。



 

 また、予め言い訳しておくと、上映会場(写真)は、平土間の小ホールにパイプ椅子を300ほど並べ、ステージ奥の小さな映像用スクリーンと、これと別立てで張られた字幕用のスクリーンを見上げる形であったため、フランス語が理解できず字幕に頼る者には、劣悪な鑑賞環境であった。
 眼の悪いじぶんには、暗いなかでナレーションにつれてどんどん切り替わる小さな字幕の内容を読み取っていく作業は、かなりしんどかった。代表作の『スペクタクルの社会』などのナレーションは、要するにドゥボールがじぶんの著書を読み上げているものなのだが、その字面を追うだけで精一杯だった。べつに難解なことが語られていたわけではないのだが、内容がよく頭に入ったとは言えない。そのへんを割り引いて読んでいただきたい。
 もっとも、頑固な眼精疲労に耐え、結局3晩、つまり特集の最初から最後までこの企画に付き合ってしまった。それだけこちら側の思考を刺激する何かがあったのだと思う。
 まずは、この野心的な企画を開催してくれた同特集コーディネーターの土田環氏と同映画祭ディレクターの矢野和之氏に感謝したい。


 さて、この企画は、「映画に(反)対して―ギー・ドゥボール特集―」(Against Cinema―Guy Debord Retrospective)と題して、10月10日(土)から12日(月・祝)までの3晩、山形市民会館の小ホールで開催された。(後日、東京日仏会館でも同じ企画上映が行われた。)

 上映作品等は次のとおり。(すべて35mm)
 10日 『サドのための絶叫』(1952年、上映時間75分)、『かなり短い時間単位での何人かの人物の通過について』(1959年、上映時間18分)
 11日 『分離の批判』(1961年、上映時間19分)、『スペクタクルの社会』(1973年、上映時間80分)
 12日 『映画「スペクタクルの社会」に関してこれまでになされた毀誉褒貶相半ばする全評価に対する反駁』(1975年、上映時間22分)、『われわれは夜に彷徨い歩こう、そしてすべてが火で焼き尽くされんことを』(1978年、上映時間105分)
 各日、上映される2作品の合間に、当日の上映作品について、ドゥボールの作品や著書の日本語訳をほとんど1人で担っているという兵庫県立大学教授の木下誠氏の解説(背景の紹介など)が行われた。この解説はとても解りやすかった。
 また、最終日には、マルセイユドキュメンタリー映画祭ディレクターのジャン‐ピエール・レムというフランス人が、英語でスピーチをした。

 まず、東京日仏会館のHPから、ギー・ドゥボールについての紹介文を引用する。
 「1931-94 年。フランスの映画作家、革命思想家。52年に、最初の映画作品『サドのための絶叫』を発表。57年、シチュアシオニスト・インターナショナル(SI)を結成。67年に『スペクタクルの社会』を刊行し、68年「五月革命」の先駆者と目される。彼の活動は、映画制作、執筆にとどまらず、既存の広告、地図、小説、コミック雑誌の「転用」のみで成り立つ画文集など、境界を横断したさまざまな芸術表現に及ぶ。72年のSI解散後は、イタリア・スペインの革命運動と関わりつつ映画製作・著作活動を行うが、病を得て自殺。」

 次に、特集のパンフレットに掲載された木下誠氏の概説の内容から、ドゥボールの活動の前半について補足すると・・・
 ギー・ドゥボールは19歳のとき、カンヌ映画祭で上映されたルーマニア出身の亡命者イジドール・イズーの実験映画『涎と永遠についての概論』を観て衝撃を受け、パリに出てイズーらのレトリスム運動に参加した。イズーが48年に開始したレトリスムは、芸術作品の徹底的な破壊を推し進め、言語を文字と叫びにまで、映像をフィルムの傷と染みにまで、音楽を音とノイズにまで解体する芸術運動だった。
 しかし、ドゥボールはすぐにイズーの主唱するレトリスムの神秘主義的な傾向と技術至上主義に反対し、ジル・ヴォルマンとともに、レトリスト左派を糾合して<レトリスト・インターナショナル>(LI)を結成。57年までこれを基盤に、芸術・文学・映画・哲学・政治を批判する多くの文章を発表し、LIのメンバーらとシュルレアリストやル・コルビュジエらの活動を批判する数々の行動を行った。
 また、「芸術家」による「作品」の創造という古いタイプの前衛運動を乗り越えるため、既存の作品の「転用」のよる絵画、写真、書物、ラジオドラマなどの製作を行うとともに、都市の隠れたネットワークとコミュニケーション探索する「心理地理学」の実践としてパリを「漂流」し、「行動としての作品」を生み出した。
 57年、<シチュアシオニスト・インターナショナル>(SI)の結成に参画し、「状況の構築」、「統一的都市計画」、「心理地理学」、「転用」、「遊び」の称揚、専門的芸術家の破棄、「非―介入」というスペクタクルの原理の批判などを掲げた実践活動を行う。
 SIは、60年代に革命潮流との連携を強め、「政治的闘争」に積極的に関わっていく。アルジェリア革命戦争の支持し、米国のワッツ暴動、アルジェリアにおけるブーメディエンのクーデター(ブーメディエンはアルジェリア民族解放戦線の指導者。1965年にクーデターで政権を握り1978年まで政権を維持)、中国の文化大革命などに際して、次々にパンフレットを発行。既存の社会主義を乗り越える「労働者評議会」の結成を訴えた。フランス国内でも、66年のストラスブール大学でのシチュアシオニスト・シンパ学生によるフランス全学連への叛乱に理論的根拠を与えるパンフレットを書き、先進資本主義社会での学生層の疎外についての批判と叛乱の必然性について訴え、68年の「五月革命」を理論的に準備した。


 ●『サドのための絶叫』について
 この特集で、最初に上映されたドゥボール21歳の処女作品。
 映画でありながら、画像はない。白い画面と暗い灰色の画面が交互に、しかもその間合いは不規則に映し出される。最初に灰色の画面になった時は、上映機のトラブルでフィルムが途切れたのかと思わせられる。
 音楽や効果音もない。白い画面のとき、5人の人間の声による多様なテキストの朗読やいくつかのダイアローグが流れる。テキストには詩的な表現もある。(内容は覚えていない。ただし、題名である「絶叫」調の声はなかったと思う。)
 上映が進むに従って、次第に灰色の画面の時間が長くなっていく。最後は20分以上灰色の画面が(音声無しで)続き、「翻訳・木下誠」という字幕が現れて、作品の終わりを告げる。
 山形での上映会では、終わり近くでひとりの観客の携帯電話が鳴り、そいつが電話に出て話し始めた。「いま、ギー・ドゥボール特集を観てるんだ」・・・その声がびっくりするほどホール全体に通る。笑いが起きる。それに対して「いいかげんにしろ!」と怒声が飛ぶ。そして、その怒声に対して、こんどは別の方向から「いいじゃん!」と批判が起きる。・・・「もう終わっているんじゃないの?」という声に、また、笑いが起きる。
 じぶんはといえば、この灰色画面の時間、ドゥボールが観客に対して自己と向き合うことを強いているのではないか・・・などと早合点し、ではそうしてみようか・・と、その画面にじぶんの想念の画像を映し出そうとしていた。それは、まるで、知人や職場関係者の親族の葬式に出たときのように(!)神妙な内省だったのだが・・・。(苦笑)

 さて、『サドのための絶叫』と次の作品の上映の間合いに、木下誠氏による解説があった。
 木下氏によれば、当時イジドール・イズーに影響を受けていたドゥボールは、LIのなかで反体制的・前衛的表現活動を行っていた。このグループは、たとえば、教会の屋根裏に隠れていて、儀式のとき、罵声を浴びせるなどの直接行動も行ったという。
 上映に先立って機関紙に発表されたシナリオでは、この作品に画像がつくことになっていたというが、上映された完成作品からは一切消えている。美学至上主義的なイズーらの影響を離脱し、映像表現に対するラジカルな批判から独自の思想を形成する過程が、その処女作品から、すでに始まっている。
 1952年6月のパリ人類博物館分館「アヴァンギャルド・シネクラブ」における初上映の際には、途中で観客が騒ぎ出し、最後まで上映できなかったという。


 ●『かなり短い時間単位での何人かの人物の通過について』について
  「OUTSIDE IN TOKKYO」(http://www.outsideintokyo.jp/j/news/guy_debord.html)というサイトから、紹介文を引用すると、
 「レトリスト・インターナショナル(LI)からSIへ活動の拠点が移行していったドゥボールが、SIの運動の起源を示した作品。「漂流」や「逸脱」などの表現方法の創造、「状況」の構築の実践、都市計画についての考察、日常生活の完全なる解放、LI の機関誌「ポトラッチ」の発行など相次ぐ体験などで記憶され、幕を閉じた時代を総括するエッセイ。デンマーク人の画家でドゥボールの親しい友人だったアスガー・ヨルンが製作に参加している本作は、過ぎ去る時間の不可逆性や、映画によってあらゆる体験を伝えることは不可能だという確信と結び付いた深いメランコリーでおおわれている。」
 
 『叫び』から一転、18分の回顧的なエッセイである。画像として、パリ?の風景や自分たちがカフェでたむろする写真が臆面も無く映し出される。
 たしかにメランコリーの匂いがするが、突き放した言い方をすれば、この作品からは、いい気なおにいちゃんたちがカフェでいちゃついて、ぐだぐだ議論したりダダイックになったりしている雰囲気が伝わってくる。


 ●『分離の批判』について
 これもまず、「OUTSIDE IN TOKKYO」から紹介文を引用すると、
 「漫画、新聞、雑誌、身分証明写真、ニュース映画などの引用と、ドゥボール自身のナレーションで大半が構成されている。『映像とコメントと字幕との関係は、補完的でも、無関係でもない。この関係そのものが批判的であることをねらっている』。『映画の機能は、劇作品であれドキュメンタリーであれ、孤立した偽の一貫性を、そこに存在しないコミュニケーションや活動に代わるものとして差し出すことである』(ドゥボール)」

 要するに、人間のナマで実際的な関係性が、映画・映像によって収奪・操作され、擬制的なイメージとして“実在”させられているということに対する批判(というより明確な“否”の意思表示)だと思われた。フランス語が解らないからとんちんかんなことを言うことになるかもしれないが、「分離」をドイツ風に言い換えれば、<疎外>ということになるだろうか。

 木下氏によれば、この作品は1960年の秋に撮影され、61年1月から2月に編集されたというが、初めて上映されたのがどこかの記録はないという。
 ドゥボールは、1957年にシチュアニスト・インターナショナルを結成し、“状況を構築する”を合言葉に、都市に拘りつつ活動していた。この作品で、その3年間のグループの活動を冒険として描いている。都市における冒険を中世の騎士の冒険のように看做し、重層的な時間が提示されている。
 この時期は、スプートニクの打ち上げを契機とする米ソの対抗が激化していく時期であり、フランスがアルジェリア戦争を清算する苦しみの時期でもあった。そして何より、カラーテレビの登場など、現代消費社会へのとば口に立つ時期でもあった。
 ドゥボールは、メディア、都市空間、意識・無意識が、すべて「スペクタクル」(映像)を通してしか受け取れない事態を批判し、「日常生活の植民地化」と指摘した。
 そして、複雑なメディアの網の目に絡め取られている以上、ひとつの映像の方法で、この事態を批判することはできないとして、様々な意味をもった映像、声、サブタイトルが反発し合いながら進んでいくというこの作品の方法を編み出した。
 この作品の最後に現れる「つづく」は、『スペクタクルの社会』へ続くということ。映画『スペクタクルの社会』は1974年5月1日に上映されたが、その内容(第1章)は、1967年に機関紙に発表され、1968年の「五月革命」を思想的に準備したものだと言われている。いわば、『分離の批判』において少数により担われたことが、「五月革命」で大規模に生起したとも言える。1972年、ドゥボールは自ら組織を解体し、その結果としてこの映画作品を製作した。

 ところで、『分離の批判』には、カトリーヌ・リトゥネールという女性が出演する。出演といっても、まるでスナップ写真の被写体であるかのようにして、ではあるが。
 この女性がドゥボールの恋人だったのか。たしか、木下氏は、ドゥボールが後に恋人となる少女と出合ったとき、彼女は娼婦だったと言っていた。その少女がこの作品に登場するカトリーヌ・リトゥネールなのか、それとも『サドのための絶叫』に音声で登場するバルバラ・ローゼンタールという女性なのか・・・。
 

 ●『スペクタクルの社会』
 1973年に製作され、74年に公開されたドゥボールの代表作。67年に刊行された同名の著書は、ドゥボールの思考とSIの理論の集大成。
 映像は、『リオ・グランデの砦』(ジョン・フォード)、『大砂塵』(ニコラス・レイ)、『上海ジェスチャー』(ジョセフ・フォン・スタンバーグ)、『壮烈第七騎兵隊』(ラオール・ウォルシュ)、『アーカディン/秘められた過去』(オーソン・ウェルズ)、『誰が為に鐘は鳴る』(サム・ウッド)、そのほか「社会主義と称される国々の、幾人かの官僚的な映画作家による作品」を“転用”し、コラージュ作品として構成したもの。
 これに、ドゥボール自身が語る音声をかぶせているが、映像とナレーションは直接具体的に関連しているものではない。ヒット映画のコラージュ画像に乗せて、じぶんの「スペクタクルの社会」に対する批判を朗読しているだけで、今から観ればそんなに騒ぐほどの作品ではない。
 しかし、これだけ堂々とした「転用」(今風に言えば“リミックス”)という掟破りと、映画・映像に対するラジカルな“言語的”批判は、当時としては衝撃的だっただろうと思える。

 ここで「スペクタクル」とは、ひとまず「見世物的なイメージ」という意味らしい。
 人間から実際的なコミュニケーション(ドイツ風に言えば、人間の本質=“関係の総体としての人間”ということか)が<分離>(=疎外)され、「見世物」として映画・映像の世界に擬制される。
 人々は、もはやその擬制のイメージに支配され、それなくしては自己統合しえないほど心身を毒されている・・・この作品では、そんな批判、否定、そしてむしろ呪詛というべき言葉が、ドゥボール自身の抑揚のない声で延々と繰り出される。

 映像としては、『リオ・グランデの砦』や『壮烈第七騎兵隊』など西部劇の騎馬戦のシーンが何度も使用されていることが印象に残った。『壮烈第七騎兵隊』(たぶん)の突撃シーン(銃撃されて馬ごと転倒するシーンは非常に迫力がある・・・馬が骨折しなかったかとても気になる)は、『われわれは夜に彷徨い歩こう、そしてすべてが火で焼き尽くされんことを』でも繰り返し使用されていたと思う。


 さて、予定に反して、この文は少し長くなりそうだから、ここで途中のまとめをしておくとして・・・、
 ドゥボール作品のもっとも中心的な印象は、彼が、<映画・映像>を、本質的に擬制的なものであるとしてラジカルに批判し、決定的に否定する一方で、<ことば>―それは批評的言語であり、詩的言語でもある―を信じているらしいことだ。
 ドゥボールは「芸術の記憶の解体」を目指して、映像批判を展開した。しかし、その根拠にはいつも言葉―ときに芸術的なそれ―が存在している。このギャップがとても興味深い。


 これまでこのブログを読んでくれた方は感じ取っているかもしれないが、じぶんも映画や映像という方法を信じていない。そして<ことば>については、できるならこれを信じようとしている。
 ここでひとまずわかったような口を利いてしまえば、ドゥボールの苦悩と閉塞と自死は、ひとつには、この映像という方法と言葉という方法への態度のギャップ、むしろ病的な解離というべき事態、つまり芸術の記憶の解体を目指しているのに、言葉を信じているがゆえにそれが不可能であったこと・・・に起因しているような気がする。


  続きはまた。



  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 18:02Comments(0)映画について

2009年10月11日

映画「ナオキ」評






映画『ナオキ』評

 山形国際ドキュメンタリー映画祭2009のコンペティション部門にノミネートされたショーン・マカリスター監督作品「ナオキ」(Japan:A Story of Love and Hate)を観た。
 「ナオキ」とは、撮影時56歳の山形市在住の離婚暦のある独身男性。バブル崩壊までは会社を経営し、自分で外人相手のバーも開業していたが、その後事業に失敗し、いまは山形中央郵便局で簡易保険の集金のパートタイマー(週35時間勤務で時給800円台)をしている。
 彼は、6畳のアパートに住むヨシエ(29歳)のところに居候状態で同棲している。ヨシエは、昼は事務員として働き、夜は週に3日ほど七日町のバーのホステスをしている。
 カメラは、はじめは、いわゆるワーキングプアであるナオキの身の上に照準をあて、「世界で第2位の経済大国」であるとは(この監督からすれば)思えない現代日本の貧困を描くかのようにして始まるが、次第にナオキの個性に着目し、そして次にはヨシエとの同棲関係を描くことへと移っていく。その合間に、監督には「資本主義の顔をした共産主義」に見えるという職場でのラジオ体操や指差し点検や目標唱和に象徴される会社への恭順の強制、そして郵便局の正職員に対して課せられる厳しい成果主義とそれに応えられない者へのイジメなどが、批判的に、つまり自殺者や心を病む者の挿話を含んで、描かれる。
 やがて撮影の時間が積み重ねられていくと、監督は今にも壊れそうなナオキとヨシエの仲に“介入”し、ヨシエの里帰りに同行して最上地方のヨシエの実家を訪問し、ナオキと同年齢の父親に会う。そしてさらに、作品の終わりでは、ナオキを説得してヨシエの実家に連れて行き、二人を引き合わせるのである。

 この作品が強い印象を与えるのは、まず、主人公ナオキの個性的な人柄である。(ナオキの風貌は、その笑い方まで含めて、ちょうど、筑紫哲也を軽薄で胡散臭い感じにしたようなものだ。)
 初めてナオキが登場するのは、居酒屋のテーブルのこちらから、監督がナオキにカメラを向け、撮影の承諾を取るシーンだが、そこで驚くのは、ナオキが、昔、学生運動の活動家で、火炎瓶を投げていたという話を、ヘラヘラと英語で喋っているということだ。
 マカリスター監督は、BBCの発注(NHKとの共同企画?)で日本に関するドキュメンタリーを製作するために東京に来てその題材を探したが、「日本へのドア」(作品の最初のシーンで監督自身が自分にカメラを向けて語っている)が見つからず撮影を諦めかけていた。そこで、たまたま山形でALTをしたことがある友人から、「山形駅前で外人相手のバーをやっている面白い日本人がいるから、なんにも題材がみつからなかったら彼を紹介する」といわれて、ナオキにめぐり会ったのだと言う。(上映後、観客の質問へ回答。)
 英語を喋る日本人というのが、マカリスター監督の「日本へのドア」だったわけである。このへんがまず、この作品を眉唾で観なければならない最初の要素である。

 次に述べなければならないのは、やはり、監督と被写体となる人間との関係についてである。
 じぶんはドキュメンタリー映画にどんな幻想も抱いていないから、“ドキュメンタリー作者は被写体の人間と近づきすぎてはいけない”などと考えてはいないが、上映後の質疑応答の場で、ナオキと共に登場し、腕を組んだり目配せし合ったり、ようするにデレデレの友人関係であるかのような態度を披瀝されては、いかにも食傷しちまうよ・・・という感じである。

 じぶんの目には、この作品の可能性は、まさにこの作品の英題(Love and Hate)が意味するものの追求、つまりナオキとヨシエの、危機的でありながら相互にもたれ合った関係性にじっと付き合って、それを描ききることにしかなかったのだと思える。
 観客は、ナオキとヨシエが酔って互いを傷つけあうシーンが、いちばん気になってくる。
 ナオキとは、ざっくり言ってしまえば、昔は羽振りがよかったが、事業に失敗して財産と仕事を失い、店の客だった若い女性のところに転がり込んで、居候をしている初老の男である。彼は、彼女の6畳一間のアパートを追い出されれば行くところがない。ナオキが心理的にインポテンツになっているため、ふたりはセックスレスだが、ナオキがヨシエを追及する言葉には、要するにいかにも要領のいい“ヒモ”が語りそうな色が見て取れる。
 ミもフタもない言い方をしてしまえば、泣かせて、抱きしめる・・・というやつだ。

 一方、ヨシエがナオキを責める言葉は、心の奥底の傷から沁み出してくる彼女の呻きであるように思われる。その言葉の背景に、いわゆる“無意識の荒れ”みたいなものが感じられる。
 狭い部屋で、あるいはどこか昏いバーのカウンターで、ヘラヘラといい加減なことを言い募って関係を維持しようとする男と、それを拒絶したいと思いながら、そのように絡み付いてくる男との関係をふと掛け替えのないもののように看做して別れられない女との、どの町にもありそうな哀しくも致し方ない関係がスクリーンに映し出される。
 ここが、ありうべきこの作品のキモだったのだと思う。
 しかし、マカリスター監督は、作品のなかで、ナオキをトリック・スターのように持ち上げてしまった。そして、ナオキとヨシエの関係に、ヨシエの実家または父親という<外部>を持ち込んで、それを整形しようとした。
 被写体たちを“通り過ぎる”ドキュメンタリー作者の、いい気で醜悪な姿が、そこに存在する。


 さて、ここからは余談だが、この作品に描かれる背景としての山形の風景が印象的だった。馬見ヶ岬川の川原で、営業用のスーパーカブに寄り添ってポーズを決めるナオキの背景に映る冠雪の蔵王山系と中腹の紅葉。あるいは、西蔵王のテレビ塔の展望地から望む山形の街。
 晩秋から初冬にかけての山形の風景は、たとえ天候のいい日であっても、灰色のフィルターを通しているかのようにすべてがひたすら薄暗く、ひたすら閉塞的である。
 マカリスター監督の関心は、主人公のナオキをはじめとする被写体としての特定の登場人物に集中し、この地域へは向けられていない。この地域は、それらの登場人物と対照的に、色を失った“逼塞した背景”としてのみ位置づけられている。
 意外にも、このことが、ある意味でとても新鮮で、印象的だった。
 われわれは、この山形の地のドキュメンタリー映画祭が、作家たちに何ほどのものかを印象付けているはずだと浮かれているが、良くも悪しくも、これがこの映像作家にとっての山形あるいは日本のイメージだということを知らなければならない。                                                                                                                                                                                          
                                     


  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 16:22Comments(1)映画について

2009年06月22日

映画『マタンゴ』感想



 2009年6月20日、山形市蔵王松ヶ丘のシベールアリーナで開催された「本多猪四郎特集・ゴジラを取った男」という上映会に出かけ、同監督作品「マタンゴ」を観た。

 この上映会は、「山形国際ドキュメンタリー映画祭2009」のプレイベントとして開催されたもので、現在の山形県鶴岡市(平成の合併前の朝日村)出身である本多猪四郎監督作品を回顧する企画。「空の大怪獣ラドン」(1956)、「妖星ゴラス」(1962)、「ガス人間第1号」(1960)、そして「マタンゴ」(1963)の4本が上映され、途中で井上ひさし氏の講演も行われた。
 この日、じぶんが観たのは「マタンゴ」(脚本・木村武、特技監督・円谷英二)のみ。
 この作品を観に行ったわけは、昔、子どものころに観て、何度も怖い夢を見せられてきたから。

 チラシの作品紹介には「この作品を観てトラウマになったしまった人も多いはず。ある種恐怖映画だが、人間のエゴがむき出しになったヒューマンドラマでもある。水野久美がもっとも想い出深い作品という。覚せい剤や麻薬使用への警鐘が込められている。」とあるが、まさにこのとおり、素直にも?この作品にトラウマを刻まれた子どもだったわけである。

 子どもの頃の印象としては、とにかく暗く、恐ろしい映画だった。映画の内容はかなり朧気になってしまっているが、しかしそこから感じた恐怖感や気色悪さの印象はかなり生々しく記憶に刻まれている・・・大きな難破船のシークエンスと、キノコ人間たちが襲ってくるという光景は、年長になってからも、何度も夢に現れてきた。
 これは、この機会にそのトラウマの正体を見極めておかずんばなるまい・・・と勇んで出かけたわけである。

 さて、子どもながらに感じたこの気色悪さを振り返ってみると、佐藤肇監督作品「海底大戦争」(1966)に出てくる半魚人に対するそれと、どこかで、つまり生身の人間が変身させられるという点で通底しているのだが、こちら<半魚人>は、人間の手で改造されたサイボーグであることから、作品への恐怖は、むしろ強制的に行われる人体改造への恐怖と言うべきなのに対し、マタンゴはもっと抽象的で、なにか神話的な恐怖を表現しているような印象さえあった。
 そもそも、人間がキノコ(正確にはキノコ人間?)になってしまうという、それ自体では荒唐無稽な話でありながら、なぜそれがトラウマになってしまったのか・・・この辺りが不思議だった。

 映画は、無人島からただ1人逃げ帰った主人公・久保明(役名を覚えていないので、以下全て俳優名で記す)が、後姿のまま、都心の精神病棟から窓を眺めて独語するシーンから始まる。窓の外には、眩いネオンの街が見えている。
 すぐにタイトルバックが始まり、ヨットの帆を背景に出演者名が出る。このときの軽快な音楽と、波間を疾走する大型ヨットのシーンがずいぶん明るいのに驚く。ここだけみればまるで「若大将」シリーズだ。じぶんの記憶の中では、この映画は白黒作品だったような印象があった。

 あらすじを記すと・・・ヨットで航海に出かけた若者たちが、時化にあって無人島に流れ着き、そこで大型の難破船を見つける。食物(缶詰)はあるのに、人間はいない。人間の死骸もない。
 若者たちは、やがてすぐに、うまく食物を採取・捕獲できない焦りや脱出の展望が開けないこと、そして性的な欲求不満などから、食料や女性やグループの主導権をめぐって対立し、争うようになる。そこに、ある夜、キノコ人間=マタンゴが現れる・・・。
 やがて、食料不足に絶えかね、キノコには手を出さないようにという申し合わせに反して、ついに1人の男がキノコを口にする。・・・そして精神がハイになり、女を誘う。
 以下、人間の仲間同士、あるいは人間とマタンゴ化しつつある人間の抗争があって、結局はみんながマタンゴに取り込まれ、唯一、久保だけがそれを拒否して脱出する・・・こんな感じである。

 配役は、自分では状況を打開できない金持ちの御曹司に土屋嘉男、その友人だがじつは子分のように飼われていたスキッパーに小泉博、土屋の愛人でキャバレーの歌手に水野久美、土屋の友人でマジメな大学教員に久保明、久保のフィアンセに八代美紀、など。
 なかでも水野久美の妖艶さがひときわ目を引く。なかなかの存在感である。そして、土屋嘉男の陰影ある演技も印象的だった。
 また、清純で初心な娘だったはずの八代美紀が、ついに無理矢理マタンゴに取り込まれ、キノコを口にして微笑みながらフィアンセの久保を招くシーンで、彼女の顔が微妙に膨れていたのが怖かった。


 この作品では、久保を除いて、すべての人間が醜悪または虚弱なエゴイストに描かれている。人間としての理性や倫理を貫こうとするのは久保ばかりで、あとの連中はエゴの塊という正体を暴露する。
 しかし、人間性を貫き、マタンゴを拒否して逃げ帰った久保は、最後のシーン(それは最初のシーンに直結している)で、こうして命からがら帰りついた日本自体が、マタンゴのような人間たちで満ちているではないか、あの島でマタンゴになった者たちの方がむしろ幸福だったのではないか・・・というような趣旨の科白を口にして、顔をこちらに向ける。すると久保の顔は、すでに一部がキノコ状に変貌しているのだ。

 この作品は、まさに「ゴジラ」が破壊しようとしつつ結局は破壊しつくさなかった東京あるいは日本の、その後の姿を描いている。60年安保を頂点とした政治の季節は急速に過ぎ去り、所得倍増計画と高度経済成長の時代、言い換えれば(東京には)拝金主義あるいは欲望自然主義の時代がやってきていた。
 子どもだったじぶんがトラウマを植え付けられたのは、オドロオドロしい怪物マタンゴに襲われる恐怖を感受性豊かに受容したからだったのだろうが、こうして大人になって「鑑賞」してみると、この映画は、時代精神への批判というか、この時代の人間への批評が前面に出ている作品であって、本質としては恐怖映画とか怪物映画という代物ではなかったのだということがよくわかる。
 こんな文明批判的なモチーフを社会的な人間ドラマとして描かず、怪物映画として描いたあたりに、「ゴジラ」から志向された日本映画独特の趣というか、精神の屈折が見てとれる・・・などと、したり顔で語ることもできそうな気がする。


 さて、今更ながら、ずいぶんニヒリズムに彩られた映画だったのだなぁ〜と近しげに思うと、そういえば、昔むかしのじぶんは、人間の性根、つまりは我欲に対して、強く嫌悪というか恐怖心を抱くような子どもだったことに気づく。
 すると、怪物映画だからトラウマに苛まれたというよりも、むしろ、人間嫌いの感受性を日々の生活のなかで拡大再生産していたじぶんが、マタンゴのオドロオドロしさを人間そのもののオドロオドロしさに錯合して、夢で何度も恐怖と忌避とを追体験してきたのかもしれない・・・などとも思えてくる。

 しかしまた、今のじぶんは? と問い返せば、人間嫌いの心理はなお一層心の深いところに保持しつつも、今なら、ただただ水野久美の妖艶さに惹かれて、間違いなく甘美なキノコを口にするだろうな・・・・・・おおっと、そんな中年オヤジになり下がっているのである。

 
 なるほど、どうりでこのところ久しくマタンゴの夢をみていなかったわけだ・・・。あっは。
                                                                                                                                                                                                                                                             







  

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2009年05月08日

映画『懺悔』 批評



 4月28日、山形フォーラム(特別企画「シネマ&トーク」)で、グルジアのテンギス・アブラゼ監督作品『懺悔』(1984年)を観た。
 この作品については、08年12月から、岩波ホールをはじめ、全国のいくつかのアート系シアターで上映された(される)ということで、日本語の公式ホームページ(www.zaziefilms.com/zange/)もあるし、ネット上には詳しい解説や論評もあるので、内容の説明はしない。

 なお、この上映会では、上映終了後に、山形大学でロシア文学や表象文化論を教えている中村唯史准教授のトークがあった。中村氏の話は、いつもそうだが、平明かつ丁寧で、とてもわかりやすかった。
 作品を観、中村氏の話を聞いて、印象に残ったことは、次の2点だった。

(1)この作品は、独裁と粛清をテーマとして描いているが、それは被害者意識による批判だけではなく加害者意識の混融したものでもあるということ。
 グルジアは、スターリンを生んだ国であり、スターリンの下で粛清を進めた当事者であるラブレンチ・ベリヤ(この作品の主人公である独裁者のモデル)の出身地でもある。グルジアは、独裁と粛清を批判するにはいろいろと複雑な事情をもっており、それが作品に反映されている。

 独裁者に心酔し、命じられたわけでもないのにひとりでベートーヴェンの「喜びの歌」を歌って喜悦に入る女。連行され、おそらくは脅迫されたが故とはいえ、無実の人々を密告した自分を「自分が密告したこれだけ多くの人間を逮捕すれば、逮捕した方が異常と思われるはずだ。だからこの密告はやつら独裁者を追い詰めるための戦術なんだ」と自己正当化する男。独裁者の指示を過剰に履行して無実の市民を荷馬車に積めるだけ連行してくる手下。そして、独裁者を称え、独裁者の死に衷心から涙する大勢の市民たち・・・。その有様と人物像が、ややカリカチュアされてあちこちに顔を出している。


(2)グルジア映画には、いわばコテコテ(これは中村氏の言葉ではなく高啓の言い方だが)の物語性が表現されており、独特の象徴的表現が鏤められている。

 この作品では、市民を連行する秘密警察は、1930年代なのになぜか中世の騎士の鎧兜を纏って馬に乗っており、犠牲になるサンドロ(後述するケテヴァンの父)は、まるで磔にされるキリストそっくりである。
 上記の「喜びの歌」の女にしても「戦術」の男にしても「荷馬車」の手下にしても、このような象徴的な描き方をすることで、アブラゼ監督は、独裁や粛清を、スターリンやベリヤによる個別具体的な出来事として告発するのではなく、いつでもどこでも起こりうる悲劇として描こうとしている。




 さて、この作品は、ゴルバチョフのグラスノスチ政策の下、グルジア出身のシュワルナゼ(元グルジア第一書記、当時の外相)の後押しで、1986年にモスクワで一般公開されて大ヒットし、独裁と粛清への批判が大きなセンセーションを巻き起こしたとされている。(1987年1月25日付け「毎日新聞」国際面)
 映画の宣伝や予告編で流布されるのは、その“マジメ”な側面で、その代表は、夫を強制連行された妻とその娘(ケテヴァン)が、夫(父)サンドロの生存を確かめようと、シベリアから運ばれてきた木材の置き場を悲壮な面持ちで探し歩くシーンである。(強制労働させられている受刑者が、その時はまだ生存していたという家族宛の証明として、切り出した木の切り口に自分の名前と日付を刻んでいる。肉親の安否を確かめようと、それを探しているのである。この場面では、切り口に頬擦りして泪を流す初老の婦人の姿も描かれる。)
 これがとても印象的なシークエンスで映し撮られており、子役の表情とも相俟って悲痛さを訴えてくるのだが・・・ところがどっこい、この作品の不条理さは、まるで寺山修司の映画作品を想起させるような、コテコテの象徴的場面がいくつも登場するところにある。
 
 一番印象的だったのは、たとえば、死んだはずの独裁者ヴァルラムが、まるで天使のような白い装束を着て起き上がり、笑みをたたえ、舌を覗かせながら、スキップするように踊るシーンだった。
 この物語は、子供の頃、ヴァルラムに父と母を連行され殺された女・ケテヴァンが、病死して埋葬された独裁者ヴァルラムの死骸を2度も掘り出して晒し物にし、3度目に逮捕されて法廷でその罪を告発するという“マジメ”で“シンコク”なドラマのはずなのに、まるで、独裁者は死骸を掘り起こされても、あの世で安楽に過ごしている・・・ということの暗示ででもあるかのように、こうした“フザケ”たシーンが挿入されるのである。
 他にも、ちょび髭を生やした独裁者ヴァルラムがオペラみたいに歌うシーンがあり、このへんは唐十郎の芝居を彷彿させる。
 また、独裁者ヴァルラムがバルコニーから演説するシーンでは、足下の水道管が破裂し、噴出す水で“豪雨”になる中でも演説は続き、その脇では記録者がびしょ濡れでタイプライターを叩いている。これはまるでチャップリンのドタバタ喜劇である。
 こうして、作品は全体として、小劇場演劇的な手法を取り入れた作品だという印象なのだ。


 アブラゼ監督は、体験者の語るすべてを、しかも普遍的に語るために、幻想的で不合理な構成を採用したというような趣旨のことを語っている(和田春樹編「ペレストロイカを読む」御茶ノ水書房)が、これにはひとまずじぶんも合点する。
 だがしかし、ここでは、むしろそのことは、それが“作品”として幻想的に自立することにより、その方法に対する批評的視線を生成してしまうという逆説的な結果をもたらしている。

 “批評的視点”は、メタレベルに及ぶ。
 たとえば、独裁と粛清への批判からひとつ後ろに下がって見つめれば、“独裁と粛清への批判”という視点自体が対象化(かつ相対化)され、それをめぐる時代と市民たちの寓話化された悲喜劇が、不可避的な方法の選択として視えてくる。
 物語の寓話化・演劇化は、たしかに作品を“普遍化”する・・・すなわち作品として自立させてしまう・・・・そのことによって、作品は表現としての長い生命を得られるのでもあるだろう。
 だが、さらにもう一段後ろに下がってみれば、今度はその寓話化・物語化された表現自体が、不可避的に自己批評的な視線を呼び込んでしまうことがわかる。
 
 この映画の最後のシーン(それは直接的に最初のシーンに繋がるのだが)は、まさに寓話や物語を“幻想的に自立”させてしまう呈のもので、昔の小劇場演劇の手法によくみられたオチである。(こんな言い方では、なにも伝わらないかもしれないが、この最後のシーンはとても評価が高いらしいので、ネタバレにならないよう、ここでは説明しない。)
 しかし、たとえば日本の現在の小劇場演劇の想像力は、この“自立”性を、いわば桎梏や既成の回収システムと捉え、これをいかに回避・逸脱・解体するかに神経を使っているようにみえる。
 じぶんは、どちらかといえば、こちらのモチーフに寄り添いたい。
 この辺りが、この興味深い「旧ソ連」の映画作品に、いい意味での古風さと、同時に物足りなさを感じる所以である。
                                                                                                                                                                        


  

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2009年02月18日

映画「チェ28歳の革命」「チェ39歳別れの手紙」




 山形フォーラムで、スティーヴン・ソダーバーグ監督作品「チェ 28歳の革命」(CHE: PART ONE THE ARGENTINE)と「チェ39歳別れの手紙」(CHE: PART TWO GUERRILLA)を、それぞれ別の日に観た。

 カストロと知り合いキューバ革命を成し遂げるまでを描くパート1。そして、ボリビア革命のために再び山岳でのゲリラ戦を闘い、敵に殺害されるまでを描くパート2。
 ゲバラの内面が語られることも、観客を殊更主人公ゲバラの主観への同一化に誘い込むこともなく、淡々と時系列的に物語が進行し、そして登場人物たちと距離感をもったカメラワークが展開していく。
 スペイン語なのだから、観客はたしかにこれがハリウッド映画ではないということを識る。しかし、この映画の“質感”は、製作者たちの目指した映像と、音声がスペイン語によるものだということ(言い換えれば“スペイン語が流れる時間の質”)との、相乗効果からきているような印象を受ける。
 この質感をうまく言い表すことができるか心もとないが、いつものように“異和”を感じた点から記していく。

 まず、最初に観たパート1「チェ 28歳の革命」は、ドキュメンタリー・タッチで、主人公からずいぶんとカメラが“引かれている”という印象である。
 つまり、つねにゲバラの姿が画面に登場しているのに、誰がゲバラなのか、あるいはだれが主人公なのか、ちょっとわからなくなるような時間がある。ここには、映画の宣伝文句にあるような「ヒーロー」も「アイコン」も登場していない。
 ただ、やや気になったのは、カストロやゲバラに率いられた部隊が、山岳のゲリラ戦で交戦して重傷を負った同志をけっして見捨てないかのように描かれているところ(山岳で歩けない重傷者を連れて歩くということは部隊の行動力や戦闘能力を格段に落とし、部隊全員を危険にさらすのだが)や、これから厳しい闘いに向かうという段で、ゲリラ部隊から逃げ出したい者はここで去れと行って、逃げ出す人間を寛大に許容することころなどである。
 ひとつだけ、転戦の過程で、農民から略奪し、娘を強姦した仲間を処刑するシーンが出てくるが、これも淡々としたもので、この質感は面白いといえば面白いが、これを斜に視れば、革命のためのゲリラ戦と党派性にまつわる問題を等閑に付させる効果をあげているとも言える。
 もっとも、革命戦争の勝利にいたる過程を描くパート1では、この淡々とした感じは、革命的ロマン主義とも革命的昂揚感とも無縁な分だけ、むしろ評価すべきなのかもしれない。
 また、ゲバラがキューバの代表として国連で演説するシーンは、この二作品全体の質感からすると異質なところであるが、それはそれで、場面の意味上の盛り上がりとは逆に、むしろゲバラを“カストロみたいに俗な人間”と印象付け、英雄視させない狙いがあるような気さえしてくる。
 このパート1が、劇映画的な自己主張をするのは、最後のシーンである。
 革命の成就が間近に迫り、革命軍の車列が首都ハバナへ進攻している。革命軍のある兵士が、直前に陥落させた都市で失敬したアメ車に乗っているのを見つけたゲバラが、兵士にその車を返して来いと命じて、戻らせる。革命家ゲバラのエチカみたいなものが描かれ、希望に満ちた行く手を想像させて終わる。観客は、このパート1に続くパート2で、ボリビアにおける死の道行きが描かれることを既に知っているのだから、この明るさはすぐにやってくる陰惨さと対照されるべきものだと思い至るが、まさにそう思わせるところが映画的仕掛けでもあるのだろう。


 さて、ボリビアの山岳地帯で掃討部隊と苛烈なゲリラ戦を闘いながら、惨めな敗北へと追い詰められていくパート2「チェ39歳別れの手紙」の映像の質感は、パート1と共通のものではあるが、しかし、こちらはやはりゲバラと同志たちが死に至る過程を描いていて、陰鬱なドラマ性を避けては通れない。このドラマ性は次のような理由によって、観客の脳裏にいくつかの暗い印象を刻む。
 パート2で、脚本家や監督は、“二匹目のドジョウ”を狙ったゲバラが、いわばキューバ革命での成功体験に縛られ、山岳ベースからのゲリラ戦に拘泥する姿を描いている。
 また、パート1に描かれたキューバでのゲリラ部隊の転戦と勢力拡大のシーンと対照させるかのように、ボリビアでのゲリラ部隊が新規の加入者を確保できず、農民の支持も得られず、やがて疲弊し、イラついて仲違いするシーンを設けている。
 要するに、成功体験に縛られて状況に合わせた方針転換ができない姿である。
 公安に都市のアジトを襲われて、そのアジトに残されていた手がかりから地下組織の情報が公安の手に渡ったことを知ったゲバラが、手がかりを残してきていた担当の女性同士に「これで5年間の工作の努力が無駄になった!」と苛立ちをぶつけるシーンも印象的である。
 また、山岳地帯における行軍(というよりも逃避行)の厳しさから、くじけそうになる同志をゲバラが説得する場面が何度か出てくる。展望が開けないゲリラ戦の過酷さとゲバラの自身や同志に対する厳しさが、結果として相乗的に描き出してしまうのは、革命戦士としてのゲバラとその他の者たちのレベルの差である。ここでゲバラは優れた指導者であると同時に、その位相としては同志から乖離した存在であるようにも見える。
 山岳での移動中に、ゲバラが持病の喘息で苦しむシーンのカメラワークも、明らかにパート1とは違っている。
 
 このように、実際のゲバラの道行きからして悲劇的に終わるしかない物語が、まさにそのとおりに描かれるのだが、それでもなお、二編の映画全体を通じたときの作品の質感は、“淡々としている”というような種類のものだ。
 なぜなら、ここには人間の<観念>が描かれていない。言い換えれば、ゲバラの“勝利か、死か”という言葉のリアリティが描かれていない。それは、革命運動が孕む狂気が描かれていないということだ。

 この作品に描かれるゲバラは、格別にヒロイックでもなく、エキセントリックでもない。
 ひとまずそれは支持しよう。しかし、そのことは裏返せば、毒にも薬にもならない水で薄められたような作品だということを意味する。
 もっとも、もし、この映画を観てゲバラを(この映画の宣伝文句にあるように)ヒーローだと看做す若者がいるとしたら、それは目出度いことである。

 ヒーローは水で薄められている・・・それは衷心から歓迎すべきことだからである。

 ヒーローは、Tシャツのロゴとして(のみ)存在せよ・・・とマルクスは言った(?)。


 
 ところで、ザック・デ・ラ・ロッチャは何処へいった?
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         




  

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2008年08月17日

映画「実録・連合赤軍」について



 今年の春、この映画を山形フォーラムで観て(上映に続いて若松孝二監督のトークや質疑応答もあった)、それについてなにかここに記そうとして、ずいぶんと時間が経った。
 この映画の印象を記すこと・・・それは、じぶんの、いわゆる「連合赤軍事件」についての考えを述べることを除いては成り立たないと思われた。
 ずいぶん昔に読んだ笠井潔『テロルの現象学』を引っ張り出して、あれこれ考えながら読み直してみたが、映画「実録・連合赤軍」にも、『テロルの現象学』にも不満で、とうてい言いたいことを旨く言えるような気がしなかった。
 そんなとき、奈良の安田有さんが主宰する『coto』16号が送られてきた。
 そこで安田さんが書いた「『実録・連合赤軍』を観る」という文章に触れて、こうして少し書き付ける気になった。

 安田さんは、森恒夫が同じ文学部の先輩だったということで、大学のキャンパスの芝生で森恒夫によく議論をふっかけていたとか、デモで一緒になったとか、そんな思い出を記している。
 じぶんは、安田さんよりちょうど10歳年下で、ということは、いわゆる「全共闘世代」とか「団塊の世代」とかいわれるひとたちから、10年遅れてきたということになる。
 1972年冬の「浅間山荘銃撃戦」を、中学生のじぶんもテレビで“観戦”した方だが、その印象は薄い。むしろ、「連合赤軍」という言葉を聴いたとき、じぶんに浮かぶイメージは、掘り返された穴の底にテープで模られた人型の図形であり、東北の田舎町であるじぶんの故郷の、あるスーパーのレジにいるという陰気な女性の姿である。前者は “総括”へ至る思想的・心理的倒錯のひたすら暗いイメージを、後者は“転向”とその後の生活のイメージを表しているかもしれない。

 1968年から始まる学生反乱の時代に、少しませた小学生のじぶんはどんな観念を抱いて生きていたかというと、それはだいぶ特殊な切迫感を伴ったものだったような気がする。
 じぶんも、高校を出たらたぶん都会へ出て行く。そしてそこであの運動に加わる。学生時代の数年を闘争に捧げ、とにかくそこで命を燃焼させる。あとは、ほんとうに命を失うか、でなければ心身に大きなダメージを受けて廃人のようになるか・・・。助かったとしても、後の人生は余生として過ごす・・・これがじぶんの人生への展望だったのだ。
 ちょうど、戦中の少年団員が、国のために特攻隊で死んでいく年長者を見ながら、じぶんも近い将来にそうするのだと希求するような想い込みがあったような気がする。その心的世界は、大江健三郎の小説「芽むしり仔撃ち」に表現されているものと近しい。
 しかし、じぶんが大学へ入った1976年には、もう学生運動の退潮は決定的であり、党派も激しい内ゲバを経て大衆とはかけ離れたものになっていた。かろうじて成田闘争が盛り上がりを見せている風だったが、未熟なじぶんにも、成田闘争が本質的には政治的にどんな意味ももたないものであることが見え透いていた。
 “特攻隊”観念(それは笠井のいう<集合観念>に近いが・・・)を抱いていたじぶんは、決定的に時代遅れで、呆れるほど滑稽な存在だった。

 「連合赤軍事件」といわれる連続同志殺害事件について、すこしはまともに考えてみたのは、30代も半ばを過ぎてからのことだったと思う。
 永田洋子の『十六の墓標』上下巻を、幾晩もかけて涙を流しながら読み進み、笠井潔『テロルの現象学』にいう<自己観念>や<党派観念>について、幼いころのじぶんの心理的な来歴と照らしながら考えを巡らすというような夜をいくつか過ごした。


 安田さんは言っている。長い引用になるが、大事な部分なので許されたい。
 「森恒夫は、共産主義化という純化された倫理に促されるように、総括という同志の処刑に手を染めていく。森は、まるで自らの持つ弱さと同じものを他者(同志)のなかに見出し、その弱さを殺す(つまり結果として他者を殺す)ことによって、指導者として自らがまず強くなろうとしたのだと、わたしには映った。山岳ベースという閉ざされた空間で集団催眠にかかったように歯止めなくリンチ殺人が繰り返されていく。明日の犠牲者はわが身かもしれないという不安や猜疑心に襲われながらも、全員が加担していく(加担しなければそれがまたそれが批判・総括の対象になる)。集団心理のおそろしい罠に嵌ったかのように。誰も逃げ出さそうとしない。組織(党)の維持、いやそれ以上に革命のため、銃撃戦のために、である。
 浅間山荘に籠城しての銃撃戦が始まる。兵士の一人の、死んでいった者たちの分も銃撃戦で戦おう、という発言に反発して、一番年少の兵士(彼の兄も総括の犠牲者)が叫ぶシーンがある。『いまさらそんなこと言ったって遅いんだよ! みんな勇気がなかったんだ!』。
 ここでの<勇気>とは森ら幹部を批判する勇気であり、リンチ殺人を身を挺して止める勇気であるだろう。また監督のメッセージが込められた叫びであるように思えた。(わたしはそこに逃亡する勇気、転向する勇気を付け加えたい気がする)。ではどうしてそのことが不可能であったのか。現在からはなかなか信じがたいことであるが、それは彼らが共産主義、党、革命そういった諸々の言説(イデオロギー)に深く縛られていたからである。つまり批判することが革命放棄につながる<弱さ>であると考え(心理規制)られたからである。」
   ↑ママ

 ここに引用した安田さんの言葉は、いくつか勘所をついているように思われる。
 “勇気がなかった”というのが監督の込めたメッセージだという指摘はそのとおりだ。若松監督自身がそう発言している。そして、事件に関しても、たしかにそこはそのとおりなのだろうと思う。

 さて、映画に併せて作成された書籍『若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(朝日新聞出版)には、「総括」の具体的な過程が整理されて記録されている。
 「総括」は、それがエスカレートしていく過程で、次第に政治思想的な意義を失い、また裏切り者の抹殺という実際的意味さえも逸脱して、異常な集団心理、精神分析的な源をもつかのような転移的私怨、さらにはSM的な色彩をさえ帯びてくる。
 スターリン主義的な党派観念の下での恐怖や思考停止による追従も、もちろん大きな要因だ。当然、森や永田の個人的資質の影響も少なくないだろう。
 しかし、若松監督の映画作品としての「実録・連合赤軍」は、この事件の本質をいまひとつ明らかにできていない。

 若松監督の発言を聞いていると(それは山形フォーラムにおける上映後のトークでも、上記の書籍に収められた対談でも同じだが)、簡単に括ってしまえば、かれは連合赤軍事件を以下のように総括しているようにみえる。
 つまり、かれら連合赤軍の若者たちは、まじめに社会変革に取り組もうとして、道を誤ったのだ。それは、ひとつには指導者が悪かったからだ。(なにしろ赤軍派の幹部は大菩薩峠でほとんど逮捕されてしまっていた。)
 そして、“カミソリ”後藤田正晴警察庁長官が率いる警察権力のシナリオに従って泳がされ、追い詰められ、異常な心理状態に至らされて、結局は「左翼は悪い奴らだ」という印象付けのために利用されたのだ・・・と。
 このことを踏まえて、若松監督は、あさま山荘で少年に叫ばせるセリフに、集団心理に身を任せることなく、恐怖を乗り越え、勇気をもって本当の闘いへ向かえというメッセージを込めている。

 じぶんは、この見方はあまりに薄っぺらだと思う。ただし、この映画にその視線がみてとれるように、当時の若者たちを抱擁しようとし、それを後代に伝えようとする(団塊の世代より上の)年長者の存在は、この時代にあっては、とても貴重だとも思う。
 それを感じ取った上で、あえて奇妙な言い方で言わせてもらえば、連続リンチ殺人事件としての連合赤軍事件の本質は、一生懸命お勉強をして大学に入った生真面目な、そして不器用な人間たちによって引き起こされたところに存在するのだ。
 つまり、若松監督のような、良い意味で自由人的な感性と経歴の持ち主には理解できない部分がある。それこそが問題なのだ。

 ところで、安田さんは、その暗い部分を、引用部の最後のところで指摘している。
 かれらはイデオロギーに縛られていたからだ・・・と。
 でも、やはり、これだけではまだ足りない。

 なぜ“共産主義化”という観念が生まれたのか。
 共産主義化とは、じぶんなりに言い直すと、暴力革命の達成という目的のために、党と党員個々人を、現在の支配権力(というよりはむしろ自分たちをめぐる状況)に“絶対に負けない”強固な心身として組織することだ。
 しかし当面は、党派としては敵に対して物理的にまったく敵わないし、党員個々人だってサイボーグ009みたいに超人的な身体能力を持てるわけではないのだから、共産主義化とは、ようするに、精神的に強くなること、そして強くなれるという信念を持ち続けることなのだ。
 圧倒的に不利な状況のなかで、拠るべきもの・・・それは、日本人(というかアジア人)お得意の、集団的精神主義だ。だが、笠井潔がいうように、その精神主義が、“弁証法”という心理機制をもっていたところが、より深刻な事態を招いたのだと思う。

 そう。笠井は、たしかに「弁証法」という言葉を使っていたと思う。
 弁証法とは、もっと多様で豊かな方法であり、ここで過ちの根源みたいに指名手配するのは可哀想だが、しかし、この言葉(のここでの用法)は、たしかに旨く連合赤軍事件の心理機制や観念の肥大化の在り様を言い表していると思われる。
 論旨が混乱するので、もう笠井の『テロルの現象学』には拠らない。
 「弁証法」ということばで言い表されようとしていることは、程度の低いオツムを捻ってじぶんなりに述べてみれば、以下のような事情だ。

 ここで弁証法とは、一言でいえば、対立物あるいはこちらを否定してくる要素を自らに取り込んで、それを飲み込みながら肥大化していく観念の運動性である。
するとこの場合、対立物、否定要素とは何であったか・・・。

 「総括」は、まず、銃の扱い方がぞんざいだとか、山越えの際に水筒を忘れてきたとかいうミスに対して始められる。次に、化粧をしているとか、男女関係があるとか、戦士としての気の緩みに向けられる。また、警察に逮捕されたときの対応だとか、幹部の意向に沿わなかったとか、逃亡の恐れがあるとか、他者の総括=リンチに真剣に取り組まなかったとかを理由として、いわば組織統制のために行われる。そして、やがて指導部を裏切る可能性のある者(つまり、かつて現在の指導部に成り代ろうと考えたことがある者)への“粛清”(処刑)に至る。
 「総括」は、まず言葉による告発により、次に正座や労役という教育的強制により始まるが、やがて運動部的な暴力による“カツ”入れへと強化され、次にロープによる拘束と野外への放置という制裁へとエスカレートする。さらにその先に、指導者の明確な意図により行われた処刑すなわち粛清があった。
 「共産主義化」を勝ち取るための「同志的援助」として始まったはずの「総括」は、制裁の意図と未必の故意による刑死、そしてはっきりとした殺害の意図をもった粛清まで、不分明に繋がっている。

 安田さんは、森恒夫は、自分の弱さを他者に見て、他者の弱さを潰すことで自らが共産主義化を成し遂げようとしたのだと言う。
 しかし、じぶんなりに言い換えれば、森は(そして積極的に「総括」に加担した者たちは)じぶんの弱さを相手に見ていたばかりではない。相手の弱さを観念化し、じぶんに取りこもうとしていたのである。

 他者の弱さという対立物や否定要素は、やがて自らに取り込まれ、「総括」によって乗り越えられる。
 しかし、ここでその観念の倒錯的な運動が止まることはない。共産主義化という弁証法的性向は、その肥大化・汎溢化の性向によって、次の対立物、否定要素を探し続けなければならない。たぶん、次なる対立物は、目前で呻き、苦しむ人間に対して抱く同情や憐憫や迷いであるだろう。そしてやがては、それらに考慮を払わず、「総括」や粛清で同志の命を奪っていく党の苛酷さや穢れ・・・それらの否定的要素さえもがこの弁証法的性向の養分とされていく。
 これからは「銃による殲滅戦」を戦わなければならない。人の死という対立物(敵と味方の両方の死)を乗り越えなければならない。いわば、それらの対立物や否定要素を血肉化し、自らに取り込んで自分を豊饒化し、強化するのだという、その観念的自己膨化・・・。

 たしか、妊婦だったある女性同志を「総括死」させるところで、その女性が「総括」に耐えられずに敗北死するのは彼女が弱かったからだが、その胎児は彼女とは関係ない(彼女のものではない=“われわれ”のものである)から、彼女から“奪還”しようとする場面が(たぶん『十六の墓標』に)あったと思う。
 この場面はとても象徴的だ。観念の弁証法的な自己膨化は、自他の世界の区別、可能性と不可能性の区別を、“止揚”している。
 指導部のナンバー1であった森恒夫と、ナンバー2であった永田洋子の「共産主義化のための“結婚”」も、その視点から捉えられる。
 森には妻子がおり、永田も、連合赤軍として行動を共にしていた坂口弘を夫としていた。世間的に言えば、W不倫の末の略奪婚ということになるが、これを倫理的な観点から批判しても無意味なばかりでなく、他の同志の恋愛関係を「総括」の理由にしてきたくせに・・・と、そのダブル・スタンダードを批判してもナンセンスだ。ここでは、革命党の指導者としての存在たる二人と、男女関係にある二人との対立が“止揚”されている。

 観念が、すべての対立物、否定的要素を飲み込んで、肥大化している。
 連合赤軍がやっていることは、山の中を逃げ歩き、次々と同志を殺し、その死体を埋めることだけだ。
 だが、この観念の弁証法的な自己膨化により、自他の世界は輪郭を失い、内向的“革命”が進行する。・・・観念にとって、革命とは、すべてを奪取することだから。
 連合赤軍事件は、このことを、まるで実験室で行われた観念実験のように“表現”してしまったのである。


 ここで私が書き記したことは、たぶん多くの人には、理解されないだろうし、むしろ理解されない方がいい。
 また、笠井潔の「弁証法」に関する論及を、じぶんなりに勝手に敷衍(歪曲?)して述べているので、関心のある人は、『テロルの現象学〜観念批判論序説〜』(1984 作品社)を読んでみてほしい。
 それから、これもあえて記すが、永田洋子の『十六の墓標』は、日本文学史に残すべき作品だと思う。
 
 私は、どちらも、もう、あまり読み直す気になれないが・・・。  (了)                                                                                                                                                                                      



  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 18:42Comments(0)映画について

2008年05月09日

映画「ノーカントリー」



 山形フォーラムで、コーエン兄弟(Joel Coen & Ethan Coen)の「No Country For Old Man」を観た。
 劇場で映画を観るのは、ほんとうに久しぶりだった。なにしろ、フォーラム・ソラリスの会員証の期限(半年)が切れていた。それもずいぶん前に。
 それで、というわけでもないが、この映画には“ああ、映画を観たなぁ”と思わせられた。
 そういう意味では、これはとても印象的な作品だったし、それゆえ宣伝文句のとおり、コーエン兄弟の「傑作」ということになるのだろう。
 だが、世評の高い(らしい)この作品について、天邪鬼たるじぶんは、あえて愚かな評言を述べ、あえてつまらないケチをつけるとしよう。


 この作品は、いくつかのとても映画的で、優れたシーンをもっている。
 まず、始まりのシーンがいい。テキサスの砂漠に、獲物を狙うハンターが現れる。
 ライフルの照準器の向こうに草食動物が現れ、銃弾が発射される。動物は、尻に銃弾を受け、半矢のようなようすで走り去る。
 そして、ハンターは、その砂漠で、メキシコ人らしい犯罪組織の麻薬取引をめぐる銃撃戦の現場、すなわち穴だらけになった車や散乱する死体に遭遇し、そこで、深手を負いながらもひとりだけ生き残っていた男に、水をくれ、と頼まれる。
 ハンターは、水はない、と答えて立ち去る。
 現場に落ちていた血の跡をたどってゆくと、鞄を脇に抱えて息絶えている男をみつける。ハンターは、大量の現金が入ったその鞄をネコババする。
 そしてじぶんの家に帰り、就寝するのだが、夜更けにがばりと起き上がり、水をもって現場に戻る。・・・・この起承転結の“起”の部分が素晴らしい。これが映画だ!というシーンが続き、作品世界に惹き込まれていく。

 つぎに、このハンターを追跡する冷酷な殺し屋が登場する。
 それがハビエル・パルデムというスペイン出身の役者が演じるアントン・シガーだ。
 この登場人物の髪型がまた異常者的でいい。前髪を8:2くらいに掻き分けたオカッパ調だ。
 強烈な存在感をもって描かれるこの殺し屋の、標的に迫りくるその迫り方というものが、いかにも“こわい”(淀川長治調で)。
 映画の宣伝HPにあるインタビューで、ハビエル・パルデムはこの主人公の役を「神話的」殺人者として受け止めて演じたと述べている。
 たしかに砂漠の雑貨屋で買い物をし、そのレジにいる店のオヤジにコイン・トスをして、表か裏か答えさせる場面の、サイコパス的な凄みはなかなかのものである。
 そして、自分を追跡者として雇ったボスを含め、他者に対して極めて規範的かつ厳格に対応し、標的と自分の内的基準から外れた者については、有無を言わせず殺し尽くす。・・・その人物造形は、(無表情で標的に迫ってくる描写や怪我を自分で手当てするシーンなどで、ちょぴり「ターミネター」を連想させるとしても)とても印象に残る。

 なぜそれが印象的なのか、振り返って考えてみる。
 まず、この役を演じている男が、アングロサクソン風ではないこと。顔が大きいこと。英語の発音がくぐもっていて訛っている(らしい)こと。・・・ハビエル・パルデムの役柄上の風貌は、なにか原理主義的な求道者のようで、その髪型と相俟って一種アメリカ原住民の血が流れているような印象さえ与える。
 ようするに、作品における人物像の設定とそれを演じる役者の存在感。この、いわば基本的要素によって印象的なのだ。
 コーエン兄弟は、この基本的要素を、ためらうことなく、どん、と観客の前に突き出す。

 つぎにこの作品に陰影を与えているのは、トミー・リー・ジョーンズ演じる老保安官である。
 老成のなかにも幾許か癖があり、まじめなのかいやいや仕事をしているのかわからない。
 かれはこの事件を追うのだが、繰り返される殺人への対応に疲れたかのように、なぜか突然リタイアしてしまう。・・・それは「逃亡者」の執念深い刑事役と対照的だ。
 映画の最後は、保安官を辞職した翌朝、朝食のテーブルでこの老人が、老妻に昨夜見た夢の話をするところで唐突に終わる。
 この終わり方もまた、映画的といえばきわめて映画的だ。
 ここでも、コーエン兄弟は、この作品のテーマらしきものを、ぽん、と観客の前に放り出して消える。

 もうひとつ、憎らしいのは、金を持って逃げた男が殺される場面の構成である。
 一度は殺し屋と銃撃戦をして深手を負いながら命からがら逃走するのだが、その最後は誰に殺されたのか明らかにされない。
 道を歩いていたら、その道に面したホテル(?)のプルーサイドから、女にビールを飲んでいかないかと誘惑されたところで場面が転換し、再びその現場の場面になると、すでにその建物の中で死体となって横たわっている。
 殺し屋との対決を期待していた観客は肩透かしを食わされる反面で、あっ、と声をあげ、そして舌打ちしてしまう。
 ここでも、場面の提出の仕方は唐突で、その構成は秀逸である。

 だが、しかし、このように観客の前に登場人物の存在感や唐突な喪失を直截的に放り出すという手法は、あざやかといえばあざやかで印象的なのだが、ずるいといえばずるいのである。
 ようするに、この作品には比較的明確なストーリーがあるのに、本質はコラージュになっている。
 作品を作る方法の“いいとこ取り”なのだ。


 さて、この作品にはコーマック・マッカーシーによる小説の原作があるのだが、それはそれとして観客は「No Country For Old Man」というこの映画作品のテーマが意味するものは何かと考えさせられる。
 じぶんのような上等でないアタマでは、麻薬や金をめぐって殺し合いが果てしなく続くこの世で、さらには「神話的」な殺し屋まで“活躍”する現在において、それについていけない者、つまり古きよき時代をいまだに「人間的に」生きるしかない老人には、住む土地がない、生きる世界がない、ということを描こうとしているのか・・・と、至極単純な考えに傾く。
 そしてせいぜいアタマを廻らしても、この老人の“住む世界がない”という状況は、反転して、「神話的」あるいは求道的に殺しを続けていく主人公にとっても、“住む世界がない”のだという凡庸な理解へと繋がり、やがて世界全体の殺伐さ=<殺伐さとしての世界>の感受へと繋がるだけだ。


 じぶんは、この作品のもつ雰囲気、つまり殺伐さと人間らしさのリニアな提出の作法が、けっこう好きだ。これは「ファーゴ」にもあったような気がする。
 そして、世間から、作品としては高く評価されることについても、まぁそんなものだろうなと思う。
 しかし、あえて難癖を付ければ、この映画作品は、“映画という方法”に甘えている。
 “映画という方法”に甘えられる人間と、それをホイホイたたえる映画ファンが、天邪鬼なじぶんは、どうも好きになれない。
 じぶんこそが、“映画的なるもの”を求めて映画館に足を運んでいるというのに。


 ・・・・あっは。
                                                                                                                                                                                                                                       
  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 20:37Comments(1)映画について