C3
http://n-da.jp
http://shitohihyou.n-da.jp
詩と批評(高啓)
http://shitohihyou.n-da.jp
山形の詩人、高啓(こうひらく)のブログです。
山形県詩人会事務局を担当しています。
個人出版社「高安書房」を運営しています。
ja
Thu, 04 Jan 2024 16:55:55 +0900
Sun, 06 Nov 2022 18:48:33 +0900
http://blogs.law.harvard.edu/tech/rss
CLOG
高 啓(こうひらく)
http://shitohihyou.n-da.jp
-
岳父入滅論、やがておれも。
2023年12月、それまで約38年間同居してきた義父(妻の父)が亡くなった。
高啓詩集『二十歳できみと出会ったら』所収の作品「岳父落下論、そしておれも。」に出てくる「岳父」すなわち「ジジ」である。
3か月前に脳出血を起こして緊急入院し、意識がはっきりしない状態が続いていた。2乃至3度目の誤嚥性肺炎でついに力尽きたのだったが、それにしても心臓は逞しかった。
ジジの、同居する前50年余りの人生についてじぶんが知っていること(本人や家族から聞いたこと)はごく限られているが、こういう人物がこの世に生きていたという証として、ここにその概略を書きつけておきたい。
ちなみに、彼を「ジジ」と呼んできたのは、筆者がいわゆる「マスオさん」として妻の実家に住み始めたとき(ジジはまだ50代前半だったが)、筆者夫婦にはすでに子どもがいて、同居の初めから彼がその子の祖父だったからである。
さて、ジジは昭和6年(1931年)、北海道の利尻島で生まれた。
まだ母親のお腹の中にいるうちに結核で父親が亡くなり、生まれてすぐ母親の故郷である新潟県の柏崎に引っ越すことになる。その後、母親の再婚にともなって義父のもと東京都世田谷区、山形県西村山郡西川町と転居を繰り返した。
なお、ジジの母親は生涯で4人の夫を持った。1人目から3人目まではすべて病死したようだ。ジジは2人目の夫の子。1人目の夫との間にひとりの女児(ジジの異父姉)、3人目の夫との間にもひとりの女児(ジジの異父妹)が生まれている。ジジの母親は、縁あって山形県天童市の4人目の夫のもとに後妻として3人目との子を連れて嫁ぎ、そこでは子どもは生まれなかったが、夫やその前妻の子どもと落ち着いた暮らしをして天命を全うした。
ジジの母親の3人目の夫、つまりジジが実際に一緒に暮らした義父はかなり変わった人物だったという。当時は「超エリート」だった東京帝国大学卒。東京で出版か執筆かの仕事をしていたらしいが、戦中か戦後かは定かではないが、突然山形県西川町の山間部に移住し、自給自足のような生活を送り始めた。
この義父からジジはかなり厳しく育てられたようだ。「雨で体が溶けることはない」と言われ、寒い雨中での仕事も強いられたという。このころのトラウマか、高齢になってからのジジはとにかく水道の蛇口から出る冷水に手をかざすのを嫌がっていた。戦中及び戦後の混乱期に義父の下での生活がどのようなものだったか、生前にジジが語ったことはごく僅かだった。
高校を卒業した後は生活の自立のために自衛隊の前身である保安隊に入隊し、北海道の千歳で勤務した。そこがジジの青春の思い出の地となったのだろう。同期の元隊員たち数人との交流は、ジジ以外の全員が亡くなるまで続いていた。
その後、山形県東根市の神町(自衛隊の駐屯地がある)に移り、除隊。すぐに父親同士の縁で山形市の女性(筆者の妻の母。以後、「ババ」という。)と結婚し、ババの父親(つまりジジの舅)の意向によってその家の婿になった。
この舅(筆者の妻の母方の祖父)もまたきわめて個性的で我儘な人物だったという。ババによれば、もともとこの人物は山形市内で魚屋を営んでいたが、魚屋は妻にまかせて、自分は宮城県塩釜市に魚の干物工場を立ち上げた。戦後復興の時勢にのったのか一時は事業が成功し羽振りもよかったようだが、やがて経営は破綻したらしい。あるいは、相場か何かに手を出して大やけどしたのかもしれない。ババはこの自分の父親を「山師のような男」と言っていた。私生活でも妻子を泣かせるようなことをしたと聞く。なお、この「山師」は妻との間に少なくとも2男3女をもうけていた。第一子が男の子だったので本来はその子に後を継がせるところだが、この長男は父親の支配を嫌って東京へ逃げて行ったらしい。第二子である長女は病弱だったことから、第三子である次女(つまりババ)に婿をとることにした。
というわけで、ジジはこの干物工場及びその他の事業の跡継ぎに迎えられたはず、だった。
しかし、実の息子が逃げ出すようなオヤジである。まじめで我慢強いジジもこの舅の扱いに我慢の限界が来て、一人東京へ逃げ出す。ババは赤ん坊だった一人娘(後の筆者の妻)を抱えてその後を追う。
ジジは「大同製鋼」という製鉄会社に就職し、労働環境の厳しい溶鉱炉で働いたらしい。東京都葛飾区の小さなアパートでの妻と娘の3人での暮らしは経済的に苦しかったというが、ジジにとってはこれが初めての水入らずの家庭生活だった。
だが、3年ほどでこの生活にも終わりが来た。舅が亡くなり、未亡人である義母に家の跡を継ぐために帰郷するよう依願され、山形市の妻の実家に入ることになったのである。
山形に戻ってありついたのは、それまで未経験だった土木測量の仕事だった。どういう伝手だったのかわからないが、村山市の測量会社に職を見つけ、必死で仕事に取り組む日々が始まった。この時代(昭和30~50年代)の男の多くがそうであったあったように、「仕事人間」になり、家庭を顧みる余裕はなかった。何泊も続く県外出張の現場仕事も頻繁にあった。
高度経済成長期、土建業界は繁栄し測量業界も拡大していた。ジジの入社した会社は山形県内の測量コンサルタントとしてはトップクラスの規模になっていく。
ところで、この会社には労働組合があった。個別の企業労組(単位組合)としては闘う組合だったようで、経営者は労働組合を嫌ったのか別途子会社を立ち上げる。ジジはその忠誠心(?)を買われたのか、そもそも他人との揉め事自体を嫌う性格だったこともあるが、その子会社に移され、そこでも地道に業績を上げていく。そして50歳前後で、親会社の社長が山形市に作った別の子会社を預けられる形で、下請け・孫請け専門の、社員数人という零細測量会社のいわゆる〝雇われ社長〟になったのである。これでジジは村山市への遠距離通勤からやっと解放された。そしてそこで62歳まで働き、引き留めを断ってすっぱり仕事を辞めた。
この間に家庭生活にも大きな変化があった。依願されてババの実家に入ったと思ったら、ババの姉夫婦が実家に帰ってくることになって、ジジとババとその娘(同前)の3人はこの実家を出ることになる。これが48年前のことである。
ジジは山形市郊外の田んぼを潰して造成された住宅団地に土地を購入し、そこに今の家を建てた。この家がやっと彼に安住の場所を与え、そしてそこが終の住処となったのである。
ところで、山形市内に一戸建ての小さな賃貸住宅を借りて暮らしていた筆者家族がジジとババの家に同居することになった経緯は、拙著『非出世系県庁マンのブルース』(2022年刊、高安書房)に記したので、ここでは触れない。ただ、同居した筆者と舅であるジジの関係は(前記の詩作品で少しだけ描かれているが)、ちょっとシビアなものだった。
50代のジジと30代の筆者は、突然のジジの癇癪を機に何度も大ゲンカをした。ジジには弛緩した筆者の生活態度が許せなかったのだが、ジジは他人に逐一注意をしたり、あれこれ指示したりする人物ではなかった。とにかく限界まで無言で我慢して平静を保ち、堪忍袋の緒が切れたところで爆発するのである。
筆者が気を許して休日に居間に寝転んでテレビを眺めていると、いままで何も言わなかったジジが、「なんでここに寝っ転がってるんだ。自分の部屋があるだろう!」と怒鳴り、積りに積もった腹立たしさで突然の叱責を加えてくる。こういう突然の爆発はこちらの心臓に悪いし、筆者も興奮して、思わず売り言葉に買い言葉を返してしまうのだった。ときには手も出る足も出るということもあったし、物を投げつけあったりもした。
ところが、ババという人は賢い人で、筆者とジジが険悪になりかけると、決まって筆者の味方をし、間に割って入ってジジのことをひどく批判しはじめる。つまり、婿と舅の喧嘩を姑が買い、舅が仕事人間で家庭を顧みなかったことを責めたてて、あっという間に舅と姑の夫婦喧嘩に転化してしまうのである。ときにはわが妻もババに加勢してジジを批判する。これでは夫vs妻子の喧嘩になってしまう。こうなると筆者は嫌でも落ち着きを取り戻し、その喧嘩を止める側にまわるしかないのだった。
筆者とジジのこうした関係は、だが年月を経て次第に穏やかなものになっていった。とくに、ババが進行癌となり、その治療及び再発転移から最期にいたるまで筆者が彼女に寄り添ったことから、ジジの筆者に対する気持ちが変化していった。そして、ジジ自身が重傷を負った2度の大怪我(うち2度目の怪我では脳挫傷・外傷性クモ膜下出血で死にかけた)から回復するのにも筆者が手を差し伸べことで、関係はそこそこ良好なものになっていった。後期高齢者となって、ジジは筆者の助言も聞き入れたのだった。
地域との関係について記せば、退職後に2年ほど地区の区長を務め、老後はゲートボールや老人クラブ(今時「老人クラブ」などと名乗ってはいないが)のイベントなどで、地域の高齢者たちにたくさんお付き合いいただいた。そこで見せるジジの表情は、いつもにこやかで穏やかなものだった。
ジジの人生の前半は苦難の多い道のりだったと想像するが、今の自宅で暮らすようになってからの48年間は、落ち着いた生活だったと思う。とくに最後のこの20年余りは、妻に先立たれたとはいえ同居している実の娘に大切にされ、孫やひ孫たち(5人のひ孫たちは彼を「ヒージイ」と呼んだ)に愛され、親類や地域の人たちとも和やかに交流することができて、穏やかで幸せな日々だったように思われる。
じぶんは自宅のジジを失うまえ、10月に実家の兄(87歳)を亡くしている。
これで年上の男性親族はひとりもいなくなり、いよいよじぶんにも鬼籍に入る順番が近づいてきたという想いを抱く。じぶんの勝手な想いでは、最後まで酒と煙草をやめなかった明治生まれの実父の寿命85歳を超えることと3歳ほど年下の今上天皇より早くは死なないことを目指しているので、まだまだ倒れるわけにはいかないのだが、しかし確かに残された時間を意識して日々を送らねばならない段ではある。
あっは。ジジのことが好きだったわけではないのにジジの居なくなった家は想いのほか寂しい。とりあえず身勝手なじぶんを迎え入れて38年も一緒に暮らしてくれたことに感謝はしているが、それにしてもこれはどうにも不思議な感情なのである。合掌。
(注)写真はジジが最後に入院していた病棟からの展望。
http://shitohihyou.n-da.jp/e860301.html
http://shitohihyou.n-da.jp/e860301.html
Thu, 04 Jan 2024 16:55:55 +0900
-
秋田魁新報にエッセイが掲載されました。
秋田魁新報2023年10月18日号の8面(文化)に、高啓のコラム「このモヤモヤ感はどこからー『隣国』山形からみた古里湯沢と秋田―」が掲載されました。担当記者の依頼に応えて寄稿したものです。
このコラムは1600字程度という指定でした。これだけの字数を与えられたうえ、比較的自由に書かせていただきました。秋田魁新報社およびご担当者に感謝申し上げます。(なお、「このモヤモヤ感はどこから」は新聞社がつけたタイトルです。)
山形新幹線の新庄以北延伸をめぐる山形県側と秋田県側の姿勢に対する筆者の考え、秋田県内における県南(とりわけ湯沢雄勝地区)の存在感の問題を捻りを込めて記述しています。また、湯沢駅前に湯沢高校出身の菅前首相の胸像が建てられたことについての感想も書かれています。
ある方から、「刺激的かつ湯沢愛にあふれた内容で、読者の共感(または反発)を得るものと思います。」とコメントをいただきました。
ちょうどこのコラムが掲載された日、湯沢高校の80周年祝賀会が開催されたそうですが、その会場でも話題になったようです。
共感か反発か・・・どちらでもいいので、湯沢雄勝の皆さんに、この文章からすこしでも刺激を受けていただけたなら幸いです。
この文章を読んで筆者に関心を持たれた方は、ぜひ高啓の著書をお読みください。
『非出世系県庁マンのブルース』(高安書房・2022年刊)、『切実なる批評-ポスト団塊/敗退期の精神-』(同・2023年刊)は、高安書房のHPをご覧のうえお申し込みください。なお、地元の書店に注文いただいても、あるいはネットショップでも購入できます。書店への注文の際は「地方・小出版流通センター扱い」とお申し付けください。
http://shitohihyou.n-da.jp/e858752.html
http://shitohihyou.n-da.jp/e858752.html
作品情報
Sun, 22 Oct 2023 14:33:39 +0900
-
『切実なる批評-ポスト団塊/敗退期の精神-』所収の黒田喜夫論について
高啓著『切実なる批評-ポスト団塊/敗退期の精神-』について、川岸則夫氏から手紙をいただきました。
「黒田喜夫論がとくに小生の目を引きました。というのも、黒田さんの詩を演劇的・映画的な方向から分析する評論は余り見たことがなかったたからです。(中略)小生も例外ではなく、その辺りの魅力に引きずられて黒田詩を読み始めた一人でした。黒田詩というと、その背景となる出自や政治的背景ばかりに目が行き勝ちですが、そろそろ貴兄の論文のような方法論的な接近、分析も必要かと思います。」とあり、嬉しく思いました。
さて、この黒田喜夫論は、詩誌『山形詩人』96号(2017年10月)に「黒田喜夫における演劇的な詩の位相とその行方について」と題して発表したものです。
作品「空想のゲリラ」を<映像的=一人称ドキュメンタリー的>、「ハンガリアの笑い」を<映画的>、「毒虫飼育」を<演劇的>な作品ととらえ、黒田喜夫の表現と思想の中心に置かれた《飢え》が、それ自体の本質として自己否定の弁証法過程を辿っていくものであることを手掛かりに、「毒虫飼育」に結実した《演劇的な詩》の地平を明らかにしています。
このような黒田論は、高啓が学生時代に演劇にかぶれた経験を持っていなければ書かれることはなかったでしょう。
高校時代、現代国語の授業がつまらなくて教師の目を盗んで勝手に読んでいた副読本のなかに黒田喜夫の詩を見つけ、名状しがたい衝撃を受けました。70年代の終わり、山形大学の学生だった高啓は、当時山形県内の文学活動の仕掛け人のような存在だった安食昭典氏から晩年の黒田も同人に名を連ねていた詩誌『幻野』に誘われ、同誌に論稿(黒田喜夫論ではありません)が掲載されたことを単純に嬉しく思ったものでした。黒田喜夫の詩は久しく特別な存在でしたが、黒田の詩と出会ってから40余年を経て、本論を書くことで一定の決着をつけたように思います。
1枚目の写真は上山市立図書館「夭折の芸術家 蔦谷一行没後30年作品展」(2023年7月27日~9月24日)から。
なお、この作品展に展示された蔦谷一行(1955-1993・上山市出身)の作品は、新庄市内で「アトリエ・山形現代美術館」を運営している渡部泰山氏の所蔵とのこと。渡部氏は高校教師をしながら、県内や東北の無名(有名になる前の)美術作家の作品を自費で収集してきたそうです。そのコレクション(山形現代美術館に展示)は同氏の慧眼を窺わせます。
2枚目の写真(逆光のため写りがよくない)は、蔵王坊平高原に設置されている蔦谷一行の彫刻作品「山の番人」。
この夏、避暑のため坊平を訪れた際にこの作品を見つけてちょっと驚きました。いままで何度も同じ場所を訪れていたのに、ちゃんと観た(意識して視た)のはこのときが初めてだったのです。このときは、これがあの蔦谷一行の作品だとは気づきませんでした。
http://shitohihyou.n-da.jp/e858300.html
http://shitohihyou.n-da.jp/e858300.html
作品情報,批評・評論
Thu, 28 Sep 2023 16:37:49 +0900
-
『切実なる批評』-ポスト団塊/敗退期の精神ー』配本しました。
高啓著『切実なる批評』-ポスト団塊/敗退期の精神ー』を下記の通り配本いたしました。税込み2,620円です。
本書の内容についてはこちら(高安書房のサイト)をご覧ください。
【山形県内の皆さま】
以下の八文字屋書店各店に販売委託しています。
本店 山形北店 TENDO店(天童市) 鶴岡店 こぴあ店(鶴岡市) みずほ店(酒田市) 丸井店(新庄市) 長井店 外商部 泉店(仙台市) セルバ店(仙台市泉区)
(注)2023年9月16日現在、八文字屋本店では、『切実なる批評』は郷土出版物の書棚に置かれています。雑誌「震災学」の隣です。
【全国の皆さま】
「地方・小出版流通センター」扱いで大手取次から各書店に(注文があれば)配本されます。地元の書店にご注文ください。
また、2023年9月16日現在、「紀伊國屋書店ウエブストア」「honto」「楽天ブックス」「セブンネットショッピング」「オンライン書店e-hon」「univ.coop」(大学生協)などのネットショップで購入可能です。
なお、下記の書店には配本されています。
ジュンク堂札幌店 紀伊國屋書店札幌本店 ジュンク堂旭川店 ジュンク堂弘前店 ジュンク堂盛岡店 ジュンク堂郡山店 喜久屋書店宇都宮店 紀伊國屋書店新宿本店 ジュンク堂池袋店 三省堂書店池袋本店 ジュンク堂吉祥寺店 ジュンク堂大宮高島屋店 丸善丸の内本店 ジュンク堂藤沢店 丸善名古屋本店 ジュンク堂新潟店 丸善松本店 丸善京都本店 ジュンク堂大阪本店 紀伊國屋書店梅田店 M&J梅田店 ジュンク堂難波店 ジュンク堂三宮店 丸善広島店 ジュンク堂福岡店 ジュンク堂那覇店
【追記】
これまで清算のため県内各書店から一旦引き上げていた高啓著『非出世系県庁マンのブルース』も山形県内の八文字屋書店各店に再配本しました。どうぞ手に取ってご覧ください。
http://shitohihyou.n-da.jp/e858053.html
http://shitohihyou.n-da.jp/e858053.html
作品情報
Sun, 17 Sep 2023 11:23:58 +0900
-
高啓著『切実なる批評―ポスト団塊/敗退期の精神』刊行
高啓が1981年から2021年までの間に発表した論考から成る社会・思想・文芸批評論集
『切実なる批評―ポスト団塊/敗退期の精神―』が高安書房から刊行されました。
こちら(高安書房のサイト)から内容をご覧ください。
http://shitohihyou.n-da.jp/e857890.html
http://shitohihyou.n-da.jp/e857890.html
作品情報,高安書房
Sat, 09 Sep 2023 11:23:48 +0900
-
やまがた現代詩ミーティング2023
山形県詩人会主催 【現代詩ミーティング 2023】開催のお知らせ
第1部文学講演会
「詩歌の現在―日本現代詩歌文学館から見えてくるもの―」
講師: 豊 泉 豪 氏
(日本現代詩歌文学館・館長補佐、盛岡大学非常勤講師)
日本現代詩歌文学館(写真)は1990年に岩手県北上市に開館。全国規模で現代の詩・短歌・俳句に関する資料を収集している文学館です。この館の理念と現状、そして同館の所蔵資料やデータから、日本の現代詩歌の現状をお話しいただきます。
第2部 参加者自由討議〝私の気になる現代詩〟
【報告1】「ありふれた日常の一場面から異化された別の風景へ連れていく作品」
―「ユリイカ」への投稿詩・鎌田尚実「スチール」が投げかけるもの―
報告者 山形県詩人会理事 柏倉千加志氏
【報告2】「子供視点」が気づかせる〝全く知らなかった自分〟
―谷川俊太郎の詩「はだか」を読んで―
報告者 山形県詩人会会員 松木 裕人氏
日 時 :2023年9月9日(土)14:00~16:50 (開場13:30)
会 場 :山形市 遊学館 3階「第二研修室」 参加費:無料
申込み:山形県詩人会事務局(高啓(こうひらく)方)
【参加申込】
電子メールで9月4日まで下記アドレスに申し込みください。
yamagata_poesy@yahoo.co.jp
電子メールを使用できない方は、下記に電話し、留守電に参加申込の旨と氏名・電話番号を録音してください。 023-645-4032
県立図書館駐車場(遊学館西側平面P及び文翔館東側立体P)をご利用の場合は、入館時と退館時に入口で駐車券を提出して電磁的処理を受けると2時間まで無料となります。
http://shitohihyou.n-da.jp/e857219.html
http://shitohihyou.n-da.jp/e857219.html
山形県詩人会関係
Sun, 06 Aug 2023 10:02:48 +0900
-
『非出世系県庁マンのブルース』の「はじめに」
高啓著『非出世系県庁マンのブルース』(高安書房)が各ネット書店(Amazon含む)で購入できるようになったことに伴い、本書の前書きにあたる「はじめに」をここに掲載します。
はじめに
凡人の回顧録、とりわけ仕事に関する回顧録というのは、ほとんど自慢か自虐になってしまう。だから他人は読む気がしないのだと、どこかで聴いた記憶がある。この書もまた、この轍から自由になれていないことだろう。
山形県庁の日陰の一職員に過ぎなかった者の回顧録を、誰が進んで手に取ってくれるものだろうか、人を傷つけるかもしれないものを書き残す意義がほんとうにあるか、こんなものは所詮出世できなかった奴の恨み節ではないか・・・などと、幾度も幾度も刊行を逡巡した。
しかし、このネガティヴな考えに対して、無理やりポジティヴな考えを対置してみる。
ひとつは、山形県(または山形県政)における知られざるささやかな歴史を、幾許かは興味をもってもらえる形で、つまりは斜角から記録しておくこと。
もうひとつは、県職員もしくは自治体職員あるいは「公務員」という存在に対する固定概念に、いささかなりとも放蕩と遊撃の作風(ベタな言葉で言うと〝ロマン〟ということになる)が差し込む風穴を開けておくということ。
これらを、県組織、関係者及び著者自身の清濁を併せて描く輩は、そこここに何人もいるわけではないだろうという想いである。
そもそも、これまで六冊も詩集を上梓してきた自意識過剰のじぶんである。この書によって、たとえ傲岸ときには醜悪でもあるわが身を晒すことになろうとも、じぶんが生きてきた証をこの世界に刻み付けておきたいという欲求に抗うことはできない。
本書の各章は、時系列で並んでいるわけではない。未知の読者が手にとってくれたとき、少しは関心をもって読み進んでもらえるように、各章を独立した形で記述し、それを変化に富む順番で並べてみた。
県政の裏面史に関心がある方は、「第Ⅰ章 秘密指令! 県費三五〇億円を防衛せよ。」、「第Ⅲ章 米沢の能舞台はなぜ空気浮上するのか」、「第Ⅳ章 最後の紅花商人」を先にお読みいただきたい。行政事情を云々されるのに退屈される方は、第Ⅳ章から取りかかっていただけると読み進み易いかと思う。
また、社会福祉に関心のある方は、「第Ⅱ章 ケースワーカーはキツネでござる」、「第Ⅴ章 介護事業所の勧誘ローラー作戦は許容さるべきか」からお読みいただきたい。
さらに、組織の論理と自分の倫理や矜持のはざまで悩んでいる方には、「第Ⅲ章」と「第Ⅴ章」を紐解いていただきたい。
そして、もし筆者の来し方に関心をもっていただけたなら、「第Ⅵ章 要領の悪い歩行について―山形県に採用されるまで―」に眼を通してくだされ。
あっは。こんなことを言いながらも、書かれているのは自家撞着に満ちた事柄でもある。
第Ⅰ章では国の検査をいかに誤魔化すかに必死になりながら、第Ⅴ章では社会福祉法人の不正を見つけ出すために腐心している。
さらに、職業倫理をめぐる苦悩を語る一方で、「官官接待」や「食糧費問題」など(これらは厳しく指弾され二〇数年も前にほとんど解消されているが)県民からみればとんでもないことをしながら生きてきた軌跡を、ぬけぬけと描いているのである。
こういう文章をなんと名づけたらいいのか、ロバート・ジョンソンには誠に申し訳ないが、じぶんはそれを「ブルース」というほかなかった。
なお、「ささやかな歴史的事実」が書かれていると言ったが、記憶というものは、つねに/すでに、自己中心的に変成されているものだ。じぶんに都合よく記憶しているし、他人に知られたくないことはもちろん書かれていない。数字をはじめとして単純な錯誤記憶も少なからず存在することだろう。この回顧録はそういういい加減なものだということを、事前にご了承いただきたい。
また、相談支援の業界では、個別ケースを不特定多数に紹介する際にはプライバシー保護のため事実内容を一部書き換えることがルールになっているが、ここでもそれに従っているものとして第Ⅱ章をお読みいただきたい。
ネット書店以外でのご注文については「高安書房」のサイトの「『非出世系県庁マンのブルース』のご注文はこちらへ」をご覧ください。
http://shitohihyou.n-da.jp/e856815.html
http://shitohihyou.n-da.jp/e856815.html
作品情報,高安書房
Mon, 17 Jul 2023 17:41:52 +0900
-
高安書房の本が全国の書店で購入できるようになりました。
高安書房は「(株)地方・小出版流通センター」と契約しました。
これにより、同センターを介して大手取次(トーハン、日販など)から全国の書店に配本(ただし注文制)されることになりました。
なお、下記の書店には今週中に委託配本される予定です。
ジュンク堂(札幌店、弘前中三店、盛岡店、郡山店、大宮高島屋店、藤沢店、新潟店、大阪本店、難波店、三宮店、松山店、福岡店、池袋店、吉祥寺店)
丸善(丸の内本店、名古屋本店、松本店、京都本店、広島店)
МARUZEN&ジュンク堂 梅田店
紀伊國屋(札幌本店、新宿本店、梅田店)
喜久屋書店宇都宮店
ブックファースト新宿店
書店の皆さま、どうぞご注文ください。
一般読者の皆さまは「高安書房」のブログの「高安書房への発注方法」か「プロフィール」をご覧いただき電子メールで直接高安書房に申し込むか、お近くの書店(全国の殆どの書店が対象)に取寄せをご依頼ください。(取寄せをご依頼の際は「地方・小出版流通センター扱いで大手取次から取寄せできます」と店員さんにお伝えください。)
なお、高 啓の詩集をお求めの際は、ぜひ高安書房から直接ご購入ください。
http://shitohihyou.n-da.jp/e856119.html
http://shitohihyou.n-da.jp/e856119.html
高安書房
Mon, 12 Jun 2023 18:45:24 +0900
-
宇野重規著『日本の保守とリベラル』感想
宇野重規著『日本の保守とリベラル―思考の座標軸を立て直す―』(中公選書 2023年)を読んだ。
図書館から借りて未読のまま放置していたところ、返却期日が過ぎている、他の人からリクエストが入っているので早く返してくれ、と電話が来て、大急ぎで通読した。
本書は、エドモンド・バークの議論に基づき、「保守主義」を「抽象的な理念に基づいて現実を根底から変革するのではなく、むしろ伝統のなかで培われた制度や慣習を重視し、そのような制度や慣習を通じて歴史的に形成された自由を発展させ、秩序ある漸進的改革を目指す思想や政治運動」と定義している。
また、「リベラリズム」を「他者の恣意的な意志ではなく、自分自身の意志に従うという意味での自由の理念を中核に、寛容や正義の原則を重視し、多様な価値観を持つ諸個人が共に生きるための社会やその制度づくりを目指す思想や政治運動」と定義している。
まずは、「保守主義」の定義が、「自由を発展させ」「漸進的改革を目指す」ものであるという点に注目したい。ここでは、「自由」が「歴史的に形成」されてきたものであるという観点、つまり先人たちが少しずつ「自由」を拡大してきた、その伝統を引き継いでいるのが「保守」であるという観点が重要である。
本書は、日本における「保守本流」≒「保守リベラル」(石橋湛山―池田隼人―大平正芳―宮澤喜一―加藤紘一の「宏池会」の系譜)が、戦後の冷戦構造と経済成長の過程で育まれ、冷戦の終結及びバブル崩壊(それは宮澤政権の時期に重なる)によって終わったと述べる。このあと、「保守リベラル」の流れの一部は細川政権・村山政権に流れ込み、1990年代の一時期に「保守リベラルの時代」を形成する、とも。
この視角から見れば、2000年以降の清和会とりわけ安倍晋三らはむしろ急進的で対立を産み出す擬似非的「保守」だったということになる。
「保守」の概念が揺らいでいる現代において、本書は、まさに「思考軸を立て直す」格好の機会を与えてくれている。
福沢諭吉、福田恆存、丸山眞男に関する章も有益だった。(これらは既存論文を嵌め込んだもののようだ。とくに丸山に関する章は丸山眞男論として独立した論考である。)
なお、1979年に大平政権によって設置された9つの政策研究グループによる「大平総理の政策研究会」をめぐる記述、つまり「成熟社会」を巡って「リベラル保守」が日本社会の〝status quo〟(今そのままの状態=〝Japan As Number One〟と言われた時代のそれ)の維持を図ろうとして、保守主義(による社会統合)の新しい姿(経済成長を超える新たな日本人の生き方、社会や組織の在り方)を模索したことに関する記述(つまりその功罪)については大いに考えさせられた。
印象に残ったのは、本書のなかで紹介されている村上泰亮、佐藤藤三郎、公文俊平の論文「脱『保革』時代の到来」(『中央公論』1977年2月号)の内容の一部。
「保守主義とは本来、社会の変化の不可避性を承認しつつ、その一方で過去からの経験の蓄積を重視するものである。結果として「良き伝統」を保持するためには改革を厭わないという姿勢こそが保守主義の本質となる。これに対し革新主義は、理性が経験に先立ち真理を把握する力を持つと考え、あくまで理性の力を信頼するユートピア主義を志向する点に特徴があった。/このような保革本来のあり方に対し、「追いつくための近代化」を目指した日本の近代においては、状況がやや異なってくる。欧米をモデルとして近代化を進めた日本の場合、欧米の制度や文物を導入する指導層が「保守」となり、これを批判する側が「革新」となったのである。「追いつき型近代化」の現実化を担当し、そのために必要な妥協を行った「保守」が思想的・文化的な無原則性を批判されたのに対し、無原則的妥協に支えられた現実の変革を批判した「革新」は、あくまで目標とすべきユートピア的理念を固守した。いわば、保守が「保守的」手法によって現実を「革新」し、革新が「革新的理念」を「保守」するという役割分業を果たしたのである。結果として、日本の保守はついに保守主義としての思想を持ちえず、逆に革新は「正しくはあるが無力な」批判を続けることになったと村上らは指摘する。」
このような見方は一面では当たっていそうな気がする。日本近代のいつのことを指して言っているのか、明治から昭和初期までということならまぁそうだろう。戦後の「政治の季節」(1960年代まで)をも含むと考えることもできるかもしれない。
日本の保守が保守主義としての思想を持ち得なかったという指摘は確からしく思える。革新が「正しくはあるが無力」であったというのも、「地方の時代」を除けば大方はそのとおり。
しかし、この見方は粗雑で一面的であることを頭に置いておこう。なぜなら、日本では若いころに「革新」的な志操を持った者が、やがて「保守」的な位置に収まっていくということ(いわば〝自然過程としての転向〟)が珍しくなかったからである。「革新」と「保守」は「役割分業」どころか密通していたのである。
さて、私たちが現在目のあたりにしているのは、目を覆いたくなるような「保守」の劣化または欠損である。
「保守」を名乗る自由民主党その他は、政治倫理と経済倫理の両面でモラルハザードの状態にあり、冷戦構造崩壊後の世界でなおも対米従属路線(宮台真司の用語で言えば「ケツなめ」路線)を盲目的にひた走っている。どこまでお目出度くアメリカに追従するのか際限がない。まるで洗脳された教祖にどこまでも縋り付くかのような自暴自棄路線または自虐路線である。
また、福島の原子力災害によって「東日本壊滅」の危機を経験したにもかかわらず、あの事故以前の原発の耐用年数にかかる規範さえも撤廃して、既得権益に縋り付こうとしている。この学習能力・修正能力の欠如には愕然とする。
(註:「東日本壊滅」に関して。福島第1原発のメルトダウンさらにはチャイナシンドロームによる放射能汚染で福島第2原発までコントロール不能になる可能性があった。吉田昌郎所長の発言(政府事故調の調書)にその現実味が記載されている。)
たしかに東西冷戦下においては、「非武装中立」論に対して「専守防衛」と「日米同盟」路線は「現実」的に見えたであろう。この場合、「保守」的であるとは「現実」的であるということだった。
しかし、「台湾有事」に際して、米中対立の代理戦争をさせられそうな今日の状況下で、「敵基地攻撃能力」のための軍備増強をすることは、まさに「非現実」的で「自暴自棄」的な行為である。ここでは「保守」こそが〝夢をみている〟。
NATOはなぜウクライナにロシア領内を攻撃できる武器を供与しないのか。ウクライナがロシア領内を本格的に攻撃すれば、ロシアに核兵器使用の格好の口実を与えることになるからだ。ロシアが核を使えば、緊張は格段に強まり、戦争がヨーロッパに拡大する危険が増大する。
これを日本と中国になぞらえればどうか。日本やアメリカが中国領内を攻撃すれば、中国に核兵器使用の口実を与える。いきなり核兵器を使用せずとも、通常兵器で日本国内の原発を攻撃するという手もある。
それに、台湾や日本の周辺(つまりアメリカ本土から遥かに遠い極東)で中国と戦争状態になった際に、アメリカが核兵器をもった大国を相手に、一蓮托生で日本をどこまでも守ってくれるなどという仮定を、どうしたら信じられるのか。
アメリカは自国の本土から遠い土地でしか戦争をしない。嫌気がさせば自分は手を引けるところで、その国を戦争に引きずり込み、あるいは代理戦争をさせる。対中国戦略において、日本に戦争の片棒を担がせることで日本が衰亡しようとも、中国にある程度のダメージを負わせられればいいと踏んでいる。このような想定をしておくことが現実主義ということだろう。
アメリカに対しては、「わが国には日本国憲法の戦争放棄という国是があり、申し訳ございませんが、これ以上あなた様にはお付き合いできません」という防衛線を確保しておくことが現実的であろう。それを自ら解釈改憲(集団的自衛権)し、国防の方針を転換(敵基地攻撃能力増強)させている。伝家の宝刀を自ら投げ捨てているのである。
日本の自称「保守」は、いまや日本の平和(非戦)という伝統を破壊する「急進派」に変貌している。
福沢諭吉に発する「リベラル」または「保守リベラル」の系譜を振り返りながら、「思考の座標軸を立て直す」ことが喫緊の課題である。
http://shitohihyou.n-da.jp/e854476.html
http://shitohihyou.n-da.jp/e854476.html
批評・評論
Sun, 09 Apr 2023 18:34:36 +0900
-
出版業を始めるための必読書
この春は暖かくなるのが早いですね。・・・・というか、毎年こんなことを言っているような気がします。「年ごとに、春と秋が短くなっているような・・・・」
近所の個人宅庭の桜がほころび始めました。3月中に咲くのは初めてかもしれません。
写真は白鳥の北帰行です。
1週間ほど前、自宅近くから撮りました。この辺の上空を白鳥の群れが飛び回るのも珍しいような気がします。
以下は高安書房のサイトにアップしたものと同じ内容です。
高安書房のサイトは訪問する方が少ないので、こちらにも掲載させていただきます。
岡部一郎・下村昭夫共著『出版社のつくり方読本』(2017年・出版メディアパル)と石橋毅史著『まっ直に本を売る―ラディカルな出版「直取引」の方法』(2016年・苦楽堂)を読んだ。
わたくし高安書房店主のように、出版業の〝し〟の字もしらないままに出版業に手を出してしまった者は、どちらもその前に手にすべき必読の書だった。つまり、「必読の書」を読まずに手を付けてしまった(!)ということを知らしめられた。
『出版社のつくり方読本』は、出版業というものがどんなものか、全体をコンパクトに整理して分かり易く解説しており、格好の出版業入門書だ。
とくに出版した本をどう売るかという点で、素人の甘い考えを打ち砕いてくれる。そもそも、トーハン、日販、楽天ブックスネットワークなどの大手取次会社は駆け出し出版社など殆ど相手にもしてくれないのだという。
ではどうするか。そこで参考になるのが、『まっ直に本を売る―ラディカルな出版「直取引」の方法』である。
この本は出版社で営業をしていた経歴をもつ出版ライターが、自身の経験に基づく問題意識から取材した記事(『新文化』という出版業界関係の雑誌に連載したものかな)をまとめたものらしい。(この本はネットショップのhontoで注文したが、入荷できない旨のメールが来た。仕方なく、山形県立図書館を通じて所蔵のあった酒田市立図書館から借りて読んだ。ちなみに、このように地元の図書館で他の図書館の蔵書を取寄せて借りることができる。「相互貸出」というシステムである。)
内容は「取引代行」という方法を導入した出版社「トランスビュー」の「トランスビュー方式」に関する紹介が中心になっているが、この本も出版業界の事情を知るうえでとても有益である。
ところで、「トランスビュー方式」は、①書店からの注文に基づく配本(返本を減らすため)と、②書店の利益を確保するための低い掛け率(7割を切る)が大きな特徴である。出版社にとっては、掛け率やトランスビューの手数料等の関係で、いわゆる「取次」を通すのと比べて利益率が大していいわけではないが、①のシステム上、返本が少ない点が魅力である。(ただしトランスビューも一部取次を利用している。)
「大沼デパート」の閉店にまつわる『さよならデパート』の著者であり、その出版元「スコップ出版」を運営する渡辺大輔氏に伺ったところ、同氏は「トランスビュー」と取次代行の契約をしているとのことだった。
ただし、問題は「トランスビュー方式」では書店への卸値(つまり出版社の取り分、これを「正味」という)が定価の70%を切るうえに、いろいろと手数料の支払いを求められることだ。実際の正味は定価の60%か、その他の経費(荷造り料や送料)を勘案すれば出版社の得る額はそれ以下になるのではないだろうか。
渡辺氏は自ら編集ソフトを操るうえに、表紙デザインも自分で作成しており、その分本の製作費を低く抑えているという。また、初版の部数もそれなりに増やして、1冊あたりの原価を低く抑えているという。
高安書房の『非出世系県庁マンのブルース』は、こんな事情を何も知らずに初版500部の印刷。定価の決定にあたっても詳細な検討などしなかった。(-_-;
共同通信社の書評に取り上げてもらえたので、その記事が掲載された地方紙を読んだ個人や(リクエストを受けたであろう)公立図書館及びそれらの客から取寄せ注文を受けた書店などからポツポツと注文が入ったが、共同通信社の配信がなかったとしたら、山形県外からの注文は殆どなかったのではないかと思う。
やはり、「取引代行」か「地方・小出版流通センター」などの零細出版社を相手にしてくれる取次を利用しないと全国の読者にアクセスできないのか・・・。
さて、ここからが悩ましいところである。
じぶんは生活の糧を得るために出版業を始めたのではなかった。パートタイマーであるとはいえ、別の仕事(こっちがいまのとろは本業)ももっている。(本業の仕事はそれなりに神経を使うのでアタマの切り換えに苦労する。) そもそもは自著を出版したいというのが主たるモチベーションなのだ。
こういう中途半端な人間が出版流通に首を突っ込んでもいいのか・・・、あるいはまた、高啓の著書以外に、毎年継続して出版していく企画をもっているのか(ということがトランスビューでも地方・小出版流通センターでも取引の条件になる)・・・・、という自身への疑問(というか〝たじろぎ〟)もある。
さらにまた、「直販」こそ本を「売る」=「買う」という過程がそのまま読者=購入者とのコミュニケーションに他ならない関係だ。・・・このネット社会である。ネット(=高安書房のサイト)を通じて書店や読者への「直販」でやっていくという選択があって然るべきだし、数を売ることより身の丈にあったやり方でチマチマとやっていけばいいのではないか・・・などとも考えてしまう。
ということで、この時点での中間的な結論はこうだ。
本来、じぶんの(詩集以外の)著書として先に世に問おうとした(「書肆山田」から上梓しようとした)文学思想論集『切実なる批評』(仮題)を、まずはもう一度『非出世系県庁マンのブルース』と同じ形で世に送り出し、その反響を見てから考える・・・。
『切実なる批評』(仮題)は、その内容からして『非出世系県庁マンのブルース』より僅かな読者(購買者)しか得られないだろうが、まさに〝身の丈に合った〟歩み方ではないか・・・。
ただひとつ、非常に困っているのは、前にも書いたが、Amazon、楽天ブックス、ヨドバシなどの大手ネットショップのサイトに、取引がない(取り扱いできない)にも拘らず、高安書房の新刊のデータが掲載され、いざそれを注文しようとすると「販売休止中です」とか「取り扱いできません」などという主旨の表示がなされてしまうことだ。(これは実質的に販売の妨害行為になってしまっている。)
「ヤフー知恵袋」にも『非出世系県庁マンのブルース』は書店で売っていないがどこかで買えないかという質問に、ネットショップで売っていないかと回答があり、売っていないと返答が来て、結論としてはどこでも売っていないという印象になる旨の記載がなされており、こちらがそれに気づいたときは回答期限が過ぎて記入ができなくなっている。ヤフー知恵袋に「非常に迷惑しているから再度回答を書き込みできるようにしてほしい」と訴えるも音沙汰がない状態である。
まぁ、愚痴を延々と述べても詮無いこと。とりあえず今は次の出版に向けて取り組んでいこうと思う。
【追伸】
『非出世系県庁マンのブルース』が地元の書店にない場合、高安書房のサイトをご覧いただき直接注文してください。書店からお求めになりたい場合は、「高安書房からより寄せできないか?」「高安書房はネットで検索すればサイトが見つかり、そこに書店との条件が記載されている」とお伝えください。
http://shitohihyou.n-da.jp/e854088.html
http://shitohihyou.n-da.jp/e854088.html
徒然に,高安書房
Thu, 23 Mar 2023 14:34:08 +0900
-
軽部謙介著 『アフター・アベノミクス』
軽部謙介著『アフター・アベノミクス―異形の経済政策はいかに変質したのか』(岩波新書・2022年12月刊)を読んだ。
第二次安倍政権によって「異次元金融緩和」として始められた「アベノミクス」が「物価上昇率2%」という目標を達成できないまま、金融政策から「タガの外れた」財政出動へと変質していく過程が、日銀、財務省、自民党それぞれについて克明に描かれている。
興味深く読んだのは、日銀内の「リフレ派」対「非リフレ派」の勢力争い。そして財務省内の財政規律の基本方針を巡る動き、すなわち「財政収支均衡」から「プライマリーバランス(PB)黒字化」へ目標を変更しようとする動きと、それがストップをかけられる過程の描写である。
また、日銀が急激な円安に対処するため長期金利の変動幅を拡大したことを「ステルス利上げ」としているところなど、利上げをしようにもできない事の深刻さを伝えてくる。
本書は、関係者の動きを追うジャーナリスティックな著作ではあるが、じぶんのような金融政策に昏い者に金融政策や日銀の在りようを分かり易く説く解説書の役割も果たしている。
(註)「財政収支均衡」とは、政策的経費と国債の利払い費を税収で賄える状態。国債発行残高は増えない。(減りもしないが。) 「PB黒字化」とは、政策的経費は税収で賄えるが過去の国債の利払い費はさらなる国債の発行で賄うという状態。(国債残高は増え続ける。) なお、2022年度末の国債残高は1,029兆円。2023年度の予算額は過去最高となり「PB黒字化」さえ遥かに遠のいている。
さて、ここで本書の内容紹介から少し外れる。
国債を日銀が直接購入することは「財政ファイナンス」として禁じ手にされている。
しかし、国債をいったんは民間銀行に購入させて、それを日銀が買い取るというオペレーションが際限もなく(まさに「異次元」の有り体で)続けられているのがいまの「アベノミクス」下の日本である。ようするに日銀券が政府からバラマキされている。これは「金融政策」の仮面を纏った「異次元の」「財政出動政策」である。
この異常事態を合理化するのが、今や右は「自民党」支持者の一部から左は「れいわ新選組」支持者の一部までが嬉々として唱える「MMT」(近代貨幣理論)である。
端的に言えば、MMTとは、自国の通貨建てで国債を発行する限り、どんなに国債を発行しても国家はその返済に充てる貨幣を発行できる(つまり印刷すればいい)のだから債務不履行は起きないという理論だ。
じぶんには、これは〝理論〟というより〝信仰〟に見える。
MMTは通貨を発行する<国家>の存在(それも確固たる国家)を前提にしている。
また、財政出動の規律は、インフレーションの度合いに掛かっているとする。つまり、通貨の発行量が増えすぎてインフレが起こるが、そのインフレの程度がひどくなったときに通貨量を減らせばいいというものだ。
われわれの「日本」という国家がいつまで確固たるものか、昨今のこの国の劣化(政治・経済・官僚機構・マスコミ等々の劣化)を見せられると、その破局の蓋然性は、30年以内に起きる確率が70~80%といわれている「南海トラフ巨大地震」かそれ以上に大きいと思われてくる。
しかしそれ以前に、「タガが外れた財政出動」を止めようとしたとき、それが止められるのかという問題がある。増税を掲げる政治勢力、あるいは財政出動をそれなりに絞ろうとする政治勢力は選挙で敗北することが予想される。
敗北する事がわかっていてそれをやろうとする政治勢力が現れるか。現れたとしても選挙で勢力を伸ばすことは叶わないだろう。ポピュリズムに傾斜した今の日本で肥大化した「財政出動」を絞ることなど、そもそもできそうにない。
かように「アベノミクス」の罪は深い。「アベ政治」(というより「アベ的なるもの」あるいは「アベ族」と言うべきか)は何から何まで劣化させてしまった。
いまや国債という「点滴」で生きているような<国家>が、強大かつ広大な隣国に「敵基地攻撃用ミサイル」を撃とうというのである。「アタマの中がお花畑」とはまさにこういうことを言うのだろう。
http://shitohihyou.n-da.jp/e853735.html
http://shitohihyou.n-da.jp/e853735.html
作品評
Fri, 10 Mar 2023 10:54:37 +0900
-
『非出世系県庁マンのブルース』のご注文はこちらへ
ライブドアブログの「高安書房」のサイトにも書きましたが、「高安書房」のサイトは来訪者が少ないので、こちら「詩と批評」にも掲載させていただきます。
『非出世系県庁マンのブルース』をグーグルで検索すると、honto、楽天ブックス、ヨドバシなどの通販サイトが上位に現れ、これらのサイトで注文しようとすると「取り扱いできません」「販売休止中です」などの表示がされています。
また、Amazonで検索すると、中古品で4,620円、新品で5,346円などとべらぼうな値で売りに出されています。
これまでも記してきたように、高安書房は取次と取引していないため、上記の通販サイトにはそもそも配本されていません。にも拘らずこれらのサイトに本書の情報が掲載されるのは、これらのサイトが出版書籍のデータを配信しているサイトから自動的にデータを読み込んで 表示するからだと思われます。
高安書房へのご注文は、本サイトに記載した「高安書房への発注方法について」をご覧いただき、直接電子メールまたはFAXで御注文いただくか、ご利用される書店(実店舗)へ高安書房からの取り寄せを申し込んでください。
直接申込の場合は、定価1,800円(消費税はいただきません。送料は無料。代金の郵便振替または口座振込の手数料は購入者負担)です。
書店からのご注文については、1冊の場合・定価1,800円×0.8=1,440円、2冊以上は1冊目から1冊につき×0.75=1,350円(消費税はいただきません。送料は無料。代金の郵便振替または口座振込の手数料は書店さま負担。2冊目以降は返品可。返品の送料は書店さま負担。)でお送りさせていただきます。(消費者が書店から購入する場合は消費税が加算されて1,980円になります。)
なお、山形県内の書店には「山形県教科書供給所」から配本されますので、同供給所にお問い合わせください。もちろん、高安書房と直接お取引いただければなお幸いです。
写真は、天童市の天童高原スキー場。この日は子どものリフト代が無料だったからか、駐車場が満杯に近い結構な賑わいでした。
http://shitohihyou.n-da.jp/e853113.html
http://shitohihyou.n-da.jp/e853113.html
作品情報,高安書房
Thu, 16 Feb 2023 15:16:44 +0900
-
山田兼士さんへの手紙
「日本現代詩人会会報」169号(2023年1月)で、高階杞一さんによる故・山田兼士さんの追悼文を読んで、山田さんが昨年12月6日に亡くなったこと(享年69)を知った。
山田さんとはお互いに詩集を贈り合っただけで、お会いしたこともメールや電話でのやり取りをしたこともなかったが、山田さんの詩集についていつかは何か書かなければと、ずっと気になっていた。病気から回復されたと聞いていたので、こんなに早く逝ってしまわれるとは思ってもみなかった。
山田さんは細見和之さんと季刊詩誌『びーぐる―詩の海へ』に連載していた「対論・この詩集を読め」で、高啓の『女のいない七月』を取り上げてくれた。(2012年4月の第15号掲載。のち、単行本『対論Ⅱ・この詩集を読め・2012~2015』(澪標・2016年3月刊)に収録)
この「対論」で、山田さんは「(前略)一般にはなかなか知られにくいでしょう。今こういう骨太の詩を書いている人―今日はちょっと、これをどう批評・評価するかというよりも、どういう紹介の仕方をすれば『びーぐる』の読者に対してプラスのものがより多く伝えられるか考えたい。(後略)」と述べ、細見さんと一緒に『女のいない七月』以前に上梓した第2詩集『母を消す日』、第3詩集『ザック・デ・ラ・ロッチャは何処へいった?』を紹介することも含めて、高啓の詩の魅力を伝えようとしてくださっていた。これを読んでとても有難いと思った。
山田さんは2019年10月にウイルス性脳髄膜炎による高熱を発症したが、2か月間もの意識不明から覚醒し、7か月間の入院生活とその後のリハビリテーションを経て、コロナ禍による大学(大阪芸術大学)のリモート授業への復帰を果たしていた。
この、まさに死の淵から帰還した体験は、詩集『冥府の朝』(澪標・2022年1月刊)に収められた作品に率直に描かれている。
あまり遠くない方向に入り江があって
その奥には深緑の森がある
その入江の奥へ奥へと ベッドは運ばれていく
まるで死の島へと運ばれる小舟のように
ベッドは水を分けて進んでいく
冥府船
にしては
ただひとりなのが寂しい
まあいいさ
死ぬときはだれでもひとりだから
ということは
いま僕は死にかけているのだろうか
小舟のように揺れる
ベッド舟に運ばれて
もうすぐあの島に打ち上げられる
その瞬間がありありと感じられる
(中略)
予想していた衝撃もなく
冥府船は軟着陸のように
岸辺に乗り上げた
緑に見えていた森は実は紅葉だった
森は窓外のビル街で
岸辺はもとのベッドのままだった。
手足に力は入らないが
目と耳は生きている信号をとらえていた
あれは人を冥府に運ぶ船ではなく
冥府からこの世へ運ぶ船だった
優しく美しいナースたちが
生還した命を祝ってくれた
もう少し生きていたい
強く
激しく
思ったのだった なぜか
詩「冥府船」から(部分)
「冥府からこの世へ運ぶ船」だった「冥府船」は、しかし、このあと1年もしないうちに「人を冥府に運ぶ船」となってしまった。山田さんは詩のなかで確か44歳くらいで胃癌の手術をしたと書いていたが、終にかれを冥府に運んでしまったその「船」は、やはり癌(発見時にステージⅣの食道癌)だったという。
正直に言うと、山田さんから『孫の手詩集』(澪標・2019年6月)という詩集をいただいて目を通し、〝これはいただけない。おれは絶対にこういう詩は書かない。〟という感想を抱いていた。
じぶんは、<孫>という存在をどう捉えるか、ということは結構難しい課題、大袈裟に言えばひとつの思想的課題であり人生における試金石のひとつであると考えてきた。そこからみると、この詩集の作品群は、ただひたすら孫の可愛さ、その命の掛けがえのなさに惑溺し、その放恣(もっとひどい言い方をすれば感情失禁)に任せて作詩しているように思われたのである。
だが、今回山田さんの訃報に接して、詩集『家族の昭和』(2012年)、『羽曳野』(2013年)、『月光の背中』(2016年)、『羽の音が告げたこと』(2019年)、『冥府の朝』(2022年)を通読してみると、山田さんが<先験的家族>、すなわち自分を形成してきた家族や身近なひとへの関係意識とそれを対自的に生きる時間性に、ふかくふかく表現の根拠をもっていたことに改めて気づかされた。
「兄ちゃん車で父ちゃんと榊原温泉行くで、あんたは留守番しといてね」
母にいわれてひとり夜を過ごしたのは十四の冬
あれから四十年経ったが
三人とも帰ってこない
詩「ななくり」第一連
作者が11歳のときに脳卒中で半身不随となり、それから20年苦悩の時間を生きて享年61で亡くなった父、生命保険会社の「モーレツ社員」として働き、子宮癌によって享年51という若さで亡くなった母、そして享年46で亡くなった兄、さらには同じく享年46で亡くなった無二の親友・・・。そうしたひとびとへの追憶がこの詩人自身の時間意識と一体的に表出されているのだった。
また、作者が自ら形成した家族(妻、息子、娘との4人家族)を想う心情やともに暮らす日々の時間意識も、引っ越しを重ねたいくつかの土地の風景や過去に住んでいた家の構造への追想と一体化して、作品群の基調となっている。
こう考えてみると、『孫の手詩集』の「親ばか」ならぬ「爺ばか」ぶりは、『家族の昭和』から『羽の音が告げたこと』までの創作意識へのある種の無意識的な反動であり、孫への惑溺を表現として放恣することによって、過去(つまり自分がそこに産まれた先験的家族)への追想(それは最早切なさすぎるから)を忘却する試みか、あるいは上塗りによって包み隠してしまおうとする試みなのかもしれないと思われてくる。
高階さんの追悼文には、最後の闘病のなかで紡がれた山田さんの詩集『ヒル・トップ・ホスピタル』から、山田さんが自分の詩を「人生詩」だといっている部分が引用されている。
ところで、前出の「対論」には、こんなやり取りが出てくる。
細見:今これぐらいの世代で詩を書いている人で、実際に会って話をしてみたい、どういうふうに詩を考えていますか、といったことを聞きたいと思う、そういう人の一人。特徴のある書き方で、全部がある意味同じような作品世界の中で、出てきた連中に次の詩集では何かが起こっていて、それをまた詩に書いて、これは何か不思議で面白いと思います。
山田:それは十年二十年前のことを書くのとは違うからね。でもこういう人が逆に、もっと若い頃何をしていたのか、学生時代どうだったのか、昭和レトロの小学生の頃にどういうことを感じていたのか、そういうこともまた書いてほしい。
山田さん。
高啓はこれまで「人生詩」などというものを書いたつもりはありませんし、これからも書こうとは思いません。・・・と言いたいところですが、これからじぶんの詩がどうなるのか自信がありません。
そういえば、詩集『二十歳できみと出会ったら』に所収の詩「喪姉論」はどう読まれましたか。あれは「人生詩」ということになるのでしょうか。(なりませんよね。)
高啓が「冥府船」でそちらへ運ばれていったら、〝ああ、これでじぶんの作品も所詮は「人生詩」と括られてしまうんだろうなぁ・・・〟などと落ち込んだ顔をしているかもしれません。そのときは、「人生詩で結構じゃないか」などと言ってちょっかいをかけてきてください。「あんな孫の詩を書くなんてどうにかしてますよ。」と言い返しますから。
では、それまで暫し初対面のお預けです。 合掌。
http://shitohihyou.n-da.jp/e853002.html
http://shitohihyou.n-da.jp/e853002.html
作品評
Sun, 12 Feb 2023 19:09:14 +0900
-
1957年の城南陸橋(山形市)
高 啓が山形新聞の連載企画「ふるさとを詠う~山形の現代詩~」に寄稿した詩「濃霧論」(2022年12月8日号掲載)を読んだ読者から、手紙をいただきました。差出人は、山形市七日町にお住まいのHさんという方です。
「濃霧論」は山形駅西口の一画について、そこが再開発される前の記憶を描いたものです。作者のコメントが記載されており、そこに「架け替えられる前の城南陸橋から北西方向、すぐ下に1軒の〝連れ込み宿〟があった。線路の東側から遮断機のない小さな(モグリの?)踏切を渡ってこの安宿にたどり着いた記憶がある。」と書かれていたので、Hさんが昭和32年(1957年)11月の「城南陸橋」の写真の紙コピーを同封して、この一画に関する彼の思い出を書き送ってくれたのでした。
上の写真は「城南陸橋」から西側を写したもののようです。
Hさんは昭和32年に17歳の高校生。学校からの帰りに霞城公園南門の付近によくたむろしていたそうです。南門には東側から遮断機のない小さな、あのモグリの踏切を渡って行ったとのこと。
これに加えて、Hさんが山形大学の学生だった頃、花小路北の居酒屋「安愚楽」によく通って、昨年亡くなった女将の「せっちゃん」にとても世話になったという思い出も記されていました。
「安愚楽」については、やはり「ふるさとを詠う~山形の現代詩~」に、詩「小路論」を寄稿しています。(2019年2月28日号掲載・この作品は詩集『二十歳できみと出会ったら』に所収。)
Hさんは、昭和32年に17歳だったとおっしゃるので、今は82歳前後でしょうか。
高 啓は昭和32年生まれです。
この写真に写っている女性の髪形、なんと言うのか忘れてしまいましたが、じぶんの母(大正7年生・昭和59年没)もこんな髪型をしていました。
そしてこのようによく割烹着を着ていました。
この写真は「城南陸橋」の下から、山形駅方向を写したもののようです。
線路がこの通りの右を通っているのか、左を通っているのか私にはわかりません。たぶん右かな。
ついでに「安愚楽」について、忘れないうちにここに記しておきます。
朝日新聞だったか山形新聞だったか忘れましたが、記者が書いた「せっちゃん」の追悼記事に、「安愚楽」という店の名前は学生たちが口にしていた「アングラ」から付けた、というようなことが書かれていましたが、高 啓は直接「せっちゃん」の口から、「安愚楽をかいて寛いで飲める店にしたかったから」というような話を聞いたことがあります。
「安愚楽」を「アングラ」と言うようになったのは、高 啓もその一人であった「山大劇研」の学生たちが通うようになってからかもしれません。
「アンダーグラウンド演劇」にひっかけて、「アングラ」と呼ぶようになったのかも。
Hさんのご健勝を祈念します。
http://shitohihyou.n-da.jp/e852525.html
http://shitohihyou.n-da.jp/e852525.html
作品評
Thu, 26 Jan 2023 11:14:06 +0900
-
「現代詩トークショー」上山市立図書館
昨年(2022年)の10月22日に上山市立図書館の読書週間のイベント「ポエムの時間 現代詩ってな~に?」に出演したときの動画が、同図書館のサイトにアップされていますので、ご案内します。
鶴岡市在住の詩人・万里小路譲さん、山形市在住の詩人・いとう柚子さんと高 啓の三人がパネリストで、司会は同館館長の岩井哲さんです。
高 啓は岩井館長の要望に応じて、詩集『二十歳できみと出会ったら』から表題詩「二十歳できみと出会ったら」を朗読し、この詩の構造と作意について解説しています。
話題のなかに「R40」という言葉が出てきますが、これは映画などで「R15」とか「R18」とかいう鑑賞者の年齢制限のことを意味しています。
つまり、詩「二十歳できみと出会ったら」はしげきてきなので40歳未満の方は読まないでくださいという意味です。(もちろんそれは戯言ですが。)
現代詩トークショー 【市立図書館】 - YouTube
http://shitohihyou.n-da.jp/e852379.html
http://shitohihyou.n-da.jp/e852379.html
活動・足跡
Fri, 20 Jan 2023 11:22:53 +0900
-
2023年になりました・・・
「明けましておめでとうございます。」と新年の挨拶を申し上げるところですが、昨年からの世情の動きを見ていると、いよいよ日本は奈落への道を歩み出したようで、新年を寿ぐ気持ちがこれほど生じてこない年明けは初めてです。
しかし、まぁ、筆者はオプティミズムの立場もペシミズムの立場も、まして宮台真司さんのような「加速主義」の立場もとらないので、チマチマと当面じぶんのすべきことをしていくだけです。
2023年は、昨年に立ち上げた個人出版社「高安書房」から、高啓文学思想論集『切実なる批評』(仮題)を出版する予定です。
じつは、この論集は昨年中に上梓すべく、これまで高啓の詩集を5冊刊行してきた書肆山田に原稿を送り、出版をご検討いただいていたのでした。
しかし、昨年の5月に編集・装本を担当されていた大泉史世さんがお亡くなりになられ、文学思想論集の出版計画は宙に浮いたまま時間が経過しました。(大泉史世さんがどのように素晴らしい編集者であられたかについては、毎日新聞2022年7月13日夕刊掲載の池澤夏樹さんによる大泉史世さん追悼の寄稿「ある編集者の仕事」を参照していただきたいと思います。)
高啓は大泉さんの訃報に接していっとき放心状態となり、それから気を取り直してどこか他の出版社に発行を依頼することも検討しました。
しかしその一方、文学思想論集と別に、けれども時期的には並行して刊行を考えていたところの職業的自分史『非出世系県庁マンのブルース』が山形県行政の裏面やその組織の人間像を極めて赤裸々に描いたものであるために、これをどこかの出版社から発行した場合、万が一にもその出版社に迷惑がかかることになってはいけない、いっそのことこれを機に自分で出版・販売事業を起してしまえっ・・・と「高安書房」を立ち上げたことから、文学思想論集も高安書房から刊行することにしたものです。
刊行の計画では文学思想論集が先で、次に職業的自分史という思惑でしたが、以上のような経緯によって、順序が逆になりました。ぜひ、この二冊を併せてお読みいただきたいと思います。
肝心の詩作の方ですが、2022年は山形新聞の連載企画「ふるさとを詠う―山形の現代詩―」に、「山塊論」(2月3日号)、「デッキ論」(7月7日号)、「濃霧論」(12月8日号)の3作品を発表しました。
また、山形県詩人会発行の『山形の詩―anthology2022―』(11月1日)に「失語論」を、土曜美術社出版販売発行の詩誌『詩と思想』6月号に「内腔論」を発表しました。2022年は1年間にこの5作品しか詩を書きませんでした。
2023年は何篇の詩を書けるかわかりませんが、上記の山形新聞の連載企画には5月18日と11月16日の2回(=2篇)は発表するつもりです。
追記:『非出世系県庁マンのブルース』について、内容紹介のため小見出しを記載しましたので高安書房のサイトをご覧ください。
高安書房のサイトにはこちらからどうぞ。
http://shitohihyou.n-da.jp/e851973.html
http://shitohihyou.n-da.jp/e851973.html
作品情報,徒然に
Wed, 04 Jan 2023 18:31:07 +0900
-
高橋さんへの返信
高橋さん、本ブログの「オーナーへメッセージ」からいただいたメールにお返事を差し上げましたが、ご覧いただけましたか?
plala のアドレスとdocomoのアドレスの両方にメールで返信しましたが、当方のアカウントがフリーメールだったせいか、docomoからは拒絶されました。
plalaでもご覧いただけていない場合、ここに返信を記載することもできますが、どうしましょうか。
(註)高啓著『非出世系県庁マンのブルース』、とくにそのなかの「米沢の能舞台はなぜ空気浮上するのか」を読んで、就職のため、高啓に山形県内の地域性を質問されたものです。
http://shitohihyou.n-da.jp/e851493.html
http://shitohihyou.n-da.jp/e851493.html
徒然に
Sun, 11 Dec 2022 11:06:44 +0900
-
鈴木志郎康さんの思い出
2022年9月、詩人で映像作家の鈴木志朗康さんが亡くなった。87歳だった。
ぼくが志郎康さんに会ったのは二度。一度目は、たしか「山形国際ドキュメンタリー映画祭2005」の開催期間中だったと思う。場所はかつて山形市役所の近くにあった「香味庵」という蔵屋敷の料理屋(それは漬物屋「マルハチやたら漬け」の店舗兼工場でもあった)の座敷だった。
この年の映画祭の企画の一つ「私映画から見えるもの―スイスと日本の一人称ドキュメンタリー―」で志郎康さんの作品『極私的に遂に古希』(After All , I’m 70 Years old)が上映されるのを機に、志郎康さんが来形し、「書肆山田」の鈴木一民さん、詩人で上山市在住の木村迪夫さんが酒席を共にすることになった。その際に鈴木さんか木村さんにお声掛けをいただき、高啓が同席させていただいた。この前年の4月に高啓は書肆山田から詩集『母を消す日』を上梓していたことから、お呼びがかかったわけである。
このときどんな話をしたか記憶はないが、ただ志郎康さんとの別れ際に、「もしよろしければ帰りの新幹線ででもお読みください。」と言って、この詩集を手渡したことだけは覚えている。
驚いたのはその二、三日後、志郎康さんから連絡が来て、「あなたの詩集を帰りの新幹線で読んで、あなたにお会いしたくなった。ついてはすぐにでも山形に行きたい。」というのだ。そして香味庵での初対面から一週間もしないうち、ぼくは志郎康さんを山形駅で出迎えることになったのだった。
その夜は、山形市七日町の古びた飲み屋街「花小路」にある割烹「浜なす分店」に部屋を取って、盃を交わしながら詩にまつわる話をした。志郎康さんは、ぼくの詩集『母を消す日』を丁寧に読んでいくつもの感想とサジェスチョンとをくれた。ぼくはそれを、酒を飲み飲みノートを取りながら聴いた。でも、このときの話で今も記憶に残っているのは、志郎康さんが語ったご自身の内心のことだ。
志郎康さんはしばらく前から、他者が書いた詩をまったく読めなくなっていた。一切受け付けなくなっていた。・・・というのである。この時、志郎康さんは映像作家として多摩美術大学の教員の職についていたので、かつてのように他人の詩を選考したり論評したりする経済的な必要性からは解き放たれていたが、それにしても他人の詩を全く受け付けられないというのは深刻な悩みだったのだという。
そしてそれに続けて、こんなふうに話した。・・・しかし、あるときふとしたことから、その詩を書いた作者本人に直接対面して話をすると、その人の詩も受け付けられることに気がついた。そこで詩人に会いに行くことにした。あなた(高啓)はそのようにして会いに来た二番目の人だ・・・と。いわば、ぼくに会いにきたのは志郎康さんにとって〝詩のリハビリテーション〟のためのものだったのである。
さらに続けて、志郎康さんは「あなたのこの詩集の作品に出てくる場所に連れて行ってほしい」と言うのだ。それで是非もなく、ぼくは翌日志郎康さんを車で「詩に出てくる場所」のいくつかに案内すると約束してしまったのだった。
翌日、自家用車でホテルから志朗康さんを載せ、最初に向かったのは山形駅東口のペデストリアンデッキだった。これは前掲詩集収録の作品「ペディストリアン・デッキのドッペルゲンガー」の中に出てくる〝場所〟だ。そして次に向かったのは山形駅からほど近い五日町踏切だった。これは同じく作品「五日町踏切を越えて」の〝現場〟である。
この二つの場所を回って、まぁこれぐらいだろうと思っていたら、志郎康さんは「そういえばザリガニが出てくる詩があったね。その沼にも連れて行ってほしい。」と言う。その作品は「インポオ・テンツウになる日」、その沼とは蔵王温泉地内のため池「鷸の谷地沼」(しぎのやちぬま)のことだ。山形駅から車で40~50分かかる。
蔵王温泉への道すがら、志郎康さんの問いかけに応える形で自分のことを話した。
山形大学4年生の後期に突然国立大学法学部の大学院受験を思い立ったこと。学生時代の専攻は日本政治思想史で、指導教官から論文をかけと言われて山形県出身の高山樗牛について書こうとしたが、構想が長大になり途中までしか仕上げられなかったこと。卒業要件になっていないこの論文に取り組んだことで、外国語の勉強が全然できなかったこと。北海道大学の大学院受験に失敗し、帰りの青函連絡船から厳冬の津軽海峡に身を投げようとしたこと。それでも指導教官から進められて静岡大学の専攻科に入学して翌年の大学院受験を目指したこと。ところがその年から大学院入試の期日が大幅に前倒しになっていたことを知らずにいて、受験機会を逃すという大失態を演じたこと。いろいろあって山形に帰り、公務員試験を受けたこと。そして山形県職員となったこと。・・・等々である。(この間の経緯は近著『非出世系県庁マンのブルース』の第Ⅳ章「要領の悪い歩行について」に少し詳しく書いてある。)
鷸の谷地沼に着くと、志郎康さんは車から降りてビデオカメラで風景を撮り始めた。ふと振り向くと、ぼくの後ろからぼくの姿も撮っていた。内心、このシーンは絶対に作品で使わないでほしいと思ったものだ。
蔵王温泉から下る車中でも、またぼくの話になった。県庁職員としてどんな仕事をしたのかと問われ、「そうですねぇ、こんなことをしましたと人に話せるのは、米沢に『伝国の杜』という山形県の文化ホールと米沢市の博物館を合築した文化施設を造ったことですかね・・・」と話すと、じゃあそこに連れて行ってくれというのである。それでここからまた1時間以上、志郎康さんと車中の話が続いたのだった。
志郎康さんもご自分の身の上話をした。NHKのカメラマンを辞職して詩や映像で飯を食っていこうと決断したのは、(ぼくの不確かな記憶では)親の遺産で都内に一戸建てのマイホームを手に入れることができたからだとのことだった。それから奥さんのことでいろいろと気を使っていることも話してくれた。(ここはこれ以上明らかにはできないが。)
ぼくは志郎康さんがかなりプライベートなことまで話してくれるのに少し驚いていた。もっとも、そういう自分はベロベロと饒舌に個人的な事情を話していたのだったが。
志郎康さんは、「伝国の杜」のプロジェクトを巡って、県と市が激しく対立したことや、ぼくが県の内部でひどく孤立したこと、そしてどんな問題にどのように対応してきたかの話にずいぶん興味をもって耳を傾けてくれた。(この話も『非出世系県庁マンのブルース』の第Ⅲ章「米沢の能舞台はなぜ空気浮上するか」に詳しく書いた。)
結局、「伝国の杜」や上杉神社の一帯を見物しながら、志郎康さんは米沢市企画調整部=上杉藩精鋭部隊とたった一騎で対峙した佐竹藩脱藩士のぼくの恨み節に全部付き合ってくれたのだった。米沢駅近くの喫茶店で一休みして、同駅から新幹線で帰京するまで、おそらく二日間で10時間以上一緒にいた計算になる。志郎康さんは70歳、ぼくは48歳だったが、お互いにずいぶんと疲れたはずである。
この2年後も映画祭で志郎康さんの作品が上映されることになったので、来形の折はぼくがアッシー役を買ってでますと伝えたのだが、東北芸術工科大学の教員になっている教え子や知り合いが接遇してくれる、もっぱらそちらと時間を共有するので、という理由で断られた。そしてこのあと、ぼくは二度と志郎康さんと会うことがなかった。
志郎康さんは内心、ぼくと過ごした時間に辟易していたのではないだろうか。それでも、ぼくにとって志郎康さんと過ごした濃密な時間は一生の思い出になっている。
志郎康さん、あの世でまた話したいです。そのときは断らないでくださいね。合掌。
http://shitohihyou.n-da.jp/e851067.html
http://shitohihyou.n-da.jp/e851067.html
活動・足跡,徒然に
Thu, 24 Nov 2022 18:46:50 +0900
-
久しぶりにジャズ喫茶「オクテット」へ
【注】 以下の内容は「高安書房」のブログに記載した内容と被っています。
山形名物(?)の濃霧の季節が来ました。
今日は午後から天気が崩れ、また一段と気温が下がるようです。
街に降りてきた紅葉もそろそろ終わりが近付いている・・・・。
ちょっと山形駅前をぶらつく時間ができたので、ほんとうに久しぶり、たぶん10年以上ぶりに山形駅前のジャズ喫茶「オクテット」に行ってきました。マスターの相澤さんが高齢になり、継承者を探しているがその専門性ゆえになかなか見つからないという新聞記事を見て、〝ああ、相澤さんがまだ店に出ているんだ〟と思い、懐かしくなったからです。
というのも、だいぶ以前ですが、店を訪れたり覗いたりしたとき別の方が店をやっていたので、相澤さんはあまり店に出ていないのかなと思っていたのです。
珈琲の味は相変わらずで私の口には合いませんが、雰囲気は変わらず、私が知る限り40年くらい前のままです。この日はミルト・ジャクソンのビブラフォンの演奏曲が流れていました。久しぶりにレコードの音色を聴きました。レコードはいいですね~。
この日は長い髪の女性店員に相澤さんがいろいろ説明していました。品出しのことだけでなく、レコードやアーティストの説明もしているようだったので、この人を後継者にするのかな・・・と思いました。
「いつもまでもあると思うな店と街」という一行を詩に入れたことがありますが、まさにそのとおり。時は残酷です。駅前の飲み屋街の見慣れた店も無くなっていました。「修ちゃんラーメン」「焼肉大雅」それに「クワイエット・カフェ」など、私はあまり入ったことはなかったのですが、寂しいです。
ところで、山形駅周辺で観光客の姿を見かけるようになりました。
非アジア系の外国人の観光客姿もちらほら。
紅葉最後期の霞城公園も美しいです。
さて、高安書房のブログで、『非出世系県庁マンのブルース』へのコメント(その4)を紹介しています。
そちらもご覧になってください。
おかげさまで山形県内の書店で少しずつ売れているようです。
八文字屋書店各店舗、小松書店本店、くまざわ書店さんなど、2回目の配本になりました。八文字屋北店さんでは、最初の配本のときは郷土図書の棚でしたが、今度は文芸・教養新刊書のコーナーに平積みされていました。
また、県外の公共図書館や県内の高校の図書館からの注文もぽつぽつ来ています。
図書館の方には個人の方と同じように直接高安書房に注文いただきたいのですが(直接購入だと消費税がかかりません)、支払い手続きが面倒な場合は取引のある書店に取寄せ依頼してください。
山形県内の学校の場合は「山形教育用品株式会社」さんをご利用されてると思いますので、そちらでも対応してくださるようです。
山形県内の書店の方は、もし「山形県教科書供給所」さんと取引がありましたら、そちらへ発注してください。もちろん、高安書房へ直接注文いただけます。
先日、TOHANさんから注文が来ましたが、返事の電話で「大手取次との取引は今のところしていなので、どのようにお付き合いしたらいいかわからないのですが・・・」と申し上げたら、「じゃあいいです」で終わってしまいました。
本当は取引していただきたいのですが、たぶん、小社のようなミニマム出版社と1冊ごとの取引はしていただけないと思います。
高安書房への発注方法はこちらをご覧ください。
http://shitohihyou.n-da.jp/e850786.html
http://shitohihyou.n-da.jp/e850786.html
徒然に
Sun, 13 Nov 2022 18:09:59 +0900
-
『非出世系県庁マンのブルース』秋田魁新報で紹介されました。
秋田魁新報2022年11月6日号の「各地の本」という新刊書紹介コーナーに『非出世系県庁マンのブルース』が取り上げられました。これは共同通信社の配信記事です。
「『官官接待』やその原資を捻出する『カラ出張』が日常的だった時代の、土木部門と中央省庁の関係性を巡る証言は生々しい。後に社会福祉法人の不正を暴くため血眼になった自分を『自家撞着』と呼ぶあたりに、公のため働く者の自負をみた。」
後段の「自分を『自家撞着』と呼ぶあたりに、公のため働く者の自負をみた。」という文がカッコいいですね。(読者には、本書を読んで頂かないとそのココロは伝わらないとは思いますが。)
実に簡潔で分かりやすい紹介文なのですが、ただひとつ、玉に傷があります。
「ケースワーカーとして生活保護受給者を回った新人時代から、特産品の紅花の販路拡大に奔走した野菜花弁専門員まで、あらゆる業務をこなした。」
ここの「野菜花弁専門員」は誤り。「野菜花卉(かき)専門員」が正しい職名です。
本書にはこのほか、秋田営林局(現・東北森林管理局)の職員を秋田市の盛り場「川端」で官官接待した話(第Ⅰ章「秘密指令!県費350億円を防衛せよ。」)や山形新幹線の初期不良によるトラブルについて歓迎するような発言をした秋田県知事の話(第Ⅲ章「米沢の能舞台はなぜ空気浮上するのか」)及び米沢市から県庁に通っている同僚に「そういえばあなたは佐竹藩だったんだ・・・」と言われた話(同)、それに湯沢市役所職員採用試験の受験体験(第Ⅵ章「要領の悪い歩行について―山形県に採用されるまで―」)など、秋田にまつわるエピソードが書かれています。
秋田県の方、ぜひお読みになってください。面白いですよ。
ご注文は「高安書房」サイトの「高安書房への発注方法」をご覧ください。
http://shitohihyou.n-da.jp/e850618.html
http://shitohihyou.n-da.jp/e850618.html
高安書房
Sun, 06 Nov 2022 18:47:17 +0900