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Posted by んだ!ブログ運営事務局 at

2010年02月20日

東北芸術工科大学卒業作品展


 山形市にある東北芸術工科大学の「卒業/修了 研究・制作展」を観た。 

 2月11日の祝日に、展示会場となっている同大学の裏手の山腹に作られた都市公園「悠創の丘」にある「悠創館」と、その後、同大学の美術学部のアトリエへ。
 賞味1時間ほどで観て歩き、なかなか面白かったので、14日の日曜に出直して、6時間ほどかけて、広いキャンパスのあちこち、すなわち13箇所余りに分散した展示会場を観て歩いた。都合7時間かけても観切れず、環境・建築デザイン専攻と映像専攻の作品群をだいぶ見残した。


 いくつかの、印象に残った作品について、ここに記す。
 最初の写真は、この卒展のチラシに採用されたグラフィックデザイン専攻の学生たちの作品。この展のテーマ、「結 YUI/KETSU/MUSUBI」を形象化したもの。



 
 まず、大学本館7階のギャラリーの工芸作品から。
 鉄による造形の、大場弥生・作「認識から始まるcogitoを通した世界のかたち」(2番目の写真)。この写真では見にくいが、手前の狼(?)に合体している鯨らの体内に、膝を抱きかかえて蹲った姿勢の人間が孕まれている。
 一見して、これが鉄だという印象は受けない。
 Cogitoは人間の専売特許であるはずなのに、この「cogitoを通した世界」の人間は、有機的生体の片隅にこんな姿勢で埋もれている。目に付くのはシャム双生児のような先頭の狼である。何気なく見過ごしてしまえばそれまでなのだが、少し立ち止まって、あらためてこの作者の「認識」を想像してみると、結構異様な世界観ではある。





 陶器の作品、竹内隆宏・作「漸悟」(3番目の写真)は、古代土器みたいな水瓶に龍が巻きついたデザイン。作者の説明を聴いたところ、まだ柔らかいうちに粘土の太巻きを絡ませて、やや乾いてきたら中抜きにする。そして龍の表皮の鱗や髭やらを貼り付けていくのだという。龍の表面の加工に、精密な手作業を投入しているようにみえる。龍の巻きつき方が異なった作品が3個ほど並んでいた。根気のいる作業だろう。
 この作品に感心したというよりも、こういう古風な(?)装飾の陶芸作品に情熱を傾けている大学生がいるということに、そして、たぶん、こういう手法を職人的に磨いて、メシのタネにしていこうと考えているかもしれない学生がいることに、(考えてみれば、そういう大学なのだから居てもあたりまえなのだが、次に紹介する作品の作者である学生との対比ということでいえば、)すこし驚いた。





 次は、情報計画専攻の作品、菱彩香・作「農人(のうと)」(4番目の写真)。
 自分が社会に出て何をすべきかを探索するため、農業に従事している人々を取材し、その体験を、雑誌風に記載したノート。取材対象者一人に対して一冊ずつ作成されている。
 なんだ、よくある“自分探し”か・・・と期待しないでページをめくったのだが、取材内容(人物像など)と掲載されている画像及び記事の配置が意外にしっかりしていて、読むにたえる。<自分>の方にデレデレと流れているわけではなさそうだ。







 5番目の写真は、ミクストメディア作品、斎藤絢・作「お誕生日おめでとうというお葬式」。
 これはキッチュというのか・・・いかにも当世風というか、若い女の子の“東京カワイイ”風の手法で、しかしそこにブラックユーモアを散りばめ、自分を取り囲む世界への根源的な批評を打ち出しているような印象を受けた。じっとみていると、すこしぞっとしてくる。








 グラフィックデザイン専攻の元島綾花・作「蝕(むし)」は、人間に取り付いた蟲たちを日本画風のタッチで描く。(6番目の写真)
憑依した蟲と憑依されている人間の構図は、どこかで観たことのあるような印象なのだが、明るくも、解離の世界のように靄がかった色調が、構図の異様さを引き立てている。










 木彫作品、伊地知菜美・作「まるで夢のような」は、自然体で、静謐な感じがして、好感をもった。(7番目の写真)








 ビデオ作品は、各作者の専用展示スペースで常時上映にかかっていたもの数本しか見ることができなかったが、そのなかで、田中健二・作「笹谷トンネル/仙台駅東口/塩釜神社前県道3号」が印象に残った。
 笹谷トンネルは、国道286号と山形自動車道が共用する山形県と宮城県の境のトンネル。
 そこを自動車で通り抜ける際の、運転席からの映像が映し出されるが、次第に路面とトンネル壁面が撓(たわ)んできて、波打つようになる。これ自体は、技術的にどうなのかは知らないが、とくに面白味のない映像。だが、次に映し出される仙台駅東口の通路の映像は面白い。
 ビデオカメラの視線が、対面からやってくる通行人を捉える。通行人は通り過ぎていくのだが、その動きの、コマ送りのコマのような残像が、いくつもの形で重なり合って画面に残る。ちょうど通行人が行き過ぎるのに合わせて、実寸大の連続写真を何枚も並べられていくように。
 塩釜神社前県道3号の部分では、お祭りで両側に露店が並べられた日暮時の県道を歩いていくカメラ視線に、例のコマ送りの残像が現れる。
 それに加えて、コマ送りで撮影した実寸大写真が一枚一枚連続して捲られるように、露天の前に佇んでいる人物たちの像が、パタパタと手前に倒れ込んでくるというアニメが仕込まれている。日暮時の露店、主体が散策しつつ味わっているはずの和みや癒しの世界の中の人間が、とつぜんに静止し、即物的なプレートに変わる。
 この作品の面白さは、カメラ目線が、この他人の残像のプレートに構うことなく、それ自体として通路を進んでいくところにある。 この“他者に構うことのない自己”の視界の動きと、そこに映し出される“構われることのない他者”の残像の、しかし、その実、恐ろしく気障りする存在感の<乖離>が、見るものに異様な感覚をもたらす。



 さて、じぶんのような素人目には、美術学部のなかで総体として相対的にいちばんレベルが高いように見えるのは、日本画や版画専攻の学生・院生たちの作品だった。
 日本画の作品では、“日本画”という既成概念を、ほんの少しだけではあるが、壊してくれた作品群が印象に残った。
 絵は上手とはいえないが、大塚怜美の作品は、批評精神に富んでいた。
 掛け軸に収まった魚の日本画。だが、その魚はスーパーの白トレイにパックされ、値札シールを貼られている。8番目の写真は、この作者の「絵遊魚図」という作品。
 4幅の掛け軸を壁に並べて展示しているが、いちばん右の掛け軸に描かれたハタハタが、絵を抜け出して、よその日本画の中を泳ぎ回っている。この、不真面目な自己批評に惹かれた。
 勝手なことを言わせてもらえば、いちばん左の掛け軸に、焼き魚定食(?)が描かれているが、これではただの安易なウケ狙いと看做されてしまうので、ここにもっと本気印の、つまりは芸術性の高いオチを用意してほしかった。





 最後に、もっとも印象的だった大学院生・佐藤賀奈子の銅版画について。(9番目の写真)
 この手の抽象画が嫌いではないじぶんの好みもあるが、この作品の展示室には2度足を運んだ。
 展示室の入り口に、作者紹介を記載したプレートが貼ってあり、そこに作者のコメントとして、こんなことが記されてあったので、勝手に書き写してきた。



 ・・・確実に死に向かっているのに、どうして生きていけるのか。なぜ生まれるのか。死んだらどこへいくのか・・・この答えのない問いかけが、銅版画に向かい合うとき、私の頭の中をめぐっている。版のうえで模様が細胞のように増殖し、版のうえで生まれては死んでいくような感覚になる。自分の表現の原動力になっているのは、劣等感や嫉妬心、それに忘れたい思い出などである。版に模様を刻む行為によって、私はこのネガティブな感情を自身から版に移し、少しずつ消化していく。

 「劣等感や嫉妬心、それに忘れたい思い出など」の「ネガティブな感情」を「消化していく」という行為が表現だというのは、じぶんにも、そこそこ(いや、だいぶ)当てはまるような気がする。
 じぶんはもうだいぶ歳をとっているから、「なぜ生まれるのか」とか「死んだらどこへいくのか」などとは考えない。つまりこんな問いはどうでもいいが、「確実に死に向かっているのに、どうして生きていけるのか」という想いを抱いていたころの記憶が、未だ生々しいことに思い至る。

 さて、このように記してみて、はて、と振り返る。
 ネガティブな感情を消化するというとき、ところで、その“消化”とは、じぶんにとってはどういうことなのか・・・字義どおり解釈すれば、表現のモチベーションやエネルギー源に変えていくとでもいうことになるだろうが、そんな都合のいいようにはいかない。
 では、消化酵素で分解して、無毒な物質に変え、忘れるということか。
 そうでもないだろう・・・。むしろ、ネガティブな感情を消化するということは、“消化”にじぶんの生のエネルギーと時間を消費することによって、じぶんの生を少しずつ消していくということなのではないか・・・そんな気がしてくる。


 このほか、プロダクトデザインやコンピュータゲームデザイン専攻コース、民俗学や考古学、それに美術史・文化財修復学科などの展示作品も観て歩いた。
プロダクトデザイン専攻の学生たちは、体育館を見本市の展示場のように構成し、各作者が作品の前でプレゼンしていた。その精力的な姿も印象的だった。






 最後の写真は、同大学のグランドに展示されていた作品。
 だいぶ歩き回って疲れたせいで、作者と作品の題名をメモするのを忘れた。
 雪原と山並みの借景・・・これなどは、この大学でないと成立しない作品である。
 ちなみに、この写真だけを見ると、この大学が田園地帯に立地しているように見えるが、これはキャンパスが斜面に立地しているためで、この雪原に見えるグランドの下には、山形の市街地が広がっている。
                                                          (了)
  
                                                          

  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 12:39Comments(0)美術展

2010年02月14日

高啓の詩 「山形詩人」67・68号ほか



 高啓は、「山形詩人」67号に詩「風景論」、同68号に詩「冬の構造」を発表している。
 ここで、じぶんの備忘のためもあって、詩集『ザック・デ・ラ・ロッチャは何処へいった?』(書肆山田)以降に発表した詩作品を、発表順に掲げる。

 「ナイアガラの瀑布の前できみは」(「山形詩人」57号・2007年5月)
 「十歳になれば、おまえは」(「coto」14 号・2007年7月)
 「初期詩篇 ヨハンへの手紙」(「山形詩人」58号・2007年8月)
 「初期詩篇 ジャンへの手紙」(「山形詩人」59号・2007年11月)
 「唯名論」(「coto」15号・2008年1月)
 「初期詩篇 棲息者への手紙」(「山形詩人」60号・2008年2月)
 「初期詩篇 ジョルジュへの手紙」(「山形詩人」61号・2008年5月)
 「逆さ蛍」(「coto」17号・2009年1月)
 「逆さ蛍(二)」(「山形詩人」64 号・2009年2月)
 「噛む男」(「山形詩人」66号・2009年8月)
 「風景論」(「山形詩人」67号・2009年11月)
 「冬の構造」(「山形詩人」68号・2010年2月)

 ※「山形詩人」はバックナンバーの在庫あり。ご希望の方は、このブログの右側の「オーナーへメール」から申し込みを。(定価1冊500円を、送料込み500円で。2冊以上は1冊につきプラス300円。)


 ついでに、高啓の詩集をあらためて記載しておく。


 『母のない子は日に一度死ぬ』(書肆犀・2001年9月発行)定価1,680円
  ・第1回山形県詩人会賞受賞

 『母を消す日』(書肆山田・2004年4月発行)定価2,310円
  ・第55回H氏賞候補 最終決選投票で落選

 『ザック・デ・ラ・ロッチャは何処へいった?』(書肆山田・2007年9月発行)定価2,625円
  ・山形市芸術文化協会奨励賞受賞

※『母を消す日』と『ザック・デ・ラ・ロッチャは何処へいった?』は、ネット書店で購入できる。なお、ジュンク堂池袋本店などには在庫があるようである。
 『母のない子は日に一度死ぬ』は、このブログの右側の「オーナーへメール」から申し込みを。(頒価は、送料込み1冊1,000円)
  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 02:08Comments(0)作品情報

2010年02月02日

吉野弘の詩 「I was born」 について




  このHPで、「山形詩人」68号その他と合わせて、同誌の同人である万里小路譲著『吉野弘 その転回視座の詩学』(書肆犀)の紹介をしようとして内容を読み進んでいたら、そこに収録されている吉野弘の詩「I was born 」について考えさせられたことがあったので、今回は、むしろそのことを中心に記しておきたい。(「山形詩人」等の紹介は、次回掲載。)

 万里小路は、吉野弘の詩作品を書かれた順番と作者の経歴に即して「転回視座の詩学」という観点から、吉野の詩作の流れを、主に次のように了解する。
  ?<労働者>から<詩を書く人>へ
  ?<否定>から<肯定>へ
  ?<緊縛性>から<開在性>へ   ・・・・の超出
 そして、「I was born 」については、「<私たちは、なぜ生まれるのか>という問いが作品の基底にあり、そしてそれに回答があるようには思われない。」と述べつつ、吉野弘の詩作品を<超出>というキーワードでとらえ、「実存とは、いまここから次のいまここへと超え出ることである。」というふうに、これを存在理由や実存を問う作品だと看做して語っている。
 じぶんは、吉野弘のよい読者ではないから、ここで万里小路の議論にまとまった対抗軸を提出する準備も意欲もないが、ただ、「I was born 」について、彼が述べるのとはちょっとちがった視方がありうるだろう・・・とは思った。


 英語を習い始めて間もない頃(思春期)の作者が、父親と歩いているとき、向こうから歩いてきた妊婦を見て、その腹の中の胎児を想像する。そして、<生まれる>ということが英語の構文では<受身>である訳をふと諒解し、その思いつきを父に語る。
すると父は、自分が思春期のときに抱いていた疑問を語ってみせるかのようにして、口が退化して餌も採れない姿で生まれ、2、3日で死んでいく蜉蝣の雌が、その体内にぎっしりと卵を充満させているという話をしたうえで、そして、作者に、母親がお前を生んですぐ死んだのだと知らせる。そこで少年は、「―ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体―」(最終行)というイメージを灼きつける。・・・これが「I was born 」の梗概だ。

 端的に行ってしまえば、「I was born 」という作品の勘どころは、思春期の少年が<生>=<性>に対して抱く慄きのリアルさにある。・・・それは、自分がなぜ存在しているのかというような哲学的な問い(いいかえれば実存的な問い)の悩ましさというよりも、ひとまずは、きわめて切ない命の感受であり、そして強くて醜い情欲的な震えのようなものだ。
 そして、その慄きは、すぐさま、「I was born 」という構文が隠蔽しているもの、すなわち「だれによって産まれたのか」という本質的な問いを抉り出す。それは、自分を産んだ存在=母への憧憬と畏れとに、少年を直面させる。その生々しさが、この作品の命だといえる。

 作者は、父の言葉を借りて、自分を産んですぐに死んだ母と自分を、蜉蝣とその体内の卵のイメージに仮託して、心に焼き付けた(ということにした)。
 しかし、名作といわれる作品「I was born 」の問題は、ここにある。ここには、要するに、作者によるレティサンス(故意の言い落し)があるのだ。

 命は、次ぎの(すなわち継ぎの)命を生み出すためだけに、“切なく”存在している。・・・もし、そう認識する(だけ)なら、たしかに「<私たちは、なぜ生まれるのか>という問いが作品の基底に」孕まれるということになるだろう。そして、だがしかし、その回答は、「あるようには思われない」どころか、問い自体の出所地に、すでに存在している。この問いを自ら問い、この問いに自ら答えた者は、むしろある意味ではすっきりするのであり、ひたすら原始仏教の、放浪する修行者のように歩めばいいだけだ。

 「I was born 」という構文をつぶやいた瞬間、この構文が隠蔽しているものが立ち上がってくる。それは母という存在だ。吉野弘の「I was born 」は、その母という存在を、きわめて肉感的で映像的に描いているようで、その実は、“棚上げ”している。
 蜉蝣の姿の想像によって焼き付けられたのは、母をふさいでいた「白い僕の肉体」であり、母それ自体の姿ではない。ここでは、母は、子=作者自身のためにだけ存在するものとして描かれている。
 いいかえれば、作者は、自らの出生に関する想像から、母の具体的イメージ(というよりも母の具体的イメージの欠損)を故意に言い落し、これを、次ぎの命を生み出すためだけに、“切なく”存在している命の普遍性へと“超出”させてみせた。ようするに、ひとつの、自らに対する“嘘”を鮮やかに演出したのである。

 たとえば、このじぶんにとって、吉野の「I was born 」に描かれた蜉蝣とその体内の卵のイメージに対応するものはなにか。
 じぶんにとっては、手術で摘出された母の胃袋に突き刺さっていた、エイリアンの卵のような形状の、鶏卵ほどもある高分化型のがん細胞こそが、それにあたる。
 ひとりの女に孕まれつつ、その親に寄生して増殖し、内側から侵襲して死に至らしめる存在こそが子のイメージであり、じぶんのイメージである。逆に言えば、ひとりの女が、自らの体内にいつしか発生させる“悪性新生物”こそが、子に他ならない。そのイメージは、具体的な体験に根ざすものであり、他のどんな形象にも仮託されない個別具体的な表象である。そして、その自己イメージは、明らかに“じぶんの母”というひとりの女の具体像を伴って成立している。
 「I was born 」は、こうした具体性を巧妙に隠蔽している。「I was born 」が名作なのは、それが自らに対する“嘘”を鮮やかに演出した作品だからである。


 さて、ここで、少しだけ万里小路の著作に戻ると、この著者は、吉野の作品を(吉野の作品だけではなく、彼が批評の対象とする大方の作品を、というべきかもしれないが)、ハイデッガーやサルトルやフッサールの観念の方から見ようとしている。
 しかし、「I was born 」の解釈について、どこかから範疇を借りて語るなら、実存主義や現象学よりも、むしろユングのいう元型(アーキタイプ)のひとつ、つまり<グレート・マザー>という概念を参考にした方がいいような気がする。
 元型とは、人間が普遍的に集合的無意識としてもっている固有のイメージであり、<グレート・マザー>は、その中のひとつで、まさに“偉大な母”というべきものである。
 しかし、この偉大な母には、子を産み、慈しんで育てるという側面と、子を束縛し、飲み込んで破滅させるという側面がある。
「I was born 」に描かれた蜉蝣の雌の姿は、まさに二重性としての<グレート・マザー>である。それは、子を産むために全存在をかける生きものだが、そのことで産まれてくる子に、たじろぐほかない宿命を、つまりはその子もまたさらなる子のためにのみ存在せよという、どうにもやり切れぬ破滅的な宿業を負わせる生きものでもあるのだ。
 「I was born 」は、まさにこの二重性への慄きを表白した作品と見なすことができる。

 おっと、しかし、われわれはこんな強迫観念にまともに囚われる要はない。
 われわれは、幸か不幸か、あらかじめ本能の壊れた生きものとして産み落とされるところの、次ぎの世代を産むためだけに存在することを、とうにやめてしまった種だからである。
                                                                                                                                                                                                     

  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 19:03Comments(3)作品評