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2009年08月16日

「山形詩人」第66号ほか




 最近、モンテディオ山形に関わることばかりで、『詩と批評』の名にそぐわない内容になっている。そこで、申し訳に、久しぶりに詩に関することを・・・・。

 8月20日付けで『山形詩人』第66号が発行された。
 高啓は、この号に詩「噛む男」を発表している。
 また、65号は欠稿したが、2009年2月発行の64号には、詩「逆さ蛍(その二)」を発表している。
 ついでに、じぶんの作品について紹介しておくと、2009年7月発行の『coto』第18号に、「似非ブログ欺罔日記(09年春雨篇)」という短い散文を寄稿している。
 (『山形詩人』は、バックナンバーを含めて手元に残部があるので、希望の方はこのブログの右側の「オーナーへのメッセージ」からメールでご連絡いただきたい。1冊500円。送料は当方負担。)





 このほか、贈呈された詩集などについて。

 築山登美夫 詩集『悪い神』(七月堂)。
 『coto』に寄稿している関係で、じぶんに贈呈いただいたものと思う。
 “フランス綴じ”というのか、ペーパーナイフで袋になった頁の横と下を切り離しながら読み進む綴り方である。
 詩から受ける印象は、いかにも60年代後半に青春を過ごした世代の作品だなぁという感じ。
 隠喩や換喩、そして呼び掛けの語彙が力とリズムをもっている。しかし、この詩集のことばたちがもっているリズムを、ペーパーナイフで切るという手間が損なっているような気がする。装丁自体としては素敵だが、内容とマッチしているかは疑問。
 









 長津功三良 詩集『飛ぶ』(コールサック社)
 都市銀行を退職して、山村生活を送りながら詩作に取り組んでいる作者の姿が、だいぶ直截的に描かれている。じぶんも退職したらこんな詩を書くのかなぁと思わないでもないが、たぶん、現役世代は、多少とも“いい気なものだなぁ”という感想を抱くだろう。
 我々以降の世代は、もはやこんな老後を想像できない。じぶんより若い現役世代に、じぶんのモチーフをどう伝えたらいいか・・・これは、仕事をリタイアした詩人にとって、普遍的な課題であるだろう。













 金太中 詩集『高麗晴れ』(思潮社)
 詩集をいただくまでお名前を存じ上げなかったが、北海道で会社を経営していた在日韓国人または在日朝鮮人の方のようである。
 歩んできた人生の奥行きを感じさせる作品たちである。
















 万里小路譲 詩集『マルティバース』(書肆犀)
 万里小路氏は『山形詩人』の同人。『山形詩人』には、もっぱら詩に関する批評文を寄稿し、詩作品は、自身が発行していた一枚誌『てん』や、『詩と思想』『詩学』などに寄稿してきた。それらの作品を纏めたものが、この詩集。
 「ユニバース」に対する「マルチバース」という詩の世界。たしかに多彩であり、この人は、毎晩のように机に向かって作品を創るのだろうな・・・そんなことを思わせる。ライトバース調の言葉遣いで、様々な事柄(読書や音楽)に反応するようにして作品が生み出されている。












 山本博堂 詩集『ボイシャキ・メラ』(書肆山田)
 これは、旅行記を詩にした作品集である。
 昔、選挙用のパンフレットや機関紙には、絶対に海外視察の話や写真を使うなと、古参の選挙参謀から教えられたのを思い出す。
 この手の話には、旅行した本人には観取できない厭味があるものだが、この詩集には、それほど感じない。この人が、“見て通り過ぎる”ということに習熟しているからだろうか。少なくても、詩という形式で書くということが、この人の場合は、その厭味を和らげ得ているとはいえるだろう。











 
 大場義宏 『「食わんにゃぐなれば、ホイドすれば宜いんだから!」考』(書肆山田)
  「わが黒田喜夫論ノート」と副題がつけられている。
  『山形詩人』に連載された黒田喜夫をめぐる文章の集大成としての426ページ。
 以前、真壁仁に関する高啓の論文に対して大場氏に論難を吹っかけられ、これに反論するために『山形詩人』に連載された同氏の文章を読んだが、黒田喜夫論といえる内容はほとんど存在しなかった。
 黒田が論争した相手や、自分が気に食わない相手を持ち出して、それにぐじゅぐじゅぐじゅぐじゅ難癖を付けることで、黒田を論じたつもりになっている。なにより、黒田の詩が扱われていないのは、黒田論として決定的な欠落である。
 近代化されたこの社会を呪詛する前に、近代化される前のムラやイエを振り返ってみよと言いたい。この人は、私よりずいぶん年上だが、そのような世界で息をしてきたことがないのであろう。
 ちなみに、大場氏は、『山形詩人』第58号の高啓論文「他者非難によるデッサン法の不毛について」における反批判に対し、いまだに何の返答もしていない。               

 黒田喜夫の詩は、黒田自身の書いた散文の方向性だけで解釈されるべきではない。
                                                                                                                                                                   
 

                                                                                                                                                                                                                                       




  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 01:46Comments(0)作品評

2009年08月15日

「プロビンチア」と「エレベーター」

 2009年7月発行の山形県企業スポーツ振興協議会会報「CSP+」15号第一面に、社団法人山形県スポーツ振興21世紀協会(モンテディオ山形の運営母体)の理事長である海保宣生氏が寄稿した「『モンテディオ山形のJ1昇格』について」という文章が掲載されている。

 そこで、かれは、この9月に公表される予定であるところの2008年度のJリーグ各クラブの経営内容について言及し、「前年の実績から推定すると、モンテディオの2008年度の事業規模(総支出額)は73千万円でJ2(15チーム)中9番目であると思われる」と述べている。
 また、「総支出額の45〜50%が人件費であるが、このような財政環境でJ1進出を果たしたのは“大変な出来事”である」として、その「必然と偶然」について記している。
 なお、「必然」とは、小林伸二監督の招聘をはじめ、中井川茂敏GMらによる「適格(ママ)なチーム編成」。「偶然」とは、モンテが勝てずに苦しんでいるとき、昇格を争っていた湘南や仙台なども勝星を重ねられず、しかも昇格争いにおいて決定的な試合で、湘南からラッキーな勝利を得たことである。







 ところで、季刊『サッカー批評』43号(2009年6月)は、「プロビンチアの生きる道」という特集を組んでいる。(プロビンチアとは、地方の中小クラブのこと。)
 その特集中の記事「モンテディオ山形の躍進は『夢物語』なのか」(後藤勝)で、海保氏へのインタビューが紹介されている。

 「今年の予算編成会議では、身の丈を違えるようなお金の使い方は絶対にしない、と言いました。今季の収入見込みは10億3,400万円、そのうち5億1,000万円しか使わないと。(中略)でも、健全経営は違えない。そこからは絶対に軸足をぶらさない。もうひとつ、我々は公益法人であるから、サッカーという競技を通じ、人間として選手を育成することを目的として、ユースアカデミーを運営する、とも言いました。そのうえでプロとして活躍する選手が出現するのが望ましい、と。その基本原則を守った結果として、刀折れ矢尽きてJ2に降格してもいい。そうしたらまたJ1を目指せばいいじゃないか、というのが我々の考えです。」

 「エレベーターと言われてもけっこう。減資に追い込まれたJ2クラブは、みんなJ1経験者です。その轍は踏みません。」
 (引用者注:「エレベーター」というのは、J1に定着できなくて、J1とJ2を行ったり来たりするクラブのこと。)

 さて、今季、モンテディオ山形の事業規模は、間違いなくJ1でダントツ(ダンヘコと言うべきか?)の最下位だろう。
 このような弱小クラブがJ1に残留できるとしたら、それはたしかに“大変な出来事”―J1に昇格するよりも遥かに“大変な”―である。
 じぶんは、いま、この浪漫を追求しているモンテとそのサポーターたちを見られることに幸いを感じている。
 しかし、おそらく、モンテにとって本当の課題は、真の意味で、この「エレベーター」クラブになることだと思われる。

 ところで、同誌の「プロビンチアの生きる道」という特集は、イマイチ突込みが足りない印象は拭えないが、それでもとても参考になる。
 J1の大分トリニータの苦境の背景にあるものと、J2に降格しながらも確実に地元に定着しているヴァンフォーレ甲府の復活、そして地域活動に対する戦略をしっかり構築して、クラブとしての手本を示す湘南の取組み・・・など。
 とくに、甲府については、興味深い数字が紹介されている。
 J1昇格前年の2005年の平均動員数が6,931人。J1に2年いて、J2に降格した2008年のそれは10,354人。J1を経験したことで、約3,000人観客動員が増えている。
なるほど、今季の甲府は、第33節時点で第3位と昇格争いをしている。

 ついでに言及しておくと、同誌には、Jリーグが今季から「移籍金撤廃」を決めたことに関する特集記事も掲載されている。
 この記事を読むと、Jリーグが、なぜ急に撤廃に舵を切った(ようにみえるか)かがよくわかる。
 移籍金撤廃によって、事業費の規模の差が成績に反映する度合いはさらに高まり、“浪漫”が実を結ぶ可能性はさらにさらに狭まり、モンテをはじめとする“プロビンチア”は、J1で生き残るための戦略・戦術をさらにさらにさらに磨かなければならなくなるだろう。
 これを“面白い”事態だと看做すか、それとも「Jリーグ底辺崩壊の足音」(同誌)と看做すか、その見物もまた面白いことではないか。・・・・あっは。                                                                                                                                                                                                                                                 




  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 14:59Comments(0)スポーツ

2009年08月12日

サッカーと資本主義



 さて、前回の書き込みで「次回に続く」と持ち越した大澤真幸の「サッカーと資本主義」(『性愛と資本主義(増補版)』(青土社)所収)という文章を読んで、<この山形という地域性とプロ・サッカーチームの関係>について考えていることを記してみる。

 まず、「サッカーと資本主義」という文章にはどんなことが書かれているか、それをじぶんなりに抽出し、対象化してみると、それは次のようなことになる。
なお、以下は、大澤の論の概略というより、その論旨をじぶんなりに言い換えたものである。大澤の論理展開は、以下にじぶんがのべることよりも“高尚”でスマートである。興味を持った方は、ぜひ原文にあたってほしい。

 サッカーは、その原初形態においては、村をあげて、村の区域全体で、どちらかがゴールを決めるまで時間無制限で行われていた。それがパブリック・スクールに持ち込まれて、時間と場所の制限が行われ、ルールが整備されていった。
初期には、時間無制限で「1点先取で決着」方式だったものから、時間を区切って得点の多寡を競う方式に移行したことで、いわば蕩尽または祝祭として行われていたサッカーが、社会制度下における「ゲーム」となった。(大澤が、蕩尽とか祝祭とかいう言葉を使っているわけではない。)
 ゲームとなったということの意味は、この祝祭的経験とその快楽が、制度的に“繰り返される”ものになったということでもある。このことが資本主義の段階に相応している。
 つまり、前資本主義的社会において、蕩尽や祝祭であった行為の機能が、まさに<投資>された財貨が<回収>されることに転形されているのである。
 <投資>とその回収すなわち<利潤>の取得という過程は、一度きりでは資本主義的生産様式を支えるものとならない。つまり、それは時間の経過とともに繰り返されなければならない。これが、サッカーが「1点先取で決着」方式から、「時間内に多くの点を取った方が勝ち」方式へ移行したことに相即している。

 一方、アメリカでは、世界でこれだけ人気を博しているサッカーの地位が、なぜ低いのか。
 それはサッカーのルールに理由がある。サッカーでもっとも重要なルールは、「オフサイド」である。このルールが得点の入りにくさをもたらし、したがって得点が得られたときの歓喜の大きさを保証している。
 しかし、発展したアメリカ資本主義は、この程度の(サッカーのゲームにおける、せいぜい1ないし3点程度の得点という)繰り返しの度合いでは満足できない。そこで、オフサイドを撤廃するか(バスケットボール)、オフサイド・ルールを最初だけに形式化し(アメリカンフットボール)、得点が得られやすいゲームを発明した。
 <投資>と<投資結果としての利潤>が繰り返されることで、それは個別的な投資とその回収という過程を脱し、<投資>と<利潤>の無限連鎖の過程(つまりは“金融資本主義”)へと変質している。
 この無限の過程では、<投資>する主体が、すでにその意識と存在形態に、投資の回収という“終わりの姿”を、あらかじめ繰り込んで存在している。したがって、もしこの過程に終わりがあるとすれば、それは“終わり”ではなく、破綻(=恐慌)である。
 こうして、得点という歓喜または失点という落胆が、厳密に決められた時間の枠内で、何度も何度も繰り返されるバスケットボールこそが、いわば現代資本主義(最近流行の言い方でいえば、“マネー資本主義”)を表象しているというわけである。


 ところで、“J1モンテ”を愉しむようになって、じぶんは、マンチェスター・ユナイテッドの試合までテレビ観戦するようになってしまったが(苦笑)、映像を見ていると、ゲームのすばらしさとは裏腹に、あの風景にはとてもうんざりさせられる。それは、あの画面に映し出される観客の姿である・・・あの人々は、多くがまさに労働者階級であるのだろうが、しかし、あえて言えば、まるで<労働者階級>を自ら進んで体現しているようではないか。
 
 さて、先に「ぼんやりと、この山形という地域性とプロ・サッカーチームの関係を考えている」と述べたのは、このことである。
 “J1モンテ”が、プロ・サッカーチームを山形に根付かせつつあるのは喜ばしいことではあるが、一方で、もしモンテを支える基盤が山形に根付くとすれば、それはこの山形が、まさにマルクスの時代の資本主義を体現するということでもあるのではないか・・・。
 読者は、おまえは何をバカなこと言っているんだ、日本は高度な資本主義社会であり、山形だっていかに田舎だろうが、とうの昔から資本主義じゃないか、と思われるだろう。
 もちろん、そのとおりである。しかし、問題は、資本主義化の度合い、つまり住民の関係性乃至関係意識における資本主義化の度合いなのである。
 “J1モンテ”がサポーターを増やし、ファンを拡大し、地域に根付くとすれば、それは山形というこの地域の関係性が、これまでより幾分かゲゼルシャフトリッヒになったということを意味するだろう。

 ちょっと乱暴だが、この“山形の資本主義化”の目安を、農業の衰退を示す指標においてみたい。
 山形県における農業部門の総生産額が県の総生産額に占める割合は、1990年が5.3%だったものが2005年には僅かに3.0%(!)に減少しており、また、総就業者数に占める農業就業人口の割合は、1990年が17.6%だったものが、2005年には13.9%となっている。(ついでに、2005年における農業就業者に占める高齢者(65歳以上)の割合は、56.7%)
 このように山形県は、産業別の産出額や就業人口の割合でみれば、とっくの昔に「農業県」ではなくなっている。
 しかし、もうひとつ大事な指標がある。それは、「農家」の割合に関する指標である。
 まず、総世帯に占める農家の割合を見ると、1990年に24.6%であったものが、2005年には15.9%に減少している。
 もっとも注目したいのは、農家人口率(総人口に占める農家の世帯員数の割合)である。1990年には29.1%であったものが、2005年には19.1%となっている。
 1985年に36.6%だった農家人効率は、バブルの時代を経て、急速に減少してきた。つまり、20年ほど前、山形県人の3人に1人(!)は農家の構成員だったのだが、今や、1世帯あたりの構成員数の減少も相俟って、おそらくは、6人に1人程度に減少していると思われる。(ちなみに、それでも山形県は、2005年時点で、1世帯当たりの平均人員3.09人、三世代同居率24.9%で、何れも全国第1位。)


 “J1モンテ”とそれをめぐる諸事情の風景は、農業の衰退とそれに伴うこの地域の関係性の変貌を表象しているとはいえないか。
 それはつまり、こういうことだ。
 農家人口率が高いということは、大雑把にいえば、その社会に、前近代的な地域の関係性や保守的な家族関係が残存している度合いが高いということだと考えていいだろう。
 <山形>が農業から離れていく過程すなわちゲマインシャフトリッヒな関係が解体していく過程が、農家人口率の低下に表象されている。それはすなわち、この山形という社会がゲゼルシャフト化、すなわち資本主義化の度合いを深めていく過程でもある。
 ゲゼルシャフト化していく社会の、ある段階における<祝祭>の一形態・・・それが“地域に根ざしたプロ・サッカーチーム”への<投企>だと仮定すれば、「サッカーと資本主義」の論旨は、私たちの認識にするりと入り込んで重なる。


 農業の衰退、すなわちこの地域社会の衰退は、驚くほど急激に進行している。たしかにこれはやばい。
 一方、前近代的な地域の関係性や社会と家族の保守的な旧弊が解体していくことを、1950年代に生まれた人間として、つまりは記憶の下層に非近代的風景を抱えている者として、じぶんは、基本的に評価し、支持する。この部分では、じぶんは、近代主義者あるいは吉本隆明主義者である。
 だが、しかし、である。
 あのマン・Uの試合の画面に現れる風景にはうんざりするし、また、モンテのファンたちが、あの仙台や浦和や鹿島のサポーターたちのように、“サポーター然”とした姿になっていってほしいとは、けっして思わない。
 このへんが、じぶんが、熱烈なモンテ・サポになれないもうひとつの理由であるような気がする。



 この複雑な想いは、まぁ、わかる人だけ、わかってくれれば、いい。・・・・あっは。                                                                                                                                                                                                                    






  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 18:44Comments(0)スポーツ

2009年08月07日

モンテディオ山形vsガンバ大阪



 2009年8月1日、天童市の県立総合運動公園べにばなスポーツパークのNDソフトスタジアムで、J1リーグ戦第20節、モンテディオ山形vsガンバ大阪を観戦した。

 前々節のホームゲーム・7月19日のジュビロ磐田戦では、モンテが磐田を3対1で粉砕。
 これも観戦したが、このときは久々にいい意味で興奮し、浮かれ気分で帰らせてもらった。
 地元ラジオ局で生中継があったので、それを方耳のイヤホンで聞きながら観戦・・・自分の席からよく見えない部分の動きも知ることができて都合がよかったのだが、一方で、知らず知らずのうちに放送内容に頼って試合を観戦していた・・・これは善し悪し。
 ジュビロは、磐田での今期開幕戦で6対2とモンテに大敗しており、リベンジを期して山形に乗り込んできたはずだが、そのことを意識したぶん硬くなったのか、それとも前回の大敗がトラウマになっていたのか、とにかく動きが悪かった。途中加入で磐田を盛り上げてきたイ・グノが、移籍のため磐田を離れた(現在は復帰)ということはあるだろうが、それにしても首をかしげる出来だった。
 日本代表の川口は、今期、モンテとの2試合で9失点・・・勝負の世界は厳しいとはいえ、川口がちょっと可哀想・・・と思ってしまうのだが、そ〜んなことを言っている場合ではない。モンテは相変わらず降格争いを脱していないのである。

 しかし、前節のアウェーでも、首位鹿島を追う新潟に1対1と引き分け、リーグ戦後半のモンテは調子を上げてきたので、このガンバ戦でもいい試合をしてくれるのではないかと期待していた。
 スタジアムに着くと、すでにアウェー自由席以外は売り切れ。じぶんは前売りでかろうじてバックスタンド南席を入手していたが、夏休みで家族連れが多かったことや、ガンバ大阪の人気で、これだけの人が詰め掛けたということだろう。佐々木勇人やレアンドロという元モンテの懐かしい名もあるし、遠藤保仁の人気もなかなかのようだ。かく言うじぶんも、遠藤のパスを生で一目見ておきたかった。

 ガンバのサポーターは500を切るかと思われたので、モンテ側の観客が16,000人詰め掛けたとみてもいいだろう。ホームチーム側の観客だけでこれだけ埋まったというのは、数年前のJ1昇格を賭けた試合以来、久しぶりのことだと思う。
 ひとつ気になったのは、バックスタンド自由席での地元ファンの座り方。席はベンチ式の腰掛で、1人分の区間にナンバーの振られた小さなプレートが貼り付けてある。売り切れになっているのだから、その狭いスペースに1人ずつ詰めて座らなければならないのだが、これがしっかりとは守られていない。
 ボランティアの会場係が、売り切れなので満席になるとハンドマイクで注意を促しているのだが、気に留めない者もいる。1人で1.5人分を占めたり、隣の人と間を空けたりして座っている。この辺が、山形の人間が“田舎者”だという部分。とくに、子連れで来た親は子どもに注意を促し、それとともに自ら身を正すべきだろう。
 このところの天候不順(すでに“異常気象”の域に入ったということだが)から、この日も夕方から雨になるという予報だった。この天気予報を見て、観戦をパスした前売りチケット購入者もいたはずである。それで“売り切れ”でもほんとうの満席にはならなかったのだと思うが、これがいい天気だったら、チケットを入手していても腰掛けられない観客が出たのではないかと老婆心が頭をもたげた。(苦笑)

 


 試合開始前の応援合戦では、いつもよりモンテ・サポの元気がいいように思えた。巨大な炎を描いた新調の展開式フラッグが(たぶん初めて)披露され、いつもの横の動きを入れた応援も迫力を増したような気がする。
 J1の試合を観戦するようになって感じたことは、J1の各チームの応援が、けっこう単調なことだ。声や音は大きいが、いまいち面白味に欠ける。
 それに比べ、モンテの応援歌や応援コールは、他のチームと比較して、なかなか変化に富み、いい線いっているという感じがしてきた。
 モンテがJ2の時代、J1に一度昇格して、J2に降格してきたベガルタ仙台とのゲームを観戦すると、仙台サポの応援がモンテ・サポの応援よりもずっとパンチ力が効いていて、さすがJ1で鍛えられたサポは違うなぁ・・・と思っていたのだが、最近は、パンチ力はそれほどでなくても、モンテ・サポのコールにはなかなか味があるなぁと思うようになった。
 選手入場の際に「Over The rainbow」のスキャットを、サポーター以外の観客も、僅かずつだが口ずさむようになってきているのも、いい感じ。

 さて、ゲームのほうだが、これはまったくのガンバ・ペースで進んだ。
 前半、相手に押し込まれ続けるのは、ある意味“モンテのペース”(?)なのだが、この日は、後半も含め、終始ガンバにいいようにボールをコントロールされた。
 モンテによる中盤のプレッシャーは効かない。反面、相手のプレッシャーには苦しめられ、前線にいいパスが繋がらない。モンテの基礎能力の相対的な低さを示す部分なのだが、ゴールキックなど味方からのロングボールの支配が、まったくできない。味方のスローインも相手に取られる。とくに、得意のサイド攻撃をさせてもらえなかったのが痛かった。
 逆に言えば、サイドへのパスコースを遮断するガンバ・ディフェンスの位置取りは流石だった。
 また、お目当ての遠藤のパスも、たしかに正確で、よく状況判断されたものだった。

 それでも、前半は、危ない場面も“思ったより少なく”経過・・・このまま無失点で前半を終了してくれれば・・・と思っていた矢先、ちょうど前半の残り時間が気になりだすころ、いつもながらのパターンでモンテが失点した。
 “いつもながらの失点パターン”とは、集中してディフェンスしているのだが、一瞬、試合の流れが遅くなったところで、リズムを崩してしまうこと。膠着していったん試合のペースが緩むと、足が緩んでしまい、ようするに相手の再度のギア・チェンジに対応できないのである。
 だから、相手にガンガン攻め続けられている時間帯ではなく、それが途切れたときが危ないのである。

 1点先取したガンバは、前半終了までの残り5分ほど、後衛でボールをまわして時間を稼いだ。
 このリードのままで前半を終了したいというのは理解できるが、モンテのような下位の相手でも、しかも前半終了前でもこうやって時間稼ぎをやるんだ・・・と、その意識の高さに感心した反面、もう休むのか・・・これは後半、モンテにもチャンスがあるかも・・・と、そんな気がしていた。

 後半、雨雲が水分を持ちきれず、ついに大粒の雨を落とし始めた。
 観客たちはすばやく雨具を身に付けたが、なかには雨具を持ってこなかった観客もいて、びしょ濡れのままで観戦している。リードされ、しかもボール支配は圧倒的にガンバなのだが、“河童取り”状態なのに、思ったより引き上げる客が少ない。山形の観客も、少しずつサッカー観戦者として育ってきた(?)ということか。
 この雨は、まさにモンテに味方した。
 長谷川のグラウンダーのシュートが、ゴールキーパーの手をはじき、ゴールネットを揺らす。
 数少ないチャンスをものにした長谷川は、たしかに逞しさを増している。
 同点に追いつかれたガンバは、あせって何度もモンテのゴールに襲い掛かるが、決定的なシュートをポールに当てて得点できなかった。
 中盤までガンバのパスはよく通ったし、何度もサイドを突破した。だが、最後の詰めのところで、モンテの最終ラインとキーパーの清水を崩しきることができなかった。
 モンテは最後までゴールを守りきった。これがモンテのしぶとさだと、よく示してくれた。

 註:「河童取り(かっぱどり)」とは、秋田県南部の方言で、川に入って河童取りをしたようにずぶ濡れになっている状態


 駐車場が混み合うので、試合終了後は40〜50分ほど、スタジアムの前の出店で飲み物を買い、うろうろしながら、人の動きを眺めている。スタジアムの正面玄関には、帰途につくモンテの選手たちにサインをねだるために人だかりができている。
 最初にブラジル人選手たちが出てきた。ジャジャ、アンドレ、そしてレオナルド。一緒に出てきたのは、奥さんと子どもだろうか。ジャジャは、小柄で若くて、まだ“あんちゃんこ”って感じ。
 モンテのDFの柱・レオナルドに、ファンが「はやく怪我を治して復帰しような」と声をかけている。その程度の日本語は理解できる様子。彼は、日本ではモンテ一筋にやってきたので、地元のファンから好感を持たれている。
 こうした状況は、どこかまったりしていて、いい感じである。

 さて、「サポーターにはならない」ということを信条にしてきたじぶんだが、このところ、観戦に赴く回数が頻繁になってきている。
 “J1モンテ”を愉しみながら、ぼんやりと、この山形という地域性とプロ・サッカーチームの関係を考えている。
 だいぶ前になるが、よく行く新宿のジュンク堂で、大澤真幸の『性愛と資本主義(増補版)』(青土社)に収録されている「サッカーと資本主義」という論文を立ち読みした。この本の初版は購入していたのだが、「サッカーと資本主義」という論文は、初版には収録されていなかったのである。

(ジュンク堂さん、すんません。いつもお世話になっています。高啓の詩集を置いていただいていて、深謝です。)
  
 いま、立ち読みの記憶を頼りに、じぶんの内部に取り込まれたこの論文のエッセンスを述べてみると、それは以下のようなものである。・・・・と、ここで、次回に続く。
                                                                                                                                                              

  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 11:32Comments(0)スポーツ