2012年05月24日

吉本隆明さん、お世話になりました。





 吉本隆明さん、お世話になりました。

 吉本隆明さん。2012年3月16日、あなたは鬼籍に入られました。
 じつはこの年が明けてから、じぶんには、なんとなく、そろそろあなたの生涯が閉じられるのではないかという予感がありました。
 昨今は、ハードディスク付きのデジタルテレビという便利な家電製品があり、じぶんは、NHK・BSで放映されたあなたの講演会の様子を編集した番組を録画しておりました。(2008年の夏に糸井重里さんが企画し、昭和女子大学の講堂で開催された芸術言語論についての講演会です。)
 それで、居間のテレビのスイッチを入れれば、今もあなたの姿を見、あなたの声を聞くことができます。車椅子を介助者に押されて登壇したあなたは、それでも講演に入ると身体の不如意を感じさせない佇まいとなり、相変わらず明晰なことばを繰り出していました。濃密な想いが籠められているがゆえの、あの訥弁の熱い語り口は、かつてじぶんが実際に生で講演を聴いたときと比べても、さほど衰えを感じさせないものでした。
 でも、残念ながら、80代のあなたの言葉から(というか、70代半ばで水泳中に溺れかけた事件以降のあなたの言葉から)、すでに新たに学ぶものはありませんでした。もしあなたが60代で逝去されたのだったとしたら、じぶんには少なからぬショックがあったと思います。でも、80代のあなたをならば、じぶんは淡々と見送ることができるのでした。これが、人が老いるということ恐ろしさであり、同時に最大の効用なのだと思いました。

 吉本隆明さん。とはいうものの、じぶんはあなたへの感謝の念を忘れたことはありません。
 じぶんは1976年に大学に入りましたが、そこで知り合った先輩にこれを呼んでみろと差し出された『共同幻想論』に、とても救われた経験があります。
 当時、じぶんは18歳か19歳でした。子どもの頃から空想癖があり、青年期に差し掛かってもアタマがぼ~っとしていたじぶんは、70年代に入って以降、高度経済成長と裏腹にこの日本という国の情況が急速に閉塞していくように感じ、鬱病者の如くに長いあいだ暗く重苦しい想いに囚われていました。じぶんは、この閉塞感と保守政権による社会支配の強化とを一緒くたにして、それに「天皇制」という名称を与えていました。昨今の人びとは、かつて日本に〈天皇〉という存在があったことを忘れたかのようですが、あの昭和天皇が存在していた時代には、じぶんのような〝幼いカナリア〟には生き難い、いわば古典的な事情があったのです。いとおしい隣人であるはずの世の人々が、自ら進んで支配されることを望んでいくような、あるいは支配されることを拒否する人間を抑圧し排除していくような、そんな世情を眼にしては、まるでタルコフスキーの映画『サクリファイス』の主人公のように、世界の悲嘆と絶望とを一身に負わせられているかの如き関係妄想に悶えていたのだったと思います。
 そんなじぶんの妄想による苦しみを、あなたの『共同幻想論』は解きほぐしてくれました。お前を苦しめているものは人びとの〈共同の幻想〉なのだ・・・その一言が風のようにやってきて、じぶんの頭蓋のなかの濃霧を切り裂き、その先への視野を拓いてくれたのです。未熟な政治学徒だったじぶんは、その後、丸山眞男『現代政治の思想と行動』や藤田省三『天皇制国家の支配原理』などにも触れ、じぶんが恐れ慄いている〈天皇制〉が、いくつかの位相における幻想に他ならず、あるいは意図的な工作物であったことを知ります。ある西洋の思想家が「リバイアサン」と呼んだもの、それは底知れぬ魔力を振るう怪物であることをやめて、いつしか腑分けすべき対象物に変わり始めました。

 ただ、『共同幻想論』には、当時は腑に落ちない内容もありました。性を媒介とする関係性であるところの〈対なる幻想〉について、吉本さんは〈共同幻想〉と〝逆立〟するものとしてその重要性を語りましたが、じぶんは、一対の男女の関係に生成する幻想と〈家族〉という幻想が、同じ〈対幻想〉という言葉で括られていることに異和を感じていたのでした。
 つまり、男女の性の世界がそれ自体として自立し他の世界と逆立するということはストンと理解できたのですが、〈家族〉という世界はむしろその一対の男女の世界と逆立するものであり、場合によってはあの忌まわしい〈共同幻想〉の細胞となる存在なのではないかと思っていたのです。当時はこの点がどうしても納得できずにいましたが、やがて20代の半ばに連れ合いと子どもを得たことによって、このことも次第に納得できるようになりました。
 一対の男女の世界と〈家族〉の世界は確かに逆立しうるものです。それらは同じ世界として扱うことはできないもののはずです。しかし、吉本さんの言う〈共同幻想〉と〈対幻想〉とは、いわば人間の関係意識の問題と社会的な関係性の問題とをひっくるめたものであり、とても抽象度が高く、かつはとても幅広の概念なのだということに気づいたのです。そもそも、ここでは〝〈共同幻想〉と〈対幻想〉は逆立する〟と考えること、さらにはそのように発語することこそが重要なのでした。

 そう、あなたの思想は、そのように〝決意〟し、〝発語〟するところに現出するところの何ものかだったのです。あなたはあくまでも詩人であり、あなたの思想は、まさに〝初めに言葉ありき〟だった・・・やがて『言語にとって美とはなにか』で明らかにされる〈自己表出〉と〈指示表出〉との複合物としてあなたの思想のことばを受け止めることが、あなたの思想を理解するための必要条件なのでした。

 ところで、じぶんが吉本さんの生身の姿を目にしたのはたった二度に過ぎません。一度目は、明治神宮絵画館の暗い部屋での講演でした。たぶん、1980年代の初め頃です。当時、首都圏の文化情報誌『ぴあ』には、こうした非営利的な文化イベントの情報も掲載されていましたから、じぶんはそれで文芸誌の編集部か何かが主催する「吉本隆明講演会」を見つけ、山形から六時間余りの距離を夜行の急行列車で出かけていったのだったと思います。
 もっとも、このときは吉本さんの話の内容にがっかりしたのを憶えています。なぜなら、吉本さんは、開口一番、今日は講演の準備が出来ていないと言われたからです。主催者との打合せに行き違いがあったような話でした。そして、準備ができていないから、とりあえず手元にあった最近の文芸誌に掲載されている作品の感想を述べるというような話をされたのだと思います。
 二度目は80年代の後半だったと思いますが、吉本さんがポーランドの自主管理労組「連帯」を、展望されるべき社会主義に向けた動きとして高く評価し、精力的にその旨を論文や講演で発表していた頃です。〝吉本隆明が岩手大学で講演をする〟と聞き、友人の車に便乗して盛岡に駆けつけました。
 吉本さんは、大きな模造紙にレジュメの内容を手書きした巻紙のようなものを持参し、それを大講義室の黒板に貼り出して、「連帯」がなぜ展望すべき社会主義の試みなのかを熱く語ってくれました。その内容はよく理解できましたが、じぶんは心の中で〝それは期待のし過ぎだよ。労働組合にそんなに期待したって、時間が経過すれば形骸化してしまうよ・・・〟と、どこか醒めた感覚で聴いていたような気がします。当時は、そんな自分が、数年後には労働組合運動にどっぷりと関わっているなんて想いもよりませんでした。

 さて、緩い文章がだらだら続くのはみっともないですから、あと少しで終わりにしたいと思いますが、最後に、あなたに二つだけ難癖をつけさせてお別れにさせていただきたいと思います。
 そのひとつは、まず、あなたの思想には〝中身がなかった〟ということです。このように言うととても誤解されると思いますが、その意味は、あなたの文章(この後、あえて作品と言いますが)を追究していけばいくほど、そこには大きな空隙が開かれていて、それを埋めるのは読み手自身だったということです。言い換えれば、あなたの作品に、その文脈が対象としている概念や事柄についての、何がどうだという説明や種明かし、つまりは〈指示表出〉としての内容は存在せず(〝存在せず〟というのは言いすぎで、ほんとうは〝納得できる形では提出されておらず〟というべきでしょうが)、その代わりにそこに現れてくるのは、読み手自身による疑問の抱懐とその疑問へ自ら立ち向かうことの衝迫、つまりは〈自己表出〉として湧出する意志だったのです。だから、あなたの読者は、すべからく、つねに/すでに、情況における主役(主観的な、という形容詞付きかもしれませんが)に成ることになっているのでした。ここにあなたの作品の魅力があり、その魅力のカラクリがあると思っておりました。
 もうひとつは、あなたが展開した(あるいは心ならずも応戦した)数多くの論争におけるあなたの姿勢に対する異和です。論争におけるあなたのことばはいつも苛烈で、また時々べらんめぇ調で、とても膂力があり、それゆえ魅力的でもありました。じぶんもその文体と作品とに魅了されたものです。そして、それらの論争のほとんどについて、じぶんはあなたの言っていることの方が真っ当だと考えてきました。
 しかし、ここで敢えて異和というのは、論争するときのあなたが、なにか魔物に魅入られてでもいるかのように過剰に攻撃的になり、すでに社会的に影響力を失っている相手の実態を見誤って、その相手を徹底的に血祭りに上げてしまうことに対するものです。思想的な論争とは命がけのもので、そのように厳しいものだと言われればそんなものかもという気もしないではありませんが、別の見方をすれば、あなたの心性の片隅に〝奴は敵だ、奴を倒せ〟という昏い性根(それをあなたは〈関係の絶対性〉という側面から語りましたが)の遺伝子が、まったく顔つきを変えながら残存していたのだと言うこともできそうな気がします。とくに黒田喜夫に対するあなたの罵倒の苛酷さは忘れることができません。それは、たぶんあなたが中野重治などの古い時代の人たちと論争したときに相手に罹患させられた〝レトロウイルス〟によるのではないかというのが、じぶんの素人診断でした。
 いまこうして思い起こすと、20代のじぶんの周りには、「吉本さんがねぇ・・・」とか、「廣松さんはねぇ・・・」とか、偉い思想者を〝さん〟付けで親しげに語る者が何人かいました。じぶんは、その感覚に同調できなかったので、いつも「吉本隆明」と言っていました。いま、ここでこうして鬼籍に入られたあなたに、初めて〝さん〟付けで呼びかけるのですが、これがあなたをそのようにお呼びする最初で最後の機会になると思います。
 また近いうち作品のなかでお会いすると思いますが、とりあえず一言お別れを言わせてください。・・・さようなら吉本隆明さん、ほんとうにお世話になりました。  (「山形詩人」第77号掲載)


  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 00:57Comments(0)批評・評論

2012年05月23日

戸田書店(山形店)に高啓詩集コーナー



 山形市嶋地区にある戸田書店山形店の店内に、高啓の詩集『女のいない七月』、『ザック・デ・ラ・ロッチャは何処へいった?』、『母を消す日』の3冊を揃え、これに著者についてのコメントを付けたミニ・コーナーを設置していただきました。(詩集の棚ではなく、入口を入って正面すぐに置かれている低い書棚の隅です。)
 去る5月5日(土)に山形市の「まなび館」で開催された「一箱古本市@山形」の際に、このイベントに関わっていた同店の職員の方が高啓の詩集を見つけてお声がけくださり、店長(山形市出身)のご厚意で置いてくださるということになったものです。

 戸田書店の本社は静岡。全国で40店近くをチェーン展開していて、山形店はいわゆる郊外型の大型書店ですが、ちょっと面白い工夫がされています。
 店内中央に「香澄堂書店」と書かれた看板が置かれており、その一画が古本コーナーになっているのです。これは山形市香澄町(霞城公園に隣接する最上義光記念館の前)にある古書店「香澄堂書店」の本を受託販売しているものとのこと。地元詩人の売れない詩集を大事に扱ってくれることとあわせて、古書店経営がとても厳しい昨今、地元でこつこつと頑張っている古書店をこんな形で応援してくれることを嬉しく思いました。
 
 なお、詩集『女のいない七月』は、山形市七日町の八文字屋書店(本店)にも配本されています。(入口近くの郷土出版物コーナーではなく、「評論・文芸」という表示の下の詩集コーナーに置かれています。)




 

  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 01:41Comments(0)作品情報

2012年05月09日

第13節、モンテ首位に立つ



 【第13節ザスパ草津戦】

 J2の第13節は、ゴールデンウィークの最終日、5月6日(日)18:30からのナイトゲーム。ザスパ草津をホームで迎え撃った。
 この日は午後から激しい雷になり、天候は最悪だった。これで観戦を諦めたファンも少なくないだろう。夕方には雨が上がり、雲の切れ間が覗くほどに天候が快復したとはいえ、気温は13度ほどで、ずいぶん寒いナイトゲームとなった。
 もっとも、これまでの記憶から言えば、ホームで荒れた天候のとき(とくに寒いとき)は比較的モンテの成績が良いようである。

 直前まで天候が悪かったことや、日曜日のナイトゲームということで、県内各地から子ども連れで観戦するにはちょっと憚られる条件だったが、観客は7,100人を超え、今季最多となった。
 今季の観客について感じることは、バックスタンドの入りが多くなったこと。バックスタンドの客の“ファン度”(モンテへの期待度、応援への熱意など)が、メインスタンド北席の客(サポーター席に次いで熱意をもった客層)のそれに近づいてきているなぁと感じる。・・・やはり、チームが勝ち進んでいることが大きい。

 この日は、中2日しかないゴールデンウィークの4連戦の最終日。モンテのスターティング・メンバーはほぼ固定されていたので、疲労の蓄積はかなりあったように見受けられた。
 ゲームは1対0でモンテが勝利。モンテはこのゴールデンウィークのハードな4連戦を3勝1分で乗り切り、第13節が終わったところで首位に立った。
 前半は草津が積極的にプレッシャーをかけ、モンテは今ひとつ調子を出せないまま終わる。後半は、開始早々に船山のラッキーなゴールで1点(昨年鹿島から移籍した船山のモンテでの初ゴール。)を得て、その後もサイド攻撃などで幾度かチャンスをつくったが、疲労がかなり蓄積している様子で選手たちの動きにキレがなく、追加点は得られなかった。しかし、こんな試合をしっかり勝ち点3で終えるということが大事。まずますの結果だったといえよう。
 湿度が高くて寒いのに頻繁に水を補給する選手が目立ったことと、タイムアウトのホイッスルで両チームの幾人かがピッチに倒れ込んだのが印象的だった。
 また、終了直後には、ザスパのGKがピッチに膝を衝いて地面を叩いた姿が目を引いた。よほど悔しかったのだろう。




 【 ここまでを振り返って 】

 このブログのモンテ関連記事は、シーズン開幕戦(アウェー)のジェフユナイテッド千葉戦について記載してからずっと途絶えていたが、じぶんは、第3節・3月17日のホーム開幕:大分トリニータ戦、第4節・3月20日のホーム:ヴァンフォーレ甲府戦、第6節・4月1日のホーム:水戸ホーリーホック戦、第8節・4月15日のホーム:カターレ富山戦、第12節・5月3日のホーム:愛媛FC戦、そして前述のザスパ草津戦と、開幕から7試合をスタジアムで観戦し、4月30日のアウェー・東京ヴェルディ戦と4月22日のアウェー・ギラヴァンツ北九州戦をテレビ観戦した。
 このように13ゲーム中9ゲームを観た勘定になるが、その中で負けた試合はアウェーの千葉戦のみ。とくに、上位に浮上した理由としては、GW4連戦を3勝1分で乗り切ったことが大きい。

 第13節時点の成績を見ると、1位山形(29点)、2位湘南(27点)、3位東京ヴ(25点)、4位京都(25点)、5位大分(24点)、6位千葉(24点)、7位水戸(24点)、8位甲府(22点)、9位岡山(22点)となっている。
 開幕前の「サッカーダイジェスト」誌の順位予想では「1位京都、2位甲府、3位千葉、4位東京ヴ、5位徳島、6位山形」と予想されていたが、この時点で、湘南(2位)、大分(5位)、水戸(7位)、岡山(9位)が健闘していることと、徳島(17位)が予想より出遅れていることを除けば、予想は一定程度当たっている状況にある。

 これまで実際に観戦してきたゲームで印象的だったのは、まず水戸である。これまで水戸はクラブの予算規模が小さく、しかも地元の自治体の支援をほとんど受けられなかったようであるが、市長の交代によって行政との関係が好転したこともあり、ムードは上げ潮であると伝えられていた。
 モンテのホームでも水戸は迫力あるゲームを展開し0対0で引き分けたのだったが、印象的だったのは、試合終了後にチームが挨拶に来た際の水戸サポーターの反応だった。それがどんな言葉だったか聞き取れなかったが、かなり激しい口調で言葉を浴びせていた。多分、「今日は勝てる試合だっただろう! こういう試合で勝たなくていつ勝つんだ!」というような内容だったのではないかと思う。
 これがモンテ・サポだったら、アウェーで引き分けた自チームにこんなふうに怒鳴ったりはしないだろう。当時、水戸は勝ち点で1位か2位だったと思うが、そのこともあって今年の水戸は本気モードだなという印象を受けた。
 それもそのはず、今季からは6位までに位置していれば昇格のチャンスがある訳である。このルール変更は昇格争いを間違いなくハードなものにし、したがってJ2リーグ戦を間違いなく面白いものにしている。
 6位まで昇格のチャンスがあるということは・・・つまり、昇格を狙うチームは、10位から12位くらいにいるチームと対戦する場合も、その相手チームと直接“昇格争い”をしていると思わなくてはならないということだ。言い換えれば、リーグ所属チームのうち半数近いチームが、リーグ戦の終盤まで昇格争いをすることになる

 こうした“各試合が昇格争いの直接対決”というシビアな意識を持つ必要がありながら、リードしたことで気を緩めてしまったのがホームの愛媛戦だったように思う。このゲームでは前半にモンテがペースを握り、とてもいい形で2点を先取。このまま後半も攻め込めるかと思いきや、愛媛の激しいプレッシャーで2点を返され、モンテはタジタジとなり、やっとの想いで引き分けに持ち込んだという試合だった。
 スタンドから観戦していると、後半ではモンテの前衛と中盤の選手の動きが極端に悪くなったのがはっきり見て取れた。小さなスペースで、練習のつもり?と思われるような弛緩したパス回しをして、相手とじゃれ合うようなボールの奪い合いをしていた。これは時間稼ぎのつもりか、まだ後半が始まったばかりなのだが・・・と思っているうち、見る間に2ゴールを奪われたのである。
 そんなモンテに対して、上位浮上を窺う愛媛は、前半とはまったく違ったチームになったかのように積極的に仕掛けてきた。1点を返されると、モンテは慌ててもう十分な対応ができなくなっていた。適地での愛媛戦では、今回の反省を踏まえてしっかりリベンジしてもらいたいものである。
 なお、これは、愛媛戦のほか、ホームの富山戦やザスパ草津戦、アウェーの北九州戦を観て感じたことだが、今季のモンテは、格下のチームと対戦したときも悪い意味で“相手のレベルに合わせて”しまうような気がする。変に相手に引っ張られず、やるべきことをしっかりやりきるという考えを徹底させてほしい。

 さて、ここまでモンテが対戦した相手のうち、有力チームは、千葉(A)、大分(H)、甲府(H)、栃木(H)、東京ヴ(A)で、対戦成績は4勝1敗。東京ヴ戦(A)の勝利(2対0)が大きかった。
 ここまで未対戦の強敵は京都と湘南である。これらのチームとどれだけ良いコンディションで対戦できるか、そして中位から下位のチームとの対戦で、いかに効率的に勝つか・・・これが問題である。
金のないモンテ。現在のスタメン以外の選手については、極めて層が薄く、先行きの不安は大きい。下位との戦いで控えの選手をうまく使ってスタメンを休ませつつ、若手の成長を促すことが極めて重要であり、ここはひとえに監督の手腕に係っている。
 当面は、スタメンのコンディションの維持と怪我の防止が、モンテのJ1復帰に係る最大の課題と言えそうである。

                                                                                                                         

  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 00:38Comments(0)サッカー&モンテディオ山形

2012年05月03日

山形詩人ミーティング2012

山形詩人ミーティング2012



 2012年4月7日(土)、山形市内のカフェ「蔵オビハチ」を会場に、「山形詩人ミーティング」が開催された。
 これは、『山形詩人』発行者の高橋英司と同誌同人の高啓が呼びかけ人となって、県内詩人の近刊詩集、つまり、いとう柚子『月のじかん』(書肆犀)、高橋英司『マネキン女とネクタイ男』(ミッドナイトプレス)、高啓『女のいない七月』(書肆山田)の3作品について忌憚ない批評を交わす場として企画されたもの。各詩人が所属する同人誌の枠を超えた合同合評会である。(ちなみに、「山形詩人ミーティング」というのは仮の名で、同人誌『山形詩人』と直接の関係はない。)
 このような合同合評会は、他の県内詩人の詩集が発行された際に、高橋英司と高啓の仕掛けで数年前にも開催されたことがある。今回は、高橋も高も呼びかけ人でありながら俎上に乗せられるという立場だったが、マンネリ化しがちな同人同士の合評会の枠を越えた意見交換にしたいものだと、このような“自作自演”を敢えて企画した訳である。もっとも、当日の運営は新庄市在住の詩人・近江正人氏にお願いした。
 参加者は、上記詩集の作者3名と近江氏のほか、相蘇清太郎、平塚志信、関充利、島村圭一、松田達男、菊地隆三、比暮寥、阿部栄子、佐野かおり、の各氏(計13名)。このうち、関氏は元山形新聞の文化欄担当者。他は県内の詩人たちである。
 
 さて、会は、まず作者が自分の詩集の中から詩を一編朗読し、次に各参加者がその詩集に対して感想や批評を述べるという形式で行われた。
 以下、この場で話された内容を振り返ってみるが、録音もメモもないうえ、高啓はビールと日本酒で酔いが回って記憶が定かでない。そもそも人の話を聞いていなかった部分もあるので、かなり部分的かつ偏った話になる。さらには、高啓が後日想起したことと当日の意見交換の内容が混同されてしまっている点もあるだろうから、そこをご海容のうえお読みいただきたい。

 いとう柚子『月のじかん』は、作品の完成度が評価され、2012年度の「山形県詩人会賞」と「山形市芸術文化協会賞」を受賞した詩集であるが、その内容については、これまでの詩集にくらべてやや不満だとする声が上がった。近江正人氏は、これまでの詩集『まよなかの笛』(1987年)や『樹の声』(2000年)にあった“裂け目”が消え、つるりとした陶器のような印象になったと述べた。これを高啓流に言い換えれば、自己世界に開いていた危険な裂け目を塞いで、精神の安定化を図ったように見えるのでもある。
 タイトルポエムである作品「月のじかん」に「ルナティック」という言葉が出てくるが、これが話題になった。
 この用語を使うというのは、参加者が指摘したようにいかにも高校の英語教師だったこの詩人らしいところだが、美しくも狂おしいイメージを想起させるこの形容詞をここでこのように使うことは、作品から受ける印象とは相反して、かならずしもクールなことだとは言えない。
 じぶんなりに言えば、作者は“月の光のなかの光景”を叙情的に描くことであの恐ろしい裂け目に土を入れてその存在を隠蔽しつつ、その土盛りの上に舶来製の記念碑を立てるかのようにこのけばけばしい外国語を使っている。つまり、自ら<真夜中の声>を隠蔽したのに、この言葉によってその隠蔽行為を露出してしまっているのだと思われた。

 高橋英司『マネキン女とネクタイ男』については、多彩な手法で効果を上げているが、詩集の題名や装丁をここまでポップにする必要があったのかという声が上がった。
 高橋氏自身によると、編集者からも題名をもっと無難なものにした方がいいと勧められたそうであるが、本人は断固自分の意見を通したとのことであった。
 高橋英司氏は、「全国から多くの詩集が送られてくる。自分はそのほとんどに目を通すが、マメに目を通すのは容易でないから、贈呈を受けてもろくに目を通さない有名詩人たちも多いことであろう。だから、とにかく手にとって中身を読んでもらうことが重要だという認識をもっており、そういう観点から詩集作りをした」という趣旨のことを言っていた。
 高啓は、この詩集のタイトルや装丁はとてもいい。出版社の選択も含め、狙いにぴったりだったと思うと述べた。
 高橋作品の虚構性にも話題が及んだ。この詩集の作品は虚構によるものが多いが、定年前に役所勤めを辞めて突然詩作を始めた父を描いた「父」という作品については、詩人本人の記憶を語るように書かれており、他の虚構の作品よりも好感がもてるという感想に対して、高橋氏自身は「これも虚構。これは父の話ではなく、自分を<父>という存在に仮託したものである。」と述べた。
 高啓は、山形新聞の文化欄「味読・郷土の本」という書評コーナーに寄稿したこの詩集への書評(2012年4月25日号掲載)に言及しつつ、「何が虚構で、何が虚構でないか。また、虚実ない混ぜた作品をライトバース調に書くことで、ほんとうは読者にどのような作者についてのイメージを持たせたいのか。それがわかる人にわかってもらえればいいという姿勢で作品を作ることはやめたほうがいい。個人的には『出発』のような叙情詩に戻って欲しいと思っている」というようなことを述べた。(『出発』は高橋英司の処女詩集。H氏賞候補になった。土曜美術社出版販売刊『新・日本現代詩文庫 高橋英司詩集』に収録されている。)

 さて、最後にじぶんの詩集『女のいない七月』について。
 高橋英司氏からは、「全国からたくさんの詩集が送れられてきて、自分はそのほとんどに目を通すが、これはこの1年で読んだもののうちで5本の指に入る」と評価していただいた。
 菊地隆三氏からもタイトルポエムの「女のいない七月」などに評価の声をいただいたが、その後、この詩集についての議論は、高啓の作品について論評されるときはいつも大方この話になってしまうのだが、“作品中に書かれたことはどこまで事実なのか?”ということに収斂した。
 じぶんは、意に反していつも結局この話になってしまうので、この場では「ご想像にお任せします」と答えるつもりでいたのだったが、今回はちょっとだけ事情が違った。
 それは、平塚志信氏が「この詩集を読んで『智恵子抄』を連想した。たとえば、宮澤賢治の『永訣の朝』の評価を考えるとき、あれがぜんぶ虚構だと分かったとしたら評価はどうなるだろうか。たぶん、いまのようには評価されていないだろう。だから、この詩集の評価について論じる場合、描かれたことが事実かどうかの話は避けて通れない」というような趣旨の発言をしたからである。
 これに対して、じぶんは、「『冬の構造』は事実に基づいている」と答えた。
 その後、近江正人氏が、「高啓のこれまでの詩集は、全身から血が噴出しているようで、読んでいくのが辛かったが、この詩集は比較的落ち着いた表現で、読ませるものになっている」というような趣旨のことを述べた。・・・で、それ以降は、『女のいない七月』について誰からどんな論評がなされたのか記憶が定かでない。
 ただ、この詩集の最後に収録されている「仙台行、2011年3月の。」の評価がきっかけになって、震災を扱った作品に関して、若干の議論が交わされたことは少し憶えている。
 高橋英司氏は、世間にあふれている震災を扱った詩作品について、ほとんど評価できるものがないという趣旨のことを述べ、それらに比べると高啓のこの作品は評価できるとしたが、比暮寥氏からは、高啓も含め、世の詩人たちはもっと震災の悲劇に直接的で真摯に向き合って詩を書くべきだという意見が述べられた。これに対して、高橋英司氏は「自分は震災の詩は一切書くつもりはない」と言明した。
 高啓は、「仙台行、2011年3月の。」は震災後の情景を描いているが、震災の詩を書いたつもりはない。もしこれが評価されるのなら、それはこの作品が震災後の情景を描いているようでいて、震災以外のものを描こうとしているからだと思う・・・というような趣旨のことを述べた。

 会場の「蔵オビハチ」は、区画整理事業によって新たに切られた道路に露出することになった古い土蔵を、カフェとしてリフォームした建物。ジャズなどのミニライブにも使用されるスペースである。雰囲気がよく、しかも備え付けのピンマイクが使えて重宝した。
 今回はクローズドで催したが、客が入るかどうかは別として、いつかこのような詩のイベントを一般開放で開催してみたい。
                                                                                             



  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 18:52Comments(0)山形県詩人会関係