2016年04月11日

高啓詩集についての論評


 お待たせしました。だいぶ間が空いてしまいましたが、更新します。

 新詩集『午後の航行、その後の。』(書肆山田2015年12月)について、論評をいただきました。

 瀬崎祐さんが、ブログ「瀬崎祐の本棚」で以下のようにコメントしています。

 作品「それからの夜」について、
 <話者にはそれこそ夜の暗さ、寒さを必死に耐えているような切実さがあるのだが、それをこれだけの強い作品として差し出してくるところに感嘆する。>
 
 作品「雪坂下の女」について。
 <この作品を読んでいて、ふっとつげ義春の漫画を思い浮かべた。そこにあるのは無頼のような男像なのだが、内実は非常に繊細で傷つきやすい。男としての拠り所、妄執、諦観、強さ、そんなものがない交ぜになって読む者に迫ってくる。>

 瀬崎さんには、前の詩集『女のいない七月』についても、つよく評価するコメントをいただきました。いかにも言語感覚を研ぎ澄ましたかのように振る舞う隠喩による作品が価値あるものとみなされがちな詩壇において、高啓の作品などを評価してくれる詩人は少ないので有難く思っています。(たとえば、「季刊・詩的現代」16号の詩集・詩書時評の石川敬大さんには酷評されています。)
 “つげ義春の漫画を思い浮かべた”というところに、はっとさせられました。
 じぶんとしては意識していませんでしたが、「春宵論」と合わせて<雪坂下の女>の出てくる世界のイメージは、たしかにつげ義春的なものに近いところがあります。
 ところで、じぶんはつげ義春の熱心な読み手ではありませんでしたが、たしかかれの漫画には、野卑でえげつないほどの性欲を率直に描いた話が少なくなかったように記憶しています。いつかあんな詩を書けたらいいなとも思いました。




対論Ⅱ





 詩誌「びーぐる」に連載されている細見和之さんと山田兼士さんの対論による詩集評「この詩集を読め」が『対論Ⅱ この詩集を読め2012~2015』(澪標 2016年2月)という単行本にまとめられ刊行されました。
 「びーぐる」で取り上げられた時系列で掲載されているので、高啓詩集『女のいない七月』を扱った回(対論の第15回)が、たまたまですがこの単行本の冒頭に掲載されています。
 「びーぐる」に掲載されたときにも述べましたが、高啓の詩集を、直接この回の対論の対象とする第4詩集『女のいない七月』のみならず、第2詩集『母を消す日』、第3詩集『ザック・デ・ラ・ロッチャは何処へいった?』をも含めて、ほんとうに丁寧に読み込んでいただいています。
 このブログの読者にはぜひ手に取ってご覧いただきたいと思います。



 高啓詩集『午後の航行、その後の。』(書肆山田)は、山形県内では八文字屋書店に置いていただいています。仙台では駅前の「アエル」内の丸善にありました。
 なお、山形市の戸田書店さんには、第2詩集『母を消す日』、第3詩集『ザック・デ・ラ・ロッチャは何処へいった?』、第4詩集『女のいない七月』、第5詩集『午後の航行、その後の。』をすべて置いていただいております。(深謝)
 また、山形県立図書館にも所蔵されています。県立図書館の蔵書は、県内の各市町村図書館を通じて取り寄せること(「相互貸借」と言います)ができますので、ご利用ください。

 2016年4月16日(土)、山形市の山形グランドホテルにおいて山形県詩人会の年次総会が開催されます。この席で表彰される山形県詩人会賞には、伊藤志郎氏(酒田市)の詩集『あなたに』(メディア・パブリッシング刊)が選ばれました。                                                                                                                                                                                                          



  

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2015年12月27日

高啓詩集『午後の航行、その後の。』





 2015年12月25日付で、新詩集を上梓しました。

 高啓詩集『午後の航行、その後の。』

 発行・書肆山田  装画・宮﨑恵子
 装幀・亞令  A5変80ページ 
 定価2592円(税込)
 ISBN978-4-87995-931-7 Cl092


帯のコピーは以下のとおり


 「 流れにつかり、小舟を推す。
   片腕に
   悪い心を詰め込んだ袋をぶら下げ
   むずかる幼い者を抱きながら。
   ──きみは生きたいように生きることができるか。
 」


  【目次】
       午後の航行
       初孫論
       アトムの子
       駈込み諦め
       パックスタンドの憂鬱
       それからの夜
       再生論
       雪坂下の女
       来るべきものの影とその看過について
       春宵論
       次孫論
       午後の航行、その後の。
       葬送論
       抱擁論



  【著者による近刊予告文】
  「おれ」は左遷され、二男に子ができる。それを知るとメトロポリスの女は去っていき、末期がんの蒔絵師は死ぬ。雪坂下の女に通いつつも、故郷の女に手を出して拒絶され、それを口実に「おれ」は 今度こそ故郷を捨てる・・・。



 12月26日現在、山形県内では八文字屋書店で購入できます。
 まもなく全国の有名書店、ネットショップで購入できるようになると思います。
 著者から直接お求めいただける方は、本ブログの右側にある「オーナーへのメッセージ」から注文してください。(送料無料でお送りします。)

                                                                                                               



  

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2015年03月28日

季刊「びーぐる」第26号、「山形詩人」87・88号








 ひさしぶりに、詩人としてのアリバイ証明を・・・・・


 季刊「びーぐる 詩の海へ」第26号(2015年1月20日)に、詩「抱擁論」を発表。

 「びーぐる」は一般書店でご注文を。









 「山形詩人」第87号(2014年11月20日)に、詩「午後の航行、その後の。」

 同第88号(2015年2月20日)に、詩「再生論」 を発表しています。


 「山形詩人」ご希望の方は「オーナーへメール」のボタンからメールにて連絡ください。

  

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2014年06月22日

山大劇研・アングラの時代(一九七五/一九八一)





 八文字屋書店が発行している季刊の『やまがた街角』(編集・発行人大久保義彦)の第69号(2014年6月刊)が、「山形【演劇】図鑑」という特集を組んでいる。編集を担当している書肆犀の岩井哲氏に依頼され、山形大学演劇研究会について寄稿した。
 同誌に掲載された記事の文面を見ると、高啓の原稿のうち人名に関する部分が岩井氏の手で一部修正されていたが、ここにはもとのままの文章をアップする。



 山形大学演劇研究会の過去について書くようにと依頼されて、さて、と振り返ってみるが、手元に残されているその活動の資料はごく僅かで、ほとんどを記憶と伝聞で記すしかない。この無頓着さ、つまりは芝居の空間をがむしゃらに産出しそこでの時間を消費することのみにエネルギーを注いで、その記録・検証・回顧には一向に関心がなく、OB会的な集まりさえない・・・そんな姿勢こそが、良くも悪くも〝学生演劇〟の在りようということだろう。ようするに学生にとっては現在のみが重要で、過去は否定すべきもの、未来は濃霧の中だったのだ。
 じぶんが山形大学人文学部に入学したのは一九七六年。「連合赤軍事件」によって学生運動が急速に衰退し、追い詰められた党派は「成田闘争」に活路を見出そうと足掻いていたが、一般学生たちは只管〝お利口さん化〟していった時代である。「国立二期校」に「不本意入学」したことと、小白川キャンパスがあまりにつまらないこととによって、じぶんは深く深く五月病を病んだ。ある日、構内をふらふらと彷徨い、陸上競技グランド脇にあった木造2階建ての部室棟(通称「ハモニカ長屋」)の前を通りかかると、女たちのかしましい笑い声が聞こえてきた。その部室には石巻女子高出身の2年生三人組がいて、彼女らに誘われるままにぼんやりとそのサークルに加入した。いま、じぶんがこうして生きていられるのは、そしてこのように生きてきてしまったのは、芝居じみた言い方をすれば、まさに、一にかかってこのとき山大劇研に足を踏み入れたがゆえ、である。

 新入生のじぶんが劇研でいちばん影響を受けた先輩は、山形東高出身で理学部数学科の3年生だったT男である。当時聞いていたところでは、彼は七四年か七五年に、後に青森市役所に勤めながら舞踏家として活動することになる福士正一氏(オドラデク道路劇場主宰)らとつるんで、『ギヤマン回帰』というオリジナルの芝居を文理講堂で上演した。これが山大劇研における「アンダーグラウンド演劇」の始まりではないだろうか。文理講堂は旧山形高等学校時代の講堂で美しい洋風建築だったが、惜しまれながら七八年頃に取り壊された。普段は少林寺拳法部の練習場だったのを一時的に借りて稽古したことを、じぶんも微かに記憶している。

 当時は、唐十郎の「状況劇場」(紅テント)、佐藤信らの「68/71黒色テント」、そして鈴木忠志の「早稲田小劇場」がアングラ御三家として鳴らしていたが、T男が最も傾倒していたのは鈴木忠志だった。また、怪優・品川徹のいた太田省吾の「転形劇場」にも影響を受けていた。
じぶんの舞台デビューは、七六年にこのT男が演出した唐十郎の『ジョン・シルバー』だった。会場は山形市民会館大ホールで、二五〇人ほどの客を全部舞台に上げ、本来の客席の暗く広い空間を海に見立て、それを背に演戯した。照明は全部逆方向に向けなければならず、間誤付いていると「餡子屋さん」(後の山形綜合舞台サービス・安達俊章代表のこと)に「ちゃんとセッティングを考えて来い!」と迫られ、ビビッた記憶がある。役者はオリジナルの配役とは男女が全部逆で、李礼仙の役も長身でスラリとした福島出身の男子学生が演じた。

 山大劇研の良いところは、特定の路線に拘らないで自由に(というか自分勝手に)台本を選べたことだった。部員ごとに志向性が異なるから、もちろん芝居の傾向や上演台本をめぐって対立もあったが、そういうときはたとえば二つの演劇集団が部員の争奪戦をして、それでも決着しなければ二本同時に上演(まさに「競演」)してしまった。七八年頃には、清水邦夫の『逆光線ゲーム』と別役実の『象』を連続上演したのではなかったかと思う。このときの『象』はじぶんが初めて演出した作品だった。
 じぶんは役者としては大根で、七六年、1年生の終わりに主役に抜擢されてJ・P・サルトル『出口なし』のガルサン役をやったのが唯一の代表作である。この芝居は、官憲に脅されて仲間を売ったガルサンと恋人に捨てられた女・エステルそれにレズビアンのイネスの3人が密接に絡んで展開される死後の密室劇だが、チャーミングな先輩女性たちと頻繁に身体的な接触のある稽古には、毎日銭湯に行ってから高校時代の黒いスプリングコートを着て臨んだ。コートを脱がなかったのは、股間が盛り上がって仕方なかったからである。思い出すと今でも脂汗が出る。
 じぶんの台本・演出の代表作は、七八年に構成・演出した処女作『詩劇・自己幻想論序説』と八一年に構成・演出した『対幻想狂詩曲~あけみのツゴイネルワイゼン~』である。前者は、鮎川信夫、吉本隆明、黒田喜夫、北川透らの詩を自作の科白で繋いだコラージュ劇。後者は自作の科白を構成したコラージュ劇である。これらは大学会館2階の中会議室やホールで上演した。

 ところで、当時はプール脇に旧山高時代の木造校舎があり、サークル棟として利用されていた。この2階には固定の長机と跳ね上げ式の椅子が並んだ大きな階段教室があり、それまでは奇術愛好会が仮の物置にしていたのだったが、七八年頃から劇研がなし崩し的に占有し、翌年にはボルトで固定されていた机・椅子を勝手に撤去して、自前の〝小屋〟とするに至った。この階段劇場では、劇研がオリジナル劇やオスカー・ワイルド『サロメ』、唐十郎『少女仮面』などを上演したほか、書肆犀の岩井哲氏(当時は山大前通りにあった喫茶店「犀」の店主)らのハードロック・バンド「パパ・レモン」が参加したライブ・イベントが開催されたこともあった。
 じぶんが知る時代の山大劇研は、演劇未経験者ばかりで芝居は未熟なものだったが、その分、高校演劇や「死せる芸術=新劇」(菅孝行)の厭らしさとは無縁でもあった。そしてなにより、恥知らずで恐いもの知らず、だったような気がする。(了)


                                                                                              
  

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2014年05月20日

「山形詩人」83~85号






 ずっとサボっていた作品情報を久しぶりにアップする。
 「山形詩人」第83号(2013年11月)に詩「バックスタンドの憂鬱」を、同第84号(2014年2月)に詩「次孫論」を、そして85号(2014年6月)に詩「春宵論」を発表した。

 負けが混むと投げやりに卑下するがそれでも選手たちには拍手を贈り
 たまに勝つとタオマフを翳してお決まりのスポーツ県民歌を合唱する
 (大衆的な、あまりに大衆的な)ぞっとするひとびとの群れ
 ぼくはあなたたちにとって永遠に余所者であり続けるのだから
 この土地からもあなたたちからも逃れられないわけはないのだ
 そう呟きながらつよい西陽に炙られてぼくは今日もここにいる
                      (「バックスタンドの憂鬱」より)







 また、土曜美術社出版販売発行の雑誌『詩と思想』(2014年6月号)の巻頭詩として「あなたたちが歳をとれるようにぼくが歳をとれる訳ではない」を発表した。

 幼い頃、何度も泣いて帰って来るじぶんに母が言った
 それはおまえが共苦する力を授かっているからなのだと
 面の皮が厚くなって共苦する力を去なす術は身に着けたのだが
 ほんとうに欲しいのは共苦する力に頓着せず日々を快楽する力
                (「あなたたちが歳をとれるように――」より)


 「山形詩人」の送付を希望される方は、このブログの「オーナーへメール」から注文を。1部500円(送料当方負担)また、『詩と思想』誌は全国の書店またはネットショップで求められたい。






 ちなみに、高啓の詩集『母を消す日』・『ザック・デ・ラ・ロッチャは何処へいった?』・『女のいない七月』(何れも書肆山田)はネットショップ及び山形市嶋の大規模書店『戸田書店』で購入可能。
 なお、『女のいない七月』は、ジュンク堂(池袋店)、丸善(仙台アエル店)の店頭にも在庫があるようである。
 こちらも「オーナーへメール」から注文をお受けする。(送料当方負担)                                                          

                                   


  

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2013年10月22日

山形県詩人会アンソロジー2013





                                                                              詩人としてのアリバイその2ということで、山形県詩人会の『山形の詩―アンソロジー・2013―』(2013年10月発行)に作品「駈込み諦め」を寄稿しています。この作品の題名は太宰治の短編小説「駈込み訴え」をもじったものです。

 アンソロジーは山形県詩人会が3年に1回ほどまとめているもの。今回は、40名の詩人が作品を寄稿しています。
 「八文字屋書店」(山形市、天童市、酒田市、鶴岡市)と「ほんべえ」(河北町)に置いていただいています。1部1,050円。

 郵送ご希望の方は「オーナーへメッセ―ジ」から、メールにて申し込んでください。(送料当方負担)


                                                                             


                                                                                           

   

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2013年10月20日

山形詩人82号





  「山形詩人」82号(2013年8月発行)に詩「アトムの子」を発表しました。遅ればせながら、詩人としてのアリバイ証明(苦笑)としてここに報告しておきます。
 また、同号には久しぶりに同人全員が作品を出稿したということで、合評会も9月にこれまた久しぶりに開催されました。

 「アトムの子」は、原発事故の影響を背景に書かれていますが、それが主題ではありません。
 作品としての洗練度は高くありませんが、自分としては思ったより内容のある作品になったと思います。

 入手希望の方は、このブログの右下の「オーナーへメッセージ」からメールでお知らせください。
 1部500円(送料は当方負担)です。残部僅少です。

                                                                                        

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2013年06月18日

詩と思想2013年6月号







 「詩と思想」2013年6月号に、詩作品「雪坂下の女」を発表しました。

 「巻頭詩」というところに掲載されています。書店などで手に取ってご覧ください。

                                                                                                                                                                                                                                                       

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2013年05月13日

山形市芸術文化協会「優秀賞」






  高啓詩集『女のいない七月』が、「山形市芸術文化協会・優秀賞」を受賞しました。
  
  平成25年5月11日に山形市民会館において開催された同会の平成25年度総会の場で表彰式が行われ、高啓は謹んで授賞を受けました。
  前詩集『ザック・デ・ラ・ロッチャは何処へいった?』が、平成19年度の「、「山形市芸術文化協会・奨励賞」を受賞していますので、今回は2回目の受賞となりました。

  高啓の詩は、詩の愛好者のマジョリティにはウケない性質の作品だと思いますが、このように地元の方々に評価していただき、感謝しています。

  前にもこのブログで記事にしていますが、山形市嶋地区の郊外型書店「戸田書店」さんに、高啓詩集『女のいない七月』、『ザック・デ・ラ・ロッチャは何処へいった?』、『母を消す日』の3冊を揃えたミニコーナーを設けていただいていますので、地元の方はぜひそちらで手に取ってご覧ください。(できれば同書店で買い求めてください。)
  遠方の方は、ネットショップでご購入ください。


  

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2012年05月23日

戸田書店(山形店)に高啓詩集コーナー



 山形市嶋地区にある戸田書店山形店の店内に、高啓の詩集『女のいない七月』、『ザック・デ・ラ・ロッチャは何処へいった?』、『母を消す日』の3冊を揃え、これに著者についてのコメントを付けたミニ・コーナーを設置していただきました。(詩集の棚ではなく、入口を入って正面すぐに置かれている低い書棚の隅です。)
 去る5月5日(土)に山形市の「まなび館」で開催された「一箱古本市@山形」の際に、このイベントに関わっていた同店の職員の方が高啓の詩集を見つけてお声がけくださり、店長(山形市出身)のご厚意で置いてくださるということになったものです。

 戸田書店の本社は静岡。全国で40店近くをチェーン展開していて、山形店はいわゆる郊外型の大型書店ですが、ちょっと面白い工夫がされています。
 店内中央に「香澄堂書店」と書かれた看板が置かれており、その一画が古本コーナーになっているのです。これは山形市香澄町(霞城公園に隣接する最上義光記念館の前)にある古書店「香澄堂書店」の本を受託販売しているものとのこと。地元詩人の売れない詩集を大事に扱ってくれることとあわせて、古書店経営がとても厳しい昨今、地元でこつこつと頑張っている古書店をこんな形で応援してくれることを嬉しく思いました。
 
 なお、詩集『女のいない七月』は、山形市七日町の八文字屋書店(本店)にも配本されています。(入口近くの郷土出版物コーナーではなく、「評論・文芸」という表示の下の詩集コーナーに置かれています。)




 

  

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2012年04月30日

季刊『びーぐる』第15号

 


 季刊『びーぐる』第15号(2012年4月20日刊)を恵送いただいた。
 東京の書店で手に取ったことがあったが、じっくり目を通すのは初めてである。
 内容をみて、少し驚いた。この雑誌の4人いる編集同人のうちのふたり、つまり山田兼士さんと細見和之さんが毎号対論している「この詩集を読め」という連載企画で、高啓の『女のいない七月』が取り上げられていたのである。
 この対論「この詩集を読め」は3段組みで8ページ近いボリュームがある。毎回、1冊の詩集を取り上げて、ふたりの読みを対論形式でじっくりと述べ合っていく企画のようである。(この対論は、大阪文学学校で受講者を前に2月27日に行われたもの。)
 これまで、高啓の作品がこのように丁寧に取り上げて議論されたことはなかったので、率直に言ってとても有難いと思った。

 ふたりは、対論の初めの方で、第2詩集『母を消す日』(詩誌の書評やいくつかの賞の選考経過報告のなかで取り上げられたという意味では初めて全国的に世に出た詩集)から、第3詩集の『ザック・デ・ラ・ロッチャは何処へいった?』を経て、第4詩集である『女のいない七月』に至る過程を、各収録作品に目配りしながらよく追ってくれている。
 ここでは対論の内容に触れることはしないが、掲載文章には次のような小見出しが付けられている。

 「強い言葉を持つ詩人」 「物語と現実世界」 「誠実と不実のあいだ」 「『逆さ蛍』とはなにか」 「山形と秋田のあいだ」 「物語世界と詩世界」 「母性思慕と母親殺し」 「構造と裂け目」 「会いたい詩人」
 
 この小見出しで、どんな対論が行われているか、ある程度想像がつくのではないかと思う。

 なお、『びーぐる』については、山田兼士さんのHPをご覧あれ。
 http://homepage2.nifty.com/yamadakenji/1beagle.htm
                                                                                                                                                                       

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2012年01月25日

高啓新詩集『女のいない七月』






 高啓の新詩集『女のいない七月』(書誌山田・税別2,500円)が上梓されました。

 カバーは、なんという名称か分かりませんが、薄く明るめの緑から水色の系統の色です。ここに掲載するに当たり、デジカメで撮影し、簡単な画像ソフトで色を調整してみましたが、本物に近い色が出ませんでした。タイトル文字は金色です。全体として落ち着いた色調のなかに、繊細な艶やかさを感じる表紙です。

 表紙のカバーを取ると、白い本体の表には、木の形をした小さな刻印があります。収録作品に木や森の出てくる詩があるので、それをイメージしたものでしょうか。

 装丁者は亞令さん。亞令というのは、書誌山田で編集・製作を担当している大泉史世さんの装丁者としてのお名前です。装丁についてはすべてお任せしました。

 中身は活版印刷です。昨年3月の震災で、東京の活版印刷所は大きな被害を受けたそうですが、この詩集の製版作業の頃にはだいぶ持ち直したということでした。

 帯の文章は、編集者が詩集収録作品の一部を幾つか抜き出してコラージュしたものです。
 全体として、いつもながら丁寧な本作りです。

 1月末には大規模書店などに配本される見込みです。興味のある方は書店で手にとってご覧ください。また、お近くの書店に配本されていない場合は、頒価2,500円(消費税不要・郵送料当方負担)でお送りします。このブログ画面の右側の「オーナーへメッセージ」からメールしてください。
 なお、そのうちインターネット書店でも取扱いになると思います。

 前々作『母を消す日』、前作『ザック・デ・ラ・ロッチャは何処へいった?』についても、当方に在庫があります。これらは、ネット書店でも取り扱われています。最近、アマゾンを見たら、『ザック』の中古には、なぜか124円から5,000円超まで幅のある値段がついていました。(注:アマゾンで著者検索する際は、高と啓の間にスペースを入れてください。)
 
 2ヶ月ほど前の話ですが、『ザック』は都内のジュンク堂や仙台の丸善などの詩集コーナーに置かれていました。
これは2007年刊。毎年大量に出版される詩集のなかでここまで置かれているということは、何冊かは売れているということでしょうか。それともこの詩集に目をかけてくれる書店員さんがいらしたということでしょうか。


 書肆山田のサイトもご覧ください。




  

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2010年09月14日

「山形詩人」69・70号及び高啓の詩へのコメントへのコメント





1 高啓の最近の作品

 高啓は、「山形詩人」69号(2010年5月)に詩「蒸気機関車がわれらを救いたまう日」、同70号(2010年8月)に詩「女のいない七月」を発表している。
 また、山形県詩人会の会員による『アンソロジー・2010 山形の詩』(2010年9月)に、詩「ラヴ・レタァ」を発表している。


2 現代詩手帖・詩誌月評

 『現代詩手帖』2010年4月号の詩誌月評で、評者の水島英己氏が、「山形詩人」68号(2010年2月)に発表した詩「冬の構造」を取り上げ、紹介と批評を書いてくれた。
 以下にその一部を引用する。

 「意味も描写も明確ななかで、『手を結びながら歩くのは冬の構造である』や、『けれど、知らぬ間にたどり着いたのは危うい視点場なのだ』という暗喩的な表現に苛立ちを覚える人もいるかもしれない。『危うい視点場』というのは、そこからこの二人の、とくに女の側の心的外傷になっているような記憶を想起させる怖れに結びつく何かがお城の下の街に見える場ということであろう。島尾敏雄の小説の世界のそばにいるような気もする。『冬の構造』や『危うい視点場』という表現が必須のそれかどうか? この二人の歩みの個別性と普遍性を媒介するという意味で、この詩にとっては不可欠なことばだと私は考える。この詩に私が惹かれるのは風景が時間的な継起として捉えられている、その見事さにある。」

 「自らの経験的現実を『ことば』で書く詩のあり方として野村(注)と高の二人の詩を挙げた。野村のことばは沈黙を目指している。そこでは現実の事実内容そのものが消えてしまい、『ことばで』で(ママ)書くことの無根拠さをさらけ出す。高のことばは堅固さと精確さを誇ろうとする。しかし、常に事実内容の重大さが、ことばで書くことを無化しようとしている。二人の詩が堪えているのは現実とことばの現代的な関係のあり様である。」
    (引用者注)野村尚志個人誌『季刊 凛』29号の詩「日暮れの弁当」

 この論評に突っ込みを入れようとすればその論点は盛りだくさんだが、まずは限られた月評の紙幅のなかでこのように丁寧に取り上げていただいたことに感謝したい。(ただし、残念なことに、高啓の詩の引用部分に少なくても3箇所の転記ミスがある。)
 ところで、「冬の構造」や「危うい視点場」という言葉は、「暗喩的な表現」なのだろうか。「冬の構造」は抽象語だとはいえるが、暗喩というのとは少し違う。また、「危うい視点場」は、暗喩ではないどころか、抽象語でさえない。なぜなら、作品のなかでそこが物理的(地理的)な視点場であることと、「危うい」のはなぜかということを、まさに水島氏が理解しているような内容を読者が想像できるように、詩行において説明的に記述しているからである。(ちなみに、この区画整理で消えた連れ込みホテルと移転した中央病院のことは、高啓の別の作品にもっと詳しく出てくる。高啓の詩集の読者には、高啓の詩作品は、連作小説みたいに読んでいただけると思う。)
 高啓の詩は、ほんとうは、いくつかの限られた抽象語や暗喩表現に頼ることで「この二人の歩みの個別性と普遍性を媒介する」というような必要を感じない位相で書かれている。
 この作品は、その総体として、この二人にとって個別的な対幻想の世界が、普遍的な時空構造として現れるという世界を描いている。逆にいえば、普遍的な時空構造は、対幻想としては、つねに/すでに、個別的に(というか、むしろ固有なものとして)生起するしかないということだ。
 しかし、こういうことが読者に伝わりにくいので、「冬の構造」という抽象的な表現で、いわば堪え性がなくて馬脚を現すかのようにして、<世界>という観念への、しょうべんくさい導きのことばを挿入してしまったのである。
 もっとも、この月評における水島氏の評価眼は、この作品の勘所のひとつに向けられてもいる。「この詩に私が惹かれるのは風景が時間的な継起として捉えられている、その見事さにある。」という表現で、この作品が、散策の風景を辿ること、つまり情景を映画的に構成していくことで、ふたりの時間意識を描こうとしているところに着目してくれているところである。
 作者としては、だがしかし、この作品が、その志向の結果として、「見事」なものになっているかどうか自信はない。


3 瀬崎祐氏のHP「風都市」関連ブログ

 詩人の瀬崎祐氏が、自らのHP「風都市」の関連ブログ「いただいた詩誌・詩集から」http://blog.goo.ne.jp/tak4088/e/ff48f48ea360754d2d72951c5e3f61a6において、上記の『山形詩人』第70号掲載の「女のいない七月」を取り上げている。
 論評の一部を引用する。

 「感情も感覚もむき出しで、荒々しい。その生理的な部分を容れた作者の肉体がそのまま迫ってくるようで、圧倒され、それゆえに魅了される。巧みなのは、迫ってくるものが肉体そのものであるように見せていて、やはりどこまでも感情であるところだ。」

 「『女とはそんなつながりだったんだ』と気づいたりもして、女が不在であることによってはじめて見えた事柄が、すざまじい(ママ)存在感を放っている。当然のことながら書かれている内容はどこまでもフィクションであるわけだが、書き表したものにここまで生の感情を載せることができることに、感嘆する。」

 上記2つの引用部分の間に作品の最終連が引用されているが、残念なことに転記ミスで最後の2行の前が1行空けられていまっている。実際は最終連に行明けした部分はない。

 さて、このように気を入れて読んでいただいたうえに、このように感嘆していただいて、作者としては恐縮するばかりだが、一言断らせていただけば、高啓はこの作品のどこにも「生の感情」を載せたりしていない。この作品がその総体で表現しようとしているのは、「肉体」やら「感情」やらであるように見えて、じつはむしろ<観念>といったものに近い。

 なお、この「女のいない七月」のなかで、女に向けて「ラヴ・レタァ」という詩を書くという件があるが、その詩が『アンソロジー・2010 山形の詩』に掲載されている同名の作品である。                                                                                                                                                                                                


【余談的な註】
 「山形県詩人会」は、現在存在している団体で、山形県在住の詩人たちの多くが所属している任意団体。
 個人の自由意志による加盟で、会としての思想傾向や組織方針などはない。
 たまに「詩人会議」という団体と混同する人がいるが、組織としてはまったく関わりはない。(山形県詩人会の会員で、県の詩人会議に所属している人はいるかもしれない。)
 また、かつて「山形県詩人協会」という団体が存在し、「県詩賞」という賞を運営していたが、いまの「山形県詩人会」はこの流れを汲むものではない。(まったく無関係というものでもないが・・・)                                                                                                                                                

                                           













  

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2010年02月14日

高啓の詩 「山形詩人」67・68号ほか



 高啓は、「山形詩人」67号に詩「風景論」、同68号に詩「冬の構造」を発表している。
 ここで、じぶんの備忘のためもあって、詩集『ザック・デ・ラ・ロッチャは何処へいった?』(書肆山田)以降に発表した詩作品を、発表順に掲げる。

 「ナイアガラの瀑布の前できみは」(「山形詩人」57号・2007年5月)
 「十歳になれば、おまえは」(「coto」14 号・2007年7月)
 「初期詩篇 ヨハンへの手紙」(「山形詩人」58号・2007年8月)
 「初期詩篇 ジャンへの手紙」(「山形詩人」59号・2007年11月)
 「唯名論」(「coto」15号・2008年1月)
 「初期詩篇 棲息者への手紙」(「山形詩人」60号・2008年2月)
 「初期詩篇 ジョルジュへの手紙」(「山形詩人」61号・2008年5月)
 「逆さ蛍」(「coto」17号・2009年1月)
 「逆さ蛍(二)」(「山形詩人」64 号・2009年2月)
 「噛む男」(「山形詩人」66号・2009年8月)
 「風景論」(「山形詩人」67号・2009年11月)
 「冬の構造」(「山形詩人」68号・2010年2月)

 ※「山形詩人」はバックナンバーの在庫あり。ご希望の方は、このブログの右側の「オーナーへメール」から申し込みを。(定価1冊500円を、送料込み500円で。2冊以上は1冊につきプラス300円。)


 ついでに、高啓の詩集をあらためて記載しておく。


 『母のない子は日に一度死ぬ』(書肆犀・2001年9月発行)定価1,680円
  ・第1回山形県詩人会賞受賞

 『母を消す日』(書肆山田・2004年4月発行)定価2,310円
  ・第55回H氏賞候補 最終決選投票で落選

 『ザック・デ・ラ・ロッチャは何処へいった?』(書肆山田・2007年9月発行)定価2,625円
  ・山形市芸術文化協会奨励賞受賞

※『母を消す日』と『ザック・デ・ラ・ロッチャは何処へいった?』は、ネット書店で購入できる。なお、ジュンク堂池袋本店などには在庫があるようである。
 『母のない子は日に一度死ぬ』は、このブログの右側の「オーナーへメール」から申し込みを。(頒価は、送料込み1冊1,000円)
  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 02:08Comments(0)作品情報

2008年04月06日

「山形詩人」60号



 『山形詩人』60号(2008年2月20日発行)に、詩「初期詩篇3 棲息者への手紙」を発表した。

 『山形詩人』58号に発表した「初期詩篇1 ヨハンへの手紙」、同59号の「初期詩篇2 ジャンへの手紙」、そしてこの5月に発行される予定の同61号に寄稿した「初期詩篇4 ジョルジュへの手紙」の4編は、いずれもじぶんが22歳のときに自作したガリ刷の詩集『ヨハンへの手紙』のなかの作品を若干手直ししたものである。
 もっとも、当時の青臭さが抜けないように修正はごく一部にとどめた。

 詩集『ヨハンへの手紙』は、自分でガリを切って演劇研究会の部室の謄写版で印刷し、35部作成した。芝居の台本は全部ガリ版印刷で作っていたから、当時はガリ切りは手馴れたものだった。
 いま、こうして文章を書くのにもっぱらキーボードを使うようになって、手指の筋肉が衰弱し、じぶんの字はひどいものになってしまったが、このころはまだまともな字が書けていた。

 印刷した詩集は、表紙のデッサンを送ってくれた友人のY(この人物を想定して創作したのが“ジョルジュ”)をはじめ、身の周りの人たちに配った。
 山大前の通りで「犀」という喫茶店をやっていた岩井哲氏を通じ、当時は市会議員で詩を中心とした山形県内における文学の仕掛け人という風だったA氏などにも手渡たされたことから、まだ学生だったじぶんをめぐる人間関係が少しずつ広がっていった。

 ちなみに、「初期詩篇3 棲息者への手紙」の“棲息者”とは、ある人物を想定して創作したものだが、その人物の30年後が、詩集『ザック・デ・ラ・ロッチャは何処へいった?』のなかの作品「エーテル論」に出てくる先輩である。

 風の噂では、この春、この「棲息者」は「彷徨者」になったようだ。





 ※『山形詩人』及び高啓の詩集を入手したい方は、このブログの画面右側にある「オーナーへメッセージ」からメールをどうぞ。


  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 18:50Comments(0)作品情報

2008年02月11日

「ザック・デ・ラ・ロッチャは何処へいった?」山新書評




 新詩集『ザック・デ・ラ・ロッチャは何処へいった?』(書肆山田)について、文芸評論家の池上冬樹氏が山形新聞に紹介の書評を書いてくれた。(山形新聞2008年2月2日夕刊「味読・郷土の本」)

 その冒頭の部分を引用すると、

 「酔いどれて蹌踉(そうろう)と歩き回っているようでいながら、実にリズミカル。破れかぶれのようでありながら、まことによく計算されていて、とことんユーモラス。同時にうっすらと悲哀がにじんでいるから、ニヤリとしつつも、やるせない感情を覚えてしまう。」

 そして、最後の部分、

 「何よりも生き難さをさりげなくいなす、とぼけた、でも強靭なユーモアが素晴らしい。まさに出色の詩集といえるだろう。」


 山形新聞の読者を想定し、少ない字数のなかでこの詩集を多くの人に読んでもらえるよう配慮して書かれた書評だということが伝わってくる。有難い思いで読ませていただいた。深謝。
 
 なお、この書評で池上氏が触れているのは、下記の収録作品のうち、1、2、3、5、8である。
 とくに1の「対痔核」についてメインに言及していただいた。

 この作品は、収録すべきかどうか迷った5を除けば、この詩集を編むときにはいちばん稚拙な作品のように思えていたが、詩集が出来上がってみるとこの中でいちばんよく出来た作品に見えてきていた。

  1 対痔核
  2 似非メニエル氏病者のグルントリッセ
  3 ザック・デ・ラ・ロッチャは何処へいった?
  4 インチキゲンチュア・デクラレチオン
  5 贈る言葉
  6 ザンゲ坂をのぼる
  7 静かな生活
  8 窓の下ではサイレンが
  9 カタキを討たれる
  10 耳下腺炎の夜
  11 エーテル論
  12 水の女
  13 骨髄ドナーは呻き呟く
  14 新しい人よ目覚めよ
                                                                                                 
          

  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 18:45Comments(0)作品情報

2007年12月30日

「ザック・デ・ラ・ロッチャは何処へいった?」作品掲載その2




 土曜美術社出版販売発行『詩と思想』2008年1・2月号の「2007年ベストコレクション」に、詩集『ザック・デ・ラ・ロッチャは何処へいった?』から作品「水の女」が掲載された。

 「コレクション」の選定者が選んだ作品の作者に掲載同意依頼が贈られてくるが、返事がなかった場合は掲載を認めたと看做すとある。
 私は同意の返事を出したが、このやり方は他の世界ではなかなか通用しないだろう。


 なお、同号の詩集評で辻元よしふみ氏がこの詩集を次のように紹介してくれている。

 「(前略)激しくも切れのよい言葉にロック・テイストを感じ、たとえばここに揚げる『対痔核』は、分かる人には分かる名曲のパロディーでもある。」

 パロディと看做してもらってもいいが、作者としてはオマージュと言ってもらいたい。(笑)
 また、言わずもがなの話をすれば、辻元氏が「分かる人には分かる名曲」と言っているのは、ユーライア・ヒープの「対自核」のことではない。
 この作品では、ロックの曲名「対自核」と作品の題名「対痔核」を掛けているのだが、それは作品の後ろに掲げられた注を読めばだれにでもわかるのであり、「分かる人には分かる名曲」という言葉が指し示しているのは、ローリング・ストーンズのアルバム「メイン・ストリートのならず者」、ビートルズの「ゲット・バック」、CCRの「バッド・ムーン・ライジング」、レッド・ツェッペリンの「ブラック・ドック」、シカゴの「長い夜」、ピンク・フロイドの「吹けよ風 呼べよ嵐」と「エコーズ」・・・これらのことである。

 このほか、同詩集の別の作品「インチキゲンチュア・デクラレチオン」で、ピンク・フロイドの曲名「ユージン、斧に気をつけろ」をほとんどそのまま詩行に引き入れているが、これは曲へのオマージュであると同時に、吉本隆明の詩作品「火の秋の物語」(「転位のための十篇」)に掛けているもの。こちらについては、この部分が吉本詩のパロディであると看做してもらったほうがいいかもしれない。


 ところで、インテリ「一流」詩人たちを擁する『現代詩手帖』の2007年12月号では、今年の詩の状況を振り返る特集を組んでいるが、詩集『ザック・デ・ラ・ロッチャは何処へいった?』は誰からも言及されていない。
 唯一、片岡直子氏が、編集部からのアンケートへの回答で「今年の収穫」たる詩作品として、同詩集から「似非メニエル氏病者のグルントリッセ」を挙げているのみ。

 これだけ注目されないと、かえって気分がいいものである。
 え? 負け惜しみか・・・、だって。
 ちがいます。高啓の詩を必要とする人は、少数ですがたしかにいます。
 そこにいるのが視えます。(笑)                                                                                                                                             
                                                                                                                     
              
  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 00:36Comments(0)作品情報

2007年12月18日

「山形詩人」59号



 『山形詩人』59号(2007年11月20日発行)に、詩「初期詩篇2 ジャンへの手紙」を発表した。


 なお、同号に、大場義宏氏がまたまた高啓批判の文章(「詩人としての真壁仁論デッサンの試み〜『日本の湿った風土について』のあたりで〜 三 」)を寄稿し、そこで今度は、高啓が東北芸術工科大学東北文化研究センター発行の『真壁仁研究』第3号に寄稿した「真壁仁・その<夜>の顔」について論難している。

 この「真壁仁・その<夜>の顔」は、『真壁仁研究』第3号の編集上の企画として設けられた「詩作品鑑賞」というコーナーに、編集委員の木村迪夫氏から依頼されて寄稿した短い文章である。
 私を含めて8人の詩人がそれぞれ真壁の詩作品から一篇を選定し、それについて論評するというもので、各執筆分量は見開き2ページを使い、その2ページを通しで、上段に取り上げた真壁の詩作品を掲載し、下段にそれに関する論評を掲載しているものである。(写真参照)





 私・高啓は、先に『山形詩人』57号で大場氏が行った高啓論文(『真壁仁研究』第7号掲載の「ぼくらにとって<真壁仁>はどういう問題か」)への論難について、同58号で反批判(「他者非難によるデッサン法の不毛について」)を行い、そのなかで大場氏の読みに牢固な先入観念による誤読と曲解があることを具体的に指摘していた。
 だが、大場氏は自ら論争を仕掛けておきながら、同59号の前掲文章でこの高啓の反批判の内容に全く触れず、唯我独尊とでもいう具合に論難を拡大させている。

 『山形詩人』59号における大場氏の高啓批判は、一言で言えば、大場氏が高啓論文(上記「ぼくらにとって<真壁仁>はどういう問題か」)の真壁仁批判に対抗できる論理的反論をなそうとしてなしえず、そこで高啓が『真壁仁研究』第3号に寄稿した「真壁仁・その<夜>の顔」における詩作品「夜の噴水」の解釈や鑑賞に難癖をつけて高啓を貶め、もって高啓による真壁批判論の全体を誤ったものだと印象付けようとしているもののように見える。

 自分の言いたいこと(大場氏の場合はそれさえ明確ではないが)を正当化するのに、意見を異にする他者をひたすら否定してまわるという方法が不毛であることは『山形詩人』58号に寄稿した「他者非難によるデッサン法の不毛について」において明確に指摘しておいたし、この態度を改めないかぎりまともに相手をする気はないことも闡明しておいた。
 したがって、高啓はいまのところこれ以上大場義宏氏の論難に付き合う気はない。このことを改めてこのブログで明確にしておきたい。(このブログ、遅々たる更新なのになぜか最近、多い場合は一日に百数十カウントもアクセスがあることがあるので・・・)

 ただし、ひとつだけ説明しておきたいことがある。
 それは、『真壁仁研究』第3号に寄稿した「真壁仁・その<夜>の顔」という文章の性格についてである。
 上述のように、これは作品鑑賞のコーナーなので、本来、筆者が選定した真壁の詩作品について具体的に解釈や鑑賞を叙述すべき場所であるのだが、私はこの寄稿の機会を戦略的に活用したのだった。
 以前から、『山形詩人』同人など周囲の人々との間で真壁仁に関することに話が及んだ折、私は彼に対する批判的な見方をかなり辛辣に述べていた。
(たとえば土曜美術社出版販売発行『詩と思想』2003年3月号掲載の座談会「山形の現代詩は今?」参照。ただし、ここでは、談話を取りまとめた高橋英司氏の手によって、高啓の真壁仁に関する言及部分はかなり省略されている。)
 私は、真壁をもっぱら肯定的に評価しようという意図の下に発刊される(ように見えた)『真壁仁研究』の編集者たちから真壁を批判的に論じようとしているじぶんに原稿依頼がきたことを奇貨ととらえ、この、たぶん最初で最後となるであろう機会に、真壁に対する批判的見地を概括的に述べ、かつはなるべく読者の印象に残るかたちで定立させておこうと考えたのであった。
 したがってこの文章は、実質1ページという与えられたわずかな字数のなかで、じぶんが真壁をどのように見定め、その思想的・文学的・地域社会的な営為の問題点がどこにあるかを、きわめて簡潔に、悪く言えば決め付け型・紋切り型で述べたものである。

 いわば“<真壁仁>という問題”を提出する素材として真壁の詩集『日本の湿った風土について』から「夜の噴水」という作品を取り上げたのだが、ところで、この作品はモダニズムの影響の下に暗喩を多用しており、「農民詩人」と称されたイメージとはかけ離れた印象を与える、真壁としては異色の作品である。
 ここで多用されている暗喩のそれぞれをどのように解釈するかによって、この作品の受け止め方は大きく異なってくる。
 私は、しかも、この解釈と鑑賞という機会を戦略的に活用した。だから、この詩の解釈についてじぶんの見方の排他的正当性を殊更に主張する気はない。そもそも詩の解釈は人によって多様になされうるものである。
 しかし、と同時に、ここで私がこの作品について述べたことは、戦略的発言としての性格だったこととは別に、解釈と鑑賞それ自体としても成立しうるものであり、改める必要を感じていないことを表明しておきたい。


※ここで言及されている『山形詩人』の各号について入手を希望される方は、このブログ右側の「オーナーへメール」をクリックしてご注文ください。(頒価一冊500円、送料無料。)  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 19:08Comments(0)作品情報

2007年10月22日

「ザック・デ・ラ・ロッチャは何処へいった?」(作品掲載)

  


 詩集や詩誌掲載の詩の紹介と鑑賞を記載している詩人・村山精二さんのホームページ「ごまめのはぎしり」で、この詩集が紹介されています。

 村山さんは、このホームページで詩集や詩誌からひとつずつ作品を紹介していますが、その紹介する作品については全篇を写して掲載しています。

 このマメさには頭が下がります。
(なお、作品自体をネットに掲載されたくない場合は、彼に詩集などを贈るとき、そのように書き添える必要があります。)

 詩集『ザック・デ・ラ・ロッチャは何処へいった?』の中からは、今回は「ザック・デ・ラ・ロッチャは何処へいった?」を取り上げ、この作品と詩集に対するコメントを載せてくれていますが、先には『山形詩人』54号(2006年8月)から「エーテル論」を掲載し、コメントしてくれていました。
(したがって、この2つの作品については、ネット上で誰もが読むことができます。)

 この詩集について、「どれを紹介しようかと迷うほどの名詩集です」と紹介していただき、恐縮しています。
 

 写真は、詩集とは関係ありませんが、私がたまに飲みに行く山形市七日町の洋風居酒屋「し〜ら」の看板。
 ビールで喉を潤してから、一合徳利の熱燗でちびちびと宮城の「一ノ蔵」をやります。

 私は若い頃からのクセで、塩味の利いたあっさりめのポテトサラダが好きですが、ここのマスターの塩野さんがつくるポテサラに目がありません。
 薄いパイ生地のピザも好きです。

 「し〜ら」という店の名は、ジャズのボーカリストの SHEILA JORDAN からとったものです。
 店にはジャズがかかっています。

 七日町の八文字屋書店で「ザック・デ・ラ・ロッチャは何処へいった?」を購入し、この小さな店でマスターと話をし、おもむろに詩集に目を落としてください。
 かならず泣けます・・・・(笑)

                                                                                                                       






  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 00:52Comments(0)作品情報

2007年10月15日

「ザック・デ・ラ・ロッチャは何処へいった?」について(余談)


 

 金曜日、たまたま現在発売中の週刊誌『ぴあ』10月18日号を購入したら、グラビアにザック・デ・ラ・ロッチャの写真が! 

 記事を読むと、2000年にザックの突然の解散宣言で消滅したレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンが今夏に再結成され、なんと来年の2月に来日公演するというのである。(2月9・10日、幕張メッセ)

 まさか、私が「ザック・デ・ラ・ロッチャは何処へいった?」という作品を書いたのが伝わったからではあるまいが(苦笑)、詩集『ザック・デ・ラ・ロッチャは何処へいった?』の出版とタイミングが合ってしまって、少し驚く。

 もっとも、べつにライブを観に行こうという気にはならない。
 それどころか、あのレイジが、「ブッシュの戦争」の欺罔と失敗が明らかとなり、共和党政権が揺らぎ始めたいまごろになって出てきても、“なんだかなぁ〜”という感じである。
 それとも、9・11以後、それだけ圧力が苛烈だったということか・・・。
 ぬるま湯で生活しているじぶんなどには偉そうなことは言えないのだが。  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 00:27Comments(0)作品情報