2009年05月08日
映画『懺悔』 批評
4月28日、山形フォーラム(特別企画「シネマ&トーク」)で、グルジアのテンギス・アブラゼ監督作品『懺悔』(1984年)を観た。
この作品については、08年12月から、岩波ホールをはじめ、全国のいくつかのアート系シアターで上映された(される)ということで、日本語の公式ホームページ(www.zaziefilms.com/zange/)もあるし、ネット上には詳しい解説や論評もあるので、内容の説明はしない。
なお、この上映会では、上映終了後に、山形大学でロシア文学や表象文化論を教えている中村唯史准教授のトークがあった。中村氏の話は、いつもそうだが、平明かつ丁寧で、とてもわかりやすかった。
作品を観、中村氏の話を聞いて、印象に残ったことは、次の2点だった。
(1)この作品は、独裁と粛清をテーマとして描いているが、それは被害者意識による批判だけではなく加害者意識の混融したものでもあるということ。
グルジアは、スターリンを生んだ国であり、スターリンの下で粛清を進めた当事者であるラブレンチ・ベリヤ(この作品の主人公である独裁者のモデル)の出身地でもある。グルジアは、独裁と粛清を批判するにはいろいろと複雑な事情をもっており、それが作品に反映されている。
独裁者に心酔し、命じられたわけでもないのにひとりでベートーヴェンの「喜びの歌」を歌って喜悦に入る女。連行され、おそらくは脅迫されたが故とはいえ、無実の人々を密告した自分を「自分が密告したこれだけ多くの人間を逮捕すれば、逮捕した方が異常と思われるはずだ。だからこの密告はやつら独裁者を追い詰めるための戦術なんだ」と自己正当化する男。独裁者の指示を過剰に履行して無実の市民を荷馬車に積めるだけ連行してくる手下。そして、独裁者を称え、独裁者の死に衷心から涙する大勢の市民たち・・・。その有様と人物像が、ややカリカチュアされてあちこちに顔を出している。
(2)グルジア映画には、いわばコテコテ(これは中村氏の言葉ではなく高啓の言い方だが)の物語性が表現されており、独特の象徴的表現が鏤められている。
この作品では、市民を連行する秘密警察は、1930年代なのになぜか中世の騎士の鎧兜を纏って馬に乗っており、犠牲になるサンドロ(後述するケテヴァンの父)は、まるで磔にされるキリストそっくりである。
上記の「喜びの歌」の女にしても「戦術」の男にしても「荷馬車」の手下にしても、このような象徴的な描き方をすることで、アブラゼ監督は、独裁や粛清を、スターリンやベリヤによる個別具体的な出来事として告発するのではなく、いつでもどこでも起こりうる悲劇として描こうとしている。
さて、この作品は、ゴルバチョフのグラスノスチ政策の下、グルジア出身のシュワルナゼ(元グルジア第一書記、当時の外相)の後押しで、1986年にモスクワで一般公開されて大ヒットし、独裁と粛清への批判が大きなセンセーションを巻き起こしたとされている。(1987年1月25日付け「毎日新聞」国際面)
映画の宣伝や予告編で流布されるのは、その“マジメ”な側面で、その代表は、夫を強制連行された妻とその娘(ケテヴァン)が、夫(父)サンドロの生存を確かめようと、シベリアから運ばれてきた木材の置き場を悲壮な面持ちで探し歩くシーンである。(強制労働させられている受刑者が、その時はまだ生存していたという家族宛の証明として、切り出した木の切り口に自分の名前と日付を刻んでいる。肉親の安否を確かめようと、それを探しているのである。この場面では、切り口に頬擦りして泪を流す初老の婦人の姿も描かれる。)
これがとても印象的なシークエンスで映し撮られており、子役の表情とも相俟って悲痛さを訴えてくるのだが・・・ところがどっこい、この作品の不条理さは、まるで寺山修司の映画作品を想起させるような、コテコテの象徴的場面がいくつも登場するところにある。
一番印象的だったのは、たとえば、死んだはずの独裁者ヴァルラムが、まるで天使のような白い装束を着て起き上がり、笑みをたたえ、舌を覗かせながら、スキップするように踊るシーンだった。
この物語は、子供の頃、ヴァルラムに父と母を連行され殺された女・ケテヴァンが、病死して埋葬された独裁者ヴァルラムの死骸を2度も掘り出して晒し物にし、3度目に逮捕されて法廷でその罪を告発するという“マジメ”で“シンコク”なドラマのはずなのに、まるで、独裁者は死骸を掘り起こされても、あの世で安楽に過ごしている・・・ということの暗示ででもあるかのように、こうした“フザケ”たシーンが挿入されるのである。
他にも、ちょび髭を生やした独裁者ヴァルラムがオペラみたいに歌うシーンがあり、このへんは唐十郎の芝居を彷彿させる。
また、独裁者ヴァルラムがバルコニーから演説するシーンでは、足下の水道管が破裂し、噴出す水で“豪雨”になる中でも演説は続き、その脇では記録者がびしょ濡れでタイプライターを叩いている。これはまるでチャップリンのドタバタ喜劇である。
こうして、作品は全体として、小劇場演劇的な手法を取り入れた作品だという印象なのだ。
アブラゼ監督は、体験者の語るすべてを、しかも普遍的に語るために、幻想的で不合理な構成を採用したというような趣旨のことを語っている(和田春樹編「ペレストロイカを読む」御茶ノ水書房)が、これにはひとまずじぶんも合点する。
だがしかし、ここでは、むしろそのことは、それが“作品”として幻想的に自立することにより、その方法に対する批評的視線を生成してしまうという逆説的な結果をもたらしている。
“批評的視点”は、メタレベルに及ぶ。
たとえば、独裁と粛清への批判からひとつ後ろに下がって見つめれば、“独裁と粛清への批判”という視点自体が対象化(かつ相対化)され、それをめぐる時代と市民たちの寓話化された悲喜劇が、不可避的な方法の選択として視えてくる。
物語の寓話化・演劇化は、たしかに作品を“普遍化”する・・・すなわち作品として自立させてしまう・・・・そのことによって、作品は表現としての長い生命を得られるのでもあるだろう。
だが、さらにもう一段後ろに下がってみれば、今度はその寓話化・物語化された表現自体が、不可避的に自己批評的な視線を呼び込んでしまうことがわかる。
この映画の最後のシーン(それは直接的に最初のシーンに繋がるのだが)は、まさに寓話や物語を“幻想的に自立”させてしまう呈のもので、昔の小劇場演劇の手法によくみられたオチである。(こんな言い方では、なにも伝わらないかもしれないが、この最後のシーンはとても評価が高いらしいので、ネタバレにならないよう、ここでは説明しない。)
しかし、たとえば日本の現在の小劇場演劇の想像力は、この“自立”性を、いわば桎梏や既成の回収システムと捉え、これをいかに回避・逸脱・解体するかに神経を使っているようにみえる。
じぶんは、どちらかといえば、こちらのモチーフに寄り添いたい。
この辺りが、この興味深い「旧ソ連」の映画作品に、いい意味での古風さと、同時に物足りなさを感じる所以である。