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2010年06月02日

「ピカソと20世紀美術の巨匠たち」展




 宮城県立美術館で、ドイツのケルン市にあるルートヴィヒ美術館所蔵品展「ピカソと20世紀美術の巨匠たち」(2010年5月22日〜7月11日)を観た。

 この展覧会は、2つの章に分けられている。

1 「第?章 ピカソとヨーロッパ現代」
 この章では、1901年から1972年までのピカソの作品8点に、宮城県立美術館所蔵(佐藤忠良コレクション)のピカソ作品6点を加えた展示を中心として、ジョルジュ・ブラック、モーリス・ド・ヴラマンク、アンリ・マティス、モーリス・ユトリロ、マルク・シャガール、ヴァシリー・カンディンスキー、ジョルジオ・デ・キリコその他の作品が展示されていた。
 じぶんの眼にとまったのは、ピカソの作品では、「草上の昼食(マネをもとに)」(1961)だった。マネの同名の絵画を、その人物の構成配置を一定程度踏襲しつつ、ピカソ風にデフォルメしたもの。ピカソ一流の青と緑の使い方が印象的である。
 すぐ傍に、オリジナルのマネの作品の写真が掲示されていて、見比べると、なんだか卑猥でグロテスクな感じがしてくる。ピカソの絵がではない。不思議なことに、マネの絵が、である。
 
 その他の作者のもので、コメントしておきたいのは以下の作品である。

 まず、アレクセイ・フォン・ヤウレンスキー(1864‐1941)の「青い水差しと人形のある静物」(1911)の色使いやマチエールに惹きつけられた。文字通り、テーブルの上の水差しと人形らしきものが描かれているのだが、強く押し出された赤と青の対比が、その迫力ある筆使いもあって、不思議なインパクトで迫ってくる。

 アルチュール・セガル(1875‐1944)の「港」(1921)も、穏やかな港にヨットが停泊しているところを俯瞰する風景画でありながら、そのキュビズム的な構成と非有機的な色使いが面白い。

 エドガー・エンデ(1901‐1965)は、ミヒャエル・エンデの父。その作品「小舟」(1933)は、苦悩の表情を浮かべた禿頭の男たちが小舟にぎっしりと詰め込まれ、空中の球にロープを掛けて引こうとしている絵だ。空中の球を手繰り寄せようとしているのか、自分たちの舟を空中の球の方向に近づけようとしてしているかは定かではない。

 パウル・クレー(1879‐1940)の「陶酔状態の道化」(1929)には、クレーの編み出した幾何学図形を組み合わせるような描画の手法が、とても効果的に活きている。動きがあると言ってもいい。その色合いからみても作品としての完成度の高さを感じる。
この絵に感動してしまうのは何故か・・・じぶんの内面を振り返ってみるが、なかなか言葉にならない。(ただ、宮城県立美術館所蔵作品の常設展にあるものを含め、他のクレー作品には感動しない。なぜこの「道化」に感動し、他の作品に感動しないのかわからない。)

 マックス・エルンスト(1891‐1976)の「月にむかってバッタが歌う」(1953)は、迫力あるバッタの大群を描いているのだが、作品の題名に「バッタ」という言葉がなければ、それがバッタだとすぐには思い至らない。なにか蠢く“レギオン”(平成ガメラかっ!)という感じで、しかし、むしろ非形象的な生命力が迫ってくるという印象を受ける。

 また、エミール・ノルデ(1867‐1956)の幻想的な風景画、つまり暗闇の湿原を流れる川と空の光を描いた「月夜」(1903)、ナチスに「退廃芸術」の烙印を押されてアメリカで最後を遂げたマックス・ベックマン(1884‐1950)の「イロンカ(ジプシーの女?)」(1917)に描かれた女の存在感、そして、絵のモデルから画家になった、ユトリロの母でもあるシュザンヌ・ヴァラドン(1865‐1938)の「女の肖像」(1929)なども印象的だった。





「第?章 戦後の傾向」
 この章は、「抽象主義の傾向」「具象絵画の状況」「ポップ・アート」の3つの区画に分かれていた。
 「抽象主義の傾向」では、1950年代・60年代のアンフォルメルの絵画がいくつか展示されていた。以前、東京都現代美術館の収蔵品展やその他のいくつかの美術館や美術展で、日本の抽象画作品を観ていて、この手の抽象絵画は日本でもすでに1950年代には一般的になっていたのか・・・と思ったことを思い出した。このような抽象画の動きは、戦後、西洋と日本で呼応するように奔出したのだろうか。
 ただし、この展覧会で観られる抽象画は、みんなあちこちでよく眼にするような感じで、退屈だった。(同じ作家の作品を観たこともあった。)
 こうしてみると、キャンバスに油彩で抽象画を描くということは、いまや結構困難な仕業になっているのではないかと思えてくる。オリジナルだと思っていても、どこかで誰かが似たような作品を描いているのではないかという不安がつきまとう。

 ついでに言うと、「ポップ・アート」のコーナーの作品もつまらなかった。ここには、有名なアンディ・ウォーホールのジャクリーヌ・ケネディの写真を基にした作品が3つ展示されていたが、そもそもじぶんは、アンディ・ウォーホールのどこが面白いのかが理解できない。彼の作品を重視する輩は、複製ポップ・アートの登場という歴史的なエポック・メイキングの意味を、個別作品自体の意味として錯合しているのではないのか・・・などと思ってしまう。
 このエポックを経た後に自我形成をした世代(じぶんもそうだと思うが)にとっては、これは自明で、退屈で、かつは抑圧的な既存の枠組みであり、唾棄すべきものなのだ。
 アンディ・ウォーホール作品の価値は、芸術的価値というより社会史的価値、あるいは精神史的価値(われわれの精神が表層化された時代を表象するという意味で)として存在する。その作品は、美術館より博物館に展示されるのがふさわしいかもしれない。

 どちらかといえば、じぶんは抽象画が好きな方だと思うが、全体としてこの展覧会の抽象主義の作品には惹かれなかった。むしろ、「具象絵画の状況」というコーナーの中の作品に、注目すべきものがあった。
 ピーター・トーマス・ブレイク(1932‐)の「ABCマイナーズ」(1955)は、エンブレムの付いたジャケットに半ズボン姿というイギリスっぽい姿の思春期の男の子がふたり並んで立っている絵である。この男の子たちの顔は、緑の入った灰色調で描かれていて、その表情からも、内面の、一筋縄ではいかない歪(いびつ)さを伝えてくる。

 ホルスト・アンテス(1936‐)「三番目の風景画」(1968)は、刺激的な構図。
 ピカソのパクリ(カリカチュアか?)みたいな形象の女が浜辺に四つん這いになっていて、その尻のところには階段状の踏み台が置かれている。その女の尻の方向にむかって、画面右手から腕が伸びており、その手は、親指を人差し指と中指の間から突き出している。(○uck!という意味か?)

 このほか、ネオ・エクスプレッショニズム(新表現主義)といわれるゲオルク・バゼリッツ(1938‐)の「鞭を持った女」(1965)なども印象に残った。


 【常設展】
  「ピカソと20世紀美術の巨匠たち」と同時開催の常設展「日本と海外の近現代美術コレクションから」も、駆け足で覗いた。
  日本人では、萬鉄五郎(1885‐1927)の「自画像」(1915)、松田正平(1913‐2004)の「少女」(1983)、吉原治良(1905‐1972)の「風景」(1935頃)が印象的だった。
  外国人では、ヴァシリー・カンディンスキー(1866‐1944)の「E.R.キャンベルのための壁画No.4」の習作、ハインリヒ・カンペンドンク(1889‐1957)の「郊外の農民」(1918頃)に惹かれた。

  宮城県立美術館の収蔵品については、あらためてじっくり観てみたいと思った。
  企画展のように、作者ごとに解説プレートを設置してくれると、鑑賞する側はありがたい。詳しく知りたければ、カタログを購入しろということだろうが、その現物が展示されている場で知りたいと思ってしまう。それに、会場を離れてからカタログを読んでも、何故か(おそらくは印刷写真になった作品に魅力がないからか)、その内容はずいぶんとつまらないのである。・・・・あっは。
                                                                                                                                                                             



  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 00:21Comments(0)美術展