2023年03月23日

出版業を始めるための必読書






 この春は暖かくなるのが早いですね。・・・・というか、毎年こんなことを言っているような気がします。「年ごとに、春と秋が短くなっているような・・・・」
 近所の個人宅庭の桜がほころび始めました。3月中に咲くのは初めてかもしれません。
 写真は白鳥の北帰行です。
 1週間ほど前、自宅近くから撮りました。この辺の上空を白鳥の群れが飛び回るのも珍しいような気がします。

 以下は高安書房のサイトにアップしたものと同じ内容です。
 高安書房のサイトは訪問する方が少ないので、こちらにも掲載させていただきます。





 岡部一郎・下村昭夫共著『出版社のつくり方読本』(2017年・出版メディアパル)と石橋毅史著『まっ直に本を売る―ラディカルな出版「直取引」の方法』(2016年・苦楽堂)を読んだ。
 わたくし高安書房店主のように、出版業の〝し〟の字もしらないままに出版業に手を出してしまった者は、どちらもその前に手にすべき必読の書だった。つまり、「必読の書」を読まずに手を付けてしまった(!)ということを知らしめられた。

 『出版社のつくり方読本』は、出版業というものがどんなものか、全体をコンパクトに整理して分かり易く解説しており、格好の出版業入門書だ。
 とくに出版した本をどう売るかという点で、素人の甘い考えを打ち砕いてくれる。そもそも、トーハン、日販、楽天ブックスネットワークなどの大手取次会社は駆け出し出版社など殆ど相手にもしてくれないのだという。

 ではどうするか。そこで参考になるのが、『まっ直に本を売る―ラディカルな出版「直取引」の方法』である。
 この本は出版社で営業をしていた経歴をもつ出版ライターが、自身の経験に基づく問題意識から取材した記事(『新文化』という出版業界関係の雑誌に連載したものかな)をまとめたものらしい。(この本はネットショップのhontoで注文したが、入荷できない旨のメールが来た。仕方なく、山形県立図書館を通じて所蔵のあった酒田市立図書館から借りて読んだ。ちなみに、このように地元の図書館で他の図書館の蔵書を取寄せて借りることができる。「相互貸出」というシステムである。)
 内容は「取引代行」という方法を導入した出版社「トランスビュー」の「トランスビュー方式」に関する紹介が中心になっているが、この本も出版業界の事情を知るうえでとても有益である。

 ところで、「トランスビュー方式」は、①書店からの注文に基づく配本(返本を減らすため)と、②書店の利益を確保するための低い掛け率(7割を切る)が大きな特徴である。出版社にとっては、掛け率やトランスビューの手数料等の関係で、いわゆる「取次」を通すのと比べて利益率が大していいわけではないが、①のシステム上、返本が少ない点が魅力である。(ただしトランスビューも一部取次を利用している。)
 「大沼デパート」の閉店にまつわる『さよならデパート』の著者であり、その出版元「スコップ出版」を運営する渡辺大輔氏に伺ったところ、同氏は「トランスビュー」と取次代行の契約をしているとのことだった。
 ただし、問題は「トランスビュー方式」では書店への卸値(つまり出版社の取り分、これを「正味」という)が定価の70%を切るうえに、いろいろと手数料の支払いを求められることだ。実際の正味は定価の60%か、その他の経費(荷造り料や送料)を勘案すれば出版社の得る額はそれ以下になるのではないだろうか。
 渡辺氏は自ら編集ソフトを操るうえに、表紙デザインも自分で作成しており、その分本の製作費を低く抑えているという。また、初版の部数もそれなりに増やして、1冊あたりの原価を低く抑えているという。

 高安書房の『非出世系県庁マンのブルース』は、こんな事情を何も知らずに初版500部の印刷。定価の決定にあたっても詳細な検討などしなかった。(-_-;
 共同通信社の書評に取り上げてもらえたので、その記事が掲載された地方紙を読んだ個人や(リクエストを受けたであろう)公立図書館及びそれらの客から取寄せ注文を受けた書店などからポツポツと注文が入ったが、共同通信社の配信がなかったとしたら、山形県外からの注文は殆どなかったのではないかと思う。
 やはり、「取引代行」か「地方・小出版流通センター」などの零細出版社を相手にしてくれる取次を利用しないと全国の読者にアクセスできないのか・・・。


 さて、ここからが悩ましいところである。
 じぶんは生活の糧を得るために出版業を始めたのではなかった。パートタイマーであるとはいえ、別の仕事(こっちがいまのとろは本業)ももっている。(本業の仕事はそれなりに神経を使うのでアタマの切り換えに苦労する。) そもそもは自著を出版したいというのが主たるモチベーションなのだ。
 こういう中途半端な人間が出版流通に首を突っ込んでもいいのか・・・、あるいはまた、高啓の著書以外に、毎年継続して出版していく企画をもっているのか(ということがトランスビューでも地方・小出版流通センターでも取引の条件になる)・・・・、という自身への疑問(というか〝たじろぎ〟)もある。
 さらにまた、「直販」こそ本を「売る」=「買う」という過程がそのまま読者=購入者とのコミュニケーションに他ならない関係だ。・・・このネット社会である。ネット(=高安書房のサイト)を通じて書店や読者への「直販」でやっていくという選択があって然るべきだし、数を売ることより身の丈にあったやり方でチマチマとやっていけばいいのではないか・・・などとも考えてしまう。

 ということで、この時点での中間的な結論はこうだ。
 本来、じぶんの(詩集以外の)著書として先に世に問おうとした(「書肆山田」から上梓しようとした)文学思想論集『切実なる批評』(仮題)を、まずはもう一度『非出世系県庁マンのブルース』と同じ形で世に送り出し、その反響を見てから考える・・・。
 『切実なる批評』(仮題)は、その内容からして『非出世系県庁マンのブルース』より僅かな読者(購買者)しか得られないだろうが、まさに〝身の丈に合った〟歩み方ではないか・・・。

 ただひとつ、非常に困っているのは、前にも書いたが、Amazon、楽天ブックス、ヨドバシなどの大手ネットショップのサイトに、取引がない(取り扱いできない)にも拘らず、高安書房の新刊のデータが掲載され、いざそれを注文しようとすると「販売休止中です」とか「取り扱いできません」などという主旨の表示がなされてしまうことだ。(これは実質的に販売の妨害行為になってしまっている。)
 「ヤフー知恵袋」にも『非出世系県庁マンのブルース』は書店で売っていないがどこかで買えないかという質問に、ネットショップで売っていないかと回答があり、売っていないと返答が来て、結論としてはどこでも売っていないという印象になる旨の記載がなされており、こちらがそれに気づいたときは回答期限が過ぎて記入ができなくなっている。ヤフー知恵袋に「非常に迷惑しているから再度回答を書き込みできるようにしてほしい」と訴えるも音沙汰がない状態である。

 まぁ、愚痴を延々と述べても詮無いこと。とりあえず今は次の出版に向けて取り組んでいこうと思う。

【追伸】
 『非出世系県庁マンのブルース』が地元の書店にない場合、高安書房のサイトをご覧いただき直接注文してください。書店からお求めになりたい場合は、「高安書房からより寄せできないか?」「高安書房はネットで検索すればサイトが見つかり、そこに書店との条件が記載されている」とお伝えください。











  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 14:34Comments(0)徒然に高安書房

2023年03月10日

軽部謙介著 『アフター・アベノミクス』




 軽部謙介著『アフター・アベノミクス―異形の経済政策はいかに変質したのか』(岩波新書・2022年12月刊)を読んだ。

 第二次安倍政権によって「異次元金融緩和」として始められた「アベノミクス」が「物価上昇率2%」という目標を達成できないまま、金融政策から「タガの外れた」財政出動へと変質していく過程が、日銀、財務省、自民党それぞれについて克明に描かれている。
 興味深く読んだのは、日銀内の「リフレ派」対「非リフレ派」の勢力争い。そして財務省内の財政規律の基本方針を巡る動き、すなわち「財政収支均衡」から「プライマリーバランス(PB)黒字化」へ目標を変更しようとする動きと、それがストップをかけられる過程の描写である。
また、日銀が急激な円安に対処するため長期金利の変動幅を拡大したことを「ステルス利上げ」としているところなど、利上げをしようにもできない事の深刻さを伝えてくる。
 本書は、関係者の動きを追うジャーナリスティックな著作ではあるが、じぶんのような金融政策に昏い者に金融政策や日銀の在りようを分かり易く説く解説書の役割も果たしている。

(註)「財政収支均衡」とは、政策的経費と国債の利払い費を税収で賄える状態。国債発行残高は増えない。(減りもしないが。) 「PB黒字化」とは、政策的経費は税収で賄えるが過去の国債の利払い費はさらなる国債の発行で賄うという状態。(国債残高は増え続ける。) なお、2022年度末の国債残高は1,029兆円。2023年度の予算額は過去最高となり「PB黒字化」さえ遥かに遠のいている。

 さて、ここで本書の内容紹介から少し外れる。
 国債を日銀が直接購入することは「財政ファイナンス」として禁じ手にされている。
 しかし、国債をいったんは民間銀行に購入させて、それを日銀が買い取るというオペレーションが際限もなく(まさに「異次元」の有り体で)続けられているのがいまの「アベノミクス」下の日本である。ようするに日銀券が政府からバラマキされている。これは「金融政策」の仮面を纏った「異次元の」「財政出動政策」である。
 この異常事態を合理化するのが、今や右は「自民党」支持者の一部から左は「れいわ新選組」支持者の一部までが嬉々として唱える「MMT」(近代貨幣理論)である。
端的に言えば、MMTとは、自国の通貨建てで国債を発行する限り、どんなに国債を発行しても国家はその返済に充てる貨幣を発行できる(つまり印刷すればいい)のだから債務不履行は起きないという理論だ。
じぶんには、これは〝理論〟というより〝信仰〟に見える。
 MMTは通貨を発行する<国家>の存在(それも確固たる国家)を前提にしている。
 また、財政出動の規律は、インフレーションの度合いに掛かっているとする。つまり、通貨の発行量が増えすぎてインフレが起こるが、そのインフレの程度がひどくなったときに通貨量を減らせばいいというものだ。
 われわれの「日本」という国家がいつまで確固たるものか、昨今のこの国の劣化(政治・経済・官僚機構・マスコミ等々の劣化)を見せられると、その破局の蓋然性は、30年以内に起きる確率が70~80%といわれている「南海トラフ巨大地震」かそれ以上に大きいと思われてくる。
 しかしそれ以前に、「タガが外れた財政出動」を止めようとしたとき、それが止められるのかという問題がある。増税を掲げる政治勢力、あるいは財政出動をそれなりに絞ろうとする政治勢力は選挙で敗北することが予想される。
 敗北する事がわかっていてそれをやろうとする政治勢力が現れるか。現れたとしても選挙で勢力を伸ばすことは叶わないだろう。ポピュリズムに傾斜した今の日本で肥大化した「財政出動」を絞ることなど、そもそもできそうにない。
 かように「アベノミクス」の罪は深い。「アベ政治」(というより「アベ的なるもの」あるいは「アベ族」と言うべきか)は何から何まで劣化させてしまった。
 いまや国債という「点滴」で生きているような<国家>が、強大かつ広大な隣国に「敵基地攻撃用ミサイル」を撃とうというのである。「アタマの中がお花畑」とはまさにこういうことを言うのだろう。
  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 10:54Comments(0)作品評