2017年08月29日

現代詩人会東日本ゼミナール

 山形県詩人会の告知です。

 日本現代詩人会では、毎年、東日本と西日本でそれぞれ1回ずつ「現代詩ゼミナール」を開催していますが、今年の東日本のゼミナールについて、下記の通り山形県(酒田市)での開催を引き受けることになりました。
 なお、同ゼミナールは、会員のみならず、一般の方にも参加いただいています。






 酒田開催の経緯は以下の通りです。
 日本現代詩人会から山形県開催の打診を受け、山形県詩人会の理事会で開催地を検討したところ、高橋英司会長ほかの提案により酒田市で開催することとなりました。
 内陸の県都・山形市から遠く離れ、しかも山形市に比べて各地からのアクセスが不便な日本海岸の酒田市では参加者集めがたいへんなのではないかと危惧する者(たとえば高啓)もいましたが、①前回(2008年)は山形市で開催し成功裡に終わったが、山形市だけが「山形」ではない。今回は県都以外で開催したい。②山形県内ではいま酒田市の詩人たちがいちばん活発に活動している。③テーマとして取り上げる吉野弘の出身地である。(同じくテーマとして取り上げる黒田喜夫所縁の寒河江市での開催も検討。)④江戸時代に北前船で栄えた酒田は文化的な蓄積や観光資源が豊かなので、県外からの参加者も呼べるはず。・・・などの理由で、酒田開催を決めたものです。
 また、前回は集客の意図も込めて岡井隆氏に講演を依頼したのですが、今回は有名人は招聘せず、自前(山形県内の詩人たちによる講演)で開催することにしました。
 ということもあり、テーマの方は有名な詩人たち、つまり戦後詩史に大きな足跡を残したふたりの山形県出身詩人「吉野弘」と「黒田喜夫」を取り上げました。

 吉野弘について講演する万里小路譲氏は、酒田市と隣の鶴岡市在住。『吉野弘 その展開視座の詩学』という著書があります。
 黒田喜夫について講演する木村迪夫氏は、黒田喜夫を「兄」と慕い、親交をもっていました。詩人としても現代詩人賞など数々の賞を受けられ、その生きざまは『無音の叫び声~農民詩人・木村迪夫の牧野村物語~』(原村政樹監督)という映画にもなっています。
 なお、高啓は黒田喜夫の詩「毒虫飼育」を取り上げ、従来の黒田詩をめぐる議論とは異なった観点から、この作品がもつ画期的な意義について考えを述べる予定です。

 ご参加をお待ちしております。



現代詩ゼミ ナール <東日本> in 酒田

「吉野弘と黒田喜夫の山形」

   主催 日本現代詩人会・山形県詩人会
  後援 山形新聞・山形放送 山形県芸術文化協会
  日時 20I7年Ⅰ0円2Ⅰ日(土)午後Ⅰ時30分~ (受付1時~)
会場 ホテルイン酒田駅前内 (4F ル・ポットフ一)
(酒田市幸町1-10-20 電話 0234‐26‐2218)
参加費 日本現代詩人会会員・山形県詩人会会員は無料 一般参加者:資料代 500円

  プログラム
■講演 「吉野弘について」・・・・万里小路譲
     「黒田喜夫について」・・・木村 迪夫

■吉野弘を読む
      近江正人 いとう柚子 朗読: 阿蘇孝子

■黒田喜夫を読む
       高 啓   朗読:阿蘇孝子

■自作詩朗読
       成田豊人 (秋田) 清岳こう(宮城) 鈴木良一 (新潟)
       戊丸ぜの (山形)   金井ハル (山形) 阿蘇豊 (山形)

■交流・懇親会 (同ホテル内5F スワンルーム) 午後5時30分~7時30分
       アトラクション 筝曲演奏 (高瀬雅楽秋)  会費5,000円

■研修ツアー (希望者中込) 10月22日(日)午前9時~
ホテル~本間美術館~日和山公園~山居倉庫~土門拳記念写真美術館~酒田駅 (午後3時解散予定) 参加費4,000円程度

【お問い合わせ先】
山形県詩人会 ゼミナール事務局
〒999-3503 山形県西村山郡河北町岩木259 (高橋英司方)
※ 電話番号・メルアド等はこのブログから高啓に問い合わせてください。
【宿泊】
ホテルを各自でご予約ください。
ホテルイン酒田駅前(当会場) …0234-26-8800
ホテルイン酒田…0234-22-5000 (ゼミナール参加者のバス送迎があります)

  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 16:55Comments(0)活動・足跡

2012年11月21日

やまがた現代詩フェスタ 2012

 





 2012年11月17日(土)、山形市民会館小ホールにおいて、「やまがた文学祭-やまがた現代詩フェスタ2012」が開催された。
 山形市の文化行政が助成し、山形市芸術文化協会が開催する「やまがた文学祭」は、文学を6つのジャンルに分け、毎年そのひとつのジャンルについてイベント等を実施するもの。「現代詩」分野は、過去に2000年、2006年と2回にわたりこの「やまがた文学祭」としての企画を実施してきており、今回は3回目となった。
 企画はふたつ。ひとつは上記の「やまがた現代詩フェスタ2012」と題したイベントであり、もうひとつは冊子「やまがた現代詩の流れ~<詩的山形>への招待~」の編集・発行である。(冊子はイベント参加者へ無償配布。)
 主管は、山形市芸術文化協会の現代詩部門の理事や同協会の会員となっている山形市在住の詩人たちとこれに協力した山形県詩人会の役員でつくる実行委員会である。
 高啓は実行委員会から指名され、上記冊子の編集を担当した。ただし、イベントの企画内容については関知していない。
 
 「やまがた現代詩フェスタ2012」は、第一部:講演(詩人・中村不二夫氏「東京からみた山形の詩人たち」)、第二部:山形市内の3つの高校の放送部員たちによる現代詩の朗読の二部構成。
 第二部の出演は、県立山形北高等学校放送部、県立山形東高等学校放送委員会、私立山形学院高等学校放送部。朗読されたのは実行委員会の担当者・いとう柚子が選定したもので、前半部は高校の教科書に収録されている国内の有名詩人の作品、後半部は山形県の詩人の作品であった。








 さて、冊子「やまがた現代詩の流れ~<詩的山形>への招待~」については、その編集後記から引用することで、内容を紹介しておきたい。

【ここから「編集後記」の引用】
 今回の編集にあたってはこれまでの方針を尊重し、山形における現代詩の史料となるよう記録性を重視することとして、県内詩界の動き、年表、物故者の回顧、それに同人誌の現況報告などを記載した。なお、県内詩界への目配りや年表の作成については、従前から高橋英司に負うところが大きい。
 また、これに加えて、一般読者に県内詩人への関心をもっていただきたいと考え、前回と同様に県内詩人を論じた評論を掲載した。前回は平塚志信が論者となり、万理小路譲、伊藤啓子、近江正人を取り上げたところであるが、今回は高啓が「〈詩的山形〉への招待」と題して、加藤千晴、アカツカトヨコ、永山一郎、木村迪夫、菊地隆三、松田達男、いとう柚子、高橋英司を取り上げた。各詩人の代表的作品を引用掲載しているので、優れた県内詩人の作品に触れるという意味でもぜひご一読いただきたい。
 さて、ここからは我田引水になってしまうが、今回掲載した「〈詩的山形〉への招待」について若干の言及をお許しいただきたい。
 この起稿のために、あらためて県内詩人たちの作品に眼を通したのだが、思いがけなくも、それらを一定のビスタから論じる結果となった。この編集任務を引受けなければこんな論考をすることもなかったという意味で、これは筆者にしてみれば予想外の収穫だった。
 というのも、この稿は、2010年に「山形新聞」紙上で交わされた「郷土の名詩」を巡る論争(むしろ騒動と言うべきか)を受けての、筆者なりのひとつの姿勢の表示となったからである。
 あの論争は、「郷土の名詩」と言うときの「郷土」とはなにかが論じられないまま立ち消えになったのだったが、ここで筆者は「郷土」とは蔵王連峰やら最上川やらとは関わりなく、この山形に生きる詩人が内部に抱えた〝風土〟あるいは〝境遇〟であると看做し、「名詩」とは自意識がそれら内部の風土や境遇とふかく切り結ぶ詩的達成のことだという視角を提示している。
【ここまで「編集後記」の引用】

 筆者は、この論考のなかで、「自意識がそれら内部の風土や境遇とふかく切り結ぶ」様相を明らかにするため、現役の詩人についても、各詩人の個人的事情に憶断の誹りを恐れずに言及した。
 なお、参考まで〝「山形新聞」紙上で交わされた「郷土の名詩」を巡る論争〟については、この冊子に掲載されている過去6年間の県内詩壇の状況を記述した高橋英司の文章「変貌する山形の詩」がその概要を述べている。

 冊子は、県内の主な図書館に寄贈される予定。また、イベントに参加しなかった県詩人会会員にも配布される予定。これら以外でご希望の方は、高啓までメール(本ブログの「オーナーへメッセージ」から)にて問合せを。

                                 


  

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2011年12月03日

現代詩ゼミナール東日本 in 青森



 2011年10月8日(土)、店頭にうまそうなりんごがあふれる青森市で、日本現代詩人会の「現代詩ゼミナール東日本 in 青森」が開催された。(会場:青森駅側の「ねぶたの家“ワラッセ”」イベントホール)
 このゼミナールは、日本現代詩人会が東日本と西日本で毎年1回ずつ開催するイベントで、その企画・運営は基本的に地元の詩人たちによる実行委員会(開催県在住の日本現代詩人会会員と地元の詩人会による場合が多い)に委ねられている。
イベントへの参加は会員にのみならず、広く一般に開放されている。
 このゼミナールのプログラムのひとつとして、詩人による自作詩の朗読が恒例になっており、東北での開催ということで、地元青森を含む東北各県から詩人が招待された。高啓は、山形県の詩人としてこの催しに招かれ、自作詩を朗読した。

< イベント内容 >
 1 シンポジウム「高木恭造と村次郎の詩について」
    パネラー:圓子哲雄、山田尚、藤田晴央
 2 詩人たちによるポエトリー・リーディング
    麻生 直子(東京都)
    齋藤 貢 (福島県)
    秋 亜綺羅(宮城県)+舞踏・伊藤文恵
    高  啓 (山形県)
    菊池唯子 (岩手県)
    成田豊人 (秋田県)
    高橋玖未子(青森県)
    佐々木英明(青森県)+舞踏・福士正一
 3 津軽三味線演奏と舞踏
    演奏:山上 進
    舞踏:福士正一、伊藤文恵


1 シンポジウムについて

 高木恭造(1903〜1987)は、青森市生まれ。旧満州で青春期を過ごし、弘前で眼科医となった。方言詩が3篇、真壁仁編『詩の中にめざめる日本』(岩波新書、1966)に収録され、英訳もされたことで、方言詩集『まるめろ』が高く評価されたという。
 村次郎(1916〜1997)は、八戸市生まれ。慶応大学仏文科に入学。画家になりたかったが、反対する父と衝突し、「何にもならない人間になりたい」と思春期から思っていたという。話す言葉は八戸弁だったが、詩はすべて標準語だった。高木の『まるめろ』を評価してはいたが、基本的に方言詩は認めなかったという。また、日本語は朗読に適さないとして、決して詩の朗読をしなかったという。長く「幻の詩人」として語られてきたというが、今年、『村次郎全詩集』が出版された。

 じぶんはどちらの詩人についても知識を持っていなかったが、両詩人の紹介を聞いていくうち、方言詩に対して相反する見方を持った二人を取り上げたこのシンポの議論の行方に興味をもった。じぶんも基本的に“方言詩”(つまり方言で書かれていることに意味を持たせている詩)については、これを認めないという立場であり、その根拠(認めないという姿勢の根拠)が重要だと思っているからである。
 しかし、その期待ははぐらかされ、当日のパネラーの話は両詩人の人柄や著作を語ること及びこれらの詩人たちとパネラー自身との関係に関する記憶を語ることに留まった。
 一般参加者にも開放したこのようなイベントで、郷里の詩人たちをより深く知ってもらおうとする試みに異議を唱えるつもりはないが、もう少し普遍的なテーマに繋がる議論の展開を心がけてほしいと思った。

2 詩の朗読について

 高啓と佐々木英明氏以外の詩人たちは、すべて東日本大震災に関わる作品を朗読したが、はっきりいえば、ろくな作品が無かった。
 この時期に、八戸など太平洋側の地域が被災した青森県で開催されたゼミナールで、しかも東北各県から詩人が招かれているのだから、大震災や福島第一原発の原子力災害に関する作品を発表または朗読しない方が不自然なのかもしれないが、そのテーマを取り上げればなにか切実な作品になるかというと、そんなことはさらさらないのである。

 高啓は、震災にも原発事故にも一言も触れず、いわゆる“つかみ”代わりに先日の2泊4日の知床行の途中で新青森駅で青森行きへの乗り継ぎを間違えて大慌てでタクシーに飛び乗った話をして、その後、「女のいない七月」という作品を朗読した。
 この作品を選んだのは、「山形詩人」に発表したこの作品が『詩と思想』誌(2011年1・2月合併号)の「2010ベストセレクション」に掲載され、すでに不特定の人々の目に触れ得る状況になっていたからである。
 イベントの後で催された交流会で、幾人かから「女のいない七月」の朗読について話しかけられた。そのうちの半数は、この作品の性をめぐる表現からか、にやけたような冷やかしのまなざしを浮かべていたが、残りの半数は真面目な面持ちで面白い詩だと評価してもいた。


3 福士正一氏について

 青森に住み、青森を拠点として活動している「オドラデク劇場」主宰の福士正一氏の舞踏を初めて観て、その後の交流会で初めて言葉を交わした。
 福士正一氏は、山形大学演劇研究会でじぶんより3年上の先輩だったが、じぶんが入部したころ、福士氏はすでに同劇研の活動と距離を置くようになっていたので、学生時代は対面したことも言葉を交わしたこともなかった。ただ、山形県在住の舞踏家・森繁哉氏の公演を手伝った際に、福士氏を見かけたことはあり、その名前も知っていた。
 彼は、マネージャーのように連れ添う夫人と一緒に各地に出かけ、国内外で舞踏公演を行っている。作風は飄々としたもので、舞踏用にメイクしたときの風貌はどことなくチャーリー・チャップリンを思い起こさせる。
 ただし、メイクして舞台に立った際のイメージとメイクを落とした素顔とはとてもかけ離れている。
 この日の交流会には20代の若い弟子(?)のような男性を伴っていて、明日の日曜日もどこかで一緒に舞踏をするのだと言っていた。
 じぶんとしては、35年を経て初めてこの先輩の人となりに触れ、言葉を交わしたわけであり、まずはこれだけでも今回の青森行の意義があったと思う。


4 青森の印象、その他

 青森駅前とその周辺の観光施設は小奇麗に整備されているが、以前より青森市のイメージが縮小したという印象を受けた。「以前」というのは、17〜18年前だろうか、家族6人で弘前城址の桜を観に訪れ、その帰り道に青森に寄って、棟方志功記念館を訪ねたのだった。
 りんごと紅葉の季節である10月上旬のこの土日、青森県は書入れ時の観光シーズンで、列車や青森や弘前のホテルは満員のようだった。だが、青森駅前の人通りは少なく、駅近くのビル内に移転した海鮮物や農産物の市場もそれほど混んでいる様子はなかった。東北新幹線が青森まで開通するのと合わせて実施されたJR東日本のデスティネーション・キャンペーンが終わり、しかも福島第一原発の爆発事故の影響による観光客の減少を受けて、この青森の地もあえいでいるように見えた。
 とはいうものの、どちらかといえば閑散とした青森駅前の風情は、それなりに魅力的でもあった。
 駅前のカフェ・レストランでランチを食べ、夜は交流会の流れで、これまた駅前の古い喫茶店かつレストランかつ居酒屋みたいな、小母さんががひとりで営業している小汚い店に連れ込まれた。われわれだけでその小さな店はすし詰め状態となり、小母さんも何をしていいかわからずパニックに陥ったようだった。結局じぶんたちのテーブルに出てきたのは一升瓶とぐい飲み、それに袋入りの乾き物のだけだったが、この駅前空間を満たしていた日中の土産物店の店先のりんご達の香りが感覚に残り、なにかほのぼのとした雰囲気のなかで過ごした。

 今回、じぶんを山形県の詩人として呼んでくれたのは、このゼミナール企画・運営の要となった弘前在住の詩人・藤田晴央氏である。
 東北でこの東日本ゼミナールが開催される際は、これまでも東北各県から自作詩の朗読者を呼ぶことが恒例となっていたが、各県からどの詩人を呼ぶかについては、開催県の実行委員会が各県の詩人会に選出を要請する場合が多かったようである。2008年に山形県で開催した際もそのように計らったのだった。
 しかし今回、青森県の実行委員会は各県の詩人会を通すことなく、いわゆる一本釣りで各詩人に直接に朗読を依頼したということだった。
 藤田氏は、2005年のH氏賞の選考委員をした折に、最終選考で落選となった高啓の詩集『母を消す日』を何度も読み返して、当時から印象に残っていたのだと語った。
 じぶんは、「招待の電話をいただいた際あなたにそう言っていただいたので、そのときの選考を特集した雑誌『詩学』を書棚から引っ張り出して、そこに掲載された各選考委員の選評を改めて読んでみましたが、藤田さんは、受賞作との決選投票になった高啓の詩集にはまったく触れていませんでしたよ。ほんとに印象に残っていたのですかぁ?」と突っ込みを入れた。
 すると彼は、「じぶんのポリシーからすると、受賞作の作風を支持するのが自然でしたから」と返したのだった。藤田氏の詩を読むと、むべなるかな、という感じではある。

 以下は余談。
 翌日の日曜日、弘前在住の藤田氏がこのイベントに参加した詩人たちを連れて弘前市内の文学に縁のある場所を案内するエキスカーションを企画してくれたのだが、じぶんはそれには参加せず、朝一で帰路に着いた。
 この時期、山形市では「山形国際ドキュメンタリー映画祭2011」が開催されていたからである。
 帰形した当日の夜と翌日の夜、会場のひとつである山形美術館で、大島渚監督作品『新宿泥棒日記』(1969)と若松孝二監督作品『天使の恍惚』(1972)を観た。(この2作品は、山形市出身の女優・横山リエが出演していることから、この映画祭の一企画「山形映画人列伝」として上映されたものである。)
 どちらも有名な作品なので若干は期待していたのだが、それぞれに陳腐な駄作であった。こんなことなら弘前にもう1泊してくるのだったと思った。(苦笑)        (了)



P.S.
 なお、「山形国際ドキュメンタリー映画祭2011」では、このほかに山形まなび館で催された「土本監督との再会」という企画で、「1996年7月14日記録映画作家土本典昭」(山上徹二郎制作・演出)という土本監督へのロング・インタビューを撮影した作品を観た。
 土本監督が酷いアルコール依存症と入院治療を経験していたこと、ソ連崩壊に大きなショックを受けていたこと、水俣の相思社の活動に関わり、1989年の「甘夏問題」による組織の混乱に深く傷ついていたことなどを知った。

  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 03:24Comments(0)活動・足跡

2007年03月18日

やまがたの詩を読む(市立図書館講座)



 去る2月25日(日)、図書館ボランティア「小荷駄のみどりから・・・」と山形市立図書館主催の市民講座『声に出して読む やまがたの詩』でお話をしました。

 山形市在住の詩人いとう柚子(ゆうこ)さんに朗読を手伝っていただき、高が各詩人のプロフィールやその作品が書かれた背景などを解説、参加者も含めて朗読した感想を話し合いました。

 取り上げた詩人は、加藤千晴、赤塚豊子、いとう柚子、木村迪夫、佐野カオリ、菊地隆三、松田達男、佐々木悠二、高橋英司、伊藤啓子、近江正人の11人。加藤千晴(1904〜1951)と赤塚豊子(1947〜1972)は故人ですが、他の9人は県内在住で現役の詩人です。

 各詩人の作品で取り上げたものと当日コメントしたことを簡単にまとめて記載します。

加藤千晴
 取り上げた作品は、加藤千晴詩集刊行会『加藤千晴詩集』から、「大木」「子供の絵」。
 加藤千晴は、明治37年酒田市生まれ。青山学院卒業後、三高(現在の京都大学)事務局に勤務。
京都で詩作し、「四季」「西日本」などに作品が掲載される。昭和22年、視力障害のため家族とともに酒田に帰郷。母屋を売り払って蔵座敷で生活していた高齢の父母と同居。やがて失明し、昭和26年47歳で不遇な生涯を閉じる。酒田市の斉藤智氏らの尽力によって詩集が刊行される。
 失明後は自分の境遇を見つめた暗い作品が多い。生きることが詩を書くことであった詩人。

赤塚豊子
 取り上げた作品は、永岡昭企画・編集『アカツカトヨコ詩集』から、「鏡」「私ノ中ニイルアナタ」
「静カナ人」「ゴッホノ耳」。
 昭和22年、天童市貫津生まれ。生後1年でポリオになり、手足の自由を失い、発声機能にも麻痺痺が残った。このため就学できず、読み書きは祖父母やラジオから学んだ。(ラジオと新聞の番組表で字を憶えた。)18歳ころから、家族に聞き書きしてもらい詩を書く。
 22歳のときカナタイプライターを得て、自分の力で詩作を始める。昭和47年に25歳で亡くなるまで(1969年から1972年の間に)60数篇の詩を書いた。23歳のとき、カトリックの洗礼を受けた。
没後、二人の読者によって二度詩集が編まれる。昭和48年に菅野仁、昭和62年に永岡昭が出版。永岡版は6刷まで確認。詩集は県内を中心に売れたようである。
 自分の内面を深くみつめ、自己と対話する作品を書いた。青春のエロスを漂わせる作品もある。詩を書くことが生きることそのものであった詩人。

いとう柚子
 取り上げた作品は、『まよなかの笛』から「笛」。これは40代のときの作品。ひとつの名を呼び続ける女の声が、団地の夜に笛の音のように響く。女性としての感覚を、研ぎ澄まされた表現で作品に定着させている。鮮烈な映像感覚を定着していながら、その奥に広がる女性のエロス的な世界の広がりを感じさせる。

木村迪夫
 取り上げた作品は、現代詩人賞を受賞した詩集『いろはにほへとちりぬるを』から、「光満ちる朝に」。 痴呆症になり、性格が酷薄になった母親を描く。方言の科白がとても迫力ある形で生きている。現代詩人賞の選考では、そのリアリズム性が評価されたが、リアリズムではなく物語化(映像化)が方法の作品である。独特のリズム=疾走感が感じられる。

佐野カオリ
 取り上げた作品は、詩集『ワルツ』から「あなたの死んでゆく人」。
 自分の幻想の中で生きるということがどういうことかを見せる。現代詩の言葉使いの特質が表れている。イメージと語の関連を微妙にずらしながら、ありえない世界を強烈にリアルなものとして描いている。

菊地隆三
 詩集『夕焼け小焼け』で丸山薫賞を受賞した詩人だが、今回は『山形詩人』54号に掲載された「こい歌」と同49号に掲載された「天の川」を取り上げた。
 おどけた軽妙な世界だが、幼い頃の哀しみが通奏低音のように流れている。子どもの頃、事情があって両親に甘えることができなかった。あの世でほんとうの父母に甘えてみたい。現実と願望の世界をつなげて、その世界で子どもが遊ぶような詩を書いている。だが、その裏側には自分の老いを通じて死に向き合う視線がある。詩作品としての凝結度が高い。

松田達男
 取り上げた作品は、詩集『ノスタルジー』から「ルーシー・ショー」。昭和20年代にテレビ放送が始まったころから青春時代までの番組を取り上げ、それを思い出しながらそのときの自分を回想するスタイルで作詩した企画詩集。この作品には、複雑な家庭環境がストレートに語られている。
 なお、この詩集の作品はほとんどテレビ番組とその時代の記憶に取材した作品だが、一篇だけ異質な作品が混じっている。自分の父である詩人・佐藤總右(故人)の7冊の詩集の題名を詩行に埋め込んで書かかれた作品(「ボナンザ」)がそれ。

佐々木悠二
 取り上げた作品は、詩集『美的生活のすすめ』から「ダンディ気分」と「猫はえらい」。
 日常生活のうえで、いろんなものをどんどん脱ぎ去っていくことが作者にとって「ダンディ」という名の生き方。脱ぎ去るために着ている服のように風景が描かれる。この風景には人間がいない。究極の理想は、機敏でわが道をいく猫のように孤高な姿。

高橋英司
 取り上げた作品は、20代の処女詩集『出発』から「出発」と50代の詩集『一日の終わり』から「一日の終わり」。
 『出発』はH氏賞候補になった。瑞々しい青春の痛みと悦びの世界。その青年がやがて中年になって、こんな疲れた詩を書く。人生の連続した時間を連続したドラマとして描くことが、この詩人にとって生きることそのものになっている。
 ただし、気をつけなければならないのは、この詩のなかの描写が、現実のものであるように見えてじつは現実ではないこと。あるいは、ちょっとずつ現実の事物の在り様からズレていること。

伊藤啓子
 取り上げた作品は、処女詩集『夢のひと』から「小さな復習」。
 寝たきりになった母親にわたあめを与えながら、自分は子どものころ厳しい母親から品がよくないとわたあめを買ってもらえなかったことを思い出している。母親への愛着と恨みが表裏一体として描かれた作品。子どもの頃満たされなかった想いへの執着は、自分に十分な愛を注いでくれなかった母親への飢え。娘として母に執着することに自分のアイデンティティーを見出しながら、母親としては自分の娘にたっぷり愛情を注ぎ、伸び伸びとした生き方をさせようと望む二重性が生き生きと描かれている。

近江正人
 取り上げた作品は、詩集『樹の歩み』から「誕生〜少女が母となった日〜」。
 教師として教え子の妊娠・出産に真摯に向き合い、慄きと感動を素直に表現した作品。
 教師が生徒の姿を詩作品にすると一般に一定の水準作になる。しかし、教師にとっては生徒を詩の題材にすることは鬼門でもある。この作品は少女の妊娠・出産に直面し、教師であるという枠を超え、人間として感動した想いが表現されている。その感動が教師や学校や大人のあり方への無言の批判になっている。  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 14:14Comments(0)活動・足跡