2007年03月18日

やまがたの詩を読む(市立図書館講座)



 去る2月25日(日)、図書館ボランティア「小荷駄のみどりから・・・」と山形市立図書館主催の市民講座『声に出して読む やまがたの詩』でお話をしました。

 山形市在住の詩人いとう柚子(ゆうこ)さんに朗読を手伝っていただき、高が各詩人のプロフィールやその作品が書かれた背景などを解説、参加者も含めて朗読した感想を話し合いました。

 取り上げた詩人は、加藤千晴、赤塚豊子、いとう柚子、木村迪夫、佐野カオリ、菊地隆三、松田達男、佐々木悠二、高橋英司、伊藤啓子、近江正人の11人。加藤千晴(1904〜1951)と赤塚豊子(1947〜1972)は故人ですが、他の9人は県内在住で現役の詩人です。

 各詩人の作品で取り上げたものと当日コメントしたことを簡単にまとめて記載します。

加藤千晴
 取り上げた作品は、加藤千晴詩集刊行会『加藤千晴詩集』から、「大木」「子供の絵」。
 加藤千晴は、明治37年酒田市生まれ。青山学院卒業後、三高(現在の京都大学)事務局に勤務。
京都で詩作し、「四季」「西日本」などに作品が掲載される。昭和22年、視力障害のため家族とともに酒田に帰郷。母屋を売り払って蔵座敷で生活していた高齢の父母と同居。やがて失明し、昭和26年47歳で不遇な生涯を閉じる。酒田市の斉藤智氏らの尽力によって詩集が刊行される。
 失明後は自分の境遇を見つめた暗い作品が多い。生きることが詩を書くことであった詩人。

赤塚豊子
 取り上げた作品は、永岡昭企画・編集『アカツカトヨコ詩集』から、「鏡」「私ノ中ニイルアナタ」
「静カナ人」「ゴッホノ耳」。
 昭和22年、天童市貫津生まれ。生後1年でポリオになり、手足の自由を失い、発声機能にも麻痺痺が残った。このため就学できず、読み書きは祖父母やラジオから学んだ。(ラジオと新聞の番組表で字を憶えた。)18歳ころから、家族に聞き書きしてもらい詩を書く。
 22歳のときカナタイプライターを得て、自分の力で詩作を始める。昭和47年に25歳で亡くなるまで(1969年から1972年の間に)60数篇の詩を書いた。23歳のとき、カトリックの洗礼を受けた。
没後、二人の読者によって二度詩集が編まれる。昭和48年に菅野仁、昭和62年に永岡昭が出版。永岡版は6刷まで確認。詩集は県内を中心に売れたようである。
 自分の内面を深くみつめ、自己と対話する作品を書いた。青春のエロスを漂わせる作品もある。詩を書くことが生きることそのものであった詩人。

いとう柚子
 取り上げた作品は、『まよなかの笛』から「笛」。これは40代のときの作品。ひとつの名を呼び続ける女の声が、団地の夜に笛の音のように響く。女性としての感覚を、研ぎ澄まされた表現で作品に定着させている。鮮烈な映像感覚を定着していながら、その奥に広がる女性のエロス的な世界の広がりを感じさせる。

木村迪夫
 取り上げた作品は、現代詩人賞を受賞した詩集『いろはにほへとちりぬるを』から、「光満ちる朝に」。 痴呆症になり、性格が酷薄になった母親を描く。方言の科白がとても迫力ある形で生きている。現代詩人賞の選考では、そのリアリズム性が評価されたが、リアリズムではなく物語化(映像化)が方法の作品である。独特のリズム=疾走感が感じられる。

佐野カオリ
 取り上げた作品は、詩集『ワルツ』から「あなたの死んでゆく人」。
 自分の幻想の中で生きるということがどういうことかを見せる。現代詩の言葉使いの特質が表れている。イメージと語の関連を微妙にずらしながら、ありえない世界を強烈にリアルなものとして描いている。

菊地隆三
 詩集『夕焼け小焼け』で丸山薫賞を受賞した詩人だが、今回は『山形詩人』54号に掲載された「こい歌」と同49号に掲載された「天の川」を取り上げた。
 おどけた軽妙な世界だが、幼い頃の哀しみが通奏低音のように流れている。子どもの頃、事情があって両親に甘えることができなかった。あの世でほんとうの父母に甘えてみたい。現実と願望の世界をつなげて、その世界で子どもが遊ぶような詩を書いている。だが、その裏側には自分の老いを通じて死に向き合う視線がある。詩作品としての凝結度が高い。

松田達男
 取り上げた作品は、詩集『ノスタルジー』から「ルーシー・ショー」。昭和20年代にテレビ放送が始まったころから青春時代までの番組を取り上げ、それを思い出しながらそのときの自分を回想するスタイルで作詩した企画詩集。この作品には、複雑な家庭環境がストレートに語られている。
 なお、この詩集の作品はほとんどテレビ番組とその時代の記憶に取材した作品だが、一篇だけ異質な作品が混じっている。自分の父である詩人・佐藤總右(故人)の7冊の詩集の題名を詩行に埋め込んで書かかれた作品(「ボナンザ」)がそれ。

佐々木悠二
 取り上げた作品は、詩集『美的生活のすすめ』から「ダンディ気分」と「猫はえらい」。
 日常生活のうえで、いろんなものをどんどん脱ぎ去っていくことが作者にとって「ダンディ」という名の生き方。脱ぎ去るために着ている服のように風景が描かれる。この風景には人間がいない。究極の理想は、機敏でわが道をいく猫のように孤高な姿。

高橋英司
 取り上げた作品は、20代の処女詩集『出発』から「出発」と50代の詩集『一日の終わり』から「一日の終わり」。
 『出発』はH氏賞候補になった。瑞々しい青春の痛みと悦びの世界。その青年がやがて中年になって、こんな疲れた詩を書く。人生の連続した時間を連続したドラマとして描くことが、この詩人にとって生きることそのものになっている。
 ただし、気をつけなければならないのは、この詩のなかの描写が、現実のものであるように見えてじつは現実ではないこと。あるいは、ちょっとずつ現実の事物の在り様からズレていること。

伊藤啓子
 取り上げた作品は、処女詩集『夢のひと』から「小さな復習」。
 寝たきりになった母親にわたあめを与えながら、自分は子どものころ厳しい母親から品がよくないとわたあめを買ってもらえなかったことを思い出している。母親への愛着と恨みが表裏一体として描かれた作品。子どもの頃満たされなかった想いへの執着は、自分に十分な愛を注いでくれなかった母親への飢え。娘として母に執着することに自分のアイデンティティーを見出しながら、母親としては自分の娘にたっぷり愛情を注ぎ、伸び伸びとした生き方をさせようと望む二重性が生き生きと描かれている。

近江正人
 取り上げた作品は、詩集『樹の歩み』から「誕生〜少女が母となった日〜」。
 教師として教え子の妊娠・出産に真摯に向き合い、慄きと感動を素直に表現した作品。
 教師が生徒の姿を詩作品にすると一般に一定の水準作になる。しかし、教師にとっては生徒を詩の題材にすることは鬼門でもある。この作品は少女の妊娠・出産に直面し、教師であるという枠を超え、人間として感動した想いが表現されている。その感動が教師や学校や大人のあり方への無言の批判になっている。


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Posted by 高 啓(こうひらく) at 14:14│Comments(0)活動・足跡
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