2021年02月13日

東北芸術工科大学 卒業制作展2021


 毎年2月に開催される東北芸術工科大学の卒業・修了制作展に足を運んでいるが、こうしてコメントをブログにアップするには久しぶりになる。
 今年は2月9日(火)から14日(日)までの6日間だったが、コロナウイルス感染防止のためということで一般公開は9・10日のみとされた。
 いつものように美術学科の日本画、洋画、版画、彫刻、工芸、テキスタイル、総合美術から観はじめて、企画構想、歴史遺産、プロダクトデザイン、建築・環境デザイン、コミュニティデザイン、グラフィックデザインを速足で回った。映像は時間がないのですべてカットした。文芸と文化財保存修復にも回れなかった。
 ごくごく一部だが、印象に残った作品を記す。


 大学院修了制作から


東北芸術工科大学 卒業制作展2021



 早坂美里「横たわる女」
 木枠に600㎏以上の粘土を踏み固め、横たわる女性像を彫り出し、それを焼成させた作品。
 後ろの絵画は同じ作者の「遅明」という作品。「土や女性が元来備えている霊性をより可視化させる狙いがある」という。
 じぶんはこの像に霊性は感じないが、率直にその造形美に惹きつけられた。一人の男として、この世界で自分が心底惚れた女の身体ほど美しいものはない、とは思うが、それはこちらに性欲を含む美と抱擁とへの渇望があるからで、このことは「霊性」についても同じ。それ自体として霊性を帯びたものなどない。ひとは自ら欲するものを感受する。



東北芸術工科大学 卒業制作展2021



東北芸術工科大学 卒業制作展2021



 袁 琪(エン キ)「月についての記憶」
 作者は1993年中国青島市生まれ。「子供の頃に見た月と、大人になってから見た月の視点を表し」た作品。一番目の画像の左が「何も考えたくない」、右が「記憶の中」と題されている。左が大人、右が子供の見た月ということだろうか。これらの作品は日本のどこか(絵本?)で視た記憶があるような作風(日本的?)で、とても繊細な茫洋さとでもいうような印象を受ける。激動する現代中国の若い作家が“記憶”のなかに生きていることに、観る側がいろいろなことを考えさせられる。
 二番目の画像は同じ作者の抽象画「宇宙の元素」という作品。一番目とはずいぶん印象が異なる。この二つの混淆あるいはアマルガムに興味がある。



東北芸術工科大学 卒業制作展2021



 櫻井萌香「獏獏」
 「地中の菌糸に刺激が与えられることで子実体として発生する『菌類』と、言動といった形で表面化させることで他者が認識できるようになる『感情』との間には、『認識できないものが認識できる状態へと変化する』という類似点」を見出されるので、「菌類と深層心理の相似性を描く」という。
 菌類を描くのに銅版画はもっとも適した方法なのかもしれないが、この作者の作品が自ら表出しているように、菌類は何かの有機体(この作品では豚か猪のように見えるもの)に生えるものだ。有機体は菌類に先立って、あるいは別個に存在している。この有機体は意識の層にあるのか、無意識の層にあるのか、はたまた物自体なのか。



ここからは学部の卒業制作。


東北芸術工科大学 卒業制作展2021



東北芸術工科大学 卒業制作展2021



 江尻百花「点火式」
 「こども時代に何気なくかけられた言葉は、私に十年来の身体的なコンプレックスを植え付けた。小学校時代の記憶を今でも反芻してしまい、思考が囚われる。過去から抜け出せないというのは地獄だ。(中略)生きていく中で自分の内に留めておける物事の数が限られているのなら、いらなくなった過去は焚き上げて燃料とし、空いたスペースには新しい出会いを迎えたい。地獄から抜け出し、次に進むための儀式として制作した。」とある。
 発想として共感できる作品だと思った。と同時に、作者の意図とは異なった印象も受ける。
というのも、作者は「焚き上げ」と言っているが、この作品を構成する個々の部分の絵は、きわめて理知的でそれぞれが整序された方法意識によって描出されている。いわば自分が学んだり模索したりしてきた作品形成の手法や思想の到達点を提示してみせ、それが自分の武器だと言っているのだ。 「私(作者)は、ここにコンプレックス及びそれを与えた周囲と闘うための武器を手にした」という宣言のような作品だ。



東北芸術工科大学 卒業制作展2021



 高橋美緒「足跡 yamagata」
 「4年間この山形で作品を制作した証、記録を残したい」と、山形(たぶん山形県内)を歩き、素材を選んできた。「私という一人の人間と山形の土地を、楮(こうぞ)が繋いでいる。これは私が歩んだ地図であり足跡である。」という。
作者の専攻はテキスタイルではなく洋画である。作者にとってこの土地が切実に自分に関係してくるのは、洋画家なら描きそうなその風景でもなくそこに住んでいる人間でもなく自分が育った過去の記憶でもなかった。楮という素材に出会うことで、“山形”という土地が作者にとって意味あるものとして現出してくる。おそらく、ここで楮は素材としてのみならず、“紙漉きという行為”としても作者をとらえている。自分が意識的に行為をなした土地こそが自分と繋がる土地なのだ。



東北芸術工科大学 卒業制作展2021



東北芸術工科大学 卒業制作展2021



 渡辺悠太「真実は何処」
 「自助努力・自己責任の名の下に他人を躊躇なく犠牲にし続けることで、人々は自らこの地上世界に地獄を作り上げた。人間が悪魔に取って代わり、天国が遠く忘れ去られた今、頽廃しきったこの世の何処に真実があると言うのだろうか」とある。
こういう慨嘆を吐きながら、H1620×W3909mmのキャンバスに、ボールペンによる膨大で緻密な描画がなされている。2枚目の画像は同じ作品の部分。
 要するに、われわれはこの要領で絶望を描くかのように希望を描けばいいのである。
 最近、斎藤幸平の『人新世の「資本論」』を読んだが、今日、こういう希望の書(というにはじぶんはかなり逡巡するが)もあんがい新鮮なものだ。



東北芸術工科大学 卒業制作展2021



東北芸術工科大学 卒業制作展2021



 大澤冬実「玄関入って右」
 「排泄や嘔吐など、自分の内側にある不要なものをトイレで排出する行為を題材とし、制作しました。(中略)加害意識や被害意識の記憶を半具像として落とし込むことが私の版画制作において要となっています。」という。2枚目の作品の題は「体温」。いずれも木版画。
 「玄関入って右」は、よく見ると、鬼気迫る、なかなか恐ろし気な作品だ。排出されたものが醜怪なのではなく、排出している者の姿の方が醜怪に描かれている。同じ作者の「体温」のほうは、やや抽象度が高く、味のある作品に見える。「体温」の作者が「玄関入って右」を制作したことがわかると、その振れ幅に興味が湧いてくる。


東北芸術工科大学 卒業制作展2021



 丸山詩織「S.M.」
 この作品は撮影禁止だったので画像を紹介することはできない。展示室の中心近くの低い台の上に、背中の上半分が空いたドレスを着た女性(ストレートな髪が肩まで届くほどの長さだ)の人形が、後ろ姿を見せて座っている。ドレスの裾は手前の床に長く伸び、そのドレスの腰から裾の部分には女性の顔が描かれている。人形が少し動き、それが生身の人間だと気づいてやや驚く。観覧者は冬のコート姿なのに、作者は自ら作品となって肌を出した状態でずっと座っている。裏に(つまり作者の前面に)まわると、(残念ながら?)大きなピンク色のマスクをしている。でも、こういう心意気には拍手を送りたい。



東北芸術工科大学 卒業制作展2021



 佐藤京香「失楽園」
 シェイクスピア「ハムレット」の中のセリフに出てくる、オフィーリアが柳の木から小川に落ちて唄を口ずさみながら沈んでいく姿を描いたジョン・エヴァレット・ミレー「オフィーリア」とほぼ同じ構図を、日本画として描いた作品。
  「改めて4年間を振り返るとこの環境が異様な楽園であったことに気づきます。この場所は2度と戻れない、退出しなければならない温室です。(中略)物語の中で死にゆく場面が描かれたオフィーリアと温室から退場しなければならない私に繋がりを感じ制作しました。」とある。
「異様な」楽園という言葉に引っかけられる。この大学で学んだことがそうなのか、故郷を離れて山形で暮らしたことがそうなのか、あるいは「楽園」とそこを出た後の(つまり“社会”の)落差が激しいからそうなのか、そのすべてなのか……
 じぶんは大学も含め学校というものも山形というものも楽園と感じたことがないのでこの部分の感覚はわからないが、作者がこの先に視る社会が楽園とかけ離れたものであるという感受はひしひしと伝わってくる。ただ、こうして小川に沈み、そして卒業を機にもう一度生まれればいいのである。


東北芸術工科大学 卒業制作展2021



 高田千愛「ずっと儚い日の一瞬を繋いで」
 「記憶や気持ちは、どんなに大事にしていて忘れたくないと思っていても、色褪せていくものだと思っている。私を変わらせてくれたこの土地と、ここで出会った大切な人達への想いや記憶を花にしてあらわし、できるだけ長く鮮明に覚えておきたい。」とある。
 このコメントを読むと作者の「想いや記憶」は好ましいものだったかのように思われるが、作品から受ける印象はそれだけではない。人物の頭部の周囲の花の暖かそうな色に比べ、その外側の花は暗く陰鬱でもある。あるいは、作者の「想いや記憶」が早くも外周からひたひたと色褪せてきていることを示している。

(続く)


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Posted by 高 啓(こうひらく) at 15:02│Comments(0)美術展
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