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Posted by んだ!ブログ運営事務局 at

2007年08月16日

『coto』第14号

 奈良の安田有さんから、『coto』第14号(2007年7月27日、キトラ文庫発行)が送られてきた。
 この号に、高啓は、詩「十歳になれば、おまえは」を寄稿している。
   
 『coto』は、エッセイや掌編や批評などの散文が比較的大きな割合を占める雑誌。
 14号では、佐伯修「雲と残像―現代美術を媒介として その二」、築山登美夫「白人の上陸―あるランボー論」、高山芝雄の掌編「海辺の叙景その後」などが印象的だった。

  佐伯氏の文章は、2006年9月に東京の広尾の画廊で見た現代美術家の太田三郎展についての批評である。
  太田三郎は、1950年山形県生まれ。鶴岡高専卒。(日本海岸の町で渡り職人の大工の息子だったというので、温海町の風景を思い起こす。たぶん温海町ー現在は鶴岡市と合併ーの出身ではないか?)

 山形県内の画廊でも個展を開催しているようだが、私はいままでこのひとを知らなかった。
 版画家である太田三郎の主要作品が、シベリア抑留中に亡くなった元満鉄調査部の山本幡男が家族に当てた遺書(一度紙に書かれた遺書を帰国する同胞たちが分担して暗記して記憶として持ち帰ったもの)を筆写したものだというのだが、佐伯氏が、なぜそれが太田の主要作品なのかを語る部分が面白い。
  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 01:22Comments(0)作品評

2007年08月14日

『山形詩人』第58号



 (1)高啓の作品等について
  この号には、詩「初期詩篇1 ヨハンへの手紙」と、論争的な散文「他者非難によるデッサン法の不毛について」を寄稿している。
  前者は、22歳のときの作品。今回の発表に当たって部分的に手直ししているが、ほとんど原型を保っている。
  後者は『山形詩人』第57号に掲載された、大場義宏氏による「詩人としての真壁仁論デッサンの一試み−『日本の湿った風土について』のあたりで−」(これは東北芸術工科大学東北文化研究センター刊の『真壁仁研究』第7号に掲載された高啓の論文「ぼくらにとって<真壁仁>はどういう問題か」への論難である)を受けて、反応したもの。
  この文章には、『山形詩人』の編集者・高橋英司氏によって「反論」と冠がつけられたが、大場義宏氏の文章は空回りするばかりでそこに議論すべき内容が存在しないから、厳密に言えば、反論という性格の文章ではない。したがって、編集者が勝手につけた「反論」という冠に異和を感じる。
  この文章を寄稿した理由は、当該文章のなかでも述べているが、大場氏が高啓の論文「ぼくらにとって<真壁仁>はどういう問題か」を誤読・曲解し、かつは歪めて引用しているので、かかる火の粉を払う意味でも、『山形詩人』の読者でありながら『真壁仁研究』第7号を読む機会のない人々に、直接「ぼくらにとって<真壁仁>はどういう問題か」を読んでいただけるよう案内したいと思ったからである。
  なお、このやり取りの行きがかり上もあって、従来の転向研究や吉本隆明の転向論に対する私の見方(評価と批判)を再度簡明に示した。

 (2)編集者・高橋英司氏による「後記58」について
  『山形詩人』の編集後記はいつも編集者の高橋英司氏が書いている。
  今回の冒頭部分を引用し、感想を述べる。
  「前号掲載の大場論考に対する高啓の反論を掲載した。同一誌面における同人間の論争・応酬と
  なるので、読者からは内部対立のように受け取られはしないかという懸念をもつ。表現者としての
  『あがすけ性』や詩と思想に関わりながら、真壁仁の歴史的評価についての微妙な問題を含むテ
  ーマであるので、さらに論争が進展したならば、読者からの投稿をも募る用意がある。ただし、大
  場論考は、誌面の都合上、一挙掲載とはならず、牛歩の歩みであるので、読者からの投稿掲載は
  年を越す。」

  まず、意味不明な点について。
  「同一誌面における同人間の論争・応酬」だと、なぜ「内部対立のように受け取られはしないかとい
  う懸念をもつ」のか。論争・応酬が「同一誌面」であること(同じ号に掲載されていること)になにか問
  題があるのか。
  べつにない、というか、読者にとっては見やすくて便利なばかりではないのか。
  (ここまではただの突っ込み・・・・)

  次に、異和感について。
   「同人間の論争・応酬」だと、「内部対立のように受け取られはしないかという懸念をもつ」という場
  合、まず大事なことは「内部対立」が何を意味しているかだ。
   ある論争や応酬が「対立」に見えるかどうかは、その内容を読んだ読者が判断することだ。
   ところで、今回のやり取りは明らかに大場氏による高啓への論難・罵倒の文章から始まっている
  し、それに対して高啓は「反論」で大場氏の不毛を指摘しているから、このやり取りを「対立」と看做
  されても仕方ないだろう。
   また、品の良くない悪口が書かれた「同人間の論争・応酬」を「対立」だと思われたくないなら、編
  集者としてそのような原稿を掲載しなければいいのである。
   もちろん、私は、この大場氏の文章は、迷妄と衰弱ゆえの放言とはいえ、ご本人の評価を下げる
  だけで、その悪質さはまだ可愛らしい程度だから掲載しても構わないと思うし、最初に一方の批判
  や論難を掲載した以上は、やり取りがある以上、とことんそれを掲載していくべきだと思う。
   そこで問題は、次に、その対立が議論のうえでの対立なのか、それとも同人誌を運営していく上
  での対立(たとえば「こんな奴とは同じ媒体に寄稿したくない」などという反目)に繋がるのかという
  ことになってくる。
   しかしこの点についても、すくなくても高啓の方は、このような論難を受けてうんざりしてはいる
  が、これによって『山形詩人』から抜けようなどとは思わない。
   そもそも「内部対立」というときの「内部」、そこでなんとなく含意されているかのような同人誌の共
  同性みたいなものについて、『山形詩人』にいてとくに感じたことはない。そこが『山形詩人』のいい
  ところなのだ。
   同人間の個人的な繋がりはあり、従ってそれが外部から見ればなんらかの「内部」性に見えるの
  は止むを得ないとして、同人の「誌」としての共同性みたいなものは高橋英司氏も意識していない
  のではないか。もしそうだとすれば、この書き方は読者に誤解を与えるだろう。
   また、読者に「内部対立」があると看做されたところで、たいしたことはない。
   逆に、その方が面白がってよく読んでくれるようになるような気がする。

   最後に、真壁仁をめぐる論争について。
    『山形詩人』におけるこのやり取りは、繰り返すが、同誌第57号に掲載された大場義宏「詩人と
   しての真壁仁論デッサンの一試み−『日本の湿った風土について』のあたりで−」が、高啓の論
   文「ぼくらにとって<真壁仁>はどういう問題か」(『真壁仁研究』第7号掲載)を取り上げて論難し
   たことに始まっている。
    しかし、だが、大場義宏氏のこの不毛な論難の文章のモチーフはなにか。
    一言で言ってしまえば、土着的な村落共同体(ゲマインシャフトリッヒなもの)を否定されること
   に対する大場氏の苛立ち、そして不安からくる敵(近代的なゲゼルシャフトリッヒなるものの信奉
   者)の創出とその敵への攻撃による心理的な自己防衛である。
    このような大場氏のモチーフは、高啓が「ぼくらにとって<真壁仁>はどういう問題か」で行った
  真壁仁をめぐる考察、つまり同時代人として生きてきた山形の状況のなかに真壁仁を歴史的具象
  性として位置付け、戦後も繰り返された転向の意味を問い、人々が「進歩的地方文化人」としての
  真壁仁という像をどのように成立させてきたか、その機制を論理的に考察しようとしたモチーフと、
  そのままではけっして噛み合うことがないだろう。
   大場氏が誰かから仕掛けられるべき論争は、私たちの周りから見事に消失してしまった村落共
  同体的なものを表現の中心的価値に位置づけることにいまどのような意味があるのか、あるいは
  そこにこだわるということがいまどのような迷妄や病理を表現してしまっているのか、そのような議
  論ではないかと思う。(これは吉本隆明・黒田喜夫論争にも一脈通じる視角である。)
   逆に言えば、このような議論をする相手や機会がないから、大場氏はたまたま目に付いた高啓
  の発言(ゲマイシャフトリッヒがどうとか、大場氏が目の敵にしている吉本隆明がどうとか言ってい
  る高啓論文)に噛み付いているようにも見える。
   もし編集者たる高橋英司氏が、『山形詩人』誌上で真壁仁をめぐる論争の進展や深化のために
  「読者からの投稿をも募」ろうとするなら、大場氏による冗長な論難の文章とは一線を画し、つまり
  大場ルートは大場ルートとして確保しつつも、これとは別に「真壁仁検証ルート」ともいうべき議論
  の道筋や問題意識を定めたうえで、このように呼びかけるべきではないか。
   それは、『山形詩人』が『真壁仁研究』(7号で廃刊)が仕残した真壁仁の批判的検証を引き受け
  ることにもなるだろう。

   ※『山形詩人』の最新号(58号)及びバックナンバーを入手希望の方は、高啓にメールをくださ
    い。有料(頒価500円・送料無料)でお送りします。








  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 22:09Comments(0)作品評

2007年08月11日

詩&エッセイ『む』7号



 「詩工房」(芝春也)発行の『む』7号の、いとう柚子の詩「逝ったひとに」が印象的だった。
 
 「母」であり、「姉」であり、「はじめてみる女のひと」であった姉・・・。
 吹雪の朝は、その姉のマントにすっぽり包まれて学校へ送ってもらった。
 ふたりで子供部屋に駆け込んで笑いころげた。
 夕暮れ時に梨の木にもたれて「よその国へ行きたいと思わない?」と呟く姉にどきっとした。

 その歳の離れた姉を、作者は「わたしのあなた」という。
 姉が年老いて意識がなくなり「境界の人」となっても、「見られている/聞かれている それでよかった」という。
 そして、「五月の風にすいこまれていったあなたなどわたしのあなたではない」(最終行)と。

 作品をそのまま引用することは控えるが、その誘惑はつよい。
 とても瑞々しい感性の作品だ。
   

Posted by 高 啓(こうひらく) at 12:21Comments(0)作品評

2007年08月07日

It`s Secret 「恐竜外伝〜けれど、笑っていた〜」



 山形へ帰る途中、宇都宮により、劇団 It`s Secret の公演「恐竜外伝〜けれど、笑っていた〜」を観た。(栃木県総合文化センター サブ・ホール)

 この劇団は、社会人によるいわゆる市民劇団なのだが、その活動が精力的なのには驚く。
 専用の小屋(Aterier Jam)を持ち、しかも今年は4回の公演(恐竜外伝は今年の3公演目)を打つというのである。
 話に聞くと、公演の後片付けの一週間後には次回公演の打ち合わせが始まるというのだ。

 今回の芝居は、ある夫婦が恐竜を産むという奇想天外な設定から、自分が産んだ恐竜を息子だと信じて疑わない母の想い、自分と恐竜である子を捨てた夫を思い続ける妻の心を中心に、様々な登場人物たちがそれぞれの片思いの相手を想い、献身するという、いわば愛の物語。
 
 映像を使っているのだが、恐竜の姿を最後まで客の前に出さなかったのはよかった。
 大道具や舞台の使い方もうまいし、照明に舞台効果もよかった。ただ、音響効果はセリフにかぶさる選曲がちょっと気になったし、会場が音を反射する構造なので、ただでさえセリフが聞き取りにくいのに、音響が重なってますます聞き取りにくかった。

 演技の方は、いつもの小屋の公演より展開ややり取りがやや間延びする部分があった。
 会場で十分な稽古ができなかったからではあるだろうが、そこを勘定にいれて、もともとすっきりした構造にしておく必要があったろう。
 演技に関しては「栃木県の演劇情報」というサイトを主宰しているミリアム氏のいうとおり、この劇団は、アマチュアとしては、ある意味行くところまで行っている。
 これをどうブレイク・スルーするか、が課題だと、私も想う。



  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 12:15Comments(0)劇評

2007年08月07日

オディロン・ルドン展へ行く


 お盆は休みを取れないので、一足先に夏休みを取って上京した。
 
 丸の内のオアゾの「つばめキッチン」でハンブルグ・ステーキを食べて、 渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開催中の「ルドンの黒」展を観た。

 ルドンの作品は、期待したほど面白くはなかった。昨年のエッシャー展の印象が鮮明だったから、期待はずれという思いがやや増幅されたのかもしれない。
 ルドン自身が手放さなかったという油彩の風景画の方が、よかったりして。
 ただ、彼が活躍した時代が印象派と同じ時代だということを知って、へぇ〜と思った。
 今の感覚で観るからたいして面白く感じないので、当時としてはかなり斬新あるいは異端的だったのだろうとは思える。

 作品展について言うと、解説文にやや違和感を覚えた。誰だか知らないが、解説者の時代観が一方的かつ断片的に語られ、それが作品解釈を決め付けている。
 作者や作品の解釈が匿名(・・・ライターの名が表示されていたのに私が気付かなかったのかも)で、その解釈の思想的根拠というかパースペクティヴも示されずに放出されている。美術界って、こんなのが許される世界なんだ・・・とやや辟易。
 と言っても、もちろん、あたりさわりのない解説を是としているわけではない。


  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 12:02Comments(0)美術展