2010年03月22日
モンテディオ山形対浦和レッズ
3月21日、モンテディオ山形2010年のホーム開幕戦は、対浦和レッズ。
前日はいい天気だったが、この日は急に気温が下がり、そして風と雨。自宅の玄関の鉢植えも倒れていた。全国的には暴風も吹いた。
しかし、ゲームの時間帯は、強風というほどの風ではなくなり、雨も小雨といった程度に収まってくれた。昨年のホーム開幕戦(対名古屋グランパス)で、ピッチが雪原になったのを思えば、天気に恵まれた方だろう。
試合は、1−1の引き分け。モンテは、開幕戦(アウェー)の対湘南で引き分け、第2節の対清水戦で完敗だったから、第3節終了時点で勝ち点2、15位という定位置(?)に着いた。
昨シーズン、2敗を喫していた浦和に引き分けたのは、まずまずとしなければならないだろう。しかし、この日は、いわゆる“勝てる試合”だった。
開始からの立ち上がり、10数分程度は、モンテが積極的なプレスと攻め上がりで主導権を握った。浦和は、まず余裕をもってこれを受け止め、間もなくモンテの勢いが途切れるのを待って、反攻に出てきた。
浦和の連続攻撃に、モンテ守備陣の集中力が落ちてきたように見え、ああ、このまま失点をしないで前半を乗り切ってほしい・・・と思い始めた30分過ぎ、一瞬の守備の乱れから、左サイドの須貝からクロスを上げられ、エジミウソンにヘディングを合わせられた。
後半は、開始からレッズが優位に試合を運ぶが、古橋のフリーキックに、ゴール前の密集の中で宮沢がうまく足をあわせて同点に持ち込む。ここから、がぜん試合が面白くなった。
小林監督は、20分過ぎから、新加入の下村と増田を投入。モンテは、浦和が決勝点を取ろうと攻め上がってくるところでボールを奪いとり、戻りの遅くなった浦和守備陣をかわしてサイドに展開。クロスに田代がヘディングを合わせて、それが枠内に飛ぶが、キーパーの正面。
しかし、このサイド攻撃や中盤からの速攻で、何度かチャンスをつくった。
お互いに攻め合う展開となり、終了間際は、高原を入れてきた浦和の猛攻を受けるが、いつものように清水が大活躍でゴールを守りきった。
後半、キム・クナンが投入された。大柄な彼は、ドタバタと走り回っている感じだったが、存在感は小さくなかった。相手は嫌がるのではないだろうか・・・。チームに馴染めば、それなりの役割を果たすようになるだろうという予感も抱かせた。
さて、試合を見ての感想。
まず、いつもこのことが目に付くのだが、モンテの基本的な欠点として、スローインのボールを相手に奪われる率が非常に高い。試合後のインタビューで小林監督もこのことを指摘していたが、なぜこうもスローインが下手なんだろう・・・。
いつも、相手のマークがしかりついている味方にスローインを出している。しかも、出す方向はかならずゴール側と決まっているので、スローイン時、ひとり多くなっている相手チームは簡単にダブルチーム(これはバスケ用語だったな…)で奪うことができる。それでなくても1対1のボールコントロールで上位チームには負けているのだから、もう少しアタマを使ったらどうなのかと、何度観てもため息が出る。
それでも、まぁ、昨年までのもうひとつの大きな欠点であった、ゴールキックなど味方のロングボールの確保ができない点は、浦和戦ではそれほど目立たなかった。これはやや進歩だとしておこう。(といっても、浦和に比べると明らかに劣っている。)
もうひとつ、日本最大のビッグクラブである浦和は、エジミウソン、ポンテ、阿部、田中、高原と、有名タレントを繰り出してきたのに対し、プロビンチアたるモンテは、ホーム開幕戦のスターティングメンバーがまたしても“純国産”だった。これでタイの結果に持ち込んだこと、しかも、“勝てる試合”をしてくれたことを評価したい。
バックスタンドの応援席からは、「浦和なんて大したことないんだぞ!」という声も飛んでいた。たしかにそのとおり。タレント揃いのチームにも、後半は隙が目立った。集中力を切らさず、粘り強くチャンスをつくる努力をしていけば、勝機はかならず訪れると思うことができた。そう思わせるチームになりつつあるということを、嬉しく思う。
次節の対戦相手は、アウェーで鹿島。昨シーズンは、アウェーでお粗末な試合をした。腹をくくって臨んでほしい。田代や増田はブーイングで歓迎されるだろうが、ぜひ見返してやってほしい。
ゲーム終了後、中央広場の屋台を覗いていると、靭帯を傷めて欠場している長谷川が現れ、ファンに囲まれて、根気よくサインや記念撮影に応じていた。
片足を少しかばって歩く姿が痛々しかった。後姿が、悔しそうというか、さびしそうだった。
すぐ脇を通り過ぎて言ったが、小声で、がんばってくれよ、と声を掛けるのがせいいっぱいだった。
おっと、最後に、モンテ・サポによる勝手連的なキャラクターのきぐるみ「BADくん」を発見したので写真を掲載しておく。でも、正面から見ないとなんだかわからないか・・・(苦笑)
活動しているのは、関東在住の酒田市出身者4人組らしい。
山形県出身者としてはめずらしく遊び心のある人たちだ。http://badmotedio.blog26.fc2.com/
ここからは余談。
浦和のサポーターは、やはり大挙して押しかけてくれた。歓迎したい。
一方で、こうした人気チームとのカードのチケットを入手するのは容易でなくなった。
今年からじぶんは、ファンクラブ会員になったが、その会員対象の先行販売で落選し、発売日にコンビニの端末に並ぶことに。
順番は3人目。1人目は男子中学生、2人目は40代の女性だった。販売開始時刻には、7〜8人が並んでいた。
この中学生が端末の操作に慣れていて、頼まれて2人目の女性の分の操作もしてくれた。それで、中学生が2枚、女性が4枚のチケットをゲット。しかし、じぶんの番にまわってきたときには、すでに中・高校生分を除いて売り切れだった。
ところが、この女性の仙台在住の娘さんから、仙台市内の端末から家族の分のチケットを入手できたという携帯メールが入り、彼女のゲットした4枚分の引換券を、じぶんに譲ってくれることに。
じぶんは、最低、自分ひとりが観に行ければよかった。じぶんの次に並んでいた中年男性に声を掛けると、子どもの分と合わせて3枚ほしいというので、3枚分を彼に譲った。
じつは、販売開始時刻まで、この女性と男性と少し立ち話をしていたのだった。女性は、「チケットの入手がこんなにたいへんになって、昔のJ2時代が懐かしいですね。」と言ったので、じぶんは「そのうち、また戻りますよ。」と返した。すると女性は「とんでもない、決して戻らないでほしいわ。」と慌てて言い直した。(笑)
そんな話をしていると、その中年男性が会話に割り込んできて、「去年の浦和戦、山形駅前の十字屋のチケット売り場に入荷したのは2枚だけだったそうだけど、それを買いに来たのは浦和の人だったそうだ」ってなことを話すのだった。
それで、浦和戦のチケットを入手してからもう一度列に並び、今度は、中村俊介効果で人気が上がりそうな横浜Fマリノス戦のチケットを購入した。・・・あっは。
しかし、考えてみると、山形や浦和であっという間に売り切れるチケットを、仙台でゲットされるのは悔しい。そのゲームに応じて、コンビニ端末からアクセスできる地区を差別化するとか、なんらかの対応をしてもらいたいものである。
2009年12月12日
モンテディオ山形「J1残留決定」所感
モンテディオ山形が、薄氷を渡り終え、なんとかJ1残留を決めた。
シーズン最終戦(第34節)の横浜F.マリノス戦(12月4日)は0対0の引き分け。その前33節の名古屋グランパス戦(11月28日)は0対2で敗北。第32節の大宮アルディージャ戦(11月21日)は0対0の引き分け。第31節の鹿島アントラーズ戦は0対2で、シュートを1本も打てずに完敗。そしてその前の天皇杯では、明治大学に0対3で完敗。(これは「天皇杯で初めて学生チームに敗れたJ1クラブ」という不名誉な記録として残ることに…)
最後の5試合を、「勝利無し」かつ「得点なし」で終わり、リーグ戦の結果は15位と、歓びもビミョーな「J1残留決定」である。柏と千葉の自滅で救われたという印象が強い。せめてホームで大宮と横浜に(まぁ、そのうちのどちらかに、でもよかったのだが・・・)勝利して、「自力」っぽい残留決定を見せてほしかった。
しかし、一見あまりぱっとしないこのような「J1残留決定」も、その意義は小さくない。
シーズン前のサッカー雑誌の順位予想では、すべての解説者・順位予想者が、モンテをダントツ(正確には“断凹”というべきか)で、最下位でのJ2降格と予想していた。また、ネット上のサッカー・ファンやJリーグ・ウォッチャーらの順位予想でも、10人中8〜9人が、モンテを最下位としていた。
ホームにおける最終節の試合終了後の挨拶で、海保理事長が、これらの予想を覆して残留を決めたことに「ざまぁみろってんだ!」と叫びを上げて見せたのは、半分はフロントの責任者である自らの自尊心の発露であるとしても、まぁ半分は、われわれファンの心持ちの代弁でもある。
モンテのサポーターのブログには、サッカー・マスコミはむしろモンテのクラブ運営を評価し、チームについても好意的に記事にしていたのだから、そんなことを言わないで、雑誌関係者や解説者らのご機嫌を伺っていたほうがいいなんて言っているものもある。その気持ちもわからないではないが、そんなことに気を使ってもつまらない。
言いたいことを言い、それで来年は、こういう台詞を、逆にサッカー・マスコミ関係者たちから浴びせられないように自らの気を引き締める・・・と、要はこういうことだろう。
モンテの試合を観戦していると、J1のチームの中では、GKの清水は別として、総体としてもっとも個人技が劣っているという印象があった。個々人の体力や持久力をみても、上位チームと比べて、かなり見劣りする。何度か指摘してきたように、味方のロングボールが確保できない。味方のスローインをすぐ相手に奪われる。勝ち負け以前の問題として、とにかくこういう姿を見せられ続けるとうんざりする。・・・振り返ってみると、J2ではそうでもなかった。やはりJ1とJ2では、レベルが違うと実感させられる。
文字通りのプロビンチア(地方の貧小チーム)で、金がなくて、他のチームで出番が来ない控えの選手を集めてきているんだから、そんなもんなんだ・・・と諦めが混じった想いと、それでも与えられた条件の中で、なんとか勝ち点を積み重ねていくチームをつくっていく広義の<マネジメント>の勝負こそがプロサッカーの醍醐味だろう・・・じぶんはそれを観に来ているはずだ・・・という気持ちが、じぶんの中でせめぎ合っている。
じぶんは、“ Not Supporter But Fan ”(NSBF)を自称しているが、こういうウンザリもし、ゾクゾクもする場所から、モンテを観続けていきたいと思う。
さて、以下は、「J1残留決定」を受けて、それに感慨を受けているじぶんを振り返りつつ記す、いくつかの想いである。
1 モンテディオ山形は<共同幻想>である・・・
サポーターの掲げる大きな横断幕のひとつに、“WE’RE PROUD OF YAMAGATA”と書かれたものがある。
この“YAMAGATA”とは、ひとまず、郷土としての山形と、チームとしてのモンテディオ山形の両者を指しているだろう。
以前にも、このブログでモンテの「フルモデルチェンジ構想」を取り上げたときに述べたが、“郷土としての山形”というものを考えると、山形県においては、この「山形」がどの範囲を指しているかは、じつは明らかではない。
もっと言えば、村山、最上、庄内、置賜という4つの異なった地域性からなる「山形県」は、各地域に生活する住民たちに、必ずしも統合された“郷土”としての存在感をもって感取されているわけではない。たとえば、じぶんの独断的な感覚からすれば、一般にただ「山形」という名で呼ばれたとき、自分の市町村がそれに含まれていると感じる住民の割合は、村山>最上>置賜>庄内という順番で低くなるような気がする。
しかし、モンテディオ山形を想定しながら「山形」というとき、それは、まずこの山形県全域を指していると考えられる。それは県が主体となって設立した財団が運営するチームだから、という理由ばかりではない。モンテディオ山形をJ1で通用するチームにするためには、最低でも人口119万人の山形県全域でのサポートが必要不可欠だからである。
山形県民は、「モンテディオ山形」というプロのサッカークラブを得て、たぶん初めて、自分たちの“誇り”として対外的に表現するものとして、「山形」すなわち「山形県」を得た(あるいは発見した、または発明したと言ってもいい)のだと思える。
このようにみると、“WE’RE PROUD OF YAMAGATA”というとき、その具体的な体現者である「モンテディオ山形」は、山形県に暮らす住民の統合に関わる<共同幻想>の一表象(あるいは、たぶんいまのところ唯一の表象)であるということになる。
山形県の地域社会において、前近代的な関係性の希薄化が急激に進んできた状況については、
このブログの「サッカーと資本主義」の記事で、「農家」人口の減少に着目して考えてみたが、その状況は、別の側面から言えば、いまや人々が<共同幻想>を国家と宗教以外に見出せなくなっていることを示してもいるだろう。この空隙を埋める(かもしれない)のが、“プロビンチア”なのである。
2 ただし、それは<幻想>であるばかりではない・・・
地方の、経営規模が小さな、そして基幹となるスポンサーに恵まれず、したがって地元の中小零細の企業や団体から小口の運営資金を多数集めなければならないプロサッカーのクラブが、いつの間にか<共同幻想性>を胚胎し始めるということ、逆に言えば、プロビンチアたるクラブがトップリーグに存在し続けるためには、それがいくほどかの<共同幻想性>を獲得しなければならないこと・・・ひとまずそれを認めるとして、しかし、では、このプロビンチアに表象される<共同幻想>の特質とはなにか。
この<共同幻想>は、言語矛盾を恐れずに言えば、その身体が<市民社会>で構成されている。言い換えれば、抽象的本質は幻想であるのに、その具体的な肌合いは、あれやこれやの唯物的なマネジメントで形成され、しかも幻想の度合いは、マネジメントの実際的な成果によって左右される。
この幻想を維持し、またクラブがこの幻想に維持されるためには、試合に勝つための戦術、勝てるチームをつくるための戦略、そしてその戦略を可能とするために運営母体や支援体制をどのようにして強化していくかというマネジメントのストラテジーが、日常的に問われる。
それらもろもろについて、チーム・スタッフやクラブの運営者はもちろん、会員・スポンサー、サポーター、そしてじぶんのようなサッカーの門外漢を含む地域の様々な人々が、ああでもないこうでもないと議論し、場合によっては行動を展開する・・・そして、その結果は、ザッハリッヒな成績(経営に関する諸数値及びチームの試合成績)として向こうからやってくる。
不特定多数の人々が語り、動くということ。そこから生成されまたは混迷するプロビンチアの状況の、その背後にぼんやりと浮かび上がってくるもの、それがこの共同幻想である。
そして、一人一人が“口を出せる”共同幻想、ひょっとしたら一人一人が“何かをしたことによって結果に影響を与える可能性のある”共同幻想・・・それが、この幻想の肌合いの特質である。
今から振り返ると、一昨年の「フルモデルチェンジ構想」をめぐる議論や騒動は、この<共同幻想>の生成と増殖に少なからぬ影響を与えているように思われる。
あの議論の最中、誰かが「場外でこういう議論や騒動が起こると、得てしてチームの成績が上がったりするものだ」と言っていたが、たしかにこの動きは、モンテをめぐる幻想の質を飛躍的に高め、その効果がJ1昇格の遠因になったように思える。
3 もっとも、山形は、幻想に浸っている場合ではない・・・
ホームにおける最終節の試合終了後の挨拶で、海保理事長は、残留を決めたことに「ざまぁみろってんだ!」と叫びを上げたが、その返す刀で、自らとクラブ関係者とサポーターたちとを叱咤することを忘れなかった。
すなわち、「チーム成績は15位だが、ホームゲームの入場者数は、J1の16位だ。来期は、平均15,000人を目指す。」と述べ、その決意を表明したのだった。
今季のホーム動員数は、平均で12,056人となり、昨年の6,273人から倍増させている。
私見では、そのうち、地元観客のコアな部分は、約8,000人だと観る。
ところで、まず、天童のホームに、地元から観客を動員することの大変さについて考えてみたい。
ひとつには、天候の問題である。今年のホーム開幕戦(対名古屋グランパス戦)はNHKで放映され、全国に驚きを与えた。試合中に、緑の芝生が雪で見る見る白く変わっていき、やがてカラーボールが使用されることに・・・。これがいい例だが、雨が降れば、山形の春と秋は、とにかく寒い。そして、夏はとにかく暑い。(そして、さらに、天候のいい時期は、山形では、山菜採りに芋煮会に茸採りに紅葉狩りにと、住民が野外活動する機会がじつに多い。おまけに追記すると、山形ではスポーツ少年団活動が盛んで、これに親が関与する割合がとても高い。中学校の部活への親の関与も少なくない。したがって、小中学生を子に持つ世代は、土日は子どもの送迎に追われて、他に出かける余裕が少ない。)
この天候のマイナス要因を跳ね返して、スタジアムに頻繁に足を運ぶということは、余程のことである。
また、そもそも地域の人口の少なさによるハンデが大きい。
人口の少なさは、たんに動員対象住民の数が少ないだけではなく、人口の集積度つまり都市化の度合いや高齢化の度合いに関わり、またそれゆえに、イベントに関する住民意識の違いや関心の度合いにも関わってくる。
これらの要素を勘案すると、じぶんの経験的な感覚では、一般に、文化的イベントで観客を動員する場合の困難度は、“人口比の冪乗”となるように思われる。(これを「観客動員困難度の法則」と名づけよう。)
つまり、ベガルタ仙台の動員力とモンテの動員力を比較するとして、仙台市の人口を100万人、仙台市の範囲に相応する山形市及び周辺の村山地域の人口を50万人とし、これを動員範囲と仮定すると、ベガルタに比べてモンテの基本的な動員力は、50万/100万=1/2ではなく、1/4となる。
モンテが、ベガルタと同じ動員を果たすためには、その4倍の困難をクリアしなければならない。逆にいえば、モンテがベガルタと同じ動員を果たしえたとしたら、それは村山地域の住民が、自分のホームチームに、仙台市民が自分のホームチームに与える支持の4倍も強力な支持を与えているということを意味する。
今季は、イベントや屋台などJ1らしい雰囲気づくりが行われ、一定程度奏功していたと思われるが、さらにさらに工夫が必要だと思える。とくに、試合終了後、駐車場の混雑が引くまでの間(30〜60分)、試合の余韻を感じながらスタジアム周辺で楽しく過ごせるような仕掛けがあってほしい。
しかし、平均15,000人(17回で25万人以上)が詰め掛けるというのは、やはり“余程のこと”がないかぎり無理である。モンテのサポーターやサッカーファンに動員を求めるのはいいが、広範な県民にそれを期待するのは、モンテがJ1優勝を争うようなチームならない限り容易なことではない。
さて、動員を増やすためにもっとも効果が高いのは、チームの実力を向上させることである。しかし、この点では、暗雲が立ち込めている。Jリーグは、来季から(このストーブ・リーグから)移籍金制度を撤廃するのである。
これまでモンテの選手の移籍経緯をウォッチしてきた人はよくわかるだろうが、モンテはJ2で3回ほど昇格争いを演じ、そのたびに優秀な選手や監督を引き抜かれ、その翌年には成績も動員も低迷するということを繰り返してきた。
しかし、そこから這い上がることができたのは、このとき引き抜かれた選手の移籍金収入で食いつなぎ、そして再び伸び代のある選手や指導者を獲得することができたからだと言われている。
ちなみに今季のモンテの財政規模は約10億円で、これはJ1で最低どころか、J2の中ぐらいの規模。
移籍金の撤廃は、二重の意味で貧小チームに不利である。
まず、有力選手を守ることが困難になること、そして、守ろうとすれば一部有力選手とこれまでより高額で複数年の契約を結ばざるを得ず、貧小なチームほど財政を硬直化させ、それによって他の選手の確保が不十分になってしまう。
次に、せっかく伸び代のある選手を発掘してその実力を伸ばしても、簡単に金のあるチームに攫われ、そこから先見の明や指導の努力に見合った対価を得られないことになる。
サッカー・マスコミの一部には、これでJ2の過半のチームが、JFLよりレベルが落ちるのではないか・・・と案ずる向きさえある。
すくなくとも、これまでにも増して、金のあるチームはより強くなり、金のないチームはより弱くなる・・・という現象が昂進されていくことだろう。
この状況を打開していくためには、言うまでもなく様々な試みをしていかなければならない。
訳知り顔で策を提案できるほど、じぶんは事情通ではない。しかし、NSBFとして、少し現状から離れた視点から、想定されうるひとつの戦略を述べてみれば(それはかなり現実味のない考えに見えるだろうが、)こういうことだ。
まず、チーム力を強化するためには、伸び代のある選手を発掘してくることが大切である。
しかし、それはどのチームでも必死で行うことだろう。したがって、J1とJ2の地方貧小クラブは、まず“プロビンチア同盟”とでもいうべき組織を設立して、Jリーグに対し、NBLに準じた「ドラフト制度」の導入を働きかけていくべきである。
プロサッカー選手の選手生命は一般にプロ野球選手よりずっと短いから、そこはJリーグやサッカー界の実態に応じた柔軟な制度設計が必要であろう。しかし、これはJリーグの裾野の広さ(質を伴ったそれ)を維持するためには、避けて通れないことではないだろうか。
また、モンテに固有な戦略として、たとえば、東北出身の選手を中心にチームを編成し、それで足りない部分を、東北以外の出身者や外国人の“助っ人”として補強するというのはどうか。
“東北人選抜チーム”・・・もちろん、バスケットボールなら強力なチームができるが、サッカーではそうはならないかもしれない。しかし、“そんなの関係ねぇ!”といって、この姿勢を貫くこともありうると思う。
ただし、この場合は、目先の「J1残留」より、もうひとつ大きな目的意識をもって、腹をくくることが前提になる。
いずれにしても、金の力がクラブの強弱をあまりに左右するJリーグにおいて、モンテディオ山形がJ1に「定着」することは容易ではない。
定着するための努力を必死で続けながら、しかし、真の意味で、J1とJ2を行き来する「エレベーター」を目指すこと。・・・そして、エレベーター・クラブでなければ生成・表現できないもの、すなわち地域に根ざしたプロビンチアとして、かけがえのない価値を創出すること。モンテディオ山形は、それを目指すべきだろう。
【 蛇 足 】
じぶんは、サッカーの門外漢であるから、戦術や技術についてものをいう能力はない。
しかし、今季はとくに、モンテの試合を観ていて、良くも悪しくも“なんて山形らしいチームなんだ・・・”と思わずにはいられなかった。
まず、DFのレオナルドを除き、“助っ人”外国人選手の存在感がきわめて希薄である。レオナルドはずっと山形でプレーしてきているので、“助っ人”というイメージはほとんどないが、そのレオナルドさえ、今季はずいぶん欠場した。“純国産”で戦った試合もあったと思う。
次に、試合運びが、じつに鈍重というか、「東北的」というか、みんなの力を合わせて、我慢に我慢を重ねて、努力に努力を重ねて・・・というイメージなのである。東北出身の選手が多いわけではないのに、どうしてこうも「東北的」なのか・・・と、ため息がでるほどである。
大島秀夫(現・アルビレックス新潟)がJ2の得点王になった頃のイメージや、柱谷監督が“スイカップ”と浮名を流した頃のイメージとは、ずいぶん変わった。
海保=小林のラインは、大人好みの味わいがある。来季はどんな姿を見せてくれるのか、この鈍重さがいぶし銀の重厚さにつながるのか、それとも新たに鋭さが加わるのか、それがとても楽しみである。
【 写 真 】
二枚目は10月3日の対大分戦。このときは、大分のゴール裏(アウェー応援席)で、大分サポーターから離れた席で観戦した。降格が現実となりつつあった大分・・・山形に駆けつけたサポーターは少数だったが、それでも必死に応援していた。じぶんは、もちろん、モンテにも大分にも一切声をかけなかった。
三枚目は、11月21日の対大宮戦。大宮は前回、ホームでモンテに敗北しているし、またこの試合は大宮にとっても自力でJ1残留を決める大一番だったはずだが、大宮〜山形は比較的近いのに、サポーターの数が思ったより少なかった。大宮は、これでは来年は危ないかもしれないぞぉ。
一方、モンテはモンテで、大分戦も大宮戦も、勝てる試合をものにすることができなかった。これでは、やばい。
今季の状況を前提とすれば、来季のモンテは、大宮、神戸、京都、磐田の残留下位組と仙台、C大阪、湘南の新規参入組、計7チームとの潰し合いになるだろう。
2009年08月15日
「プロビンチア」と「エレベーター」
2009年7月発行の山形県企業スポーツ振興協議会会報「CSP+」15号第一面に、社団法人山形県スポーツ振興21世紀協会(モンテディオ山形の運営母体)の理事長である海保宣生氏が寄稿した「『モンテディオ山形のJ1昇格』について」という文章が掲載されている。
そこで、かれは、この9月に公表される予定であるところの2008年度のJリーグ各クラブの経営内容について言及し、「前年の実績から推定すると、モンテディオの2008年度の事業規模(総支出額)は73千万円でJ2(15チーム)中9番目であると思われる」と述べている。
また、「総支出額の45〜50%が人件費であるが、このような財政環境でJ1進出を果たしたのは“大変な出来事”である」として、その「必然と偶然」について記している。
なお、「必然」とは、小林伸二監督の招聘をはじめ、中井川茂敏GMらによる「適格(ママ)なチーム編成」。「偶然」とは、モンテが勝てずに苦しんでいるとき、昇格を争っていた湘南や仙台なども勝星を重ねられず、しかも昇格争いにおいて決定的な試合で、湘南からラッキーな勝利を得たことである。

ところで、季刊『サッカー批評』43号(2009年6月)は、「プロビンチアの生きる道」という特集を組んでいる。(プロビンチアとは、地方の中小クラブのこと。)
その特集中の記事「モンテディオ山形の躍進は『夢物語』なのか」(後藤勝)で、海保氏へのインタビューが紹介されている。
「今年の予算編成会議では、身の丈を違えるようなお金の使い方は絶対にしない、と言いました。今季の収入見込みは10億3,400万円、そのうち5億1,000万円しか使わないと。(中略)でも、健全経営は違えない。そこからは絶対に軸足をぶらさない。もうひとつ、我々は公益法人であるから、サッカーという競技を通じ、人間として選手を育成することを目的として、ユースアカデミーを運営する、とも言いました。そのうえでプロとして活躍する選手が出現するのが望ましい、と。その基本原則を守った結果として、刀折れ矢尽きてJ2に降格してもいい。そうしたらまたJ1を目指せばいいじゃないか、というのが我々の考えです。」
「エレベーターと言われてもけっこう。減資に追い込まれたJ2クラブは、みんなJ1経験者です。その轍は踏みません。」
(引用者注:「エレベーター」というのは、J1に定着できなくて、J1とJ2を行ったり来たりするクラブのこと。)
さて、今季、モンテディオ山形の事業規模は、間違いなくJ1でダントツ(ダンヘコと言うべきか?)の最下位だろう。
このような弱小クラブがJ1に残留できるとしたら、それはたしかに“大変な出来事”―J1に昇格するよりも遥かに“大変な”―である。
じぶんは、いま、この浪漫を追求しているモンテとそのサポーターたちを見られることに幸いを感じている。
しかし、おそらく、モンテにとって本当の課題は、真の意味で、この「エレベーター」クラブになることだと思われる。
ところで、同誌の「プロビンチアの生きる道」という特集は、イマイチ突込みが足りない印象は拭えないが、それでもとても参考になる。
J1の大分トリニータの苦境の背景にあるものと、J2に降格しながらも確実に地元に定着しているヴァンフォーレ甲府の復活、そして地域活動に対する戦略をしっかり構築して、クラブとしての手本を示す湘南の取組み・・・など。
とくに、甲府については、興味深い数字が紹介されている。
J1昇格前年の2005年の平均動員数が6,931人。J1に2年いて、J2に降格した2008年のそれは10,354人。J1を経験したことで、約3,000人観客動員が増えている。
なるほど、今季の甲府は、第33節時点で第3位と昇格争いをしている。
ついでに言及しておくと、同誌には、Jリーグが今季から「移籍金撤廃」を決めたことに関する特集記事も掲載されている。
この記事を読むと、Jリーグが、なぜ急に撤廃に舵を切った(ようにみえるか)かがよくわかる。
移籍金撤廃によって、事業費の規模の差が成績に反映する度合いはさらに高まり、“浪漫”が実を結ぶ可能性はさらにさらに狭まり、モンテをはじめとする“プロビンチア”は、J1で生き残るための戦略・戦術をさらにさらにさらに磨かなければならなくなるだろう。
これを“面白い”事態だと看做すか、それとも「Jリーグ底辺崩壊の足音」(同誌)と看做すか、その見物もまた面白いことではないか。・・・・あっは。
そこで、かれは、この9月に公表される予定であるところの2008年度のJリーグ各クラブの経営内容について言及し、「前年の実績から推定すると、モンテディオの2008年度の事業規模(総支出額)は73千万円でJ2(15チーム)中9番目であると思われる」と述べている。
また、「総支出額の45〜50%が人件費であるが、このような財政環境でJ1進出を果たしたのは“大変な出来事”である」として、その「必然と偶然」について記している。
なお、「必然」とは、小林伸二監督の招聘をはじめ、中井川茂敏GMらによる「適格(ママ)なチーム編成」。「偶然」とは、モンテが勝てずに苦しんでいるとき、昇格を争っていた湘南や仙台なども勝星を重ねられず、しかも昇格争いにおいて決定的な試合で、湘南からラッキーな勝利を得たことである。
ところで、季刊『サッカー批評』43号(2009年6月)は、「プロビンチアの生きる道」という特集を組んでいる。(プロビンチアとは、地方の中小クラブのこと。)
その特集中の記事「モンテディオ山形の躍進は『夢物語』なのか」(後藤勝)で、海保氏へのインタビューが紹介されている。
「今年の予算編成会議では、身の丈を違えるようなお金の使い方は絶対にしない、と言いました。今季の収入見込みは10億3,400万円、そのうち5億1,000万円しか使わないと。(中略)でも、健全経営は違えない。そこからは絶対に軸足をぶらさない。もうひとつ、我々は公益法人であるから、サッカーという競技を通じ、人間として選手を育成することを目的として、ユースアカデミーを運営する、とも言いました。そのうえでプロとして活躍する選手が出現するのが望ましい、と。その基本原則を守った結果として、刀折れ矢尽きてJ2に降格してもいい。そうしたらまたJ1を目指せばいいじゃないか、というのが我々の考えです。」
「エレベーターと言われてもけっこう。減資に追い込まれたJ2クラブは、みんなJ1経験者です。その轍は踏みません。」
(引用者注:「エレベーター」というのは、J1に定着できなくて、J1とJ2を行ったり来たりするクラブのこと。)
さて、今季、モンテディオ山形の事業規模は、間違いなくJ1でダントツ(ダンヘコと言うべきか?)の最下位だろう。
このような弱小クラブがJ1に残留できるとしたら、それはたしかに“大変な出来事”―J1に昇格するよりも遥かに“大変な”―である。
じぶんは、いま、この浪漫を追求しているモンテとそのサポーターたちを見られることに幸いを感じている。
しかし、おそらく、モンテにとって本当の課題は、真の意味で、この「エレベーター」クラブになることだと思われる。
ところで、同誌の「プロビンチアの生きる道」という特集は、イマイチ突込みが足りない印象は拭えないが、それでもとても参考になる。
J1の大分トリニータの苦境の背景にあるものと、J2に降格しながらも確実に地元に定着しているヴァンフォーレ甲府の復活、そして地域活動に対する戦略をしっかり構築して、クラブとしての手本を示す湘南の取組み・・・など。
とくに、甲府については、興味深い数字が紹介されている。
J1昇格前年の2005年の平均動員数が6,931人。J1に2年いて、J2に降格した2008年のそれは10,354人。J1を経験したことで、約3,000人観客動員が増えている。
なるほど、今季の甲府は、第33節時点で第3位と昇格争いをしている。
ついでに言及しておくと、同誌には、Jリーグが今季から「移籍金撤廃」を決めたことに関する特集記事も掲載されている。
この記事を読むと、Jリーグが、なぜ急に撤廃に舵を切った(ようにみえるか)かがよくわかる。
移籍金撤廃によって、事業費の規模の差が成績に反映する度合いはさらに高まり、“浪漫”が実を結ぶ可能性はさらにさらに狭まり、モンテをはじめとする“プロビンチア”は、J1で生き残るための戦略・戦術をさらにさらにさらに磨かなければならなくなるだろう。
これを“面白い”事態だと看做すか、それとも「Jリーグ底辺崩壊の足音」(同誌)と看做すか、その見物もまた面白いことではないか。・・・・あっは。
2009年08月12日
サッカーと資本主義
さて、前回の書き込みで「次回に続く」と持ち越した大澤真幸の「サッカーと資本主義」(『性愛と資本主義(増補版)』(青土社)所収)という文章を読んで、<この山形という地域性とプロ・サッカーチームの関係>について考えていることを記してみる。
まず、「サッカーと資本主義」という文章にはどんなことが書かれているか、それをじぶんなりに抽出し、対象化してみると、それは次のようなことになる。
なお、以下は、大澤の論の概略というより、その論旨をじぶんなりに言い換えたものである。大澤の論理展開は、以下にじぶんがのべることよりも“高尚”でスマートである。興味を持った方は、ぜひ原文にあたってほしい。
サッカーは、その原初形態においては、村をあげて、村の区域全体で、どちらかがゴールを決めるまで時間無制限で行われていた。それがパブリック・スクールに持ち込まれて、時間と場所の制限が行われ、ルールが整備されていった。
初期には、時間無制限で「1点先取で決着」方式だったものから、時間を区切って得点の多寡を競う方式に移行したことで、いわば蕩尽または祝祭として行われていたサッカーが、社会制度下における「ゲーム」となった。(大澤が、蕩尽とか祝祭とかいう言葉を使っているわけではない。)
ゲームとなったということの意味は、この祝祭的経験とその快楽が、制度的に“繰り返される”ものになったということでもある。このことが資本主義の段階に相応している。
つまり、前資本主義的社会において、蕩尽や祝祭であった行為の機能が、まさに<投資>された財貨が<回収>されることに転形されているのである。
<投資>とその回収すなわち<利潤>の取得という過程は、一度きりでは資本主義的生産様式を支えるものとならない。つまり、それは時間の経過とともに繰り返されなければならない。これが、サッカーが「1点先取で決着」方式から、「時間内に多くの点を取った方が勝ち」方式へ移行したことに相即している。
一方、アメリカでは、世界でこれだけ人気を博しているサッカーの地位が、なぜ低いのか。
それはサッカーのルールに理由がある。サッカーでもっとも重要なルールは、「オフサイド」である。このルールが得点の入りにくさをもたらし、したがって得点が得られたときの歓喜の大きさを保証している。
しかし、発展したアメリカ資本主義は、この程度の(サッカーのゲームにおける、せいぜい1ないし3点程度の得点という)繰り返しの度合いでは満足できない。そこで、オフサイドを撤廃するか(バスケットボール)、オフサイド・ルールを最初だけに形式化し(アメリカンフットボール)、得点が得られやすいゲームを発明した。
<投資>と<投資結果としての利潤>が繰り返されることで、それは個別的な投資とその回収という過程を脱し、<投資>と<利潤>の無限連鎖の過程(つまりは“金融資本主義”)へと変質している。
この無限の過程では、<投資>する主体が、すでにその意識と存在形態に、投資の回収という“終わりの姿”を、あらかじめ繰り込んで存在している。したがって、もしこの過程に終わりがあるとすれば、それは“終わり”ではなく、破綻(=恐慌)である。
こうして、得点という歓喜または失点という落胆が、厳密に決められた時間の枠内で、何度も何度も繰り返されるバスケットボールこそが、いわば現代資本主義(最近流行の言い方でいえば、“マネー資本主義”)を表象しているというわけである。
ところで、“J1モンテ”を愉しむようになって、じぶんは、マンチェスター・ユナイテッドの試合までテレビ観戦するようになってしまったが(苦笑)、映像を見ていると、ゲームのすばらしさとは裏腹に、あの風景にはとてもうんざりさせられる。それは、あの画面に映し出される観客の姿である・・・あの人々は、多くがまさに労働者階級であるのだろうが、しかし、あえて言えば、まるで<労働者階級>を自ら進んで体現しているようではないか。
さて、先に「ぼんやりと、この山形という地域性とプロ・サッカーチームの関係を考えている」と述べたのは、このことである。
“J1モンテ”が、プロ・サッカーチームを山形に根付かせつつあるのは喜ばしいことではあるが、一方で、もしモンテを支える基盤が山形に根付くとすれば、それはこの山形が、まさにマルクスの時代の資本主義を体現するということでもあるのではないか・・・。
読者は、おまえは何をバカなこと言っているんだ、日本は高度な資本主義社会であり、山形だっていかに田舎だろうが、とうの昔から資本主義じゃないか、と思われるだろう。
もちろん、そのとおりである。しかし、問題は、資本主義化の度合い、つまり住民の関係性乃至関係意識における資本主義化の度合いなのである。
“J1モンテ”がサポーターを増やし、ファンを拡大し、地域に根付くとすれば、それは山形というこの地域の関係性が、これまでより幾分かゲゼルシャフトリッヒになったということを意味するだろう。
ちょっと乱暴だが、この“山形の資本主義化”の目安を、農業の衰退を示す指標においてみたい。
山形県における農業部門の総生産額が県の総生産額に占める割合は、1990年が5.3%だったものが2005年には僅かに3.0%(!)に減少しており、また、総就業者数に占める農業就業人口の割合は、1990年が17.6%だったものが、2005年には13.9%となっている。(ついでに、2005年における農業就業者に占める高齢者(65歳以上)の割合は、56.7%)
このように山形県は、産業別の産出額や就業人口の割合でみれば、とっくの昔に「農業県」ではなくなっている。
しかし、もうひとつ大事な指標がある。それは、「農家」の割合に関する指標である。
まず、総世帯に占める農家の割合を見ると、1990年に24.6%であったものが、2005年には15.9%に減少している。
もっとも注目したいのは、農家人口率(総人口に占める農家の世帯員数の割合)である。1990年には29.1%であったものが、2005年には19.1%となっている。
1985年に36.6%だった農家人効率は、バブルの時代を経て、急速に減少してきた。つまり、20年ほど前、山形県人の3人に1人(!)は農家の構成員だったのだが、今や、1世帯あたりの構成員数の減少も相俟って、おそらくは、6人に1人程度に減少していると思われる。(ちなみに、それでも山形県は、2005年時点で、1世帯当たりの平均人員3.09人、三世代同居率24.9%で、何れも全国第1位。)
“J1モンテ”とそれをめぐる諸事情の風景は、農業の衰退とそれに伴うこの地域の関係性の変貌を表象しているとはいえないか。
それはつまり、こういうことだ。
農家人口率が高いということは、大雑把にいえば、その社会に、前近代的な地域の関係性や保守的な家族関係が残存している度合いが高いということだと考えていいだろう。
<山形>が農業から離れていく過程すなわちゲマインシャフトリッヒな関係が解体していく過程が、農家人口率の低下に表象されている。それはすなわち、この山形という社会がゲゼルシャフト化、すなわち資本主義化の度合いを深めていく過程でもある。
ゲゼルシャフト化していく社会の、ある段階における<祝祭>の一形態・・・それが“地域に根ざしたプロ・サッカーチーム”への<投企>だと仮定すれば、「サッカーと資本主義」の論旨は、私たちの認識にするりと入り込んで重なる。
農業の衰退、すなわちこの地域社会の衰退は、驚くほど急激に進行している。たしかにこれはやばい。
一方、前近代的な地域の関係性や社会と家族の保守的な旧弊が解体していくことを、1950年代に生まれた人間として、つまりは記憶の下層に非近代的風景を抱えている者として、じぶんは、基本的に評価し、支持する。この部分では、じぶんは、近代主義者あるいは吉本隆明主義者である。
だが、しかし、である。
あのマン・Uの試合の画面に現れる風景にはうんざりするし、また、モンテのファンたちが、あの仙台や浦和や鹿島のサポーターたちのように、“サポーター然”とした姿になっていってほしいとは、けっして思わない。
このへんが、じぶんが、熱烈なモンテ・サポになれないもうひとつの理由であるような気がする。
この複雑な想いは、まぁ、わかる人だけ、わかってくれれば、いい。・・・・あっは。
2009年08月07日
モンテディオ山形vsガンバ大阪
2009年8月1日、天童市の県立総合運動公園べにばなスポーツパークのNDソフトスタジアムで、J1リーグ戦第20節、モンテディオ山形vsガンバ大阪を観戦した。
前々節のホームゲーム・7月19日のジュビロ磐田戦では、モンテが磐田を3対1で粉砕。
これも観戦したが、このときは久々にいい意味で興奮し、浮かれ気分で帰らせてもらった。
地元ラジオ局で生中継があったので、それを方耳のイヤホンで聞きながら観戦・・・自分の席からよく見えない部分の動きも知ることができて都合がよかったのだが、一方で、知らず知らずのうちに放送内容に頼って試合を観戦していた・・・これは善し悪し。
ジュビロは、磐田での今期開幕戦で6対2とモンテに大敗しており、リベンジを期して山形に乗り込んできたはずだが、そのことを意識したぶん硬くなったのか、それとも前回の大敗がトラウマになっていたのか、とにかく動きが悪かった。途中加入で磐田を盛り上げてきたイ・グノが、移籍のため磐田を離れた(現在は復帰)ということはあるだろうが、それにしても首をかしげる出来だった。
日本代表の川口は、今期、モンテとの2試合で9失点・・・勝負の世界は厳しいとはいえ、川口がちょっと可哀想・・・と思ってしまうのだが、そ〜んなことを言っている場合ではない。モンテは相変わらず降格争いを脱していないのである。
しかし、前節のアウェーでも、首位鹿島を追う新潟に1対1と引き分け、リーグ戦後半のモンテは調子を上げてきたので、このガンバ戦でもいい試合をしてくれるのではないかと期待していた。
スタジアムに着くと、すでにアウェー自由席以外は売り切れ。じぶんは前売りでかろうじてバックスタンド南席を入手していたが、夏休みで家族連れが多かったことや、ガンバ大阪の人気で、これだけの人が詰め掛けたということだろう。佐々木勇人やレアンドロという元モンテの懐かしい名もあるし、遠藤保仁の人気もなかなかのようだ。かく言うじぶんも、遠藤のパスを生で一目見ておきたかった。
ガンバのサポーターは500を切るかと思われたので、モンテ側の観客が16,000人詰め掛けたとみてもいいだろう。ホームチーム側の観客だけでこれだけ埋まったというのは、数年前のJ1昇格を賭けた試合以来、久しぶりのことだと思う。
ひとつ気になったのは、バックスタンド自由席での地元ファンの座り方。席はベンチ式の腰掛で、1人分の区間にナンバーの振られた小さなプレートが貼り付けてある。売り切れになっているのだから、その狭いスペースに1人ずつ詰めて座らなければならないのだが、これがしっかりとは守られていない。
ボランティアの会場係が、売り切れなので満席になるとハンドマイクで注意を促しているのだが、気に留めない者もいる。1人で1.5人分を占めたり、隣の人と間を空けたりして座っている。この辺が、山形の人間が“田舎者”だという部分。とくに、子連れで来た親は子どもに注意を促し、それとともに自ら身を正すべきだろう。
このところの天候不順(すでに“異常気象”の域に入ったということだが)から、この日も夕方から雨になるという予報だった。この天気予報を見て、観戦をパスした前売りチケット購入者もいたはずである。それで“売り切れ”でもほんとうの満席にはならなかったのだと思うが、これがいい天気だったら、チケットを入手していても腰掛けられない観客が出たのではないかと老婆心が頭をもたげた。(苦笑)
試合開始前の応援合戦では、いつもよりモンテ・サポの元気がいいように思えた。巨大な炎を描いた新調の展開式フラッグが(たぶん初めて)披露され、いつもの横の動きを入れた応援も迫力を増したような気がする。
J1の試合を観戦するようになって感じたことは、J1の各チームの応援が、けっこう単調なことだ。声や音は大きいが、いまいち面白味に欠ける。
それに比べ、モンテの応援歌や応援コールは、他のチームと比較して、なかなか変化に富み、いい線いっているという感じがしてきた。
モンテがJ2の時代、J1に一度昇格して、J2に降格してきたベガルタ仙台とのゲームを観戦すると、仙台サポの応援がモンテ・サポの応援よりもずっとパンチ力が効いていて、さすがJ1で鍛えられたサポは違うなぁ・・・と思っていたのだが、最近は、パンチ力はそれほどでなくても、モンテ・サポのコールにはなかなか味があるなぁと思うようになった。
選手入場の際に「Over The rainbow」のスキャットを、サポーター以外の観客も、僅かずつだが口ずさむようになってきているのも、いい感じ。
さて、ゲームのほうだが、これはまったくのガンバ・ペースで進んだ。
前半、相手に押し込まれ続けるのは、ある意味“モンテのペース”(?)なのだが、この日は、後半も含め、終始ガンバにいいようにボールをコントロールされた。
モンテによる中盤のプレッシャーは効かない。反面、相手のプレッシャーには苦しめられ、前線にいいパスが繋がらない。モンテの基礎能力の相対的な低さを示す部分なのだが、ゴールキックなど味方からのロングボールの支配が、まったくできない。味方のスローインも相手に取られる。とくに、得意のサイド攻撃をさせてもらえなかったのが痛かった。
逆に言えば、サイドへのパスコースを遮断するガンバ・ディフェンスの位置取りは流石だった。
また、お目当ての遠藤のパスも、たしかに正確で、よく状況判断されたものだった。
それでも、前半は、危ない場面も“思ったより少なく”経過・・・このまま無失点で前半を終了してくれれば・・・と思っていた矢先、ちょうど前半の残り時間が気になりだすころ、いつもながらのパターンでモンテが失点した。
“いつもながらの失点パターン”とは、集中してディフェンスしているのだが、一瞬、試合の流れが遅くなったところで、リズムを崩してしまうこと。膠着していったん試合のペースが緩むと、足が緩んでしまい、ようするに相手の再度のギア・チェンジに対応できないのである。
だから、相手にガンガン攻め続けられている時間帯ではなく、それが途切れたときが危ないのである。
1点先取したガンバは、前半終了までの残り5分ほど、後衛でボールをまわして時間を稼いだ。
このリードのままで前半を終了したいというのは理解できるが、モンテのような下位の相手でも、しかも前半終了前でもこうやって時間稼ぎをやるんだ・・・と、その意識の高さに感心した反面、もう休むのか・・・これは後半、モンテにもチャンスがあるかも・・・と、そんな気がしていた。
後半、雨雲が水分を持ちきれず、ついに大粒の雨を落とし始めた。
観客たちはすばやく雨具を身に付けたが、なかには雨具を持ってこなかった観客もいて、びしょ濡れのままで観戦している。リードされ、しかもボール支配は圧倒的にガンバなのだが、“河童取り”状態なのに、思ったより引き上げる客が少ない。山形の観客も、少しずつサッカー観戦者として育ってきた(?)ということか。
この雨は、まさにモンテに味方した。
長谷川のグラウンダーのシュートが、ゴールキーパーの手をはじき、ゴールネットを揺らす。
数少ないチャンスをものにした長谷川は、たしかに逞しさを増している。
同点に追いつかれたガンバは、あせって何度もモンテのゴールに襲い掛かるが、決定的なシュートをポールに当てて得点できなかった。
中盤までガンバのパスはよく通ったし、何度もサイドを突破した。だが、最後の詰めのところで、モンテの最終ラインとキーパーの清水を崩しきることができなかった。
モンテは最後までゴールを守りきった。これがモンテのしぶとさだと、よく示してくれた。
註:「河童取り(かっぱどり)」とは、秋田県南部の方言で、川に入って河童取りをしたようにずぶ濡れになっている状態
駐車場が混み合うので、試合終了後は40〜50分ほど、スタジアムの前の出店で飲み物を買い、うろうろしながら、人の動きを眺めている。スタジアムの正面玄関には、帰途につくモンテの選手たちにサインをねだるために人だかりができている。
最初にブラジル人選手たちが出てきた。ジャジャ、アンドレ、そしてレオナルド。一緒に出てきたのは、奥さんと子どもだろうか。ジャジャは、小柄で若くて、まだ“あんちゃんこ”って感じ。
モンテのDFの柱・レオナルドに、ファンが「はやく怪我を治して復帰しような」と声をかけている。その程度の日本語は理解できる様子。彼は、日本ではモンテ一筋にやってきたので、地元のファンから好感を持たれている。
こうした状況は、どこかまったりしていて、いい感じである。
さて、「サポーターにはならない」ということを信条にしてきたじぶんだが、このところ、観戦に赴く回数が頻繁になってきている。
“J1モンテ”を愉しみながら、ぼんやりと、この山形という地域性とプロ・サッカーチームの関係を考えている。
だいぶ前になるが、よく行く新宿のジュンク堂で、大澤真幸の『性愛と資本主義(増補版)』(青土社)に収録されている「サッカーと資本主義」という論文を立ち読みした。この本の初版は購入していたのだが、「サッカーと資本主義」という論文は、初版には収録されていなかったのである。
(ジュンク堂さん、すんません。いつもお世話になっています。高啓の詩集を置いていただいていて、深謝です。)
いま、立ち読みの記憶を頼りに、じぶんの内部に取り込まれたこの論文のエッセンスを述べてみると、それは以下のようなものである。・・・・と、ここで、次回に続く。
2009年07月01日
モンテディオ山形vs川崎フロンターレ
6月28日の午後、炎天下の天童市「べにばなスポーツパーク」のNDソフトスタジアムで、J1リーグ戦第15節、モンテディオ山形vsフロンターレ川崎の試合を観戦。
モンテは、リーグ戦スタート時点の躍進が影を潜め、このところ負けが込んでいる。第11節のホームゲーム、対アルビレックス新潟戦も観戦したが、このときも0対1で敗北・・・6月20日の第14節のアウェーで清水エスパルス戦にも破れ、下から4位と、いまや降格争いに“参戦”する事態になっている。
川崎は上位の強豪チーム・・・これは大敗を喫することのないよう応援せずんばなるまい・・・と、西向きのバックスタンド席で真夏日の日差しに肌をジリジリ焼かれながら観戦したというわけである。
川崎は、モンテをなめたのか、6月24日開催のAFCチャンピオンズリーグの疲れを回復させようとしたのか、司令塔・中村憲剛と主力FWの鄭大世ら、ナショナルチーム・クラスを温存。
前半、それでも、さすがに川崎の攻めはスピードがあった。ミドルシュートを何本も撃たれ、いつもながら、モンテの守護神・清水は一時も気を抜けない時間が続く。こちらも、いつもながら、心臓に悪い時間が続く。
しかし、清水の好守と運に助けられながら、モンテは集中力を切らすことなく前半を凌ぎ切った。
前半が終わると、スタジアムの男性アナウンサーが「試合はモンテのペースで進んでいますね」と言い、女性アナウンサーが「でも、かなり川崎に押されています」と答えると、男性は「これがモンテのペースなんです」と語った。
じぶんは、“たしかにそのとおり”と思いつつ、今日は強豪に一泡吹かしてやってくれ・・・と期待して後半を迎えた。
後半が始まると、期待通り、モンテはややスピードの落ちた川崎に対して攻勢に転ずる。
得意のサイド攻撃やセットプレーから、連続攻撃を展開して、何度か決定的なチャンスを生み出す。
だが、川崎のキーパーに好守され、得点できない。
やや優勢のまま、後半も40分を過ぎると、降格を免れるという命題のためには、とにかくこのままで「勝ち点1」を得ることが大事だ・・・と、“負けないこと”を心の中で祈っていた。
そんなとき、あ、なんとなくちょっと嫌な雰囲気だな・・・という気がした。モンテの猛攻が一服し、いつもの悪いクセで、ふと弛緩したそのときだった。
モンテ陣内でモンテのDFがボールを拾い、それを中盤の味方にパスしたところを、狙いすまして裏から走りこんだ川崎のサイドの選手にカットされ、そのままカウンター・・・後半の途中から出場していた鄭大世への絶妙なパスを出されて、あっという間にゴールを奪われた・・・。
まさに、拮抗した試合で敗北する場合の典型を見せられたような失点。
これがモンテの悪いクセ・・・スピード感のある展開が一服したとき、後衛からパスをまわす際に、ふっと気が抜けたようになる瞬間がある。
先にこのブログに記したFC東京とのアウェー戦でも、拮抗したゲームなのに、この弛緩した瞬間に失点して苦杯を舐めた。
しかしながら、川崎の要、中村憲剛やヴィトール・ジュニオールが出場しなかったということはあるだろうが、それでもモンテは善戦したと言えるだろう。
個人対個人では、明らかにテクニックもスピードも川崎が上。
けれど、モンテは、サイド突破から“得点の匂いのする時間帯”というべきものを作り出した。ほとんどの試合で、相手の連続攻撃にはらはらさせられる時間の方が長いのだが、この得点の“匂い”のする時間のモンテには、その分だけ反転攻勢のわくわく感を感じさせられる。これが、去年から今年にかけてのモンテディオ山形の魅力だと思える。
もちろん、観客は、このわくわく感が“ゴール!”へと繋がったときの興奮・・・そのエクスタシ一を求めてスタジアムに足を運ぶのであるが。
5月の新潟戦は、隣県のチームとの“天地人ダービー”とあって、17,171人の入場者があったが、この日は10,367人と、やや少なめ。うち、川崎サポーターは1,200〜1,300といったこところか・・・。すると、9,000人程度がJ1における地元の観客動員力ということだろう。
しかし、それでもやはりJ1に昇格して、会場の雰囲気はなかなかよくなってきている。ユニフォームのレプリカを着ているファンが増えたし、「炎のカリーパン」を初めとして、売店の賑わいもあり、スタジアムに行く楽しみが増えたような気がする。・・・これは、幸いなことである。
(なお、じぶんは“サポーターにはならない”という姿勢のため、レプリカを着る気はない。ただし、アウェー戦を観戦に行くときだけは、モンテのタオルを身に付けて行こうか・・・などと、不覚にも・・・思うようになっている。)
さて、サポーターたちが陣取るサイトは別として、相変わらず山形のファンは静かである。
もう少し愉しみながら観戦してもいいと思うが、観客席では無駄口を叩いたり野次を飛ばしたりする者が少ないので、ヘラヘラしゃべりながら観戦するのが好きなじぶんも、口を噤みがちになる。・・・J2の頃は、モンテのファンから、モンテの選手に叱咤激励の野次も飛んでいたので、なかなか面白かったのだが。
もっとも、この3、4年、観客席で周りを見まわすと、1人で観戦にきて、なにか思いつめたように見つめている若者がけっこう目につく。・・・おいおいおい、あんまり自己移入するなよ・・・などと心の中で呼びかけている。
ところで、7月4日の対浦和レッズ戦のチケットは、発売開始後10分で売り切れたという。
山形のファンは、「天気予報を見てから前売りを買う」という習性がまだ抜けていないから、一般の前売りをゲットしたのは、その多くが浦和のサポーターだろう。
久方ぶりに天童で浦和レッズを目にするのを楽しみにしていたが、関東から大勢のお客さんが来てくれるとあらば、われらは地元FM局の実況中継でも聴くことにしよう・・・それもまた、幸せなことである・・・あっは。
2009年03月22日
味の素スタジアム行
3月21日、初めてモンテディオ山形のアウェー・ゲーム(対FC東京)の観戦にいく。
新宿から京王線で30分足らず。「飛田給」という歴史を感じさせる面白い名前の駅で降りると、すぐそばにその「味の素スタジアム」はあった。
この京王線沿線には、大昔に忘れられない想い出がある。そのときの気持ちを振り返ると、この電車に乗って、こんなふうにしてお気楽にサッカー観戦にやってくる日が来るとは・・・と感慨深い。
駅を降りると、コンビニ等の売店が軒を並べているのだが、観戦にやってきた人々がそこで缶ビールを買っていくので、ここの運営では缶ビール持込可なのかと思って、じぶんもロング缶を1個購入する。・・・ところが、やはり入り口でダメだしをされ、紙コップにあけさせられる羽目に。
紙コップを持ってバック・スタンド上層の座席まで歩くのも面倒なので、ゲート付近のベンチに座って、ビールを引っかけていると・・・・
お、左隣では「はえぬき」と胸にあるユニフォームのレプリカを着た若い女性が、昼食にサンドイッチか何かを食べている。彼女がじぶんの傍から立つとき、ちょっと荷物がじぶんにひっかかったのだったが、そのときの「すみません」という発音が、関西訛りだったのが印象的だった。
コンコースを通り過ぎる人々を眺めていると、モンテのサポーターグッズを身につけた人もかなり目に付く。
さて、右隣に座っているFC東京のレプリカを着たカップルは、「『はえぬき』って米の名前だよね。地方色が出てるね〜」なんて、余裕ありげに語っている。
ほんの少しだけビールが回ってきて、久しく忘れていたあのお気楽な気分が芽吹く。
バック・スタンド上層のアウェー用指定席(3,000円)に着くと、そこからの眺めはなかなかのものだった。
このスタジアムの上層の観客席は、ほぼ全体が屋根でカバーされている。
約5万人収容の会場は、広々として気持ちがいい。おおーと歓声を上げたくなったのだが、雰囲気に慣れてくると、どこか中途半端な感じもしてくる。球技のスタジアムのように見えるのに、なんとなく間が抜けた感じがするのだ。
ここは、国体開催用に、都が絡んだ第三セクターによる陸上競技場「東京スタジアム」として建設されたそうだが、サブグラウンドがないために陸連から公認されず、トラックの敷設がなされていない。トラックの部分が人工芝のようなもので覆われているので、球技用の会場に見えるのだが、その分、観客席からピッチまでの距離がある。
また、この日は、2万人以上の入場者があったとのことだったが、キャパが大きいのと、メイン・スタンドの埋まり具合が悪いのとで、ガランとした感じがしてしまう。
会場の運営では、まずボランティアの数が多いことに感心した。
試合前の会場のアナウンスは英語。これには首をかしげた。いかにもトーキョーっぽいというか(苦笑)・・・選手入場の際に「You’ll never walk alone」という歌を合唱するのは、なかなかいい感じだが、これも全部英語。どうせなら、試合中の選手交代などのアナウンスも全部英語にしちまえよ!
もうひとつ感想を述べると、試合開始前の音楽が五月蝿過ぎる。
FC東京のサポーターは、お上品なのか、あんまりコールをしない。そのせいか、ホームとアウェーで応援合戦をするような時間帯に、スピーカーからガンガン音楽が流される。これではスタジアムの雰囲気が台無しである。
スタジアム内の売店は、一定の水準だしそれなりにスマートだが、これもいかにもトウキョーらしくて面白味に欠ける。山形では、いろんなものを売る個性的な売店を出店させ、他のホームにはない味を出すべきだし、山形ではそれが可能だと思われた。
さて最後に、試合についても、サッカー観戦の素人ながら、感想を一言。
結果は1対0でFC東京の勝利。モンテは押し込まれるシーンが多く、反撃のシーンも何度かあったが決定力不足という感じが強かった。
モンテは、攻撃でも守備でも、やはり個人技では完全に見劣りしている。
その割には、よく形を保ってやり合っているなという感じはあるが、このままでは残留は覚束ない。相手より、よく動くことが必須である。
FC東京に点を取られた後半10分のあたりは、上から見ていて、なにか急に動きが緩慢になったような印象だった。たとえば、休憩時間に昼食をとって、昼食後の居眠りが出たの?・・・とでもいうように、あれあれと思う間に突然動きが鈍くなり、これではやられるぞ・・・と思っていたら、案の定、ミスしたところを速攻されて、やらなくてもいい点を献上することになった。どうも、このとき、監督から、ボールをゆっくり回せと指示が出たらしい。しかし、この場面以外でも、歩いている選手が目に付いた。
攻撃面では、ボールの持ちすぎやパスを出す先を判断する遅さが目立った。
個人技で劣っているのだから、相手に寄せられる前にワンタッチでパスを出すとか、シュートをもっと思い切って撃ち、こぼれ球を押し込むという荒々しさが必要だと思う。
また、去年よりは少しは改善されているが、ゴールキックなどの味方のロングボールを相手に与えてしまうケースが多すぎる。
スローインも、わざわざ相手から囲まれている選手に出している。
空きスペースに走り込んで、スローインやパスを受けるということが徹底されていない。
マッチアップの際に個人技で劣るということは瞬発力のみならず持久力でも劣ることを意味している。だから、流れが来たときは、各選手が、ここぞとばかり、もっと嵩にかかって攻めることも必要だろう。
モンテの応援団は、写真のように思ったより多く押しかけていた。
応援ではFC東京を凌駕していたような感じである。
バックの上層席にも、けっこうモンテ・ファンが居た。
ここでモンテがふんばると、山形に所縁のないファンも獲得できそうな気配がする。
ビールでいい気分に浸り、いい雰囲気のスタジアムを楽しめるかと思いきや、いつもながらハラハラ・イライラさせられるモンテの試合運びに、お気楽な気持ちはどこかへ吹き飛んでしまった。
しかし、FC東京は、決して勝てない相手ではないという感じもした。
ベスパ(NDスタ)でのリベンジを期待する。
P.S.
余談だが、モンテのユニフォームの胸の広告が「つや姫」に決まったわけだが、サポーターたちが着ているレプリカはほとんど「はえぬき」のまま。
「つや姫」は「はえぬき」にとって替わらなければならないわけだが、「つや姫」の広告主は、今後どうするのかな・・・J1に昇格して、胸のロゴの宣伝力は、ピッチの選手たちより、サポーターたちによる方が何倍も大きいのではないか。・・・いや、これは老婆心・・・。
2009年01月12日
モンテディオ山形 フルモデルチェンジ構想
2008年1月10日(土)、山形県生涯学習センター「遊学館」で開催された『モンテディオ山形 フルモデルチェンジ構想 公開プレゼンテーション及び公開討論会』に出かけた。
この会は、モンテディオ山形の「サポーター有志の自発的な集まり」である「モンテディオ山形フルモデルチェンジ構想を考える会」の主催。
モンテディオ山形の運営母体である「社団法人山形県スポーツ振興21世紀協会」の海保宣生理事長が、東北芸術工科大学デザイン工学部情報デザイン学科の中山ダイスケ教授に依頼し、同教授によって考えられた「フルモデルチェンジ構想」が、直接同教授から2時間以上にわたってプレゼンテーションされ、それを受けて40分ほど会場の参加者との討論が行われた。
先にこのブログで述べたように、じぶんは、モンテディオ山形のファンであり、しばしばスタジアムに足を運ぶ観客であるが、「サポーター」という存在ではない。サッカー観戦を楽しみながら、心のどこかにわだかまりがあって、熱いファンになることを躊躇っている・・・という存在である。
しかし、海保・中山両氏のフルモデルチェンジ構想について、しっかり聞いておきたいと想ったことと、名称やデザインの改変に反撥しているらしいサポーターたちがどんなことを言うのか確かめたいと思い、初市の交通渋滞と人混みを掻き分けるようにして、遊学館に出かけた。
中山氏のプレゼンテーションは、“山形”のあり方と地方の中小都市における“プロサッカーチーム”のあり方を考えようとする者にとっては、とても有意義なものだった。
この会の様子は、編集なしの音声ファイルとして「モンテディオ山形フルモデルチェンジ構想を考える会」のホームページに掲載されるということである。
また、当日は、会場で、モンテディオ山形 FUN MAGAZINEの『Rush』の「緊急企画 フルモデルチェンジの[真相]に迫る。」が配布された。中身は同誌編集部による中山氏へのインタビューだが、これがまた、なかなかいい内容である。
これらから、じぶんなりに受け止めた「モンテディオ山形フルモデルチェンジ構想」(FMC構想)について、少し触れてみたい。
さて、中山氏のプレゼンは「“山形”と“モンテディオ山形”」というパワーポイントによるタイトルの表示から始まった。言うまでもなく、フルモデルチェンジ構想の、もっとも重要な部分は、この冒頭の提題にあった。
中山氏は、プレゼンに入るにあたって、まず自己紹介から始めた。それによると、氏はもともとFC東京のサポーターであり、世界中のサッカーを観戦して歩いている「サッカーおたく」なのだという。とくにヨーロッパなどの小さな街のサッカーをめぐる盛り上がりの雰囲気を、デザイナーとしては誰よりもよく知っていると自認していた。
このプレゼンを聞いて、じぶんが重要だと思った点について、以下にまとめてみる。
【1】FMC構想は、「J2モンテディオ山形」の基盤確立のために構想されたものであったということ。
海保理事長は、08年シーズンが始まる前の時点で、ようするにモンテのJ1昇格などまだ実現しそうにない段階で、クラブ支援の基盤を確立し拡大していくための戦略として、中山氏にデザインなどの変更の検討を依頼したようだ。これに対して、中山氏は、ユニフォーム・デザインなどのマイナーチェンジでは目的を達成できないとして、まず現状の“モンテありき”からではなく、“山形”とプロサッカーチームのあり方から考えようとしたことから、「FMC構想」という大改革を構想することになったという。
じぶんのようなあまり熱心でないファンが言うのはおこがましいが、このような改革の必要性は、Jリーグで唯一の「社団法人」という運営主体の実態と、山形という人口・経済規模の小さな地方のクラブの経営的基盤からみて、誰に目にも歴然としていた。
中山氏は、21世紀協会の批判はしていなかったが、言外に言いたいことは十分伝わった。
これもまた非常に僭越なことだが、ここでじぶんなりに述べてみれば、協会の理事会という経営陣のなかに、サッカーをこよなく愛し、このモンテというクラブをかけがえのないものだと思う人間がどれだけいるのかということだ。
クラブの経営が危機に瀕しないうちに、県民の多数を支持基盤に組み込み、経済的基盤を強化するとともに、県(副理事長の一人は山形県副知事)など有力な理事に影響を与えられるよう、その世論を味方につけておかなければならないのである。
このクラブをかけがえのないものと考える者なら、誰でもその大改革の必要性をひしひしと認識するだろう。これまでは、地元の人間に、それをやろうとする人材がいなかった(?)だけである。
いま、じぶんの手元にある『サッカー批評』41号(08年12月・双葉社)をみると、そこには2007年度のJリーグ各クラブの事業決算に関する情報開示内容をまとめた一覧表が掲載されている。
モンテの広告料や入場料その他の「営業収入」は539百万円で、少ない順で水戸の301百万円、愛媛の466百万円に次いで、Jリーグの31チーム中、下から3番目である。(参考まで、隣県のJ2仙台は1,539百万円、J1新潟は2,661百万円。人口規模が近いJ1甲府は1,655百万円。)また、チームの人件費は251百万円で、下から4番目。(同じく、J2仙台は732百万円、J1新潟は1,374百万円。J1甲府は741百万円。)
山形の場合、入場料収入はたった89百万円であり、仙台の658百万円に比べてあまりに少なかった。
なお、08年シーズンに全農山形(「はえぬき」)がユニフォームの胸のスポンサーから降りた他にも、いつ手を引くかタイミングを窺っているスポンサーがいたようである。(08年シーズンでは、07年まで背中だった「平田牧場」が胸に回ってくれたが、背中は空白の状態。)
08年は、J1への昇格争いによって観客動員数が一試合平均で6,000人台に増えたということだが、J1昇格争いに絡みながらも昇格を逃したとき(2001年、2004年)は、有力選手の流出で翌年の成績が落ち、入場者数も減少して収入が減るという悪循環に見舞われていたようである。
この悪循環の背景には、モンテが県民に広く認知されていないことがある・・・というのが、海保理事長と中山氏の基本認識であったようだ。これまでのJ2における状況を考えれば、この点はじぶんも同じ認識である。
モンテのサポーターやそれに次ぐ熱心なファンがどれだけいるのか明らかでないから、じぶんがスタジアムで見てきた感覚から勝手にそれを予測してみる。
昇格争いをしたことから観客動員数が増えた08年でも、自費で入場料を支払ってホームゲームにいく観客は9,000人程度か(うち、サポーターは4,000人、それに次ぐやや熱心なファンが2,000人、その他のファンが3,000人。この他に、仙台戦や昇格争いだけ観に行くという邪道ファンが3,000人?)という感じである。(以上は、一試合の入場者数ではなく、実人数としての“感じ”である。)
熱心な5〜6千人のサポーターやファンと、これ以外の県民多数のモンテに対する意識は、中山氏も指摘していたが、ずいぶんと乖離していると思われる。この乖離をどうやって埋めるか・・・FMC構想のもっとも中心的な問題意識は、至当にも、ここにあった。
【2】このクラブを“山形”の顔とすることは、このクラブのためであるというだけでなく、“山形”のためであるということ。逆に言うと、“山形のため”に存在するサッカー・クラブとなることを通じてでなければ、このクラブの基盤は確立できないということ。
中山氏は、「山形のプロサッカーチームは、山形の顔であり、YAMAGATAを世界へ連れて行ってくれる船である」と述べていた。
このことは、ちょっと気の利いた人間なら誰でも言いそうなことのように見えるが、山形県のいわば“地域根性”をよく知っている人間なら、この言葉の裏側に張り付いている、山形県という地域共同体の統一性の希薄さをなんとかしたいという想いを受け止めることができるだろう。
中山氏も言っていたが、山形県は、自然、文化、地域社会、農産品、工業製品と、じつに素晴らしい要素や財産をいくつももっている地域である。だが、その要素や財産は、この県の成り立ちの歴史から、村山、庄内、置賜、最上という4つの地方に個々に所属するものとしてバラバラに認識されており、“山形県”としてのアイデンティティは、おそらく山形県に生まれた人は気づきにくいと思うが、じつはかなり希薄である。
中山氏は、デザイナーとしての視点から、FMC構想を通じて、この山形県にインテグレートされたアイデンティティを持つ可能性を開示しようとしている。
中山氏は、他のチームと明らかに異なったチームカラーとユニフォームのデザイン(白と黒の三角を組み合わせた鱗型→▽▲▽)を提案している。
言葉ではわかりにくいが、要するにクロアチアのナショナルチームの紅白のチェック模様を三角形の白黒に置き換えるみたいなデザインであった。
世界のクラブチーム及びJリーグやJFLのユニフォームを多数提示し、差別化を図るうえでなぜこのデザインになるのかを説明する中山氏の話には、それなりに説得力があった。
じぶんなりに言い換えれば、ユニフォームは、クロアチアの模様と新撰組の羽織の模様を合わせた甲冑を思わせるような印象のデザインであり、フラッグや応援グッズのデザインで構成されるサポーターの応援席は、戦国武将の軍団に見える。
これは、メディアに取り上げられたり、アウェイ戦で全国を回ることによって人々の視線に晒される山形のプロサッカーチームの衣装(ユニフォームやフラッグ)を強烈に印象付け、それを“山形”の意匠(ブランド・デザイン)だと意識させることで、“山形”というインテグレートされたブランド・イメージを形成しようとする戦略なのである。
中山氏は、このデザインのパターンをオープンソース化し、県産品のグッズや包装やポスターなどさまざまな媒体に広範に活用してもらうことで、個別の商品や観光イメージを統一したブランド・イメージとして打ち出すべきだと提案している。このことで、この4つの地方や産物や文化などの各要素が、初めて効果的に宣伝され、また各要素が山形ブランドを高めるように作用する相乗効果が期待できるとする。
また、白・黒・グレーを貴重とした鱗型のユニフォーム・デザインは、じつは小規模なスポンサーしか獲得できない地方チームのスポンサー獲得戦術としても構想されたものだった。
山形のような地方では大口のスポンサーを獲得することは困難であり、小口のスポンサーをいかにたくさん確保し、それらのロゴを如何に効果的(ユニフォームのデザインを壊さず、しかもスポンサーの納得を得る形で)配置するかが課題となる。これは、自動車レースのF1のワッペンのようにロゴをいっぱいくっ付けながら、それでいてF1のような不統一を回避するという試みである。
この鱗型のデザインだと、小さな企業や商品のロゴをユニフォームの各部分に配置いやすいということと、モノクロを基調としていることで、スポンサーに対し、ロゴもモノクロで記載するように交渉し、全体の“山形”統一ブランドのデザインとの調和を図る狙いがあった。
このあたりのアイデアは、さすがにプロのデザイナーのものだなと思わせられた。
これらのことは、県民意識の現状を考えれば、高々5〜6千人の熱心なサポーターやファンと県民の意識の乖離を埋めようとしたら、クラブを“山形ブランド”の象徴にしなければ、県民各層を巻き込むことはできないだろうという認識から来ている。
そして、クラブを“山形ブランド”の象徴とするには、すでに出来上がり、一部のサポーターから熱烈に支持され、それゆえに“一部の人たちのもの”になっている(とそれ以外の人たちから看做されている)現在の「モンテディオ山形」というイメージをご破算(中山氏はこういう言い方をしていないが)にするところから始めなければならないと考えるのは、ある意味で自然な発想ではあるだろう。
【3】現在の「モンテディオ山形」のイメージを再構築するためには、もちろん、その名称を変更することがいちばん効果的であるということ。
さて、とにかくサポーターの反対が根強いのは、名称変更についてである。
山形県民から広く関心と支持を得られるクラブとするために中山氏が着目したのは、「月山」であった。
「月山」は、顔の形をした山形県の中心に位置し、4つの地方のどこからでも見える。そして深田久弥の『日本百名山』に採択されており、出羽三山としても有名である・・・などと、山形県の人間では、使い古した感じでとても言い出せない理屈を挙げて、まるで東京の広告代理店の企画マンみたいにその採用理由を説明した。
「月山形」(「がっさんやまがた」と山の字を二度読む)という漢字のチーム名を聞いたとき、じぶんもだいぶ陳腐な感じがした。
しかし、「Gassan Yamagata」はいい名前だと思う。とくに「ガッサン」という響きはとてもいい。中山氏も、じつは前記のような理屈よりは、「月山」という“月”の山のイメージと、「ガッサン」という音に惹かれているのではないか。
そういえば、山形では、これまで「月山」という名前をつけて失敗したモノはないという実しやかな噂がある・・・こう考えてくると、中山氏が提案する「月山形」も、たしかに「これなんて読むの?」と訊いて、読み方を教えられたら強烈に印象に残るわけで、これはこれでユニークな名称・ロゴではある。
中山氏は、どうしても外来語を使いたいなら、月山の見える地域(実際には見えなくても見えると思う地域あるいは思いたい地域でいい)の人々が、こぞって支援するクラブだという意味で、「月山ユナイテッド山形」、「Gassan United」などの案も挙げていた。また、「東北山形」という案もあった。
このバリアントでいけば、「山形ユナイテッド」でもいいし、「東北ユナイテッド山形」でもいいと思う。
じぶんとしては、中山氏のFMC構想を基本的に支持するなら、全体が統一的に構想されている計画の中心部分をなるべく弄るべきではないという考え方に立って、名称についても「月山形」「Gassan Yamagata」を受け入れていいのではないかと思う。
【4】じぶんのもろもろの想い、そして雑感。
プレゼンの後で行われた参加者との討論では、「サポーター」を自認する人たちから、反対する発言が続いた。ただし、音声ファイルを聴いて判断してほしいが、新聞やテレビで報道されたのとは少し異なり、現場の雰囲気は必ずしも反対派が大多数という感じではなかった。
このように想い切った提案をしてくれ、また激しい批判や非難を浴びるかもしれないこのようなサポーターが主催する場へ出てきてくれた中山氏の姿勢やその構想に対して、これを評価する発言もあったし、その発言を支持し、支援する拍手も起こった。
なお、討論の時間は40分程度で、かなり不足だったと思う。もう少し時間があれば、つまり異議を唱えるサポーターの強い口調の意見が一通り出されたあとならば、賛成意見も聞けたような気がする。
ここで行われた反対の発言を聞いて感じたことは、やはりサポーターの想いの強さであり、これまでのサポートの過程に自己の存在をかけてきているという矜持であった。
じぶんも熱心なサポーターだとしたら、誰かが言っているように「みんなが反対していることを」「密室で決めようとしている」・・・そしてプロジェクトチームを募集するといっているが、「実はもう出来レースなのではないか」という想いに駆られるかもしれないと思った。
海保さんという、鹿島で業績を上げたとかなんとか言われているが、山形に関係ないやつが来てトップになって、地元の大学の教授とはいえ東京から週に一度通ってくる関西訛りのデザイナーを連れてきて、広告代理店みたいな発想でこれまでのじぶんたちのアイデンティティをぶっ壊そうとしている・・・じぶんがモンテに入れ込んでいるサポーターだったとしたら、こんなふうに受け止めたかもしれない。
しかし、そのうえでもあえて言えば、会場にきていたサポーターには、現状への危機感とその打開への展望をもっているという雰囲気が感じられなかった。もちろん、モンテの支持基盤をどう拡大するのかの対案も、示されはしなかった。
報道では、理事会などにも、J1昇格を決めた今、FMCなんてやっている場合ではないという意見もあると伝えられた。しかし、「J1昇格」は、大きなチャンスであると同時に、じつは、ちょっとでも間違えば、「J2降格」を契機にクラブの支持基盤の脆弱性が露呈する大きな危機でもあるだろう。その意味では、反対のための反対をしている場合でも、ずるずると引き延ばしている場合でもない。
熱心なファンでもないじぶんが、サポーターについてあれこれ言うことは控えよう。
しかし、最後にひとつだけ。
たとえば、モンテのサポーターたちは「山形国際ドキュメンタリー映画祭」の現状をどのように視るだろうか。
この映画祭は、「山形のプロサッカーチームがYamagataを世界に連れて行く」とかなんとか言うよりも、遥かに世界的に有名なはずなのに、そしてもう10回も開催しているというのに、何故にいまひとつ地元の市民や県民の関心が低いのか。
情熱的なスタッフがいて、映画関係者や映画ファンのみならず広範な文化関係者や報道関係者からもこぞって高く評価されていて、しかも国内的にも国際的にも山形の名声を高からしめているのに、なぜ地元の一般住民の評価と支援を、いまひとつ拡大できていないのか。
今年、11回目の映画祭が開催されるが、運営が民間組織に手渡されて2回目の開催である。・・・そろそろ地元の山形市民の支持基盤を固めないと、山形市から多額の補助を得続けていくことはできないだろう。・・・こちらも正念場に差し掛かっている。
山形国際ドキュメンタリー映画祭の地元サポーターを増やすには、映画ファンを増やすという戦術だけではダメなのだ。それと同様に、サッカーチームの支援を広げるためには、そのサッカーチームのファンやサッカーという競技のファンを増やすという発想だけではダメなのである。
さて、このように、すべての核心は、“山形”にある。
2008年11月24日
モンテディオ山形とJリーグをめぐる複雑な想い
2008年11月23日(日)、山形県総合運動公園で、モンテディオ山形対ロアッソ熊本の試合を観戦した。
モンテはこの試合に勝利すれば、10年来の悲願だった「J1昇格」を決められるはずだったが、1対1で引き分け、昇格は次節へ持ち越された。
当日は、気温が低く、雨模様。観戦日和からは程遠かったが、13,000人あまりの観客が集まった。これにお天道様が応えてくれたのか、試合が始まると厚く暗い雲が割け、陽が射しはじめた。もっとも、前半、南に向かって攻めるモンテにとっては、冬の低い陽射しは逆光となって、不利に働いたかもしれない。
写真のとおり、メインスタンドからの眺めは、ピッチの緑と近場の山々の紅葉、そしてその遠方の山々の冠雪が日の光に輝いて、絶妙な配色となっていた。
まず、試合の印象から。
前半、モンテの動きは良くなかった。昇格を意識して、ずいぶん硬くなっているような印象を受けた。それに比べて、最近の7戦に負け無しという熊本は、自分たちの負けで昇格を決めさせてたまるか・・といった風で、気力が充実しているように見え、非常にアグレッシブなプレーでモンテを押し込んでいた。
前半は、バーに嫌われた豊田陽平のヘディングシュートくらいで、モンテにいいところはなかった。
そして、後半、モンテのコーナーキックを奪った熊本が速攻。
そのシュートが、球筋を読み構えに入っていたGK清水の股を抜いてゴールマウスへ。・・・清水らしからぬミスで失点した。寒さと昇格を意識したところからくる緊張が体の反応を鈍らせたのか、濡れたボールに手が滑ったのか・・・とにかく清水はとても悔しそうだった。その後の清水のプレーは、好守だったと言っていいと思うが。
観戦していていつも思うのは、モンテの選手たちの、ロングボールの扱いの下手さである。
CKなどのロングボールや高く上がったボールを、ほとんど味方ボールとすることができない。
ヘディングしても味方へのパスに繋がらない。この部分は小学生のサッカーを見せられているようだ。
しかも、この試合では、中盤からのパスについても、球筋を熊本に読まれて、カットされる場面が多かった。プレスの掛け方でも熊本に負けていた。
スローインも、わざわざ相手がダブルチーム(これってバスケットだけの用語?)でマークに来ている近場の味方に出して、ボールの支配権を奪われている。もっと遠くへ投げられるよう練習してほしいものだ。
モンテの良いところが出たのは、後半もさらにその後半になってから。
サイド攻撃を連続させ、次第に得点できる雰囲気を醸し出していった。コーナーキックに入るとき、これはきっと得点できるな・・・という感じを抱かせてくれた。そして、宮本のクロスを豊田がヘディングで決め、同点とした。これが後半43分。
この後、残り2分とロスタイム4分の間は、スタジアムがこれまでにない期待と興奮に包まれた。この雰囲気はやはりスタジアムに行った者でないと味わえない。
しかし、試合を振り返ると、モンテの攻撃が力強さを持ったのは、相手がレッドカードで10人になってから。
この試合内容では、この寒さの中を駆けつけた13,000人あまりの観客と、昇格を待ち望むボランティアスタッフに対して、ちょっと申し訳ない出来だったと言わざるを得ない。
また、後半、流れを変えるために、もっと早く選手交代のカードを切るべきだったと思う。(選手層が薄くて、なかなかそれも難しいのかもしれないが。)
さて、ここからは、サッカーをめぐる勝手な想い。
自分は、モンテディオ山形のファンであり、しばしばスタジアムに足を運ぶ観客であるが、「サポーター」という存在ではない。
サッカー観戦を楽しみながら、心のどこかにわだかまりがあって、熱いファンになることを躊躇っている。
誤解を恐れずにいえば、まずじぶんは、あるサッカーチーム乃至はあるスポーツのチームが好きかどうかということの前に、世に言う“サポーター”という存在を忌避しているのかもしれない。
じぶんのスポーツ・チームに対するサポート経験は、息子たちのミニ・バスケットボールへの関わりくらいだが、それでもずいぶんのめり込んだ。スポーツ少年団の会長をやり、コーチ及び保護者たちとの付き合いや、頻繁な練習試合に遠征の手配を初めとしたチーム・マネージメント、それに学校との付き合い(というより学校への突っ張り)などを勤め、さらにはスコアラーとしてベンチに入る経験もした。
そこから言うと、サッカーでいう「サポーター」の立ち位置に関する(おそらくは事情を知らないことからくるのではあるだろうが・・・)異和が先行している。
それは、どんなに一生懸命でも、応援という“サポート”で、日常の大きな部分をそのチームへの関心に向けていること(及びその人々が自分を「サポーター」と認識していること)への異和だ。これは、じぶんに言わせれば、自己欺瞞じゃないのか・・・となってくる。
おれは、じぶん自身から離れたところにあるものには、けっして自己実現や自己証明を求めたりしない・・・という意識がある。
だから「ファン」にはなっても、サッカーでいう「サポーター」にはなりたくない。
・・・なぜか、プロ野球の「応援団」だと、まだ許容できるのではあるが。
さて、次はJリーグへの異和について。
モンテはJ2が発足したときからのJ2加盟チームで、これまでずっと昇格できないできた。・・・しかし、昇格できないのは「モンテディオ山形」というチームであって、チームの監督や選手だったわけでは必ずしもない。(逆に言えば、チームが昇格したからといって、メンバーの多くが昇格できるわけではない。)
つまり、これまで何度か昇格争いに絡む好成績をあげてきたのだが、その成績に応じて、何人かの監督や選手はモンテを去って「J1に昇格」してもいるのである。
実績を上げる活躍した指導者や選手が評価され、J1のチームやJ2のチームに引き抜かれる・・・プロ・スポーツにおいて、これは当たり前であり、必要不可欠なことだとは思うが、しかし・・・である。
プロ野球のように、ドラフト制度もなければFAもない。
ようするに、金や地位を求めてチームの構成員が動く度合いが相対的に大きく、<チーム>(サッカーでは<クラブ>というべきか・・・)というものにおける構成員集団のアイデンティティが、希薄というか、流動的過ぎるのである。
・・・にも拘らず、人々は「地元のチーム」だと言って、ホームチームを応援する。
じつは、「地元のチーム」なんて、その内容がコロコロ変わる代物で、変わらないのは「地元のチーム」という枠組みだけである。要するに、それは<共同幻想>である。
地元のサッカーチームという共同幻想に想い入れするということを全否定する気持ちは毛頭ないが、しかし、そこに<内実>つまりアイデンティティを求める思考を失いたくないと思う。
つまり、来期J1に立つモンテが、小林監督とともに清水や豊田や宮本や根本や財前やレオナルドや・・・を擁して存在するということ・・・現在のJリーグのあり方からして、それが不可能であっても、である。
さて、こんな捻くれた理屈を捏ねてはいるものの、やはりじぶんもモンテのJ1昇格を渇望しているし、あのゴールが決まったときの興奮や得点差を守りきったときの喜びはなんとも言えない感動である。
心のある部分に異和を持ち続けながら、じぶんはこれからもあまり熱心でないファンとして、ときどきスタジアムに足を運ぶだろう。
最後に余談だが、スタジアムの売店で売っていた「勝(かち)ピー」。
地元の菓子メーカー「でん六」の柿ピーだが、これに座布団一枚!
ボリューム満点(85g)で100円とは安い。386kcalもあるので、食べ過ぎに注意。