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2008年11月24日

モンテディオ山形とJリーグをめぐる複雑な想い




 2008年11月23日(日)、山形県総合運動公園で、モンテディオ山形対ロアッソ熊本の試合を観戦した。

 モンテはこの試合に勝利すれば、10年来の悲願だった「J1昇格」を決められるはずだったが、1対1で引き分け、昇格は次節へ持ち越された。
 当日は、気温が低く、雨模様。観戦日和からは程遠かったが、13,000人あまりの観客が集まった。これにお天道様が応えてくれたのか、試合が始まると厚く暗い雲が割け、陽が射しはじめた。もっとも、前半、南に向かって攻めるモンテにとっては、冬の低い陽射しは逆光となって、不利に働いたかもしれない。
 写真のとおり、メインスタンドからの眺めは、ピッチの緑と近場の山々の紅葉、そしてその遠方の山々の冠雪が日の光に輝いて、絶妙な配色となっていた。


 まず、試合の印象から。
 前半、モンテの動きは良くなかった。昇格を意識して、ずいぶん硬くなっているような印象を受けた。それに比べて、最近の7戦に負け無しという熊本は、自分たちの負けで昇格を決めさせてたまるか・・といった風で、気力が充実しているように見え、非常にアグレッシブなプレーでモンテを押し込んでいた。
 前半は、バーに嫌われた豊田陽平のヘディングシュートくらいで、モンテにいいところはなかった。
 そして、後半、モンテのコーナーキックを奪った熊本が速攻。
 そのシュートが、球筋を読み構えに入っていたGK清水の股を抜いてゴールマウスへ。・・・清水らしからぬミスで失点した。寒さと昇格を意識したところからくる緊張が体の反応を鈍らせたのか、濡れたボールに手が滑ったのか・・・とにかく清水はとても悔しそうだった。その後の清水のプレーは、好守だったと言っていいと思うが。

 観戦していていつも思うのは、モンテの選手たちの、ロングボールの扱いの下手さである。
 CKなどのロングボールや高く上がったボールを、ほとんど味方ボールとすることができない。
 ヘディングしても味方へのパスに繋がらない。この部分は小学生のサッカーを見せられているようだ。
 しかも、この試合では、中盤からのパスについても、球筋を熊本に読まれて、カットされる場面が多かった。プレスの掛け方でも熊本に負けていた。
 スローインも、わざわざ相手がダブルチーム(これってバスケットだけの用語?)でマークに来ている近場の味方に出して、ボールの支配権を奪われている。もっと遠くへ投げられるよう練習してほしいものだ。

 モンテの良いところが出たのは、後半もさらにその後半になってから。
 サイド攻撃を連続させ、次第に得点できる雰囲気を醸し出していった。コーナーキックに入るとき、これはきっと得点できるな・・・という感じを抱かせてくれた。そして、宮本のクロスを豊田がヘディングで決め、同点とした。これが後半43分。
 この後、残り2分とロスタイム4分の間は、スタジアムがこれまでにない期待と興奮に包まれた。この雰囲気はやはりスタジアムに行った者でないと味わえない。

 しかし、試合を振り返ると、モンテの攻撃が力強さを持ったのは、相手がレッドカードで10人になってから。
 この試合内容では、この寒さの中を駆けつけた13,000人あまりの観客と、昇格を待ち望むボランティアスタッフに対して、ちょっと申し訳ない出来だったと言わざるを得ない。
 また、後半、流れを変えるために、もっと早く選手交代のカードを切るべきだったと思う。(選手層が薄くて、なかなかそれも難しいのかもしれないが。)





 さて、ここからは、サッカーをめぐる勝手な想い。

 自分は、モンテディオ山形のファンであり、しばしばスタジアムに足を運ぶ観客であるが、「サポーター」という存在ではない。
サッカー観戦を楽しみながら、心のどこかにわだかまりがあって、熱いファンになることを躊躇っている。
 誤解を恐れずにいえば、まずじぶんは、あるサッカーチーム乃至はあるスポーツのチームが好きかどうかということの前に、世に言う“サポーター”という存在を忌避しているのかもしれない。
 じぶんのスポーツ・チームに対するサポート経験は、息子たちのミニ・バスケットボールへの関わりくらいだが、それでもずいぶんのめり込んだ。スポーツ少年団の会長をやり、コーチ及び保護者たちとの付き合いや、頻繁な練習試合に遠征の手配を初めとしたチーム・マネージメント、それに学校との付き合い(というより学校への突っ張り)などを勤め、さらにはスコアラーとしてベンチに入る経験もした。
 そこから言うと、サッカーでいう「サポーター」の立ち位置に関する(おそらくは事情を知らないことからくるのではあるだろうが・・・)異和が先行している。
 それは、どんなに一生懸命でも、応援という“サポート”で、日常の大きな部分をそのチームへの関心に向けていること(及びその人々が自分を「サポーター」と認識していること)への異和だ。これは、じぶんに言わせれば、自己欺瞞じゃないのか・・・となってくる。
 おれは、じぶん自身から離れたところにあるものには、けっして自己実現や自己証明を求めたりしない・・・という意識がある。
だから「ファン」にはなっても、サッカーでいう「サポーター」にはなりたくない。
 ・・・なぜか、プロ野球の「応援団」だと、まだ許容できるのではあるが。


 さて、次はJリーグへの異和について。

 モンテはJ2が発足したときからのJ2加盟チームで、これまでずっと昇格できないできた。・・・しかし、昇格できないのは「モンテディオ山形」というチームであって、チームの監督や選手だったわけでは必ずしもない。(逆に言えば、チームが昇格したからといって、メンバーの多くが昇格できるわけではない。)
 つまり、これまで何度か昇格争いに絡む好成績をあげてきたのだが、その成績に応じて、何人かの監督や選手はモンテを去って「J1に昇格」してもいるのである。
 実績を上げる活躍した指導者や選手が評価され、J1のチームやJ2のチームに引き抜かれる・・・プロ・スポーツにおいて、これは当たり前であり、必要不可欠なことだとは思うが、しかし・・・である。

 プロ野球のように、ドラフト制度もなければFAもない。
 ようするに、金や地位を求めてチームの構成員が動く度合いが相対的に大きく、<チーム>(サッカーでは<クラブ>というべきか・・・)というものにおける構成員集団のアイデンティティが、希薄というか、流動的過ぎるのである。
 ・・・にも拘らず、人々は「地元のチーム」だと言って、ホームチームを応援する。
 じつは、「地元のチーム」なんて、その内容がコロコロ変わる代物で、変わらないのは「地元のチーム」という枠組みだけである。要するに、それは<共同幻想>である。
 地元のサッカーチームという共同幻想に想い入れするということを全否定する気持ちは毛頭ないが、しかし、そこに<内実>つまりアイデンティティを求める思考を失いたくないと思う。
 つまり、来期J1に立つモンテが、小林監督とともに清水や豊田や宮本や根本や財前やレオナルドや・・・を擁して存在するということ・・・現在のJリーグのあり方からして、それが不可能であっても、である。

 さて、こんな捻くれた理屈を捏ねてはいるものの、やはりじぶんもモンテのJ1昇格を渇望しているし、あのゴールが決まったときの興奮や得点差を守りきったときの喜びはなんとも言えない感動である。
 心のある部分に異和を持ち続けながら、じぶんはこれからもあまり熱心でないファンとして、ときどきスタジアムに足を運ぶだろう。





 最後に余談だが、スタジアムの売店で売っていた「勝(かち)ピー」。
 地元の菓子メーカー「でん六」の柿ピーだが、これに座布団一枚!
 ボリューム満点(85g)で100円とは安い。386kcalもあるので、食べ過ぎに注意。





  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 15:28Comments(0)スポーツ

2008年11月16日

「太田三郎―日々」展



 山形美術館で「太田三郎―日々」展(2008.11.1〜11.30)を観た。

 太田三郎については、このブログの2007年8月16日付の記事「『coto』第14号」で書いたように、同誌に掲載された佐伯修「雲と残像―現代美術を媒介として 種子と遺言(上)」を読み、また同誌第15号で、その続きである「雲と残像―現代美術を媒介として 種子と遺言(下)」を読んで興味を引かれていたので、その太田の回顧展が地元山形で開催されると知り、少し楽しみにして晩秋の山形美術館を訪れた。

 まず1階の展示室には「POST WAR」というシリーズの「切手」作品がずらりと展示されている。
 「POST WAR 50」(1995)は、中国残留孤児たちの肖像写真を切手にした作品。
 そして、「POST WAR 54」(1999)は被爆地蔵、「POST WAR 55」(2000)は被爆樹、「POST WAR 56」(2001)は戦没画学生慰霊美術館「無言館」に収蔵された戦没画学生の作品(自画像など)、「POST WAR 60」は被爆者・・・と、こんな素材たちが私製の切手にされ、1シート20枚の組にされて額に納められている。

 つぎに「Seed Project」と題された一連の作品がある。
 太田は、1991年から、植物の種子を採取し、それを私製切手に封入した作品を製作してきている。また1995年1月1日からは、種子を採取し、それで切手を作ることを日課にしてきたという。
 また、このバリアントとして、牛乳パックから再生されたパルプに種子を漉き込んで葉書にした作品もあった。1万枚の葉書が紐に連ねられて天井からぶら下がっている・・・。

 太田は、コメントの書かれたパネルで、このように郵便で種子を遠くへ飛ばすことは「未来に対して肯定的な気持ちになる」と言っている。
 また、「Seed Project」の一連の作品に付随して、「Seedy Clothes ― Gift for Parents」と題された作品もある。これは、種子の入っていた鞘を写真に取り、その画像を並べて切手にしたものである。太田は、この作品を「命を生み育んで世に送り出したすべての『親』たちに捧げる」とコメントしている。

 2階の展示室に上がると、そこには「Data Stamps, 5 July 1985 to 14 July 2008」と題された切手シート作品が、額に入れられて広い展示室の壁にずらりと並べられている。
 1つの額には、1シート100枚の40円の官製切手が入っていて、それらの1枚1枚に、毎日の消印が押されている。
太田は1985年7月5日から、毎日郵便局を訪れ、持参した切手に消印を押して、それを返してもらうということを日課にしてきたのだという。
 パネルには、毎日消印を押してもらうということに意味を見出していても、「これは作品でないかもしれない」という「おそれ」を払拭できなかった・・・と書かれている。
 ところで、なぜそれが40円切手なのかといえば、郵便局は40円以上の切手でないと消印を押してくれないからとのこと。しかも、1986年以降は、これが50円以上の切手に値上がり?したという。
 ということは、太田のように、郵便局に切手を持参し、消印を押して返してもらおうとする人間が他にもいるということかもしれない。

 2階の展示室の壁には、また別の作品もあった。
 日本各地の郵便局の消印を押した切手を壁に貼り付けて、その壁に切手で日本列島を模った作品や、これも日本各地の郵便局に、鉄腕アトムの誕生日(2003年4月7日)の消印を、鉄腕アトムの官製切手に押印してもらって、その郵便局の位置に切手を貼ることで壁面に鉄腕アトムが空を飛んでいる姿を模った作品(それは例の、右手の拳を前に出し、左手を胸のあたりに曲げて構えた典型的なアトムの飛行スタイルだ)など。

 総じて、その切手や葉書の作品群の数に圧倒される。数に圧倒されるというよりも、その小まめな造作と持続された作業量に圧倒されると言った方が正確かもしれない。
 しかし、その種子と消印スタンプの数を見せつけられれば見せつけられるほど、じつは異和が膨らんでもきたのである。





 その異和について、少し述べてみたいと思う。

 その異和の第一は、「Seed Project」の意図に関するものだ。
 佐伯修の「雲と残像―現代美術を媒介として 種子と遺言(下)」に、太田の発言が引用されている。太田は、このプロジェクトの本当の意味を、切手に封入された種子をなるべく遠方に飛ばし、それを実際に播種してもらうことにあると言っている。
 ところで、佐伯は自分のことを「もともと広義の生物学畑の出身である私にとっては、近親感を覚える」と太田の切手作品について述べているが、これも含めて異議を唱えておきたい。
 生物学、とりわけ生態学を齧った人間なら、種子を郵便で飛ばして、その先に播種するなどということを認めることはできないだろう。
 もっと本質的なことを言えば、太田は、種子が郵便で遠くへ運ばれそこに播種されることを意図しているが、その届けられ播種される先に、すでに“先住民”たる植物が自生しているであろうことに想像力が及んでいない。
 これは「未来に対して肯定的な気持ちになる」どころか、手前勝手な幻想で、生態系の撹乱をもたらすかもしれない「プロジェクト」なのだ。少なくとも山形県内には、こんなものを送り付けないでほしい。(笑)

 あるいは、このようにも言うことができるかもしれない。
 これらの夥しい種子・・・それを太田は毎日毎日採取し、切手や葉書に封入し、そして作品として、吉本隆明風にいえば、額に“ピンでとめて”きたのである。
 しかし、太田の作品において種子は遠くへ飛ばされ未来に伝えられるものだとしても、種子それ自体としては、まず“そこ”に落ち、“そこ”で発芽しようとしていたのだ。
 採取者は、とりあえずは、種子がその場所で発芽する可能性を奪っている。そのことを自覚しているだろうか。

 あるいは、もっと別の角度から言えば、植物も含め、そもそも生物とは、そんなに大人しくて美しいものではない。それは生々しく、言い換えればグロテスクなものであり、個別種は見苦しいほどに貪欲なものだ。
 だからこそ、ある種が膨大な種子を産出しても、その拡散は限られ、自然のなかではほんの一部しか生育しないように仕組まれている。生物への畏れ、そして種相互間の相互抑制や均衡という自然の狡知への配慮がない者は、種子すなわち生命の可能性の未来を取り扱うべきではないのではないか・・・。(と、じぶんは、また知ったかぶりをする。しかし、たまたま、現在、自然環境関係の仕事をしているので、こうなってしまうのである・・・)


 異和の第二は、郵便局のスタンプに関するものだ。
 太田の作品では、郵便局のスタンプが「自己確認」や「自己証明」として先験的に規定されている。
たとえば、切手に消印を押してもらうことが、その日に自分がそこに存在したことの証明になるとか、郵便局の消印が押された切手で模られた日本列島のなかに、ある町の郵便局の消印が押された切手があることで、その年月日にその町が存在したことの証明になるとか・・・。
 なぜこんなに「郵便局」を疑わずに作品を形成できるのか。郵政が民営化された今日ではなおさら、この前提はあまりにお目出度いし、欺瞞でさえある。
 無論、太田の作品の多くの部分は、郵政民営化や郵便局の統廃合など考えられもしなかった時代のものである。しかし、そんな時代であったとしても、いや、そんな時代だったからこそ、郵便局の消印を先験的に「証明」と看做して疑わない営為が作品化されていることに、安直で凡庸なものを感じてしまう。
 もし、郵便局が存在の証明機関であるならば、それが廃止された田舎では、人間の存在も日時も証明されえないということになるではないか・・・。

 さて、ここまで表面的に批評してきて、ふと立ち止まる。
 いや、ひょっとして逆なのかもしれない・・・太田は「証明」を求めて、種子の採取や郵便局の押印を日課にしてきたが、意識的か無意識的かを問わず、そもそもそれらの証明力が空無であること、もしくはそれらを信じられない自分がいることを悟っていて、まるで強迫神経症患者のように、その空無を埋めようとして、こうしていつまでも同じ営為を止められないのではないか・・・などと。


 晩秋の曇り空・・・山形美術館の喫茶から見える曇天下の霞城公園の紅葉は、それはそれで、憂鬱そうに味のある雰囲気を醸し出していた。日曜日の午後だというのに入場者は疎らだった。
 私はここでは批判的に言及したが、この作品展が語りかけてくるものは小さくない。
 例の山本幡男の遺書のテキストを筆写した太田の作品「最後に勝つものはまごころである」も、展示されている。

 観覧をお薦めしたいと思う。11月30日までの開催である。




  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 11:12Comments(0)美術展

2008年11月02日

横浜トリエンナーレ 2008



 「横浜トリエンナーレ2008 YOKOHAMA TRIENNALE TIME CREVASSE」を観た。

 展示会場は全部で7箇所だったが、そのうち主な3会場を回った。
 一日目に「横浜赤レンガ倉庫1号館」と「新港ピア」。二日目に「日本郵船海岸通倉庫」。
 まわった会場の順番で、印象に残った作品について記す。
 作品カタログや出品アーティストの紹介が記載されたガイドブックを購入しようとしたが、内容がつまらないので購入しなかった。だから作品の印象は、ほとんど記憶を呼び起こしながらのものである。
それでもよろしければ、以下をお読みいただきたい。

 ・・・と書いて、この展覧会が写真撮影OKなのだったことを思い出した。
 これはいい・・と思って何枚か写真を撮ったが、印象的だったのはインスタレーションと上映されていたパフォーマンスの映像だったので、これから述べようとするそれらの作品の写真は撮っていない。写真を撮りたいと思う作品は、写真をとっても仕方ない作品だったのである。・・・どうりで、写真撮影OKなわけだ・・・あっは。


 「横浜赤レンガ倉庫1号館」に入って二階に上がったところに、パンフレットでは「映像資料展示」という展示室がふたつ続いてある。
 すぐに目に入ってきたのは、土方巽の「肉体の反乱」(1968年製作の白黒フィルム)だった。
 まずこれにがっくりくる・・・。いつまで土方巽を有難がっているんだ・・・と。
 これで、この会場を構成したキュレーターのレベルが知れる。
 実際、この会場の作品はどれもつまらないものばかりだった。

 しかし、ひとつだけ、ぜひ記しておきたいことがある。
 土方のフィルムから目先を転じると、別の画面に、どこか妙にヘンテコな白黒フィルムが上映されている。プレートを読むと、作品名が「バス名所観光ハプニング」(1966年)とある。

 ここで言及しておきたいと思ったのは、ある意味かなり幼稚なパフォーマンスを記録した、そのサイレント・フィルムに映し出される風景と登場人物たち(バス観光の客たち)が、私服ながら、ずいぶん“普通のサラリーマン”と“普通のOL”という感じだったからである。
 彼らは、まず、東京駅の丸の内口前に列を作ってバスを待っている。背景に旧丸ビルが見える。
 やっとバスがきて、男女30人ほどが乗り込むと、バスは「観光地」?周りを始める。
 製作者(パフォーマンスの仕掛け人たち)が指示するとおり行動して、どこかの公園か寺の境内みたいなところで、細い紐で互いに結びつけられたり、海岸の埋立地でテレビに何か塗料のようなものをぶっ掛けてそれを海に投げ入れたりする、実につまらないパフォーマンスに、ほんとにニコニコしながら付き合っている。
 このひとびとの、60年代のマジメさと素直さが滲み出る“フツー”過ぎる服装と表情と、たわいない笑みとが、この2008年の現代美術の作品展のなかで、実に奇妙な味を醸し出している。
 あまりに日常的で、ありきたりな存在が、なぜか逆にもっともキッチュに感じられる。
おいおいおい、などと言いながら、手をたたくところだった。作品としての質は別として、これが、たぶんこのトリエンナーレで最も観るに値する作品である。


 次に訪れた「新港ピア」の作品たちは、・・・これまた期待を裏切るものだった。
 言及したい気になるのは、インドネシアの作家、クスウィダナント a.k.a. ジョンペット( Kuswidananto a.k.a. Jompet )のインスタレーションである。

 展示室に入ると、コートや上着を着、靴を履き、帽子を冠った透明人間たちの鼓隊みたいな展示がある。そいつらが電子回路のシーケンス制御?みたいなもので、太鼓をたたいたり、なにか電子楽器を鳴らしたりして、間歇的に短く演奏する。
 展示室の左右の壁には映像が映し出されていて、そこでは上半身裸の男が、ムチのようなバチのようなものを振り回しながら踊っている。そのムチのようなバチのようなものの打撃に合わせて、透明人間たちの楽団が演奏するのである。映像の動きと、電子制御で太鼓をたたく単純なメカの動きが相即している。
 このうちの何が印象に残ったかといえば、電子制御で鳴りだす楽器たちの鳴り具合・・・つまりその間歇性だ。それは人間の存在しない空間で、きわめて機械的に鳴り、そして止む。
 だが、なにかが存在する・・・アーサー・ケストラーの“機械の中の幽霊”とまではいかなくとも、そこに、なにかの気配を感じる。それは禍々しい欲望を沈めたイドのようなもの、あるいはイドの痕跡のようなものだ。



 さて、二日目の朝、山下公園を歩いて、三番目の会場「日本郵船海岸倉庫」を訪れる。

 まず目に入るのは、倉庫の外に立てられた舞踏家・田中泯の、錆びた波トタンで作られた掘っ立て小屋である。軒先に、捩れた傘のついた白色電球が灯っている。
 しかし、中に入ると、あるのは田中が街中で舞踏する映像を流し続けるモニターだけ。
 このトリエンナーレのパフォーマンスなのか、ありふれた街中の商店の前で、アル中のホームレスのような格好の田中が、老人みたいに緩慢な動作で、道端で寝たり起きたりしている。
 舞踏家のダメなところは、この単独舞踏に現れる。
 パフォーマンスには、ぜったいに演出(家)が必要なのだ。つまり、他者による批評的構成意識なくして構成された演戯は、どんなに曰くありげでも夜郎自大な駄作になってしまう。こういうことを、誰か批評眼のあるやつが、面と向かって舞踏家に言ってあげればいいのだが。


 さて、この会場は前の2会場とは違って、少しは見応えがあった。
 会場の倉庫のなかに入ると、1階に、まず印象的なインスタレーションが置かれている。
 勅使河原三郎の“ガラスのタイムトンネル”みたいな作品である。

 向こうへ向かって伸びる廊下のような細めの白い空間(奥行きのある箱と言ってもいい)を覗くように、客席が設けられている。
 廊下の左右と上の壁のいちめんに、ガラスの破片が突き刺さっていて、これに、電子制御されたライトが、客席の頭の上から電子音楽に合わせて照度を変化させながら照明を当てる。
 やわらかい地の光は、しかしガラス片の断面のところでははっきりと反射して輝きを生み、そのコントラストが神秘的な時空を演出する。
 廊下の床面はガラスの破片で敷き詰められているが、そのうち奥の一部が振動して、廊下の向こうから何者か(おそらくは目に見えぬ存在が)やってくるかのような気配を醸し出す。
 時間の経過に伴って、床面にスリットを通した光の線ができ、やがてそれがX型に現れる。(ここで、う〜〜ん、これじゃまるで「Xファイル」じゃないか・・・なんて思ってはいけない。)
 この種のインスタレーションはよく見かけるじゃないか・・・なんて気になるが、この作品は音楽と照明の完成度が高く、そのぶん、作品世界に浸かれる幸運な時間をもたらす。





 この展示会場でもっとも話題になっているらしい?のは、マシュー・バーニー(Matthew Barney)の「ヴェールの守護者」というパフォーマンスの映像である。
 展示スペースの入場口に注意書きがあって、人によっては不快を感じる場面があるので、それを了解して入れとある。すぐさっき、1階でヘルマン・ニッチュの、素っ裸の男の腹の上で、ざっくり腹を切り開かれた豚の内臓をグチュグチュ弄くりまわすパフォーマンス映像を見てきたのだが、そこにも同じような注意書きがあったので、こんどはなんだろ!?と思って、ついつい最後まで映像に付き合った。
 この映像の展示区画は、暗闇のなかにベンチがおかれていて、それに腰掛けて上から吊り下げられたモニター画面を見上げるようにつくられている。ベンチに座って見上げる角度がけっこう急で、かなり首が疲れる。なにせ42分の上映時間である。
 途中ちょっと居眠りが出たが、結局最初から最後までこれを観た。あの注意書きがなければ、居眠りの出てきたあたりで席を立っていただろう。有名なマシュー・バーニーの名を知らない観客を最後まで引きつけておくには、くだんの注意書きが必須である。
 自分はこの有名なアーティストを、たぶんほとんど知らなかった。名前くらいは聞いたことがあるような気がする程度で、つまり先入観なしにこの映像を見た。

 最初に、その映像の内容を、記憶を頼りに記してみる。

 まず、始まりのシーンがいかがわしい。
 なにか高級そうなホテルのロビーかホワイエみたいなところを、人垣を掻き分けるように、担架を担いだ男たちが歩いていく。  男たちは屈強そうで、おそろいのトレーナーを着ている。フードで顔を隠している者もいる。
 担架の上には女が乗せられている。まるで何かの生贄にされる存在でもあるかのように、だ。
 担架の行進の背景に、バグパイプのような音が鳴る。これも、メロディを奏でるというのではなく、間歇的に音を上げるという感じだ。(あっは。ここでも“間歇的”がミソだ。)

 行進は、目出し帽を被り、迷彩色のズボンをはいて、銃の代わり(?)に小さな弦楽器(ウクレレや小さなバンジョーくらいの大きさで、共鳴する胴の部分が無いようなもの)を胸のところで抱えた屈強な男たちに先導されている。かれらは傭兵か秘密結社のボディガードみたいないでたちである。
 ロビーみたいなところを歩いていくシーンで、周りに観客たちと思しき人々の姿が映る。彼らの身なりが上品そうで、白人のミドルクラス以上の人々だと思われる。すると、これがミドルクラス以上の階層やインテリたちに人気があるであろう、おそらくは有名なアーティストのパフォーマンスなのだということが分ってくる。

 行進は、やがて階段を下り、ホールの客席に入る。
 そこで、ステージの緞帳が上がり、舞台の上のオブジェが姿を現す。ちなみに、この緞帳には「SAFETY ○○○」と文字が入っている。(○○○に入っていた単語を憶えていない。VEILだったのか、GUARDだったのか・・・)

 舞台の奥中央に、緑色の自動車(セダン)のスクラップが置かれている。圧搾機に放り込まれ、左右上下から潰されかかったのを、スクラップ工場から救い出してきたみたいなポンコツである。
 担架を担いだ男たちは客席からステージに上がり、女を乗せたままの担架を、その車の屋根の上に載せ、担架から色のついた布をするすると2枚引き出して、車を覆うように垂らす。
 このシーンで、カメラの視角から、やっとこの場所がオペラハウス(それも由緒がありそうな)のステージらしいことが判る。ステージの手前の落ち込みは、オーケストラピットだったことにも気付く。

 スクラップのセダンの下から、手前(観客席側)に向かって、半島みたいに白い土台が突き出していて、その先端に全裸の人間を模った人形が、尻を客席の方に向けて立っている。顔は隠れていて見えない。片手で杖を持ち、もう一方の手を尻の穴に当てている。指を尻穴に突っ込んでいるのかもしれない。
 すると、黒子(といってもトレーナー姿の屈強な男)が二人出てきて、ステージ上で、なにやら箱のような機械を弄り始める。これは生ゴムみたいなものを伸ばして張る機械だった。
 男たちは、四角い木枠のようなものに張られた生ゴムを、その全裸の人間の人形(ここで、それが人形ではなく、生身の女らしきことが判る)に頭から首まですっぽりと被せ、そのまま立ち去る。
 そして間もなく、神官然とした“犬男”が現れる。

 この犬男の造形は秀逸だった。
 秀逸と言っても、仕掛けは、首と背中のところで肩車するような位置に生きた犬を固定し、犬の上半身が男の顔に見えるように、男の顔と犬の下半身をベールで隠しただけのものだ。(窮屈で犬が暴れださないかと心配したが、取り越し苦労だった。犬は終始大人しく“顔役”を果たした。)

 犬男は、儀式をするかのようにゆっくりと動作を続け、車のボンネットから黒子の介添えで部品らしきものをひとつずつ取り出しては、手前に置かれた瓶のようなものに入れるということを、何度か繰り返す。(・・・ここでじぶんは睡魔に襲われた。)

 音楽は、オケピットではなく、二階か三階の客席に陣取ったバイオリンなどの弦楽隊に生演奏されている。私服で演奏している女性のバイオリニストらがちらっと映し出される。
 ときどき、あの傭兵みたいな男が、犬男の前で手下のように傅いて、自分のもっている楽器をポロンと爪弾く。

 だいぶ時間が流れ、やがてクライマックスに至る流れとなる。
 まず、薄いベールの衣装を身に纏い、客席の後ろにずっと立っていた女たちが二人、巫女でもあるかのように静々と前に進み出てきて、舞台に上がる。彼女たちの大腿部はダンサーのように筋肉質だ。
 そのうちのひとりが、中央の車から出ている例の半島みたいな白い土台にセットされたパネルらしきものの前に出てきて、客席に向かって立ち、そのパネルに身を任せるようにブリッジで身を後ろに反らしていく。
 すると裾の短い衣装がはだけて、裸の下半身が性器も含めてあからさまに披瀝され、客席から(つまりはカメラからも)丸見えになる。・・・あっと思う間もなく、その股間から勢いよく一筋の小便が噴出する。
 ここで舞台上手の視角から舞台が映し出されると、そこに映るもうひとりの女も、客席に向かって立ったまま、小便を垂れながしている。小便を垂れた後、この女もパネルのところに進み、ブリッジする。(ただし、この女=役者は、やや体が硬いのかブリッジがスムーズにできない。)

 二人のブリッジが完成したころ、舞台後方の上段から大きな生身の牛が引き出されてくる。
 牛は、屈強な男に曳かれながらゆっくりと歩いてスロープを降り、ステージ上のオブジェの周りを回る。
そして、車の後方にまわり、トランクのあたりに頭を向けたところで、しばし止められる。
 じつはこのとき、“もしや、牛刀かなにかで牛の首が刎ねられるのではないか。ああ、それは見たくないな・・・”という思いが、自分の頭をチラリと過ぎった。

 助かったことに(苦笑)、牛は動き出し、舞台から消える。
 すると今度は、カメラの視角が中央前面の、例の生ゴムの枠を被せられた全裸の女に当てられ、その尻から手が離されると、肛門から下痢便のようなものが垂れ落ちる。
 ここですぐに緞帳が下り、向こう側の危険な世界とこちら側の世界が隔てられて、儀式は文字通り幕を閉じるのである。


 この記録画像を観てすぐに感じたことは、このパフォーマンスの製作者が、おそらくは一部で知識人層(「ヤッピー」などという死語を使うと歳がバレルか・・・)あたりから高い評価を得ている人だろうなということだった。
 なぜなら、そうでなければまともなオペラハウスが、小便や下痢便を垂れ流すようなパフォーマンスに会場を貸すはずがない。それに、だいぶ経費がかかっている風が伺える。小便女や黒子も含めて、画面上に現れる人々の素振りも、どうもプロ臭い。

 凡庸な解釈を下してしまえば、作者は、上品な芸術文化の俎上であるオペラ劇場のステージの上にディオニソス的な祭儀の世界を開示すべく、これを車のスクラップやら傭兵やら女の生贄やら犬やら牛やら糞尿の垂れ流しやらという闡明なシンボルによる構成として表出し、観る者にがっつりと提示する。
 そして、その世界を最後に“守護のヴェール”で隠すことによって封印し、日常への回帰を促すことで、観る者たちに安堵感を得させ、それをもって逆に後ろめたさや自己嫌悪のような障りを刻印しようとしている。
 もちろんこのことは、マシュー・バーニーが意識していようと意識していまいと、このパフォーマンスの作者・演者と観客との関係にも、さらにはこの映像の製作者にさえも、メタレベルで跳ね返ってくる。
 ようするに、おめぇたちはみな同類で、御目出度いスノッブじゃねぇのか?・・・とでもいうように。


 さて、そろそろ例によってひとつ難癖をつけて、この文を締めくくりたい。

 この映像を観て、いちばん感じたのは、じつはこの「作品」の内容についての異和や不満というようなものではなく、この映像が、このトリエンナーレで「作品」ででもあるかのように展示されていること自体への異和感だった。

 たとえば、舞台演劇の映像は、「演劇作品」ではありえない。
 マシュー・バーニーの「ヴェールの守護者」というパフォーマンスは、おそらく、オペラハウスに観客を集め、それらの観客の前で演じられたものであるだろう。(もし最初から映像作品としてのみ意図されて製作されたものであったらこの言及は陳腐な批判になるが、最初のシーンに映っている観客らしき人間たちが、その後、オペラ劇場の観客席に入ったと想定することは自然なことであるだろう。あるいはまた、カメラが舞台袖から撮った視角はあっても、舞台上で撮影したようなカットが一切存在しないことからも、それは言えそうな気がする。)
 これがもし舞台上で観客に生で提示されたパフォーマンス作品だったとしたら、その記録映像は「パフォーマンス作品」ではありえないだろう。たとえば、この文の最初で取り上げた「バス名所観光ハプニング」は、正当にも「映像資料」として上映されていた。
 だが、奇妙なことに、ここではこれがマシュー・バーニーの「作品」として展示されているのだ。

 ところで、同じ会場の1階には、先にちょっと触れたヘルマン・ニッチュ(Hrmann Nitsh)の展示室があり、そこでは例の豚の血みどろ屠りパフォーマンスなどの映像が、4つほどのモニターで上映されているのだが、こちらは、じつは大きな展示スペース全体を、まるで儀式の行われる場であり、パフォーマーのラボラトリーでもあるかのように構成した空間作品の一要素として、つまり他のいくつかの写真や家具や棚の展示とともに全体構成物の要素として提示されているのだ。これは映像の上映という性質のものではなく、その作品としての質は別として、たしかに全体としては辛うじてインスタレーションと言っていいものだと思われた。
 しかし、マシュー・バーニーのこの映像記録は、“ただの映像”である。

 こんなふうに考えていくと、展示構成者のセンスというかエチカというか、そういうものが疑わしくなってくる。
 これが、今回の横浜トリエンナーレを観た感想のうち、もっとも大きな部分を占める異和である。


 小林武久のインスタレーションにも触れたかったが、もう書くのに疲れた。
 小賢しそうだが他者の視線を欠落させているのでつまらない多くのパフォーマンス映像やインスタレーションを見て歩き、一息入れようとカフェに入ったら、そこに錆びた荷揚げ用のクレーン塔が立っていた。
見あげると、カラスとハトが一羽ずつ止まっている。

 これがいちばんゲージツ的かなと、写真を撮った。                                                                                                                                                                                                                                        

  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 21:53Comments(1)美術展