2015年01月05日

2014年のモンテディオ山形を振り返る




 2014年のモンテディオ山形を振り返っておきたい。

 2014年シーズン、個人的ないくつかの事情で、前シーズンに比べてスタジアムで観戦する機会は減ったが、それでもホームゲームは6回ほど観戦した。
 とくに、7月の第22節・第23節のホーム2連敗(+第24節のアウェイ1敗)、10月26日の第節の横浜FC戦(2-4で負け)、そして11月23日の最終節の東京V戦(1-2で負け)の印象が強い。
 だから、じぶんにとって、モンテディオ山形2014年シーズンの結果は、「思いがけないJ1昇格」そして「思いがけない天皇杯準優勝」ということになった。・・・すべてはこの“思いがけない”の一言に尽きる。

 もちろん、マスメディアや巷間で語られるように、終盤戦で発揮された粘り強さは石崎信弘監督の指導が徐々に効果を現してきた結果だとみることができるし、後半戦から採用した3バック(すなわち5バック)のシステムとメンバー出し入れの采配が奏功したことは確からしく思われる。
浦和から獲得したGK山岸やガンバから獲得した川西らの働き、ディエゴや松岡の存在感、3バックシステムのキモとなる両SBの山田とキムの進歩などに、補強と指導・采配の成果を見てとることができたし、石川、石井、山崎、宮坂、伊東らの踏ん張りも印象に残った。
 しかし、依然として “点を取られそうな時間帯だな・・・”というときに、しっかり点を取られてしまう守備の乱れやイージーミスが発生するという事態が目立った。
 プレーオフと天皇杯準決勝はさすがに別だったが、リーグ戦ではしばしば、私のような素人の目にもはっきりと分かる程、緊張感が途切れる時間が見られたのである。(もっともこの緊張感が途切れる時間の長さと回数は、昨シーズンまでより減少しているようには思われた。)
 また、ゴール前に攻め込んでシュートまでいくのに、それが得点につながらない。いわゆる“決定力不足”も目立っていた。
 いい流れがきて波状攻撃ができている時間帯に得点(または追加得点)しきれないことで、その後に逆襲されて失点する・・・じぶんが観戦に行ったゲームは、ほとんどがそんな印象だったのである。
 だから、リーグ戦終了時の「J2の6位」というのは実力に見合った位置であるように思われた。
 
 では、なぜ「プレーオフ優勝=J1昇格」と「天皇杯準優勝」が可能になったのか。
 ここをちゃんと押さえておかないと、2015年シーズンに対するヴィスタが開けない。
 11月26日の天皇杯準決勝の千葉戦、11月30日のプレーオフ準決勝の磐田戦、12月7日のプレーオフ決勝の千葉戦、12月13日の天皇杯決勝のG大阪戦と、この4連戦の経緯には、いくつかの幸運が与していた。
 まず、天皇杯準決勝の千葉戦を想い出してみる。
 モンテは「ヤンマースタジアム長居」のゲームで千葉に3-2と、しぶとく勝利した。このゲームが、実はJ1昇格をめぐる天王山だったのである。
 モンテはこの3日前に、「J2の6位」というギリギリの位置でリーグ戦最終節の東京V戦に臨んでいたのだったが、「勝てば自力でプレーオフ出場決定、負ければ他チームの結果次第」という肝心のゲームで敗北を喫する。ところがプレーオフ進出を狙う7位以下のチームも敗れたため、“幸運”にも6位でリーグ戦を終えることができたのだった。
 リーグ戦最終節終了後(シーズン終了後)のセレモニーは、敗戦でのプレーオフ出場決定という事実の前に、スタジアム全体がいまひとつ盛り上がりを欠いていた。
 しかし、今にして思うと、この最終節(第42節)の東京V戦の敗北こそが、モンテに“切り替え”の機会を与え、新規巻き直しを可能にさせたように思われる。
 ここまでモンテはプレーオフ出場権をめぐるリーグ戦終盤の迫り合いで第39節から3連勝していた。プレーオフに優勝して昇格を決め、しかも天皇杯決勝に進出するためには、第39節から数えて、なんと7連勝もしなければならなかったのである。
 申し訳ないが、今シーズンのモンテに、このようなきわどい状況下で7連勝もする実力があるとは考えられなかった。ようするに第42節の東京V戦は、「勝たなければいけない試合」でありながら、同時に「できるならここら辺りで一度減速しておきたい試合」でもあった。
 ここでモンテが<幸運>だったというのは、第一に、最終節で敗れたにも拘わらず他チームの敗戦によってプレーオフ出場権を得たということ、そして第二に、その先に進むにあたっていいタイミングで敗戦し、仕切り直しの機会を得られたという意味である。

 さて、11月26日(水曜日)の天皇杯準決勝は、モンテと千葉と、どちらが勝ってもおかしくないゲームのはずだった。(平日なのでじぶんは仕事中。テレビ観戦さえできなかった。)
 モンテのHPのゲーム解説や山形新聞の記事によれば、勝因として、同点に追い付かれた石崎監督がシャドーの山崎をMFのロメロ・フランクに換え、トリプル・ボランチ気味に守備を固めさせたことが、3点目に繋がったと評価されている。
 リーグ戦3位の千葉は、プレーオフ決勝で磐田と対戦することを想定し、今季リーグ戦で千葉が1勝1分で勝ち越している山形を少し舐めてかかり、当面の全精力をぶつける相手とは看做していなかったのではないか。これと反対に、山形は天皇杯準決勝をプレーオフ決勝戦の前哨戦(あるいは同決勝戦の一部)として位置付け、必勝を期していたはずである。
 ここで、プレーオフ決勝で“必ず千葉と当たる”と考えて天皇杯準決勝に臨んだモンテと、プレーオフ決勝で“どちらかと言えば磐田と当たるだろう”と考えて天皇杯準決勝に臨んだ千葉の差が出た。この差は、モンテと千葉が置かれた状況の違いからきている。
 天皇杯準決勝だけを見れば、ここでモンテが勝てたのはここで言う<幸運>ではないが、この結果はプレーオフ決勝戦における次の<幸運>の伏線となっていく。この勝利が次の勝利の伏線となっていく状況に置かれていたこと、そのことが第三の<幸運>である。

 モンテは大阪で行われたこの天皇杯準決勝の僅か4日後に、今度は磐田のホームでプレーオフの準決勝を戦う。
 磐田には、リーグ戦最終節から1週間の余裕があり、しかもホーム。さらには同点でも決勝に進めるという三重のアドバンテージがあった。
 しかし、その磐田はモンテとは対照的に、リーグ戦終盤で勝ちきれないという状態の継続に悩まされていた。上昇機運のモンテと、1年でのJ1復帰が当然のように期待されていながら終盤戦の停滞でいやな雰囲気が漂う磐田の対戦・・・タレントの差はあっても、ここは面白い戦いができそうだと思われた。
 というのも、2009年に小林伸二監督率いるモンテがリーグ開幕戦で磐田に大勝して鮮烈なJ1デビューを飾って以来、モンテにとって磐田は相性の悪い相手ではなかったからである。
 そして、ゲームでは、まず勢いに乗るモンテが先制する。この先制点が大きかった。磐田のアドバンテージがこの1点で消えた。
 しかしこれで磐田のスイッチが入り、モンテは同点に追い付かれる。同点に追い付かれたということは、プレーオフのルールでは磐田にリードを許したということに他ならないが、もしモンテが先に追加の1点を取れば、今度は立場が再度逆転する。ここにプレーオフの醍醐味があるのだが、この同点という状況下では、当該時点でのチーム力に大きな開きがない限り、ゲームの終盤ではほぼ下位チームに押せ押せの流れが来る。
 そして、後半アディショナル・タイム・・・コーナーキックからあのGK山岸の劇的な(もっといえば奇跡的な)ヘディングのゴールが生まれる。“サッカーの神様”がモンテに味方した・・・これが言うまでもなく第四の<幸運>である。

 さて、問題のプレーオフ決勝戦(12月7日・味の素スタジアム)である。
 千葉は11月26日の天皇杯準決勝での敗北を踏まえて、モンテ攻略法を徹底して準備してきたはずである。モンテはプレーオフ準決勝のゲームで主軸のディエゴが負傷し、このゲームではベンチスタートになるという不運に見舞われていたが、代わりに出場したFW林が健闘する。
 前半、モンテが宮阪のコーナーキックに山崎がヘッドで合わせて先制点を取る。いつも精力的に動き回る山崎らしい位置取りだったが、これも背後斜め方向に流すヘディング・シュートで、飛んだコースが絶妙だった。この先制ゴールもまたラッキー(第五の<幸運>)だったと言わなければならない。
 後半の半ばから、モンテの選手たちは勝利を意識して硬くなったように見えた。(石崎監督は、後のインタビューで自身も選手たちも冷静だったと語っているが、選手たちは硬くなっているようだった。)
 というのも、攻め込んでくる千葉からボールを奪っても味方にパスを通すことができず、遠くへ蹴るだけ。そしてセカンドボールを殆ど千葉に奪われていた。コーナーでボールのキープを始めた時間帯も早すぎるように思われた。
 しかし、このように泥臭く闘うことがモンテらしいゲームだった。追加点を取って相手に止めを刺すという選択肢を捨てて、1点を守り切ることに集中する戦いができたことが勝利を呼び込んだということだろう。


 こうして、一般に言われる「プレーオフでは下剋上が起きやすい」という枠組み・ルール上の傾向と、モンテをめぐる天皇杯とプレーオフの対戦組合せとが絶妙に絡み合い、いくつもの<幸運>が重なった結果が、「J2で6位」の実力だったモンテをJ1に昇格させたのだという事情が見えてくる。
 一方で、リーグ戦までのモンテの動員力はどうだったのか。
 J2降格後の一年目、奥野僚右監督の指揮の下で2012年のリーグ戦の前半を首位で折り返したときまではよかったものの、それ以後、ホームの観客動員数は低迷してきていた。
 これは2014年シーズンから「株式会社化」されたにも拘わらず改善されずにきた。
 ホーム・スタジアムの客層を観察していると、たしかに5,000人ほどはコアなサポーター層がいて、この部分は定着しているように思われる。 しかし、プレーオフ出場がかかったリーグ戦終盤でのホーム観客数は、思うほど伸びなかった。リーグ戦最終節の東京V戦こそ13,344人が詰めかけたが、10月26日の横浜FC戦は天候に恵まれたにも拘わらず7,414人、11月9日の福岡戦は5,897人に止まっていたのである。

 個人的な印象としては、コアなサポーター層が一定程度定着した一方で、モンテに興味を示さない県民もまた“定着”しているように思われる。劇的な勝利を重ねて“思いがけないJ1昇格”を果たした割には、県民全体の盛り上がりに関する印象は、前回2008年のみならず、2001年(J2第3位)、2004年(同第4位)のときほどにも感じられなかった。
 2009年にJ1に昇格した際には、J1効果があって観客数が伸びた。今回も、J2時代より伸びはすることだろう。・・・しかし、シーズンを通じてモンテに関心を寄せ、スタジアムに足を運ぶ県民をどのようにして増やしていくのか、その中・長期的な戦略は見えないままである。

 以前、モンテディオ山形が目指すべきは、プロビンチア(地方の経営規模の小さなクラブ)として、“エレベーター・クラブ”を目指すことだと書いた。エレベーターとは、J1とJ2を行ったり来たりするということである。
 モンテの経営規模では、いくら頑張ってもJ1の平均の半分も選手の人件費を確保できない。ようするに、<幸運>の重なりがなければJ1残留もできないし、J1昇格もできない。今回も残留はなかなかに厳しいだろう。
 だから、“人事を尽くして、天命ならぬ<幸運>が重なるのを待つ”というスタンスが、クラブにもチームにもサポーターにも必要である。
 この場合の“尽くすべき人事”とは何か。
 これまでのところ、それは、ひとつには監督に経験豊かで渋い人材(小林伸二氏、石崎信弘氏など)を迎えてきたところに現れている。この点に関しては、GM(現在は常務取締役)の中井川茂敏氏の果たした役割が大きいだろう。(小林氏については、九州の人で東北・山形の“水に合った”という感があり、石崎氏については、同氏の監督スタートがモンテの前身のNEC山形だったという経歴によってフィットしている部分があるように思われる。)
 ただし、これは「戦術」ではあるかもしれないが、「戦略」ということにはならない。

 そして、重要なことは、J1にいる時期はもちろんのこと、J2にいる間の、この“待つ”という時期を、クラブにとてもサポーターにとっても、そして県民全体にとっても、如何に意味深いものにできるか、という視点を繰り込むことが大切に思われる。
 以下のことが「戦略」と呼ぶに値するかどうか自信はないが、この点に関して戦略的な発言や提案をしている関係者やモンテ・サポをじぶんは見たことがないので、あえて記述してみる。

 第一は、これは以前にも書いたことだが、意識的に「地元」出身の選手を入れる、または補強するということである。この場合、「地元」は山形県内であれば好ましいが、県内出身者がいなければ隣県でもいいし、東北各県でもいい。そしてその選手を意識的に“スター”に育てていく。
 たとえば、鹿島アントラーズの土居聖真(山形県出身)みたいな選手が少しでも出場機会に恵まれないようなことがあったら、熱心にオファーする。もちろん、もっとも基本的なスタンスとして、地元出身の若手を根気強く育成していくことは言うまでもない。
 これはモンテのサポーターを「サッカーファン」から「山形ファン」に広げるための戦略である。

 第二の戦略は、県民以外の(つまり「地元」に関わりのなかった)モンテ・サポを獲得することだ。
 たとえば今回のプレーオフ決勝戦では、味の素スタジアムの観客約35,000人のうち10,000人程度がモンテ側だったと、現場に駆け付けたサポーターから聞いた。
 また、その1週間後に日産スタジアムで行われた天皇杯決勝戦(対ガンバ大阪)では約47,000人のうち15,000人程度はモンテ側だったのではないかと、これも現場に駆け付けたサポーターから聞いた。
 これらのゲームに山形から多くのサポが駆け付けたことに間違いはないが、地元でも精々13,000人のサポのうち、当日東京や横浜に行くことができたサポは、この日スタジアムにいたモンテ側観客の何割だろうか。・・・こう考えると、モンテを応援する観客の中に山形県民以外の人間がかなりいたはずなのである。
 その観客の中には、当然、山形県出身の東京在住者や関東各県在住者がいたであろうし、それらに同行した者(家族、恋人、友人など)がいたであろう。
 なかには、山形に関わりがなかったが、モンテディオ山形というチームやプロビンチアとしてのクラブのあり方に興味や共感をもってスタジアムに足を運んでみた観客もいたかもしれない。
 天童市のホーム・スタジアムの駐車場でも、東北各県のナンバーを見かける。その多くは山形県に所縁のある人ではあるのだろうが、そうでないモンテ・サポもいるはずである。
 こういう人々に魅力あるチームを作ることが第二の戦略である。
 これはプロビンチアとしての物語化やイメージ化の戦略ということになる。たとえば松本山雅などは、物語性やイメージをうまく形成しているように見える。


 最後に、「株式会社化」されたクラブについて蛇足を述べておく。
 巷間言われるように、「株式会社化」された効果は見えていない。
 2007年シーズン後に「フル・モデルチェンジ」が論議されたが、議論の結論も議論自体の効果も見えないうちに2008年シーズンでモンテはJ1昇格を決め、この問題提起自体が翳んでしまった。
 「株式会社化」は「フル・モデルチェンジ」より遥かに大きな変化なのだが、県民やサポーターの議論はまったくないまま実施され、しかも今回のJ1昇格で当面はその検証さえなされないことになりそうな雲行きである。
 2015年1月5日付け山形新聞によれば、高橋節社長は、経営規模拡大に向けて収益事業を積極的に展開するかのような発言をしているが、例のレプリカ・ユニフォームの3ケタ背番号販売などのエグいグッズを次々に投入したり、スタジアムに来た観客から小銭を巻き上げるようなセコい商売をしすぎると、県内各地の募金活動(山形県民は株式会社にせっせと寄付する奇特な県民である!)の担い手たちが白けてしまうだろう。収益事業の拡大はそれほど簡単なものではない。
 高橋社長は、県副知事時代、部下たちにPDCAサイクルの実践を命じてきたのだから、きっとモンテの社長としての己にもこれを課していくことだろうが、モンテの「株式会社化」は知事にクビにされた元副知事に「社長」という実権とそれなりの収入を手にできる地位を与えることが主目的だったのでは?・・・などという巷の疑念を払拭するため、できるだけオープンな経営をしてほしいものである。
(なお、先に述べた第二の戦略にとって、「株式会社化」はマイナスの効果を持つと考えるから、じぶんはこれに反対である。・・・と言ってももう遅い訳だが・・・。)


 長く書き過ぎたので、この辺で閉じる。
 「このままでは2014シーズンの徳島ヴォルテスの二の舞いになるのではないか・・・」という心配の方が大きいが、かく言うじぶんもJ1モンテの2015シーズンを心待ちにしている。
 今年はなんとか時間を作って、アウェイ・ゲームにも駆け付けたいと思う。  (了)                                                                                                                                                   





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