2025年03月08日

山形市民会館 進め方の問題(1)



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「fuku990」さんからコメントがあった。「浸水リスク」を指摘し、「市民ワークショップ」が「まるで幼稚園の授業でした」と記載されている。
 浸水リスクについても明記すべきだった。県立高校の事務部長として維持修繕(とりわけ費用確保)に悪戦苦闘していたとき、一番苦労したのはこれだった。建築の素人だった筆者は、コンクリート製の屋上が経年劣化でこんなに浸水するようになるのかと驚いたのだった。また、コンクリート製でない屋根の場合も浸水で大変なことになっていた。屋根にしても工法を十分検討しなければならないと思い知らされた。
 平田案はテラス状の屋外平面が多く、植栽桝も多い。この点でも非常に維持修繕費を食うものになっている。ちなみに維持補修費で一件130万円を超える場合は、それが全額山形市の新たな負担になる。(「要求水準書」記載)







 また、このブログを見た元設計事務所職員(構造計算などを担当していた設計士)の方からメールをいただき、この案のように東京の設計者が雪国の事情に適合しない設計デザインを提案してきた際、自治体の担当者がそれを拒否して修正させたと教えてくれた。まぁ、それが当たり前である。こういう「常識」がどうして働かないのか。それがこの事業の問題の核心である。

 ところで、この設計案による事業計画について山形市議会はどう対応してきのだろうかと疑問に思い、知り合いの市議に状況を訊いた。
 この設計案による事業計画に明確に反対を表明しているのはひとりだけとのことだ。この市議は中道保守系の会派に所属しているそうだが、日頃から自分の意見を明確に強く主張するためか、「まわりから浮いている」のだそうである。(国会議員でいえば山本太郎のような感じ?)
 では、他の市議は問題を感じなかったのかと訊いてみると、外観への違和感や建設費・維持管理費が大きくなりそうなことに問題を感じたが(そして例の鶴岡市民会館の事例も念頭にあったが)、「すでに設計は固まっているようなので、デザインや外観がよくないという理由で設計案に文句を言ってはいけない雰囲気だった」と語った。(さあ、これだけを聴いても、この政策決定の過ちの経緯は社会心理学的な研究の題材になりそうではないか。)
 この市議には、筆者のブログを読んでくれるようお願いした。




 しかし、改めて明記しておくが「いまさらでは遅い」などということはない。こうなっているのは市の進め方の不手際のためであるから。
 上に掲げた「秘密保持に関する誓約書」をしげしげと御覧いただきたい。
 先にも記したが、これは昨年10月時点の意見聴取会で参加者が提出を求められたものである。このとき、図面は一切配布されなかった。
図面が手元になければ具体的に検討できない。しかも参加者は芸文恊の役員すなわちほとんどが高齢者(しかも後期高齢者が中心)なのである。
 「今日、みなさんには各団体の代表として参加していただいています。資料と図面を持ちかえって各団体の皆さんで検討し、意見を取りまとめてお寄せください」と言われるのかと思っていたので、「口頭でも漏らすな」と書かれていることに愕然とした。
 それでも、「こう言うのは、間もなく別途機会を作って市民の各方面から意見を聴くからなんだろうな・・・」と安易かつ善意に解釈して、だれにも口外しなかった自分がアホだった。山形市の担当職員にも当然、市民重視の姿勢があるはずだと信じていた自分がお人よしだった。

 今後半世紀以上にわたる事業を行うのに、こういう手法をとること自体が信じられない。
 まっとうな行政の進め方としては、まず基本計画を策定する際に関係各方面の意見を十分に聞き(ワークショップをやるのはこの段階)、それを取り入れて要求水準書を作成し、プロポーザルの結果決まった設計案の図面について再度関係各方面に提示して広く意見を汲み上げ、次にそれらの具体的な意見を図面に反映させ、これでいいでしょうかと三度諮るのが常道である。
 今回の事業では「シンポジウム」、「ワークショップ」が開催されたのは、実質的に基本設計に近いものが決定されてからである。市民の意見を設計に反映させるつもりはなく、完成された設計案を広報(PR)し、「ああ素晴らしい設計だ」と有難がらせるのが主たる目的だと思われる。「市民の意見は聴きました」というアリバイ作りのために市民を「幼稚園児」扱いしたと指摘されても仕方ない。

 「何をいってももう遅い」という諦めの声が聴こえる。「どうせ山形市当局は市民の意見など反映するつもりがなかったのだろう」とか、年配者からは「私たちはもうこの市民会館は使わないだろうからとくに何も言おうとは思わない」とかいう声も聞こえてくる。
 それでいいのかな・・・。山形市の令和6年度の納税者は110,143人。この事業の総事業費はいままでのところ約171億円。納税者ひとりあたりの負担額は今までのところで16万円弱である。これから50年以上の維持費も市民の負担である。

 ちなみに、恥ずかしい話なのであまり公表されていないが、山形県の県民ホール。
 あの事業では、いったんまとめられた「基本設計」が凍結され、廃棄された。いまの県民ホールは設計事業者の選定からやり直したものである。ただし、前の基本設計が凍結された主な理由は、設計内容やデザインによるものではなかったと思う。本音は「このまま建設に取り掛かるお金がないから」ということだったのだが、「設計をもっと良いものに見直す」というのを表向きの理由にしたのだったと記憶している。(この事情に詳しい方がいればコメントをつけてほしい。)

 さて、この設計案を見直させる根拠は次の二つある。
 そのひとつは、この設計案とくに外観が、山形市の「要求水準書」に適合していないからである。
 水準書には次のように記載されている。
 「4周辺施設との調和」で、「建設予定地は、「山形市中心市街地グランドデザイン」における「歴史・文化推進ゾーン」に位置付けられています。近接する「文翔館」などの周辺施設との景観の調和に配慮し、「歴史・文化推進ゾーン」にふさわしい景観を形成できる施設とします。」と記載され、「施設設備の基本性能」の「社会性」の「地域性・景観性」の項目では、「地域の歴史や風土の特性を考慮しつつ、周囲の景観と調和し、長きにわたり市民に愛されるシンプルなデザインとすること。」と明確に規定されている。
 また、「経済性」の「耐用性」では「ライフサイクルコストの最適化」が掲げられ、「維持保全」の項目には「意匠や設備、備品等はシンプルなものとし、清掃や点検保守等の維持管理が効率的かつ安全に行えること」と記載されている。
 さらに、「環境保全」の項目では「脱炭素社会の実現に向け、自然エネルギーの導入に努めるとともに、ZEB Oriented認証の取得を前提とした省エネルギー性に配慮した計画とすること。施設の長寿命化に配慮し、将来的な建替え、解体も含めた総合的な環境負荷低減を図ること。」
とある。
 ようするに「シンプル・イズ・ビューティフル」ということだろう。
 平田案はどうみてもシンプルでないし、経済的でもないし、耐久性にすぐれているとも見えない。なぜ、この基準が遵守されなかったのか。というか、山形市当局はなぜこれを遵守していない案を当選させたのか。
 ひょっとして、その根本原因は、この事業をDBO方式でやったことにあるのではないか。これが筆者が考えるふたつ目の理由である。


【補遺】
 「シンポジウム」では、大ホールがいびつである理由を、劇場設計者の本杉省三氏が説明している。
 内容は説明になっていない。彼はただ、ホールが対称でなければならないということはないと述べ、その事例としてベルリン・フィルやパリ管弦楽団のホール(これらは音楽専用ホールで、プロセニアム形式ではない)を投影しているだけだ。これには驚いた。有名で権威あるホールを投影すれば、山形市民は平伏すとでも思ったのか。それらのホールは平田案よりはるかに左右対称に近いし、調整室の出っ張り等ない。あまりに山形市民をバカにしている。(動画を確認してほしい。)

  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 16:06Comments(1)作品評批評・評論