2025年03月04日

山形市民会館設計案への異和(3)




2 建物の外観と歴史的景観が衝突している
 
 スライドを映写されただけだったが、ちらり見したたけでも、設計案を修正していただきたい点が少なからずあると思った。これまで与えられた昨年10月の意見聴取の場で、そのうちのいくつかを指摘したのだが、2月の説明会の際はじぶん一人が追及口調でいくつも意見を述べては申し訳ないような気がして遠慮し、最大の欠点と考えた大ホールの形状についてのみ要望を述べるにとどめた。(その内容は「山形市民会館設計案への異和(1)」に述べたとおりである。)
 だが、その後、報道で外観を見た方と話していて、あの外観を心配する意見に触れた。
 じつは筆者もあの外観が非常に問題だと思っていたが、外観について批判的なことを言うと設計者らの感情的な反発を誘発して、ホール等内部施設への意見がまったく受け入れてもらえなくなるのではないかと恐れ、ぐっと発言を我慢していた。
 しかし、異和を抱く市民が他にもいることを知り、これは一山形市民として、また自治体行政の経験者として表明しておかなければならないことだと考え直した。

 この建築デザインについて批判するのは、大きく言うと次のような観点からだ。
 ① 一言でいうと、このデザインには「<山形>に対するリスペクトがない」ということ。
 これは山形の歴史、生活、風物詩への無頓着から来ている。というか、もっと本質的な観点から批判すると<地方>への視点が貧困(ステロタイプ)だということである。
 ② この外観デザインからは「芸術文化ホール」というものへの造詣もリスペクトも感じられない。一言でいうと「関東地方」の「衛星都市(またはベッドタウン)」の「コミュニティセンター」みたいなコンセプトで作られているという印象を受ける。

 いろいろと述べなければならない論点があるのだが、それらを順序良く述べる余裕がないので、ランダムに記していくことをお許しいただきたい。
 まず、建築デザインの素人としての率直な感想から述べる。
 筆者は昨年仙台市を訪れた際、時間潰しに駅の脇にあるAER(アエル)というビル(丸善という書店が入っている)に足を運んだ。するとロビーに「仙台国際センター」の建て替えに係るプロポーザルへの応募案がたくさん(見切れないほど)掲示されていた。同市のHPでは77件の応募があったという。これに比して今回の山形市民会館への応募はたった2件(!)である。
もちろん、設計案だけを募集した仙台国際センター整備事業とDBO方式で募集した山形市民会館整備事業を単純に比べるわけにはいかない。しかし、応募が2件というのはあまりにあまりであり、しかも前者は一般公開、後者は非公開それも事業者決定後も口外禁止(!)だったのである。(仙台国際センターについてはこちらを参照)
 ついでに述べると、選考する側についても、山形市の場合は審査委員長が副市長、他9人の審査委員はすべて市役所の部長ら幹部のみ。なんと審査員全員が(たぶん)中高年男性。しかも専門家は投票権のない「アドバイザー」(全部で5名。うち女性は1名。)という位置づけである。(審査員とアドバイザーを合わせて15名の男女比は14対1である。)いまどきよくこういう構成にしたものだと感心するほかない。
 一方、仙台市の場合は審査員全5名のうち市関係者はヒラの委員として副市長が入っているだけ。委員長を含むあとの4人は全員専門家となっており、雲泥の差がある。
 50年間も山形市民であり、かつ、かつて地元の自治体職員だった身の筆者としては、これだけでも情けなくて泣きたくなる。(ちなみに山形県庁は山形市のように無残なことはしていないので為念。)
 なお、選定方法の問題(DBO方式を含む)については機会を改めて考えてみたい。

 さて、デザインの話に戻ろう。
 AERに掲示されていた応募作品を見て回ると、今回の山形市民会館整備事業における平田晃久設計事務所設計案と似た要素を特徴としたものがたくさん(数えきれないほど)あった。
 「平田晃久設計事務所設計案と似た要素」とは何かというと、(建築の素人ゆえ用語がわからないので上手に説明できる自信がないが・・)
a 全体的形状が単純な箱型ではなく、側面に非規則的な出っ張りがある。(または階ごとにデコヒコがある。)
b 外壁に開口部が多く、また壁面は透明なガラスで囲われている部分が多い。
c 外階段がヒューチャーされている。外階段でない場合もガラスの壁に接して階段が設置されていて外部から階段が目立つように設計されている。
d 2階以上にテラスがあり、その部分に植栽がなされている。
 素人目にはこれらの要素が共通した似たような作品があまりに多いので、最近はこんなのが流行りなのか、なんかもっとアイデアはないのかな・・・くらいに見過ごしていた。
 だから「平田晃久設計事務所設計案」を観たとき、「あ~やっちまったなぁ・・・」という暗澹とした想いがやってきた。

 この案のどうしようもなく否定すべき点は、まさに核心的なコンセプト「BIG-TREE」そのものに存在している。この「BIG-TREE」のコンセプトについて、シンポジウムで平田晃久氏は「組織全体として一本の大樹をつくる」のだと言っている。
 文化ホールは巨大な箱型になって周囲を圧迫する(これはたしかにそのとおりで、圧迫感をどのように軽減するかはホール外観設計の肝である)ので、その圧迫感を緩和するため、躯体(幹)から枝を伸ばすように設計したというのである。(ただし筆者にはこれは枝が伸びているというより、壁面に何個かのキューブが突き刺さっている、あるいは、のめり込んでいる、というように見える。)
 周囲にあたえるボリューム感を和らげるため、構造物をいくつも張り出させて周囲を「枝」で覆っていく。ボリューム感を軽減するためにボリュームを増大させるという、これはまさに笑えない(われわれにとって悲劇的な)逆説である。この書き込みの初めに掲載したパースをよく見てほしい。上の方に周辺の建物との大きさを比較した図(黒いシルエット)がある。筆者などはこれを見て仰天した。




 また、「BIG-TREE」のもとに市民を抱え、交流や憩いの場を与え、また市民活動を抱擁していくという発想(なにしろOperateも含むのだから)のように受け取れる。これは裏を返せば設計者の独りよがりの傲慢さである。この発想は意識的または無意識的なパターナリズムや選良的な指導意識からやってきているように思われる。

 さて、こういうことを言うと、筆者はこの設計者を全否定しているように思われるかもしれないので断っておきたい。
 筆者はこういう設計思想、設計案はあってもいいと思う。つまりこのコンセプトは理解できる。というか、よその街にあったら「へぇ~」と思って見上げるだろう。もっと引いて言えば、この外観の建築物が現在の市民会館の敷地に建てられるのなら許容できる。だが、文翔館の前では許容できない。それは山形県の歴史的景観を壊すものだからである。

 では、上記の批判点①について述べる。
 山形県民ならおなじみの高橋由一の「山形市街図」をもう一度よく見て考えてみよう。




 中央奥に見えるのは県庁。ただし今の文翔館(1970年代まで県庁だった)の前の前の建物(火災で焼失)である。高橋由一は教科書に載っている「鮭」の絵で有名な日本近代を代表する洋画家のひとり。初代県令・三島通庸が連れてきて自分の成果(土木・建築関係の整備)を描かせた。この絵は、おそらく山形銀行本店のある交差点のあたりから現在の文翔館方向を描いたもので、山形県の<近代>を象徴するものと言われている。
 文翔館は今や山形県の顔となっていて、在って当たり前みたいに思われるかもしれないが、ぼろぼろになっていたうえに長年庁舎として使用される過程でいくつも部分的に改築されていて、しかも建築当初の資料がほとんど残っていなかった県庁舎を復元することは、費用の面でも当時の山形県にとって一大決断だった。山形「県」はまさに「県」として歩み始めた初発の姿を後代に伝え、そこに自分の近代以降のアイデンティティのひとつを定めようとしたのである。文翔館周辺は山形県そして山形市の<象徴空間>として形成されつつあるはずだった。
 山形県及び山形市は、この一帯に存在する「山形師範学校」(現山形県教育資料館)、霞城公園に移設された病院「済生館」(現山形市郷土館)、「山形市立第一小学校」(現やまがたクリエイティブシティセンターQ1 )、料亭「千歳館」(市が寄贈をうけ整備を検討中)など、近代建築を保全し、加えて御殿堰や紅の蔵なども整備して、これらを文化的資源として活用してきた。(筆者としては、旧豊島銃砲店、旧吉池医院、旧池田写真館なども保全し、これら近代建築を文化的資源・観光資源として活用していくことを願う。ほかに、失念してしまったが貴重なキリスト教会もあったはず。)
 こうしたこれまでの県と市の営為と、この設計案はどうみても整合性が取れない。
 平田設計案のプレゼンでは「BIG-TREE」の緑と文翔館前庭の緑と裁判所の緑が繋がって…云々などというが、こういうのを「霞が関文学」ならぬ「設計者文学」というのである。要するに耳障りのいい表現に騙されないようにしなければならない。

 山形市の芸術、文化、街づくり、建築、デザイン関係の皆さん、ほんとうにこれでいいの? 
 筆者は先に「山形市は少子高齢化と(仙台市の)衛星都市化に瀕している」と書いたが、仙台市を含む他県から山形市を訪れた人々の口から、「山形は近代の歴史的景観を大事に保全していて素晴らしいですね」という言葉を何度も聴いた。
 下記に上げたこの設計案を再度よく見て、これが山形市の中心地にふさわしいか、また山形県の歴史的象徴的空間にふさわしいか考え、声を上げてほしいと切に思う。
 長くなったので、上記の批判点②については機会を改めることにする。
 



  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 21:47Comments(0)作品評批評・評論