2014年03月14日

東北芸術工科大学卒業制作展2014 感想その5

 次は映像を扱った作品及び映像専攻コースの作品から。


東北芸術工科大学卒業制作展2014 感想その5





東北芸術工科大学卒業制作展2014 感想その5





東北芸術工科大学卒業制作展2014 感想その5






 Salome MC「ビデオとサウンドによる3つの意識様式の実験探検」
 作者Salome MCは実験芸術専攻の大学院生。この作品は、スイスの精神科医Ludwig Binswanger(1881~1966)が提起した三つの世界概念に対応して制作されている。
 作者によれば、ビンスワンガーは、存在の意識に3つのレベルを想定。一つめは、自分と心理学的な世界(自分)との関係<Eigenwelt>、二つめは、人間と物理的世界(自然など)の関係<Umwelt>、三つめは、人間と実社会(他の人間)の関係<Mitwelt>、である。

 一つめの「アイゲンヴェルト」の世界で作られた作品は「CONCEALMENT」(隠蔽)と題されている。画像で後ろに見える女(イスラム教徒の女性のような衣装を身に付けている)が伴奏的な旋律を歌い、その前に映る飾りをたくさん着けた女が主旋律のスキャットを歌うシーンが最後まで続く。
 作者は、作品に添えられたコメントで「自分にしか明確でない、自作の言語を音楽として実験しました。映像の制作過程でも、一人で、自分のスタジオで制作しました。(中略)アーティストの中の世界をわからないと理解ははっきりできない作品になって、共感できる人は少ないです。」と述べている。
 二つめは「ウムヴェルト」の作品で、「ETERNAL RETURN」(永遠のリターン)と題されている。
 作者は、「人間と人間のコミュニケーションのための言語を使わず、自然の音と人間の声を組み合わせました。映像の制作過程では、山で撮影を通して、人間と自然の力を取り混ぜました。他の人との相互作用は不要でした。」と述べている。全体に出羽三山のイメージを取り入れ、羽黒山(?)の石段で舞う女のシルエットが現れたり消えたりするシーンをメインして、ここに掲載した画像のように五重塔と太鼓を用いた踊りがオーバーラップするシーンが挿入されている。
 三つめは「ミットヴェルト」の作品で、「Price Of Freedom」(自由の代償)と題されている。
 場末の町の片隅で、主に女性が、アラビア語でラップを歌う場面で構成されている。
 作者は、「他のミュージックジャンルと比べたら、言語を一番利用している現代の『ヒップホップ』のジャンルを使いました。映像の制作過程では、一人ではなく、チームで活動して、色々な人の気持ちと才能を編み込むことで、作品を完成しました。視聴者には一番わかりやすい作品は、やっぱりこの作品なのかもしれません。ここから、ここにはアートか、エンターテイメントかと言う疑問も出て来ます。」と言っている。
 じぶんの感想を言えば、作者が語っているのとは逆で、「CONCEALMENT」がこの先にいちばん期待を抱かせ、「ETERNAL RETURN」はちょっと平凡で(そもそも羽黒山の参道は「山」でも「自然」でもない)、「Price Of Freedom」は「チームで活動」して制作したラップのビデオということを除けば、どこがどのように<Mitwelt>を表現しているのか分からなかった。(つまり、単なる“野外演技とその撮影”というように見えてしまった。)
 しかし、全体として映像の技術や音楽と美術の構成に優れており、作者の才能を感じさせるものに仕上がっている。
 せっかくビンスワンガーを引用しているのだから、ぜひ映像と音楽で<現存在>を浮かび上がらせるような作品を制作してほしい。



 次は映像専攻コースの作品を振り返ってみる


東北芸術工科大学卒業制作展2014 感想その5




東北芸術工科大学卒業制作展2014 感想その5




 齋藤香「深呼吸のオノマトペ」(人形アニメーション)
 社会に適合できず引き篭もる男。投げやりになり、心配する母親に冷たく当たってしまう。
 ある日、彼に幻覚が現れる。改造人間ならぬ改造アライグマみたいなものがやってきて、彼の心の中の胎児を救う。すると男は元気を取り戻す・・・物語の展開は単純だが、(ただし心の中の胎児が具象的なものとして出てくるのでそこだけはギクリとする)、アニメ用の人形の造形がとても巧みで、カメラアングルや照明の当て方なども秀逸である。作者の拘りか、男の吐瀉物や流した涙がゾル状になって生き物のように動きまわるところが印象的。人形アニメの特長がうまく活かされている。



 
東北芸術工科大学卒業制作展2014 感想その5





東北芸術工科大学卒業制作展2014 感想その5




 安達裕平「 Radio Calisthenics No.1 」「 The Unexpected form 」
 前者は「3Dスキャンした部屋と人間のデータに3DCGソフト上で関節を設定し、別途キャプチャしたラジオ体操のモーションデータによって無理やり動かした」という映像。部屋の中の人間がラジオ体操する動きにつられて、部屋の壁が捻れたり伸びたりして変形する。
 後者には、「物の形を構成する面を徐々に削減していく機能であるポリゴンリダクションを用い歩く男が単純な形状になっていく様を映像と3Dプリンタによって表現した」と解説が付してある。
 3Dプリンタによる、謂わばコマ送りのように並んだ人形の展示と、「歩く男が次第に単純な形状になっていく」映像の上映が組み合わされている。
 どちらも作品というより技術的なデモンストレーションという印象だが、身体感覚変容への願望を表現していると思えば作品なのだと合点がいく。
 つまり、前者は、自分の身体が周りの事物に繋がれているかのような不分明な被拘束感のなかで、空間ごと無理やりにでも手足を自由に動かしたいという願望。後者は、歩いているうちにいつの間にか自分の具体性が削ぎ落とされていくような退行への願望(あるいは畏れ)・・・のようにみえる。

 上記のほか、映像コースの作品で観ることができたのは、以下のとおり。ただし、ここにアップできる画像はない。映像作品に関しては、その内容に対する評価とはべつに、じぶんが観た作品すべてについて、メモと記憶を頼りにコメントする。
 なお、卒業制作としての劇映画も何作品か上映されていたが、ここに取り上げた作品とは違う会場だったことと時間が足りなかったことで1本も見ることができなかった。


 阿部和久「mother」「無人駅」
 前者は、石造りの城郭をゆっくりと歩き出て、池に沈んで行く老いた狼を描いたCG作品。後者は、水面にそこだけぽっかりと顔を出している駅のホームに腰掛けているセーラー服の少女と、彼女を乗せにやってくる電車を描いたCG作品。動画は洗練されていないが、これという場面展開がないまま淡々と流れる映像で、登場人物(及び登場狼)の心情をうまく想像させる構成になっている。


 近野菜々「good luck to you」
 自走砲が森の中を進んでいくうちにエンコして、やがて風化し、草に覆われるまでを描くCG作品。
 コメントにある「風化することは異物が自然の一部になること」「命のあるものもないものも自然が包容する」と言いたくなるココロは分かるが、実際問題としては、「異物」=人工物を自然の中に放置して自然環境にいいことはあまりない。「廃棄物処理法違反だよ!」と突っ込みも入れたいところである。



東北芸術工科大学卒業制作展2014 感想その5




 新田祥子「処女解体」
 機械のハンドが、生きた(?)人間の体から内臓をひとつずつ取り出していく様を描いたCG作品。内臓が取り出されるたびに女のよがり声が流れる。また、よがり声にあわせて内臓がひくひく動く。
 内臓や人体の画像がリアルでない分だけ(パロディ)作品として成り立つように思うが、それにしてもなぜ若い女性がこのような作品を作るのか、その動機をいろいろと想像してしまう。そういう想像をさせることを狙った作品だとすれば、この作品は成功していると言えるかもしれない。




東北芸術工科大学卒業制作展2014 感想その5




 齋藤威志「Memoroid」
 少女風のロボット(?)の頭にUSBがひとつずつ差し込まれていくCG作品。USBのひとつひとつが特定の人間の記憶や思い出になっている。頭にUSBがたくさん差し込まれると、ちょうど見た目がツタンカーメンの棺に描かれているようなアタマになる。
 固有の記憶をもたない存在の哀しみを描こうとしたのかもしれないが、このような存在ならむしろ大いにうらやましい。というのも、じぶんなどは毎日のように過去の記憶のフラッシュバックに苦しめられているからだ。記憶がUSBに記録されているものなら、そのUSBを外せば嫌な記憶とおさらばできる。こんな素晴らしいことはない。


 山内大治「はりぼてCG」
 多数の板状のポリゴン(CGで立体画像を構成する多角形)が、如何にもこれはCGですよ~とばかりに手前から遠方へ向かって流れていく。 すると最後の一瞬でそれらが組み合わされ、具体的な像(見慣れた建物の風景)が現れる。
 CGならではの作品だが、上記の「最後の一瞬」が来るのか来ないのか、来るとすればそれはいつかという問題に直面させられる。遠近法の世界でポリゴンが向うに流れていくシーンが長く続くので、いつ終わるのかな・・・と、じっと待っているのが辛くなる。


 井上弘大「changing」
 人型ロボットが、粘土のようなものでいくつも少女の頭部を形作っていく様を描いたCG作品。
 このロボットは理想の少女像を求める作者のようでもあるが、その理想像がメモリのなかにデータとしてあるとは限らないようでもある。
 理想の少女像もしくは理想の女性の外見を頭の中に描けるというのは、若い男の特権かもしれない。
 そういう理想像を描けない、あるいは描く必要のない男の方が多いのではないか。ちなみに、じぶんは描く必要のない男のひとりである。なぜなら、そこにいる具体的な女性に惚れれば、その女性が理想像(すくなくとも部分的には理想を叶えた存在)に思えてくるからである。
                                                                                                                                                                                 次回はプロダクトデザイン専攻コースの作品を取り上げる。


                                                                                                      


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Posted by 高 啓(こうひらく) at 08:21│Comments(0)美術展
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