2015年03月22日

東北芸術工科大学卒業制作展2015 感想その3

 東北芸術工科大学卒業・修了展(2015年2月10日~15日)の感想記。
 その3は、建築・環境デザインの作品について。







 と、そのまえに覗いたプロダクトデザインの作品全体についての感想を述べておきたい。
 上の写真がプロダクトデザイン作品の展示会場(体育館)。
 たくさんの来場者がいて、作品のまえで作者から説明を受けながら鑑賞している。この学科の学生たちはプレゼンの実習をこなしているからか、接客態度に好感が持て、説明も流暢である。 
 実際の製品化を念頭に企業とコラボした作品はもとより、全体としてコンセプトが商品化を前提とした現実的なものばかりだという印象である。この“現実化”は、今年度はやや顕著で、良く言えばデザイナーとしての実践教育が奏功しているということなのだろうが、悪く言えば小さくまとまっていて全体としてちょっと面白味に欠けたという印象を与える。このブログで取り上げたいと思わせられる作品に出会わなかった。
 また、以下に述べる建築・環境デザインやプロダクトデザイン、そして企画構想の作品(今年は観る時間がなかった)などについては、観客が作者に対してもっと批評的に感想を言い、作者と意見交換してもいいのではないかと思う。これらの作品は、いわゆる芸術作品として自立しているものではなく、利用者・関係者との相互作用のなかで成立する性質のものだからである。

 ということで、最後に建築・環境デザインの作品から。













 吉田百合絵「日はまた昇る ~50年の建築の物語~ 」
 2055年から2105年にかけて建てるピラミッドというコンセプト。「原発事故で放射能の影響を受け、鎖国した日本がもう一度再建するときの建築です。」とコメントされている。
 小説で物語(時代状況など)を書き、その物語のなかの建築を模型でデザインするという斬新な試みである。
上に述べた「これらの作品は、いわゆる芸術作品として自立しているものではなく、利用者・関係者との相互作用のなかで成立する性質のもの」という言葉を、ここですぐさま撤回しなければならない。
 平壌にこんな形の高層ホテルがあったかと思うが、「放射能の影響を受ける地上に住み続けるの?」とか、「人口減少が進む地震国で高層建築に拘る理由は?」などという突っ込みを寄せ付けない自立した作品である。










 古山紗帆「月と生活 ~地球のリズムに準ずる人間の暮らし~」
 限られた土地にコテージ風の住居を近接して設置し、そのいずれもから月の姿を眺められるように(そしておそらくは相互に家の中の様子は見えないように)配置した作品。「住民同士はドライな関係でありながら他者を感じることができる豊かな暮らし」の提案だという。
 関係意識についての観念を、月を媒介として建築・環境デザインに物質化したところがミソである。
「どの家からも富士山が見える」などというのなら解り易いが、月というのはようするに“ルナティック”なものなのだから、ここには幾許かの危うさや物狂おしさが孕まれているだろう。
 都会的な、というよりもヤッピー的な関係意識(への願望)はよく伝わってくる。しかし、「毎晩同じ月を眺めることで他者の存在を感じる」というのは、これが非日常的な時間を過ごす別荘地であるなら理解できるのだが、子育ても介護もしなければならない一般の住宅地についての提案であるとしたら、ちょっと異和を感じざるをない。
 とはいうものの、ひとまずはこのように関係意識や価値観をストレートに模型に形象化できることが、優れたデザイナーの要素であることは疑えない。
 もっとも、このデザインの場合は、個々の建物に月を眺めるための大きな窓をとっているが、他の建物からリビング等を覗かれないため、建物相互の位置取りや個々の建物における窓の取り方をいろいろと検討しているから、結果としては「ストレートに」形象化したということにはならないかもしれないが。













 鈴木いずみ「地方都市におけるストック利用の住まい方 ~廃病院のコンバージョン~」
 郡山市の太田記念病院という、実際に存在した病院の建物の再利用を提案する作品である。
 切実な課題に対する提案であり、「現実的」な作品だといえるが、「廃病院」という陰湿なイメージを払しょくして有効活用する(とくに住居として利用する)のはそれほど容易なことではない。
 作者は、この病院の上層階をシェアハウスにするということで比較的若い世代を引き込み、建物全体のイメージの刷新を図ろうとしている。  中層階は賃貸住宅にとの考え方だが、シェアハウスに人が入らないとこの賃貸部分を埋めることも難しいだろうから、シェアハウスの成否がキモになると思われる。
 模型では、シェアハウスの部分に談話スペースや図書室みたいなスペースを確保して居住空間としての魅力を創ろうとしているが、これがただの「寮」とどう違う雰囲気を醸し出せるのか、展示内容からは(つまり部屋割の空間構成からは)分からなかった。
 ついでに言うと、この建物の管理主体はどうで、維持費はどのくらいで、入居費用はそれぞれいくらくらいか、などが(郡山市の実態を踏まえて)示されるともっと面白かった。
 しかし、こうした地味で難しい現実的課題にチャレンジする学生がいるのは嬉しいことである。


 さて、今年は例年以上に鑑賞の時間が取れず、全体のごく一部しか観て回ることができなかった。
 とくに企画構想と映像についてはほとんど観ることができず、残念だった。
 卒業する学生の前途に幸多かれと祈念しつつ、擱筆する。(了)                                                                                   





 
 


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Posted by 高 啓(こうひらく) at 14:32│Comments(0)美術展
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