2012年08月13日

十和田湖畔の印象








 猛暑の夏に、十和田~弘前~盛岡と車で巡った旅の話。 
 さきに、青森県十和田市の十和田市現代美術館を見物したところと、岩手県盛岡市の岩手県立美術館を見物したところについてはこのブログに掲載したが、この旅の他の部分について、つまりは訪問した十和田湖畔及び青森県の黒石市と弘前市の印象について、まったりと述べておきたい。

 十和田市美術館を見物して、ミルマウンテンという喫茶店でお茶を飲んだところまでは前記のとおり。それから宿泊先の旅館を目指して十和田湖畔に向かった。

 十和田湖畔に通じる国道103号線は、奥入瀬渓流に沿って14キロほど走る。道路幅は狭く、その上空までほとんどを両側から張出す木々の枝葉で覆われており、まだ日が沈んでいないにもかかわらず、スモールライトやフォグランプを点灯して走行しなければならないほど、陽射しが遮られている区間も少なくない。
 奥入瀬渓流の風景は変化に富んでいて、車窓から視る緑の濃淡と清流の音に心を洗われる。あまりに魅了され、途中で路肩に停車して渓流の岸辺まで歩いたが、すぐに強力そうなブヨ軍団の襲撃を受け、ほうほうの体で車に戻った。綺麗な花には棘があるということか。

 曲がりくねった暗い道を抜けると、まるで海岸に出たかのように、午後遅くの斜光を受けて光り輝く十和田湖の展望が開けた。
 湖畔の道を休屋という地区まで快適に走る。休屋は、比較的大きな宿泊施設や土産物店、それに遊覧船の船着場がある十和田湖観光の中心地である。
 休屋地区には堰と言ったほうがいいような細い川が流れていて、その川で秋田県と青森県が区分される。じぶんたちが泊まったのは、秋田県側(小坂町)の「とわだこ賑山亭」という小さな温泉旅館である。(秋田県には位置するが、客室のテレビでは青森県の放送局の番組しか視られなかった。)
 旅館の印象は、まずまずリーズナブルというところ。夕食の料理は手間がかかったものではなかったが、1室2名の部屋食で、夏休み中の日曜日であるにもかかわらず、ひとり当たり1万円を切っていたのだから文句は言えない。(この旅館のウリは炉辺焼きのようだが、この宿泊料金では炉辺焼きコースとはならない。炉辺焼きが食べたいわけではないからこれでよかった。)
 風呂上りに旅館の隣の酒屋兼土産物屋で缶ビールを買って、歩き飲みしながら浴衣姿で湖畔の方に歩き出したのだが、これまたブヨの攻撃にタジタジとなって引き返してきた。奥入瀬にしても十和田湖にしても、じぶんのようにいい加減で能天気な態度では、美しい存在には近寄らせてもらえないということらしい。

 しかし、翌朝の晴天に恵まれた十和田湖は、眩しいほどに美しかった。あのブヨ攻撃もない。
 休屋の湖畔は、芝生と樹木できれいに整備されており、砂浜にもゴミ一つ落ちていなかった。
 ただ気になるのは、やはり閉鎖されている土産物店や飲食店や宿泊施設が目に付くことだった。そういえば月曜日とはいえ、夏休み中である。それにそろそろ東北の夏祭りの季節だというのに、湖畔は想いのほか閑散としている。
たまたま珈琲を飲みに入った店で、暇だったこともあり、店主とゆっくり話す時間を持てた。
 湖畔には、積雪で損傷した屋根が補修されていないホテルや、閉鎖されていることがはっきりわかるホテルが目に付いたが、それについてはこういうことだった。

 十和田湖は、風光明媚な国立公園として、かつては賑やかな観光地だった。しかし、次第に団体などの観光客が減少し、近年は中国など海外からの団体客でもっていた。
 ところが福島原発の事故のために、昨年は外国からの団体客がすべてキャンセルになり、この地区としては大きな規模のホテルが2件倒産した。
 これまで倒産したホテルの一部は外国資本などに買われているが、営業を再開できない施設もいくつかある。
また、ホテルの値下げも激しくなり、この地区でいま客に人気があるのはバイキング式で1泊6,800円のホテルくらいのもの。これも去年は1泊5,800円だった。
 夏休みといっても、お盆とねぶたの期間中(青森市内や弘前市内などに宿を取れない客が流れてくる)以外は、それほど混み合わなくなってしまった。まして、冬季には積雪のため湖畔の多くの店や宿泊施設が閉鎖される土地なので、先行きは厳しい。
 ここは旧十和田湖町で、平成の大合併で十和田市と合併したが、十和田市の市長は例の「官庁街通り」にばかり金をかけて、十和田湖畔には金をかけてくれない。観光地なんだから、自力でなんとかしろという理屈だ・・・。

 この店主の語り口が慨嘆調ではなく淡々としたものだったので、この話は余計に胸に沁みた。
 たしかに観光地「十和田・八幡平」は、じぶんの記憶の中にしっかりと刻まれていた。
 最初に訪れたのは小学校低学年の頃だったろうか、明治生まれの父親が従軍した旧軍隊の集まりが八幡平の旅館であったのに、母とじぶんも同行したのだったと思う。(父と旅行した記憶はこれだけである。このとき宿でみた夢のことをいまでも憶えている。)
 あるいは、子どものころ、町内会の旅行でも来たことがあったのかもしれない。その後は、就職してから、と言っても20数年前の話だが、このあたりの旅館で東北ブロックの会議があって、翌日の視察で湖畔を訪ねたのだったような気がする。もっとも、これらの記憶はもはや定かではない。
 十和田湖畔の印象は、十和田湖が広い分だけ、たとえば田沢湖などに比べて大味なものだったが、それでもこの休屋の賑わいは目映かった。
 そんな郷愁に浸りながら、「むかしは一流の観光地だったですよねぇ・・・」と言いそうになって、はっとして言葉を飲み込んだ。
 店主は「ここは国立公園なので、環境省の縛りが厳しくて、いろんなことが不自由です。でも、だからこそ自然が残っていて、こうしてかろうじて持っているのかもしれませんね。」と語った。


 まだ昼には早かったが、美しい休屋からの眺めを記憶に刻んで、湖畔を後にする。
 湖畔に沿って湖の東側を回る国道454号(秋田県側)を走って、そこから弘前を目指す。
 しかし、秋田県側に入ると、道路脇の崖崩れが修復されないまま片側通行となっている箇所が何箇所かあった。この道路を維持管理していくのはたしかに大変だと思うが、最低限の道路補修をしておかないと観光地としての印象は悪化してしまうだろう。
 途中、ガイドブックで紹介されている眺望を期待して峠の展望台に上ったが、その展望台も老朽化しているうえに、展望台の周りの木々が成長して視界が遮られている。この木々の枝が掃われていないのは環境省あるいは営林署の伐採許可が出ないからなのか、それとも維持管理が放棄されているからなのか・・・これでは、落陽の観光地という印象を抱かせるに充分ではないか、と、やや暗澹たる気分になりかけた。

 ・・・いや、ちょっと待てよ。これはこれでいいのかもしれない。これまでのような観光地としての快適さの質は維持できなくても、自然をなるべく切り刻まずに、たとえ朽ちていくものであろうとその風景を受入れ、風物に寄り添うようにその間を通り抜ける・・・過去とくらべて哀愁を禁じ得ないとしても、これが東北の目指すべき観光のあり方なのかもしれないと想った。
その考えを支持するぞ、とでも言いたげに、十和田湖の外輪山を後にする頃、突然、道路に野うさぎが飛び出してきた。 (了)




                                                                                                                        





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Posted by 高 啓(こうひらく) at 18:55│Comments(0)歩く、歩く、歩く、
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