2011年09月11日

大急ぎ 知床行 (その1)

大急ぎ 知床行 (その1)



 この9月、遅まきながら夏休みを取って、JR東日本の「大人の休日倶楽部パス(東日本・北海道)」(5日間乗り放題23,000円)を利用して、2泊4日の北海道旅行をした。その行程を掲載し、旅行の印象を記しておきたい。






【 第1日(土) 】

 野暮用があって、出発は夕方とせざるを得なかった。
 小雨のぱらつく山形を17:38の仙山線で発つ。この列車、途中で何度も汽笛を鳴らすので、なにか障害物が出てきそうなのかと不安になった。2泊4日の旅行計画は、およそ18回の乗り継ぎ時間にまったく余裕の無い行程で成り立っていた。火曜日の深夜に山形に帰着し、水曜日には職場に出なければならない。野生動物か何かに衝突し、電車が停止でもしたら今日中に北海道に渡れなくなる。ということは、足掛け4日間で目的の知床半島に行って帰ってくることが不可能になる・・・。出発して早くも立ちこめたこの不安が、道中を暗示していたのだった。
 しかし、ともかくも仙山線は定刻の18:39に仙台に着き、19:22発の東北新幹線「はやて177号」に乗り換えて新青森へと向かう。その車中で、山形駅ビルの地下の揚物屋で買ったメンチカツ弁当と仙台駅で買った缶ビールの夕食。・・・食後にうとうとしているとあっという間に新青森に着いた。これが21:28だった。ここで新青森から青森まで在来線で向かい、青森22:42発の「急行はまなす」に乗り込んで津軽海峡を渉る予定だったのだが・・・。
 
 新青森駅で下車したとき、少し寝ぼけていたせいか、在来線に乗車するホームを間違えたのだ。ぞろぞろと新幹線を降りて連絡線に向かう旅客たちの群れに混じって歩いていき、確かに青森方面と記載されたホームに降り立ったところまではいい。だが、缶チューハイを飲みながら会話する、どうも北海道に渓流釣りに向かうような出で立ちの男たちに気を取られて、ホームの反対側に立ってしまったようなのである。そういえば、一瞬、このホームの両側に列車を待つ人間が立っていることに気がついて、あれ?と思ったのだったが、青森行きの時刻である21:38ころに列車が入線してきたので、ああこれだなと思って他の乗客たちに釣られてその列車に乗り込んでしまったのである。
 しかし、車窓には一向に街の灯が見えてこない。ひょっとしたら逆方向の電車に乗ったのではないかという恐ろしい疑念を抱いたのは21:55頃だった。隣に座っていた初老の男性に訊くと、やはり弘前行きの列車だった。ガーン!
 慌ててじぶんが乗り違えたことを伝え、まだ青森行きの列車はあるだろうか、あるならそれに乗るためにはどの駅で降りたらいいのだろうか、その駅にはタクシーがあるだろうか、などと矢継ぎ早に質問した。その男性は、次の浪岡で降りれば青森に引き返す列車があると教えてくれた。
 浪岡駅で降車すると駅は既に無人で、切符のチェックは今乗ってきたワンマンカーの運転手がホームに下りてしているのだった。待合室に掲示されている列車の時刻表を見ると、まだ青森に行く列車はあったが、それでは「はまなす」の発車に間に合わない。幸いにも駅前にはタクシーが2台ほど客待ちをしていた。真っ青になって、運転手に「青森駅までどれくらいかかりますか?」と問い質した。
 運転手は「6,000円くらいかな」と答えたので、「時間は?」と問い直すと、「30分くらい」と言う。時刻は既に22時を過ぎていた。「じゃあ、頼みます!」とタクシーに飛び乗るしかなかった。
 数分走ったところで、「22:42のはまなすに間に合いますよね?」と訊くと、運転手は「努力します」との答え。まぁ、そう答えるしかないだろうが、こちらとしては「大丈夫、ちゃんと間に合わせます」と言ってほしかった。(苦笑)
 タクシーは暗い道路を、それでも順調に走った。「浪岡って、市町村名でいうと、浪岡市なんでしたっけ?」そう訊くと、運転手は「合併していまは青森市になりました」と寂しそうに答えた。
 このまま行けば間に合いそうだという目処がついたあたりで、運転手は「6,000円と言いましたが、もうちょっといくみたいです」と申し訳なさそうに言った。8,000円を越えそうな勢いだったが、これはしょうがないと思っていたところ、彼はメーターの設定を操作して、料金計算の仕方を別のシステムに切り替えたようだった。
 それで、結局6,160円で青森駅の裏口に到着した。「急行はまなす」の発車まで、まだ10分以上余裕があった。彼に感謝してタクシーを降りた。

大急ぎ 知床行 (その1)

 青森発・札幌行き「急行はまなす」は定時の22:42に発車した。
 この列車にはB寝台の車両もあるが、特徴は普通の指定席料金で取れる「カーペット・シート」という座席の車両があることである。じぶんは、かろうじてこの席の指定券を手に入れていた。この車両の様子は掲載した写真のとおり。昔、青函連絡船で床に寝転がって行ったことを思い出させる。
 頭から胸の部分はカーテンで隣と仕切られ、また2階席の床が被さっているので上半身は他人から見えにくいが、寝転がると下半身は通路に露出される。だいたいの人は備え付けの毛布をかけているが、短パンで寝ている男性の毛脛が見えたり、寝返りを打った女性のぴっちりしたレギンスの下半身が目に飛び込んできたり、なかなか大衆的で味がある(笑)

 じぶんは二階席に上がる階段の脇の一階席だった。この席には、階段の下の空間を利用したコインロッカーほどの大きさの物置があるのだが、そこに山形から持参した900mlの日本酒の紙パック「初孫」とつまみとポリエチレン製のコップを置いて、そのコップで半分ほどの酒をちびりちびりとやりながら眠くなるのを待った。
 この旅では、乗り継ぎ時間に余裕が無いのとその乗り継ぎ時刻が深夜や早朝であることが多いこと、それにコンビニなどの店が手近にありそうもない土地を歩くということなどから、登山用のリュックに日本酒パックと鯖缶や「じゃがりこ」「チーザ」などのつまみを背負ってきていたのである。
 北へ向かう急行列車は、いや地中深くに向かう深夜の急行列車は、なぜかずいぶんもの悲しい音を立てて進んでいく。ポイントの切り替え部分では、車体の揺れが自分が横たわる床から背中を通じて身体全体を大きく揺り動かす。
 しかし、途中で、あのガッタンゴットンというレールの継ぎ目の音がしなくなった。青函トンネルの内部は、レールの継ぎ方が異なるのだろうか。

大急ぎ 知床行 (その1)

 7時間近い車中、うつらうつらとしたのは1〜2時間だった。だが、比較的爽快に目覚めて日曜日の05:24に、雨の南千歳駅に降り立った。 (つづく)


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Posted by 高 啓(こうひらく) at 02:07│Comments(0)歩く、歩く、歩く、
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