2012年08月11日
岩手県立美術館と「アール・ブリュット・ジャポネ展」

十和田~弘前~盛岡と、盛夏に北東北を車で巡る旅・・・その最後に盛岡市の岩手県立美術館を訪ね、「アール・ブリュット・ジャポネ展」(Art Brut Japonais、2012年6月12日~9月2日)を観た。
盛岡には、これまで2、3度訪れたことがあったが、久しぶりとなる今回の訪問で、この街に関する今までのイメージが少し変わった。
まず、駅の東側だが、駅前や目抜き通りである大町通り辺りの人通りが意外に多いことに気づかされた。山形市の七日町界隈に比べて人出は多く、想像していたより活気がある。
ついでに言うと、「盛岡冷麺」の店を探して歩いたのだが、冷麺の看板を掲げる店はそれほど多くない。それに昔はもっと「わんこ蕎麦」の店が目に付いたような気がするが、これも今は探すのに一苦労する感じだった。結局「大同苑」という焼肉屋で盛岡冷麺を食べたが、山形駅前の焼肉屋の方が美味い冷麺を出すような気がした。
駅周辺と駅の西側については、第三セクターによる20階建てのビル「マリオス」が竣工(1997年11月)した翌年だったろうか、この中にある盛岡市民文化ホールを見学したことがあった。
その際はこの一画についてマリオス以外にほとんど印象がなかったのだが、今回訪れてみるとマリオスの隣に「岩手県民情報交流センター“アイーナ”」という複合施設(2006年竣工。県立図書館を中心として県の各施設が入っている)が出来ており、県の合同庁舎なども含めてこの一画が“副都心”といった感じに形成されていた。しかも、マリオスとアイーナの間を、新幹線の線路を跨いで駅の東西を結ぶ道路が通り、その先に駅西の広大な開発区域が開けていた。その広さは山形駅西の再開発地区の規模を遥かに凌ぐもので、これだけ農地を潰す必要があったのか・・・と疑問を感じるほどの規模である。
その区域の一画が公園として整備され、アイスアリーナ、盛岡市先人記念館、盛岡市こども科学館、県立美術館などが配置されている。さらにその周りの街区には、イオンのショッピングセンターや見飽きた郊外型量販店が連なっている。
広い緑地に囲まれている岩手県立美術館(2001年10月開館)のロケーションは、しかし決して褒められたものではない。導入路が貧弱で、せっかく周辺を緑地化しているというのに、この先に美術館があるという風情がなにひとつない。
美術館の外観は平凡で魅力に欠けるが、中に入ると“グランドギャラリー”と名づけられた吹き抜けの通路空間が向こうに伸びており、これが巨大な建造物だという感覚を、恰も権威性を押し出すかのようにして与えてくる。このグランドギャラリーの左側はガラスの開口部、右側がいくつかに区切られた展示スペースになっている。東京の新国立美術館に似た設計思想。まさに、十和田市美術館や金沢21世紀美術館とは対極的な設計思想の美術館である。
・・・とこんなふうに感じて、あれ?と思って調べてみたら、新国立美術館も岩手県立美術館も日本設計が担当で、十和田市美術館と金沢21世紀美術館はどちらも西沢立衛の担当だった。なんだよ、判り易すぎるじゃねえか・・・と笑ってしまう。
以下に「アール・ブリュット・ジャポネ展」の感想を記す。
この展覧会のチラシには、「『アール・ブリュット』とは、20世紀のフランスの美術家ジャン・デュビュッフェによって生み出された言葉。『生(き)の芸術』を意味するこの言葉は、美術の専門的な教育を受けず、既存の芸術や流行にとらわれない作家たちの自由で伸びやかな表現をさすものです。(中略)
本展は、2010年3月から翌年の1月までパリ市立アル・サン・ピエール美術館で開催され、大好評を博した『Art Brut Japonais』展の日本凱旋展覧会です。(以下略)」との記載があるが、展覧会の内部にあった説明によると、「アール・ブリュット」という言葉は、もともと精神病者や霊媒師などによる造形を指して使われていたという。社会の周縁にいるマージナルな人びとによるアートという意味だったらしい。
この展覧会の「企画協力」には、「ボーダーレス・アートミュージアム」と「NO‐MA 滋賀県社会福祉事業団」の名が記されている。「ボーダーレス・アートミュージアム」は滋賀県近江八幡市にあるアール・ブリュットの美術館で、滋賀県社会福祉事業団が運営している。
魲万理絵(すずきまりえ 1979~ 長野県在住)
一言でいうと暗く不気味な絵だが、完成度が高い。丸顔で髪のない登場人物たちの表情は、なんとなく1970年代の大人向け(「成人向け」ではない)のマイナーな漫画雑誌に載った奇譚作品を視ているような感覚を呼び起こさせる。
「全人類をペテンにかける」では、裸の女がハサミで自分の性器を刺そうとしている。女性器には人の顔やいくつもの目が描かれている。また、女の顔の片方の目が女性器として描かれている。性器への嫌悪と執着が、強烈なアイデンティティーとなって現前している。
「人に見えぬぞよき」では、女の口が青い鬼に変化(へんげ)している。他者の言葉が、作者にとってはグロテスクな鬼のように感受されるということだろうか。
「あほが見るけつ」では、赤と黒のタイル模様で描かれたケツが裸の女を押しつぶしている。女の目の縁取りはハサミの柄(指を入れるワッカ)として描かれており、そのワッカの枠中にそれぞれ2個ずつの目が描かれている。
「泥の中のメメントモリ」は大作。ひとりの横たわる裸の女を中心として、女性器と海蛇のような男性器が配置されている。中心(基調)となる裸女の子宮からは無数の赤い足として描かれた生命たちがぞろぞろと連なり出て、腹から胸へと這い上がり、その足行列が同じ女の口に入り込んでくる。
展示の説明に、作者は高校在学中に発病し、2007年からこのような絵を描き始めたとある。「高校在学中に発病」と聞くと統合失調症かと思ってしまうが、この作者の作品は、たしかに強固で確信的な妄想の世界を表現したもののように見えつつも、その一方で、高度に“統合”されているとも言える。構図は緊密で隙も破綻もない。
舛次崇(しゅうじたかし 1974~ 兵庫県在住)
作者はダウン症。厚紙にパステルで描かれた「うさぎと流木」「2匹のバッファロー」「きりん1」などの作品に魅かれる。金色の地に黒色の形体だけの動物を描いているが、その動物がデフォルメされていて、動きと迫力に満ちている。“天才幼稚園児”の絵か、といった印象を受ける。
高橋和彦(岩手県)
紙にペンで詳細な線による人物や建物の造形を書き込み、そのパターン化された図柄の連なりで綿密な世界を構成している。作者が知的な障害を持っているらしいこと以外にどういう人物か判らないが、このようなパターン化した描画作業の連続は、<自閉症スペクトラム>という概念を想い起こさせる。
「岩手銀行のあるところ」「人間が大勢」などが印象に残った。
この作者の作品は、「アール・ブリュット・ジャポネ展」のみならず、この美術館の収蔵作品の常設展でも展示されている。安心して鑑賞できる作品なので、“マージナル”ではなく、「通常」の側に位置付けられるということだろう。
八重樫道代(1978~ 岩手県在住)
ペンで幾何学的な構造枠を書き、ブラシマーカーでその枠ごとに着色している。「チャグチャグ馬コ」は、鮮やかな色彩の布のパッチワークみたいに見える。色の組み合わせや配置が絶妙で、ポップな感じを受けるが、ポップまで行き過ぎてはいない。この作品だけを見せられれば、有名なイラストレーターの作品かと思ってしまうかもしれないし、少なくとも作者に知的障害があるとは思えない。
小幡正雄(1943~2010 兵庫県)
入所している施設の調理室からこっそり拾ってきたダンボールに、自室で夜な夜な絵を描き続けていたものを職員に発見されて、それがここに展示されているという。鉛筆や赤を基調とした色鉛筆による描画。「無題(結婚式)」など、結婚式で男女が並んで立っている姿を正面から描いたものが、展示されているものだけで少なくとも4作品ある。その体には土偶を創造させるような紋様が描かれており、男女ともに性器が描かれている。作者にとって、結婚は叶わぬ理想であり憧れだったのかもしれない。その結婚式に臨むカップルの姿が図式化され、まるでファラオと王妃のように神聖なものとして描かれている。
伊藤喜彦(1934~2005 滋賀県)
知的障害者施設に入所しいていた。陶土の塊をウインナ・ソーセージみたいな形状にして、それらを多数重ねて造形する手法。フジツボやサンゴを思わせる形に、ちょうどアイスクリームにストロベリーやブルーベリーのソースをかけたように絶妙な部分性で青や赤の釉薬がかけられている。「鬼」「鬼の面」など、乱暴でエネルギーに満ちていて、未知の生物の臓物を眼にしているような感じを受ける。
萩野トヨ(1938~ 滋賀県)
紺色の布に、濃い赤、水色、白色などの糸を使った刺繍で絵を描いている。
「おつきさん」「ひよことたまご」「おさかなたち」など具象的なものを描く作品群と、「まる さんかく しかく」、「まるとしかくのこうしん」などといった幾何学的な紋様を描いた作品群がある。
後者の構成に魅かれる。綿布のもつ緩い肌合いの上で、刺繍のもつ暖かさと幾何学模様のもつ冷たさがうまく混ざり合って、作者の知的な障害にもかかわらず、どこかに落ち着いた知性を感じさせる作品に仕上がっている。
この企画展には、63人の作者(うち9人は岩手県)の作品が展示されている。滋賀県の作者が多いが、これは、滋賀県社会福祉事業団が、自らの運営する施設で美術や造形に取り組む時間を設けているからだろうか。あるいは、在宅の障害者などを対象としたアウトリーチ・プログラムなども行っているのだろうか。
根気良く「アール・ブリュット」の現場に関わり、あるいはこのような企画のプロデュースを展開してきた関係者に敬意を表したい。
なお、岩手県立美術館には、岩手ゆかりの作者たちの収蔵作品を展示する「常設展示室」のほか、常設の「松本竣介・舟越保武展示室」と「萬鐵五郎展示室」がある。じぶんが訪れたときは、松本竣介作品が他の美術館の企画展に貸し出されているとのことで、松本竣介と関係の深かった麻生三郎の特別展(神奈川県立美術館収蔵作品による)を開催中であった。
萬鐵五郎(よろずてつごろう 1885~1927)の作品は、これまでも何度か観たことがあり、記憶に残っていたが、この美術館にコレクションがあることはここを訪れて初めて知った。
「赤い目の自画像」(1912-13)、「雲のある自画像」(1912-13)、「木の間から見下した町」(1918)などが印象的だった。
また、「常設展示室」の作品では、吉田清志(1928~2010)の「日蝕と馬」(1956)・「花ト少女」(1956)・「花ト女」(1957)など1950年代の前衛絵画と、「手鏡」(1976)・「朝(梳る)」(1979)など1970絵年代後半に描かれた旧来的または保守的な作品とのギャップが興味深かった。
ほかに、晴山英(1924~2011)の「停止のセコンド」(1979)も印象に残った。
ハコとしては大きくて立派な県立美術館だが、それゆえに「岩手ゆかり」の作家たちのコレクションだけでは客の入れ込みも館の評価も上がらないだろう。
おそらくは県独自事業予算が極めて限られているなかで、外部からの助成を如何に引き入れ、どんな企画展を展開していくのか、ここのキュレーターたちには、その手腕が問われている。(了)
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Posted by 高 啓(こうひらく) at 11:03│Comments(0)
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