2010年07月03日

金沢蓄音器館

金沢蓄音器館

 前回、JR東日本の「大人の休日倶楽部」の期間限定割引切符を利用して訪れた金沢21世紀美術館について記述したが、この金沢行について、追加して述べておきたいことがある。
 ひがし茶屋という観光スポットを訪れた帰り道、偶然その前を通りかかった金沢蓄音器館についてである。
 じぶんはとりたてて蓄音器に興味はなかったし、どうせ蓄音器が陳列してあるだけだろうくらいの考えで、半分は蒸し暑さをしのぐため休憩所に立ち寄るみたいな気持ちで入ったのだった。
 入ってみると、まず1階にホールがあり、その壁の陳列棚には、ラッパの突き出た蓄音器が何台も展示されている。このホールでは時々ミニ・コンサートなどが開催されているようだったが、丸テーブルと木製の椅子があったので、その一画の自動販売機でコーヒーを買い、だらりんと涼んでいたら、これから蓄音器の試聴を行うという館内放送があった。(日に3回の実演タイムが設定されている。)

 せっかくだから聴いて行こうと、2階の展示室に向かう。
 集まった客は、山陰から来たという30代後半の男性ひとりと、青森から(きっと「大人の休日倶楽部」で)来たという初老の夫婦など、合わせて5人ばかりだった。
 そこに館長らしき男性が登場して、蓄音器の解説を始めると、その名調子にすぐに引き込まれる。彼は、解説しながら、6、7台ほどの蓄音器をかけて、さまざまな音楽のレコードを聴かせてくれた。
 初めに取り出したのは、エジソンの発明した円筒形のレコード。
 解説によれば、エジソンは、レコードの溝の縦の変化で音を再生する方式にこだわった。横の動きによるものより、上下の動きによる方が音質が上なので、音質を重視してこちらを採用すべきだという信念のもとにそうしたのだという。
 しかし、対抗馬があらわれ、そちらの事業者は、いまのレコードの方式、つまり円盤の形をしたものに渦巻状に溝をつけ、針の左右の振れによって音を復元する方式を普及させようとしてきた。
 エジソンも円盤形のレコードを開発するが、縦方式にこだわったため、レコード盤が分厚くなり、また、これも音質重視のため、針にダイアモンドを使ったことから、蓄音器もレコードも高価になってしまった。
 対抗事業者の方は、音質よりソフトに力を入れ、有名な演奏家を囲い込んでそのレコードを発売する。・・・エジソンはこのソフト戦略に対するセンスがなく、またソフトの戦略を企画・実施するパートナーにも恵まれなかったため、あえなく敗退した・・・という話だった。いつの時代にもありそうな話である。
 エジソンが発明した蓄音器は、円筒形のレコードの方も、分厚い円盤形のレコードの方も、想像した以上に鮮明な音で、音量も大きかった。
 しかし、ほんとうにびっくりしたのは、1920年代の製品の音量と音質だった。
 この時代になると、蓄音器のラッパの部分は、箱のなか(回転テーブルの下部)に仕舞われ、蓄音器は家具の衣装をまとう。つまり、ラッパも、その外見が、いまわれわれがイメージするスピーカーのようになる。
 音量は、ラッパの部分の長さや大きさ、構造や材質などによって決まる。箱のなかでラッパの長さを確保するために、蛇行させて収納する構造が採用され、各メーカーが音質と音量の競争を始める。
 この時代のイギリス製やアメリカ製の蓄音器の聴き比べが、なかなか興味深かった。
 しかし、やはり驚かされるのは、その音量である。
 ほんとに、これ、発条仕掛けでターンテーブルが回っているだけ?・・・ほんとに電気で増幅していないの!?と疑ってしまうほどの音量だった・・・これは一聴の価値がある。
 また、あるラッパ露出型の蓄音器の視聴では、その音に雑音がないことにも驚かされた。さらに、モノラルなのに、音の聴こえ方に位置関係(楽器と歌声の前後関係)が感じ取れるものなど、昔のアナログ録音・再生技術のレベルの高さを実感することができた。

 解説の方から、どちらから?と尋ねられ、山形からだと応えると、天童のオルゴール館に行ったことがあるとのことだった。残念ながら、天童のオルゴール館は閉館になってしまいましたと話すと、そうですってね、残念です・・・とのことばが返ってきた。
 この蓄音器館は、地元で長年レコード店を経営していた方が、個人コレクターとして収集した約540台を金沢市に寄贈して創られたものだという。
 入場料収入は微々たるものだろうから、運営はたいへんだろうが、なんとか維持していってほしいと思った。
 ただし、やはり蓄音器は“聴いてなんぼ”のもの。ただの陳列ではつまらない。
 維持していってほしいのは、施設というより、この名調子の解説と試聴のパフォーマンスの方である。


 蛇足だが、金沢ではお約束の、兼六園にも出かけた。
 いつだったか忘れてしまったが、大昔、初めて金沢を訪れた際にも、兼六園を歩いた記憶がある。まだ、金沢城址に金沢大学のキャンパスがあったころである。
 このたび目にした兼六園は、ずいぶん木々が成長し、緑が多くなった印象だった。言い方を換えれば、緑が増えすぎて、洗練された庭園としての佇まいがぼやけてきているような感じである。
 草木を撤去したり、強剪定したりするのも庭園の調和を崩す危険があるので、おいそれとは手を付けられないのだろうが、このままでは「庭園」ではなく「公園」になってしまうような気がする。
 いやはや、時間はあられもなく残酷に経過していく。あちらでもこちらでも、運営者や管理者は、この時間との闘いに、いろいろと知恵を絞らねばならないということだ。・・・あっは。




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Posted by 高 啓(こうひらく) at 10:46│Comments(0)歩く、歩く、歩く、
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