2013年07月13日
大急ぎ サロベツ原野行(その2)

(前回から続く)盛岡から「はやぶさ1号」を利用できることになり、“これで仙台前泊が回避できる”と一応は喜んだのだったが、盛岡で「はやぶさ1号」に連絡する仙台発7:05の「やまびこ97号」に乗るためには山形発5:44の普通列車に乗らなければならず、すこぶる朝が心配だったことから、結局は仙台に前泊することにしてしまった。
ということで、今回往路で利用した列車は、①7:05仙台発の「やまびこ97号」、②8:46盛岡発「はやぶさ1号」、③10:16新青森発「スーパー白鳥11号」、④12:22函館発「スーパー北斗9号」、⑤17:48札幌発「スーパー宗谷3号」となり、稚内着は22:47だった。
乗り継ぎの時間を含めると仙台から約16時間の列車の旅となったが、列車はすべて順調に運行され、好運にも、ガラガラ状態の①のほか、指定席を確保していなかった②と③でも着席することができた。
ただし、③と④の乗り継ぎの時間は僅かに8分で、それもジジババの旅客が大勢いるため早く歩くこともままならない。昼食はキオスクのレジの行列に並んでオニギリを買うのが精一杯だった。
⑤へ乗り継いだ札幌では、時間に余裕があったので駅に隣接する大丸デパートの地下食品売り場で弁当を物色したものの、食を促されるものが見つからず、結局は一番安価な秋刀魚のから揚げ弁当のようなものを買った。そして、これがこの日の夕食になった。
ところで、札幌で乗り継ぎ時間を潰しているとき、今さっき通過してきた函館~札幌間で特急の火災事故が起き、函館本線が不通になっているというアナウンスを耳にした。通り過ぎたあとでよかったとは思ったが、そういえばJR北海道では以前にも石勝線かどこかで特急列車が脱線して火災を起した事故があったことを思い出し、この旅の先行きに若干の不安を感じた。(2011年5月27日、釧路発・札幌行「スーパーあおぞら」が脱線しトンネル内で火災を起した。)
この旅の間に読んだ北海道新聞の記事によれば、JR北海道では事故やトラブルが多発しているとのことだった。経営状態が良くない?ことによって、列車や施設の老朽化が放置されるとかメンテナンスが十分出来ないなどの構造的問題があるのではないかという疑念が生じてくる。そういえば、この旅で乗車したJR北海道の特急7本の車掌は全て若い男性職員だった。ひょっとして、国鉄時代からの経験がうまく引き継がれていないのではないか、などという疑心暗鬼も生じてくる。
ついでにここでJR北海道の特急列車について述べておくと、「スーパー白鳥」「スーパー北斗」「スーパーあおぞら」「スーパーカムイ」などの主要な車両で、ドア開閉が手によるタッチ式なのに抵抗があった。衛生的でないし、ドアが開いているときに通りかかると、閉まるドアに挟まれる危険がある。
また、洗面台や手洗いがトイレ室の中にしかなく、手を洗うだけの客や鏡を見るだけの客もトイレ室が空くのを待っていなければならない。これは衛生的に良くないだけでなく、スムーズに利用する上でもすこぶる都合が悪い。
また、窓の間隔と座席の間隔の関係についてだが、これらの車両の窓は、前後の座席を向き合わせた場合に視界が広がるような間隔で配置されている。つまり、前後の座席が同じ方向を向いていると視界が狭くなる座席が生じる構造になっている。
さらに付け加えると、車両の外部に号車番号の表示がない(見つけられない)車両もある。これは利用者にとっては非常に不都合である。
山形新幹線がじぶんにとってのスタンダードになっているためか、JR北海道の特急の車両に使い勝手の悪さを感じることになったのだと思う。逆にいえば、相対的にふだん意識していない山形新幹線の快適さを感じさせられたということかもしれない。
もちろん、日本のどこでも同じレベルのサービスが受けられて当然という意識はもっていない。だから、これはこれで北海道らしさのひとつなのだという考え方もする。しかし、北海道は観光を重視すべき地域であろうし、それ以上に1970年代の光り輝く北海道のイメージに囚われているじぶんは、北海道の基幹部分は“もう少し洗練されていてほしい”と思ってしまうのである。
さて、旅行記に戻ろう。
午後23時近くに稚内に着くので、この時間から稚内で飲食するのは無理かと思っていたが、まさにそのとおり。稚内駅前はもはや深夜の趣きで、とても食事にありつける感じではなかった。
駅を出て右手に折れ、道路の右手に建つ日航ホテルを恨めしく見上げながら、安宿の「みんしゅく中山」を訪ねる。ネットで探した限りでは、この日に稚内駅周辺でシングルで泊まれそうなのはここだけだった。ユースホステルには空きがあったが、23時近い到着では受け入れられないと断られたのである。
この宿は1泊朝食つき5,250円。家族経営の様子。女将は親切そうだったし、朝食にはおかずの器がたくさん出てご飯を腹いっぱい食べてしまったが、全体としてはリーズナブルとは言えない。宿に入ると消臭剤?の臭いが強烈で、浴衣も例の臭いの粒子が弾けるような洗剤を使用しているのか、これまた強烈な臭いがする。じぶんはこの臭いになじめず、快適に過ごしたとは言えない。まぁ、翌朝、稚内駅前を8:00に出発する観光バスに乗るためこの日はとにかく稚内に到着したのだ・・・ということにして、北海道の1日目を終えたのだった。

とうことで、その観光バスだが、“日本最北端のバス会社”を謳う「宗谷バス(株)」の「日本最北端と北海道遺産めぐり」コース(3,300円)に乗車した。
このコースは、8:00に駅前を出発して、①北防波堤ドーム、②稚内公園、③ノシャップ岬、④宗谷丘陵、⑤宗谷岬と周り、稚内空港と観光施設の「副港市場」を経由して、11:45に稚内駅に戻るというもの。
2枚目の写真は、歴史的遺産ともいえる①の防波堤ドーム。バスガイドによれば、これは、昔、稚内駅から稚内港の樺太行き連絡船の乗船場に至る通路だった場所に架けられたもので、延長は427m、支柱は70本ある。昭和11年に完成したというが、元のドームは老朽化にともなって解体され、現存のドームは昭和53年に再建されたものだという。どうりで、その様相は歴史の風雪を感じさせるものではない。これは勝手な詮索だが、防波堤としては不要なものを観光資源として税金で復元したのではないかと思う。もしそうだとすれば、これは「歴史的遺産」というより、北海道の景気が良かった時代の遺物というべきものだろう。どうせ観光資源として造るならもう少しマチエールを「歴史的遺産」らしく工作したらよかったのに、とも思ったが、いや、この如何にも再建しましたという素っ気無いコンクリート構造物の姿こそが、良くも悪しくも北海道のコンテンポラリーな歴史を表現しているのだと思い直した。
②の稚内公園は稚内港を見下ろす場所。40数キロ先にサハリンが見えるはずだというが、この日は天気が良かったものの、その姿を垣間見ることはできなかった。この公園には、昭和20年のソ連の日本領樺太への侵攻によって犠牲になった樺太在住の人たちを慰霊する慰霊碑「氷雪の門」(彫刻家・本郷新の作になるブロンズ像)や、自ら青酸カリを飲んで自決した真岡(ホルムスク)郵便局の9人の女性電話交換手の慰霊碑「九人の乙女の碑」などが建立されている。
③のノシャップ岬は、日本で2番目に高い稚内灯台がある岬だが、訪れてみると海面に近い平地で、あまり呈のよくない「観光地然とした観光地」という印象。ただし、ここではバスガイドに教えられて、穴場?の「青少年科学館」の裏手にある昭和の南極観測隊関係の展示館(といってもこの建物は倉庫で入場はを無料)を観ることができた。それが3枚目の写真である。

南極観測隊が撤退時にキャンプに残してきてしまった「タロ」「ジロ」ら樺太犬の訓練をしたのがこの稚内だったということで、いまこの稚内に記念の展示がなされているのだという。そういえば、南極観測船も「宗谷」という名前だった。この展示倉庫のなかには、観測隊が実際に使用したコンテナのような基地の居住棟が展示されている。当時の基地内部の写真と合わせて、しばし想像力を逞しくした。

写真の4枚目は、稚内市街地と宗谷岬との間で車窓から見えた利尻富士の姿である。宗谷湾の沿岸を行く国道238号の海岸側には、今が花盛りのエゾカンゾウ(ニッコウキスゲ)の群落が延々と続いている。
さて、この観光バスのコースでもっとも印象に残ったのは、宗谷岬の高台に建立された「祈りの塔」(写真5枚目)だった。これは1983年9月に起きた、ソ連空軍機が領空侵犯した大韓航空機を撃墜した事件の犠牲者(16カ国、269人)の慰霊碑である。犠牲者(乗員・乗客)の氏名がそれぞれの国の言語で刻まれている。
稚内はロシアと交流が深く、道路標識や商店街の店名などにもロシア語表記がなされている。また、現在も稚内港からサハリンへ定期船が出ている。今度の滞在中にもロシア系と思われる住民(というのは、郵便局の前で預金通帳を眺めていたから)を見かけた。
しかし、先の稚内公園の慰霊碑やノシャップ岬の自衛隊アンテナ基地の存在とあわせて、ここはまぎれもなく“国境の町”であり、北の大国との緊張関係の臨場でもあるのだと改めて思い知らされる。

6枚目の写真は、稚内駅近くの「中央アーケード街」。閑散としていて、シャッターが閉まったままの店舗が散在する。そういう点では日本各地で見られる風景と変わりないが、すぐにキリル文字の店名表示に眼が行く。 だが、この写真を撮影したのは、ご覧のとおり車が堂々と路上駐車されていたからだ。このように、低迷する旧来の商店街では、店舗前の路上に駐車して買い物できるようにすることが重要だと思う。
観光バスを降りてから、稚内駅の観光案内所で紹介されたラーメン屋「青い鳥」で塩ラーメン(700円)を食す。若干塩味が強い感じだが、まずますの味だった。
最後の7枚目の写真は、新しくなった稚内駅。感じのいい駅舎ではあるが、最果てのターミナルとして旅情をかきたてる情緒は欠片もない。
駅と繋がったビルの「キタカラ」には、土産物店と一緒に映画館や介護施設も入っている。この映画館にかかっていたのはつまらないハリウッド映画のロードショウだったが、3万ちょっとの人口の町に映画館があるのは今時貴重なことだ。

稚内ラーメンで腹ごしらえをして、さてサロベツ原野へ向けて豊富に向かおうとしたとき、改札口で稚内発13:45の「特急サロベツ」が運休(!)していることを知る。
このあと豊富駅前発15:03の「沿岸バス」で「サロベツ原生花園 サロベツ湿原センター」を訪れる予定だった。この路線バスは日に3本しかなく、それが最終だったので、一瞬アタマが白くなった。 (続く)