2025年03月14日

【補論】山形市民会館設計案 「隈研吾」に学べ



 「この一連の書き込みのクライマックスに至る前に・・・」と言いながら、なかなか核心に入らないでいますが、これは読者に気を持たせてアクセス数を稼ごうとしているわけではありません。そもそもこの「んだ!」ブログは20数年も前からあるもので、閲覧数が多ければお金になるというような機能はありません。
 この書き込みのクライマックスとして、事業の進め方における根本的な問題を指摘するつもりですが、それはきわどい内容になりそうなので、できればそこに行く前にこの設計案が見直されることを祈念しつつ、3月10日に山形市HPの意見・提言の窓口から市長あて提出したお願いの返事を待っているのです。

 ということで、今回も補論を記します。


(1) 「隈研吾」をみよ

 検索エンジンに「隈研吾 やばい」と入力して情報を得てみてください。
 隈研吾氏は最近では国立競技場を設計した非常に有名な設計者です。この人(この人の設計事務所)が手掛けた公共建築物はとてもたくさんあるようです。
 しかし、この人の設計の「個性」=自己主張として取り入れられている外観に木質等を用いた意匠による建築物が、維持管理のうえで非常に負担(劣化が早く大規模修繕が必要になる)を強いるものになっていると言われています。
 設計者が公共建築物を自分の「作品」とみなし、その意匠に自分のアイデンティティを刻むことにこだわることによって、公共建築物を不適切にしてしまう(または自治体住民に理不尽な負担を強いることになる)事例は少なくありません。「建築家」と言われる人たちには「その世界」があり、「その世界」の構成員つまりその界隈の人々における評価が何よりも重要なのです。「その世界」で名声をえれば、その名声で仕事がやってきます。とくに田舎の自治体ほど、こういう人の「設計士文学」にころっといきます。市町村で職員として建築の専門職を抱えているところは極めて少なく、しかも行政職員も「自分の自治体で文化施設を建設するのは何十年ぶり」などということが普通ですので、経験を蓄積できません。
 設計者は自分のポートフォリオ(業績集・作品集)に新築の写真を掲載し、自分の「代表作」だと胸をはり、あとは野となれ山となれです。
 (ただし、施工業者は別ですよ、地元の「市村工務店」さん。) 


(2)【余談】「余目トルコ訴訟」を振り返る

 また話は飛びますが、筆者は大学で法学を学びました。(といっても「法律を専攻した」などと言える程ではありません。)
 法律に関わる人ならだれでも手元に置くのが『判例百選』という重要判例をピックアップして掲載した資料です。1980年前後の『憲法判例百選』には、「行政権の濫用」にかかわる重要判例として「余目トルコ訴訟」が掲載されていました。「余目」は当時の山形県庄内地方の余目町(平成の大合併により「庄内町」となっている)のことで、「トルコ」というのは当時「トルコ風呂」と呼んでいた風俗店(いまの「ソープランド」)のことです。
 この判例は、余目町に出店したトルコ風呂を閉店させるため、山形県がこのトルコ風呂の近くに児童公園を造り(新設したのだったか、すでにある公園を児童公園に指定したのだったか失念)、その児童公園から近いことを理由に当該店舗の許可を取り消した事案だったと記憶しています。
 いまは県の条例で山形県内にはどこにも店舗型のこのような風俗店は出店できないように規制がかかっていますが、当時はその条例がなかったのです。そこで一計を案じた県庁の担当者が「児童施設から〇〇m以内には風俗店を許可しない」という趣旨の既定のあった法律(児童福祉法)を適用して「風俗営業法違反」でこの店を止めさせようとしたのです。
判決は当然ながら山形県の敗訴でした。これが「行政権の濫用」と判断されたのです。
 筆者はこの判例百選の記載を読み、「これを全国の法学徒が学ぶのか・・・」と思うと恥ずかしくて、山形県(庁)の愚かさが悔やまれてなりませんでした。

 初めて県庁の職場(土木部道路維持課)に配属されたまだ20代ころですが、業務上関係のあった隣の課(都市計画課)の職員と飲み会をすることになり、その席で筆者はこの「行政職員として極めて恥ずかしい」事案のことを話題にしました。すると同席していた10歳以上年齢が上で職制も上の職員が、「それはおれが担当した裁判だ」と言ったのです。
 筆者は驚きじつにバツが悪かったのですが、その先輩職員は「こういう方法はまずいかもしれないという想いは頭の片隅にあったが、『とにかくトルコ風呂を止めさせろ!』という地元の声に押された県の上からの指示で何かせざるを得なかったんだ・・・」という趣旨のことを話しました。
 歴史にのこる山形県庁の「汚名」となった判例に、こういう事情があったのかと同情したものです。しかし、歴史に刻まれた「汚点」は消すことができません。


 さて、心ある山形市役所職員の皆さん、そして山形市議会議員の皆さん、ぜひ全国の「隈研吾」案件に学び、また身近では鶴岡市民会館の事例を振り返って、平田設計案を見直しすべきという声を上げてください。
 「今ではもう遅い」と考える必要はないのです。「今ではもう遅い」という空気は意図的につくられたものです。図面を配布することもなく、説明を聞き意見を述べたごく一部の人間にさえ箝口令をしいて時間をかせいで、市民をなめた「シンポジウム」や「幼稚園児扱い」する「ワークショップ」を展開することによって、そういう雰囲気がつくられてきたのです。
 「流れにおされる」「空気に反することを口にすると浮いてしまう」というのが最もヤバいことであるのは歴史が証明しています。
 この事案では、「設計案の問題」と「事業の進め方の問題」が絡まっています。関係者が考えている以上に不適切なことが出てくる可能性があります。
 新山形市民会館を「自治体の文化施設設整備の残念な事例」として歴史に残さないように、よくよく考えてください。171億円をかけて50年以上も背負っていく施設です。いくら考えても考えすぎることはありません。急ぐこともありません。まずは行政関係者として必須である設計案の「批判的検証」を行うことが必要です。


  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 11:37Comments(0)作品評批評・評論