2009年08月12日
サッカーと資本主義
さて、前回の書き込みで「次回に続く」と持ち越した大澤真幸の「サッカーと資本主義」(『性愛と資本主義(増補版)』(青土社)所収)という文章を読んで、<この山形という地域性とプロ・サッカーチームの関係>について考えていることを記してみる。
まず、「サッカーと資本主義」という文章にはどんなことが書かれているか、それをじぶんなりに抽出し、対象化してみると、それは次のようなことになる。
なお、以下は、大澤の論の概略というより、その論旨をじぶんなりに言い換えたものである。大澤の論理展開は、以下にじぶんがのべることよりも“高尚”でスマートである。興味を持った方は、ぜひ原文にあたってほしい。
サッカーは、その原初形態においては、村をあげて、村の区域全体で、どちらかがゴールを決めるまで時間無制限で行われていた。それがパブリック・スクールに持ち込まれて、時間と場所の制限が行われ、ルールが整備されていった。
初期には、時間無制限で「1点先取で決着」方式だったものから、時間を区切って得点の多寡を競う方式に移行したことで、いわば蕩尽または祝祭として行われていたサッカーが、社会制度下における「ゲーム」となった。(大澤が、蕩尽とか祝祭とかいう言葉を使っているわけではない。)
ゲームとなったということの意味は、この祝祭的経験とその快楽が、制度的に“繰り返される”ものになったということでもある。このことが資本主義の段階に相応している。
つまり、前資本主義的社会において、蕩尽や祝祭であった行為の機能が、まさに<投資>された財貨が<回収>されることに転形されているのである。
<投資>とその回収すなわち<利潤>の取得という過程は、一度きりでは資本主義的生産様式を支えるものとならない。つまり、それは時間の経過とともに繰り返されなければならない。これが、サッカーが「1点先取で決着」方式から、「時間内に多くの点を取った方が勝ち」方式へ移行したことに相即している。
一方、アメリカでは、世界でこれだけ人気を博しているサッカーの地位が、なぜ低いのか。
それはサッカーのルールに理由がある。サッカーでもっとも重要なルールは、「オフサイド」である。このルールが得点の入りにくさをもたらし、したがって得点が得られたときの歓喜の大きさを保証している。
しかし、発展したアメリカ資本主義は、この程度の(サッカーのゲームにおける、せいぜい1ないし3点程度の得点という)繰り返しの度合いでは満足できない。そこで、オフサイドを撤廃するか(バスケットボール)、オフサイド・ルールを最初だけに形式化し(アメリカンフットボール)、得点が得られやすいゲームを発明した。
<投資>と<投資結果としての利潤>が繰り返されることで、それは個別的な投資とその回収という過程を脱し、<投資>と<利潤>の無限連鎖の過程(つまりは“金融資本主義”)へと変質している。
この無限の過程では、<投資>する主体が、すでにその意識と存在形態に、投資の回収という“終わりの姿”を、あらかじめ繰り込んで存在している。したがって、もしこの過程に終わりがあるとすれば、それは“終わり”ではなく、破綻(=恐慌)である。
こうして、得点という歓喜または失点という落胆が、厳密に決められた時間の枠内で、何度も何度も繰り返されるバスケットボールこそが、いわば現代資本主義(最近流行の言い方でいえば、“マネー資本主義”)を表象しているというわけである。
ところで、“J1モンテ”を愉しむようになって、じぶんは、マンチェスター・ユナイテッドの試合までテレビ観戦するようになってしまったが(苦笑)、映像を見ていると、ゲームのすばらしさとは裏腹に、あの風景にはとてもうんざりさせられる。それは、あの画面に映し出される観客の姿である・・・あの人々は、多くがまさに労働者階級であるのだろうが、しかし、あえて言えば、まるで<労働者階級>を自ら進んで体現しているようではないか。
さて、先に「ぼんやりと、この山形という地域性とプロ・サッカーチームの関係を考えている」と述べたのは、このことである。
“J1モンテ”が、プロ・サッカーチームを山形に根付かせつつあるのは喜ばしいことではあるが、一方で、もしモンテを支える基盤が山形に根付くとすれば、それはこの山形が、まさにマルクスの時代の資本主義を体現するということでもあるのではないか・・・。
読者は、おまえは何をバカなこと言っているんだ、日本は高度な資本主義社会であり、山形だっていかに田舎だろうが、とうの昔から資本主義じゃないか、と思われるだろう。
もちろん、そのとおりである。しかし、問題は、資本主義化の度合い、つまり住民の関係性乃至関係意識における資本主義化の度合いなのである。
“J1モンテ”がサポーターを増やし、ファンを拡大し、地域に根付くとすれば、それは山形というこの地域の関係性が、これまでより幾分かゲゼルシャフトリッヒになったということを意味するだろう。
ちょっと乱暴だが、この“山形の資本主義化”の目安を、農業の衰退を示す指標においてみたい。
山形県における農業部門の総生産額が県の総生産額に占める割合は、1990年が5.3%だったものが2005年には僅かに3.0%(!)に減少しており、また、総就業者数に占める農業就業人口の割合は、1990年が17.6%だったものが、2005年には13.9%となっている。(ついでに、2005年における農業就業者に占める高齢者(65歳以上)の割合は、56.7%)
このように山形県は、産業別の産出額や就業人口の割合でみれば、とっくの昔に「農業県」ではなくなっている。
しかし、もうひとつ大事な指標がある。それは、「農家」の割合に関する指標である。
まず、総世帯に占める農家の割合を見ると、1990年に24.6%であったものが、2005年には15.9%に減少している。
もっとも注目したいのは、農家人口率(総人口に占める農家の世帯員数の割合)である。1990年には29.1%であったものが、2005年には19.1%となっている。
1985年に36.6%だった農家人効率は、バブルの時代を経て、急速に減少してきた。つまり、20年ほど前、山形県人の3人に1人(!)は農家の構成員だったのだが、今や、1世帯あたりの構成員数の減少も相俟って、おそらくは、6人に1人程度に減少していると思われる。(ちなみに、それでも山形県は、2005年時点で、1世帯当たりの平均人員3.09人、三世代同居率24.9%で、何れも全国第1位。)
“J1モンテ”とそれをめぐる諸事情の風景は、農業の衰退とそれに伴うこの地域の関係性の変貌を表象しているとはいえないか。
それはつまり、こういうことだ。
農家人口率が高いということは、大雑把にいえば、その社会に、前近代的な地域の関係性や保守的な家族関係が残存している度合いが高いということだと考えていいだろう。
<山形>が農業から離れていく過程すなわちゲマインシャフトリッヒな関係が解体していく過程が、農家人口率の低下に表象されている。それはすなわち、この山形という社会がゲゼルシャフト化、すなわち資本主義化の度合いを深めていく過程でもある。
ゲゼルシャフト化していく社会の、ある段階における<祝祭>の一形態・・・それが“地域に根ざしたプロ・サッカーチーム”への<投企>だと仮定すれば、「サッカーと資本主義」の論旨は、私たちの認識にするりと入り込んで重なる。
農業の衰退、すなわちこの地域社会の衰退は、驚くほど急激に進行している。たしかにこれはやばい。
一方、前近代的な地域の関係性や社会と家族の保守的な旧弊が解体していくことを、1950年代に生まれた人間として、つまりは記憶の下層に非近代的風景を抱えている者として、じぶんは、基本的に評価し、支持する。この部分では、じぶんは、近代主義者あるいは吉本隆明主義者である。
だが、しかし、である。
あのマン・Uの試合の画面に現れる風景にはうんざりするし、また、モンテのファンたちが、あの仙台や浦和や鹿島のサポーターたちのように、“サポーター然”とした姿になっていってほしいとは、けっして思わない。
このへんが、じぶんが、熱烈なモンテ・サポになれないもうひとつの理由であるような気がする。
この複雑な想いは、まぁ、わかる人だけ、わかってくれれば、いい。・・・・あっは。