2008年11月24日
モンテディオ山形とJリーグをめぐる複雑な想い
2008年11月23日(日)、山形県総合運動公園で、モンテディオ山形対ロアッソ熊本の試合を観戦した。
モンテはこの試合に勝利すれば、10年来の悲願だった「J1昇格」を決められるはずだったが、1対1で引き分け、昇格は次節へ持ち越された。
当日は、気温が低く、雨模様。観戦日和からは程遠かったが、13,000人あまりの観客が集まった。これにお天道様が応えてくれたのか、試合が始まると厚く暗い雲が割け、陽が射しはじめた。もっとも、前半、南に向かって攻めるモンテにとっては、冬の低い陽射しは逆光となって、不利に働いたかもしれない。
写真のとおり、メインスタンドからの眺めは、ピッチの緑と近場の山々の紅葉、そしてその遠方の山々の冠雪が日の光に輝いて、絶妙な配色となっていた。
まず、試合の印象から。
前半、モンテの動きは良くなかった。昇格を意識して、ずいぶん硬くなっているような印象を受けた。それに比べて、最近の7戦に負け無しという熊本は、自分たちの負けで昇格を決めさせてたまるか・・といった風で、気力が充実しているように見え、非常にアグレッシブなプレーでモンテを押し込んでいた。
前半は、バーに嫌われた豊田陽平のヘディングシュートくらいで、モンテにいいところはなかった。
そして、後半、モンテのコーナーキックを奪った熊本が速攻。
そのシュートが、球筋を読み構えに入っていたGK清水の股を抜いてゴールマウスへ。・・・清水らしからぬミスで失点した。寒さと昇格を意識したところからくる緊張が体の反応を鈍らせたのか、濡れたボールに手が滑ったのか・・・とにかく清水はとても悔しそうだった。その後の清水のプレーは、好守だったと言っていいと思うが。
観戦していていつも思うのは、モンテの選手たちの、ロングボールの扱いの下手さである。
CKなどのロングボールや高く上がったボールを、ほとんど味方ボールとすることができない。
ヘディングしても味方へのパスに繋がらない。この部分は小学生のサッカーを見せられているようだ。
しかも、この試合では、中盤からのパスについても、球筋を熊本に読まれて、カットされる場面が多かった。プレスの掛け方でも熊本に負けていた。
スローインも、わざわざ相手がダブルチーム(これってバスケットだけの用語?)でマークに来ている近場の味方に出して、ボールの支配権を奪われている。もっと遠くへ投げられるよう練習してほしいものだ。
モンテの良いところが出たのは、後半もさらにその後半になってから。
サイド攻撃を連続させ、次第に得点できる雰囲気を醸し出していった。コーナーキックに入るとき、これはきっと得点できるな・・・という感じを抱かせてくれた。そして、宮本のクロスを豊田がヘディングで決め、同点とした。これが後半43分。
この後、残り2分とロスタイム4分の間は、スタジアムがこれまでにない期待と興奮に包まれた。この雰囲気はやはりスタジアムに行った者でないと味わえない。
しかし、試合を振り返ると、モンテの攻撃が力強さを持ったのは、相手がレッドカードで10人になってから。
この試合内容では、この寒さの中を駆けつけた13,000人あまりの観客と、昇格を待ち望むボランティアスタッフに対して、ちょっと申し訳ない出来だったと言わざるを得ない。
また、後半、流れを変えるために、もっと早く選手交代のカードを切るべきだったと思う。(選手層が薄くて、なかなかそれも難しいのかもしれないが。)
さて、ここからは、サッカーをめぐる勝手な想い。
自分は、モンテディオ山形のファンであり、しばしばスタジアムに足を運ぶ観客であるが、「サポーター」という存在ではない。
サッカー観戦を楽しみながら、心のどこかにわだかまりがあって、熱いファンになることを躊躇っている。
誤解を恐れずにいえば、まずじぶんは、あるサッカーチーム乃至はあるスポーツのチームが好きかどうかということの前に、世に言う“サポーター”という存在を忌避しているのかもしれない。
じぶんのスポーツ・チームに対するサポート経験は、息子たちのミニ・バスケットボールへの関わりくらいだが、それでもずいぶんのめり込んだ。スポーツ少年団の会長をやり、コーチ及び保護者たちとの付き合いや、頻繁な練習試合に遠征の手配を初めとしたチーム・マネージメント、それに学校との付き合い(というより学校への突っ張り)などを勤め、さらにはスコアラーとしてベンチに入る経験もした。
そこから言うと、サッカーでいう「サポーター」の立ち位置に関する(おそらくは事情を知らないことからくるのではあるだろうが・・・)異和が先行している。
それは、どんなに一生懸命でも、応援という“サポート”で、日常の大きな部分をそのチームへの関心に向けていること(及びその人々が自分を「サポーター」と認識していること)への異和だ。これは、じぶんに言わせれば、自己欺瞞じゃないのか・・・となってくる。
おれは、じぶん自身から離れたところにあるものには、けっして自己実現や自己証明を求めたりしない・・・という意識がある。
だから「ファン」にはなっても、サッカーでいう「サポーター」にはなりたくない。
・・・なぜか、プロ野球の「応援団」だと、まだ許容できるのではあるが。
さて、次はJリーグへの異和について。
モンテはJ2が発足したときからのJ2加盟チームで、これまでずっと昇格できないできた。・・・しかし、昇格できないのは「モンテディオ山形」というチームであって、チームの監督や選手だったわけでは必ずしもない。(逆に言えば、チームが昇格したからといって、メンバーの多くが昇格できるわけではない。)
つまり、これまで何度か昇格争いに絡む好成績をあげてきたのだが、その成績に応じて、何人かの監督や選手はモンテを去って「J1に昇格」してもいるのである。
実績を上げる活躍した指導者や選手が評価され、J1のチームやJ2のチームに引き抜かれる・・・プロ・スポーツにおいて、これは当たり前であり、必要不可欠なことだとは思うが、しかし・・・である。
プロ野球のように、ドラフト制度もなければFAもない。
ようするに、金や地位を求めてチームの構成員が動く度合いが相対的に大きく、<チーム>(サッカーでは<クラブ>というべきか・・・)というものにおける構成員集団のアイデンティティが、希薄というか、流動的過ぎるのである。
・・・にも拘らず、人々は「地元のチーム」だと言って、ホームチームを応援する。
じつは、「地元のチーム」なんて、その内容がコロコロ変わる代物で、変わらないのは「地元のチーム」という枠組みだけである。要するに、それは<共同幻想>である。
地元のサッカーチームという共同幻想に想い入れするということを全否定する気持ちは毛頭ないが、しかし、そこに<内実>つまりアイデンティティを求める思考を失いたくないと思う。
つまり、来期J1に立つモンテが、小林監督とともに清水や豊田や宮本や根本や財前やレオナルドや・・・を擁して存在するということ・・・現在のJリーグのあり方からして、それが不可能であっても、である。
さて、こんな捻くれた理屈を捏ねてはいるものの、やはりじぶんもモンテのJ1昇格を渇望しているし、あのゴールが決まったときの興奮や得点差を守りきったときの喜びはなんとも言えない感動である。
心のある部分に異和を持ち続けながら、じぶんはこれからもあまり熱心でないファンとして、ときどきスタジアムに足を運ぶだろう。
最後に余談だが、スタジアムの売店で売っていた「勝(かち)ピー」。
地元の菓子メーカー「でん六」の柿ピーだが、これに座布団一枚!
ボリューム満点(85g)で100円とは安い。386kcalもあるので、食べ過ぎに注意。