2008年11月16日

「太田三郎―日々」展



 山形美術館で「太田三郎―日々」展(2008.11.1〜11.30)を観た。

 太田三郎については、このブログの2007年8月16日付の記事「『coto』第14号」で書いたように、同誌に掲載された佐伯修「雲と残像―現代美術を媒介として 種子と遺言(上)」を読み、また同誌第15号で、その続きである「雲と残像―現代美術を媒介として 種子と遺言(下)」を読んで興味を引かれていたので、その太田の回顧展が地元山形で開催されると知り、少し楽しみにして晩秋の山形美術館を訪れた。

 まず1階の展示室には「POST WAR」というシリーズの「切手」作品がずらりと展示されている。
 「POST WAR 50」(1995)は、中国残留孤児たちの肖像写真を切手にした作品。
 そして、「POST WAR 54」(1999)は被爆地蔵、「POST WAR 55」(2000)は被爆樹、「POST WAR 56」(2001)は戦没画学生慰霊美術館「無言館」に収蔵された戦没画学生の作品(自画像など)、「POST WAR 60」は被爆者・・・と、こんな素材たちが私製の切手にされ、1シート20枚の組にされて額に納められている。

 つぎに「Seed Project」と題された一連の作品がある。
 太田は、1991年から、植物の種子を採取し、それを私製切手に封入した作品を製作してきている。また1995年1月1日からは、種子を採取し、それで切手を作ることを日課にしてきたという。
 また、このバリアントとして、牛乳パックから再生されたパルプに種子を漉き込んで葉書にした作品もあった。1万枚の葉書が紐に連ねられて天井からぶら下がっている・・・。

 太田は、コメントの書かれたパネルで、このように郵便で種子を遠くへ飛ばすことは「未来に対して肯定的な気持ちになる」と言っている。
 また、「Seed Project」の一連の作品に付随して、「Seedy Clothes ― Gift for Parents」と題された作品もある。これは、種子の入っていた鞘を写真に取り、その画像を並べて切手にしたものである。太田は、この作品を「命を生み育んで世に送り出したすべての『親』たちに捧げる」とコメントしている。

 2階の展示室に上がると、そこには「Data Stamps, 5 July 1985 to 14 July 2008」と題された切手シート作品が、額に入れられて広い展示室の壁にずらりと並べられている。
 1つの額には、1シート100枚の40円の官製切手が入っていて、それらの1枚1枚に、毎日の消印が押されている。
太田は1985年7月5日から、毎日郵便局を訪れ、持参した切手に消印を押して、それを返してもらうということを日課にしてきたのだという。
 パネルには、毎日消印を押してもらうということに意味を見出していても、「これは作品でないかもしれない」という「おそれ」を払拭できなかった・・・と書かれている。
 ところで、なぜそれが40円切手なのかといえば、郵便局は40円以上の切手でないと消印を押してくれないからとのこと。しかも、1986年以降は、これが50円以上の切手に値上がり?したという。
 ということは、太田のように、郵便局に切手を持参し、消印を押して返してもらおうとする人間が他にもいるということかもしれない。

 2階の展示室の壁には、また別の作品もあった。
 日本各地の郵便局の消印を押した切手を壁に貼り付けて、その壁に切手で日本列島を模った作品や、これも日本各地の郵便局に、鉄腕アトムの誕生日(2003年4月7日)の消印を、鉄腕アトムの官製切手に押印してもらって、その郵便局の位置に切手を貼ることで壁面に鉄腕アトムが空を飛んでいる姿を模った作品(それは例の、右手の拳を前に出し、左手を胸のあたりに曲げて構えた典型的なアトムの飛行スタイルだ)など。

 総じて、その切手や葉書の作品群の数に圧倒される。数に圧倒されるというよりも、その小まめな造作と持続された作業量に圧倒されると言った方が正確かもしれない。
 しかし、その種子と消印スタンプの数を見せつけられれば見せつけられるほど、じつは異和が膨らんでもきたのである。





 その異和について、少し述べてみたいと思う。

 その異和の第一は、「Seed Project」の意図に関するものだ。
 佐伯修の「雲と残像―現代美術を媒介として 種子と遺言(下)」に、太田の発言が引用されている。太田は、このプロジェクトの本当の意味を、切手に封入された種子をなるべく遠方に飛ばし、それを実際に播種してもらうことにあると言っている。
 ところで、佐伯は自分のことを「もともと広義の生物学畑の出身である私にとっては、近親感を覚える」と太田の切手作品について述べているが、これも含めて異議を唱えておきたい。
 生物学、とりわけ生態学を齧った人間なら、種子を郵便で飛ばして、その先に播種するなどということを認めることはできないだろう。
 もっと本質的なことを言えば、太田は、種子が郵便で遠くへ運ばれそこに播種されることを意図しているが、その届けられ播種される先に、すでに“先住民”たる植物が自生しているであろうことに想像力が及んでいない。
 これは「未来に対して肯定的な気持ちになる」どころか、手前勝手な幻想で、生態系の撹乱をもたらすかもしれない「プロジェクト」なのだ。少なくとも山形県内には、こんなものを送り付けないでほしい。(笑)

 あるいは、このようにも言うことができるかもしれない。
 これらの夥しい種子・・・それを太田は毎日毎日採取し、切手や葉書に封入し、そして作品として、吉本隆明風にいえば、額に“ピンでとめて”きたのである。
 しかし、太田の作品において種子は遠くへ飛ばされ未来に伝えられるものだとしても、種子それ自体としては、まず“そこ”に落ち、“そこ”で発芽しようとしていたのだ。
 採取者は、とりあえずは、種子がその場所で発芽する可能性を奪っている。そのことを自覚しているだろうか。

 あるいは、もっと別の角度から言えば、植物も含め、そもそも生物とは、そんなに大人しくて美しいものではない。それは生々しく、言い換えればグロテスクなものであり、個別種は見苦しいほどに貪欲なものだ。
 だからこそ、ある種が膨大な種子を産出しても、その拡散は限られ、自然のなかではほんの一部しか生育しないように仕組まれている。生物への畏れ、そして種相互間の相互抑制や均衡という自然の狡知への配慮がない者は、種子すなわち生命の可能性の未来を取り扱うべきではないのではないか・・・。(と、じぶんは、また知ったかぶりをする。しかし、たまたま、現在、自然環境関係の仕事をしているので、こうなってしまうのである・・・)


 異和の第二は、郵便局のスタンプに関するものだ。
 太田の作品では、郵便局のスタンプが「自己確認」や「自己証明」として先験的に規定されている。
たとえば、切手に消印を押してもらうことが、その日に自分がそこに存在したことの証明になるとか、郵便局の消印が押された切手で模られた日本列島のなかに、ある町の郵便局の消印が押された切手があることで、その年月日にその町が存在したことの証明になるとか・・・。
 なぜこんなに「郵便局」を疑わずに作品を形成できるのか。郵政が民営化された今日ではなおさら、この前提はあまりにお目出度いし、欺瞞でさえある。
 無論、太田の作品の多くの部分は、郵政民営化や郵便局の統廃合など考えられもしなかった時代のものである。しかし、そんな時代であったとしても、いや、そんな時代だったからこそ、郵便局の消印を先験的に「証明」と看做して疑わない営為が作品化されていることに、安直で凡庸なものを感じてしまう。
 もし、郵便局が存在の証明機関であるならば、それが廃止された田舎では、人間の存在も日時も証明されえないということになるではないか・・・。

 さて、ここまで表面的に批評してきて、ふと立ち止まる。
 いや、ひょっとして逆なのかもしれない・・・太田は「証明」を求めて、種子の採取や郵便局の押印を日課にしてきたが、意識的か無意識的かを問わず、そもそもそれらの証明力が空無であること、もしくはそれらを信じられない自分がいることを悟っていて、まるで強迫神経症患者のように、その空無を埋めようとして、こうしていつまでも同じ営為を止められないのではないか・・・などと。


 晩秋の曇り空・・・山形美術館の喫茶から見える曇天下の霞城公園の紅葉は、それはそれで、憂鬱そうに味のある雰囲気を醸し出していた。日曜日の午後だというのに入場者は疎らだった。
 私はここでは批判的に言及したが、この作品展が語りかけてくるものは小さくない。
 例の山本幡男の遺書のテキストを筆写した太田の作品「最後に勝つものはまごころである」も、展示されている。

 観覧をお薦めしたいと思う。11月30日までの開催である。




  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 11:12Comments(0)美術展