2013年12月07日

「アンリ・ルソーから始まる素朴派とアウトサイダーズの世界」展





 渋谷から東急田園都市線に乗り、初めて用賀駅に降り立った。閑静な住宅街を歩き、砧公園のなかにある世田谷美術館へ。
 「アンリ・ルソーから始まる素朴派とアウトサイダーズの世界」(Homage to Henri Rousseau ~The World of Naïve Painters and Outsiders~ 2013年9月14日~11月10日)を観た。その感想を記す。

 なお、じぶんが美術展について書いた記事はだいたいがそうであるが、美術展のカタログを購入しそれを改めてじっくり読み、そこにある解説文を参照して記述しているというのではない。展示現場で出品リストのプリントに書き込む簡単なメモと記憶だけから作品に関する情報を記述していることを理解いただきたい。つまり、ここにアップするまで時間が経過している場合は殊更だが、しばしば記憶違いや勘違いをしていそうだということである。

 最初に「素朴派」とは何かについてWikipediaから引用すると、「主として、19世紀から20世紀にかけて存在した、絵画の一傾向のこと。『ナイーヴ・アート』(Naïve Art)、『パントル・ナイーフ』(Peintre Naïf)と呼ばれることもある。一般には、画家を職業としない者が、正式の教育を受けぬまま、絵画を制作しているケースを意味する。すなわち、その者には別に正式な職業があることが多い。」とのことで、ここで言う「アウトサイダー」とは、「アウトサイダー・アーティスト」を指し、それは「特に芸術の伝統的な訓練を受けておらず、名声を目指すでもなく、既成の芸術の流派や傾向・モードに一切とらわれることなく自然に表現した作品」を創る者のことであるようだ。
 なお、「フランス人画家・ジャン・デュビュッフェがつくったフランス語『アール・ブリュット(Art Brut、「生の芸術」)』を、イギリス人著述家・ロジャー・カーディナルが『アウトサイダー・アート(英: outsider art)』と英語表現に訳し替えた」とも記載されている。

 「アール・ブリュット」といえば、このブログでは先に「岩手県立美術館と『アール・ブリュット・ジャポネ展』」という記事を掲載している。この作品展におけるアール・ブリュットの作品たちがとても印象的だったので、今回の世田谷美術館の展覧会にも期待して出かけたのだったが、ちょっとばかり肩透かしを喰らわされたという感じがする。
 
 さて、「アンリ・ルソーから始まる素朴派とアウトサイダーズの世界」展は、次のような章立てになっていた。
 1 画家宣言―アンリ・ルソー―
 2 余暇に描く
 3 人生の夕映え
 4 On the Street, On the Road 道端と放浪の画家
 5 才能を見出されて―旧ユーゴスラビアの画家―
 6 絵にして伝えたい―久永強―
 7 シュルレアリスムに先駆けて
 8 アール・ブリュット
 9 心の中をのぞいたら
10 グギングの画家たち

 「1 画家宣言―アンリ・ルソー―」では、パリ市の税関に22年勤めてから絵を描き始め、1884年に40歳で初めてアンデパンダン展に出品したというアンリ・ルソー(1844-1910)の絵画が4作品展示されている。
 「サン=ニコラ河岸から見たシテ島」(1887‐88年頃)は、月とその淡い逆光に照らされた世界を寓話的に描いていて印象に残った。

 「2 余暇に描く」では、フランスで庭師の子に生まれ、苗木商だったというアンドレ・ボーシャン(1873-1958)、農夫や道路工事人夫、そして見世物のレスラーなどを経てパリで印刷工となったカミーユ・ボンボワ(1883-1970)、パリで郵便配達人をしていたルイ・ヴィヴァン(1861-1936)、イタリアで靴のデザイナーとして名を成していたオルネオーレ・メテルリ(1872-1938)、雇われ農夫だったピエトロ・ギッザルディ(1906-1986)、そして英国の首相だったサー・ウィンストン・S.チャーチル(1874-1965)らの作品が並べられている。
 アンドレ・ボーシャンの作品「ばら色の衣装をつけた2人の踊り子」(1928)や「地上の楽園」(1935)はまさに“素朴”というほかない画風だが、そこに描かれた人物が白人のようではないのが印象的である。
 カミーユ・ボンボワ「三人の盗人たち」(1930)は、3人のスカートを穿いた女たちを描いているが、ひとりはスカートの中のズロースが見えそうに、もうひとりは草叢に尻をついていて股から尻が見えそうに描かれている。このいかにも下品そうな女たちが何を盗んだのかに想いを馳せてしまう。
 ルイ・ヴィヴァンの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」(1925)、「メドラノ・サーカス」(1931)、「凱旋門」(1935)などの油彩画は、小学生のおでかけ絵日記を少しだけ緻密にしたような作品である。
カミーユ・ボンボワやルイ・ヴィヴァンは、モンマルトルの街頭に自分の絵を並べていたところを批評家に注目され「聖なる心の画家」として取り上げられたという。
 ピエトロ・ギッザルディは、古紙のダンボールに植物、果物、ワイン、血、煤などで人物を描いた。「公爵夫人」(1969)、「ロマの女」(1970)などは女性の顔が網のような線で描かれている。上流階級の人妻も最下層のジプシー女も、彼にとっては等しく憧れと欲情の対象だったのかもしれないし、逆に宇宙人のように不可思議な生物だったのかもしれない。
 さて、この章は、カミーユ・ボンボワ、ルイ・ヴィヴァン、ピエトロ・ギッザルディら下層階級出身者の作品と、政界引退後に大規模な個展を開催したチャーチルの風景画を「余暇に描いたもの」という括りで並べてみせたところが、まぁ面白いと言えば面白いのだが、やはりちょっと無理があって、展示された順番どおりに作品を観ていく多くの観覧者に、展覧会としての構成が散漫になっている印象を与えもする。チャーチルが「アウトサイダー」だというなら、美術学校を出ていない絵描きのことはみんな「アウトサイダー」と呼ばなければならなくなる。社会的存在としてはもちろん、その風景画の画風からしても、チャーチルを「アウトサイダー」と呼ぶことはできないだろう。

 「3 人生の夕映え」では、己が人生で苦難や不幸を味わったひとびとが晩年に絵に熱中して描いた作品が取り上げられている。
 この章で印象的だったのは、脳溢血になってリハビリのために石を彫り始め、やがて絵を描くようになった塔本シスコ(1913-2005)の油彩画「秋の庭」(1967)である。







 「4 On the Street, On the Road 道端と放浪の画家」では、アラバマの奴隷の子として生まれ、リューマチになって妻を亡くしたことを期に85歳で突然絵を描き始めたビル・トレイラー(1854-1947)の「人と犬のいる家」(製作年不詳)、60歳を過ぎてから突然描き始めたというウィリアムス・ホーキンズ(1895-1990)の「スネーク・レスラー」(1988)「バッファロー 6」(1989)などに視線が向かう。
 「スネーク・レスラー」は黒いレスラーが大蛇に巻きつかれて格闘している姿で、その作風にはポップアートの要素があって既視感を抱く。「バッファロー 6」はメゾナイトにエナメル、トウモロコシ粉などで描かれた立体画。バッファローの頭部が岩のように異様に大きく張り出しており、下腹部には男性器も描かれている。その重量感や激情性の感受と対照的に、色彩やマチエールにおける常識との不整合性には、ある種の繊細さをもって神経の敏感な部分を逆撫でされるような感じがする。
 なお、この章には、名の売れた山下清(1922-1971)の「晩秋」(1940-1956)やジャン=ミシェル・バスキア(1960-1988)の「無題」(1985)も展示されている。山下の貼り絵作品の手作業としての緻密さとバスキア作品の薬物中毒的な匂いには引き込まれないこともないが、どちらも彼らの作品の中ではあまり印象に残る部類の作品ではない。

 「6 絵にして伝えたい―久永強―」は、1945年から49年までシベリアに抑留された久永強(1917-2004)の絵画作品30点で構成されている。
 久永は、1987年に下関で開催された香月泰男の個展で「シベリア・シリーズ」を観て、「これは私の知るシベリアではない。私のシベリアを描かなければならない。」と思い立ち、43点の作品を製作したという。
 画風は素朴で淡々としているが、各作品に付されている作者のコメント(描かれているラーゲリ生活や森林伐採の強制労働の様子そして死んだ同胞についての説明)を読みながら作品を眺めていると、この作品の素朴さこそが、すぐそこにある死、それもボコボコと日常的に訪れる死の感触を、鑑賞者にも忌避できないものとして伝えてくるのだとわかる。

 「7 シュルレアリスムに先駆けて」では、草間彌生(1929- )のコラージュ作品「ねぐらにかえる魂」(1975)、「君は死して今」(1975)、「夜、魂のかくれ場所で」(1975)が印象的だった。
 「ねぐらにかえる魂」は鳥の目のコラージュ。「君は死して今」では、鳥の死骸から球のような魂が空へ上っていくところが描かれており、「夜、魂のかくれ場所で」では、木の幹にフクロウたちがぎっしりと詰められている。草間彌生というと、どうしても水玉模様やどぎつい色彩のオブジェを想起してしまうが、これらの作品では、フクロウたちが、デフォルメされないまま、いわば実写的に描かれている。これらの作品は草間彌生風の“これ見よがしなどぎつさやあざとさ”をもった作品ではないが、むしろこれら方が、少女時代から統合失調症を患っていたという草間自身の幻視体験に近いのかもしれない・・・などと思えてくる。
 ただし、草間は美術学校を出て、若くして職業芸術家としてのスタートを切った人物であるから、「アウトサイダー」というわけではないだろう。ここに挿入する必然性があったのか疑問である。

 「8 アール・ブリュット」に区分されている作品は僅かに3点で、いずれも印象に残っていない。キュレーターが「アール・ブリュット」をどのような定義でとらえているのかもはっきりしない。
 そのことは作家4人の9作品を展示している「9 心の中をのぞいたら」についても言える。このなかでは、メキシコからカリフォルニアにやってきて精神病を病んだといわれるマルティン・ラミレス(1885-1960)の絵画作品「無題(ボート)」(1950)が印象的だった。

 最終章は「10 グギングの画家たち」。
 ここでいう「グギング」とは、精神病院の中の患者たちのためのアトリエ「グギング芸術家の家」のこと。
 ヨハン・ハウザー(1926-1996)はスロバキア生まれ。17歳から精神科に掛かり、1947年から精神病院に入院している。 「悪魔の姿をした女」(1989)は朱色とオレンジ色で描かれたまさに悪魔のような女で、その毛髪はそれ自体が別個の生き物であるかのうように活発に繁茂している。「婦人」(1974)に描かれた人物はほとんどゴリラ、それも赤い毛むくじゃらのゴリラである。
 オスヴァルト・チルトナー(1920-2007)はオーストリア生まれ。ドイツ軍の一員として第二次大戦のスターリングラード攻防戦に臨み、フランスの捕虜となって精神に異常をきたす。戦後すぐ精神病院に入院し、1981年からは亡くなるまで「グギング芸術家の家」で過ごしたという。
 「婦人(G.クリムトを模して)」(1973)は、頭部と足しかない横向きの人物像を、極端に縦方向に引き伸ばして描いている。たしかにクリムトは人物を縦長に造形しているが、この作品からクリムト作品を想像することはできない。


 さて、これらの章立てからみると、自分としては第7章から第10章までにとくに期待する気持ちで観て廻ったが、これらの章も、また展覧会全体としても、いまひとつパッとしない印象を受けた。なにしろ「素朴派」なのだから、それほどパッとしたりハッとしたりする作品はないのかもしれないが、「アール・ブリュット」や「アウトサイダー・アート」の作品には、もっともっと惹きつけられるものがあるはずだと自分に言い聞かせながら観て歩いた。しかし、その期待は叶えられなかった。

 この原因は、ひとつには自分自身の方にあり、つまりは、岩手県立美術館の『アール・ブリュット・ジャポネ展』の印象が強く残っていて、その印象に釣り合う作品を探し求めてしまったという事情である。しかし、その一方で、そのことを割り引いても、やはりこの展覧会は芯が細く、かつは全体として散漫だったという感じがする。
企画者は、その解釈に対する批評を恐れることなく、「アウトサイダー・アート」におけるいくつかの要素をしっかりと提示したうえで、各章の章立て(つまり分類)の意図をその要素との関連で明示し、それに沿って作品をもっとポジティブに提出すべきだっただろう。

 世田谷美術館は「素朴派」や「アウトサイダー・アート」をコレクションしているようだが、この機になるべく多くの作品を展示しようと考えたのかもしれない。集客に難がありそうな「旧ユーゴスラビアの画家」や「久永強」を含めたことはいいとしても、それ以外のメインの章でガツンとやってほしかったという(観客としての身勝手な)想いが湧き、すでに真っ暗になっていた用賀駅までの帰り道がやや遠く感じられたという訳である。 (了)                                                                                                                          







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Posted by 高 啓(こうひらく) at 17:48│Comments(0)美術展
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