2012年12月08日

メトロポリタン美術館展

メトロポリタン美術館展




 リフォームされた東京都美術館で「メトロポリタン美術館展」(2012年10月6日~2013年1月4日)を観た。その感想を記す。

 この展覧会のキュレーターはメトロポリタン美術館のピーター・バーネットという人物。
 「Earth, Sea, and Sky : Nature in Western Art ; Masterpieces from The Metropolitan Museum of Art」(邦題「大地、海、空―4000年の美への旅 西洋美術における自然」)という題名が付けられている。
 章立ては、第1章・理想化された自然、第2章・自然のなかの人々、第3章・動物たち、第4章・草花と庭、第5章・カメラが捉えた自然、第6章・大地と空、第7章・水の世界、となっている。
 紀元前1,000~2,000年代のエジプトやメソポタミアで製作された動物の像・装飾品・器などを「西洋美術」の括りに入れるのは如何なものかと思うが、この展覧会にはまさにキュレーターが意図したとおり「これが西洋だぞ!」といったふんぷんたる臭気が充満している。
 初手から言い切ってしまえば、古代エジプトやメソポタミアの作品を除いて、これらの展示作品に形象化されているのは“普遍的な自然”ではなく、すべて“西洋的な自然”、就中“西洋化された自然”なのである。

 この“西洋化された自然”は、冒頭に置かれた風景画からこれ見よがしにガツンと提出されてくる。第1章が「理想化された自然」と題されているとおり、この章の風景画はすべて“西洋化という理想化”が施された風景を創出している。
 いかにもフランスの平野部やグレートブリテン島の風景だというような、丘から眺める緩やかな起伏の大地とゆったり流れゆく川。そしてそこに拓かれた農地。向こうには山の姿。画面の端には樹木が位置付けられており、たいていは人や馬などの家畜が手前に配置され、しかし、それらは小さめに描かれている。
 何枚かの典型的な西洋風景画のうち、印象的だったのは、アッシャー・B.デュランド(アメリカ、1796‐1886)の「風景―『サナトプシス』からの場面」(1850)だった。
 手前には崩れた中世の遺跡のように横たわる石像が描かれ、古木の森とヤギが配置されている。中景には目立たないように小さく葬送の行列と牛馬に鋤を引かせる農耕びとが配置され、その奥に淡い色合いで、遠景として高い岩山が描かれている。
 「thanatopsis」は「死観」の意で、米国の詩人ウィリアム・カレン・ブライアント(1794‐1878)の詩(1817発表)のこと。これがどんな瞑想の詩かは知らないが、デュランドの絵画ではまったくもって構図が自覚的・意図的であり、死への観想とはかけはなれた作為性を感じてしまう。
 この絵を見て思い浮かぶのは、「この場所にこの存在(遺跡、葬列、高山etc.)が描かれているのは、かくかくしかじかの意図を表している」などと解釈する鑑賞者・評価者と、そのように解釈されることを予想して描く画家のザッハリッヒな関係性だ。西洋の自然はこのように、つねに/すでに、理念化(「理想化」というより「理念化」と言った方がぴったりする)されている。たぶん、この所与を受け入れることができるかどうかによって、この展覧会を楽しめるかどうかがきまる。そしてもちろん、展覧会の冒頭のセクションで、ピーター・バーネットは唐突にそれを受け入れることを迫っているのである。

 第2章の作品では、「2‐1:聖人、英雄、自然のなかの人々」という区分に展示されていた、ティントレット(ヤコボ・ロブスティ)(イタリア、1518‐1594)の「モーセの発見」(1570年頃)、ヤン・ブリューゲル(子)(フランドル、1601‐1678)の「冥界のアエネアスとシュビラ」(おそらく1630年代)が印象に残った。
 いずれも神話の世界の登場人物を描いている(ただし「シュビラ」は神託を告げる巫女で実在したらしい)のだが、これが“「Nature 」in Western Art”という概念の一種の表出として提示されていること、つまりこれが自然における人間存在なのだとされることに、いまさらながらではあるけれども、日本人としては異和感を禁じえない。ここには“人間または(ヘーゲル風にいえば)その類的本質としての神が存在するから自然が存在する”という思想が表現されている。
もっとも、この時代の絵画はすべからく神話の登場人物を描いたものなのだから「自然」はその画面にはこんな風にしか登場しないのだ、といってしまえばそういうものだろうが。

 第2章の「2‐2:狩人、農民、羊飼い」という区分の作品では、ヤン・フェイト(フランドル、1611‐1661)の「ヤマウズラと小さな獲物の鳥」(おそらく1650年代)が印象に残った。これは狩猟による獲物(つまりは野鳥の死骸)を描いた暗い色調の静物画で、作者が注文されて描いたものだという。なぜこんな陰気なものが描かれた絵画を注文するかといえば、これらの獲物はその所有者が狩りをする者であることを示し、それは“有閑の人”であること、すなわち財力のある人物であることを表すものだからだと解説が付されている。これを「自然」を描いた作品として提出してくるあたりにまたまた異和感が膨らむのだが、しかしまた、ここまでくるとキュレーターの一癖ありそうな批評精神を感じないわけでもない。
 なお、このコーナーの作品では、ジュール・ブルトン(フランス、1827‐1906)「草刈をする人々」(1868年)とジャン=フランソワ・ミレー(フランス、1814‐1875)「麦穂の山:秋」(1874年頃)が魅力的だった。前者は、夕陽に照らされた農地で草を毟る農婦たちの姿を、跪いて祈っているように見せる構図。淡く、それでいてコントラストの効いた色使いで、写真的な印象を与える。
 後者は、放牧地の中央奥に麦穂を積み上げた巨大な山を描き、その手前に草を食む羊の群れを配する。上は淡い光の空で、その中央に(つまり麦穂の山の向こうに)厚くて黒い雲がどんと配置され、冬が迫りくることを暗示している。羊の群れの揃い具合というか乱れ具合というか、これも秀逸で、その構図にはしばし見とれた。両作品とも、いかにも「近代絵画!」という風情である。
 もうひとつ面白い作品としては、フィンセント・ファン・ゴッホ(オランダ、1853‐1890)の「歩きはじめ、ミレーに拠る」(1890)を挙げておく。庭で歩きはじめをしている幼児と「おいでおいで」をしているかのようなその親たち。ミレー作品をゴッホが模写したものだという。しかし、筆致が完全にゴッホで、パステル調の色使いである。構図を借りてゴッホなりに描いたものなのだろうが、晩年になぜこんな作品を描いたのか興味が湧いた。
 他のゴッホ作品では、別のコーナーに有名な「糸杉」(1889)が出展されている。実物を見ると、やはりいい絵だと思わずにはいられない。その前では、じぶんのようなひねくれ者も、単純な美術ファンにさせられてしまうと言ったらいいか・・・。
ついでに言えば、オディロン・ルドン(フランス、1840‐1916)の「中国の花瓶に活けられたブーケ」(1912‐1914)という作品も展示されていたが、これは普通の静物画。あのルドンが晩年にはこうなっちゃったのかぁ~という感じである。


 さて、上記のほかには、第7章・水の世界における、モーリス・ブラマンク(フランス、1876‐1958)「水面の陽光」(1905)とウィンスロー・ホーマー(アメリカ、1836‐1919)「月光、ウッドアイランド灯台」(1894)が印象的だった。
 前者は、水面に反射した陽光と岸辺の建物を描いた作品だが、光と建物とが適度にデフォルメされている。なにせブラマンクだから、デフォルメされているのは形態だけでなく色彩も、である。印象派をくぐって、光の印象はここまできた、ということだろう。20世紀の西洋絵画が19世紀のそれと大きく異なったものになった様が見てとれる。
 後者は靄のかかった海と海岸の風景だが、そのタッチはまさにアメリカ風に洗練されている。題名から灯台が描かれていると思われるのだが、その灯台はオレンジ色の小さな一点として、靄の中の遠くの岬にぽつんと置かれているだけである。“アメリカ風に洗練されている”というのは、いわばポップや商業主義に向かう気配をたたえつつ、一筋の気品がそれを掣肘しているということだ。

 このほか、「第5章・カメラが捉えた自然」で提示されるモノクロの写真作品も絵画的で美しい。

 会場には多くの中高年男女の観客がいたが、おれはこういう美術ファンには絶対にならんぞ、と改めて肝に銘じた次第である。したがって(!?)、この展覧会の鑑賞を推奨しはしない。(笑)              (了)


 (注)上記の展示作品に関する説明はすべて、会場でもらった出展作品リストに現場でメモした内容と実物を見た記憶をもとに記述したものであり、不正確な部分があるであろうことに御留意いただきたい。


                                                                                        







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Posted by 高 啓(こうひらく) at 16:07│Comments(0)美術展
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