2008年02月03日
千葉ニュータウン行
急性の白血病によって40代半ばで死んだ友人の7回忌が近づいたので、墓参りに行った。
かれの(ということはかれの家族の)自宅は千葉にある。そこを訪ねた。
大宮からJR埼京線で武蔵浦和、そこからJR武蔵野線で東松戸、そして北総鉄道で千葉ニュータウン中央へ。
東松戸駅で乗り換える僅かな時間に撮影したのが1枚目の写真。
広大な平地が続き、スプロール化した土地のところどころに雑木林のようなものが見えるが、山というものが一切見えない。盆地で生まれ育ったじぶんのような者には、逆に息苦しい風景である。
ふと、では、なぜ山に囲まれた盆地よりこの見渡す限りの平野の方が息苦しいのかと考えてみた。
この平らな土地は、どこまでものべたらに同質な印象なのだ。どこまで走ってもこの現状から逃れられない・・・そんな閉塞感がある。
その反対に、盆地は地理的には閉塞した空間だが、不思議にも、あの山の向こうには別の世界がある・・・あの山を越えればじぶんは変化できる・・・そう思えるのだ。
数年ぶりに降り立った千葉ニュータウン中央駅の周辺は、依然とずいぶん様子が変わっていた。
駅の北側にはニュータウンが拡がり、とりわけイオンのショッピングセンターが異様に増殖している。まるでイオン城下町といった塩梅である。
イオンの建てた安普請の箱物に、コジマやらドンキホーテやらの量販店、それにシネコンや専門店のモールが収まり、それらが道路沿いに立ち並んでいる。
いわば一から十まで規格化され、マニュアル化された街が出来上がっている。小規模な独立の店舗や地元の個人経営による商店や飲食店みたいな店はほとんど見当たらない。
快適といえば快適そうだが、じぶんにとっては、息が詰まり、頭がおかしくなりそうな街である。若干の救いは、量販店のケバケバしい大型看板が規制されていて、いくらかは景観に配慮がなされているらしいことである。
友人には同年代の妻と3人の娘がいた。
その家族に会い、まずは友人の墓参りにいくことにした。
墓参りといっても、これも大きなセレモニーホールの地下にもうけられた納骨堂の、小さめのコインロッカーほどの空間が、かれの墓である。
扉を開くと、扉の裏側に、今も健在のかれの父親から彼の妻に送られた手紙の封筒が添えられてあって、その封筒には、かれが子どものときに書いた汚いひらがなの作文が何枚か入れられている。
このホールの建っている場所が印象的だ。3枚目の写真に写っているように、大きな送電線の鉄塔に隣接している。
夕食まで少し時間があったので、友人の妻が、墓参りの足を伸ばして、車でこのあたりを案内してくれるということになった。
千葉ニュータウン中央駅から、となりの印西牧の原駅までの5キロほどの区間を、北総鉄道の線路にそって走る。
北総鉄道の線路は開削された下を通っているので、隣接して並行する道路から見ると、路線敷地がまるで人工の河のように見える。
その河の両岸に沿って一方通行の道路2車線ずつが走り、ところどころに両車線をつなぐ橋が架かっている。
そして道路に面して、大型の郊外型量販店が、まるで工場群のようにずらりと並んでいる。
4枚目の写真は、雑貨店としては日本一の売り場面積だというジョイフル本田。
“河”の対岸には観覧車のあるショッピングセンターが連なっている。
友人の娘たちは、この風景のなかで育ってきたのだ。それはかれ自身が育ってきた風景とはおよそかけ離れた風景だ・・・。
このような風景の故郷で育った子どもたちは、どんな感性を持つのだろう・・・ふとそんなことを思った。
そして、都会に出て、山形にはもう戻らないと言っているわが息子たちは、こんな風景の“故郷”でその子どもたちを育てていくのだろうか・・・とも、思った。
マンションの価格は、山形市内のそれと同様くらいだと聞いた。
だが、都心から1時間余りのニュータウンにマンションを購入できるのは、格差の拡大している今日、どちらかといえば経済的には恵まれた方の人々ではあるだろう。あの息子たちは、果たしてこの町の住人たちほどにもなれるのか・・・そんな見込みがたつわけでもないから、これは余計な心配ではあるのだが・・・。(苦笑)
泊まりは、千葉ニュータウン中央駅の裏側の“超豪華”ビジネスホテル「ホテルマークワンCNT」。並み以下のビジネスホテルなのに、税込み7,560円は、軽食の朝食付きでも割高感がある。それに、隣の部屋の鼾が聞こえてきた。
チェックインのとき、「7時半から朝食です。」と聞いたが、何時までとは言わなかったので、8時半過ぎに食堂へ行ったら、もう店じまいしていた。
唖然としていたら、パートのような中年女性の従業員が「よろしかったらどうぞ。」と特別に残っていた菓子パンを出してくれた。 それと、オレンジジュース、コーヒーの食事を、閑散とした食堂でとる。窓の外には3階建ての駐車場。隣にはゲームセンター・・・まったく味気ない風景である。
余談だが、山形新幹線で来て大宮で下車するとき、終点の東京で降りるいつもの感覚でいて、読書に熱中して降り遅れそうになった。ふと顔を上げるとすでに大宮駅に停車していたので、慌てて棚からコートを掴み取り、ダッシュで下車した。
ホームに出た途端、マフラーを取り忘れてきたことに気付いたが、すでに発車のベルが響き亘っていた。
ここで戻ったらもう下車できないか・・・・。そう思って、恨めしそうにホームとは反対側のじぶんのいた席のあたりを覗き込んでいると、その前の席に山形から座っていた女性の二人連れのうちの片方のひとが、棚のうえのマフラーに気付いて、発車ベルの中をドアのところまで届けにきてくれた。
なんと親切な・・・。何度もお礼を言って列車を見送った。
娘たちよ、学校を出たら、山形に来なさい!
Posted by 高 啓(こうひらく) at 11:41│Comments(0)
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