2008年06月01日

バウハウス・デッサウ展

バウハウス・デッサウ展

 東京藝術大学大学美術館で開催されている「バウハウス・デッサウ展」(BAUHAUS experience,dessau)を観た。

 バウハウスは1919年にドイツのヴァイマールに誕生した国立の造形芸術学校。
 初代校長のヴァルター・グロピウスは、設立宣言で、「あらゆる造形活動の最終目標は建築である」とし、身の回りの日用品から建築に至るまで、芸術と技術を統一して造形活動を行うことを目標とした。
 バウハウスは、ヴァイマールからデッサウ(旧東ドイツ)、そしてベルリンへと拠点を移しながら活動し、ナチスの台頭とともに閉校を余儀なくされたという。
 この展覧会は、バウハウスの創設者であるグロピウスの理想が具体化されたデッサウ期に焦点を当てて紹介している。

 ヨーゼフ・アルバース、ラスロ・モホイ=ナジ、ヴァシリー・カンディンスキー、ヨーゼフ・アルバース、ヨースト・シュミット、パウル・クレー、オスカー・シュレンマーなどの教授陣(「形態マイスター」と呼ばれた)が担当した「基礎教育」における学生の演習作品(われわれの受けた中学や高校での美術教育にかなり近いものもある)や、日用品や家具などの工房製品、絵画、写真作品、舞台工房の上演作品資料など、多方面に亘る豊かな活動が紹介され、さらに、「バウハウス校舎」、「マイスターハウス」(教授用の2世帯向け住宅)、「テルテン・ジードルンク」(テルテンに建てられた勤労者向け集合住宅)などの建築関係資料も展示されている。

 この展覧会を観るまで、バウハウスに関する私の知識はごく限られたもので、モダンなデザインを生み出した家具や建築の造形美術学校という程度のものだったが、その多様な表現、とくに校舎に舞台があって、そこでシュールな舞台芸術まで志向していた姿に惹きつけられた。


 主な感想を述べれば、次のふたつ。

 まず、デッサウ期のバウハウスが、芸術と技術を統一する思想のもとに、機能的で、工業化すなわち量産化される製品の創造を目指したところの、一種の合理主義・近代主義に対して、なぜか閉塞感を感じたことだ。

 たとえば、家具と建築。
 これは、いわば近代芸術とドイツの伝統的なマイスター制に支えられた技術との統一であり、また、そのデザインは、量産されるモノのプロダクト・デザインのルーツとして、今日私たちがショップでよく目にする製品のそれへと一直線に繋がっているものだ。
 建築についても、それは統一したデザインのもとに規格化され、工場で量産される部品によって構成されるところの、今で言うプレハブ住宅に繋がる思想を内包している。
 このような芸術と技術の統合と、そしておそらくは量産製品による芸術の日常化=大衆化を目指す運動が、当時、如何に先進的で新鮮だったかは創造できるような気もするが、うまく言えないけれど、ここには当初から、なにか、自由を求めていたはずの西欧近代合理主義が、逆説的に不自由を帰結していくひとつの根本的性向が胚胎されていたような印象を受けてしまうのだ。
 日本人としての自分の感覚に照らしていえば、芸術作品としてのプロダクト・デザインが日用品の世界に入ってくるのは歓迎できても、それが<建築>にまで統一されてしまうとき、そこには皮膚感覚として、とでもいうような、逼塞や異和を感じてしまうのである。


 感想のふたつめは、バウハウスの活動では、おそらく傍流に位置する絵画や写真作品や舞台作品に関するものだ。

 絵画は、カンディンスキーとクレーによる「自由絵画教室」における教授及び学生たちの作品であり、写真と舞台は、おそらく教授(写真はラスロ・モホイ=ナジ)と学生のまったく自主的な創作行為(今で言うサークル活動のようなものか)としての作品のように思われた。
 これらの作品の性向は、いわばプロダクト・デザインの性向がその初発の段階から孕んでいた閉塞(の予感)への反撥のようにして表れているかにみえ、あるいはまたそれらふたつの性向はバウハウスの表現思想として相互補完的なものにも見えるのだった。

 なかでも、興味深かったのは、オスカー・シュレンマーの「トリアディック・バレエ」の上演フィルムであった。この作品は1922年にデュッセルドルフで初演されたものだということだが、その資料に基づいてテアター・デア・クランゲという劇団(?)がテレビ番組のために再構成した1969−70年の作品である。
 このバレエの登場人物(の「着ぐるみ」というか「張りぼて」というか、つまりは意匠)と動きがじつにシュールである。
 ロボットのようであり、宇宙人のようであり、未来的な人形のようであり、ナントカ戦隊ゴレンジャーに出てくる敵役のスーツのようであり・・・。
 また、積み木のロボットみたいな構成体が、平面的すなわち二次元的に踊るクルト・シュミット、ゲオルグ・テルチャー「メカニカル・バレエ」(1923年初演。テアター・デア・クランゲによる1988年の再構成舞台)も、なかなか斬新だった。
 今日では、NHKの子供向け番組で見かけそうな映像であるが、その構成体を身につけている黒子の踊り手が、ダンス的身体をちゃんと造っているのがその演技から伝わってくるので、大人が観るに値する動きになっている。
(ちなみに、再構成された「トリアディック・バレエ」の着ぐるみのデザインがあまりに今日的で、展覧会に展示してあるモノクロの当時の写真に写っている着ぐるみとだいぶ印象が乖離しているので、これは再構成した者が現代的な感性に基づく創造を加えて作ったのだろうと思ったが、帰りがけに書籍販売のコーナーで覗いたバウハウスに関する書籍に、たしかにそのように斬新な造形が、当時のデッサンとして残されていたことが記載されているのだった。)


 さて、最後に余談をひとつ。
 帰りがけに、同大学の「陳列館」というミもフタもない名前の展示館で開催されていた「スロベニアの建築家ヨージェ・プレチニク(1872〜1957) ウィーン、プラハ、リュブリャーナにおける創造の軌跡」という展示を覗いた。
 同大美術学部とスロヴェニア共和国大使館の共催となっている。
 同国政府が肝煎りで開催している様子が、プレチニクの業績を伝える上映フィルムから伝わってくる。

バウハウス・デッサウ展バウハウス・デッサウ展









 チラシに、オーストリア・ハンガリー帝国の皇太子がプレチニクの建てた教会を「馬舎、ヴィーナス神殿、トルコ風呂の混合物」と酷評したとあるが、まさにいろんな要素がてんこ盛りで不統一な建築作品の写真が並んでいる。

 プレチニクは、ウィーン美術アカデミーでオットー・ワーグナーに師事している。
 このプレチニク展を観ると、こういう西欧の建築や都市計画の風潮の中で、バウハウスがいかに自由で先進的だったかが沁みてきて、“不自由を帰結していくひとつの根本的性向”への臭覚など、どこかへ雲散霧消してしまいそうになる。


 同大が意図的に仕組んだわけではないだろうが、このワナに注意すべきかもしれない。(笑)



※ バウハウス展は7月21日まで。プレチニク展は6月22日まで。                                                                                                                                                                                                    




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Posted by 高 啓(こうひらく) at 16:41│Comments(0)美術展
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