2009年06月13日

日本の表現主義展

日本の表現主義展

 またまた宇都宮を訪れたついでに、栃木県立美術館で、「躍動する魂のきらめき〜日本の表現主義〜」展を観た。

 最初に余談というか、まぁ言い訳だが、じつは、この展覧会を、その印象などを展示作品リストの余白にメモしながらじっくり観て、その夜、池袋で東京在住の長男と飲んだのだった。
 ところが、その店、つまりは池袋南口の超高級料理店「養老之瀧」で、この展覧会のチラシや作品リストをカバンから取り出して長男に見せたあと、そのままその座席に置き忘れてしまったのである。翌日、電話で問い合わせたが、すでにゴミとして廃棄されたようで、手元には戻らなかった。
 ついでに余談を続けると、この回の宇都宮〜東京行では、4つのドジをした。
 1つめのドジは、「土日きっぷ」で安く行こうとしていたのに、この割引切符の販売は前日までで、出発の当日は販売されないことを失念していたこと。(前日、別の用で駅に出向いていたのに・・・)
 2つめのドジは、窓口の駅員に「土日きっぷ」は買えないと言われたことで気が動転し、宇都宮で下車するのに、山形新幹線の特急切符をつい「東京」まで購入してしまったこと。(これには改札を通過した直後に気づいた。窓口に戻る時間はあったが、自らのドジを受け入れ、買い換えの申し出は、詮無いことだと思って諦めた。)
 3つめが、上記の置き忘れ。4つめが、その夜、池袋北口の超豪華ホテル「東横イン」に泊まったのだが、この宿では、じつに貧乏臭いとはいえ無料の朝食が提供されるのに、またもやそれを失念しており、チェックイン前にコンビニで朝食用のパンと牛乳と野菜ジュースを購入してしまったことである。・・・われながら、なんともセコいドジである。・・・というか、1と2と4については、ドジをした!と気にしているじぶんがセコいのだが。(苦笑)

 さて、メモを失い、しかも観覧からもうだいぶ時間が経過したので記憶もいいかげんになってしまっているが、この野心的な企画についての感想を記しておきたい。

 この企画展のモチーフは、まず、日本における表現主義がどのような広がりを持っていたかを紹介することにある。洋画、版画、日本画、彫刻、工芸、写真、音楽、建築、雑誌、舞台美術、映画資料など、さまざまな分野の作品を幅広く展示しており、「日本の表現主義」の広がりをイメージすることができる。
 しかし、この企画が野心的である所以は、日本がドイツの表現主義を受容するにあたって、それ以前に、いわば受容体としての感受性や表現意識を独自に育んでいたとして、その前哨と看做される作品群を紹介しているところにある。
 すなわち、「岸田劉生ら大正時代の生命主義」、「柳宗悦ら『白樺』に集った人々の神秘的なものへの傾斜など」が、その受容を準備していたとして、「生命主義的な傾向」の作品群が提示される。
 この前哨的な作品群に魅力があり、しかもなかなかこのように統一された視点でこの時代の絵画作品を見る機会がなかったので、いろいろと刺激を受けてメモをとったのだが、ほとんど忘却してしまった。・・・あっは。
 もっとも、1910年代の村山槐多、萬鉄五郎、東郷青児などの油彩が印象的だったことは記憶に残っている。

日本の表現主義展

 さて、しかし、じぶんの内部では、一方でこんな疑念も生まれていた。
 いわば、“それが陰か陽かに関わらず、生命エネルギー的な表現衝動を、幾許か意識的な抽象表現として定着する”のが表現主義だとすれば、<表現主義的な表現>と<表現主義的ではない表現>との区分は、ずいぶんと不分明なものではないか・・・。
 なぜなら、表現者の内部から噴出する表現衝動は、そもそもそれ自体が抽象的(言い換えれば表現主義的)なものであり、それを作品に定着させる方法が模写的もしくは様式的でないならば、すべてそこそこ抽象的で、大なり小なり生命感が横溢したものになってしまうからである。
 すると、表現主義の系譜に連なる(とされる)作品は、いわば当該企画を企画したキュレーターの所見に拠って選ばれているというわけだ。
 へんな喩えだが、今や大作家になってしまった村上春樹が<村上春樹>であるのは、加藤典洋がそれを<村上春樹>として読者に提供したがゆえ・・・みたいに、ここでは、観覧者が企画を観覧するということは、観覧者がキュレーターの“定義”をまさぐり、それを次第に自分の内部の印象・観念として形成していく過程を意味するものになっている。ここではキュレーターが“意味の創造者”なのである。
 この種の企画展は、まさにそういう意味で「野心的」なのだが、また、それによってわれわれ観覧者は、そのような作者=キュレーターの提出する定義に、たぶん、自然かつ不可避的であるかのようにして、「批評的」に、言い換えれば“眉唾的に”対面することになるのである。

 ところで、この展覧会で面白かったのは、1924年にスタートした築地小劇場の第1回公演「海戦」の舞台装置(作者:吉田謙吉)の写真や、同じく「朝から夜中まで(初演)」の舞台装置(作者:村山知義)の写真が展示されていたことである。
画家が、絵画から雑誌の紙面構成、装丁、そして舞台装置まで手がけていた。その時代の表現運動に一貫して流れている運動意識みたいなものを垣間見ることのできる展示だった。
 なお、この展覧会は、これから兵庫県立美術館、名古屋市美術館、岩手県立美術館、松戸市立美術館を巡回する。



 写真は、栃木県立美術館の中庭に常設展示されている彫刻作品。
 (「躍動する魂のきらめき〜日本の表現主義〜」展とは無関係)                                     

                                                                                                                                                                                                                           




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Posted by 高 啓(こうひらく) at 16:16│Comments(0)美術展
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