2010年05月01日

置賜観桜小旅行



 タキソールの投与が終わったらまた温泉に行こうと話していたのだったが、リハビリと観桜を兼ねて、二日ほど休暇を取り、置賜方面に一泊二日の小旅行に出かけた。

 まずは、地元のスーパーで昼食用にいなり寿司と巻物のパックを買い求め、山形市中桜田の「悠創の丘」へ。

 足下の東北芸術工科大学キャンパスの向こうには山形市内が広がる丘陵のベンチに腰掛けて、ノンアルコールのビール風飲料を片手に昼食。
 この日は久しぶりの青空で、山形市街地の上空に浮かぶ月山が神々しく輝いている。
 しかし、この場所は少し風がある。まだタキソールの副作用が続いていて、寒いと手足に痺れや痛みがくる連合いは、食べ終わると早々に出発を促すのだった。


 

 今夜の宿泊は、赤湯温泉の「いきかえりの宿・瀧波」。

 しかし、このまままっすぐ宿に向かったのでは早く到着しすぎるので、国道13号を南下する途中で「シベール・アリーナ」の「遅筆堂文庫」に寄ることに。
 先日、井上ひさしの逝去の報道に接していたこともあった。
 同文庫では、すでにお悔やみの記帳台が引っ込められていたばかりか、井上ひさしが亡くなったことを知らせる張り紙さえ見えず、彼の不在を認識させる表象はなにもない。
 本人の存命中、小松座の舞台を山形市や川西町で3、4回は観、その講演も、出身地の川西町で毎年開催されていた「生活者大学校」を含めて、2、3回聴いたことがあったが、じつは、じぶんはこの人の作品もこの人のもの言いも、あまり評価していなかった。
 しかし、亡くなられてみると、もう少し舞台を見ておけばよかったというような気もしてくる。演出家ではないのだから、本人が生きているかどうかは、舞台の出来にはそれほど関係ないはずなのだが、なぜかそんな気がしてくる。
 ロビーの陽だまりの椅子に腰掛け、そんなことを思いながら暫しぼんやりして、再び赤湯へ向かう。
 
 15時前に瀧波にチェックインし、間もなく徒歩で烏帽子山公園に出かける。

 瀧波の北側を走る赤湯温泉の通りは、街路事業で道路が拡幅され、以前とはずいぶん印象が違っていた。
通りに面した旅館「櫻湯」については、もう十数年も前になるが、あるイベントの宿泊担当をしていたとき、来訪者を配宿するため視察したことがあった。いまは、そのときの大衆的な宿とはかけ離れた高級旅館の佇まいに変貌している。
 近くの銀行の駐車場では、お祭りにあわせたイベントが開催されていて、無名のプロ歌手と思しき中年男性が、ピンクのスーツ姿でカラオケにあわせて歌っている。格好からして演歌歌手かと思われるのだが、聴こえていたのは和製ポップスだった。歌の出来や見てくれはともかく、通りにこういう音が流れていると、なんだか祭り気分でウキウキしてくる。
 その会場の入り口には、なぜか旧式の発動機が何台か並べられ、うち2、3台が、ドゥルン、ドゥルンと渋い音をたてて稼動していた。発動機を動かしてなにをしているのかと思って覗いたら、旧式発動機のコレクターが、イベントの一企画として、来場者にその音を聴かせようと披露しているのだった。
 じぶんは、へぇーと思って覗こうとしたが、旧式だからずいぶんと煙を吐き出すその発動機を見て、連合いは、環境に悪いんだから趣味で稼動させるのはやめろぉ〜と、じぶんにだけ聴こえるように小声で言って、じぶんの腕を引いた。


 烏帽子山公園は、その名の通り、赤湯の街を見下ろす丘陵の公園である。上には八幡神社があって、そこまで急な石段がある。
 この公園には、数年前、やはり花見の時季に訪れたことがあったのだが、それは山の裏手から駐車場に入る経路からだったので、こうして正面から神社に直登するのは初めてのことだった。
 連合いは、急な石段を見上げて、“これを登るの?”と怯んだが、リハビリだと思って行こう、行こう、と声をかけ、手を引いて登り始める。
 途中で2度中休みし、うち一度は咲き始めの枝垂桜とその向こうの赤湯の街を背景に、花見客の写真を撮ったり、代りに撮ってもらったりしながら、社殿まで辿り着く。
 社殿では、二人並んで拝礼。再発や転移が起こらないことを神に祈った。
 桜のほうは、まだ1〜2分咲きといった感じだが、いい天気に誘われて、花見客はそこそこ繰り出していた。

 瀧波には、公式HPからもっとも安いプラン(二人一部屋で一人12,000円余)を予約した。一般客室だということだったが、通された部屋は押入れが突き出た変な構造(本来なら窓になっている面の半分くらいに当たる部分が押入れになっていて、手前に突き出している格好)で、どうも落ち着きがよくなかった。また、窓の障子を開けると、向こうの棟の部屋からこちらが見える構造だった。
 この旅館は、隣接するいくつかの旅館を買収したり、移築したりして増築されたと聞いたことがあった。各棟・各室の構造が別々なのは変化があっていいことだし、古い建物なのも味があっていいのだが、この部屋はあまり泊まりたくなる部屋ではなかった。構造はともかく、内装や調度品で、少し工夫する余地があるだろう。
 ついでに書くと、天井の照明に豆電球がないので、就寝時には、真っ暗にするか、窓の傍の電球を点灯しておくしかない。この電球を点灯しておくと明かりが強くて眩しいのだが、だからと言って真っ暗だと、夜中にトイレに起きたとき心もとない。結局は部屋の襖を少し開けておいて、上がり口の証明が少しだけ射し込むようにして寝た。せめて、枕元に小さなスタンドがあればいいのに。

 前回、CEF4クールを終えてからタキソールに臨むまでの間、元気付けに泊まりに行った上山温泉の宿では家族風呂を予約したのだったが、今回は予約していなかった。事前に、連合いに貸切風呂が必要かどうか訊いたら、気にしないから取らなくていいと言うので。
 でも、風呂から帰ってきた彼女は、自嘲気味に「“頭隠して尻隠さず”でしたっ。」と言った。頭にはタオルを巻いて入ったが、下は隠さなかったので、他の客たちから体毛のないのを訝しく思われたというのである。「わたしを見た瞬間、なんかさっと変な目つきになる」というようなことも言った。
 もっとも、それをあまり意に介さず、彼女は翌朝も大浴場に行った。

 食事は、山形牛と米沢豚のしゃぶしゃぶをメインに、刺身や蒸し物、それに小鉢などが並んだまずまずの内容だったが、通された個室の食事処は窓がない部屋で、これもやや減点。窓が造れない構造なら、内装の工夫や絵画を掛けるなどして、閉塞感を和らげるよう一工夫してほしいところである。
 いちばん残念だったのが、以前に宿泊担当として視察したときに見て、素敵だなぁと思っていた古民家を移築して設けたバーが無くなっていたこと。
 今は、「古民家ダイニング」と冠され、高級部屋を取った客専用の食事処に転用されてしまっていて、一般客室の客は利用できないという。
 館内の見取り図には、この以前のバーの部屋が記載されているのに、その区画が他の部屋や廊下と繋げて描かれていない。つまり何処からどうやってその部屋に行くのかがわからない絵になっているので、仲居さんに行き方を訊いたら、そういう話だった。

 翌日、朝食は大広間での餅つき大会だった。広間の中央に、350キロもあるという大きな臼を置いて餅をつき、それをはっぴ姿の従業員たちが、その場で、茸のたくさん入った雑煮、納豆餅、味噌和えウコギ餅、ずんだ餅、あんこ餅、きな粉餅にして、さっ、さっ、と手際よく客に配膳する。じぶんは、出された7個のうち、6個を食べた。餅の好きな連合いも5、6個食べた。
 この宿の社長?(自己紹介があったのだろうが、少し遅れて入って行ったじぶんたちは聞き逃したようだ)と思しき男性が、はっぴ姿にねじり鉢巻をしてMCのマイクを握っている。
 周辺観光地やこの旅館の案内を交えながら、供する餅や巨大な臼の扱いについて流暢に解説し、自らもフットワークよく客の間を廻る。
 彼のMCや場の取仕切りの手際の良さと、よく訓練された従業員を含めて、その旺盛なサービス精神に感心したが、一方で、なにか急かされているようで落ちつかない。わんこ蕎麦でも食わされているような気分になってくるのだ。

 この朝食を体験して、なんとなく、この宿が自らに「いきかえりの宿」と銘打っていることが腑に落ちた。客は、居住地あるいは前の宿泊地から来て、米沢や蔵王や山寺やさくらんぼ農園を観光してこの宿に一泊し、翌朝、次の目的地に向かって発っていく。
客は、餅をするする飲み込んで、はやく出発の準備を整え、速やかに乗車するように仕向けられる。そもそも、赤湯温泉という場所からして、ゆっくり逗留する温泉場という感じがしないじゃあないか。・・・こういうことを暗黙のうちに繰り込んだ、社会心理学的接遇なのだなぁ・・・などとさえ思えてくる。

 さて、朝食が餅つきだということは、HPで見て事前に知っていたが、餅ばかり食べさせられるとは思っていなかった。少しは普通のご飯と和食のおかずが付くのかと思っていたが、出された3つの小鉢には、漬物とお浸しがちょっぴり盛られているだけで、餅の箸休めという感じだ。
 じぶんは嫌いな食べ物というのがない人間なので、出されればほとんどのものは残さず食べる。ただし、餅というものがあまり好きではないこともあって、こんな捻くれた感想になるのだろう。結論としては、この宿は、総体として、接客がよく、価格もリーズナブルだと記しておきたい。
 
 瀧波を10時ころ出て、連合いが、宿にあった観光パンフレットで見つけた蔵の喫茶店に行きたいというので、その「美蔵」という店を探して高畠町に行く。高安という地区の、「犬の宮」「猫の宮」のそば。農家の小さめの蔵を改造し、喫茶店として営業しているものだった。
 蔵の一階の天井は低く、改築で設けられた窓も小さいので、いつも行く山形市内の「オビハチ灯り蔵」とは違い、中はちょっと息苦しい空間だった。三分の一くらいでいいから、二階まで吹き抜けの空間があればいいのにと思う。二階には、経営者が製作したキルト作品の展示があり、その教室も開かれているとのことだった。
 コーヒーはまずかった。連合いがイマイチだと言う顔をしているので、コーヒーを飲みあげると店を出た。

 


 せっかく高畠に来たのだから、と、安久津八幡宮に寄る。

 境内の手前にある休耕田の菜種の花と、桜と、山の中腹に向けて張られたワイヤーに連なって泳ぐたくさんの鯉のぼりが、絶妙の景観を創っている。
 歴史を感じさせる天然石の参道を歩いて拝殿まで行き、拝殿の格子戸に開いた賽銭投げ込み用の四角い穴から賽銭を投げて拝もうとしたら、拝殿の中で、数人の男たちがなにやら話しながら写真を撮っている。どうも賽銭泥棒が入ったらしく、投げ込まれた賽銭が落ちる先の床を懐中電灯で照らして、指紋でも探しているような様子だった。
 それで賽銭も入れず、拝礼もせずに引き返す。


 そこから米沢市内へ。

 松ヶ岬公園に向かい、「上杉城史苑」の駐車場に車を置いて、「伝国の杜」を眺めながらソフトクリームショップのベンチに腰掛け、ウコギとバニラのミックスをひとつ注文して、二人で食べる。
 どちらかというと上杉嫌い(本当は「上杉好き」嫌い)のじぶんではあるが、苦しいときの神頼みで、上杉神社に拝礼し、再発・転移がないことを祈る。
 松ヶ岬公園の桜も、まだ2、3分咲き。でも、さすがに人出は多い。ここは、山形県の観光スポットの中で、一年を通じてもっとも訪問者が多い場所である。
 昼食を取ろうということになって、この旧い城下町の通りを、当てずっぽうに走っていると、運良く蕎麦屋「新富」に至る。そこで蕎麦をいただく。ここの蕎麦はけっこういける。

 


 さて、まだ陽は高い。それで、帰り道、上山城に寄って桜を見物しようということになる。
 
 武家屋敷の通りを徐行しつつ車中から屋敷を見物して、小路を曲がり、上山城へ。
 連合いと訪れるのは初めてだった。平日だというのに、やはりこの場所もそこそこの人出で賑わっている。ここの桜は、昨日今日の陽気で、7、8分の咲き具合になっていたが、よく見ると、ソメイヨシノの樹勢はやや衰えていて、その分、枝垂れ桜の威勢がいいようにみえる。
 月岡公園から、桜の向こうに望む蔵王連峰は、これまた秀麗である。
 公園のなかを、ときどきベンチに腰掛けながら歩き廻り、茶屋で一串の玉こんにゃくを二人で食べ、この小旅行の穏やかな時間を、あらためて噛みしめる。
 この二日間で、連合いは「パパは厳しいからなぁ」などとこぼしながらも、じぶんに手を引かれて、けっこう歩いた。烏帽子山公園、安久津八幡宮、松ヶ岬公園、月岡公園と、階段や坂もあったのだが、ギブアップせずに廻ることができた。
 頭髪も、ほんとに僅かずつではあるが、復活してきた。
 
 連休明けからは放射線治療が始まる。               

                                                          
                                                        (了)






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Posted by 高 啓(こうひらく) at 08:29│Comments(0)歩く、歩く、歩く、
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