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Posted by んだ!ブログ運営事務局 at

2011年06月12日

映画『マイ・バック・ページ』感想



 「フォーラム山形」で、山下敦弘監督作品『マイ・バック・ページ』を観た。その感想を述べる。いわゆる「ネタバレ」の内容を含むので、以下を読む場合はそれを承知のうえで。

 これは、川本三郎による事実に基づく同名の著作を原作とし、脚本家・向井康介がフィクションとして再構成した作品。
 東都新聞社が発行する「週刊東都」編集部記者の主人公・沢田(妻夫木聡)が、「赤邦軍」を名乗る新左翼の活動家・梅山(松山ケンイチ)と接触し、自衛隊駐屯地から武器を奪取するという目的の犯罪に関わって検挙され、新聞社を退社するまでを描いている。
 沢田(川本三郎)は東大卒だが、いわゆる全共闘世代よりは僅かに年長で、東大安田講堂攻防戦を外から眺めていたことに後ろめたさをもっている。
 当時(1971年)は、全共闘運動が排除され、新左翼運動も急速に退潮し、それゆえ一部が先鋭化していく時代。梅山は、このような運動の退潮期に大学生となり、大衆運動ではなく過激な武力闘争を掲げて突っ走る人物として描かれている。
 梅山は、「赤邦軍」の売名(というより、むしろ自身の売名)のため、沢田を利用してマスコミに自分たちの記事を書かせようと接触してくる。
 沢田は、「革命のため武器をもって蜂起する」という沢田の計画に、なにか自分の内部の空虚を埋めるものがあるような気がして、先輩記者・中平(古舘寛治)の「あいつはニセモノだから近づくな」という忠告にも関わらず、その取材を進め、関与を深めていく。

 ここで「東都新聞社」と言われているのは朝日新聞社。「週刊東都」は週刊朝日、「東都ジャーナル」は朝日ジャーナルである。「赤邦軍」は「赤衛軍」、梅山は日大生だった菊井某という実在の人物がモデルである。映画の中に描かれる自衛隊駐屯地での事件は、1971年8月、実施に埼玉県の朝霞駐屯地で起こった「朝霞自衛官殺害事件」である。
 また、劇中ではその理由が明らかにされてはいないが、「朝日ジャーナル」の回収事件とその後の編集部の大規模な入れ替えも実際に起こった出来事だという。(じぶんが「朝日ジャーナル」を読み始めたのは1975年以降なので、この出来事は知らなかった。)


 じぶんは、川本の原作を読んでいないから、原作とこの映画作品の出来栄えを比較して述べることはできないが、この映画作品は、ある程度“あの時代”の雰囲気を再現することに成功している(それは後述するように、あくまで“ある程度”ではあるが)とは言えるような気がする。
 まず、最初のシーンがいい。
 週刊東都の記者である沢田が、潜入取材で、フーテン学生のふりをしてテキヤの子分になって露店でウサギを売っているシーンだ。潜入取材だということは、観客にはまだ明かされないので、映画の概要を頭に入れて観に来た観客をちょっと惑わせる。この冒頭のシーンがとても重要で、これがラストシーンに繋がってくる。この構成、とくに沢田をかばったテキヤの兄ちゃんがヤクザからヤキを入れられるシーンを挿入したのは秀逸である。

 また、甘っちょろいヒューマニストの沢田に妻夫木、虚言癖のある革命家気取りの若者・梅山に松山を配したのは、興行的には正解だったろう。妻夫木も松山も、それなりにいい味を出している。
 しかし欲を言えば、松山には、危険を冒してもう少し不気味さと如何わしさを表現してほしかった。小カリスマとしての梅山は、その愚劣さと如何わしさゆえに同志を巻き込む暗い魅力をもっていたはずだが、松山の演技は抑制されすぎてしまっている。トラン・アン・ユン監督作品『ノルウェイの森』では醒めた雰囲気が奏効していたが、『マイ・バック・ページ』の梅山は、『ノルウェイの森』の主人公・ワタナベの脇を通り過ぎていったあの熱いものたちの中にいる存在なのだ。
 この存在の愚かしさと底無しの暗さと、にも拘らずそれに魅入られてしまう人間の業のようなものが伝わらなければ、なぜこれが青春の慙愧と狂おしい悔悟の物語なのか、その重みが伝わってこないだろう。
 このへんは、やはり脚本の向井と監督の山下がともに、“あの時代”の雰囲気を知らない世代だからということもあるだろう。しかし、彼らが取材を徹底していなかったからだとか、彼らの想像力が通俗の域を出なかったからだといえば、たしかにそうも言えるのである。

 その一方で、京大全共闘議長・前園役の山内圭哉、週刊東都の先輩記者役の古舘寛治、東都ジャーナルデスク役のあがた森魚などが、いかにも昭和らしいいい味を出している。
 また、東都新聞社の編集局のシーンにおける社員たちの会議や会話も、全共闘運動や新左翼運動が決定的な退潮期にあった“あの時代”の退廃的な雰囲気を醸し出していて、なかなかいい感じだった。
 とくに滝田修がモデルの前園役の山内の関西弁による如何わしい思弁と、先輩記者役の古舘の硬派と軟派が同居した佇まいは、“ああ、いかにもこういう奴らがいたなぁ”と思わせるに十分である。


 最後に、愚劣で醜悪な小カリスマとしての梅山たちについて一言。
 いつの時代にも、このような夜郎自大で無責任な勘違い人間は生み出されているだろう。今なら、一種の人格障害とでも診断される存在である。
 だが、“あの時代”には、このような人間を生み出す社会的土壌が存在した。ひとびとは個人として時代に抗いうる<自己権力>を欲したのである。沢田のような人間が惹かれたもの、それはこの<自己権力>が生滅する時空なのだと思える。
 さて、この<自己権力>という観念に、自己中心性と党派的な妄想が入り込み、倫理性の欠如を招いたとき、いつでも梅山のような愚かしい人間が現象する。これは、かつての新左翼にのみ特有な現象ではない。
 ラストシーンの涙が語りかけるのは、ひとり川本三郎の青春後悔物語で終わるような性質の話ではないのである。

 もうひとつ、蛇足。
 沢田と梅山が意気投合する重要なシーンで、梅山が沢田の好きだというC.C.Rの「Have you ever seen the rain ?」を弾き語りする。
 この曲はじぶんも中学生時代に夢中になった想い入れのある曲で、詩集『母を消す日』(2004年、書肆山田)に収めた「晴れた日に降る雨を」という作品で取り上げている。
 “あなたが晴れた日に降る雨を見たことがあるか?・・・そんなこと、ぼくは知りたくない”という歌詞で、その“晴れた日に降る雨”というのは、ベトナム戦争で多用されたナパーム弾のことだと言われている。この映画の中でも、それを指摘する台詞が出てくる。
 高啓の詩「晴れた日に降る雨を」では、「Have you ever seen the rain ?」という曲名からベトナム戦争におけるナパーム弾が連想され、そこからさらに、現に進行しているアフガン戦争で使用された“デイジーカッター”(雛菊刈取り機)という名の超強力爆弾が連想されている。

 楽曲の話をしたついでに、さらに蛇足を加えると、「My Back Page」と聞いたら、じぶんなどは、ボブ・ディランよりキース・ジャレットの演奏を思い浮かべてしまう。そういう、ある意味、ビミょーな世代である。

                                                                                                                                                                 


  

Posted by 高 啓(こうひらく) at 16:16Comments(0)映画について