2008年04月27日

山形県詩人会のバカ



 4月26日、山形グランドホテルで開催された平成20年度の山形県詩人会総会へ出席する。
 じぶんは県詩人会の理事になっており、当日は総会の司会が役目だった。

 総会では役員の改選が行われ、会員が少ない置賜地域から新たな理事を1名加えて、他はこれまでの役員体制を継承することになった。
 会長は上山の木村迪夫、副会長は酒田の高瀬靖、事務局長は山形の芝春也の各氏。

 また、総会では20年度の開催事業として、日本現代詩人会から要請されていた「東日本現代詩ゼミナール」の開催を引き受け、県詩人会からも事業費を支出して共催で実施することが決まった。
 同ゼミナールは、10月18日(土)14:00から、山形グランドホテル3階「白鳥の間」で開催の予定。
 講師は、歌人で現代詩に関する著作ももつ岡井隆氏。
 恒例の会員による自作詩朗読には、山形以外の東北5県から各1名、地元山形から数名の朗読者を立てることとした。





 総会に引き続いて、県詩人会の最大のイベントである「山形県詩人会賞」(第7回)の表彰が行われた。
 受賞作は、島村圭一詩集『ぞさえまま』(書肆犀)。
 本年度の会員投票による推薦詩集は、受賞作と高啓詩集『ザック・デ・ラ・ロッチャは何処へいった?』の二冊のみであった。  高啓は詩集『母のない子は日に一度死ぬ』で第1回山形県詩人会賞を受賞しているので、候補から除外し、島村圭一詩集『ぞさえまま』が授賞に値するかどうかが検討された。
 その結果、同詩集の方言を使用した試みが評価され、受賞作とされた。

 写真は、1枚目があいさつする木村会長。2枚目が、上記の選考経過を報告する高橋英司選考委員長。


 さて、総会と表彰式の終了後、恒例の祝賀会・懇親会が開催されたが、その席上で、高啓が、酔った大場義宏氏から絡まれ、そのしつこさにやむなく反撃するというお騒がせの一幕があった。

 大場氏は、高啓の論文「ぼくらにとって<真壁仁>はどういう問題か」(東北芸術工科大学東北文化研究センター発行『真壁仁研究』第7号所収)を批判する文章を『山形詩人』第57号に発表して以来、『山形詩人』連載の文章や他の雑誌へ寄稿した文章で執拗に高啓を攻撃し続けているが、これに対し、高啓は夙に『山形詩人』第58号で反批判(「他者非難によるデッサン法の不毛について」)を行い、その最後で「それから逃げて、またせっせと周囲の×印付けに紙数を割くようなら、ぼくらはもう大場さんの議論に付き合う気はないことを闡明しておきたい」と明確に態度を表明しておいた。
 予想通り、『山形詩人』第59号以降の大場氏は、自分から仕掛けた議論であるにもかかわらず、高啓による反批判において指摘された誤読や歪曲の指摘にまったく回答せず、ただずるずると論点をずらしながら高啓批判を垂れ流し続けているので、高啓はこれらに付き合うことを一切拒否していた。

 大場氏は、しかし高啓に相手をしてほしかったようである。
 この祝賀会での席上、高橋英司氏らと談笑していた私・高啓の席にやってきて、またぞろ一方的な思いをのべたらに陳述し、『山形詩人』第58号以降で自分が展開している文書を受けてなにか反応を書けと言ってきた。
 私は、大場氏に、「私はあなたの批判を受けて対応した。だが、あなたは私の反批判にまったく答えていない。論争したいなら、まずあなたが『山形詩人』第58号の高啓論文「他者非難によるデッサン法の不毛について」にまともに応えるのが先だろう」と返した。
 すると大場氏は、『山形詩人』第57号以降連載をつづけ、そこで今度は高啓の詩作品まで批判しようとしている「詩人としての真壁仁論デッサンの試み」について、「これは連載6〜7回分をすでに書いてある文章なので、これを連載しきるのが先だ」という趣旨のことを言ってきた。
 私は、「その連載はどうぞずるずる勝手にやりなさい。だが、あなたが仕掛けた論争なのだから、私の反批判に答えるのが物書きとして最低限守るべきことだろう」と言った。
 これに対して大場氏は「“物書き”という言い方に吉本隆明的なものを感じる」として、「自分の真壁仁論は、ほんとうは黒田喜夫論であり、吉本的なものへの批判が根本的なモチーフだ」というような趣旨のことを話した。

 私は、そういうあなたに付き合う気はない、と言ったが、彼はしつこく自分の考えを一方的に述べ続け、さらに高啓の詩作品を貶めるような発言をした。
 そこで高啓は、ナプキンを円卓に投げ捨て、立ち上がってこう大見得を切った。

   「おれのそばにくるな!」
   「本来なら、あんたを絶対許さない。徹底的にやってやる。それをしないのは、
    あんたの胸にペースメーカーが入っているからだ。」
   「おれに近寄るな!」

 すでに前出の論文で指摘しているが、高啓からみると、大場氏は「吉本隆明・黒田喜夫論争」を頭に描き、そのイメージで、自分を黒田に、高啓を吉本に擬え、あるいは錯合しているように見えていた。
 私はかつて、詩と評論『異貌』(第5号、1984年8月)に掲載した「黒田喜夫の死」という追悼の意をこめた文で吉本・黒田論争に触れ、この論争について「『政治と文学』という文脈からみれば、吉本隆明の言葉に付け加えるべきなにものも持たない」と述べたことがあった。
 『異貌』には、吉本に大きな影響を受けていた岩井哲氏(書肆犀)もいて、後に加入してきた大場氏も参加した合評会などで、よく吉本の話をしていたものである。それで大場氏は、高啓も吉本主義者だと思い込んでいるのかもしれない。

 しかし、私はそもそも吉本主義者ではないし、吉本・黒田論争における吉本の徹底した黒田攻撃については、理屈は正当であってもその激しさや酷薄さは常軌を逸したものであり、そこには吉本隆明が(おそらくは中野重治らとの論争の過程で)論敵からうつされた政治闘争のおぞましい宿痾が顔を覗かせていると思っていた。
 だから、私は、大場氏が高啓を“小吉本”のように看做すことに付き合って、かつて吉本が、病弱でしかもほんとうは社会的影響力など既に失っていた黒田に止めを刺し生身の命まで縮めるような激しい批判を浴びせたように、大場氏に批判を浴びせるようなことはすまいと思っていたのだった。

 ところが、大場氏は、いわば文学的ストーカーの如くに、高啓にどうしても相手をしてもらいたいと絡んでくるふうなのだった。
 それで、高啓は“大きな声で”、そして“はっきりと”、これを拒絶した。
 ストーカーに対しては毅然とした態度をとれ・・・と、いつかどこかで読んだような気がしたものだから。

 高啓が大声をたてたため、懇親会の衆目(といっても20人足らずだが)が高啓に集まった。
 大場氏は「すみませんでした」と言って、自分の席に戻った。
 高啓は、場を乱し、それゆえ司会から注意をうけた責任をとって、その場から立ち去った。


 山形県詩人会には、いまだにこんな莫迦もいる。
 東日本現代詩ゼミナールでお会いしましょう。(苦笑)
                                                                                                                                                                                                                                                         



            


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Posted by 高 啓(こうひらく) at 18:06│Comments(0)山形県詩人会関係
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