2007年12月11日
日中現代詩シンポジウム
12月2日(日)、上京する都合があったので、ちょうど神保町の学士会館で開催されていた「第2回日中現代詩シンポジウム」のプログラムの一部である「公開シンポジウム」を覘いた。
「日中現代詩シンポジウム」は、思潮社と中国の中坤パミール文学工作室の共催で、昨年11月の北京での第1回開催に続いて2回目の開催ということである。
なお、中坤パミール文学工作室というのは、中国の企業グループである中坤グループの出版社。 このシンポに詩人としても参加している駱英(本名:黄怒波)氏は中坤グループの会長であり、中国市長協会会長補佐でもあるとのこと。
毎日新聞のサイトによれば、「中坤パミール文学工作室代表で、中国経済界でも活躍する駱英さんは『日中現代詩交流基金』の設立を発表。日本円で約1億5000万円を基金とし(1)日中現代詩交流の長期化(2)08年はインド、モンゴルの詩人にも参加を呼びかける(3)アジアを主体にした現代詩共同宣言の採択−−などの計画を明らかにした」そうである。
この公開シンポ内容にとくに関心があったわけではないが、パネラーとして出演する日本側の詩人のうち、いままで生で見たことがない詩人についてその肉声を聴いてみたいと思ったのだった。
つまり、この日の日本側の出演は、辻井喬、大岡信、吉増剛造、北川透、高橋睦郎、佐々木幹郎、平田俊子、野村喜和夫、水無田気流の9氏となっていたが、そのうち、大岡、北川、高橋、平田、佐々木、水無田の6氏がどんな印象の人物なのかを観に行ったということである。(なお、辻井喬氏は欠席。当日ドタキャンしたようだった。)
中国側の出演者はその多くが50代で、幼少期に文化大革命、青年期に天安門事件を経験している詩人たちだということだった。なお、日本側で50代といえば、野村、平田の2氏だけのようである。
公開シンポとはいうものの、パネラーが多いのに時間がごく限られていて一人あたり約10分の発言時間しかないため、その場で討議するのではなく事前の非公開討議で議論されたことを受けて各人が感想を述べるという内容だった。
この場における発言で印象に残ったところをメモしておく。(ただし、中国詩人の発言については逐次通訳で意味が判らないところがあり、また録音していたのではなくメモをとっていただけのため、内容の正確さに自信はない。パネラー全員が発言したが、ここにメモするのはその全員分ではない。)
なお、hannah5さんという方のブログ「詩織」 にもこのときの発言のメモが掲載されている。
(1)「伝統/モダニズム」のテーマで話し合った分科会の水無田気流(みなしたきりゅう)氏の発言から。
モダニズムの定義をめぐって、高橋睦郎氏が「モダニズムは生であり、伝統は死んだもの」(注1)と述べた。また、中国の詩人の議論は個人史と民族史の関わりを検討する方向へ向かった。
私(水無田)は、バブル崩壊後に社会にでることになったいわゆる“ロスト・ジェネレーション”であり、これ以上豊かになれないという諦念を背負っている。
「生きているものこそがモダン」と言われたが、高度成長期の終わりに育ってきた者たちは、いわばブロイラーのように育ってきた。自分たちの生を自分たちの生として生きられない感覚、ポストモダンにどっぷりと浸かっている。
オリジナリティの徹底的な不在を生きており、参加した他の詩人と世代間の違い、そしてそれゆえの責任の“種類”の違いを痛感した。
(2)同分科会の駱英(ルオ・イン)氏の発言から。
谷川俊太郎は非公開討議のなかで、40年前にも同じテーマで話しあったのに今も同じテーマであることに失望したと述べていた。しかし、“問う”という姿勢は100年後も続く。自分自身の生存状況について述べるのが問う姿勢である。
日本人詩人たちは詩のテクニックや意匠について話したいようだが、私は詩の内部にある苦痛について話したい。中国が直面しているのは社会構造とそこにおける一人ひとりの苦痛である。
結論をいうと、日本の詩人は内向的であり、中国の詩人は外向的である。
(3)同分科会の楊楝(ヤン・リエン)氏の発言から。(同氏は天安門事件を契機に出国。現在イギリス在住。)
私の言葉で中国の詩を言えば“悪いもののインスピレーション”、要するに窮状が必要であり、それを作り出さなければならない。
中国の長い歴史は、時間の苦痛というより、時間が“ない”つまり不変であるという苦痛をもたらしている。
私の1997年の長編詩「同心円」は、1200年前の杜甫の思想と通じている。私たちの思想は、全人類の究極的な思想の一部にならなければならない。
(4)注1の部分について、高橋睦郎氏の発言。
誤解のないように断っておくが、「伝統は死者」と言ったのは、死者の方がむしろ今も私たちを拘束しているという意味を込めてである。
(5)「私/他者」のテーマで話し合った分科会の北川透氏の発言から。
谷川俊太郎の新詩集『私』が出たこともあり、「私」がテーマになった。谷川は「言語から生まれた私」と「母親から生まれた私」という言い方をしているが、「言語から生まれた私」という言い方はとても難しい言い方である。
この言い方が分かりやすく受け取られるのは1960年代から言語論が語られてきたことが大きい。ソシュールからフーコーまでの問題意識が背景に潜んでいる。「今、詩を語っているのは誰か」と言うとき、私であるとはいえない。見えないシステムに言わされているという観念の問題がひとつある。私は構造主義を批判してきたが、こういう考え方を受け入れている。
また、日本ではサブカルチャーがメインの文化を圧倒しているという状況のなかで、詩人たちの問題がある。日本ではサブカルチャーが低級だとか軽薄だとかいえない質を獲得しており、世界に影響を与えている。これが詩の問題にどういう影響を与えているかといえば、言葉遊びということが指摘できる。いま、詩の豊かな可能性のなかに言葉遊びがある。
一方、中国では、革命からさらに変革が続いていくなかで社会の問題がはるかに大きくなっている。また、近代化の過程の「自我」をとってみても、これはヨーロッパから規定されているのではないかという危機意識が非常に強い。
(6)「私/他者」のテーマで話し合った分科会の于堅(ユー・ジャェン)氏の発言から。
「伝統は死んだもの」という言い方が新鮮だった。しかし、死んだものというのは現代の概念であり、中国にはない。李白や杜甫は私にとって死者ではない。荘子の胡蝶の夢のように、死はひとつのかたち・・・変わった後のかたちであり、変わる前のかたちである。
私が日本というと思い起こすのは、ソニーやトヨタではなく芭蕉や川端康成である。
日本の文化は完熟しているが、中国は激烈な変化の途中にある。40年前ははやく近代化しなければと思っていたが、今は困惑が大きい。文革の時代は暗かったが、忠実に生活していた。今はむなしさを感じる。詩は言葉遊びではなく、自分を困惑から救い出す力になっている。
(7)同分科会の翟永明(チャイ・ヨンミン)氏の発言から。
(翟氏は物理学専攻の女性研究者でもある。進行の野村喜和夫氏から「中国の新しい女性詩は翟永明から始まった」といわれる存在だと紹介があった。)
「私/他者」というテーマは、文学のテーマというより哲学的なテーマであり、よくわからないところがたくさんある。いままでこのような問題を考えてこなかったが、このシンポを契機に考えていきたいと思った。
非公開討議のなかで、自我=私というのは現代の考え方であり古代の人はこのように考えていないのではないかという意見があったが、<私>は、西洋的概念ではないが古代の人も<私>ということを考えていたと思う。
自我を追求することは無我に向かうことである。
(8)「アジア/ヨーロッパ」のテーマで話し合った分科会の陳東東(チェン・ドンドン)氏の発言から。
古典も中国の伝統も、他者であり、自分を映す鏡である。
(9)「社会/読者」のテーマで話し合った分科会の平田俊子氏の発言から。
このシンポに参加している中国詩人たちは自分と同じ年代なのだが、その時代的経験を考えれば、日本では私より上の世代に対応する。討議のなかで、自分が社会的事件を体験してきていないというコンプレックスを感じさせられた。
私の詩は、神に捧げる、または神に書かされるもので、詩を書くとき、読者を意識していない。
(10)同分科会の西川(シー・チュアヌ)氏の発言から。
いまの中国の状況では虚無に陥る。だからこそ新しい可能性を求めて詩を書かねばならない。
(11)同分科会の唐暁渡(タン・シアオトゥ)氏の発言から。
詩は、無用の用を目指さなければならない。
(12)同分科会の佐々木幹郎氏の発言から。
中国側からは、文革や天安門事件の経験から、権力に対してどう立ち向かうかという問いが出てきた。これは日本では60年代の問いだったが、それを懐かしく聞いた。
しかし、「権力」という言葉をちゃんと定義すべきだった。たとえば、中国語では「権力」と「利益」は同じ読みだと聞いた。
ことばの問題として、読みからイメージの拡がりが出てくるのは日本も中国もまったく同じであり、そこからどんな使い方が出てくるかを考えなければならない。
中国の詩人は、中国で詩人として生きること、詩人として存在するとはどういうことかを常に語っていた。
たとえば、クーチョン(聞き取り不詳)という詩人は、天安門で弾圧を受け、その後奥さんを殺して自殺した。この事件によって、中国では詩人はわけのわからない人々だというイメージが広まった。庶民のなかで、子どもが泣くと「泣くな。泣くなら詩人にしてしまうぞ!」と脅す話まであるということだった。
しかし、中国における詩人の位置は、無視されるどころか非常に気にされている存在だということではないか。
中国の詩人が社会に向けている鮮烈さと日本の詩人の曖昧さ。ここで「読者はどこにいるのか」という問いかけがなされる。
(13)「アジア/ヨーロッパ」分科会に参加し、公開シンポ第2部の進行を務めた野村喜和夫氏の締めの発言。
分科会討議において、逐語通訳でうまく内容が通じないことがでてきたとき、吉増剛造さんが付箋(黄色い「ポスト・イット」)に漢字を書いて、皆にそれを回覧させた。
お互いの漢字文化を持つことでできるいわゆる筆談だが、それによって相互の理解が可能になり、この付箋、この紙に書かれた言葉が、それ自体なにかとくべつで独自な存在となって皆の間を回っていくのが象徴的だった。
さて、私が印象的だったのは、ひとつには、水無田気流氏が、バブル崩壊以後のいわゆる“ロスト・ジェネレーション”という自覚のもとに「オリジナリティの徹底的な不在を生きており、参加した他の詩人と世代間の違い、そしてそれゆえの責任の“種類”の違いを痛感した」と述べたことだった。“違う種類の責任”という言い方がよくわかるような気がしたが、それでもあえていえば、この人も世代的な責任を背負って詩を書いているのか・・・と。
私は、「世代的な責任」というか、この世代として言っておかなければならないという想いを背負って批評を書くことはあるが、詩を書くときには責任などという観念を抱いたことはないような気がする。
もうひとつは、楊楝氏が「中国の長い歴史は、時間の苦痛というより、時間が“ない”つまり不変であるという苦痛をもたらしている」と述べたことだ。この部分は通訳を通じて聞き取ったことなので本人の発言としてどの程度正確かわからないが、このような発言が行われたとして、そこで言われていることがとてもよくわかるような気がした。
中国では今も激動の時代が続いているが、そのような変動が常に繰り返されてきており、そういう意味では、変動という情況それ自体が“普遍”であり“不変”と見做されるのでもあるだろう。激動している時代情況から少し離れてメタレベルに視点をとれば、そこには歴史に“時間(の流れ)がない”という苦痛がたち現れてくる。
これは、時間が不可逆的に進み、旧いものは解体されていくという私たち日本の現代人の心象とも異なるし、また日本の伝統的(?)な不易流行という思想とも異なっている。
そういうしんどさも、たしかにあるのだろうなと思える。
もっとも、じぶん自身には、“時間(の流れ)がない”という苦痛などありえず、まさに「そんなの関係ねぇ〜」(本年の流行語大賞入賞語)なのだが。
Posted by 高 啓(こうひらく) at 00:13│Comments(0)
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