2008年01月14日

年賀状卒業(したい)宣言




 2008年になった。
 しかも、もう2週間も経った・・・。
 それどころか・・・。
 あっは。・・・平成になって、もう20年である。(--;




 このブログ、月に3〜4回しか更新していないのに、更新して何日経っても毎日30〜60くらいのアクセスがある。
 管理画面を見ると、どこか特定の頁のアクセス数が格別多いということでもないので、検索エンジンで特定の事項や人名を調べていてこのブログのどこか一部がヒットしてここを訪れた人が、それとは関係ない他のページ(別の日の記述)も見て回ってくれているような気がする。

 さて、「さらば、2007年!」で書いたが、06年に続いて07年も骨髄バンクからまた「当選」通知が来、やがて「保留」通知が来たという話の後日談・・・・。
 2008年が明けて間もなく、やはりまた「患者さんの都合により今回のコーディネイトは終了になりました。」という通知がきた。
 それは、「終了の理由は下記に示すとおりですが、詳細についてはお知らせしておりません。」といい、「患者さんの都合による主な理由」として、下記のものを挙げている。

  ? HLA(DNA)が不一致のとき
  ? 他のドナー候補者の方が骨髄採取の運びとなったとき
  ? 患者さんの病状変化等により治療方針が変更、または骨髄移植を見合わせることになったとき

 この通知では「詳細についてはお知らせしておりません。」となっているが、昨年12月にあった「保留」の通知で?だということを伝えられていたので、この度は了解した。
 しかし前回候補となり「保留」となり「終了」となったときは、?と?のどちらであるかを知らされないままだった。
 これぐらいは候補となることを承諾してコーディネイトを進めたドナーの皆に知らせて当然ではないだろうか。



 ところで、07年の暮れ、つまり08年の年賀状を書く季節から、「年賀状」というものから解放されたくなり、職場関係と個人的関係の相手でメールアドレスを知っている人たちに以下のようなメールを出した。

 「 今年もあっという間に年末がきて、来春の年賀状を書く季節となりました。
   これまで丁寧な賀状を頂戴して参りましたこと、心より感謝申し上げます。
   そのご厚情にお応えするため、私も年賀状を差し上げるべきところですが、本年50歳を迎えたことや、
  郵政事業が民営化されたこと(?)を機に、そろそろ年賀状の作成作業から解放されたくなった次第です。
   そこで一計を案じ、このように電子メールで、事前に、当方からは年賀状を差し上げない旨のご連絡をさ
  せていただくことにしました。
   誠に勝手ですが、高啓はこのようにしょうがないぐうたら者であるとご海容いただきますようお願いいたし
  ます。
   なお、年賀状は差し上げないこととさせていただきますが、下記アドレスにメールをいただきました折には、
  折り返し年賀のご挨拶などをお送りさせていただきます。                               」

 すると、メールを送ったある先輩から、凡そこんな内容のメールの返事がきた。

 「 きみの言うことはよく理解した。そういえば昨年あたりから『年賀状は今年限りにしてください。』と書いた
  年賀状が見受けられるようになった。
  でも、年に一度も会わないのに何かお互いに便りがないのも寂しい感じがする。
  私の記憶では、何年前か忘れたが、きみからもらった年賀状に『故郷では、正月に、大根を切って、爪楊枝
 を立てて、ろうそくを立てた・・・』という話が書いてあって、それがとても印象に残っている。
  今年は何を書いてくれるのかを楽しみにしていた。何かそれに変わる物があればよいように思う。      」

 その年賀状については、印象に残っているという話を他の人たちからも聞いたことがある。・・・それで、いつのことだったろうかと・・・書き損じでもないかと昔の年賀状のファイルを探してみた。
 自分の書いた年賀状は見つからなかったが、そこには、たぶん、こんなことが書いてあったのだと思う。

  子どものとき、大晦日の私の仕事はお供え用の燭台をつくることだった。台として大根を少し厚めに切り、
 それに割り箸を半分に切断してその両端を小刀で削ったものを立て、そこに蝋燭を刺す。
  その燭台に火を灯し、お神酒や丸餅やみかんと一緒に、店先、帳場、井戸、流し、風呂、便所などに供え、
 それを家人が順番に拝んであるく。そして最後に神棚を拝み、仏壇に手を合わせて、家族みなが年越しの
 膳につく。それが商家である我が家の大晦日の儀式だった・・・と。

 
 代わりにみつかったのは、プリントゴッコ用のB6の原稿用紙に書いた別の年の年賀状の原稿だった。ファイルされていた場所から推測すると、「昭和64年」のようだ。
 その文章を再掲してみる。こちらについても、数人からずいぶん印象に残っていると言われた記憶がある。

 「 冬になると想い出すのは鱩(ハタハタ)です。
   むかし大漁だったころ、母が木箱ひとつを五百円ほどで購ってきては、
   土間で瓶に漬けている姿です。
   昼は生を焼いてしょう油で、夕は鍋で、朝は味噌漬けを焼いて、と、
   三食つづけて喰わされたのが頭にこびりついているのです。
   でも、もう心配はいりません。
   鱩は今や高級魚で、母もこの世におりませんから。             」

 
 
 さて、山形は真冬らしい細かな雪が降り、しんしんと冷え込んできた。

 
 ぷふいっ。・・・・時間は急激に流れ去る。
                                                                                                                                                                                                                                          



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Posted by 高 啓(こうひらく) at 00:45│Comments(0)徒然に
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