(画像は平田設計による「太田市美術館図書館」)
この一連の書き込みの核心となる「事業の進め方の問題」について論を進める前に、基本的なことだが、設計者を選考するうえで留意すべき点について述べておきたい。
(1)「コンペ方式」と「プロポーザル方式」
自治体が文化施設のように比較的難しい公共施設を整備する際には、いきなり建設業者を選定するのではなく、まず設計者を選考するのが常道である。
ところで、今回の山形市民会館の場合はDBO方式なのでこの常道から外れている。側聞するところ―というのも筆者は「市政ウォッチャー」の趣味はないのでこれまで市政のことを気にしてこなかった(つまり山形市政をある程度信頼していた)―、山形市では「市立山形商業高校校舎」と「蔵王道の駅」をこの方式で整備したとのことである。(これも違ったら指摘してほしい。)
推測するに、山形市当局はこういう前例があるから今回もこれで行こうと考えたのではないか。しかし、今回は建築するものの質もレベルも違う。それにDBO方式は維持管理と事業運営も併せて委託するのだから、本当に合理的なのか時間をかけて(つまり大規模修繕を経験するまで)検証されなければならないと思う。
さて、選考の仕方には大きくわけて二つある。「コンペ方式」と「プロポーザル方式」である。
コンペ方式は分かりやすい。広く設計案(「基本設計」に近い具体的な設計案である。基本設計とは平面図・立面図を固めたもっとも重要な設計。)を募集して、自治体が委嘱した審査員がそのなかから最も優れたものを選考する。この場合、当選した設計者の設計案は「作品」として尊重される。設計の主要な要素に施主に気に入らない点があっても、施主は設計変更を強制できない(もちろん要請はできる)。だからできるだけ多くの応募作がくるようにして、それらを比較検討する必要がある。
筆者の記憶では、山形市内では山形県が整備した「霞城セントラル」がコンペ方式だったと思う。(もし違ったらコメントで指摘していただきたい。)
一方、プロポーザル方式は、設計案を選考するのではなく、設計者を選考するものである。募集の仕方は、一般公募の場合、一般公募だが応募者に過去の業績などの条件を付けて限定する場合、応募者を施主(自治体)が数社(一般には5社程度)指名する場合などがある。 前述の「仙台国際センター」の場合は一般公募で、77社が応募した。
今回の山形市民会館の場合はプロポーザル方式であるが、この方式の本質は設計「案」を選ぶのではなく設計「者」を選ぶという点である。 つまり、応募された設計案を検討し、そこに込められている設計者の理念、発想の豊かさ・柔軟さ、設計技術上の能力、維持管理に関する現実感覚等々の観点から評価するとともに、その設計者のこれまでの「実績」を検証し、その設計者が相対的にもっとも優れているとの判断を下すのである。
「設計者」を選ぶのであるから、「設計案」にこだわる必要はない。施主は設計案に対してどんどん注文を出していいし、修正を命じてもいいのである。(ただし、修正後の姿が落選とした案に近似するとまずい。)
参考まで述べると、プロポーザル方式では、募集の際「具体的な図面を出すな」と条件を付ける場合もある。あくまで設計者の思考能力を審査するのであるから、具体的な図面ではなくデザインをアイデアの段階で提出しろということである。ある応募者が平面図など具体的な図面やパースを提出すると、どうしてもそれらに引き寄せられてその案がよく見えてしまうことが多い。つまり応募者がそういう図面を出したがるのでこの辺は運用に細心の配慮が必要である。
ところで、プロポーザル方式の肝心な点は、過去の「実績」を提出させ、それを審査対象に加えることである。ようするに提案は具体的でなくても、その設計者がどんなものを造るかは実績から判断できる。というか、実績こそが重要である。審査員や市当局の担当者は、候補設計者の実績について現地調査をすべきである。調査しきれない場合も実績にかかる資料をできるだけ俎上に上げて審査の対象にすべきである。
(2)平田晃久建築設計事務所の実績をみる
ということで、「平田晃久建築設計事務所」の
実績を見てみよう。
同設計事務所のWORKS(作品集)を見てみると、この事務所はアパートやホテル、商業施設などを設計してきたことがわかる。公共施設では「太田市美術館図書館」、「八代市民族伝統芸能伝承館」くらいであり、芸術文化ホールの実績は見つけられない。山形市民会館のような大規模な文化施設の実績もないようだ。
最近の代表作である商業店舗「東急プラザ『ハラカド』」はもちろん「太田市美術館図書館」や前橋市のアパート・レストラン・ギャラリーの複合建築、大阪のホテルなどを見ると、外観に明確な個性(意匠のアイデンティティ)が見いだされる。2階以上にテラスと植栽があること、あの「キューブ状の出っ張り」がヒューチャーされていること、ガラス張りの壁面がとにかく多いことである。
筆者なら、この設計者を選定したら、まず間違いなく山形市民会館の建築デザイン案にもこれらの要素が持ち込まれるだろうと予測する。(実際にそうなっているわけだが。)
もうひとつ注目するのは「八代市民族伝統芸能伝承館」の屋根の形状だが、これは広い敷地を要するし、あの高名な妹島和世設計事務所の鶴岡市民会館を髣髴とさせるのでまず持ち込まれないと考えるだろう。
するともうどんな設計になるかだいたいは想像がつく。この設計者は自分のアイデンティティを表出しようとして前述の3要素にこだわるだろうということも想像がつく。
設計者は公共建築であろうとなんであろうと、外観の特徴でそれが自分が設計したものだとわかるようにその外観に「個性」を刻もうとする。このこと自体はべつに問題ではない。先にも述べたように、建築の門外漢である筆者でさえ建築は建築家の作品だと理解しているし、優秀な(そして、できれば人間的に度量のある)建築家にはリスペクトを惜しまない。
「建築家はその公共建築が自分の作品であるという刻印を外観に刻もうとする。」
山形市民にこのことを意識してもらうには、たくさんある地元の本間利雄設計事務所の実績を思い浮かべてもらうのがいい。
筆者が思い浮かぶのは「山形市総合スポーツセンター」「東北芸術工科大学本館」、「山形県総合文化芸術館(通称・やまぎん県民ホール)」、「川西町フレンドリープラザ」、「上杉城史苑」、「山形美術館」などである。これらはすべて和風的な屋根で「切妻」といわれる形式である。
余談だが、山形駅西の「やまぎん県民ホール」のあの外観デザインはいただけない。まず、あの場所に和風の要素はなじまない。切妻屋根は設計者が自分の作品だと刻印するために着けたとしか理解されない。
また、大ホール建築の肝はその大きさで周囲を圧迫しないような外観デザインにすることであると先述したが、あの場所では逆に考える方がよかった。(あの場所なら、平田設計案はまだ許容できる。)
つまり、ここにこんなに存在感のある重厚な大ホールがある。それは煌びやかな場である。その舞台にたつことは素晴らしいことである。と、周囲に示すような存在感を醸し出す建築の方が、あの場所にはふさわしかった。あの切妻屋根を付けたことで軽さが出てしまった。
(筆者はあれでホールが「小屋」みたいになったと思った。舞台関係者はホールを「小屋」というので、まさかそれを衒ったの?・・・)
なお、本間設計事務所のHPで業績をみて意外だったのは「酒田市民会館(希望ホール)」が同社の設計だったことだ。このホールの外観には本間設計の特徴がみられない。これはあくまで推測だが、周囲の景観との調整のため、あるいは施主の意向に従って、本間設計が自分のデザインのアイデンティティを封印したのではないか。もしそうだとすれば、これこそ公共建築においてあるべき設計者の姿勢だ。
さて、何を言おうとしているかは、もうお分かりだと思う。
設計者だけを選ぶプロポーザル方式を採用していれば、そして審査員にまともな専門家を採用していれば、この案は選考されなかった可能性が大きい。
まず、この平田建築設計事務所には実績が足りない。そもそも大ホールの経験がない。単独では応募要件に該当しない。そこで「平塚文化芸術ホール」(1,200席)ほかの実績をもつ「安井建築設計事務所」と組んでいる。
さて、ではその実績のある「安井建築設計事務所」はどんな大ホールを設計しているか。
「平塚文化芸術ホール」の
平面図を見てほしい。言わずもがな、これがまともなホールである。(ただし3階席まで造るのはできるだけ避けるべき)
客席がその中心から左右非対称で調整室が客席後方の片側を潰している平田設計案がいかに異常なものか一目で理解できる。
せっかくまともな大ホール設計の実績のある安井建築設計事務所が構成企業に入っているのに、なぜ平田設計案はこのように異常なものになっているのか。
それは平田設計事務所および平田晃久氏が山形市民会館受託のためにつくられたSPC(特殊目的会社)「BIG-TREE」の「統一」の頂点に立ち、設計に関して大きな権限を握っているからだろう。(だが、このSPCの代表企業=最終的にすべてに責任を負う会社は地元山形の「市村工務店」である。ここにも矛盾がある。)
同氏は「シンポジウム」で山形市民会館を「私の代表作にする」と発言していた。(シンポジウムの動画参照)
「私の代表作にする」という意気込みは歓迎するが、見方を変えるとこれは「いままでの実績には私の代表作といえるものがない」ということを無意識的に吐露しているのであり、何よりも優先させて「この機会に私のデザインの特徴を絶対にこの公共建築物に刻み込むんだ」という強い想いに動かされているということを意味する。山形市の「要求水準書」に記載された「外観はシンプルで」「歴史・文化ゾーンにふさわしいものを」という要件を無視してはばからないのはここから来ている。
公共建築物とりわけ文化芸術施設を造る場合、「私は立派な設計者だ」という意識をもった設計者と渡り合うには、自治体職員にそれなりの覚悟と矜持が必要なのである。