山形市民会館設計案 進め方の問題(2)

高 啓(こうひらく)

2025年03月17日 20:13



 市政批判は筆者の趣味ではない。それにこのことにばかり時間を使っているわけにはいかないので、そろそろ核心に迫っていく。

(1)進め方にどんな問題があったか

 まず、今回の山形市民会館建て替え事業の進め方の問題として、「事実」と言えるものをひとまず列挙する。

① プロポーザル方式で事業者を募集したのにたった2社しか応募がなかったこと。

② 事業者選考委員会の委員がすべて市当局の幹部職員だったこと。(投票権をもつ建築関係者、芸術文化関係者、利用者代表等はゼロ。)

③ 設計について市民の意見を聴く際に、すでにかなりの程度詰めた図面があったのにその図面を配布しなかったこと。(パワーポイントで次々に映写していくのみで、しっかり検討する時間を与えなかったこと。)

④ 意見聴取の対象を「山形市芸文恊会」の役員(ほとんど高齢者。しかも後期高齢者中心)に限定したこと。しかも、聴取会の開催についてもただ1回の案内文書だけで、アウトリーチ(関係する市民の団体等に市長局が説明に来る)がなかったこと。

⑤ 意見聴取会に参加して設計内容の概要を見聞きした参加者に対し、「秘密保持に関する誓約書」の提出を求め、設計案の内容について口外しないよう箝口令を布いたこと。

⑥ 意見を述べた市民や利用者に対して回答する前に、設計案について大々的にマスコミやネット媒体を利用したPR活動を行うとともに、お手盛りの「シンポジウム」「ワークショップ」を開催して、この設計案を既成事実化したこと。(芸術文化関係者や市議会議員らにも「もう何を言っても遅い」と思わせたこと。)

 他にもあると思うが、とりあえず上記の点について論じていく。


(2)問題の根本原因は「DBO方式」の採用にあった。

 これまでも論じてきたように「DBO方式」とは、「設計」・「建設」・「施設維持管理」・「事業実施」のすべてをまとめて一つの事業体(会社)に発注する方式である。
この方式では、これらの事業を担おうとする各分野の企業が共同企業体(SPC=特別目的会社)を結成して募集に応募する。
 今回の事業の「事業契約」では以下のような企業がSPCを構成している。

【SPC「BIG-TREE」の構成員】
(代表企業)
 市村工務店(山形市)
(構成企業)
 鈴木建築設計事務所(山形市) 
 平吹設計事務所(山形市) 
 小野建設(山形市)
 株式会社シェルター(山形市)
 千歳建設(山形市)
 遠藤設備建設(山形市)
 株式会社KOEI(山形市)
 城西電工(山形市)
 東照電気(山形市)
 おもてなし山形株式会社(山形市)
 ステージアンサンブル東北(山形市)
 太平ビルサービス株式会社山形支店(山形市)
 平田晃久建築設計事務所(東京都)
 安井建築設計事務所(東京都)
 クリーン工房(さいたま市)
(協力企業)
 ユアテック山形支社

(注1)審査結果発表の公文書では、「平田建築設計事務所」はSPCの「構成企業」ではなく「協力企業」となっている。プロポーザルに応募した段階まで、この設計を主導した平田設計が「協力企業」となっていたことに奇異な感じを受ける。ここから推測されることについては後述する。
(注2)この設計を主導している「平田建築設計事務所」については、同社HPのWORKSを見る限り、芸術文化ホールを設計した実績はみられない。大ホールの設計実績をもっているのはこのSPCのなかでは「安井建築設計事務所(東京都)」だけのようだ。
(注3)山形市の「鈴木建築設計事務所」(社員20名)、同「平吹設計事務所」(同15名)については、各社HPのWORKSを見る限り、本格的な文化施設設計の実績はない。
(注4)「おもてなし山形株式会社」とは、「山形県内初の観光地域づくり法人(DMO)として認定された」、「県内外の民間事業者が協力し、民間らしい経営手法による様々な地域・観光振興策を通じ、観光入込客数の増加と観光消費額の拡大を目指す」企業。
(注5)「ステージアンサンブル東北」は、「ステージアンサンブル」(札幌市)の子会社と思われる。舞台関係の照明・音響等の技術スタッフを擁しており、イベントの制作も手掛けている。「高畠町文化ホール(まほら)」の指定管理、「尾花沢市体育文化施設(サルナート)」「長井市民文化会館」の管理業務委託を受けている。舞台技術としては、「山形テルサ」、「山形市中央公民館(アズ七日町)」、「山形県総合文化芸術館(やまぎん県民ホール)」、「天童文化会館」等の業務受託(または人材派遣?)を行っているようである。
(注6)「クリーン工房」は、ビルメンテナンスの会社。県外の「大手」と言っていいだろう。

 上記SPC構成会社の各役割を分類すると
  A 設計(基本設計、実施設計、施工監理)
  B 建設(本体工事、設備工事)
  C 施設の維持管理(1件130万円以下の修繕、設備点検・整備、清掃などの維持管理)
  D ホールの設備運用(照明、音響その他)
  E 市民会館における文化事業の企画実施
 というようになる。

 山形市民会館整備事業では、これらを「一括で選定」したのである。
 どう見ても無理があるように思えないだろうか。
 すぐに思い当たるのは上記のDを担える地元の事業者が極めて限られていることだ。
 筆者には「ステージアンサンブル東北」のほかには「山形総合舞台サービス」(山形市)しか思い浮かばない。
 この点だけを見ても、このようなDBO方式による選考では、プロポーザル参加の事業者が極めて限られてくることが容易に想像できる。  
 「プロポーザル参加の事業者が極めて限られてくる」ことが何を意味するかと言えば、もっとも重要な「設計案」の比較検討対象が極めて限られてくるということである。
 このことに山形市当局の考えが及ばないはずはない。だから、山形市当局は意図的に応募者を極めて(つまりたった2社に)限定するためにこの方式を採用したのだと考えざるを得ない。

 さて、この論考はここから「推理」の領域に入る。これから述べることについては、確証はない。ここから述べる「推理」は、蓋然性が高いと考えられる「経験知からの推理」と経験値の延長線上にある「可能性としての推理」に分かれる。
 まず、蓋然性が高いと考える「経験知からの推理」としてDBO方式の問題の核心について述べる。


(3)公共建築は「談合」で事業者が決まる

 これまでの公共建築の整備では、一般には「設計者選び」と設計に基づく「建設業者選び」が別々に行われてきた。
「談合」は違法であり、露見すれば摘発されるが、それでも建設業界では「談合」は当たり前のこととして行われている。(と筆者は経験知から述べる。)
 しかし、設計者の選考については「コンペ方式」や「プロポーザル方式」で、「まともに設計案を比較検討する」ならば、談合はかなりの程度無効にできる。(「かなりの程度」と限定的に述べるのは、場合によっては「談合」が入り込む余地もあるからである。)
 したがって、まともな選考を行っていれば、設計業者間の談合は行われにくい。

 では、建設業者についてはどうか。
 完成した設計内容を建設業者に示して「入札」で業者を選定するのが一般的である。これは価格競争に他ならないが、価格競争だけでは合理的ではないと考えられる場合は、企業の実績や能力や社会的責任等の指標を定めて、それを採点する方法を併用する場合も少なくない。
 しかし、いずれの場合も、施主(自治体)が発注先を決定する以前に、当該公共建築について「談合」で請負う事業者がすでに決められている場合がほとんどである。
(前述した筆者担当の「伝国の杜」の整備事業では、設計者の選考と建設業者の選考は切り離して行ったが、それでも筆者は偶然にも建設業者=ゼネコンが談合で決めらたことを確信する場面に遭遇した。設計内容の検討過程で没にしたパースが安全祈願祭の会場に掲示されていたのである。つまり、建設業者の入札以前に落札業者がパースを手に入れていたわけだ。筆者は同席していた設計業者を「これはどういうことだ!?」と追及した。設計者は無言で青ざめるだけだった。)

 ことわっておきたいが、筆者は「談合」を必ずしも悪だとは思っていない。
 県立高校の施設管理の責任者だった経験から、施設や設備になにか損傷や不具合が生じた際にすぐ駆け付けてくれる地元の業者の存在が不可欠であることを痛感した。シビアな価格競争が行われれば業者は淘汰される。地元の業者が地域外または県外の業者に駆逐されてしまえば、「御用聞き」的に細やかな対応をしてくれる業者がなくなってしまうというだけでなく、いざというとき(例えば広域的な災害などの際)地元自治体に対応してくれる業者がなくなってしまう。ようするに「地域の安全保障」を考えると「談合」を完全に否定することはできない。
 もっとも、この談合に政治家が介入したり、施主=発注者である自治体職員が関与したりすること(「官製談合」)は許されない。最近も県内自治体で職員が検挙された事案が報じられたが、予定価格を業者に漏らすなどということももちろん言語道断であり、住民利益の侵害として厳しく処断されなければならないと考える。

 さて、これまでのいくつかの「経験知」をもって、筆者は今回の山形市民会館整備事業の「建設業者」も談合で決められたと考える。
 だがその良し悪しはあえて問わない。
 今回の事案の根本的な間違いは、学校建設などとは異なって大規模文化施設の整備では専門的な知識と実績に基づいた設計が決定的に重要なのに、「設計者」の選定を「建設業者」の選定と抱き合わせで行ったために、「談合」で決まった「建設事業者」が連れてきた「設計者」の「設計案」を受け入れざるをえなくなったことにある。
 平田設計案は山形市自らが作成した「要求水準書」に適合していないにもかかわらず、山形市がこれを当選としなければならなかった理由がここにあるのではないか・・・。

 この先はもっときわどい話をしなければならない。つまり、経験値の延長線上にある「可能性としての推理」の話である。
 ・・・長くなったのでここでひとまず擱筆する。(この項つづく)



  

関連記事