山形市民会館設計案への異和(5)

高 啓(こうひらく)

2025年03月09日 17:20




 「事業の進め方の問題」についてさらに指摘する前に、施設デザインに関する異和について言い残したことを記しておきたい。

 4 テラスは必要か

 まず、この「BIG-TREE」という基本コンセプトからくるテラスや植栽への異和である。
 以下に述べることも、先に平田設計案を「関東地方」の「衛星都市(またはベッドタウン)」の「コミュニティセンター」みたいだと記したうちの、「『関東地方』の」発想だと言っている部分に当たる。
 平田設計案は山形の気候・風土・風物詩(または生活誌)を理解していない。

 平田案はテラスや屋上などを、市民の憩い・集いの場、および観光客等の展望場と位置付けている。そこには緑を配置し、また室内もガラス面を多くとって屋外が望めるように作られている。発想が単純で、あまりにステロタイプなのだ。

 ほんとうにこういう設計が有難いか、まず、気候の点から考えてみよう。
 山形市は「夏は猛暑、冬は積雪」の地域である。熊谷市に抜かれるまで国内最高気温の記録をもっていたほど夏は暑くなる。
 夏の最高気温は37~38度になり、一方、最近は積雪が少ない年が続いているが、それでも降るときは降って最大積雪深は平均して50センチくらいにはなる。最近では2022年に最大積雪深が88センチを記録している。
 野外に憩いを求めるとしたら、だいたい気温は何度くらいだろう。体感は他人によって違うが、快適なのはたとえば15度から26度くらいの間だろうか。
 山形市内でこの気温になる時期は、3月下旬から6月の第1週くらいまで。そして9月の最終週から11月の半ば過ぎくらいまで。合わせて130日余りである。
 ただし、この期間のお天気を「tenki.jp」から拾ってみると、2024年の場合、雨が降らなかった日は前半で51日、後半は30日ほど。合わせて80日あまりである。ここから単純に考えると土日で雨が降らないのはこの7分の2と仮定して23日ほど。
 要するに、市民が土日に来館してこのテラスを利用する可能性が高いのは年間23日くらいだということになる。
 
 意見聴取会で平田設計事務所の担当者に「山形の気象を調べたことがありますか?」と尋ねたが、「ない」とのことだった。
 「山形は夏は暑く、冬は雪が降る。そういう土地でこういうテラスがどれだけ利用されるか考えてほしい。こういうテラスに費用をかけないでほしい。」というような趣旨の発言をしたところ、同担当者は「会議などで室内を利用するときも野外のテラスの緑が見えます」と答えた。これも笑止。
 「山形の人間は街の中心部の建物で上層階の会議室の窓から植栽の緑を見て安らがなければならないほど、緑に不自由していない。ここは「山」形ですよ。」と言い返してやりたかったが自制した。
 この街に暮らす人々の生活誌に想像力を及ばせないまま、批判的検証のないアイデアで、われわれにとって大切な、しかも大きな費用負担を伴う施設の中身を決めてほしくない。

(参考まで、遊学館内の県立図書館の改築にあたってもこういう議論をしたことがある。筆者が同図書館に勤務していたときのこと。県庁の改築担当者が県外の設計士につくらせた改築計画案では、遊学館の庭園にテラスを造ってその上に可動式の屋根を設置することになっていた。筆者は上記のような数字を示して、それは費用対効果が薄いのですべきではないと主張した。屋根の設置費ばかりではない。維持修繕費がかかる。維持修繕費が嵩めば、その分図書館の書籍や資料を購入する予算が減ってしまうからである。筆者が反対したからなのかどうかは不明だが、可動式の屋根は造られなかった。代わりに、テラスには快適な季節の天気のよい日にパラソル式の日よけを置いている。ただし、それもそれほど利用者は多くないようだ。)


5 「外から見える練習室」は適切か

 平田設計案の特徴のひとつは、ガラスの壁で施設内が外から見えるようになっている点である。人々が集う場所であるから、あるいは外から人を呼び込むため、利用者が何をしているか、できるだけ見える方がいいという考え方だ。
 パースの1枚目は一階の「大スタジオ」で行われている稽古を屋外の通りに面している場所から人々が見ている様子。まるでショー・ウインドウのようだ。(パースでは壁がないように見えるが、ここの外壁はガラス。)




 2枚目はロビーの内部。中央に金魚鉢みたいな「スタジオ」、右側にも「スタジオ」があり、どちらもガラス張りである。こちらも中でやってることを不特定多数に見せることを前提に設計されている。ガラスのスタジオって、音はどうなるのか・・・。
 これにも筆者は頭を抱えてしまった。
 



 この設計チームの諸君は、演劇やダンスや舞踊や演奏の稽古をする人々が、その稽古の様子を不特定多数の人々や通りがかりの人々に覗かれたいと思うと思っているのか。
 もっとも、練習や稽古の様子が外から見えるようにするというのは、山形市の要求水準書に記載されているので、設計者だけを非難することはできない。(ただし、平田設計案はこの点では水準書に過剰適応し、外観を「シンプルに」という点では水準書を無視している。)
 演劇やダンスや舞踊の稽古をする人々がこういうことを要望したのだろうか。とてもそうは思えない。逆に不特定多数の眼を避けたいと思うはずである。これは筆者の経験から言ってもそうである。演劇の稽古を通行人に覗かれるような場所でしたいわけがない。
 また、いかにも都市的なセンスであるかのように装っているが、今どきトレーニングジムでさえ、隣のエアロビのスタジオを覗いていたら変態だと思われてしまう。練習スタジオにいるのが子どもだったら、眺めていた人間(とくに男性)は警察に通報され、あっという間にスマホの警戒情報として多くの保護者や学校関係者に通知される。時代感覚が鈍っていないか。
 遮蔽できるようにしたらいいだろうと言うかもしれないが、そもそも、ガラスで囲われた部屋で稽古をしたいとはだれも思わないだろう。ガラスではなく、壁面は吸音仕様で、壁面の一つには鏡をつけてほしい。




6 小劇場の必要性

 小ホールもご覧のとおり片面がガラス張りである。舞台や客席はテルサのアプローズと同じような形状であり、しかもこの図では照明器具等の設置が考慮されていない。たんなる講演ホールである。
 山形市内には演劇に適した小ホールがない。演劇関係者とくに若い世代の舞台関係者にとって芸術発表の場としてふさわしいステージ=「小劇場」の設置は切なる念願である。
 また、音楽発表の場としても「多目的小ホール」ではなく、本格的な内装をもった小ホールが必要である。
 現市民会館の小ホールは演劇用にはまったく不向きであり、音楽用にも適していなかった。遊学館ホールはたんなる講演会仕様であり、テルサのアプローズも袖がなくて演劇で使用する際には苦労してきた。
 ここで小劇場を造らなくてどうするのか。
 この案のように移動式座席が張り出す形状でも構わないので、ガラス面はやめて劇場にふさわしい壁面とし、舞台には袖を付け、照明機構及び照明・音響室を設置してほしいと切に願う。
 小劇場があるかないかで、その都市の舞台芸術のレベルが決まる側面もある。進学、就職、買い物、コンサート、観劇、芸術活動への参加などで仙台に流出している若い人々を山形に振り向かせるためにも、小劇場が必要である。



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