「東電テレビ会議・49時間の記録」を観て

高 啓(こうひらく)

2014年07月02日 00:19

 なかなかブログを更新できないでいるので、別のところに寄稿した文章をここに再掲して、とりあえずお茶を濁しておく。
 以下の文章は、山形県職員連合労働組合発行の『山形県職員新聞』2014年4月25日号に掲載されたもの。紙面ではこの記事のタイトルに「特別投稿」と差し込みがあるが、編集部からの依頼に応えて寄稿したものである。
 「東電テレビ会議・49時間の記録」は、同年4月12・13日に「フォーラム山形」で上映された。

 






 東京電力は、2011年3月11日午後6時27分から継続して、本店(本社)、福島オフサイトセンター(関係機関による緊急対策の拠点)、福島第一原発(その指揮所である免震重要棟)、福島第二原発、柏崎刈羽原発の5箇所を繋いだテレビ会議を録画していた。事故原因の調査や対策の検証に当たってこのビデオの公開は必要不可欠なものとされたが、当初、東電はこれを職員のプライバシーを理由に拒否していた。これに対して朝日新聞などのマスコミがキャンペーンを張り、東電株主代表訴訟原告団が東京地裁に保全申請するなどして公開させた映像が、東電本社のHPにアップされている。この映画は、3月12日から15日までの49時間のうち、一般公開されている約10時間を、前・後編合わせて3時間26分に編集し、映像の余白に時刻や用語の解説などを挿入したものである。

 映画は、一号機が水素爆発し、避難指示が20キロ圏内に拡大された12日の夜、官邸から帰ってきた東電の武黒フェロー(副社長待遇)が政権幹部を批判するシーンから始まる。彼は、「民主党政権幹部は若くて溜めがない。6,7回もどやしつけられた。」とひどくプライドを傷つけられたような口調で愚痴る。三号機の燃料棒露出が判明する以前の13日までは、彼のみならず職員たちが交わす会話は如何にも東大や東工大卒の技術エリートのそれで、未曾有の大事故に立ち向かっているという切迫感が伝わってこない。それがとても印象的であり、そして象徴的である。

 映像から(というより固定カメラで人の動きはよく見えないから、音声から、だが)抱かされるのは、第一に、大量の放射能漏れ・水素爆発・メルトダウンなどは、ほんとうに津波による「全電源喪失」が原因なのか(地震による損傷や構造的欠陥もあったのではないか)という疑念である。というのも、非常電源が確保されても、計器や安全装置が(電源が不要な冷却装置でさえもが)想定どおり動かないからだ。そして、次にやってくるのは、現場の東電職員が過酷事故を想定した装置や機器の取扱いに習熟していなかったのではないかという疑念である。

 さて、だが本紙読者すなわち県職員がもっとも注目しなければならないのは、福島県庁の原発所管部長と知事の態度について東電社員が発言している内容だ。三号機の爆発が迫ってきた時点で、福島県が東電に対し、マスコミを入れた県の部長会議で現状を詳細に報告し事態悪化の可能性を説明するよう求めたのに対して、東電は“官邸が記者会見しないのだから県も事態を公表するな”という趣旨の説得にまわり、渉外者が会議で「担当部長と知事からしぶしぶですが納得いただきました」と報告しているのである。もし県当局が三号機爆発の急迫を理解した(想像できた)うえでその情報を県民から隠したのだとしたら、これは犯罪的な行為であるのだから、ことの真偽はしっかり突き詰められるべきであろう。また、この映像は第一次資料として極めて重要だが、そこにあるのはあくまで「東電職員の発言」であることを幾度も肝に銘じながら観る必要がある。

 14日の夜には免震重要棟でも職員の被ばく線量が基準値を超え、原子炉建屋内外での作業は決死の状況となる。そして、「もうここにいても何もできない」と東電は職員の撤退に傾く。 
 映画の最後に防災服姿で東電本社に乗り込み、激しく手を振りながら演説する菅首相の後姿が映し出される(音声はないとされている)が、ひょっとしたら菅直人の“イラ菅”ぶりこそが東電に撤退を思い止まらせ、結果的に日本を救ったのかもしれない。(ただし、この場合の<日本>とは殆ど<東京>と同義なのだが。)
                                                                                         
                                                                                                                 






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