「ザック・デ・ラ・ロッチャは何処へいった?」作品掲載その2

高 啓(こうひらく)

2007年12月30日 00:36




 土曜美術社出版販売発行『詩と思想』2008年1・2月号の「2007年ベストコレクション」に、詩集『ザック・デ・ラ・ロッチャは何処へいった?』から作品「水の女」が掲載された。

 「コレクション」の選定者が選んだ作品の作者に掲載同意依頼が贈られてくるが、返事がなかった場合は掲載を認めたと看做すとある。
 私は同意の返事を出したが、このやり方は他の世界ではなかなか通用しないだろう。


 なお、同号の詩集評で辻元よしふみ氏がこの詩集を次のように紹介してくれている。

 「(前略)激しくも切れのよい言葉にロック・テイストを感じ、たとえばここに揚げる『対痔核』は、分かる人には分かる名曲のパロディーでもある。」

 パロディと看做してもらってもいいが、作者としてはオマージュと言ってもらいたい。(笑)
 また、言わずもがなの話をすれば、辻元氏が「分かる人には分かる名曲」と言っているのは、ユーライア・ヒープの「対自核」のことではない。
 この作品では、ロックの曲名「対自核」と作品の題名「対痔核」を掛けているのだが、それは作品の後ろに掲げられた注を読めばだれにでもわかるのであり、「分かる人には分かる名曲」という言葉が指し示しているのは、ローリング・ストーンズのアルバム「メイン・ストリートのならず者」、ビートルズの「ゲット・バック」、CCRの「バッド・ムーン・ライジング」、レッド・ツェッペリンの「ブラック・ドック」、シカゴの「長い夜」、ピンク・フロイドの「吹けよ風 呼べよ嵐」と「エコーズ」・・・これらのことである。

 このほか、同詩集の別の作品「インチキゲンチュア・デクラレチオン」で、ピンク・フロイドの曲名「ユージン、斧に気をつけろ」をほとんどそのまま詩行に引き入れているが、これは曲へのオマージュであると同時に、吉本隆明の詩作品「火の秋の物語」(「転位のための十篇」)に掛けているもの。こちらについては、この部分が吉本詩のパロディであると看做してもらったほうがいいかもしれない。


 ところで、インテリ「一流」詩人たちを擁する『現代詩手帖』の2007年12月号では、今年の詩の状況を振り返る特集を組んでいるが、詩集『ザック・デ・ラ・ロッチャは何処へいった?』は誰からも言及されていない。
 唯一、片岡直子氏が、編集部からのアンケートへの回答で「今年の収穫」たる詩作品として、同詩集から「似非メニエル氏病者のグルントリッセ」を挙げているのみ。

 これだけ注目されないと、かえって気分がいいものである。
 え? 負け惜しみか・・・、だって。
 ちがいます。高啓の詩を必要とする人は、少数ですがたしかにいます。
 そこにいるのが視えます。(笑)                                                                                                                                             
                                                                                                                     
              

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