大急ぎ 知床行 (その4)

高 啓(こうひらく)

2011年09月19日 02:47



 【第4日(火)】

 「JRイン札幌」で7:00頃目覚めてテレビをつけると、JRの状況は昨夜と変わりなく、やはり午前中は運休となっていた。ホテルが提供する数種類のパンと飲み物の朝食を済ませて、9:00ころ札幌駅を訪れた。

 人だかりの改札口には地元テレビ局のカメラの砲列ができ、予定が狂った乗客たちの表情を狙っている。案内の職員は、飛行機に乗り換える客向けに空港行きの列車の発車時刻を連呼している。
 とりあえずみどりの窓口で、「今日中に、なるべく内地に近いところに行けるようにお願いしたいのですが・・・」と、所持していた札幌発9:19「急行北斗8号」と新青森16:28発「はやて174号」の指定席券を指し出すと、職員は「今日中に仙台まで行けますよ」と言って、札幌発12:22「特急スーパー北斗12号」と新青森発18:28「はやて180号」の指定席券に交換してくれた。
 テレビニュースで、道南は記録的大雨に見舞われたと聞いていたので、午後すぐに運転が再開されるとは思ってもみなかった。それに、運転が再開されたとしても、「大人の休日倶楽部」の割引パスの期間中で内地から道内を訪れている旅客が多い時期でもあり、すんなり今日の午後の列車のチケットが取れるとは思っていなかった。まぁ、自由席に立ってでも今日中に函館まで辿りつければいいかくらいに思っていたので、運転再開後の始発となる「特急スーパー北斗12号」に座って乗れることは幸運なことなのだった。

 思いがけず札幌で時間ができたので、構内のミスタードーナッツでコーヒーを飲みながらノートに旅の記録をつけ、大丸デパートが開店するとその地階で職場と自宅用の土産、それに昼用の弁当を買った。けれどこれではまだ不足なような気がして、駅構内の物産店で毛ガニ(2ハイで5,500円くらい)の発送を注文した。当初の予定通りの行程だったら、旅の土産など買う暇も買う気持ちもなかったはずである。

 ほんとうに運転が再開されるのか心配していたが、「特急スーパー北斗12号」は定時に札幌を出発してくれた。
 例によって、じぶんはうとうとしはじめ、室蘭本線の沿線の風景をほとんど憶えていない。
 長万部のあたりで一度目を開けたが、気づくともう大沼公園に差しかかっていた。列車はやや遅れを出している、それで青森行きの客は五稜郭で乗り換えるようにとのアナウンスがあった。
 じぶんの席の後方から、次で降りる準備をして合席だった乗客に別れの言葉を告げているかのような一人の老人の声が聞こえてきた。
 「関東はもうみんな放射能で汚染されてしまったから、あなた方はお嫁にいくとき、放射能の検査をしてもらって証明書を持って行くんですよ。」などと言っている。どんな人かと思って振り向くと、短パン姿に片方の手で杖をついた脂肪太りの80歳前後の男性だった。
 「関東の自分たちはもう放射能に汚染されてダメになってしまった」「お嫁にいく時は先生にちゃんと検査してもらいなさい」という趣旨のことを、嘆息とも自己卑下とも取れるような口調で、何度も独り言のように、だが辺りに聴かせたい様子で繰り返している。「テメエのような年寄りが放射能でどうこうなる訳ないだろ! バカなこと言って老害を撒き散らすな!」と怒鳴りつけてやりたい気持ちになった。

 ところで、3時間余りのこの車中には、午前中の便の突然の運転休止によって、代わりの列車の指定席券を入手できなかった「大人の休日倶楽部」の利用者と思しき利用者たち、つまり高齢者たちが、たくさん乗車していた。先のデブじじぃは座っていたが、デッキや通路には60代後半から70代の男女らが数人、札幌から函館まで立ったままで過ごしていた。
 内地に帰るために必ず乗車しなければならばない函館発・新青森行きの「特急スーパー白鳥40号」の指定席券は、じぶんも入手できなかった。そこで、自由席に座るために、北斗を降りたら急いで乗り換えなければと思っていたのだが、この函館まで立ったままだった高齢者たちを見て、函館からはじぶんは立つ方にまわろうと、殊勝にもそんなことを考えたのだった。
 五稜郭に停車すると、こんなに大勢の高齢者が乗車していたのかと驚くほどの群れが、先を争って下車し、運動会の荷物運び競争のようにして階段を上り始めた。
 杖をついている者も目に付くし、大きなスーツケースを抱えて必死の形相で駆け出す者も少なくない。じぶんは最初から座席を諦めていたから、この人たちと奪い合う気などなかったのだが、その迫力にそれでもタジタジとなる。
 “自由席は何号車だ?”と老人たちは気色ばんで探す。五稜郭駅のホームで、やや遅れた「特急スーパー北斗12号」を待っていた「特急スーパー白鳥40号」の車体には、号車番号も指定席車か自由席車かの表示もまったく掲げられていないのだった。駅員や車掌がホームで質問に答えはするものの、自由席車両を求めて必死の形相で駆けてきた大勢の高齢者たちは、軽いパニック状態に陥った。
 しかし、彼らが必死で求めた自由席は、すでに始発の函館で大方埋まっていたのだった。それもそのはず、指定席車両のいくつかは修学旅行の中学生の団体で占められていて、そもそもこの列車には一般乗客向けの座席が少ないのだった。
 こうして、じぶんを含め、杖をついた者まで含めて、デッキや自由席車両の通路には、ワゴンサービスが通行を自粛するほど多くの乗客が立つことになった。立ち乗りの客の一部は、指定席車両の通路にまで及んだ。座席を向かい合わせてカードゲームやおしゃべりに興じる中学生と、その通路に立つ中高年の乗客が対照的だった。
 2時間あまりとはいえ、高齢者にとっては辛い乗車となったのではないか。「大人の休日倶楽部」の割引パスの期間は、いわゆるオフシーズンの期間に設定されている。その期間を利用して、6回まで無料で指定席が取れるこのパスでのんびり北海道旅行をと考えた高齢者諸君にとっては、このアクシデントは堪えるのではないか。・・・そんな心配をしたのだったが、すぐにその心配を吹き払った。
 考えてみれば、彼らの時代は、夜行の急行列車であの硬い直角の座席に長時間座って旅をするのが当たり前だったのである。「急行おが」や「急行津軽」で、学生時代のじぶんも何度か経験した。混雑の時期は、すし詰めの通路に新聞紙を敷いてそこに座ったり寝たりして列車に揺られた。満員で通路が通れず、窓から下車したこともある。・・・そんな旅が当たり前だった時代を過ごしてきたジジ・ババたちは、今でも逞しいに違いない。
 そういえば、網走の弁当の売店では、独りで杖をついて旅をしている片側半身マヒの客も見かけた。まだ60代で、脳卒中の後遺症のようだった。売店のあの厳しい親爺に、ポリ袋に入った弁当が傾かないように持てと言われて、それにたどたどしい口調で、自分は片方の手しか効かず、その手で杖を持っている。その同じ手に弁当を持つから、傾いてもしょうがないだろうという趣旨の返答を返していたのだった。
 やれやれ、旅する老人恐るべし、である。




 じぶんは自由席にすし詰めで立たされるのを嫌って、修学旅行の中学生の団体客が占めている車両の内に入り、その一番出口のところに立っていた。目の前がちょうど引率教師の席で、その教師たちの言動が嫌でも耳目に入る。気づくとその車両のデッキにはノーネクタイだが背広の上着を着た旅行会社の添乗員が立っている。新青森が近づくと、かれらは大きなバッグをいくつも持って降りようとする。どうもそれらのバックは引率教師たちのもののようだ。
 それに、たぶん添乗員の指定席は確保されていないようなのだ。かれらは、自由席に空席がないときは、いつもこうして何時間も立って添乗しているのだろう。それにくらべて、引率の教師たちは、添乗員に自分の荷物を持たせるのが当たり前だとでもいうようにふんぞり返っている。
 ずいぶん昔のことになるが、ある全国イベントの準備業務で旅行代理店の職員と一緒に1年ほど仕事をしていたことがあって、そのときに彼から旅行業者や観光業界の裏話をいろいろ聴かされた。その話のなかに、修学旅行が旅行代理店の業績にとってどれほど重要か、それを受注するために教師をどう接待するかなどの話があったことを思い出していた。

 立って揺られるまま、山形から持参したロシアの現代小説家ヴィクトル・ペレーヴィンの短編小説集『寝台特急 黄色い矢』(群像社)を、この旅ではじめて紐解いた。これはこの本の訳者の一人である中村唯史氏から頂戴したものだった。
 そうこうしているうちに列車は新青森に着き、そこから「はやて180号」に乗ると、なんだかほっとした。例によって、山形から持参した最後の「じゃがりこ」をつまみに500mlの缶ビールであっという間にうとうとし、気がつくと20:40仙台着。
ここで仙山線に乗り換えるのが、「大人の休日倶楽部」流ということなのだろうが、ここでは1時間の時間節約のために、仙台駅前からの高速バスを選択する。
 そして、バスは22時ころ、無事、山交ビルに到着。
 当初の計画では、仙山線経由で山形駅到着を20:56としていたから、大雨による運休の影響は、札幌を発つのが3時間遅れたにも関わらず、僅かに1時間遅れの帰形というかたちで、目出度く収まってくれたことになる。

 じぶんの場合、旅の目的も旅の意味も、その旅の途中では解らない。格別に用事のない一人旅のときはいつも、目的地に行って帰る、そのことだけに夢中で、あとのことは考えていないような気がする。この知床行もそんな旅だった。
けれどまた、1970年代に当時は光り輝いていた北海道のイメージに憧れたようにではなくて、まったく別の視点から北海道の各地をもっともっと丁寧に見て歩きたいと思うようになった。
 この記事を書いた当日、これまで遺書らしきものを残して失踪していたJR北海道の社長の遺体が、小樽の海で見つかったことが報じられた。様々な困難を抱えているであろうJR北海道の奮闘を願いつつ、「大人の休日倶楽部」割引パス(23,000円)に感謝して、この記を閉じることにする。 (了)
                                                                                                                                                                                                                         



関連記事